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2021年2月28日 (日)

大塚ひかり著『くそじじいとくそばばあの日本史』

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書名に惹かれて購入。
なんで「くそ」がつくのか?優しい年寄りのイメージと違って、「悪」イコール「強い」の意味が加わるようだ。

乳幼児の死亡率が異常に高かった昔は平均寿命が非常に低かった。その乳幼児期を過ぎた人の平均年齢は60歳程度だった。
しかし医学が発達していなかった昔の老人も、長生きな人は長生きだったのです。
そう言う人の中に長谷川町子の『いじわるばあさん』顔負けのくそ爺婆がいる。時には小ずるく、時にしたたかに立ち回りながら、命の燃え尽きるぎりぎりまで、持てる力の限りを尽くして生きていた人たちがいた。

山幸彦。80歳過ぎて『古語拾遺』を編纂した平安時代の斎部広成、権勢にしがみついた藤原家や宗教界の人々。
81才で政界デビューし108才まで生きた天海和尚。
そのもっと昔の鎌倉時代の107才まで生きた北山准后。一休さん87才。
杉田玄白、貝原益軒。その他キレる迷惑爺。井原西鶴の『世間胸算用』の人たち。そして葛飾北斎。と他にも色々な人が出てきて結構面白い。



古い話になりますが昨年は高尾山に2度登りました。12月初めに登った時はずるして、初めてリフトに往復乗りました。寒かったけれども景色が新鮮。
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下りた先に、地元の浅川小学校6年生が4人一組になって、高尾山について説明して教えてくれました。マスクしてソーシャルディスタンスとってパネルも用意して熱心に。
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山頂から江の島が見えて(2度目)感動!
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2021年2月23日 (火)

八王子七福神巡り(2)

御所水。松姫が出家をして心源院を離れ、移り住んだ御所水。八王子宿の甲州街道を挟んで南側にある。湧水地があり、草庵があって、子供たちに教えたり蚕を飼っていたんだなあと想像する。
今は御所水弁財天がある。その少し歩いた北側になるところに松姫の信松院が建った。
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.信松院・・布袋尊(家庭円満)
本堂は中国のお寺のような派手な感じで屋根の形が目立つ。松姫のお寺というイメージとは違う。
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入り口には松姫の東下之像。
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観音堂の中。
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正面は聖観音菩薩で、左におられるのが松姫様か。
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布袋様は地下にいらっしゃいました。大きなお腹も今は触れない。これを機に今まで随分いろいろなものに触って撫で撫でしたことも考えさせられました。コロナが収まってからも神経質になり過ぎるのは、体を弱くするからよくないけれども、免疫の弱った高齢者はあまり調子に乗らない方がいいですね。
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松姫のお墓。武田菱が門にもあったが、ここにもある。
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次の目的地の金剛院の前に、千人同心の組織化をはかったり、松姫に草庵を贈ったり、八王子宿の建設をした大久保長安陣屋跡に寄り道する。
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この陣屋跡は産千代稲荷神社にあった。
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6. 金剛院・・福禄寿(長寿、財運招福)
本堂
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福寿堂
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中に福禄寿。いいお顔!
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7.傳法院・・恵比寿天(商売繁盛)大本山成田山の分院。
こちらに祀られているのは恵比寿様だけど、お隣に大黒様も。二つが綱で結ばれている。
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弘法大師。裏側には十二支守り本尊が彫られていて、自分の干支の本尊様を撫でてお詣り下さいとのこと。
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私の守り本尊は普賢菩薩。勿論何でもお詣りするが、欲張りすぎて効果なしのこの頃。
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8.本立寺・・毘沙門天(開運勝利)
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本堂
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毘沙門天
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絵馬も毘沙門天
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八王子八福神めぐりを終了し八王子駅ビルのロイヤルホストにてあんみつで休憩。24480歩。
昨年は寄居の十二支巡りでした。
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2021年2月19日 (金)

八王子七福神巡り(1)

甲州街道歩きをしていた時に、多摩・武蔵御陵に近く、高尾駅がもうすぐという所に山王社があって、松姫ゆかりの子育て地蔵を見ました。
その時、多摩NTの住人さまより、中村彰彦著『疾風に折れぬ花あり』~信玄息女 松姫の一生~を紹介してただき読んでみたところ、いかにして武田信玄の息女がこの八王子にゆかりのある人になり、ここで一生を終えたかを知ることが出来ました。
信玄の四女、五女、六女とも言われる松姫は武田信玄の死去後、武田勝頼が家督を継承すると、実兄の仁科盛信の高遠城へ。武田家滅亡後は山梨を経て八王子へ3人の親戚筋の姫を連れ逃避行。陣馬街道の下恩方にある心源院で出家する。
その松姫が八王子・御所水の草庵に移り住んで、尼としての生活の傍ら、寺子屋で近所の子供たちに読み書きを教え、地元の人たちに教えてもらい、助けてもらいながら蚕を育て、織物を織って得た収入で、3人の姫を養育する日々だった。その草庵が現在の信松院である。ここは徳川になって大久保長安の所領になって、松姫や武田家の旧臣からなる八王子千人同心は大久保長安にお世話になる。
松姫はここで1616年、享年56才で亡くなる。

八王子七福神の中に信松院が含まれていてそのそばが御所水であることからこの日は七福神を巡った。

1.宗格院・・寿老人(不老長寿)。甲州街道を歩いた際も寄ったところですが、すでに忘れている。西八王子で降り、馬場横丁を入っていくとある。
千人同心ゆかりの寺である。
本堂
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八角地蔵堂の中に寿老人(寿郎尊)が祀ってある。奥に収まるせき地蔵尊が「咳の病」が治ると伝えられている。
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千人同心組頭見習いで、幕末の北方警備と蝦夷地の開拓に尽くた河西祐助の顕彰碑。千人同心は日光日番の仕事を交代で勤めただけでなく、蝦夷まで開拓したのですね。
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前回見つけられなかった松本斗機蔵の墓も発見。千人同心組頭で天保8年(1837)に書き上げた「献芹微衷(けんきんびちゅう)」を水戸藩主徳川斉昭に献じ、海防や開国を論じた。江川太郎左衛門、渡辺崋山らと交友があった。
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南浅川の土手を歩き、向こう岸に渡って吉祥院へ。
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2.吉祥院・・吉祥天(幸福、美、富)。七福神ではないが八王子なので8か所めぐりになったのか?弁財天と混同されることが多い。母は鬼子母神、夫は毘沙門天。
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吉祥天
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子育て地蔵尊や鐘撞き堂や二十三夜堂跡を過ぎる。
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十五仏の仏様。先頭はいつも不動明王。
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高尾山の飯縄大権現が祀られる。
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その先には高尾山が見えた。横に広い山ですね。
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さらに進むとなぜかトトロたちにメイちゃんが乗っているし、おばあさんも。このお寺と何の関係があるのかとても賑やかで面白い!
まっくろくろすけもたくさんいる。
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陣馬街道の追分に向かい前回撮影した千人同心屋敷跡記念碑を見て、これも前回行った了法寺へ向かう。

3.了法寺・・新護弁財天(音楽神、福徳神、学芸神)

新護弁財天は、お正月のみ見られるとのことで、御前立を撮影。右手に宝剣を持ち、左手に宝珠を持つ。普通弁財天は琵琶を抱え、バチを持って奏する音楽神の形であるが。
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萌え寺で自販機までが。
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4.善龍寺・・大黒天(食物、財福) 見られなかったので本堂のみ撮る。
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そのまま甲州街道を横断し、松姫通りを進んで銚子丸にて昼食にする。
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お昼はあら汁が無料。
穴子、軍艦セット(いくら、しらす、ねぎとろ)、光り物セット、海老セット、ほたて、サーモンなど分け合って食べました。9貫くらいでお腹満腹。回転寿司だけど今は回転していない。ネタが大変良くて大満足。
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2021年2月13日 (土)

関東ふれあいの道 東京都 2鳥のみち

緊急事態宣言が出て、都から出られなく、また不要不急以外は出ないようにとなりました。
不要不急ではないけれども、いきなりの悪玉コレステロール増大と、コロナ廃人になったら大変と思い、景信山~陣馬山登山へ。
この山コースは「関東ふれあいの道」東京都の(コースは7まであって神奈川県境から東京を通って埼玉県境へ行く)2番目の<鳥の道>の一部だ。
かなり前に高尾山口から高尾山~小仏城山~景信山~陣馬山の「鳥のみち」を歩いているが、今回は高尾山は数多く登っているので前半を省略した。

(関東ふれあいの道というのは、一都六県をぐるりと結ぶ道歩きコースで全160コース、総延長1799㎞だ。ブロ友hiroさんは神奈川県を制覇された)。

6時頃に家を出て、高尾に7時前到着。前回街道歩きでは歩いた小仏までバスに乗り7時半過ぎに到着。
前回同様、小仏からは小仏峠まで登っていく。1時間かかり8時半ごろ到着。
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峠に着くと「鳥の道」だけあって鶯らしき鳥が出迎えてくれた。その後歩くうちに鳥の声が全然聞こえなくなった。(伐採が響いているのか?)
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所々にこんな「関東ふれあいの道」の里程標が置いてある。
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杉の実が可愛い。(ヒマラヤスギの実はシダーローズと呼ばれ立派だ)
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9時20分景信山到着。
この日は天気もよく、山々の連なるがよく見える。
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富士山が見えた!1月の下旬になっても雪が少ない。
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茶屋はお休みだけれども猫はお留守番?
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到着した茶屋の裏側にもう一つ茶屋があって、ここに山頂(727.1m)がある。
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八王子方面でしょうか。
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鬼滅の刃関連のポスターなどが貼ってあるのは、景信山が登場人物の時透無一郎の出身地とされるから。

陣馬山に向かう。9時40分頃。
景信山では以前植物のシモバシラがあって冬に霜柱を見たが、この日もたくさん見ることが出来た。気温はまだ零下のようだ。
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途中はずっと伐採中で、堂所山(どどころやま)には登れず、巻き道を行き、明王峠(738.9m)に到着。
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奈良子峠(728m)。陣馬山はもうすぐだ。
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陣馬山(854.8m)到着!12時18分。
白い馬が出迎えてくれる。
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ここからも富士山が見えた。
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頂上からの眺め。
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ここで昼食を食べ終えて和田峠まで一気に下る。
里程標もゴール間近な感じになってきた。
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和田峠到着。13時23分。
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ここからは舗装された川沿い(案下川)の道をひたすら下って陣馬高原下バス停に2時を少し回った頃到着し、バスで高尾駅まで40分。3時過ぎ到着。
ちょっと登りがふうふう言ってしまった登山でした。1年間で随分衰えたものです。29172歩。

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2021年2月 8日 (月)

ベア・ジョンソン著『ゼロ・ウェイスト・ホーム』

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最近は温暖化に寄って地球が壊れつつあり、毎年凄まじい災害が起き、今世紀末には気温は2.6度から4.8度も上昇し、海水面も最大82mも上昇するという。

で、この1枚の写真に釘付けになりました。4人家族で1年間のごみが1リットル瓶に1つだけ。
直ぐ注文して取り寄せました。
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ぱらぱら見たらさらにその後は半分のこれだけ!
まずどうしてこんなに少ないの?
次に何で瓶に。私ならビニール袋に入れるでしょう。
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それはプラごみの問題であることが読んでいくうちにわかりました。

そういえば先ごろ衝撃的なプラごみの映像を目にします。打ち上げられた海岸や川のプラごみ(ロープなどを含む)の量が半端ではなく、海や湖の生物が呑み込んで死んでいく姿も映し出される。土に返ることができないプラごみは、実は私たちの生活にもう密着しすぎて出すゴミの中では⑤と並んで群を抜いています。
量り売りをする市場がない日本は、食品の包装はすべてプラ、それが2重にも3重にもなっていて、生協で買う品も冷凍が多いので我が家もかなりのものです。1週間に6~10リットルはあります。プラは再生されるのでしょうか。燃やされるのでしょうか。生協で回収してくれる卵入れケース、ペットボトル、肉や魚、豆腐などを入れているプラの入れ物はリサイクルされるのでしょう。リサイクルもまたたくさんの石油を使って炭酸ガスを出すのですから問題なのです。

日本でもゴミ分別が進む。
25年以上も前からごみ問題が環境問題とタイアップして学校でも教えられるようになりました。

5R  ① リフューズ(無料グッズにノーと言う)
   ② リデュース(不要なものを手放す)
   ③ リユース(使い捨てをやめる)
   ④ リサイクル(①②③出来ないものはリサイクルする)
   ⑤ ロット(残りはすべて堆肥化)

5Rのうち②③④⑤が教えられていた内容です。
⑤はコンポストで私も一頃やったのですが、食器洗いなどで使った中性洗剤などが混じったり、蛆が湧いてしまったりでやめてしまったのでした。
今はコンポストも色々な型のが世界中にあります。それぞれ長所、短所あり。
⑤のごみは食品くずだけでなく、紙なども全部堆肥化するなんて知りませんでした。

また日本など数か国だけがコストのかかる焼却をしていて、多くは全部⑤は埋め立てているそうです。小さな国も!!

著者はアメリカンドリームの日々を送り、大きな家にたくさんの家具や品々に囲まれて暮らしていたのが、引っ越しを機に目覚め、343頁に渡ってこれだけのゴミにまで減量に成功したことが書かれる。訳者が日本で実行しているけれどもなかなか大変のようです。

今生まれた赤ちゃんは今世紀の終りに80歳になってこのままだと大変な地球になっていると思われます。可哀想に。
1人1人の自覚や努力だけでなく、世界中の国々の知恵を寄せ集めてやっていかなくては。しかしそれがいろいろな指導者のいる国や戦争が続いている国があって、一筋縄ではいかない問題です。

新橋駅前で若者がたくさん集まって午後8時過ぎにお酒とおつまみで宴会を。終わるとゴミをそのまま散らかして。コロナとゴミ問題を何も思っていないのかしら。

 

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2021年2月 2日 (火)

甲州街道5 高尾~駒木野宿~小仏宿~小原宿~与瀬宿~吉野宿~藤野(2)

小原宿へ下る手前に照手姫ものがたりの説明板があった。「小栗判官と照手姫」の照手姫は、この美女谷の生まれだそうだ。その美貌が地名の由来とか。照手姫に関しては東海道の藤沢宿や他にも出てきたような。
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●小原宿(8番目の宿) 本陣1軒、脇本陣1軒、問屋1軒、旅籠17軒。次に向かう与瀬宿と合宿で、与瀬宿を越えて吉野宿まで継立、与瀬宿からは当宿を越えて小仏宿まで継立てる片継だった。明治28年の大火で宿並は灰塵に帰してしまった。

小原宿に入ってきた。
小原の一里塚跡(15里目)の説明板を見逃した。さがみ湖リゾート・プレジャーフォレストの観覧車が見えた。高尾山からも見える。
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小原の郷到着。休憩所でもあり資料館でもある。午後1時45分だったけれどもこの日の初めての客だそうだ。
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小原宿のジオラマ。
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松明をじかに見る。
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高札場の復元。
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本陣。
甲州街道中には3軒の現存本陣があるが、神奈川県内の東海道、甲州道中にあった26軒の本陣の内、唯一現存する本陣。本陣を営んだ清水家の祖先は北条氏の家臣、清水隼人介で、北条氏滅亡後この地に土着し、代々本陣を勤め、問屋、名主を兼ねた。
門と屋敷は立派だ。
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人馬継立表をみると甲州街道は五街道の中で3藩しかなく、一番通行大名が少なかった。
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広間には駕籠も見える。
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控えの間。
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2階は合掌造りの家のようになっている。周りに農作業の器具や養蚕業の道具等がぐるっと置かれていた。
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本陣の向かいの旅籠菊屋跡。
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「ひかえ宿小松勇右衛門」の旅籠小松屋跡。本陣、脇本陣の控えであった。
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ここで相模原市のマンホール発見。旧相模湖町のもので、相模湖、町の木カツラ、町の花ヤマユリ、町の鳥おしどり。
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ケヤキのマンホール。相模原市の木。
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これは神奈川県のマンホールで県の花ヤマユリ、県の木イチョウの葉、県の鳥カモメをデザインしている。
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寿堂というお店でおやつに酒まんじゅうを買う。
南無阿弥陀仏名号碑。
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●与瀬宿(8番目)小原宿との合宿。本陣1軒、問屋1軒、旅籠6軒。鮎が名物だったが、広重は値が高く不味いと評した。相模湖駅が右に見えるが元は与瀬駅と言ったそうだ。

坂本本陣跡には、築山の上に明治天皇与瀬御小休所趾碑が建っていた。
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小原宿を出てからは旧坂を上ったり下りたりで、先ほどのお饅頭で元気をつける。
慈眼寺と與瀬神社も登るのがいやになって下から階段をちらりだけ。おまけに道が難しくてスマホを頼りに右往左往。
相模湖が見えてきた。
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廿三夜塔、名号碑等。所々に佇む石碑。
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旧藤野町のマンホールは、町の花フジのデザイン。
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甲州古道椚戸(くぐど)と書かれた木柱を通り過ぎると、また視界が開け相模湖が見えてきた。
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●吉野宿(9番目の宿)本陣1軒、脇本陣1軒、問屋1軒。宿並は明治29年の大火で焼失してしまった。桂川の畔にあるところから「桂の里」と呼ばれたそうだ。

吉野宿へと入ってきた。
高札場跡。
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本陣跡。明治天皇も宿泊されたが5階建てだったそうだ。
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小猿橋跡には廿三夜塔と百万遍供養塔があった。猿橋と同じ工法で作られたが規模が小さいので小猿橋と言われたそうで残っていないのが残念。
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吉野橋で沢井川を渡って、ここで宿を出る。
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旧道に入って、馬がしっかり見える馬頭観音に久しぶりに出会う。
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中央自動車道からもよく見える緑のラブレター。
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関野の一里塚跡(17里目)。片塚だったとのこと。
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藤野駅から東京行き特快に乗れたので、国分寺まで乗り換えなしで到着。
先週に引き続いてお魚がおいしいお店にて。
おとうしはつみれ、蟹味噌豆腐。モロコ(琵琶湖産)の塩焼き、刺し身特上盛(鮪の脳天、生ウニ、ほたて、中トロ、ミズダコ、きんめなど)、豚バラの下仁田ネギ巻き、海鮮しそトマトピザ。
帰宅は8時前でした。

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