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2021年3月15日 (月)

東村山・八国山と史跡巡り

2/16午後だけ有休をとった娘について行って、電車で10分の東村山駅から近い、八国山とその周りの史跡巡りに出かけました。
新田義貞が戦った地の一つです。また鎌倉古街道が通っていてこの辺りに宿があったそうです。もう一つ、国宝建築物を見る。

まずは駅前の和菓子店・餅萬でおやつとお土産にお饅頭とどら焼きを買ってもらう。
「だいじょぶだァ」が小倉餡。「だっふんだァ」はウグイス餡。それぞれどら焼きと饅頭がある。
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駅からは鎌倉街道の一部を進み八国山の方へ。残念ながらこの日は立派な建物の「東村山ふるさと歴史館」はお休み。
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早速マンホールを発見。東村山市のマンホールは村山貯水池の取水塔だ。
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徳蔵寺。臨済宗・大徳寺派。元和(1615~1623)頃開山。武蔵野三十三観音7番で、狭山12番。
境内から中世の文化財である板碑、宝篋印塔(鎌倉時代の供養塔)などが発掘されている。

本堂
本尊は白衣観世音菩薩は見えなかったが、写真では非常に立派。
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永春庵のご本尊は聖観世音菩薩。
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校倉造の板碑保存館を見学する。200円。
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1階の展示には石器、土器、国分寺瓦、古銭、埴輪などが展示される。
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2階に上がると驚くほどの板碑(死者の追善供養のためにたてた石製の卒塔婆)があった。約170基。日光街道等でポツンとたっている板碑を目にしては喜んだが、それがこの辺りからこんなに出土したとは!
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国指定重要文化財の「元弘の板碑」から。写真は光って見えにくいですが。
説明によれば、小島法師が著したといわれる『太平記』(1370年頃完成)の記述されている新田義貞の鎌倉攻めを裏付けるように、元弘3年(1333)5月15日と18日の合戦の場所と新田の3人の戦士の名前が刻まれていて、戦史を実証している板碑として有名だそうだ。
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宝篋印塔と五輪塔(供養塔)
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宝篋印塔には関東形式と関西形式がある。板塔婆の両側の切り刻みが五輪塔が原形になっているとのこと。これから気をつけて見てみよう。
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八国山緑地に向かう。麓に久米川古戦場跡の碑がある。
新田義貞の軍勢は小手指ヶ原(所沢市)で一戦交えた後に久米川へと戦場を移し、ここで第二戦が行われ、この後分倍河原などで三戦交え稲村ケ崎に着き幕府を倒した。
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八国山緑地を歩く。小鳥の鳴く、殆ど平坦な散歩道となっている。
東西約1.5km、南北約300ⅿの都立公園。園内には標高89.4 mの八国山がある。かつて上野・下野・常陸・安房・相模・駿河・信濃・甲斐の8つの国を望むことができたことに由来する。
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少し進んだところに将軍塚がある。新田義貞が本陣を置いていた。富士塚とも古墳とも言われている。
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この道の左側にはあおぞら広場、ほっこり広場、ころころ広場、ひだまり広場と広場がたくさんあって、そこのベンチで先ほどのおやつを食べる。美味しい!

ふたつ池(下池)。上池は枯れて見る影もなし。ため池として周囲の水田に水を供給していた。
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北山公園はハナショウブやハスで有名だが、今は梅が数本咲いていた。
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公園を出たところで、違う種類のツツジのマンホールを発見。
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次に向かったのは正福寺都内では唯一の木造の国宝建造物がある。都内でもう一つの国宝西洋建築が迎賓館だ。
鎌倉時代中期の創建。北条時宗が鷹狩りにきた際に大病にかかり、夢の中でお地蔵様が差し出した丸薬を飲んだところ治ったことから、お地蔵様の供養のため開創したと伝えられている。
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貞和の板碑。1349年。完全な形をとどめるものとしては都内最大級とのこと。
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国宝千体地蔵堂。屋根はこけら葺。反り返っているのも特徴的だ。花頭窓、桟唐戸や、軒下等が美しい。2度目だけれども、美しい建物だ。
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木彫りの地蔵が沢山納められていた。知的障害者が彫った地蔵をここで買って、願いを込めて奉納したもの。
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本堂。
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駅への途中にある出世弁財天女宮。
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駅前の東村山停車場の碑。
停車場の碑は1894年、川越と甲武鉄道の国分寺を結ぶ川越鉄道が一部開通し、東村山に工事用仮設駅が造られた。全線開通後仮設駅は撤去されることとなったものの、住民運動により東村山停車場がつくられた。停車場開設の尽力を記念し、1897年に建立された石碑だそうだ。
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コメント

お近くに遺跡がいっぱいあるのですね。
娘さんがいつも同行され、安心ですね。

関西にいた時、板碑がまったくなくて
本には関東には一杯みられると書いてあり、
その通りで、
東京ではよく見てまわりました。
今回も貴重な写真を拝見出来ました。

どらやきは都会にもあるのですね。

投稿: matsubara | 2021年3月16日 (火) 08:07

★matsubaraさま

住んでいるいるところが奈良時代と鎌倉末期に関係しているとは、今の今までぼんやりとしか知りませんでした。
鎌倉滅亡の古戦場がすぐそこにあったとは。
鎌倉街道を歩けるかはわかりませんが、板碑の凄さにびっくりでした。鎌倉時代関東でたくさん彫られたもんなのでしょうか。
関西は鎌倉文化と当時あまり近しくなかったのでしょうか。
どら焼きのない所はないくらい、色々なお店で見ますよ。餡子の入って大きいが好きです。
ありがとうございます。

投稿: tona | 2021年3月16日 (火) 08:53

公園や広場がたくさんあってそこを利用する人は少ないのかな。
そうだとしたらもったいないですね、どこかに運べないかな^^。

投稿: 佐平次 | 2021年3月16日 (火) 09:39

★佐平次さま

今は観光者はいなくて、殆ど地元の人の散歩道になっています。東京の人が多そうです。
埼玉県との県境にあるのですが埼玉県側は宅地になっているから登りにくそうです。
こんな散歩道があったらと羨ましく思いました。
都心の混んでいるところに行って危ない思いをするより、こうしたところで過ごすべきだと思います。自然と音楽文化・食文化の違いで前者は後者に負けるのですね。人ごみの方が魅力的なものがいっぱい詰まっているのです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年3月16日 (火) 10:57

tonaさん、こんにちは~♪
昔、西武遊園地とユネスコ村に行った帰りに村山貯水池に
寄ったことがあるのですが、車で行ったので、東村山市にあった
とは知りませんでした。てっきり、所沢市かと・・・
きっと隣接しているのでしょうね。
徳蔵寺の板碑保存館は見ごたえがありましたね。
宝篋印塔に関東形式と関西形式があること、知りませんでした。
八国山緑地は明るい雑木林のようで、これからは春の植物を
探しながら歩くのも楽しそうですね。
正福寺の国宝千体地蔵堂、屋根の形が珍しいですね。
相当古い建物なのでしょうね。本堂も趣がありますね。
もう少し近くだったら、今すぐにでも訪ねられるのですが…

投稿: hiro | 2021年3月16日 (火) 12:29

こんにちは
 
東村山駅は、最寄り駅から10分の近場なのですね。
だいじょぶだァ だっふんだァ というと、志村けんさんを
思い出しますが、もともとこの辺りの言葉でお菓子の方が
先なのかしら? どら焼き食べたくなりました!
だいじょぶだァ や だふんだァ は、口に出して言うと
肩の力が良い塩梅に抜ける感じがする言葉ですね。
 
その辺りは新田義貞と関係の深い土地だったのですね。
全然知らず…です。
板碑の多さにはびっくりです。木より確実に後世に残るものですね。
大きな貞和の板碑は1349年のものですか。当時、心込めて彫り
建てたものを、600年以上も後世の人がほぉ~と見学するとは、
考えてもみなかったことなのか、それとも予想されていたことなのか、
どちらだろうと、そんなこともふと思いました。

投稿: ポージィ | 2021年3月16日 (火) 12:40

東村山は志村けんの歌う唄で有名になりましたね
今まで名前だけで何も知りませんでしたが史跡も多く残り
都内で迎賓館と並ぶ国宝の建物もある街だと知りました
出土したたくさんの板碑には驚きです、
また歴史的にも重要な意味のある板碑が残っているのもすごいですね。
石だからこそ何百年もの歳月を経てもその姿ありでしょうか。
八国山は八つの国を望むことができた山ですか
箱根十国峠など本当にそこまで見えるかしらと思ってしまいますが
当時の人はその見晴らしの良さを表現する方法としてそのような言葉を
使ったんでしょうね

投稿: ビオラ | 2021年3月16日 (火) 16:29

★hiroさま

こんばんは♪
この八国山緑地を下りたところが西武遊園地と西武園です。そこはもう所沢市です。
そして村山貯水池(小学校の遠足でも行きました)は村山が付いていますが隣の東京の東大和市になります。山口貯水地の方は埼玉の所沢市ですね。
宝篋印塔は写真のような下の石が二つに分かれています。そこが関西と違うようです。
この緑地のご近所の方が羨ましくなりました。
仰るようにこの国宝の屋根のそりがなかなかです。こけら葺きもね。
本当に我が家からは近いのですがそちらからですと遠いですね。私は迎賓館はまだ見学をしていません。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年3月16日 (火) 20:37

★ポージィさま

東村山イコール志村けんさんなのですね。
面白い言葉ですね。お菓子の名前になっているのですから。
ほんとうにお菓子が先なのか、志村けんさんの歌が先か、調べていませんが、思い出しますね。お気の毒でした。
コロナがなかったら知らないままだったかもです。
私もこのコロナがなかったら、この辺りの散歩をしていなかったと思うのです。ひょんなことから鎌倉街道とか新田義貞のことを知りました。国分寺のそばを鎌倉街道が通っていたなんて言うこともずっと知らないできました。
この大きな板碑、ポージィさんのような感慨を持たれる人も多いでしょうね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年3月16日 (火) 20:44

★ビオラさま

東村山市が志村けんさんと関係があったなんて、コロナがあるまで知りませんでした。
都内のこの国宝は1度訪れましたが、迎賓館はまだなのです。
最近見学が出来るようになったのですね。いつか行きたいと思っています。
板碑の数凄いでしょう。鎌倉時代を中心に多く造られたのですね。
鎌倉街道があって、新田義貞の戦争の通り道だったことを知りました。
標高100mにも満たないのに四方が良く見えたのですね。先日の松姫古道では筑波山まで見えたのですから驚きました。
鎌倉にもそのような山に登ったことを思い出しました。あちらこちらにあったのですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年3月16日 (火) 20:52

こんいちは。東村山は行ったことがありません。歴史ある町なのですね。勉強になりました。志村けんさんの銅像が待ち遠しいですね。

投稿: 多摩NTの住人 | 2021年3月17日 (水) 14:17

★多摩NTの住人さま

こんにちは
そうでしたか。
家からとても近いのです。
板碑にびっくりしました。八王子の戦国・江戸時代から鎌倉時代に遡りました。
志村けんさん、楽しみです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年3月17日 (水) 14:56

小生は「太平記」が大好きでこの1年間大河のBS再放送を全て見ました。新田義貞の史跡は分倍河原古戦場は訪問しましたが、小手指ヶ原(所沢市)もありましたね!見に行かなくっちゃ!
今日も春が爛漫に輝き続けて行く快晴日でしたね!花も一斉に開花時期を迎え、春の花が咲き誇り鳥は囀りまさに花鳥風月!ついに広島・福岡・東京など次々とも開花宣言が出て、今週末は全国的にも満開桜が見られそうです。

投稿: ローリングウエスト | 2021年3月17日 (水) 17:22

★ローリングウエストさま

「太平記」がお好きなのですか。
学生時代に読んだきりで、一番知らないかもしれない時代です。
分倍河原古戦場は鎌倉街道を歩こうと思う時に寄ろうと思っています。家から近いのですが。
小手指には植物観察で何回も行っていますのに、小手指ヶ原古戦場は知りませんでした。
義貞が亡くなったところは越前でしたか、遠いところですね。なかなか行かれそうもありません。
お花見楽しみですが、静かに見ようと思います。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年3月17日 (水) 20:25

東村山と言えば志村けんさんを思い出すほど、東村山音頭を有名にしましたね。
「だいじょぶだァ」や「だっふんだァ」の和菓子もあるのですね、この言葉は志村けんさんが流行らせたと言っても過言ではないほど
今月でコロナで亡くなられて1年、本当に惜しい方を亡くされました。

新田義貞が戦った地の一つが東村山だったのですか、初めて知りました。
「東村山ふるさと歴史館」や徳蔵寺や校倉造の板碑保存館など、観たら面白いだろうと思えるのが沢山あるのですね。
国宝千体地蔵堂は趣のある立派な建物ですね。

この記事を読んで行ってみたくなりました。

投稿: ラッシーママ | 2021年3月17日 (水) 21:26

★ラッシーママさま

こんばんは。
志村けんさんの死はほんとに惜しまれましたね。
お饅頭とどら焼きと両方食べられて(4種類全部食べたわけではないですよ)幸せでした。

私も新田義貞は分倍河原と稲村ヶ崎しか知りませんでした。
板碑保存館は小さいけれどもとても良かったです。説明板を見ていろいろ知ったことがありました。
この木像国宝を見ましたら迎賓館も見たくなりました。テレビで観たとき凄く立派だと知りましたので。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年3月17日 (水) 21:44

こんばんは(^o^)/!
東村山と言えば、やはり亡き志村けんさんですね。志村さんのギャグを冠した銘菓があるとは?!
志村さんがコロナに感染した直後、ほんの数日でお亡くなりになったことは、コロナウイルスの恐ろしさを世間に知らしめてくれました。
生前はお茶の間を明るくし、お亡くなりになってからもコロナの恐ろしさを伝えてくれた志村さんですが、最近は緊急事態宣言下でも「もうこんな生活はうんざり」とばかりに、コロナ以前の生活様式をしている人も多いでしょう。
志村さんがあの世から「大丈夫だぁ!」と言える世の中になって欲しいですね。

志村けんさんのことばかりのコメントですみません m(u_u)mスマヌ!

投稿: 慕辺未行 | 2021年3月18日 (木) 23:55

★慕辺未行さま

おはようございます。
私もこのお菓子が東村山の銘菓になっているのにびっくりでした。
餡がとても美味しいのです。
志村けんさんの亡くなられたことが、コロナで最初の頃国民を震撼とさせた事件でした。
そんなことも忘れて、浮かれ騒いでいる人々が再びまた感染の拡大をさせていることが腹立たしいです。
心の緩みは我儘の一つなのですね。
我慢できない国民になってしまったのはある程度豊かで平和ボケになってしまったことです。ある面馬鹿と言われても仕方ありません。
面白いコメントありがとうございました。

投稿: tona | 2021年3月19日 (金) 08:07

母娘さんの「歴史漫歩」の趣味が一致して羨ましい限りです。
近くにもたくさんの歴史を偲ばせる場所が沢山ありますね。
新田義貞と聞くと、鎌倉近くに住む私も心が疼きます。
私の在籍しているワンゲルでも10年前くらいに高崎からスタートし稲村ケ崎に至るまで、何回かに分けて鎌倉古道を踏破しましたが・・・
当時私は親の介護で忙しくて、神奈川に入ってからの鎌倉古道歩きしか参加していません。
それでもあちこちに古戦場は点在していましたね。
都内では唯一の木造の国宝建造物「正福寺」には是非行ってみたいです。
今の時代、車でも鎌倉から東村山までは遠く感じますが、、、
北条時宗は鷹狩に出向いているのですね。

緊急事態宣言の解除が決まり、ワンゲルも再開で楽しみです。
私も鎌倉の円覚寺で北条時宗を偲んでみたくなりました。
美味しい和菓子にありつきたいものですが、、、
それにしても「だっつふんだぁ~」というネーミングはどこから???

投稿: nao♪ | 2021年3月19日 (金) 08:09

東村山と言えばコロナで亡くなった志村ケンの郷。こちらに来て初めて住んだ所。懐かしいです。志村ケンンに因んだ饅頭のあることはテレビで見ました。同級生がやってる和菓子屋さんらしいです。彼にことわって作ったと言っていました。いろいろなものが出来てるのですね。
駅前に植えられた「志村ケンの木」も大きくなっていますね。テレビで見ました。
八国山は何時も見てました。
里山と言う感じ。 
小手指と同じく古戦場だと言うことは聞いていました。「トトロの森」とも。
こうして拝見するとやはり沢山の史跡があるのオですね。遺された貴重な自然の林ですね。

投稿: 夢閑人 | 2021年3月19日 (金) 12:47

tonaさん、こんにちは。
たびたびお元気にお出かけ、そしてお歩きになってますね。
少しはtonaさんを見習わねばと思うばかりで
いつも近所を数千歩のウォーキングをしているのみになってます。

東村山については厚木にいたころ、
オープンリールテープデッキのオーバーホールのため
メーカーであるTEACの東村山事業所に
それを車で運んで持ち込んだことがあり
そのとき一度だけの東村山になっています。
TEACの現在はどうなっているのでしょう。
かつてはオーディオ機器で反映してましたのに・・・。

鎌倉街道が通っているのですか。
町田あたりにも通っていたと思います。

東村山は志村けんさんの音頭で有名になりましたね。
銅像が建つとか、市にとっては多大な寄与をもたらした恩人でしょう。

寺院や史跡を巡りながら歴史を想うウォーキングでしたね。

八国山で思い出しました。
新婚時代に住んでいたアパートの近くから山越えして北鎌倉まで
休日には歩いていましたが、その山は六国見山でした。

投稿: Saas-Feeの風 | 2021年3月19日 (金) 13:55

★nao♪さま

高崎スタートの鎌倉街道は本も買いまして我が家の近くを通っていますので興味あります。ところが他の街道が済んでいないのでその後と思うと、もっと長生きして元気でないとダメで、多分歩けないです。
nao♪さん、残念でしたね。でも鎌倉の方を歩かれていらっしゃるのでよしですね。
義貞の古戦場も5ヶ所くらい鎌倉まで続いてこの辺りに3ヶ所あるようです。
北条時宗がこんな方まで鷹狩りに見えたのですか。知りませんでした。
鎌倉室町時代が一番知らないのです。鎌倉街道を歩くと少しは勉強できそうですが。
ワンゲル再開は嬉しいニュースですね。思い切り楽しんできてください。
この奇妙なネーミングは志村けんさんですよ。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年3月19日 (金) 15:40

★夢閑人さま

志村けんさんの言葉のお菓子、同級生がことわって作ったのですか。面白い経緯ですね。
有名らしく早速買っていただいたわけです。
美味しかったです。
駅前の「志村けんさんの木」は全然気が付きませんでした。あらまあです。
八国山からは所沢方面の家々が見えますね。
最初に住まわれた頃いつもご覧になっていたのですね。
古戦場跡とか将軍塚とか当時を思い起こさせますし、板碑が多いので驚きました。
公園になっていますから、ずっと残っていく貴重な里山ですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年3月19日 (金) 15:48

★Saas-Feeの風さま

こんにちは。
都から出ないで欲しいということで、都心でない反対側の電車がすいていて人が出てないところを歩いています。結構足が弱りました。

TEACは有名で聞いたことがあります。当時東村山にいらしたのですね。今もあるのでしょうね。
ただただ勤務先と往復していた私は常識がなくいろいろなところも知らないままできました。ですから現在歩くところは初めてか2度目程度で、どこを歩いても興味深いです。
志村けんさんが亡くなられたことで東村山はさらに指名度アップですね。
鎌倉時代と関係ある場所とは今まで全然知らないで(つまりボーとしているんです)いました。
鎌倉の六国見山は、私も頂上で感慨に耽りました。伊豆大島も見えました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年3月19日 (金) 16:17

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