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2021年6月11日 (金)

陣馬街道を歩く

陣馬街道(案下道)は、八王子市の追分交差点で国道20号(甲州街道)から西へ分かれ、和田峠を経て神奈川県相模原市緑区に至る街道で甲州裏街道または甲州脇街道とも呼ばれた。
現在は西東京バスが高尾駅から陣馬山登山口となる終点・陣馬高原下停留所まで運行していて、以前陣馬山に登山した時に和田峠に降り、陣馬下高原バス停まで歩き、そこから高尾駅まで利用した。

<松姫ゆかりの地と夕やけ小やけふれあいの里と寺院を巡る>

5/28(金)に高尾駅より乗り、終点より5つ手前の関場バス停まで行き、川原宿までの歩きである。
武田信玄の息女・松姫ゆかりの地として、心源院の他、別の日に信松院、松姫を慕った八王子同心にちなんだ場所を巡った。この日はそのしめくくりとして最初に身を寄せた金照庵跡を訪ねる。

その前に関場バス停の分かれ道から登った所にある龍泉寺へ。
八王子で唯一の鉄仏・聖観音菩薩立像。鎌倉時代の作。鉄仏は中世、関東地方で盛んにつくられたそうだ。
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ご本尊。
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たくさんの石仏たち。
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陣馬街道へと戻り、口留番所跡に到着。
陣馬街道の関所にあたる口留番所があった場所で、関所跡の碑がある。
関場は小規模な関所があったところで、旅人の検問、物資の移出の監視していたもの。明治2年に廃止されたが、今もこの地名が残っている。
一番右側の碑が松姫之碑
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松姫が甲州から3人の姫を連れてこの地に逃れて最初に身を寄せたのが金照庵。その碑が金昇庵という字でその横にある。実際の場所はここから150m離れた恩方第二小学校内である。ここに松姫は4ヶ月ほど滞在し、この日ここまで歩く、川原宿の心源院へ移って出家した。この冬にこの寺から出発して八王子城跡へ歩きました。
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レトロな郵便局(昭和13年に建てられた)。
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ユキノシタが丁度あちこちで見頃だった。
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宮尾神社(住吉神社琴平神社合社)。
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上がっていくとそこにあったのは夕焼小焼の碑。生家跡に郷士の有志によって建立された。
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夕焼小焼の歌の歌詞を書いた中村雨紅は、この神社の宮司の息子だった。青山師範学校を卒業したあと、日暮里小学校に勤めていた。毎日恩方村から八王子駅まで16㎞の道のりを歩いたそうで往復32㎞。私の街道歩きで1日歩いても歩けない距離です。八王子の発車メロディは夕焼小焼は中村雨紅との縁だったのです。そういえば杉並区に住んでいた時夕方この曲が流れていました。なかなかいい曲です。
残念ながら夕やけ小やけのふれあいの里は休館中で中村雨紅に関する展示が見られなかった。

少し進むと中村雨紅のお墓があった(本名は高井宮吉)。
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お墓の横にレリーフがあったが、夕焼小焼の子供が帰る様子のような。
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クリスマスイルミネーションがきれいというふれあい館が見えた。
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陣馬街道の標識。
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興慶寺。寺の前面は墓地でお墓がバラに囲まれていて、山と対面していてなんて素晴らしいのでしょう。
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山門が見えてきた。
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古い六地蔵。
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さらに上に上がってくと、中村雨紅の歌碑「ふる里と母と」があった。この歌は知りません。
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さらに上がったところに鐘楼があって、鐘には中村雨紅の歌が刻まれている。
「興慶寺ここのみ寺の鐘の音を 今日も安らかに聞くぞ嬉しき」
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街道の方へ下りるとバイカウツギが咲いていてなんと清楚なこと!
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街道に戻り先を進むと、子供・女性専用釣場があった。
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水田は今年初めて。日本らしい風景。
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マスクをしたお地蔵さん。
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皎月院に寄る。
参道入り口に色々なポーズのユーモラスな六地蔵がいた。「ぐち聴き六地蔵」。
去年までは後ろに立てかけた木板に「ぐちを言ってもいいだべ 泣いたっていいだべ 笑える時も来るさ 人間だもの」と書かれていたらしいが、今はない。
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このお寺は地蔵だらけで他にもいっぱいあった。
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これは猫のお墓か?
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最後に浄福寺に寄る。
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背後の千手山(標高357m)にあるのが浄福寺城で、八王子城の出城として使われていたという。
城址好きの人は蚊が多そうな城山にもちゃんと登っているそうだ。蚊や虫がいるのでやめました。
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川原宿大橋バス停から高尾へ。約25600歩でした。

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コメント

こんにちは。良く歩かれましたね。松姫ゆかりの地が色々あるのですね。八王子市民ですが、夕やけ小やけの里はまだ行ったことがありません。

投稿: 多摩NTの住人 | 2021年6月11日 (金) 16:33

★ 多摩NTの住人さま

松姫に関する御本をご紹介いただいたお陰です。
八王子に関して書いてあるところを回ることが出来て嬉しいです。
重ね重ねお礼申し上げます。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年6月11日 (金) 19:23

往復32キロ、山道も含めて、想像することが出来ません。授業をする時間があったのだろうか。
愚痴聞き地蔵、いいですね。

投稿: 佐平次 | 2021年6月12日 (土) 10:47

こんにちは

八王子の西、随分奥の方を歩かれましたね。
1965年頃、陣馬街道を通ったことはありますが、そんな奥までではないと思います。
別名ダンプ街道と呼ばれ、狭い砂利道を大型ダンプカーが行き来していました。
道には大きな轍が出来、とても車では容易に行けるところではなく、バイクで行っていました。
随分昔のこまつひめとで、記憶も定かではありません。今はどうなっているのか?
 高尾の北の方陣馬街道の周辺にはいろいろ史跡があるのですね。この辺りは行ったこともないし勿論知りません。松姫ゆかりの地なんですね。
目的‭がないと行くところでもないですね。今改めてなるほどと頷いています。
少しはこの辺りのことが、地図と読み合わせて少しづつわかってきました。
近頃お地蔵さんもマスク。世相反映。

投稿: 夢閑人 | 2021年6月12日 (土) 12:18

こんにちは
 
松姫ゆかりの地をまた新たに歩かれたのですね。
松姫のことは、tonaさんの記事で初めて拝見してからこちら、
何となく気になる方となっています。なのに早くも色々なことを
だいぶ忘れつつあります(^^;)
 
夕焼け小焼けの歌は子どもの頃からよく耳にしてきていて、
現在も夕方5時になると(冬場は4時半)自治体の防災スピーカーから
この曲が流れますが、作者のことは全く知りませんでした。
この地の出身の方なのですね。だから、山のお寺の鐘が鳴る、
という歌詞になったのかしら。宮司の御子とのことではありますが。
それにしても毎日往復32キロも歩いたとは、いやはや驚きです。
昔の学校は遅くに始まって早くに終わったのかしら。
でなくては寝る間が無くなってしまいそうです。
皎月院のお地蔵様たちは、みな親しみ深いほんわかするお姿ですね。


投稿: ポージィ | 2021年6月12日 (土) 17:40

★佐平次さま

昔の人は自転車もなく、すべて歩きですから授業以外は歩くと寝るしかなかったでしょうね。歩く間に詩作が生まれて。
愚痴聞き地蔵、私も気に入りました。
愚痴っぽい御婆さんになったので、せめてお地蔵様に聞いてもらいます。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年6月12日 (土) 18:48

★夢閑人さま

地図で見ますと、八王子は中央線沿線と八王子城址、高尾山から景信山や陣馬山とここから高尾駅までバスと歩きでつなぎました。
結構見所がありましたが、3回で松姫に関する場所を回ることが出来ました。
陣馬街道の昔はそうだったのですか。
途中から道路が狭くなって、そこからは車掌が乗って運転手を手伝います。神奈川県緑区の藤野の方まで全部舗装されているようです。和田峠から先の神奈川県方面までは歩いておりません。
この街道沿いの2か所に松姫ゆかりの地が存在します。
お寺と地蔵など石仏も路傍にちらほらありました。
コロナがなかったら知らないままだったと思われます。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年6月12日 (土) 19:04

★ポージィさま

こんばんは。
これで松姫に関する地の訪問を終えました。
今回は一番最初にかくまってもらったお寺の跡です。
街道の続きを歩こうとするとまん延防止や緊急事態が宣言が出て、都内の別の所をあっちこちランダムに歩いて系統だたなくなりました。
まあ、歩くことが目的なのでいいやということでしたが、今回図らずも松姫関係を全部見ることが出来ることになって満足です。

まあ、杉並区だけでなくそちらも「夕焼け小焼け」なのですね。杉並区に居たときは一緒に口ずさんでいました。今烏は困った鳥ですが、あの時代こんなに可愛く歌われていたのですね。
おっしゃるように山のお寺の鐘、そこにも歌が刻まれていました。これで全部繋がりました。
皎月院のお地蔵様、いろいろあって楽しめました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年6月12日 (土) 19:21

日本橋から横浜までが30㎞位と聞いたことがあります。
毎日32㎞ですか…
「夕焼け小焼け」の作者にそんなエピソードがあったとは知りませんでした。

投稿: zooey | 2021年6月12日 (土) 19:58

tonaさんへ
今晩は。次はいよいよ甲州街道の最難関、笹子峠越えでしょうか。昔、笹子駅から笹子雁ガ腹摺山に登り、帰りは笹子峠に降りて、矢立の杉を見物し、甲州街道を歩いて笹子駅に戻りましたが、5時間くらいかかりました。tonaさんは笹子駅から甲斐大和駅まで歩くのでしょうか?。やはり5時間くらいはかかるかも、笹子駅近くの団子屋さんで名物の笹子餅(草餅)を買われてお弁当かおやつにすれば力が出ると思います。記事と直接関係がないことをコメントして申し訳ありません。ご健闘をお祈りします。

投稿: shikamasonjin | 2021年6月12日 (土) 23:10

★zooeyさま

私も恩方から八王子の駅までその半分くらいに考えていましたが、地図で測ってみましたら確かでした。人馬に近い方は街道はくねくね曲がった山道ですからちょっと大変。
今アフリカの子供や、中国奥部や旧ソ連領の~スタンの国々の子供たちの一部がとても遠い道を学校へ往復しているとのことで、日本も通勤通学は昔は大変だったのですね。

八王子に夕焼け小焼けが関係あることは知っていたのですが、色々な碑を見て作詞者を知って良くわかりました。お墓まで見られるとは思いがけなかったです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年6月13日 (日) 10:51

★shikamasonjinさま

そうなのです。
ところが万延防止から緊急事態宣言になり延長され、出られなくなって久しく、その間八王子や奥多摩方面に出没しています。
解除したら笹子峠越えで、山に登って鍛えているというわけなんです。
何でも靴の中に水が入るかもしれないとか。日光で体験したので驚きませんんが、滑らないようにしたいです。

笹子雁ガ腹摺山は中央線から見える山の本の中に出てきました。面白い名前なので記憶していました。登られたのですか。
甲斐大和駅までは行くつもりでいます。
応援ありがとうございます。

投稿: tona | 2021年6月13日 (日) 11:23

こんばんは(^o^)/!
陣馬街道は聞いたことがあるようでないような・・・?ですが、相変わらず達者に歩いておられるようで素晴らしいですね。
観音様やご本尊様、数多の石仏様に六地蔵様・・・、現代に生きる我々が忘れかけた古の人々の信仰心が窺われます。
このような小さな旅は、心も体も洗われますね。

投稿: 慕辺未行 | 2021年6月13日 (日) 23:37

★慕辺未行さま

甲州街道の裏街道であり、松姫たちは小仏峠でなく和田峠の方を通ってこちらにきたのでしょうね。
今回は普通の街道歩きの半分くらいでバスや電車の時間を気にして乗り遅れを心配する必要もなくゆっくりと楽しめました。
鉄仏、木造仏、石仏と堂内や路傍のどこにもたくさんあることに驚きます。
神頼みですが、今は切迫したものではなく、贅沢なお願いを神仏にお願いをする自分です。
昔日の人々の真剣なお願いと随分変わったと思いました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年6月14日 (月) 08:22

健康的な生活が羨ましいです。
コロナのことも忘れそうな日々ですね。

道中に六地蔵や鉄仏、石仏、木造仏など
いろいろ楽しまれましたね。

八王子に住む友人も知らないと思います。
松姫の存在はご存じでしたが。

次はどの方面を歩かれるのか楽しみにしています。

投稿: matsubara | 2021年6月14日 (月) 09:16

tonaさん、こんにちは~♪
若い頃、職場の同期と陣馬山に登ったことがあるのですが、
中央線のどこの駅で下車したのかも覚えていません。
もしかしたらその時、陣馬街道を少しだけ歩いたかもしれません。
恩方もだいぶ前ですが、檜原の払沢の滝に行くとき、
高尾から秋川街道に向かう途中、車で通ったような記憶が
あるのですが、通り過ぎるだけだったので、
こんなに見どころが多い地だったとは知りませんでした。
いろいろ勉強させていただき有難うございました。
そのうち機会を見つけて歩いてみたいと思います。

投稿: hiro | 2021年6月14日 (月) 13:24

★matsubaraさま

鉄仏と言われなければわかりませんでした。
関東地方に多いと言われ、でも今まで気が付きませんでした。

東海道の裏街道は凄い、回り道がありました。関所があったからでしょうか。
早くこの緊急事態が解除しないと東京から全然出られません。
家に籠らないで人のあまりいない自然豊かなところに出かけています。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年6月14日 (月) 18:26

★hiroさま

こんばんは♪

きっと高尾駅で降りられて陣馬高原下へバスで行かれたかと思います。和田峠まで陣馬街道を歩いていらっしゃいますね。
高尾山周りも和田峠に降りるのが多いです。
奥多摩も高尾方面は神奈川に面し、青梅線の方は五日市駅と奥多摩駅へ分かれて奥が深いですね。山梨県に繋がっていますね。
関東ふれあいの道はきつくて断念してしまいましたが、その道があちこちに出てきます。
機会がありましたらお出かけください。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年6月14日 (月) 18:41

松姫の名は以前tonaさんのブログで初めて知りましたが
今回はその松姫に縁の地を歩かれたのですね
夕焼け小焼けはわが町でも夏休みや冬休みになると夕方流れます。
しみじみと心にしみるような歌、昔の唱歌?にはこのような歌が多いですね。
生まれ育った地を聞いてこの歌の源流が何となくわかるような気がしました
レトロな郵便局は今でも現役のようですね
明治村にある郵便局みたいだな、です。
子供と女性専用の釣り堀とはどういう意味があるのかしら?
と思ってしまいましたがつりをする人なら理解できるんでしょうか(笑)

投稿: ビオラ | 2021年6月15日 (火) 16:15

★ビオラさま、ありがとうございます。

松姫ゆかりの地、八王子部分は全部巡ることが出来ました。

そちらも夕焼け小焼けですか。「夏の思い出」とか昔の歌などが流れてくるとしみじみとします。このように流せば忘れられないで伝えられていくでしょう。
仰るようにこの郵便局は現役でしたよ。
私が生まれる3年前に建てられたようですから83年、ずっと使われるといいですね。
子供と女性専用には誰もいませんでした。向こうの方の釣り場には男性二人が見えましたけれど。
どういう意味があるのでしょう。不思議でした。

投稿: tona | 2021年6月15日 (火) 16:46

tonaさんのお住いの中央線沿線は街道が沢山交差していて、、、
緊急事態宣言の中でも歴史を感じながら歩けるコースが沢山ありますね。
松姫様のお話はtonaさんのブログで知りましたが、、、
私も60代前半までは古い山仲間と、はるばる大月や山梨方面までたくさんの山登りに出かけて、武田軍の悲惨な末路の話に触れる機会がたくさんありましたね。
こちら横浜だと鎌倉幕府の栄枯衰勢の歴史を訪ねるのがせいぜいです。

夫の実家のお墓は「東京霊園」なので、夫とは車で行く事が多く「陣馬山街道」の標識もお馴染みとなりました。
八王子のイメージは「夕焼け小焼け」の音楽と機織りの音が聞こえる街というイメージでしたが、、、
歌詞を書いた中村雨紅さんとの縁だったのですね。
この歌を聞くと何故がすごく郷愁を感じます。

投稿: nao♪ | 2021年6月16日 (水) 16:57

★nao♪さま

そうですね。中央線下りの空いている時間に乗りますと、八王子、高尾、奥多摩方面には山が街道がありまして、都内から出られなくなってから随分歩けました。
そちらなら鎌倉や大山や箱根ですね。
甲州街道も山梨県に入って行くと武田の話が沢山出てくるのですね。
街道も歩けるようになると暑いときかもしれませんし、でも秋には何とか出られて歩きたいと思います。

東京霊園はとても大きく、陣馬街道沿いにありますね。あそこまでお墓参りにいらっしゃっていたのですね。そちらからだと遠いです。
中村雨紅さんが夕焼け小焼けを書いた背景がよくわかりました。
仰るように郷愁を感じるとてもいい歌です。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年6月16日 (水) 19:27

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