甲州街道8 黒野田宿~駒飼宿~鶴瀬宿~勝沼宿(2)
●駒飼宿(22番目)本陣1軒、脇本陣1軒、問屋1軒、旅籠6軒。次の鶴瀬宿とは合宿で、問屋業務は毎月21より晦日まで勤めた。
甲州市のマンホールを見つける。旧大和村のもので、甲斐武田家の家紋花菱とヤマザクラ、まわりに武田菱がデザインされている。ここは武田家滅亡の地である。
此のすぐ先のJR甲斐大和駅の東北へバスで20分の所にその天目山がある。
ここで1回目の激しい雨に遭い、雨宿り。止んでから歩き始めるも、芭蕉句碑や脇本陣跡の標柱を見落とした。
石仏群の中の、巡礼供養地蔵は廻国巡礼僧が追剥に追われ、胴体だけ残っていたのを村人が埋葬し、宝永5年(1708)地蔵尊を造立した。
昼食は甲斐大和駅の方の「あまの」という定食屋さんで五目そばを食べる。食べている間に2度目の大雨となる。
天野は大月に多い姓で笑点の大月出身の小遊三師匠が天野さんだ。ここは甲州市だけれども天野さんがいるみたい。
街道に戻ると武田勝頼の腰掛け石がある。
勝頼は韮崎市にある新府城に放火して逃亡した。落ちのびて家臣・小山田信茂の居城である岩殿山城へ向かう途中、武田勝頼一行は笹子峠を越える前にこの場に留まり小山田信茂の迎えを待った。その際に武田勝頼が腰掛けていたと言われる石で、武田菱が浮いて見えるというので、菱石とも呼ばれているそうだ。
しかし小山田信茂は織田方に投降することにし、勝頼は進路をふさがれた。後方からは滝川一益の追手に追われ、逃げ場所が無いことを悟った勝頼一行は武田氏ゆかりの地である天目山棲雲寺を目指した。がその途上の田野で滝川一益の追手に捕捉され嫡男の信勝や正室の北条夫人とともに自害して甲斐武田氏は滅亡した(天目山の戦い)。
辞世は「おぼろなる 月もほのかに 雲かすみ 晴れて行くへの 西の山のは 」。
松姫は、勝頼と別行動をとって、勝頼の娘・貞姫(宮原義久室)と勝頼を裏切った小山田信茂の孫娘・香久姫(内藤忠興室)と勝頼の兄弟の仁科盛信の娘・篤姫(出家)と仁科盛信の長男・信基を連れて八王子へ逃げたわけである。
金岡自画地蔵尊碑。
金岡という大和絵の巨匠が岩に、時とともに消えてしまうが水をかけると絵が浮かび上がるという地蔵尊を描いたそうだ。この岩は明治40年の洪水で流失してしまったのが残念だ。
鶴瀬関所跡(甲州12関の一つ)を通り過ぎるがここが鶴瀬宿の江戸口である。
●鶴瀬宿(22番目)本陣1軒、脇本陣2軒、問屋1軒、旅籠4軒。駒飼宿と合宿で、問屋業務は毎月朔日より20日まで勤めた。
享和3年(1803)建立の常夜灯(秋葉大権現、石尊大権現と2種類刻まれる)。ここが鶴瀬宿の諏訪方。宿は130mしかない。
古跡血洗澤の標柱。
武田勝頼が落ち延びる際に、家臣の跡部大炊介が逃亡。土屋惣蔵がこれを討ち取りこの沢で血を洗い流した。土屋は天目山で討ち死にしたという。
長柿洞門に着いて観音堂へ・・・広重が境内からの景色が絶景と評したところ。ところが道が荒れ果て、途中まで登って諦める。反対側に行っても凄い道で入ることが出来ないという今までにない厳しい道でお堂が見られなかった。
大分下ってきて甲府の方の盆地が見えてきた。ぶどう棚が見える。
横吹の一里塚跡の標柱を通り過ぎると深沢交差点のところに、近藤勇像があった。
柏尾古戦場跡。
ここ、柏尾古戦場跡は官軍と甲陽鎮撫隊との激戦地。剣一筋の新選組は近代装備の官軍に歯が立たず、総崩れとなり八王子まで後退し解散。近藤は流山で官軍に捕らわれ板橋で斬首され、土方は会津、宮古、函館と転戦し五稜郭で戦死した。
大善寺(ブドウ寺)に到着した。山門が立派。薬師堂(本堂)のご本尊の薬師如来はぶどうを持っていて、甲州ぶどうの始まりの地という。(5年に1度御開帳)
薬師堂の入場料は500円だが飲み物(ワイン)付きだと800円で飲み物付きコースにする。
お寺ではぶどうを栽培している。これでワインを作るようだ。
階段を上がると楽屋堂がある。
薬師堂(本堂)は国宝。撮影不可。重文の十二神将立像などが見られる。落ち延びる武田勝頼の一行はこの薬師堂で夜を明かしたそうだ。
唯一撮影できるのが、「逃げ恥」でみくりさんと平匡さんが座った座布団。
勝頼の乳母で、武田氏の最後を見届けた理慶尼(信玄の従姉)の墓。武田滅亡記を書いた。このお寺で82歳で亡くなっている。
素晴らしい庭園を眺めながら、自家製白ワインをいただく(白桃のシロップ漬付き)。3回目の大雨が降っている。

小降りになったので出発し、国見坂を下る。甲州街道の往還筋地名として1621年定められたそうだ。傍らの古い馬頭観音を見つつ、上行寺門前で本日は終了。
勝沼ぶどう郷駅へと上り坂を行く。
カボチャがぶら下がっている。(這っているのしか見たことがない)
山並みが美しい。駅の周りもぶどう畑ばかり。

駅近くで発見したマンホールは旧勝沼町のもので、ぶどうが描かれたデザインだ。
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コメント
婿さんもよく歩きましたね、婦唱夫随?
そういえばずいぶん昔に天野知事がいましたね。
投稿: 佐平次 | 2021年7月 5日 (月) 10:01
★佐平次さま、ありがとうございます。
婿さんは○○修習生で群馬県にいたことがあって群馬県の山をたくさん登っていたみたいです。
そうそう、天野知事、二人おられました。
気が付きませんでした。
投稿: tona | 2021年7月 5日 (月) 10:20
こんにちは
この日の甲州街道歩きは、途中3度も大雨に降られたのですね。
うち2回はお食事中などのときで、どこにも雨宿りする場所がない
道の途中でなくてせめてもの幸いでした。やはり山の天気は
平地以上に変わりやすいということでしょうか。
そんな変わりやすいお天気の中、たくさん歩かれましたね!
記事を拝見する内に、武田家最期や維新のころの悲惨な戦いの記憶が、
今も生々しく息づいているような感覚になりました。
時代劇などで案外平気で見ていますが、日本の歴史もすごく多くの
内戦の歴史でもあって、実にたくさんの血が流されてきたのだと
改めて思いいたります。戦だけではなく追剥なども多かったでしょうし。
投稿: ポージィ | 2021年7月 5日 (月) 10:30
★ポージィさま
こんにちは。
夕立ちでしたのでしばらくすると止むのですが3回もとは天気予報で言っていなかったような。山の天気ですし、この時期仕方がないですね。
これからどうなるかわかりませんが、少なくとも空梅雨ではないのも一安心ですが、線状降水帯の中に入ったら困ったもので、一喜一憂です。
武田の最期は時代劇や本で知りましたが、天目山がまさか笹子峠の近くとは思ってもみませんでした。大月へ行こうとしていたのですね。
新選組の最後の方の戦いの地もここだったのですね。いろいろ今回は知ることが出来ました。歩いたお陰です。
野山でたくさんの地が流されたわけですが、血洗澤の古跡に、当時の生々しさにぎょっとしました。
武田関係一つとっても、あるいはその中の武将一人とってもたくさんの戦いをしています。恐ろしい日常です。時代劇からは本当の生臭い様子は伝わってきません。現場に居たら卒倒しそうです。
追剥、山賊など怖かったでしょうね。旅は大変!
ありがとうございました。
投稿: tona | 2021年7月 5日 (月) 14:11
武田家に関するものが多く残されていますね。
3人の楽しそうな旅はワインでピークになりましたね。
私の記憶は30年くらい前に、山梨県立美術館に
行った程度です。勝沼も通ったはずですが、
二人とも飲めないので、楽しみはないです。
ミレーの絵画が近くでゆっくり味わえたのが
よかったです。
投稿: matsubara | 2021年7月 5日 (月) 15:14
tonaさん、こんばんは~♪
大月には天野姓が多いのですね。結婚直後知りあった
天野さんという方も大月出身と仰っていました。
武田勝頼は長篠の戦に敗れた後、信頼していた多くの家臣に
裏切られ悲惨な最期を迎えましたね。
辞世の「西の山のは」は極楽浄土をさすのでしょうか。
いずれにせよ戦国時代の武将は気の毒です。
勝沼は葡萄の名産地ですね。薬師堂で飲んだワインはさぞ
美味しかったことでしょう。
お寺ではぶどうも栽培しているのですね。
これからのお寺は、経営学も必要かもしれませんね。
カシラダカは名前を聞くのも見るのも初めてです。
それにしても約42000歩は素晴らしいです。
私は先週、ご近所ウォーキングとデパートの買い物で13000歩位
歩きましたが、それだけで膝から下の痛みが2日間取れなかったです。
これではハイキングも出来ないかもしれません。
投稿: hiro | 2021年7月 5日 (月) 19:51
こんにちは。お疲れ様でした。松姫が繋がりましたね。天野姓はその辺りに多いのですか。小遊左さんは先日聖火を持って走られましたね。
投稿: 多摩NTの住人 | 2021年7月 5日 (月) 20:01
★matsubaraさま
山梨県と言えば武田ですね。
各地にたくさん歴史が転がっていますが、今回は武田家滅亡の地に近いところを歩きました。
日本のワインも美味しくなりました。昔いただいた時はあまり美味しくなかったです。
山梨県立美術館のミレーはまだ見に行ってないです。
フランスのミレーの住んだ家に行ってたくさんの絵を鑑賞したことを思い出しました。
いつか県立美術館に行ってみたいです。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2021年7月 5日 (月) 20:26
★hiroさま
こんばんは♪
お知り合いの天野さんが大月出身なのですか。過去に知事さんまで天野さんだったのですね。
勝頼は信玄が突然亡くなって、織田徳川連合軍と闘うはめになって、その後急転直下の自滅への道を辿り、色々あるにせよちょっと悲惨です。人柄などいろいろ言われていますが、父親が立派過ぎました。
そうですね。「西の山のは」は極楽浄土ですね。戦国時代は特にこのような場面が多かったです。凄いことですね。女性も。
甲州ぶどうの発祥の地として、薬師如来がぶどうを持っている写真を見て、納得してしまいました。建物が国宝というのも凄いです。たくさんぶどうを栽培していますからおそらくお寺に来た人が頼むワインの殆どを製造しているのでしょうね。
カシラダカは頭のてっぺんの羽毛が少し逆立っています。もう見る事はないでしょう。
今日の朝刊(毎日)に自粛生活による「コロナ膝」と出ていましたが、hiroさん、もしかしてその入口に突入したかも。
私もつったりして怪しくなってきました。
なるべく毎日坂を上るようにしています。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2021年7月 5日 (月) 20:48
★ 多摩NTの住人さま
こんばんは。
お陰様で松姫さんすっかり頭に入りました。出発点の韮崎はまだ遠いですが。
こんな長い道のりを子供連れで大変だったでしょうね。笹子峠ではない道だったようですが、本の内容もはっきり覚えてなくてわかりません。
小遊三さんが走っているのをテレビで観ました。卓球をやっていたそうで運動神経があリそうですね。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2021年7月 5日 (月) 20:55
今回歩いた道は武田勝頼関係の所が多かったですね。
TVで何度か見てるのですが、勝頼の最後は味方に裏切られ滅亡の道を辿ったようですね
松姫は勝頼と別行動で沢山の身内を連れて八王子まで逃げた
tonaさんの記事で当時の戦の惨さが想像できます。
柏尾古戦場跡がは官軍と鎮甲陽撫隊との激戦地
鎮甲陽撫隊は新選組が旧幕府から甲州鎮撫を命ぜられた後の名称と初めて知りました。
tonaさんの記事では毎回教えて貰う事が一杯です。
大善寺(ブドウ寺)甲州ぶどうの始まりの地ですか、ワイン用のブドウは青空の下でも立派に育つのでしょうね
勝沼辺りから見える光景は一面ブドウ畑ですものね、ラッシーパパの実家もブドウが凄かったです。
今回も42000歩とは驚きです。
投稿: ラッシーママ | 2021年7月 5日 (月) 21:00
お寺でブドウを育ててワインを作るのですか。
まるで欧州の中世の修道院のようです。
しかもワイン一杯と桃のコンポートとは、お寺も考えましたねえ。
それにしても42000歩とは、いつものことながら凄いですね。
投稿: zooey | 2021年7月 5日 (月) 22:34
★ラッシーママさま
武田家の滅亡は小説やテレビで多く見ました。あまりに偉大な父との比較、又力をつけた織田徳川軍には、勝頼の運命はかくありなんという感じです。裏切りの連続。それは主君の器量にもよるものです。でもこの悲劇に、天目山を前にして自刃して果てたことに同情を覚えます。街道から西北の彼方がその地であったと確認できたのも良かったです。
鎮甲陽撫隊を調べてくださったのですね。私も始めわからなくて、こんな時便利なPC,でいろいろ知ることが出来ます。まさか新選組がこの道のここでとはね。確かに故郷が甲州街道沿いですが。
一面のぶどう畑はまさに今たくさんの房をつけて、間もなくの収穫時機到来を待っているかのようでした。パパさんのご実家の方もやはりぶどうが沢山なのですね。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2021年7月 6日 (火) 08:48
★zooeyさま
欧州の修道院とは全然思い浮かびませんでした。
そんな修道院がたくさんありましたね。
自給自足で厳しい修行、映画も観に行きました(名前を忘れています)。
北海道のトラピストは酪農によるバターでしたね。
ここはお寺。こんなお寺は初めてでとても面白かったです。丁度ぶどうが垂れ下がっているときで雰囲気がわかりました。
今回は平らな道だけでなく、登山による峠越えと緩やかでも長く登る、下る坂道に少々閉口しました。寄り道が多いのと、鉄道駅へ出なくてはならなくて、どうしても長距離になってしまいます。
ギブアップの日を一日でも遅らせないと、どの街道も中途半端になります。まだ新幹線に乗れない気分です。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2021年7月 6日 (火) 08:59
こんにちは。
この44000歩は笹子峠も含んでおり、今までの40000歩よりずっと大変だったと思います。
それにしても凄い体力、脚力。
私達は2019年4月4日に甲斐大泉から勝沼ぶどう郷駅まで歩いてます。
鶴瀬宿と勝沼宿です。
tonaさんのブログを読んで、大分忘れているなぁと思っていますが、ガイド本片手に思い出しています。
大善寺・・・ちょうど桜が咲き始めの時期で、階段から眼下に見ることが出来、満開ならさぞと思いました。思い出深いお寺なのですが、
飲み物付きのコースは無く、お堂も閉まっていました。ワインも飲めず、お庭も見られなかった!残念!!
観音堂は山の上にあり、下りが非常に険しい道で、平衡感覚があやしい私はとても怖かったです。
松の子供たちが沢山生えていて、友人が踏み潰されていた松を持ち帰り大事に育てています。
血気盛んな甲陽鎮部隊(元新選組)は幕府に邪魔な存在となり、体よく甲州に追い払われた感じですね。最初の頃は潤沢な資金を与えられ、宿場で宴会ばかりだったようですが、剣一筋で近代装備と闘うのはしょせん無理。敗退は当然の結果だったでしょう。
投稿: ☆銀河☆ | 2021年7月 8日 (木) 18:29
★☆銀河☆さま
今日その勝沼から甲府駅まで歩いてきました。
1昨日肺炎球菌ワクチンの2回目(5年に1回)をしたら微熱が出て打ったところも熱を持って今日出かけられるか焦りましたが、良くなって歩いてきました。ブドウが丁度大きくなりかけで、もう少しですね。
大善寺は素晴らしいお庭と国宝の本殿をお持ちで素晴らしいです。あら、飲み物付きコースがなかったのですか、それは残念でした。
観音堂に行かれたのですか!それは凄い。良い景色だったのでしょうね。
甲陽鎮部隊のここでの戦いを初めて知ったのです。
仰る通りの新選組の行状でしたね。銀河さんのお言葉で合点がいきました。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2021年7月 8日 (木) 20:40