中山道16 上松立町~上松宿~木曽福島駅(後編)
寝覚の床をたっぷり見て、街道に戻る。道はなだらかに登っていく。
いきなり凄い大きなきのこに出会う。シロカイメンタケでした(しかまそんじんさま、ありがとうございました。)
小学校校庭の奥の諏訪神社は入れず、先の上松材木役所御陣屋跡の石柱を見る。
尾張藩はそれまで代官に一任していた木曽木材の管理を改め、ここに材木奉行を置き、留山制、つまり村人の立入を禁止した。
階段を降りた先が寺坂で、京方見附があった。
●上松宿(38番目)須原宿から12.8㎞、福島宿まで9.5㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠35軒。
火事で焼けて遺構は殆どないが、江戸寄りの上町だけ昭和25年の火災を逃れた。
上松駅を左に見て進み、枡形をまがると上松一里塚碑がある。72里目。
本陣跡は歯医者さんになっていて、その前に双体道祖神と水速女命の碑がある。
本陣には皇女和宮が宿泊した。久々に和宮様の名前が。
向かいは脇本陣跡。原家で問屋、総庄屋を兼ねた。門のところに札がかかっていた。
玉林院に寄る。
木曽家16代目木曽義元の次男玉林が天正7年(1579)以前に創建したと伝えられている。裏手には木曽氏の館があったという駒札が立っていた。
山門(鐘楼門)は火災を免れた。明和3年(1766)創建。
微笑んでいるような地蔵尊は大きい。
樹齢約200年の黒松が4本あるがこれも奇跡的に火災を免れたそうだ。
若宮八幡神社。上松宿で最も古い神社。
玉林和尚が甥の木曽義豊(上松蔵人)のために、源氏の守護神である八幡社を館の近くに勧請したのだそうだ。鳥居の脇にはお馴染みの大きな廿三夜塔があった。
街道に戻ると、昭和の戦災を免れた上町が枡形になって左へと曲がる。
十王橋に出てここが東見附である。双体道祖神やたくさんの馬頭観音が立っている。
どんどん歩いて行き、振り返ると上松の町が遠く見える。
木曽の桟へと静かな道を行く。
赤い橋が見えてきた。その下に木曽の桟の遺構がある。桟は険しい崖に橋を架け僅かに通路を開いたもの。碓氷峠と太田の渡しと並び中山道の三大難所の一つだった。かつては長かったが、通行人の松明で焼失し、尾張藩は1648年に石垣にした。中山道から赤い橋を渡った対岸から保存された石垣が見える。

振り返れば芭蕉句碑や子規句碑、明治天皇聖跡碑、馬頭観音などが並んでいる。
橋を渡って中山道に戻る。沓掛一里塚碑(71里)が見え、西側の塚の上にあるのが沓掛観音堂だ。
木曽義仲の馬は、人の言葉がわかる賢い馬で命令によく従った。義仲が木曽の桟の絶壁に通りかかり、目算で 「七十三間とべ」 と号令をかけ馬は命ぜられるまま正確に七十三間跳んだが、実際は七十四間あったので、人馬ともに河中へ転落。義仲は九死に一生を得て助かったが、馬は亡くなってしまった。そこで、義仲は金の観音像を作らせて一堂を建てて馬の菩提を弔ったという。馬が可哀想で涙の出てしまう話である。
道の駅木曽福島と上の方は木曽本宮。山と山の間に御嶽山が見えるそうだが残念ながらよく見えない。
木曽町のマンホール。旧木曽福島町のもので、木曽の山や川を幾何学模様で表したデザイン。
斜面の上の方に堤防記念碑、新田記念碑、菩薩像、勢至大菩薩、廿三夜塔、開発記念碑が見えた。石碑が多い中山道だ。
塩渕一里塚跡碑(70里目)。
昔、中山道を馬の背中に塩を載せて運んできたところ、その馬が木曽川の渕に転落し塩を撒いてしまったところから、塩渕という地名が付いた。
細い道を上がっていくと駅が見え、駅そばに御嶽大神があった。
御嶽大神とは、国常立命(くにとこたちのみこと)、大己貴命(おおむなちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)の三神をいうそうである。
御神水と奉安殿。
不動明王など。
木曽福島駅到着。お土産は前回と別のお店のそば饅頭。
前回と同じ17時25分のしなのに乗り、18時4分松本着。
駅弁とワインを購入。今回は大糸線の旅とイヅツワイン白。
大糸線沿線の松川村は男性寿命日本一の村で、その食材を利用して作られていると書いてあった。
中央線の14時台人身事故の影響で、単線区域の「あずさ」が夜になっても遅れが解消しないで、立川に25分遅れで到着。帰宅は9時40分。約35000歩でした。
| 固定リンク | 0






コメント
この辺りの事は何も知りませんが寝覚ノ床の事だけは知っていました。
でも海に関係の浦島太郎がどうしてここへの疑問はどうしても拭えませんが
伝説はあまり深く考えてはいけないものかも。
木曽義仲の馬の話、本当に可哀想ですよね
私合戦の場面などではいつも思います、
武将と共に命を落とす馬の命の事を。
紅葉が進んだ木曽路を古人の歩みに思いを馳せて35000歩、
お疲れさまでした
投稿: ビオラ | 2021年11月21日 (日) 15:59
こんにちは。この日も御嶽山は見えませんでしたか。残念でした。もう何十年も前のトヨタカリーナのCMで、千葉真一さんが東京から中央高速を飛ばして、木曽に付き、遠くに見える山を見て『おんたけだ!』というシーンがありました。
投稿: 多摩NTの住人 | 2021年11月21日 (日) 16:43
★ビオラさま
早速にコメントありがとうございます。
私も寝覚の床に以前行きましたので知ってはいたものの、すっかり忘れていました。浦島太郎伝説も初めて知ったという、以前は何をしに行ったかと?大きな石を愛でに行ったのですね。
ペットの死の他に、労働をさせられる馬や牛やロバやラクダなど色々いる中で、特に何故だか馬が一番可哀想に思ってしまうのです。優しそうな眼をを見ていると寄って行きたくなります。
今回は最高の紅葉の中を満喫した歩きでした。
投稿: tona | 2021年11月21日 (日) 16:46
★多摩NTの住人さま、こんにちは。
早々にコメントいただきありがとうございます。
まあ、千葉真一さんのCMにそんな面白いのがあったのですか。
爆発してから数年、まだ煙が出ているのでしょうか。
以前タクシーで行けるところまで行き、眺めました。雄大でした。登るのは大変そうでした。
歩いていたり電車からの山がとても気になります。登山するようになってからですね。でもあまりに山が多すぎて富士山しか確実にわからないという情けなさです。
投稿: tona | 2021年11月21日 (日) 16:54
昔、中央線で旅行をしたり、スキーに行きますと
木曽福島に着きますと、岐阜に近づいたと
感じたものでした。
それなのに木曽福島は下車したことがありません。
通過点でした。
中山道も歩いたことはありませんので、
歌碑など見ますと、行きたいとは思いながらも
体力の自信がありません。
投稿: matsubara | 2021年11月22日 (月) 09:03
★matsubaraさま
そういえば、今度名古屋から「しなの」に乗ったりして長野直通ですから長野へスキーに行くのに近くて便利だったのですね。
私は上野からとことこ電車で碓氷峠を越え、長野で乗り換え、バスにのりやっと志賀高原に着きました。
木曽福島は大きな福島宿がありまして、又御嶽山の登山口の方に当たり、駅が大きく賑やかですね。
歌碑が多いですよ。
私も体力が衰えましたが、それより頭脳の方がもう幼児に戻ったかという瞬間が多くなりました。勉強をすっかりしなくなったからこうなったのでしょう。反省してももう遅いのです。
投稿: tona | 2021年11月22日 (月) 09:46
木曾の桟の写真ありがとう。
駅弁の写真が旅に誘うこと!
投稿: 佐平次 | 2021年11月22日 (月) 10:53
★佐平次さま
こちらこそいつも読んでいただきコメントありがとうございます。
桟は遺構しかなくて想像できないのですが、中国四川省の桟の凄さをテレビで観て、あれより規模は小さくてもあのようであったのではと思いました。
松本の駅弁はこれで一周しちゃったかと。新しいのが探せたらと期待します。
投稿: tona | 2021年11月22日 (月) 11:04
tonaさんへ
おはようございます。いよいよ中仙道歩きも東京からの日帰りが最も困難な箇所にさしかかり、普通の人は「わざわざどうして?」と理解に苦しむかもしれません。最早、趣味や道楽、達人の域を越えて、仙人レベルかも。
「東京から日帰り完歩・中仙道」「東京から日帰り完歩・東海道」など、tonaさんなら、佐藤愛子以上に読者を元気付ける本が書けます、きっと。
その困難な区間をきっちり35000歩、しかも街道沿いの名所旧跡に全て立ち寄り、一つ一つの石仏や石碑を明らかにし、全く頭が下がります。常人には到底出来ません。
木曽福島には会社の保養所があり、其処をベースキャンプに、妻籠、馬籠、奈良井宿、御岳山や木曽駒ヶ岳などに遊んだので、懐かしく読みました。
大きな傘を重ねた白いきのこは、多分「シロカイメンタケ」でしょう。お疲れさまでした。
投稿: しかまそんじん | 2021年11月22日 (月) 11:18
tonaさん、こんにちは~♪
木曽の木材を尾張藩が管理していること、初めて知りました。
信濃は松本藩の領有地だと思っていましたが、
良質な木材を有する木曽を松本藩には渡しませんよね。
玉林院は1579年以前の創建なのですね。
調べてみると、1579年は安土桃山時代のようですが、
木曽氏は何代続いたのでしょう。ちょっと気になりました。
沢山のお写真を拝見しましたが、木曽路は今でも当時の
面影を残していて良いですね。
もう行くことはできないと思いますが、楽しませていただきました。
約5時間で35000歩とは素晴らしい。お疲れさまでした。
投稿: hiro | 2021年11月22日 (月) 13:02
こんにちは
この辺りも尾張藩の管轄だったこと、知りませんでした。
町人の立ち入りを禁止したとは、乱伐でもあったのかしら。
それくらい木曽の木が良質だったりで大切だったのですね。
けれど町人が気の毒です。
そして、今回の区間では火事の被害の話がたくさん出てきて、
木がふんだんに使われている故とはいうものの、惜しく感じます。
木曽の桟も火事で焼け落ちてしまったのですね。
その木曽の桟については、そのような断崖にどうやって
木を打ち込んだのだろうとも思います。
紅黄葉真っ盛りの中の、静かな街道歩きがとても気持ち良さそうです。
けれど、鉄道旅が長い区間になられても35000歩ですか。
楽になると仰ってましたが、どっとい相当な歩数になりましたね。
投稿: ポージィ | 2021年11月22日 (月) 14:44
秋の中山道は紅葉を愉しみながら歩けますね。
春や夏の景色とは趣きが異なるでしょう。
寝覚ノ床は中央線の車窓から見えたような記憶がありますが
間違っているかも判りません。
名古屋から中央線を利用したのは2-3回です。
中山道を歩いたことは何度もありますが
すべてはこちらから日帰りできるエリアのみでした。
日帰りといっても7時半ごろ出発、
帰宅は17時ごろという短時間ですから
遠方まで行けるわけがありませんね。
今回、ご紹介のエリアについてもまったく知識がありません。
皇女和宮さまの行跡は歩いた範囲でも見かけました。
たいへんな道中だったことでしょう。
線路脇の中山道には驚きました。
歩く間に特急電車が通過すると、かなりの風圧がありそうです。
投稿: Saas-Feeの風 | 2021年11月22日 (月) 16:25
★しかまそんじんさま
こんにちは。
このあともっと大変なのが、もしかして不可能なのが和田峠の辺りだそうです。地図で見ましても電車もバスも通ってなくて、もしかして1泊?
所帯を持って勤めてる娘が有休を使って月2回程度で進みますので、どうしても日帰りになります。東海道は何とか出来て他に聞きません。どこかにいらっしゃるのでしょうけど。
まさか仙人ではないけれどもどうなるでしょう。
そうそう、佐藤愛子さんの本の感想をコメントしましたが、消えていました。やり損ないを後で気が付きました。こんなことが多くなりました。面白おかしかったです。
しかしあんなに高齢になって生きるのは本当に大変ですね。
木曽福島に保養所があったとは恵まれていましたね。御嶽山の途中までタクシーで行き、開田高原に回ったことがあります。
木曽の中で建物が多い町ですね。
以前、「ヒメシロカイメンタケ」を教えていただきましたが、「シロカイメンタケ」を教えていただきありがとうございました。
投稿: tona | 2021年11月22日 (月) 16:40
★hiroさま
こんにちは♪
木曽を直轄領とした徳川幕府は尾張藩にその管理をさせました。
しかし伐採がひどかったので尾張徳川家は強くこの処置に出たそうです。
木曽は頼朝のいとこの義仲から始まって19代義元で大名としての木曽家は終わってしまったのです。
秀吉の小田原攻めの際、病気で不参加であったため木曽氏は下総に移封されたためです。
東海道とは違って山深いところが続いている木曽ですね。
中山道は木曽路と信濃路を楽しみにしていました。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2021年11月22日 (月) 19:29
★ポージィさま
こんばんは。
過剰伐採が100年も続いて危機感を強めた尾張藩は、留山制度を設けたそうですね。
殊に伊勢神宮でたくさん使われたのが木曽の檜など五木だったそうです。
田畑も少なく町人は木屑で工芸品を作ったりして生活は苦しかったようです。可哀想ですね。
どの宿も火事が多発、もう江戸時代のはほとんど残っていないのですが、時々蔵や山門などが残っていました。
昔の桟、とても危険でそれを造る人は命がけだったでしょうね。細い山の稜線を歩くようなものでしょう。
3万歩を超えるとは思いませんでした。
寄り道も多いので多くなってしまったことはあります。
行き帰り電車でゆっくりできるのでその点とても良いです、それに寒くなって歩きやすいです。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2021年11月22日 (月) 19:55
★Saas-Feeの風さま
木曽は夏に以前行きました。
本当に全山紅葉し、時々驚くようなきれいな紅葉に出会えてラッキーな時に行けて嬉しかったです。
寝覚の床は中央本線のすぐ下にありますから見えるはずです。というのも私は昼間寝覚の床の所を通っていなくて名古屋から大桑に着いたからです。もう名古屋から遠くなって名古屋周りがなくなりましので寝覚の床は電車から見られないのが残念です。
中山道を何度も歩かれた由、なかなか楽しい街道ですね。
長い行列の和宮様の道中はどんなにか大変だったでしょう。ご本人も駕籠に揺られるのは苦しいですよね。一度体験したいものです。
線路脇の中山道、結構頻繁に特急が通るのですが、残念ながら通りませんでした。風圧も体験したかったです。
単線で普通電車は1時間に1本、特急は3本くらいあったかしら。両方向から走ってくるのを随分撮りました。
投稿: tona | 2021年11月22日 (月) 20:09
↓の車で寝覚めの床美術公園に行ったのですが、浦島太郎伝説があった事など知りませんでした。
その公園から電車が走ってるのが見れました。
「木曽義仲館」に入った時に、人形で義仲が誕生から戦死するまでが説明してありますが
その中に、ご法度の木を切り盗んだ村人を公開で首を切り晒し首にしたと書いてあったのを鮮明に覚えてます。
素晴らしい紅葉が観られ35000歩でも苦にもしないtonaさんに脱帽です。
投稿: ラッシーママ | 2021年11月22日 (月) 21:06
★ラッシーママさま
公園と電車は少し段差はありますが並行に走っているので、電車と寝覚の床が同時見られますね。
この次は先週宮ノ越駅まで行きましたが、義仲館が見えました。義仲館はママさんのブログをよく読んで、時間の都合で行かないことにします。
「木一本に首一つ」というのでしたか。木に手を付けると厳しいお仕置きが待っていたのですね。
ママさんの行かれた高瀬資料館には行きましたので詳しく書かれているのを拝見しました。写真も撮らなかったので、もう懐かしく見ました。
というわけでいろいろ参考に拝見出来、ありがとうございました。
投稿: tona | 2021年11月23日 (火) 08:44
こんばんは(^o^)/!
中山道歩き、お疲れ様です。
この辺りは”木曽路”ですが、私は大学1~2年のときに国鉄周遊券で2度、その後はマイカーで何度か旅したエリアです。
しかし列車や車での旅との違いをいつも感じます。車を降りてちょっと脇道に入れば、昔ながらの道や景色があるのですネ!
『木曾の桟』はよく覚えています。国道を走り、あの赤い橋が見えるたびに「木曾福島まで来た」と感じたものです。と同時に対岸にある”かけはし温泉”に一度は立ち寄りたい・泊まってみたいと思っていました。未だ願い叶わず・・・(。_。)ショボーン!
投稿: 慕辺未行 | 2021年11月23日 (火) 23:59
★慕辺未行さま
おはようございます。
木曽路も半分過ぎまで来ました。
今回の街道はとても細い道になったりしました。その昔は線路がなかったわけですが街道に沿って線路がすぐそばの所もあり、山の中もあり変化に富んでいます。
桟温泉、今もとても目立っていましたよ。
温泉お好きなのですね。景色が良いのでさぞかしいい湯でしょうね。
皆が恐れる福島関所を経てから今度は木曽の桟を歩くのはどんなにか怖かったでしょうね。
鉄道が出来るまで、人々は必死にこの道を歩いたのですね。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2021年11月24日 (水) 08:29