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2021年11月12日 (金)

山本周五郎著『山彦乙女』&長瀞アルプス

山本周五郎著『山彦乙女』

先日の甲州街道歩きで韮崎に着いた時、駅のそばの平和観音像の足元近くに山本周五郎の文学碑がありました。
そこには『山彦乙女』の一節が刻まれています。
「はじめ、韮崎という町に宿を取って、春の来るまで、付近のようすを見てまわった。そこは釜無川の東側で。川上のほうには、むかし武田勝頼の拠った、新府城の址がある。川に面した断崖の上で、石垣も塁も乱雑たる廃墟だったが、今でも土を掘れば、刀の折れや、焼けた籾などが出る、ということである」。
この間は雲があって見られなかったと思うのですが、文学碑の立つ崖の上から、鳳凰山や甘利山は眺められるとのこと。真下には釜無川が流れ、甘利山麓には小さな集落がいくつも散らばっている。そのあたり、武田の里一帯は武田家発祥の地でもある。

山本周五郎の先祖は武田家の遺臣で、北巨摩の若尾に土着した清水大隅守だといわれる。本当は出生地は初狩だったが、いろいろな事情で本籍地を若尾としてきた。また本名は清水三十六(さとむ)だが、質店の山本周五郎商店に徒弟として住み込んだ。ふとしたことでその山本周五郎にしたそうだ。

そこで『山彦乙女』を早速借りてきて読んでみました。
第5代将軍綱吉の死と柳沢吉保失脚の頃の話です。ちなみに柳沢吉保も武田の遺臣の家系です。
韮崎甘利山あたりに綿々と続く武田家の再興をはかるみどう家の陰謀も柳沢一党の暴挙の企ても綱吉の死と吉保の失脚であえなく潰える。
甲州の場面は韮崎で甘利山やこのあたりの沢、実際に甘利山にある椹ヶ池や韮崎の武田八幡、目の前の鳳凰三山などや釜無川が舞台になっていることと、山本周五郎の出自もわかりました。甲州街道も武田の最期の天目山付近を通り、焼け落ちた新府城近くをこれから通る。行かないけれど武田八幡神社や、新羅三郎義光(兄は清和源氏八幡太郎義家)から四代目で初めて武田姓を名乗った信義の墓もこの韮崎にある。
小説とは言え、歴史や場所が実際に出てきて甲州街道歩きには、読むと辺りの景色に興味が湧く1冊でした。


長瀞アルプス

10/31(日)低山の会でリーダー代理の方に「長瀞アルプス」に案内してもらいました。
秩父鉄道の野上駅(寄居駅から3つ目)から宝登山(長瀞駅)まで一駅の間の尾根のハイキングです。
野上駅10時頃に到着
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長瀞町のマンホール。長瀞の風物詩「ライン下り」をモチーフにデザイン。下部にある「秩 北」の文字は、長瀞町と隣の皆野町の下水道を管理する「秩北衛生下水道組合」のこと。街道歩きの癖でマンホールに目がいってしまう。
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向こうが長瀞アルプスのようです。
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瓦風の立派な塀
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城壁小型版。よく崩れないものだ。
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登山道。
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マムシグサ。
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こんな階段を350段くらい登れば宝登山頂上到着と代理リーダーが励ます。
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頂上到着、497.1m。そばに三等三角点もあった。
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三角形にとがった武甲山が一番右に見える。
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十月桜が多く満開。
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昨年1月にロウバイを見に来たので奥社など省略し、ロープウエイにも乗らず4時頃下山した。ゆっくりとしててとても楽であった。約23600歩。

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コメント

これでも無理だなあ、いくら励まされても。

投稿: 佐平次 | 2021年11月13日 (土) 10:47

★佐平次さま

そうですか。
私は食べる方で脂っこいものやカレーが食べられず、またこれは年齢的でもありますが少食になりました。秋になってお腹がすくことがありますが以前はお腹がすかないのです。
歩けるけれども食べる方がイマイチということです。毎日ビールを飲んで食道や胃を良くしようとしています。

投稿: tona | 2021年11月13日 (土) 13:44

恥ずかしいことに有名な山本周五郎は
呼んだことがありません。

文学碑を見られますと読みたくなる
のでしょうね。

十月桜も長く見ていません。
東京歌会のあった市ヶ谷近くでいつも
みんなと見ていたのも懐かしいです。
その歌会も消滅してしまいました。
80年も続きましたのに・・・

投稿: matsubara | 2021年11月13日 (土) 16:15

昔、「樅木は残った」「日本婦道記」など読みました。
しかし後者は、慎み深い、自分を捨てて家族につくしたような女性ばかり取り上げた短編集で
今だったら女性団体から抗議されそうな内容です。
詳細は覚えていませんが…
山本周五郎の名前に、そんな由来があったとは知りませんした。

投稿: zooey | 2021年11月13日 (土) 16:33

tonaさんへ
秩父や奥武蔵の山々はかなり歩きましたが、長瀞アルプスは未だ歩いていません。宝登山だけは蝋梅の時期にロープウェイで上り、歩いて下山しました。確か下山路に「毒きのこに注意!」の大きな看板が有ったと思いますが。道中、きのこは見かけませんでしたか?、11月なので、少ない時季ですが。お疲れ様でした。

投稿: shikamasonjin | 2021年11月13日 (土) 19:14

tonaさん、こんばんは~♪
『山彦乙女』、もう読まれたのですね。
私は青空文庫で読もうと思い、お気に入りに
入れておいたのに、まだ読んでいません。
そうでした。山本周五郎は山梨の出身でした。
忘れかけていたことを思い出させていただきました。
tonaさんは実際歩かれていらっしゃるので、
この本がより理解しやすいでしょうね。

宝登山にはロウバイを見に行ったことがありますが、
長瀞アルプスのことは知りませんでした。
武甲山が見える道は歩いた覚えがあります。
機会があったら歩いてみたいですが、少し遠すぎるかしら……。
ご紹介ありがとうございました。

投稿: hiro | 2021年11月13日 (土) 19:58

★matsubaraさま

今回は文学碑から読みたいと思いまして、読んでよかったです。木曽にも藤村など色々文学碑がありますので合間に読んでいます。
昔のばかりですから1度読んだものが多いですが、すっかり忘れているのです。
宝登山にはロウバイが多いのですが、十月桜もたくさん咲いていて新発見でした。
冬桜との違いがやっと分かったところです。
十月桜は八重、冬桜は一重なのですね。

投稿: tona | 2021年11月13日 (土) 20:05

★zooeyさま

あと、「赤ひげ診療譚」「さぶ」「青べか物語」などがありましたね。
確かに江戸時代からの家族制度では女性の犠牲のもとになり立っていて、とても今の女性には耐えられませんね。
あの頃は離婚も一方的になされたり、一方駆け込み寺に駆け込まなくてはなど女性にとって苦しく悲しいお話が多いです。
山本周五郎商店という名前のお店があったのですね。

投稿: tona | 2021年11月13日 (土) 20:15

★ shikamasonjinさま

私は登山はほんのちょっとの部類ですから、多い低山、初めての所が多いです。
宝登山はいつもロープウエイを利用していましたが初めて使用しないで麓に着きました。
「毒きのこに注意!」ありましたよ。
それで猛毒カエンタケがないかキョロキョロしながら降りました。きのこは全然見かけないわけですからあるわけにのに。
コフキサルノコシカケにちょっと似たのを2本の木に見ましたが。
秩父鉄道のたった一駅分歩いただけでした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年11月13日 (土) 20:26

★hiroさま

こんばんは♪
『山彦乙女』を図書館から早速借りて読みました。行く前に読んでいたらもっと地形を読んでいたのにと思いましたが、武田のことがまた少しわかって面白かったです。
今度また感染者が増えると隣の山梨県に行かれそうな時に続きになりますが、韮崎からになりますからきょろきょろよく見ようと思います。木曽へ行く下りの特急は途中韮崎に停まりますので、甘利山の方を眺めています。

長瀞アルプスはあまり厳しくない登山です。名前は初めて聞きました。最初の方の山は地主さんがいるのです。荒らさないように歩きます。
hiroさんの家からは遠いですね。我が家からも乗り継ぎに時間がかかって3時間くらいかかりました。
こちらこそありがとうございました。

投稿: tona | 2021年11月13日 (土) 20:38

こんにちは。山本周五郎はほとんど読んだと思いますが、『山彦乙女』は記憶にありませんでした。本棚を探してみます。秩父鉄道沿線をゆっくりと歩いてみたいものです。

投稿: 多摩NTの住人 | 2021年11月14日 (日) 16:30

こんばんは
 
街道歩きの他に登山(低山の会といってもそれなりに‥)も
されたのですね。
十月桜やドウダンツツジの紅葉も楽しめる登山道、なかなか
素敵に感じます。
長瀞は、うちでも行ってみたいねと話しているところですが、
なかなか実現に遠いです。
 
山本周五郎さんは、お名前はよく知っていますが、著作は
1冊も読んだことがないように思います。原作として撮られた
TVの時代劇はいくつか観たことがありそう。そんな感じです。
その山本周五郎も柳沢吉保も武田の遺臣の家系なのですね。
武田家と遺臣は家康とその家臣により保護された人たちが
その後苦難もありつつ生き延び続いていった家系がある
ということに運命の不思議さを感じます。

投稿: ポージィ | 2021年11月14日 (日) 17:14

★多摩NTの住人さま

こんばんは。
山本周五郎全集も文庫本もたくさんありますね。ほとんど読まれてそうで凄いですね。
秩父鉄道は秩父と寄居の間の山を少し登りました。寄居から羽生方面は行っていませんし、秩父から三峰方面は三十槌(みそつち)の氷瀑を見に行くために乗りました。
ずっと歩いたら変化に富んでいいでしょうね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年11月14日 (日) 19:05

★ポージィさま

こんばんは。
低山の会はリーダーがまだ復帰できそうもないので、ベテランの女性が釣れていってくださいます。私は解除されてからですから今年初めて参加しました。
夏の登山と違ってやはり1000m以下は楽でした。
長瀞はそちらからですと車でないと遠いですね。私は電車乗り継ぎが多くずいぶん時間がかかりました。是非いつか宝登山のロウバイ見学や川下りにいらしてください。

山本周五郎が武田の発祥の地あたりに生まれたということを初めて知りました。当然この小説にはその地理的なことがたくさん出てきました。
武田の遺臣は八王子まで逃げのびた人たちもいて、家康に優遇されたというのは八王子巡りで知りましたが、山梨の方は何だか大変だったような感じです。小説からだからでしょうか。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年11月14日 (日) 19:22

今は何処の駅も建て替えられて奇麗な駅になってますが、野上駅舎は私が子供の頃に利用し
てた駅のようで
懐かしさを覚える駅ですね。
tonaさんの記事を読むようになって、マンホールの蓋の絵が、その町の特徴を描いてるのだと知り興味が湧くようになりました。
長瀞町のマンホールも長瀞の風物詩「ライン下り」をモチーフにデザインなのですね。

階段を350段くらい登れば宝登山頂上ですか、私は見ただけで無理、登山は苦しんで上った時が一番素晴らしいのでしょうが
約23600歩は何時もは40000歩歩くtonaさんには物足りなかったのでは・・・

投稿: ラッシーママ | 2021年11月15日 (月) 21:46

★ラッシーママさま

おはようございます。
お忙しくなったでしょう。
中央本線のあのあたりの駅舎はみんなこんな感じで懐かしい感じですね。

私も街道以外の所でもマンホールが気になっています。調べるとその地域に関するのがモチーフになってまたそれを新しく知ることになります。面白いのもありますね。
確かに20000歩くらいになるとずいぶん楽に感じ、40000歩はとてもハアハア言いながら歩くことになります。

投稿: tona | 2021年11月16日 (火) 08:15

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