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2021年11月 6日 (土)

中山道15 大桑~須原宿~上松立町(後編)

須原宿を歩いて上松方面に向かいます。とうとう雨が降ってきました。弱い雨で時々止むといった感じです。

清水医院跡は、島崎藤村の『ある女の生涯』の舞台となったところ。藤村の姉・園も入院したことがある。建物は明治村に移築され、入院病棟の一部がここに現存する。
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西尾酒造は脇本陣跡でもあった。
西尾家は木曽家の家臣で、中山道の宿場が出来るのに伴い須原宿の脇本陣・問屋・庄屋も務めた。「木曽のかけはし」を造っている蔵元だ。
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向かいにあるのが正岡子規の歌碑。子規は明治24年に須原に泊まったのだそうだ。帝大を中退する前年のこの年、横川、軽井沢、長野、松本から木曽路を辿り、芭蕉の「更科紀行」をなぞるように郷里松山へ帰る旅をしているので、句碑が中山道のあちこちにある。
「寝ぬ夜半を いかにあかさん山里は 月いつるほとの 空たにもなし」という句が刻まれている。
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本陣跡。今はない。
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水舟が次々と現れる。どこもそばに花を植えたプランターがあるが木の枠の中に納まっている。
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高札場跡の札だけでなし。須原宿もおしまいとなる。
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須原駅。明治42年開設。駅舎やホームの待合室もその当時のものだそうだ。
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駅前に幸田露伴の碑があった。明治22年須原に宿泊し出世作『風流仏』が生まれた。
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珍しく一里塚跡があった。須原一里塚(75里)。旧道に入る。この後何度も旧道から国道へ戻る。
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井戸にところに水神が祀られている。
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林道松渕沢線の開設記念碑があった。木曽三山の糸瀬山(1867m)への登山口。
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中央線のトンネルをくぐると神明神社があり、太くて大きな夫婦大杉がある。
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室町時代の五輪塔があった。
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長い大桑村が境の沢橋を渡ると上松町に入った。

桃山発電所が見えてきた。大正12年(1923)に運用開始。白い大正ロマン様式で木曽川の発電所の中でも特に格好いいそうだ。
いきなりサイレンがなって、水流が多くなるので気をつけよというアナウンスが流れていたので、放水しているのか。放水は人工の大瀑布だそうで見られたらラッキーだったのだが、そんな様子もなくサイレンが鳴り続けるのであった。
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「池の尻」の集落に入ったら屋号札がかかっている。
「きざみ屋」って何を刻むのか?他に「隠居」や「梅のぼく」などもあった。
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赤い桃山橋が見えた。
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今年は柿が豊作のようだ。
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可愛い中山道の道しるべが2つ続いて嬉しくなる。
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坂を上った先にたくさんの石造物があった。
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右から4つ目の笠付庚申塔は上松最古の庚申塔で享保2年(1727)のだそうだ。
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その少し先の石像。後から顔だけ付けた地蔵か。
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倉本の集落を下って、倉本駅で休憩する。
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諸原橋。木造の吊り橋。
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橋からは木曽川の眺め。
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立町の集落のバス停に到着しバスを待つ。
待合室が立派だ。2度優勝した御嶽海がここの出身とは知らなかったです。
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30分ほどで木曽福島駅に到着。発車時刻までは1時間もありで買い物。今日のお土産は芳香堂という和菓子やさんのそば饅頭。(これは美味しい)
松本に到着し駅弁とワインを買ってあずさに乗り込む。松本のお弁当は美味しい。
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立川で乗り換えて家に到着したのは9時を回っていました。歩数は約32700歩。
次回からの木曽は行きもあずさで、更に交通の便が悪く、ますます日が短くなって歩く時間が少なくなって楽になるのですが、少ししか進めません。また夏の豪雨で道路が通行止めになっている区間があり、回り道を2回くらいしなくてはならないからです。その後は雪が降るので行かれません。中山道はコロナのため厳しい木曽路となっています。

(完)

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コメント

味わいのある街道ですね。
奇跡が起きて歩けないかな。
風流佛?ななめ読みしたけれど、中身は全く覚えていません。

投稿: 佐平次 | 2021年11月 7日 (日) 10:19

こんにちは
 
著名な人の残したもの関係のあるものが随所に見られるのですね。
山の内を通る中山道の街道沿いならではの魅力ゆえもあるのかしら。
 
引き続き水舟がたくさん見られますね。前記事でご紹介下さった
丸木舟のような形だけでなく、木を縦にして臼のような形だったり
四角く作られたものだったりいろいろなタイプがあるのですね。
丸木舟のような形や臼のような形、いずれも太く大きく育った樹が
なくては作れないもの。改めて、やはりこの地ならではのもの
なのかななどと思いました。
建物もそうですが、木製のものは温かみがありますね。

投稿: ポージィ | 2021年11月 7日 (日) 14:47

ほぼ一年ぶりでようやく歩けた中山道ですね
中山道には子規の句碑があちこちに残っているのですね
この街道を歩いて松山までの道のりを思うとそれもうなずけるような気もします。
いろんな形の水船ですがどれも大木をくり抜いたもの、
またプランターも木製のカバーと
↑のポージィさんがおっしゃるようにこの地ならではかなと思いました。
よく使いこんでいるように見受けますが昔からずっと引き継いで
今の時代も現役で活躍している様子が良いですね。

投稿: ビオラ | 2021年11月 7日 (日) 16:04

★佐平次さま

奇跡が起きてどうか佐平次さんが歩けるようになりますように!
風流佛を間違えて書いていました。機会をみて読んでみたいと思います。難しいのでしょうかね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年11月 7日 (日) 16:23

★ポージィさま

こんにちは。
東海道は明治天皇碑市や芭蕉が多かったですが、こちらには藤村を始めいろいろな人が出てきますね。
木曽に入ってから山や谷や景色も随分違ってきました。魅力が増すのもそのことも関係するのでしょう。
水舟はまだまだ地図もあるくらいありました。
木曽五木に関係した木、サワラなど使用し材木が豊かなのだと思われました。大きな木をくりぬいて贅沢な水舟ですね。
こうしたものが残されていてよその国にはない良さを感じます。
いろいろな視点から見ていただきありがとうございます。

投稿: tona | 2021年11月 7日 (日) 16:36

★ビオラさま

そうなのです。この1年、途中ちょっと出られるようになってもまさか遠くまで電車に乗る勇気はありませんでした。
子規の句碑が残っていると思いましたら、上記のようなことが書いてあって納得しました。俳句をたくさん残した子規らしく、芭蕉の跡をなぞったなんて。
木曽は尾張藩の統制で木曽五木しか植えてはならず、木材で成り立っていた貧しい地域だったようです。
今もその木材をこうして生かして使って、雰囲気が温かくなります。
この流れている水は冬は凍ってしまうのでしょうか。とても寒いそうで、街道歩きはできないとか。雪も降って木曽は深く沈んでしまうように思ってしまいます。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年11月 7日 (日) 16:47

「ある女の生涯」懐かしいです。
藤村の姉がモデルだったような…
詳細は全く覚えていませんが。
木曽川は岐阜も流れているのですが
あんまりちゃんと見たことがないような気がします。

投稿: zooey | 2021年11月 7日 (日) 23:07

こんばんは(^o^)/!
「木曽路はすべて山の中」で始まる島崎藤村の”夜明け前”、はるか昔に読んだのは間違いないのですが、もうすでに記憶の遥か彼方へ消えてしまっています (^_^;;アセッ!
木曽路の中でも特にこの大桑から須原辺りは知名度も低く訪れる旅人も少ないことと思います。私自身も馬籠宿や妻籠宿、上松や木曽福島、藪原から鳥居峠を越えての奈良井宿しか訪れたことがありません。
このようなところこそ、かえって面白いのかなと思います。隠れた穴場スポットですネ (^_^)ニコッ!

投稿: 慕辺未行 | 2021年11月 7日 (日) 23:50

★zooeyさま

『ある女の生涯』、藤村のお姉さんの物語ですね。療養している医者の跡を見ました。こんな不便なところで療養していたのですね。
夜明け前にもこの姉の話は出てきます。

私は金華山からロープウエイでしたか、その反対側の長良川が上から見てみたいです。
木曽川は中山道歩きで雄大さを楽しみました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年11月 8日 (月) 08:33

★慕辺未行さま

おはようございます。
『夜明け前』は中山道を歩き始めたときに読みました。すっかり忘れていて、実際に現地に踏み込んで背景を実感しました。
次回に向かう上松宿、この間急行に乗るために降り立った木曽福島はもうすぐです。
薮原から奈良井宿もとても楽しみなのですがまだまだ先なんです。楽しみにしていますが、確かに今回の大桑町や上松町は知られない、でもお寺や石仏たくさんのなかなかの所と思います。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年11月 8日 (月) 08:39

中山道は馬籠宿くらいしか行っていません。
それに車でしたので、見たのは、藤村記念館
程度でした。

短歌会の会員に中に南木曽の出身の方がいて
御嶽海の実家にやや近く、応援しておられます。
私も隣県の力士ですから、注目しています。

色々な碑の紹介ありがとうございます。

投稿: matsubara | 2021年11月 8日 (月) 09:52

★matsubaraさま

南木曽は駅もありました。読み方も初めて覚えました。
御嶽海がまさかここ出身とは。
通らなかったら知らなかったです。
こんなことがこの頃多くなりました。
本当に知らないことだらけ。覚えても忘れてしまうのが難点です。
中山道も石碑が多いですね!
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年11月 8日 (月) 10:57

こんにちは。中山道歩きが復活しましたね。大桑、須原など鉄道少年時代に知った地名です。木曽福島辺りからは御嶽山が見えたという記憶です。

投稿: 多摩NTの住人 | 2021年11月 8日 (月) 17:27

★多摩NTの住人さま

1年ぶりでしたが大桑は覚えていました。
大桑も須原も上松も初めて知る中山道の宿や町です。
帰りは木曽福島に出ましたがお天気は悪く夕方遅くで御嶽山は見えませんでした。「御嶽山へようこそ」とありましたから、ここで木曽山脈と御嶽山の両方に挟まれて見えるのでしょうか。そしてここから御嶽山に向かうのでしょうね。次回見えるとよいのですが。
歩かないとこのような小さな宿や町は覚えられなかったと思います。
いいところですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年11月 8日 (月) 20:10

昨年夏に岐阜登山の行き帰りに中山道をジックリ廻りました。須原宿・上松も行きましたよ!懐かしい!11月がスタートして、今年も残りあと2ケ月ですか~!毎年師走が近づくこの時期は時の経過が早く感じられます。やっと安心の日常生活が迎えられましたがまだ油断できないですね。日々寒さが増してきますが、健康を維持しながら元気に過ごして参りましょう!

投稿: ローリングウエスト | 2021年11月 8日 (月) 21:56

★ローリングウエストさま

恵那山に登ったのでしたっけ。うろ覚えです。
その時にこちら方面も回られたとは!
まだ油断できずに前と同じ状態で生活していますが、換気が良いと言われる特急電車は大丈夫だろうと遠出を始めました。
やることいっぱい、元気いっぱいのお若いローリングウエストさんのご活躍が楽しみです。

投稿: tona | 2021年11月 9日 (火) 08:28

さすがに中山道、街並みにその風情を感じます。
木をくり抜いて水を溜める大きな臼や舟が古い街並みに
雰囲気をいっそうのものにしているようです。
我が家にもこのようなものを欲しいなあと思いますよ。
尤も地下水じゃなくて雨水を溜めることになるのですけれど。

駅舎も好いですねえ~最近はこのような駅を見たことがありません。
神社の杉は、その大きさ、幹の太さ、
真っ二つに割れた様子などから年齢を感じさせます。

五輪塔もひっそり、木造の吊り橋・・・中山道の風情ですね。

投稿: Saas-Feeの風 | 2021年11月 9日 (火) 09:37

tonaさん、こんにちは~♪
中山道は妻籠、馬籠、奈良井宿を歩いただけですが、
ここ、須原宿は観光地化された様子もなく、ひなびた感じの
昔ながらの風情が残っていますね。

島崎藤村は私が読書に目覚めた作家さんですが、
『ある女の生涯』は読んでいませんでした。
舞台となった建物は明治村に移築されているのですね。
明治村にも行ったことが無いのでいつか訪ねてみたいです。

子規といえば、「柿食えば・・・」の他に、教科書に載っていた
「くれなゐの 二尺伸びたる薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる」
が印象に残っていて、いまだに忘れられません。
「寝ぬ夜半を いかにあかさん山里は 月いつるほとの 空たにもなし」
の短歌も良いですね。

須原宿は島崎藤村、正岡子規そして幸田露伴などの
明治の文豪・俳人にもゆかりの多い宿場町だったのですね。
よい勉強になりました。

投稿: hiro | 2021年11月 9日 (火) 13:13

★Saas-Feeの風さま

思いがけず須原宿が良い風情でした。
木をふんだんに使っている感じです。
Saas-Feeの風さまのお庭にこのような水舟があったら素敵ですね。
周りの植物が喜びそうです。

明治、昭和の駅舎は素朴ですが、そのまま今に残っている中央線はなかなかいいですね。
夫婦杉は両方とも途中割れてまた上に勢いよく伸びていますが、雷にやられたのでしょうか。久々にこんな太いのを見ました。
おっしゃってくださった中山道の風情は、馬籠や妻籠、奈良井宿とは違った趣でいいところでした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2021年11月 9日 (火) 14:41

★hiroさま

こんにちは♪
木曽にきて須原宿は馬籠や妻籠と違った風情の宿ですね。
明治の文豪や俳人もとても良い宿と思われたことがわかります。

島崎藤村の『夜明け前』はこの間読み直しましたが、『ある女の生涯』も読んだのにすっかり忘れ、これも読み直したいです。
街道歩きで次々と本を読むことになります。
子規の歌、おっしゃる歌は本当に懐かしくも良い歌ですね。
明治村は行ったのですが、印象に残ったのは帝国ホテルくらいで、情けないことに殆ど忘れています。何度行ってもいいわけです。
良い勉強になったとおっしゃっていただいてありがとうございます。

投稿: tona | 2021年11月 9日 (火) 16:31

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