中山道17 福島宿~宮ノ越宿(2)
玄関は鳥居型の入り口。3館共通券を出すと50円引き。
高瀬家は、文豪島崎藤村の姉 「園」 の嫁ぎ先で、作品 『家』や『ある女の生涯』や『夜明け前』 のモデルとなっている。高瀬家は藤原氏の出であり、山村家の家臣として代々御側役、鉄砲術指南役、勘定役として幕末まで仕えた。大火で蔵と庭園の一部を残し、焼失してしまった。
九代目当主が奇応丸の製造販売を行い、徳川家に献上することとなった。その時の奇應丸などの衝立大看板。
資料館に入って説明して下さるのは、高瀬家の子孫の方(18代目)である。この方のお話がとても丁寧であった。
藤村の手紙が残っている。藤村は最初の3人の女児を相次いで亡くし、その後男児3人のあと7番目の女児を生んで奥さんが亡くなり、子供1人を預かって欲しいとか、『破壊』などの作品の出版にあたり資金を融通して欲しい旨の手紙だ。
そのお礼に「千曲川旅情の歌」の書を送ったのも飾られていた。
資料館の2階から外に出て木曽川をはさんだ両岸の景色を見る。火災は右岸で発生、風で対岸に飛び、また右岸に火が移って高瀬家も類焼した。
昔からあるドウダンツツジの庭。線路と接していて見えるが、昔は線路を越えた竹藪の向こうまですべて高瀬家の土地だったそうだ。
階段を降り、隣の福島関所に向かう。3館共通券で入る。東海道の箱根・新井、中山道の碓氷と並ぶ四大関所の一つ。
昭和50年に復元された番所は資料館となっている。上番と下番があって60人が働いていた。朝6時から夜6時まで関所は開いていた。
ここも女性には厳しかったそうだ。
資料館。
上番所。
関所文庫。
関所跡。
このあと、また関所橋を渡って対岸へ向かう。木曽川の幅が狭く急流だ。
興禅寺へ。3館共通の最後の見学。
ここは木曽義仲並びに木曽家代々、福島関所代官・山村家代々菩提所で木曽三大寺の一つである。木曽踊発祥の地でもある。
勅使門。紅葉がまだきれいであった。
火災に遭って復元されたものであるが、平安末期の古代様式。1180年に源行家が以仁王の勅使として、平家追討の令旨を、この門を通り義仲公に伝えたことによる。
御影観音堂。右は鐘楼、奥が本堂。
本堂の前にある時雨桜。義仲お手植えの2代目。時雨の意味は毎年4月中旬頃から5月中旬頃に葉にたくさんの雫(しずく)が光り、風が吹くと時雨のように雫が落ちるからと言われる。
山頭火の石碑。上松辺りから山頭火の歌の碑が見られるようになった。
巴塚の巴松。
上がっていくと木曽義仲の墓がある。東海道の義仲寺には芭蕉と並んで義仲のお墓があった。木曽のこちらには遺髪が納められている。木曽家代々の墓が横に、さらに上に山村家の墓があった。
続いて庭の見学(4つある)
看雲庭。枯山水の庭としては東洋一の広さだそうだ。作庭家の重森美鈴の作庭。
須弥山の庭(九山八海の庭)。須弥山を囲む九つの山と八つの海からなる世界観である。9つの山を石組みで表現、まわりを砂で八海を表現しているそうだ。
昇龍の庭(登龍門)。親子三体の龍が昇天する姿を滝上部に表現し、下部には、これから龍とならんとする鯉魚石(りぎょせき)を表現しているそうだ。
万松庭。江戸中期の金森宗和の作庭。池泉鑑賞式庭園。
その他宝物殿を見て由緒あるお寺を後にする。
長福寺。こちらも山村家の菩提所。妻が信玄の三女だった木曽義昌は信玄の弔いのため五輪塔を建立した。
お庭。
街道に戻り、前方に冠木門を見て福島宿を出る。
(続く)
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コメント
こんにちは
トップのお写真のお宅の、切り絵のような絵はシャッターに
描かれているのでしょうか。
火事で焼失してしまったものも多いとはいえ、復元されたものも含め、
立派なものがたくさん見られるのですね。
高瀬家もいわゆる名家なのですね。18代も途絶えることなく
続いてきているということもすごいと感じます。お庭も立派。
ドウダンツツジは葉を落としていたようですが、春から秋、
四季折々の美しさを見せてくれるのでしょうね。
御影観音堂の時雨桜の名前の由来が、風情があって素適で
すっかり気に入りました。時雨が降るような様を、見て感じてみたいです。
投稿: ポージィ | 2021年12月 1日 (水) 11:08
★ポージィさま
こんにちは。
はい、シャッターに描かれています。
昔の福島宿を想わせる浮世絵みたいな絵が目立っていました。
古い土蔵などさえも昭和22年以前、とはいえそれが5回も6回も火災があったそうで明治時代のでさえ数えるほどしか残っていません。
それなのに宿の風景を見ますと昭和さえももう明治みたいな感覚で見ています。
高瀬家も養子でも血のつながりは藤村のお姉さんの後でなくなっていて、使用人の優秀な方が奇丸作りを継いだようでした。大家族制度と徒弟制度の利点でありますね。
ここのドウダンツツジはご自慢のようです。大きくもならず長いこと咲き続けているのですから。
時雨桜、想像するのですが実際に見てみたいですね。もう無理とは思うのですが、順番に見たいものなど表にして眺めていれば、時には実現することもあるかもしてません。残り時間が少なくなって、番付表がころころ変わります。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2021年12月 1日 (水) 14:55
こんにちは。福島宿は魅力満載ですね。木曽路と言えば島崎藤村ですが、木曽義仲まで出てくると更に好奇心がふくらみます。
投稿: 多摩NTの住人 | 2021年12月 1日 (水) 18:38
★多摩NTの住人さま
福島宿滞在は長かったです。馬籠・妻籠以来です。
奈良井宿も立派のようですね。
次の宮ノ越が木曽義仲が育った近くになります。巴御前などと一緒に育ったそうですね。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2021年12月 1日 (水) 20:46
こちらからの方が近いのに福島宿の高瀬家の
こと、知りませんでした。
中央道で通ったはずですのに見逃してしまい
残念です。
中山道は東海道より魅力がありますね。
投稿: matsubara | 2021年12月 2日 (木) 08:46
見事な枯山水の庭ですね。
まいにち手入れをするのが大変だろうな、なんてよけいなことまで考えてしまいます。
それも修行なんでしょうが。
投稿: 佐平次 | 2021年12月 2日 (木) 10:47
高瀬家は由緒ある立派な家なのですね。
藤村のお姉さんとは名家同士の縁組だったのでしょう。
藤村がその高瀬家を頼りにしていたような手紙が残されているというのも興味深いです
高瀬家は広大な土地に立つ家であったでしょうにそれが焼けるほどの大火、
満天星ツツジの庭は焼けずに残った庭なのでしょうか。
箱根と新井の関所には行ったことがありますがそれらに比べても
福島関所は復元されたものとはいえ立派ですね。
どこの関所も女性の通行には厳しかったようですね。
このコロナ禍で外国からの入国が制限される今、
簡単には出入りできない事情が似ています。(;^_^A
投稿: ビオラ | 2021年12月 2日 (木) 15:42
tonaさん、こんばんは~♪
高瀬家の子孫の方から、藤村のお話を聞くことが出来て
良かったですね。私も行って聞いてみたいです。
当時、本は自費出版だったのですね。
藤村が作家として世に出られたのも高瀬家の援助のおかげですね。
興禅寺や長福寺は由緒ある立派なお寺ですね。
万松庭が素晴らしかったです。
投稿: hiro | 2021年12月 2日 (木) 22:19
今回の高瀬家や福島関所は実際に寄ったので、読みながらそうだったと思い出してました。
高瀬家の18代の女性の方が説明してくれたのですね、私の時も説明してくれました。
藤村は高瀬家でかなり助かってた様子が手紙から読み取れましね。
私は興禅寺へ行って無いのですが、立派なお寺ですね。
巴塚の巴松とは巴御前の事を言うのでしょうか?
巴御前が91歳で没した地が富山県南砺市福光と言われ、巴の遺体を葬った塚がこの場所で
15か所も巴塚があるそうで、よく分かりません。
投稿: ラッシーママ | 2021年12月 2日 (木) 23:20
★matsubaraさま ありがとうございます。
中山道は変化に富み、山も多く、それなりに歴史が面白くいいですね。
確かに特急しなのに乗りますと木曽福島に停まりますので、そちらからですと中津川乗り換えになるのでしょうか。近いのですね。
この辺りからは中央線塩尻乗り換えが近くなりましたが、あずさが東海道新幹線より1時間も始発が遅いのと乗り換えの待ち時間がとても長く東海道のように進みません。
投稿: tona | 2021年12月 3日 (金) 09:22
★佐平次さま ありがとうございます。
この日本一大きい枯山水の庭は、お坊さんが2時間かかるそうです。
確かに修行の一部でしょうね。
投稿: tona | 2021年12月 3日 (金) 09:24
★ビオラさま ありがとうございます。
藤村も馬籠の本陣ですし高瀬も出自もよし、山村代官の家臣であり、奇應丸を作り、幕府崩壊後はこれで生計を立てたそうです。小説では藤村姉の婿さんが出奔、養子さんが面倒を見ていたのですが、お姉さん(義理の母)が気がおかしくなってから東京の藤村たちが面倒を見て精神病院に入れ亡くなったようです。殆ど事実だと思われます。
最初は藤村もこの姉に頼っていたのですね。
満天星ツツジだけは立派に残っていました。紅葉も終わって寂しい景色でしたが。
確か四大関所だけあってこの関所は立派でした。
特に女性に厳しかったのが何とも気の毒です。なるほどコロナ禍の現在はオミクロン株であたふたする政府や空港を見てるようです。
投稿: tona | 2021年12月 3日 (金) 09:57
★hiroさま
こんにちは♪
高瀬家からの福島宿の眺望がとても良かったです。
当時が線路の向こう側の竹やぶまで全部敷地だったそうで、繁栄ぶりが偲ばれました。
立派に作った資料館を個人宅で運営していて説名までして大変と思いました。この2年はあまり人も多くなかったと思いますが。
3本の小説には高瀬家よりの援助は書いてないように思われましたが、藤村は末っ子として姉を随分頼りしていたようですね。
藤村は父も姉も発狂して、他に姉一家の悲惨なことが「家」に書いてあって、実に大変だったことを知りました。
有名な金森宗和のお庭は本当に素敵だったです。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2021年12月 3日 (金) 10:10
★ラッシーママさま
高瀬資料館は娘がラッシーママさんがそこにいらしていて、tonaもコメント書いていると教えてくれて、すっかり忘れていましたので改めて拝見させていただきました。とても詳しく書いていらして、ああそうだったのかと思いました。18代の方もちゃんと写真に納まっていましたね。
写真を撮ってはいけないのかと資料館は撮っていませんでした。
巴塚や巴松はここは木曽家の菩提所なのでそうだと思われます。
これから行く先の宮ノ越が巴御前の生まれ育ったところで、落ち延びて亡くなったところは富山県だったのですね。又その時調べるのが楽しみです。15ヶ所も巴塚があるとは驚きました。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2021年12月 3日 (金) 10:21
中山道には文学、歴史で名を知られたかたたちと
接するところが多いですね。
限られた区間しか歩いたことがありませんが
そんななかでも多くの歴史上の人物や
遺構・遺跡などを見てきました。
今回の宿場間にも藤村や木曾義仲が現れ
枯山水の庭もあり、新たな出会いがありました。
心豊かになる旅と思います。
投稿: Saas-Feeの風 | 2021年12月 3日 (金) 21:26
★Saas-Feeの風さま ありがとうございます。
何と言っても歴史では木曽義仲と尾張藩でしょうか。
文学では藤村、幸田露伴、芭蕉に子規、山頭火といったところですね。
作庭家の重森美鈴や金森宗和の庭がこんな山奥にあるとは思いがけないことでした。
じっと家にいては味わえないことで有難いことでした。
投稿: tona | 2021年12月 4日 (土) 08:42