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2022年4月 4日 (月)

甲州道歩き11 韮崎宿~台ヶ原宿~教来石宿(2)

宿入り口手前の庚申塔と馬頭観世音
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●台ヶ原宿(28番目の宿)。本陣1軒、脇本陣はなく宿役人の家が代用、問屋1軒、旅籠14軒。

「日本の道百選」に山梨県ではここ台ヶ原宿の佇まいと富士スバルライン・河口湖大橋(山梨県富士河口湖町ほか)が選ばれている。
台ヶ原の由来は、この地は高く平らにして、台盤のようであったことから。
これが日本の道百選というのが意外な感じだった。
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北杜市のマンホールの二つ目。旧白州町のもので、甲斐駒ヶ岳、町の鳥のカッコウ、町の花シャクナゲ、町の木の松をデザイン。

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本陣跡と秋葉大権現常夜燈(1867年)
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向かいに脇本陣跡、高札場跡、問屋場跡、郷倉跡(飢饉に備え囲い籾を備蓄していた)の標示や説明板を見て、七賢蔵元に入る。
七賢蔵元の北原家は寛延2年(1749)の創業で、幕末には高遠藩の御用商人を勤め、天保6年(1835)居宅新築の際に、藩主より「竹林の七賢人」の欄間を頂戴した。以来銘酒を「七賢」と称した。娘はここで七賢を買っていた。
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まだお雛様も飾ってあった。
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明治天皇巡幸の際、行在所となったそうで、その碑が家の前にあった。
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斜め向かいの金精軒にも寄り、生信玄餅のお土産とおやつのどら焼きを。明治35年創業の元祖「信玄餅」の老舗。旧旅籠の建物。
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登記所跡を通り過ぎ、田中神社へ。お茶壺道中が宿泊したところである。
お茶壷道中とは家光の時代から、京都宇治の新茶を茶壷に納入して、江戸城に運んだ行列。
行列往路は東海道、帰路は中山道から下諏訪で甲州街道に入り、大月から谷村勝山城へ入って熟成させ江戸城に搬入。この行列は権威が高く、御三家の行列さえ道を譲らねばならなかった。
今の神社はとても権威高い御茶壷道中が宿泊した面影はない。
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たくさんの地蔵が並んでいた。
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小さな石祠がたくさん並んでいる神社を見るようになった。これは神を祀る小規模な殿舎で、神仏習合によって道祖神に関連した仏を祀るようになった。
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旧旅籠鶴屋。ここはもう使っていない。端に講札が3つ並んでいた。お隣に新しいつるや旅館が営業していて、街道歩きの人が宿泊することが多いそうだ。
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この道の先でそろそろ台ヶ原宿とお別れのようだ。
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自元寺。馬場信房(武田三代につかえ、長篠の戦いで戦死した)の創建のお寺で位牌とお墓がある。
総門はお屋敷から移築したものだそうだ。
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六体の?(地蔵の顔らしく見えない)
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スミレの行列
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天白神社に珍しく、安永3年(1774)の二十二夜供養塔があった。
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道の駅はくしゅうで休憩する。金精軒のどら焼きを食べ、検査の済んだ湧水を汲んで飲む。美味しい水だ。
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山口素堂の「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」の句碑があった。
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隣の若宮八幡神社のモミの木は推定300年。武田家代々の祈願所。
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小さな石祠には双体道祖神。
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ぶどう畑にある武田神社!奥に石祠がたくさんある。
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道の駅と同じ風景。南アルプス、右は甲斐駒ヶ岳(2967)m、左は日本2位の北岳(3192m)が見えている。北岳は甲斐駒の前年の2010年に登っているがあの頃は超元気だったのだ。11年半たってこんなによぼよぼになるとは当時は考えもしなかった。その年にならないと人間はその気持ちがわからないということを悟る。
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白須松林址の碑・・平安時代には一里にわたって松原が続き「白須松原」と呼ばれ戦時中油をとるため伐採されてしまったのだそう。
玉斎吾七句碑(国道沿いにもあった)。玉斎はこの地の人で徳が篤かったのだそうだ。

八ヶ岳もまだ雪をかぶってきれいだ。
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長光寺で寛政元年(1797)建立の宝篋印塔を見る。
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街道には江戸時代の石仏石塔群があちらこちらにあった。
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流川を流川橋で渡る。往時は板橋であった。ここが教来石(きょうらいし)宿の江戸口(東口)で枡形があったそうだ。
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橋を渡ると下教来石下のバス停に17時過ぎに到着。
17時32分のバスに乗り、韮崎駅へと向かう。今日一日かかって歩いた道をバスで約45分で元に戻ったわけだ。バスに乗った人は3人、途中で1人下りたので私達2人だけ。窓はどこもすべて開けてあり、終点だったので来たバスが車内消毒を丁寧に行っていたのを見た。
18時25発のあずさに乗り、立川着19時42分。地元でブリ大根など数品の食事。

おみやげにもらった生信玄餅。普通のと違って餅も丸く美味しい。3個あったので1個半を食べる。
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47400歩でした。40日ぶりに歩き、しかも4万歩超えで、腰と背中が痛くなってしまいました。さりながら南アルプスと八ヶ岳を時々見ながらの歩きは最高でした。

 (完)

 

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コメント

こんにちは
 
冒頭の庚申塔と馬頭観世音がずらりと並んでいるお写真に始まり、
途中幾つも石祠だったり石仏石塔群だったり、石造物がたくさん
という印象ですね。
宿に残っている古い家屋と相まって味わい深い趣を感じますが、
戦時中に伐採されてしまったままの「白須松原」が無いのは
とても惜しく感じられます。
背中や腰が痛くなられたとはいえ47400歩も完歩されたtonaさんが
よぼよぼでいらっしゃるとはとても思えませんが、かってアルプスの
山々に登られたご自身と比べられると、そう感じられてしまう
ものかもしれませんね…
銘菓の信玄餅は子どものころよく食べた記憶がありますが、
生信玄餅というのは食べたことありません。形以外は何が違うのでしょ?
美味しそう。久し振りに黄な粉と黒蜜のあの味が食べたくなりました。
 

投稿: ポージィ | 2022年4月 4日 (月) 12:05

★ポージィさま

甲州街道は路傍に石造物群が多いという印象です。
第2次世界大戦は人民の鍋釜まで供出されましたが、松の木まで伐採して油を採取したということには、国は色々な面で疲弊していたからここまでやったかということでしょうね。
その代わり杉を一杯植えたのですね。多くの人が杉花粉で苦しむようになるとは考えもしませんでした。
そうですね。体が痛くなってもまだ歩けることは有難いですね。甲州街道がもう少しですので、これだけでも辿り着けたらといいなあ、です。中山道へと欲が出たらまた宜しくお願い致します。

生信玄餅は信玄餅より餅がずっとやわらかで、四角い箱の中でなくお皿で食べるので食べやすくもあります。こちらの方が美味しく感じられました。
この日国分寺駅に着きましたら、駅コンコースで生信玄餅を出張販売していました。わざわざ運んできたのが残念な感じでした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年4月 4日 (月) 13:05

こんにちは。元祖信玄餅のお店はバラエティ番組で何度か紹介されていましたね。遠くの山に雪が残っている春の景色が好きです。

投稿: 多摩NTの住人 | 2022年4月 4日 (月) 18:07

★多摩NTの住人さま

金精軒は紹介されていて有名なのですね。
私も今の季節の残雪の山々を眺めるのが大好きです。
甘利山ではスノーシューの体験をしました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年4月 4日 (月) 20:16

未訪のところばかりですので、珍しく拝見
しました。
信玄袋は有名ですが、お餅まであるのですね。

まだまだお寒いですのに健脚ですね。
娘さんも健脚なのですね。我が家は娘も
私もダメです。

投稿: matsubara | 2022年4月 5日 (火) 08:28

★matsubaraさま

やっと東京から出られるようになって早速に山梨県へ。隣の県ですし、中央線ですぐですので近いです。
信玄餅は信玄袋みたいのに入っているのが今までのですが、新しいの形態で味のが箱詰めで売り出されました。
娘さんは息子さんたちが家から大学へ出られたり独り立ちされて、ますますご自分の勉学に励まれていらっしゃるのでしょう。
それはそれでお母さま譲りの勉強家で頼もしいですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年4月 5日 (火) 08:58

「竹林の七賢人」にちなむお酒七賢ですか、
娘さんは日本酒派?以前にもお酒をお土産に買われたことがあったような。
まだお雛様が飾られていたそうですが
私の実家の伊豆の方でもお雛様は4月でした。
そうした一月遅れの節句を祝う土地はあちこちにあると聞きますが…
山梨土産と言えば信玄餅ですが元祖生信玄餅というのがあるのですね。
以前信玄餅の工場を見学しましたが
全て機械化されていましたがあのビニールの風呂敷を包む作業だけは
手作業でその手早さにビックリでした。

投稿: ビオラ | 2022年4月 5日 (火) 16:18

tonaさん、こんばんは~♪
台ヶ原宿も趣がありますね。
残されている古い立派な民家からは、往時の繁栄ぶりが
伝わってきます。
それにしても甲州街道には古い石仏や石塔が多いですね。
それだけで見ても歴史の重みが感じられます。
南アルプスや八ヶ岳の眺めも良いですね。
甲斐駒にも北岳にも登られたそうですが、まだ4万歩以上歩ける
のですもの、ちっともよぼよぼではありませんよ。
むしろ、同年代の方よりずっと足腰がしっかりされていると
お見受けいたします。
私は1万歩歩いただけでも腰が痛くなることがあります。
信玄餅は山梨のお土産の定番なので何度も食べていますが、
生信玄餅は一度も味わったことがありません。美味しそうです。

投稿: hiro | 2022年4月 5日 (火) 20:09

★ビオラさま

娘は日本酒、ワイン、ビールが好きです。街道歩きの時は酒蔵や道の駅、鉄道駅などで必ず買っています。お酒に詳しいです。
4月のお雛様飾りは都外に出ますと多く見かけますね。
お盆もそうですが、4月になって出かけてお雛様を見られるのは大歓迎です。
えっ、信玄餅のあのビニールの風呂敷だけ人間の手で包むのですか。熟練工はさすがなのですね。
生信玄餅、初めて知って食べました。
信玄餅より私は美味しいと思いました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年4月 6日 (水) 08:39

★hiroさま

おはようございます♪
久しぶりに台ヶ原宿は甲州街道ではちょっと街道の趣があると感じられました。
東海道にも多くありましたが、中山道は妻籠、馬籠、奈良井宿などと素敵な街並みを見たところでした。
甲州街道は殆ど火事で焼けて残っていないのです。
この先も行ってきたのですが、石仏だらけで、圧倒されました。
甲州街道は山の景色が入ってきて大好きな街道になりました。
南アルプスはたった2座しか登っていないのですがそれが見えてよくぞ登ったと感心するくらい高くごつごつしていました。
3000m級ですから2000m以上は垂直に登るわけでして。
山梨と言えば果物の他に信玄餅ですよね。
生信玄餅の方が食べやすいですし、美味しいですよ。機会がありましたら是非!
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年4月 6日 (水) 08:51

七賢とその前のお菓子や、懐かしいです。
一枚目の写真、春の光を感じさせますね。
春の八ヶ岳、行きたいなあ。

投稿: 佐平次 | 2022年4月 6日 (水) 09:50

★佐平次さま

七賢と金精軒、ご存知だったのですか。
私は聞くも見るも初めてばかりでした。
八ヶ岳はもう登れないので、今度はバスで上の方へ行きたいです。
自家用車が欲しい頃は運転できない年齢になったのが皮肉です。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年4月 6日 (水) 10:03

“日本の道百選”はどのような形で決められたのでしょうね。
こちらでは旧東海道の関宿が選ばれているようですが
何度も歩いていますのに、その表示に気付いたことがありません。
おそらくは、ぼんやりと歩いているのでしょう。

マンホールの蓋にシャクナゲとカッコウ、そして甲斐駒ヶ岳と松のデザインがあって
もしカラー化すると絵になると思いましたよ。
松の緑色が好いコントラストになりそうです。
最近はふたのカラー化が進み、それによりマンホールカード収集者が激増しているそうですね。
Saas-Feeの風は四日市市と桑名市も物を持っているのみです(2枚です)

七賢の蔵元は甲州街道沿いでしたか。
何年も前に七賢の酒を呑んだことがありますが
まったく味を覚えていませんので
見かけることがあれば買ってみましょう。

信玄餅はときどき名産フェアなどで見かけますよ。
何度か買ったことがありますが金精軒のものかどうか・・・判りません。

47400歩・・・ですか。
凄いですね。
スイス・アルプスを歩いた際に歩数計を持っていたら一日にどれほど歩いたのか
記録しておけました。
現地に入って2-3日後のハイキング中に
ベルトから抜けて無くなっていました。
当時の歩数計は現在のものほどしっかりしたものではなかったと思います。
もう長距離を歩けなくなっています。
tonaさんの健脚には感服しております。

投稿: Saas-Feeの風 | 2022年4月 7日 (木) 11:28

★Saas-Feeの風さま

こんにちは。
関宿はよく覚えています。宿が昔のままで素晴らしいので東海道でも髄一です。
道百選の選定はWikiによりますと、
「必ずしも歴史や文化的価値にこだわっておらず、地域の人々にどれだけ親しまれた道路であるかが最大の選定基準となってる」だそうです。ですから意外なものが入っています。各都府県から2~4ヶ所選んで。
マンホールカードを2枚も持っていらっしゃる、いいですね。これは集めるのは大変です。
七賢は勿論お飲みになっていますね。いつかまたですね。
スイス・アルプスではトータルで随分歩かれたのではありませんか。私の知らないアルプスの道をたくさん紹介いただけましたものね 。
だんだん出かける前に歩けるかしらと思うようになったのです。年齢の境目、もう無理は出来ないです。突然ダメになるかもです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年4月 7日 (木) 13:06

七賢蔵元の北原家は時代を感じさせる建物ですね、私は飲まないですが「七賢」の名前は知ってました。
金精軒の名前も初めて知りましたが、明治35年創業の元祖「信玄餅」の老舗とは全く知りませんでした。
現在売られてる「信玄餅」の桔梗屋で、最初に売り出されたのだと思ってました。

「道の駅はくしゅう」は去年の10月の旅行の際に寄りましたが、沢山の人がペットボトルに水を入れてましたが
中には大きなペットボトル何本も入れてたので、美味しい水なのだと思いました。
隣に若宮八幡神社があったのですね、気が付きませんでした。

甲斐駒ヶ岳(2967)mと日本2位の北岳に11年半前に登ってて、今回は47400歩も歩いてて
よぼよぼとは言わないですよ、健脚振りに感服してます。

投稿: ラッシーママ | 2022年4月 7日 (木) 19:53

 驚きの47000歩!!凄い!!
せいぜい20000歩が限度の私は、
「そんなに歩いて大丈夫?」と言いたくなります。
tonaさん、ヨボヨボなんてまだまだ先の事ですよ。

この区間は鉄道の駅もなく、歩きにくい場所ですね。
なので私達はまだ未踏破。
バスを利用しながら歩く方法もあると思うのですが、
我が街道歩き隊長は気乗り薄で、歩くかどうかも分かりません。
でも山々を見ながら歩いてみたいです。

投稿: ☆銀河☆ | 2022年4月 8日 (金) 00:24

★ラッシーママさま

パパさんが七賢を飲まれるのでしょうか。私は初めて知りました。
信玄餅と言えば「桔梗屋」ですよね。
何処も老舗の元祖争いが見られます。
ここの「生」信玄餅は餅が違っていて美味しかったです。
「道の駅はくしゅう」はなかなか立派ですね。
湧水があるのと背後の南アルプスの風景があってとても気に入りました。
若宮八幡神社は建物に向かって右手です。
歩くときだけ元気を出して、普通の日はもう結構コロナのせいもあるのですが引き籠りで、元気でない日もあります。5年前とも随分違ってきました。弱音も出そうな日々です。コロナがなかったら違っていたと思うのです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年4月 8日 (金) 08:36

★☆銀河☆さま

この辺りは鉄道から遠くなってバス停まで辿り着かないと帰ることが出来ません。
それで47000歩にもなってしまいました。東海道の時に何度かやっていますがさすがあの頃より年取ってきつくなりました。
これが中山道になりますと、行き帰りの移動時間が長くてぐっと歩く距離は短くなります。
でも一日限りの歩きでこれが数日続いたらもう歩けません。そこが楽な点です。
前回あたりから南アルプスと八ヶ岳が見られるようになって景色が東海道や日光街道(これは終点に近づくたときの山の景色を期待しています)とは違って素晴らしいですね。
今年は銀河さんがかつてご覧になった諏訪の御柱祭があって、車で運ばれたのをテレビで見ました。次の次の回に最後となりますが大社だけお詣りしてきます。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年4月 8日 (金) 08:47

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