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2022年5月20日 (金)

中山道19 宮ノ越宿~藪原宿~奈良井宿(前編)

昨年12月は宮ノ越宿~奈良井宿の間は鳥居峠があって雪のため歩けなくなって、先に奈良井宿~贄川宿を歩いた。
ようやく春になって鳥居峠も良しということになって、順序が逆になってしまったが、それに曇りのち少量の雨だったが歩いてきました。

あずさ1号に乗って塩尻についても宮ノ越に行く普通電車が1時間以上もなくて、特急しなので木曽福島まで戻って、宮ノ越に普通電車で進み到着したのが11時13分。歩き始めがこんな時間になってしまう。そこで木曽福島の待ち時間30分の間に10時半に持参のおにぎりなどで昼食にし歩き時間開始が遅いのをカバーした。木曽はなかなかに不便だ。
そうそう、宮ノ越は木曽義仲が育った場所だ。前回乳兄弟姉妹みんなで勉強した場などを見学した。

駅からの道の突き当りに徳音寺がある。
途中義仲橋で木曽川を渡った。この辺りが宮ノ越宿の江戸方見付だった。
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その先右に義仲館があるが見学せず。義仲と巴御前の像を撮影する。
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徳音寺は木曽氏の菩提寺である。木曽一族の墓がある。義仲が母を葬った寺。
山門(鐘楼門)は、享保8年(1723)に建立されたもので鐘は「徳音寺の晩鐘」として木曽八景のひとつとなっているそうだ。
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木曽一族の墓。
中央が木曽義仲の墓。大津の義仲寺にも芭蕉と並んでお墓があった。
右側の右から今井四郎兼平(巴御前の兄)、義仲の母小枝御前の墓。左側の左から樋口次郎兼光(巴御前の兄)、巴御前の墓が並ぶ。
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木曽義仲公霊廟。
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本堂前の巴御前乗馬像。
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色々な塚を見るが、蛙塚は初めてだ。最近ガマガエルさえ見かけない。蛙を急に見たくなった。
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つらぬきいし。巴御前が木曽川巴淵を馬で駆けた際、馬蹄がこの石を貫いたのだそう。
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白い藤、満開になったらきれいでしょう。
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前回見学した宮の越宿の街道に戻り、木曽川をまた渡り直したりして旧道を歩く。まだ八重桜が咲いている。
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標高は宮ノ越駅約860m、これから向かう藪原宿の駅は約925m。越える鳥居峠は1197m、到着予定の奈良井宿は934m(JR東海で一番高い駅であった・・もう忘れていた)。かなり涼しい。

宮ノ越宿を外れたこの辺りまで屋号札がかかる。
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有栖川宮御休所跡碑。明治20年、有栖川熾仁親王夫妻が中山道旅行の際、紺屋を営む手塚家で休息した。
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木曽のこの辺りの道祖神は諏訪と違って文字だけだ。
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ミヤコグサ(マメ科)が咲いている。 ではなくてサーモプシスシネンセスでした。多摩NTの住人様ありがとうございました。
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中山道と木曽川が山吹山に突き当たって直角に迂回するところが巴淵(ともえがふち)で水の色がきれいだ。山吹も巴も義仲の愛妾の名である。謡曲「巴」にもある。巴状に渦巻き名が付けられた。巴御前はここで水浴し武技を練ったという。
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旧道が立ち入り禁止なので音の煩いトンネルを行く。抜けると木曽町から木祖村(木曽川源流の里だそう)に入った。「きそ」の字が異なる。
吉田一里塚跡(67里目)。後ろに見えるのは蕗。宮ノ越からこの辺りは蕗畑が沢山あって名産地なのだろうか。
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吉田橋を渡ると吉田洞門が見えてきた。国道は木曽川の横すれすれを通り、山が迫る部分は吉田洞門で保護され、歩道は川側にある。旧道は山の斜面にあるが今はヤブで通れないそうだ。
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鳥居峠の壁画があった。御嶽山と峠を越える旅人と馬子と松が描かれている。大きすぎて撮れない。
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木祖村のマンホールは村の花「りんどう」と村の木「とちのき」そして木曽川がデザインされている。
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ここで中山道も半ばを過ぎて初めて街道ウォーカーさんに会う。京都の人たちで東京方面から歩いてきたという。鳥居峠で御嶽山が良く見えたそうだ。

藪原駅のところにSLがあってそばに68里目の一里塚があった。藪原宿に入ってきた。
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●藪原宿(35番目)本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠10軒。宮ノ越宿から7.6㎞。奈良井宿まで5.4㎞。 
この宿は鳥居峠と飛騨街道追分を控え、お六櫛の生産地として賑わった。明治17年の大火で、宿並の大半が焼失してしまっている。

お六櫛の工房。女流作家・木内昇(のぼり)の『櫛挽道守』に神業と称えられた櫛職の父のもとに櫛に魅入られた長女登瀬のことが出てくる一家の物語が書かれる。こんな冬厳しい木曽のここで作られていたとは。櫛は博物館ですでに見ている。ちょうど藤村の『夜明け前』と時代が重なる。
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高札場跡の標柱
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この宿も、どの家も屋号札がかかっている。
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お六櫛問屋篠原商店。
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漆器店もあった。
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水場もたくさんある。
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宿の風景。
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防火塀跡。薮原宿は4回も大火に見舞われ殆ど焼失。その対策として石垣を築き、その上に高い土塀をたて防火壁としたそうだが、今は石垣だけ
が見える。
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極楽寺(観音堂はお六櫛のお六が祀られ、天井画は藤田嗣治が描いた)と、藪原神社(式部鳥居)が街道から見えた。時間の関係で見学は省略。
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旅籠米屋。明治の大火後に須原宿から移築された建物だそうだ。
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脇本陣跡や本陣跡を通り過ぎ、宿を出て鳥居峠へ向かう。

(続く)

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コメント

こんにちは。義仲や巴御前ゆかりの地は大河ドラマで盛り上がっているでしょうね。木祖村という地名があるのですね。知りませんでした。マメ科の黄色い花はミヤコグサではないように見えます。花序が直立しているのでサーモプシス何とかという園芸種でしょうか。

投稿: 多摩NTの住人 | 2022年5月20日 (金) 18:41

★多摩NTの住人さま

サーモプシスシネンセスですか。
ミヤコグサは 「茎はふつう地をはうか、あるいは斜めに立ち上がる」とありました。
これは直立していますね。
教えていただき感謝です。
書き換えさせていただきます。
「鎌倉殿の13人」では義仲の子供義高が可哀想でなりませんでした。
お寺には中学生が写生している以外見学者は誰もいませんでした。
ありがとうございました。これからも宜しくお願い致します。

投稿: tona | 2022年5月20日 (金) 20:05

蛙塚の由来はありましたか?
なにか物語がありそうですね。
お六櫛のこと知りませんでした。
木内昇の小説を読みます。

投稿: 佐平次 | 2022年5月21日 (土) 10:41

★佐平次さま

京都府の井出町は蛙の名所だそうで、蛙の関する和歌もたくさんあるとか。しかしこのお寺の蛙塚はわかりませんでした。
蛙が多かったのでしょうか。
木内昇さんは男性だ思って読んでいました。
その他の作品も読んで見たいとは思いつつ、寄り道が多くて(読むのが遅いのが難点)たどり着けません。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年5月21日 (土) 11:24

こんにちは
 
かなり標高が高い場所に当たるのですね。1000m超えとは、
歩かれていて、普段より息切れするのではないかしらと思ってしまいます。
私が飛行機以外でいちばん高い所へ行ったのは、20代の時車で行った
富士五合目かもしれません。あの時は歩き回りませんでしたから
息苦しさなどは感じませんでしたが‥。
 
大河ドラマで、少し前に木曽義仲が登場していましたから、
木曽氏の菩提寺・徳音寺をとても感慨深く拝見しました。
途中移転したとはいえ、立派なお寺もお墓もちゃんと残っていて、
いまでは義仲と巴御前の象も。
頼朝に敗れ亡くなった後も、土地の人にずっと慕われ守られてきたのですね。
嫡男義高のこともドラマで初めて知りましたが、とても不憫に思いました。
木曽の地を拝見しながらドラマを思い起こすと、その時代に生きた人々が
より一層活き活きと蘇るように感じられるものですね。
ドラマでは登場するのはほとんど武家ばかりですが、もちろん庶民も。

投稿: ポージィ | 2022年5月21日 (土) 13:06

★ポージィさま

こんにちは。
富士山五合目は2400mでしょうか。
お中道を歩くとお庭という所に着きました。そうそう、5合目から富士山山頂を見たら低かったです。当たり前ですね。
森林限界で五合目より上は木がなかったように思います。とうとう富士山に登ることはなりませんでした。
が、中山道はずっと低いですが木曽から標高が高くなって涼しいです。(冬は人を寄せ付けませんんが)。
大河ドラマで義仲と巴御前が出てきましたね。まさしく宮ノ越は育ったところで、徳音寺で偲んできました。
土地の人は大切にするのは、あの吉良上野介の故郷でもとても大切にされていることからも伺われます。
仰るように武家の名前が殆どですが、時々地域の堤防を築くとかお上に陳情とかに尽くした人のことが出てきます。一般庶民は路傍の石像、地蔵や庚申塔、道祖神などにその信仰を見ますね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年5月21日 (土) 15:56

木曽義仲はこちらに縁が深いのに、一度も
お墓すらお参りしたこともありません。
距離は近いはずですが、有名な奈良井宿も
頭にありません。
代わりにこちらで拝見できてありがとうございます。

投稿: matsubara | 2022年5月21日 (土) 20:20

tonaさん、こんばんは~♪
中山道歩きは現地に着くまでが時間が掛かって大変そうですね。
今回の大河ドラマは見ていませんが、前に「平清盛」が放送されていた頃、
より理解したくて「平家物語」の現代語訳を読みました。
その中で、木曽義仲は倶利伽羅峠の戦いや鎌倉勢に討たれ最期等、
何度も物語に登場していたので、印象に残っています。
今回義仲ゆかりの菩提寺やお墓等を見せていただき感慨を新たにしました。
この時期の木曽川や新緑はとても美しいですね。
藪原宿は明治の大火で、宿並の大半が焼失してしまったそうですが、
街道の面影は十分伝わってきました。

投稿: hiro | 2022年5月21日 (土) 22:49

★matsubaraさま

木曽義仲と縁の深い宮ノ越宿と奈良井宿は間に藪原宿とそれに続く鳥居峠があるのですね。
歩いてみて位置関係がわかりました。
何時も机上の空論が多いですが、百聞は一見に如かずで良くわかる街道歩きになりました。
これが岐阜より京都奈良方面に向かうと歴史だらけで、あまりに多くてあわててしまいます。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年5月22日 (日) 08:43

★hiroさま

おはようございます♪
ここ木曽の長野県側のはずれと次回塩尻に向けては、本当に普通電車がこの時間帯1本もなくて到着が11時を大分回ってしまうのですね。ですから歩く時間が少なくなって、しかも駅に到着しなくてはという難題を抱えます。どうやら工夫でクリアできました。
木曽義仲始め、源義経など源姓は平家を倒したものの、源頼朝に起因するものが多いですが、全滅ですね。みんな悲劇でした。
標高が高いのでやっと山笑う季節をちょっと過ぎ新緑が美しいです。ここを歩いたのは去年の紅葉の時でしたので冬を通り越して丁度紅葉と新緑を見ることになりました。
甲州街道に比較したら、宿の様子がよく残っている木曽の中山道です。屋号札を掲げていることが微笑ましいです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年5月22日 (日) 08:54

今回、tonaさんが歩いた範囲は私は車でしたが行った覚えがあるので興味深く拝見させて頂きました。
私が木曽義仲に興味を持ったのは、この「義仲館」に入り誕生から亡くなるまでの迄を絵と動画も流してますし
その中の何場面は人形で再現してます。
詳細に渡っての説明に、面白くて長い時間を費やした覚えがあります。

徳音寺にも行きたかったのですが時間の関係上、奈良井宿に向かってしまいましたが
tonaさんの記事から、徳音寺に行かなかった事が悔やまれます。

藪原宿にはお六櫛問屋篠原商店や漆器店などの店構えを、江戸時代の面影を残すように推奨してるのでしょうね。

投稿: ラッシーママ | 2022年5月22日 (日) 20:15

こんばんは(^o^)/!
ご無沙汰しています (^_^;;アセッ!

中山道歩き再開されたのですね。宮ノ越や藪原はかつて何度も通ったところです。そして奈良井は4~5回訪れた大好きな宿場町です。学生時代に奈良井から鳥居峠を越えて藪原まで歩いたことがあります。

木曽と言えばやはり”義仲”ですよね。それと木祖村の『祖』の字・・・私も不思議に思っていました。

投稿: 慕辺未行 | 2022年5月22日 (日) 23:48

★ラッシーママさま

そういえば義仲館の中を見せていただいたように覚えています。
今回は峠越えで時間がなかったので寄りませんでした。
義仲の合戦の様子は興味深かったでしょうね。悲しいけれど。
徳音寺はすぐ隣でしたので残念でした。
義仲の母や巴三兄妹の墓までありました。
藪原宿も火事で焼けたのに江戸末期明治初めすれすれの古い建物が残っているのがいかにも街道を彷彿とさせられました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年5月23日 (月) 10:42

★慕辺未行さま

こんにちは。
御元気の事と思います。
宮ノ越、薮原は義仲関係とお六櫛で印象深く記憶に残ると思います。
というのも随分忘れてしまているところがあって、歩いた順番も忘れてしまった宿があるからです。
奈良井宿は前回たっぷり見ましたので、今回は思い出しながら通り過ぎただけと以前1回来ているので計3回と私も馴染みの宿になりました。
木祖の祖ですが、Wikiによりますと、「木曽郡を縦断する木曽川の源流の地であることから、木曽の祖という意味を込めて名付けられた」とありました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年5月23日 (月) 10:56

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