中山道22 男女倉口~和田宿~長久保宿(2)
街道に戻り、先を進むと和田宿の江戸見附。
ここに八幡神社がある。和田城主居館の鬼門除けにつくられたと伝承されている。
拝殿と覆屋を併合した入母屋造りの建物の神社は珍しいそうだ。手前は樹齢350年ほどのケヤキで保存樹林。
中の拝殿。
しばらく進むと手書きのアートです。
バンクシーもありました。上手い!
鳥居が低い若宮八幡神社。祭神は仁徳天皇だそうだ。
矢ヶ崎の戦いで信玄に滅ぼされた和田城主大井信定父子の墓と、元首相羽田孜氏の祖先である矢ヶ崎城代の羽田幸清の墓がある。
三千僧接待碑。江戸中期、慈眼寺の世話役だった百姓の田中欣弥が、諸国遍歴の僧らの苦難に同情し、篤い信仰心から自宅を宿泊所として接待した。その献身ぶりは「古今稀有奇篤の人」と伝わる。
みみず道祖神。この辺りの地名が蚯蚓(きゅういん)。ミミズ伝説が伝わっており、田んぼの奥には見つけられなかったが蚯蚓神社があるそうだ。この道祖神はお年寄りが小さいときにはなかったそうで新しいものだ。
下和田中組のバス停⑥ 格子が付いている。隣に大きな馬頭観音がある。
このあたり注連縄が巻かれた石像が多い。天王夜燈や西国三十三所巡礼供養塔などを見る。
「水名の里の碑」には石造物が並ぶ。このようにこの辺りも石仏がよく見られる。
新しいマンホール発見。旧長門町のマンホールで、町の木・花・鳥のカラマツ、ミツバツツジ、チョウゲンボウのデザイン。
四泊一里塚跡(48里目)。ここも榎が植えられていたそうだ。中山道は結構、塚が残っているところが多かった。
長久保宿が近づいてきた。
●長久保宿(27番目)。本陣1軒、脇本1軒、旅籠43軒。
東に笠取峠、西に和田峠を控え、善光寺へ通じる上田道の追分でもあり賑わったそうだ。
このまま進む横町が途中からL字型に曲がって竪町が形成されるという珍しい宿場である。
鍵の手があって曲がった横町バス停あたりが宿の京方見附である。
辰野屋(竹重家)は江戸末頃の大旅籠で卯建のある立派な建物。屋号札も付いている。
問屋の小林家。明治3年大火後の建築で、谷文晁が描いた恵比寿と大黒があるという。
釜鳴屋(竹内家住宅)は、江戸時代初期から酒造業と醤油の醸造業をしており、うだつが上がる。長野県内最古の町家建築。
高札場の復元(この前には脇本陣跡がある)とその右が旧本陣石合家。
長久保宿創設当初から、江戸時代を通じて本陣と問屋を勤め、4代目当主のもとには真田信繁(幸村)の娘が嫁いでいる。非公開。
一福処濱屋。
明治初期に旅籠として建てられれたものの、開業には至らなかったという。出梁造りである。中の資料館は次回に見学する。
この前のベンチで、途中のセブンイレブンで買った栗あんどら焼を食べ、バス乗り場へと戻る。
今朝乗り換えた長和町の停留所から1時間かかって上田駅到着。今朝と逆コースで家に9時ごろ到着。
晩御飯はお寿司。お土産はくるみゆべし。 約37600歩。目的地まで時間がかかって歩く時間が少なかった。
(完)
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コメント
御嶽海の名札もありましたね。
私も応援してますが、怪我をして治らないうちに出場したのが、ちょっと腹立たしかった相撲です。
相手にも失礼ですよね。
なんてブログ記事と関係ない話でごめんなさい。
投稿: 佐平次 | 2022年7月22日 (金) 09:56
こんにちは
トップのお写真の木が、大きそうだなーと気になりましたら、
ケヤキで樹齢350年にもなるのですね。幹だけでも風格感じます。
元首相の羽田孜氏がこの辺りのご出身だったことはtonaさんの記事で
初めて知りました。戦国時代武田信玄と関わりがあったのですね。
そういえばご長男は新型コロナによる肺炎?で急死された
のだったと思い出しました。
蚯蚓(きゅういん)神社とミミズ伝説とは??
ミミズは田畑の土作りにとってありがたい存在だからでしょうか。
検索してみましたら、山の方にあった神社に辿り着いた方の記事を
発見しました。tonaさんが撮られた石碑のミミズは衣装を着て
ダンスを踊っているみたいですね。
私にとって蚯蚓神社のインパクトがなぜかとても強くて、
その後の宿の様子を素通りしてしまいそうでした(^^;)
ラストはくるみ柚餅子。美味しいですよね、好きです~
投稿: ポージィ | 2022年7月22日 (金) 11:16
相変わらず元気に歩いてらっしゃいますね。
茅葺き屋根のバス停、可愛らしいですね。
合掌作りの家の茅葺きは、葺き替えに何千万もかかるらしいですが
ここの費用はどうしているのでしょうね?
小さいからなんてことないのかな?
投稿: zooey | 2022年7月22日 (金) 18:40
★佐平次さま
御嶽海の故郷は木曽でもう木曽から離れたのにこのようにみんな応援しているのだと。
私も木曽を歩いてからそれとなく気にしています。
歩かなかったら応援していなかったです。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2022年7月22日 (金) 18:49
★ポージィさま
こんばんは。
巨樹を感じていただけたのですね。
甲州街道からこの方、巨樹が多かったです。
羽田氏のご長男はその通りでしたね。まさか亡くなるなんて、お若いのに。
昔、連日の長雨で北沢山が崩壊し、泥流が一面に溢れた。巨大なミミズに神秘と畏怖を抱き、神として蚯蚓神社に祀った・・と書いてありました。
ポージィさんは調べてくださったのですね。
私達はその蚯蚓神社に辿り着けなかったのです。
蚯蚓の道祖神は蚯蚓と見えなかったです。
蚯蚓は細長いので小さいときは怖かったですが、土をよくするという事でもう怖いことは無くなりました。
胡桃柚餅子はとても美味しいですね。長野県ならではですね。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2022年7月22日 (金) 19:07
★zooeyさま
茅葺のバス停は3つ見たでしょうか。
合掌造りのイメージがありますのでお金がかかりそうに思いましたが、小さいので、それほどでもないかなあ。しかしこれだけでもかなり必要ですし屋根をふく職人が必要でしょうか。すべて??です。
ちょっと忘れれないバス停でした。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2022年7月22日 (金) 19:12
まさに日本の原風景ですね!小生も次回は2年前の夏に周遊した木曽路の写真をそろそろ蔵出ししようかなと思っています。
投稿: ローリングウエスト | 2022年7月22日 (金) 21:30
若宮八幡神社の背の低い鳥居の「貫(ぬき)」が少し湾曲して見えます。
この様な湾曲を初めて見ました。
錯覚でしょうか。
投稿: gaki | 2022年7月22日 (金) 21:48
★ローリングウエストさま
上田、佐久、和田のあたりの風景ですね。
初めてです。山はありますが浅間など遠くに見えます。木曽とはまた全然違った長野県でありました。
ローリングウエストさんの記事も楽しみにしていますね。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2022年7月23日 (土) 10:10
★gakiさま
ご指摘の箇所、娘の写真も見ましたが、同じく曲がっておりました。
全然気が付かなく(大体殆どなんでも気が付かないのです)通り越してきました。珍しいのでしょうか。それとも何らかの加減で曲がってしまった?のでしょうかね。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2022年7月23日 (土) 10:20
こんにちは。みみず道祖神なるものがあるのですね。ビックリです。
投稿: 多摩NTの住人 | 2022年7月23日 (土) 15:47
★多摩NTの住人さま
こんにちは。
長野県では双胎道祖神に気を取られていましたが、みみずとは!驚きましね。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2022年7月23日 (土) 16:50
街道筋のバス停の建物がいい感じですね
わらぶき屋根あり格子戸つきありと
それぞれに工夫を凝らしていて楽しませています。
維持も大変でしょうが皆で守っているのでしょうね。
珍しいミミズを祀る神社やミミズ道祖信など
この辺りではミミズの恩恵が大きかったのでしょうか。
ミミズは蚯蚓と書くというのも今回はじめて知りました。
投稿: ビオラ | 2022年7月23日 (土) 21:07
★ビオラさま
小県(ちいさがた)郡の長和町はこの停留所でしっかり覚えました。
どれもみんな可愛いです。
都会では地域を守る意識が薄いですが、地域を盛り上げたり守っていこうとする意識は凄いものがあると思います。
ミミズは畑の土壌をよくするのですから大切な生き物ですね。
山の崩壊で沢山のミミズが出てきてそれを祀ったのが神社が出来たことだそうですが。珍しいですね。全国でもここだけでしょうか。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2022年7月24日 (日) 09:12
一日で37600歩とは凄いなあと感服です。
Saas-Feeの風が19日から2泊3日の旅に出た間の
歩数は22000歩(3日間で)ほどでした。
手書きアートが面白いです。
写真を一見したときには一点一点がホーロー製の看板と思いました。
とんがり帽子屋根のバス停も好いですね。
鐘の鳴る丘のとんがり帽子を思い出しました。
あちらは時計台ですね。
宿場町に人影がありませんね。
そういう時間帯だったのでしょうか。
中山道には高札場が多いですね。
何度か前を通りましたよ。
投稿: Saas-Feeの風 | 2022年7月24日 (日) 16:22
★Saas-Feeの風さま
こんばんは。
私も登山の時は1万歩を少し出るだけです。
2泊3日の旅ですとそのような歩数なのですね。
確かに私も見るために歩きますがそんなに歩いていないのですね。名所を見ているのですから。
手書きアートは完全に騙されました。ホーロー製の板看板かと。そばによりますと違ったのですね。どんな方が描いたのかしら。
♪「緑の丘の赤い屋根、とんがり帽子の時計台・・・」を思い起こすバス停でした。
時計の付いたバス停もどこかで見ましたっけ。
和田宿はお昼、長久保宿は4時~5時の間です。兎に角人がいませんので、ノーマスクで歩けました。
高札場は殆ど復元ですね。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2022年7月24日 (日) 18:44
こんばんは(^o^)/!
またまたご無沙汰しております (^_^;;アセッ!
中山道・・以前は現在のJR中央線沿いにある国道辺りだと思っていたのですが、本当はずっと大回りしているのですよね?!
よくよく考えてみると、ヤマトタケルノミコトの東征の帰り道のような気がします。
江戸・日本橋まであと数回でしょうか?頑張って歩き通せることを祈りながら、声援を送ります!
投稿: 慕辺未行 | 2022年7月24日 (日) 23:49
★慕辺未行さま
おはようございます。
暑くていろいろお忙しいでしょうが大丈夫でしょうか。
小海線と篠ノ井線の間の道、こんな所に足を踏み込むなんて。今度は新幹線の上田まわりになりました。島崎藤村の歌にある佐久ですね。
ヤマトタケルの通った道を全然知りませんで時々歩くと出てきますね。
まだぐーたらしていて書いていませんがこの時から2度歩きまして軽井沢に到着しました。碓氷峠ですがヒルが出るそうで気温が20度以下にならないとだめみたいです。ですから飛ばして横川から安中まで。その後は地図がまだ出来ていないのです。
本当に江戸まで歩けるかです。応援ありがとうございます。励みにいたします。
投稿: tona | 2022年7月25日 (月) 08:15
叢の中の芭蕉の句碑が風情がありますね。
一日に3万歩以上とは途方もない数字ですね。
健脚力がすばらしいです。
くるみゆべしは当地でも手に入りますが
やはり、本物にまさるものはないですね。
投稿: matsubara | 2022年7月25日 (月) 09:31
★matsubaraさま
芭蕉の句碑には風化して何が彫ってあるかわからないことがあります。説明板や説明書などで知ることが多いです。
長野県に入って、お蕎麦も頂きましたし、美味しさが違うのですね。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2022年7月25日 (月) 19:31
tonaさん、おはようございます♪
羽田孜氏が亡くなったことは知っていましたが、ご長男までも亡くなられて
いたとは知りませんでした。確かお父様も後を継いで国会議員をされて
いたと思うのですが、まだお若いですよね。
三千僧接待碑を拝見して、こんなお百姓さんもいたのだと感動しました。
田んぼの中に大日堂も珍しいですね。
バス停⑤⓺⑦⑧はどれもユニークで面白かったです。
投稿: hiro | 2022年7月26日 (火) 08:36
★hiroさま
こんばんは♪
羽田氏のご長男はコロナで亡くなったのでしたね。50代のようでした。
四国八十八ケ所巡りでは御接待をされている方が多いそうですが、あの時代に旅人の世話をされた方がここにいらしたという事に驚きました。本当に偉い方ですね。
田んぼの中の大日堂は見つからなかったのですが、畑仕事をしていたご夫婦が親切に教えてくださいました。こんなところにと珍しい場所にありました。
バス停ばかりに目が行ってしまいました。
面白い街道でした。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2022年7月26日 (火) 19:09
流石に和宮様降嫁の折に使われた「中山道」、、、
歴史的建造物がたくさん残っているようですね。
バスの停留所を見ただけでも、公のレガシーの積極的「保存」の意識が分かります。
そんな中での新しいお墓!、羽田孜氏のお墓が目を惹きました。
彼が表舞台に出ていた頃は、日本の政治も大変化するのではと、少々の期待もした覚えがありますが・・・
あっと言う間にしぼんでしましましたね。
ご長男がコロナで亡くなったニュースを思い出しました。
時間がなくての約37600歩!
時間があったら40000歩も歩けるtonaさんは凄いです。
投稿: nao♪ | 2022年7月27日 (水) 15:00
★nao♪さま
そうですね。もし和宮様降嫁がなかったら火事で焼けてすぐそのまま復興するという事がなかったわけですね。
立派に残っている宿が多かったです。
羽田氏は数ヶ月で終わってしまいましたね。
息子さんはコロナで亡くなってしまわれたし。nao♪さんは記憶力が抜群ですね。
中山道の道筋に立派な新しいお墓があったのですよ。ご先祖がこちらの偉い方とは知りませんでした。
歩き慣れましたが、腰と背中や膝裏辺りが痛くなることがあって湿布とサポーターをして歩いています。見えないのが助かっています。やはり登山の方が大変ですよ。最近はしなくなりました。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2022年7月27日 (水) 17:03