« 幸田文著『木』 | トップページ | 中山道22 男女倉口~和田宿~長久保宿(2) »

2022年7月15日 (金)

中山道22 男女倉口~和田宿~長久保宿(1)

6/7(火)曇り時々雨
和田峠を越えるときは男女倉口からだった。その時は都合でタクシーだった。
今回は男女倉口から反対の江戸側に向けて出発です。4時40分起床で、地元駅から武蔵野線周りで大宮へ。北陸新幹線に乗り、上田で降り、8:15のJRのバスで終点長久保まで1時間。990円。そこで5分後発の男女倉口までバスで25分(こちらは無料チケット、多分990円に含まれるのか)。標高1100mで涼しい。バス停から少し先を右に曲がったところがこの間の峠越えの登山口だ。
先ほど乗リ変えた長久保からここまでバスでは25分間であったが、これから1日かけて歩き出す。峠からこちらは小県郡長和町だ。ここは黒耀石が全国的に有名な町でもある。
この区間には屋根付きのバス停がいろいろあって、それがなかなか可愛いので、写真を撮って、今日はバス停コレクションを愉しむ。ちなみに男女倉口にはなかった。
1_20220715201901

旧道に入っていく。
唐沢一里塚(51里目)。両塚残っている。
4_20220715202001

バス停撮影①唐沢バス停。屋根が神社風(千木に似たのが付いているので)。
5_20220715202001

羽田貞義翁碑。元首相の羽田孜氏の祖父。
上からぶら下がっているのがニセアカシア(ハリエンジュ)でバスから見る山や沿道が埋め尽くされていた。
6_20220715202101

依田川を一之橋で渡る。昨日の雨で水量が多い。
7_20220715202101

扉峠口バス停②は分厚い茅葺きの屋根だ。
8_20220715202101

この道も双体道祖神が多い。
9_20220715202201

大出集落。
11_20220715202201

大出バス停③。茅葺きでこれも神社風で立派。
12_20220715202301

鍛冶足一里塚跡(50里目)と道標。
13_20220715202301

壊れそうなこんなバス停④もあった。
14_20220715202301

高札場跡が和田宿の京方見附で和田宿に入ってきた。

●和田宿(28番目) 本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠28軒。下諏訪宿から21.6㎞、長久保宿まで7.9㎞。

和田峠を越え、下諏訪宿から21.6㎞と距離があったため旅人で賑わった。
文久元年(1861)の大火で宿の3分の2程が焼失。和宮の通行も控えていたため、突貫工事で復旧した。現在も旧本陣や古い家屋が修理保全されて公開されている。街道の往時の家の様子をたくさん見ることが出来る立派な宿である。

この宿も各家に屋号札がかかっていて力を入れていることがわかる。それがまた大きいのだ。
15_20220715202701

万屋。うだつが上がる。江戸時代は質屋兼両替だった。
16_20220715202701

大火を免れたなが井の医薬門(横から)。
17_20220715202801

脇本陣跡の所から。新海神社に上ると両部鳥居の向こうに和田宿が見えた。神社の奥へ登ると和田城址があるとのこと。
18_20220715202901

信州に入ってから最近はずっと昼食はお蕎麦。今日はざるくるみそばともつ煮。
19_20220715203001

街道にもどり、本陣へ。国史跡。大火後和宮降嫁のため幕府の拝借金を得て、8ヶ月で再建。4か所共通観覧券300円。
こちらは御入門。
20_20220715203101
ここにも和宮様のことが展示されていた。行列の総人数が8万人で先頭が次の長久保宿に着いた頃、最後部は9㎞離れたこの和田宿にいたそうで。部屋はそのため大変立派である。
22_20220715203301
21_20220715203401

羽田野は大火のあとに平入出桁旅籠型伝統的遺構で、名主羽田家の役宅であった。今はお蕎麦屋さん。
23_20220715203501

街道らしい眺め。出桁造りの家が並ぶ。
24_20220715203501

旧旅籠大黒屋跡にも入場。
25_20220715203601
26_20220715203601

旧旅籠かわちや。国史跡。本陣と同様に再建され、同じくボランティアさんの説明を聞く。出桁造りで格子戸がある。
27_20220715203701
庭もなかなか立派な旅籠。
28_20220715203801
旅籠ではあるが、上段の間がある。
29_20220715203801

旧和田村のマンホール。広重の木曽海道和田のデザイン。
30_20220715203801

少し戻って信定寺に寄る。1552年創建で当時の和田城主・大井定信の菩提寺という事だ。山門を兼ねた二層の楼門が立派だ。大井定信は1553年に武田晴信(信玄)の猛攻で討ち死にする。
31_20220715203901
本堂の中を特別に見せていただた。
32_20220715203901


(続く)

| |

« 幸田文著『木』 | トップページ | 中山道22 男女倉口~和田宿~長久保宿(2) »

コメント

バス停は自治体で作っているのでしょうね。
すばらしいです。

投稿: 佐平次 | 2022年7月16日 (土) 11:29

こんにちは
 
起床時間の早いこと!電車にバスを乗り継いでやっとスタート地点
でいらっしゃいますね。でも、途中の長いバス道中もちょっと楽しそう
でもあります。
バス停の立派さにはびっくりです。こんな待合所は初めて見ました。
茅葺など維持が大変そうですけれど、風情があって良いですね。
和田宿も3分の2が焼失してしまったとのことですが、再建されるなどして
現在こうして多くの昔の建物から往時を偲べるのはありがたいですね。
信定寺の雰囲気が何だかとても心地良く感じられました。
お昼に食べられた「ざるくるみそば」は、つけ汁にクルミが
入っているのでしょうか。香ばしく美味しそうです。

投稿: ポージィ | 2022年7月16日 (土) 12:09

★佐平次さま

JRのバスですが、この区間だけ面白いのがあったので、長和町なのでしょうね。
黒耀石がとれるそうですので潤っているのでしょうか。
一日に正常に運転されるのは3~4本ですのに。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年7月16日 (土) 14:29

★ポージィさま

こんにちは。
東海道新幹線に乗るときとほとんど変わらず早起きしないと歩き出しが遅くなります。
バスは私たちの他に二人しかいなくて途中で降りますので殆ど独占状態です。
両方で約1時間半かけて到着しました。
景色も良く舗装されていますから確かにバスも楽しいです。
茅葺のバス停は初めてです。小ぶりとはいえ維持費がかかるのでしょうね。
和田宿は和宮様降嫁の8ヶ月前に焼失して、すぐ建てるように言われたので、明治になっても焼失することなく立派な本陣や旅籠がそのまま残ったのでラッキーなことでした。当時のそのままを見ることが出来ました。
信定寺は門も立派ですし花頭窓の見える本堂も中が立派で、お庭も緑豊かで、親切なお坊さんがいらして嬉しかったです。

胡桃そばはおっしゃる通りつけ汁に胡桃の刻んだのがたくさん入っていまして美味しかったです。さすが長野県です。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年7月16日 (土) 14:48

和宮のお輿入れの行列は8万人もいて、
馬も二千頭とは驚くべき規模でしたね。
想像もできません。
往時を偲びながら旅されるのも素晴らしい
ことです。
昔の旅籠を見るのも暑さを忘れられますね。

投稿: matsubara | 2022年7月17日 (日) 08:35

★matsubaraさま

そうなのですね。あまりに多人数で身分の高い人だけの分でも宿泊や食事を用意するのがどれほど大変だったか。中山道沿いの宿はさぞかし大変だったと思われました。
本陣や立派な旅籠の中の様子を見るにつけ、matsubaraさまのお宅を思い出しました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年7月17日 (日) 08:53

tonaさん、こんにちは~♪
上田で下車し、そこからバスだけでも1時間25分もかかるのですね。
往復だけでも大変なのに、よく歩かれましたね。
元羽田首相の地元が長野だということは知っていましたが、
こんなに山深い里だったのですね。
石碑も建つくらいなので、相当の名士の家系なのでしょうね。
6月はニセアカシアの昨シーズンですね。山梨や北海道でもよく見ました。
屋根付きのバス停、趣がありますね。冬は雪も多いのでしょうね。
和田宿、江戸時代は栄えていたのでしょうね。
たくさんの建造物が残されているので、一度訪ねてみたいです。
お蕎麦も美味しそうですね。

投稿: hiro | 2022年7月17日 (日) 10:41

★hiroさま

こんにちは♪
元羽田首相の祖先は次回に書きますが、城代(ご存じでしょうが殿様が江戸に行っている間の代理で一番偉い家来)の家柄です。
私はこんな奥深いところの出身とは知りませんでした。元首相のお墓もありました。

ニセアカシアの香りもしていました。
冬は和田峠は閉鎖になるくらいですから、雪深いようです。バス停に茅葺は雪にも良いのですね。全然考えませんでした。
和田宿は地理的条件で栄えていたようですね。
長野県はお蕎麦が美味しいです。チコちゃんで蕎麦湯を何で呑むのかというのをやっていて、山ばかりで田畑の少ない長野県は食物が大変だったことを知りました。お蕎麦は痩せた土地で出来ますしお蕎麦の文化が育ったことも納得です。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年7月17日 (日) 16:59

屋根付きのバス停が色々あるとの事、なるほど見れば思わず気持ちがホッコリさせられるような可愛いバス停ですね。
和宮降嫁のため行列の総人数が8万人、最後部は9キロも離れた宿にいたとは一体どれだけのお金を使って降嫁させたのでしょう、想像もできません。

信定寺は本堂の中を特別に見せてくれたのですか。

投稿: ラッシーママ | 2022年7月17日 (日) 21:19

★ラッシーママさま

おはようございます。
お帰りになったのですね。
バス停、特に茅葺のには随分手入やお金がかかるなあと感心させられました。
一日に数本しかないけど、寒い冬に入口が閉まって暖まるような待合室ですね。
和宮降嫁には随分人とお金がかかったでしょう。もう想像もつきません。
マリーアントワネットがフランスへ嫁入りの時はそんな話は聞いてないです。日本独特の物でしょうか。
殆どのお寺は見せてもらえません。東海道で一度会ったことを思い出しました。
これから出かけてきます。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年7月18日 (月) 06:47

 朝早くからお疲れ様です。
街道歩きに賭ける情熱に頭が下がります。
下界は暑いですが、この辺は涼しく、快適に歩かれた様ですね。
バス停面白いですね。
北海道でお洒落な建物付きのバス停を沢山見た場所がありましたが、コチラのバス停は和風なんですね。
洋風より和風の方が手がかかると思うのですが、素敵なバス停です。
和田宿は昔ながらの雰囲気が残っているのですね。
覗いてみたくなる宿場町です。

投稿: ☆銀河☆ | 2022年7月18日 (月) 16:59

★ ☆銀河☆さま

長野県の木曽から標高が上がって涼しいです。
いよいよ新幹線利用になって朝が早くなりました。あずさは1号が7時代ですから遅くて済んだのですが。
バス停探し、気に入っしまいました。
街道歩きにこんなことが加わるなんて思ってもみませんでした。
北海道もそうなのですか!
和田宿はなかなか見学ヶ所も多くまた江戸時代末期のが残っていますので、面白かったです。
はい、街道にのめり込みました。5街道完歩するまで足が動くかが目下の問題です。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年7月18日 (月) 21:31

こんにちは。本当に街道らしい眺めが続きますね。信州ではやはりお蕎麦は当然ですね。

投稿: 多摩NTの住人 | 2022年7月21日 (木) 17:20

★多摩NTの住人さま

今晩は。
コメントありがとうございます。
街道の宿場の跡が残っているところはいいですね。
しかしどこも火事で散々な目に何度も遭っても不死身の精神で立ち上がっています。
今も様々な震災に、いえいえ一番凄かったのが第2次世界大戦後でした。少し覚えています。

投稿: tona | 2022年7月21日 (木) 20:00

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 幸田文著『木』 | トップページ | 中山道22 男女倉口~和田宿~長久保宿(2) »