中山道25 塩名田宿~岩村田宿~小田井宿~追分宿~沓掛宿~軽井沢駅(3)
●追分宿(20番目)本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠35軒。小田井宿から5.0km、水掛宿まで4.3km。
標高1000mで中山道の宿場で最も高い。この日おまけに雨が降っていたので涼しさを通り越して寒いくらいであった。
追分は勤務した学校の寮があったので夏期学校やクラブ活動引率で毎夏来ていた懐かしい、思い出深いところだ。今はその寮もない。堀辰雄の別荘を覗き見したり、小川でクレソンを収穫して持ち帰りお浸しにしたりした。散歩道にはいろいろな高原の花が咲いていたが、今日も同じく変わらないで咲いていた。
入口に枡形茶屋つがるやが往時の姿で残る。
すぐ左に泉洞寺(曹洞宗)がある。新しいけれど面白い地蔵さんがあるお寺
山門手前脇には六地蔵の他如意輪観音、馬頭観音、青面金剛の庚申塔等が並んでいるのが見える。
氷環(カーリング)地蔵尊。カーリング専用リンクは日本に13あり、長野県には御代田町と軽井沢町に造られ、1998年の長野オリンピックで実施されたそうだ。そばには卓球地蔵もいた。
「おべんきょう えーと、わかったかな地蔵尊」「おべんきょう はいはいちょっとまってね地蔵尊」
「さあさあ 一杯やっぺぇー地蔵尊」
これは「歯痛地蔵」。堀辰雄が愛した石仏で、名作の一つ『樹下』(大和路、信濃路)の文中にあるそうだ。
脇本陣は油屋が務めていたが、その後向かいに旅籠油屋として営業していた。川端康成など多くの文士が利用し、堀辰雄の『風立ちぬ』はここで執筆された。
ところが2009年に修復改装され、喫茶店や本屋などが入居して、寮に行っていた頃の面影はすっかりなくなっていた。
あずまやがあったので、佐久で買ったお菓子(餡子とカスタード)を食べるため休憩。
昇進橋で追分宿を出る。
浅間神社は江戸時代の浅間山、石尊山への入り口だった。大きな芭蕉句碑があった。「吹き飛ばす 石も浅間の 野分哉」
追分宿郷土館の前にも、前に見たと同じ3mの馬頭観音があったが、軽井沢町最大の大きさだそうだ。この後も次々と現れる。
道を上がっていくと追分一里塚がある。39里目。雨のためもう片方は写せない。
標高1003メートルの標識。気温18度。
下仁田街道の分岐点である間の宿のような借宿に来た。古い街並みが残っている。
これは高札場跡の隣の黄壁布屋。米問屋だった土屋家である。
借宿では米の他、色々な品物を下仁田や小諸に運ぶため、村の60%が馬を飼っていたという。だから馬頭観音だらけなのでしょうか。
遠近宮(おちこちのみや)。伊勢物語の主人公として登場する在原業平が詠んだ和歌から、在原遠近宮と名前が改められたという。「信濃なる浅間の岳に立つけぶり、をちこち人の見やはとがめぬ」。安産の神。
軽井沢町のカラー版のマンホールがあった。噴煙を上げる浅間山と白樺の木が描かれる。
沓掛宿に入ってきた。今の中軽井沢である。
●沓掛宿(19番目)。本陣1軒、脇本陣3軒、旅籠17軒。追分宿から4.3㎞、軽井沢宿まで4.5㎞。
安永2年(1773)の大火、そして天明3年(1783)の浅間山の大噴火で壊滅的な被害を受けた。南から現在地に移転。皇女和宮はこの沓掛宿の土屋本陣に宿泊している。さらに1951年にも大火があり宿場の面影は何も残っていなかった。
長倉神社。沓掛時次郎の碑はずっと奥のようで見に行けなかった。
というわけで水掛宿は長倉神社の撮影だけで終わる。沓掛宿を出る。
しなの鉄道の線路をくぐり、少し駅方面に歩いたところに宮之前一里塚跡碑(38里目)があった。
雨宮御殿。雨宮敬次郎は荒地だった軽井沢に700万本のカラマツを植えたそうだ。伊藤博文をはじめ、政府、財界の大物がこの屋敷に宿泊したそうだ。
雲場の池が近い六本辻でこの日の中山道歩きを終了し、駅へ向かう。
新幹線の軽井沢駅。時計が丁度6時を指している。
今日の夕食はおにぎりなどを買い新幹線で食べる。
6時55分発の新幹線に乗り、大宮着が7時35分で40分しかなく食事も忙しい。家には8時40分近くに着いた。
本日は約56000歩。街道歩きでは第1位の記録になった。第2位が箱根~沼津で約53600歩でしたから。
今回も長い道中をお付き合いいただきありがとうございました。
(完)
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コメント
気絶しそうな歩行数です。
いろんな地蔵さん、楽しいですね。
投稿: 佐平次 | 2022年8月31日 (水) 10:01
こんにちは
雨のお天気になってしまったこの回、何と56000歩にも
なられたのですか。絶句…です。たくさん歩かれましたね。
追分宿はtonaさんにとってとても懐かしい地でもあるのですね。
きっと当時も素適な雰囲気だったでしょうけれど、色々様変わりした
現在も素適な雰囲気ですね。
現代風な面白いお地蔵さんたちには笑えました。
各地の先輩お地蔵さんたちが世の中変わったものだねぇと
びっくりしていそうです。
1000m超に位置するのですね。雨のせいもあったかもしれませんが、
気温18℃は予想以下でした。
お疲れさまでした。
投稿: ポージィ | 2022年8月31日 (水) 10:46
★佐平次さま
もう一度歩けと言われてももう無理です。
近所を歩くのは5000歩も飽きていていやになるほどです。街道歩きと近所歩きは全然心意気が違いますね。
古い地蔵だけでなく現代を反映した地蔵なども楽しむことにしています。
「一杯やっぺぇー地蔵尊」には大笑いです。ありがとうございました。
投稿: tona | 2022年8月31日 (水) 13:25
★ポージィさま
こんにちは。
雨が降ったのでお花を撮ったりして時間を喰ってしまうのが、寄り道も少なく、軽井沢まで行ってしまいました。本当は中軽井沢までが予定に組まれていたのですが。自分でもよく歩いたとびっくりです。
昔は追分にも学校の寮がたくさんあるだけでなく、別荘も多かったです。街道の両側は家が新しくなって様変わりでした。
新しいお地蔵さんを造って楽しませるお寺を随分見ました。ここのも笑わせられました。
先輩株の江戸時代のお地蔵さんたち、仰るようにびっくりでしょう!・・とポージィさんの発想にびっくりするtonaです。
30度超えの世界から18度は寒かったです。
ああ、軽井沢に別荘があったらなあと、暑さに弱いので、毎年叫んであきれられています。家の冷房代金の方が比較にならないほど安いではないかと。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2022年8月31日 (水) 13:43
こんにちは。カーリング地蔵とは面白いですね。カーリングを始めてTVで見た時、『これがオリンピック競技か?』と思いましたが、約10年前に実際にカーリング体験をして、『これは面白い』と納得しました。とても難しい競技です。
投稿: 多摩NTの住人 | 2022年8月31日 (水) 17:54
追分はtonaさんにとって懐かしい場所だったのですね。
泉洞寺(曹洞宗)には面白いお地蔵さんが沢山あるのですね。
毎回、凄い長さを歩くと思ってましたが、今回が約56000歩で街道歩きでは第1位の記録になったのですか。
見た目は細くてか弱そうに見えますが実際は凄過ぎて、何処にそんな力があるのでしょう。
驚嘆しまくりです。
投稿: ラッシーママ | 2022年8月31日 (水) 19:58
★多摩NTの住人さま
こんばんは。
カーリングはオリンピックの時に見て、難しくてわからないところがありました。
実際にされて面白くも難しかったのですね。良い体験をされました。やったという人は初めてです。
長野オリンピックでもやっていて軽井沢と御代田町が会場とは知りませんでした。
このお地蔵さんも可愛いです。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2022年8月31日 (水) 20:49
★ラッシーママさま
初めての追分は約60年前になりますね。
とても懐かしかったです。
このお寺のお地蔵さんには笑ってしまいました。
6年前から、実際にも見た目通りで結構体が弱くて、1年に何回も寝込んでいます。最近は熱中症にかかったのはこの間申し上げた通りです。
でも歩くときは元気に頑張れるのです。我ながら不思議。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2022年8月31日 (水) 20:59
こちらの芭蕉の句碑は、味わいがありまして
よろしいですね。
岐阜にもありますが、似たようなものばかりです。
軽井沢のマンホールのふたを見て驚いたのは
市章が神戸市とそっくりなことです。
投稿: matsubara | 2022年9月 1日 (木) 08:14
★matsubaraさま
芭蕉の句、確かに味わい深いですね。
在原業平のも浅間山で神社の名前までなって面白いです。
マンホールの神戸市の市章を見ましたら、本当にそっくりですね。よく気が付かれましたね。観察眼が鋭いのに驚きます。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2022年9月 1日 (木) 10:51
tonaさん、こんばんは~♪
標高の高い場所で雨に降られると寒いですよね。
昔、乗鞍に行った時がそうで、8月中旬でしたが、
寒さで立っていられないほどでした。
追分宿は、夏期学校やクラブ活動引率で毎夏来ていた
懐かしい地だったのですね。
tonaさんが先生をされていたこと、初めて知りました。
泉洞寺のお地蔵さんはユニークなものが多いですね。
多くの文士が利用していたという旅籠油屋、
今でも別の形で営業しているそうですが、機会があれば
一度は訪ねてみたいです。
沓掛時次郎の名前は聞いたことがありますが、
どんな人物だったのかは忘れました。
お土産のお菓子、美味しそうですね。
一日で約56000歩も歩かれたのですか。
tonaさんの健脚ぶりに拍手です。
投稿: hiro | 2022年9月 3日 (土) 23:44
★hiroさま
こんにちは。
私は乗鞍は晴れていましたので寒さを感じませんでしたが雨ですと標高が上がると寒かったでしょうね。悪くすると低体温症になることはトムラウシ事件で知りました。
はい、途中抜けが夫の転勤などで2回ほどあったのですが62歳まで勤めることが出来ました。この時は女子校でしたので穏やかで良かったです。
その後不況やいろいろな事情で殆ど寮がなくなりました。寮のあった頃に学んだ生徒たちは貴重な体験をして良かったのではと思います。油屋は昔は古びた旅籠(旅館)でした。今のきれいになったことに驚いてしまいました。
この日は泉洞寺のお地蔵さんを愉しみました。たまにはこういう事もないと。
お菓子は似たようなものが多いですがその土地の産物を使ったものも多いです。これが楽しみなのです。
沓掛時次郎は時代劇と任侠ものの二つの性格を持った作品でたくさん映画化されましたが、内容は全然知りません。名前だけ覚えていました。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2022年9月 4日 (日) 09:52
56000歩ですか。
凄いですねえ!
私は普段1~2万歩くらいは歩いていたのですが
相棒のタロウが段々距離歩けなくなって来て
数千歩止まりになってしまいました。
寂しいですが、仕方ないですね。
投稿: zooey | 2022年9月 6日 (火) 07:39
★zooeyさま ありがとうございます。
そうですか。タロウ君も年老いても頑張って散歩しているんですね。2万歩も歩いていたのですか。
私と同じで「頑張って太郎君」です。
私もいつだめになるか、毎回が勝負です。
ホント、仕方ないですね。ここまで来ただけでもありがたいです。
投稿: tona | 2022年9月 6日 (火) 08:51
まず56000歩にびっくりです。
標高1000m、肌寒い雨の中をでしょう?
一日にそんなに歩くお元気さに感服です。
tonaさんにとって思い出の地でもある追分は
当時のおもかげを残す部分と変わった部分など
一段と感慨深いものがおありだったことでしょう。
古い由緒あるお地蔵様も有難く拝見ですが
今風の風刺も効いたお地蔵様は楽しくていいですね。
名前の付け方も絶妙です。
投稿: ビオラ | 2022年9月 6日 (火) 16:58
★ビオラさま
自分でも驚きました。
私は暑さに弱くて、この日涼しかったので歩けました。これ以上は無理、これが限度ですね。若かったらもう少し行けるでしょか。
昔は今より条件の悪い旅支度や旅事情で女性も30㎞歩いたのですから。しかも毎日。
私は一日だけで終わりですから。
確かに街道中唯一宿泊数が多く、辺りをあちらこちら歩いた追分は感慨深かったです。あれ以来ですから余計。
以前、読み書きパソコン地蔵も面白かったですが一杯やっぺぇ地蔵には笑えました。
仰るように名前の付け方がなかなかですね。
何でも古い石像の方が有難く思えるものですが、新しいものもそれなりにお寺の頑張りが見えて熱心にお参りしたりしています。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2022年9月 6日 (火) 19:40