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2022年8月26日 (金)

中山道25 塩名田宿~岩村田宿~小田井宿~追分宿~沓掛宿~軽井沢駅(2)

●小田井宿(21番目)岩村田から4.7㎞、追分まで5.0㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠5軒。岩村田藩領。
 大名行列が追分に宿泊したので飯盛女が多く、女性がそれを避けて小田井に多く宿泊したので、「姫の宿」とも言われる。
この宿に江戸時代の建物が多く残るのは鉄道が通るのに反対し、御代田駅が2㎞北東に造られたからだ。建物は非公開が多い。
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尾台家が勤めた下問屋場跡。
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旅籠大黒屋。元禄年間の建築様式。玄関に大戸を持つ。
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下問屋場跡(安川家住宅)。江戸後期のもの。切妻造り。
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本陣跡(安川家住宅)。明和の大火以降のもの。また厠と湯殿は文久元年(1861)の和宮降嫁の際昼食をとられたので修築されている。
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宝珠院に寄る。(開基は室町時代で旅籠大黒屋の小林伝兵衛だそうだ)
入り口に大きな馬頭観音があって人間が横にいると3mは越えているような大きさだ。このあたりから軽井沢にかけて数か所でこれを見る。
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境内の赤松は御代田町の天然記念物だ。二本の寄せ植えとなっている。
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久々に角形の一石六地蔵。私の眼はこれを見ると輝いてしまう。
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こじんまりした本堂だが建築に色々なテクニックを取り入れているのが見て取れる。
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長倉諏訪神社にも寄ると町の天然記念物の檜やケヤキがあり、神馬舎の中には、わら馬がある。道祖神まつりで使われる。
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街道に戻って進むと、おはる地蔵があった。
女傑安川はるさんは教員をした後、肥料燻炭炉を完成したのに、菌が入って難病に。その後89歳で亡くなるまで、戦争中は開拓などもして人々のために尽くし通したそうだ。その一生を読むと凄い人だ。
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ここで小田井宿を出る。
追分宿に向かってどんどん上がって行く。御代田町の標高は800m前後なので標高約1000mの軽井沢に向かってじわじわした上り坂だ。

途中の御代田の一里塚(41里目)は街道から7m入っているため立派な東塚と西塚が残る。
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2時過ぎ頃からか、雨が降り始め、だんだん激しくなり、軽井沢まで止むことがなかった。娘が傘をさして、ウォークマップを持って、写真を撮りながら、有給を取ってきているのにスマホに仕事のことが来て指示したりと忙しく気の毒になる。

そこから少し進んだところに千ヶ滝湯川用水温水路があった。冷たい雪解け水を稲作に適した水温にあげるための人工池だそうだ。
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国道に合流する直前に中山道69次資料館がある。
この日は休館だったが、庭にあるミニ中山道は自由に散策できる。三条大橋から日本橋間69次、よく出来ている。懐かしくも、最初の近江路の宿は草津以外は思い出せないというもどかしさ、情けなさ。写真をパチパチ撮って楽しんだ。
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鳥居本宿からでしたかこの摺針峠でヒルに刺された。
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万治の石仏もありましたよ。
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軽井沢宿から坂本宿までの間の碓氷峠はいつ行けるか?暑さが和らぎ、ヒルが居なくなるのを待つとなると。
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碓氷峠からまだまだたくさん宿がありました。行けるかしら?頑張らなきゃ!とかいろいろな思いに浸ったミニ中山道だった。

と歩いているうちに北国街道との分岐、「分去れの碑」のところにきた。右が北国街道、左が中山道。
寛政元年(1789)の常夜燈、延宝7年(1679)の分去れ道標、安永6年(1777)の子育地蔵尊や道祖神などがある。
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追分宿に入った。

 (続く)

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コメント

おおおお、万治君懐かしいなあ。
「万葉の人びと」を読んでいます。

投稿: 佐平次 | 2022年8月27日 (土) 11:02

★佐平次さま

コメントありがとうございます。
万治君!おっしゃる通り懐かしいです。

「万葉の人びと」をもう読まれて感想を楽しく拝見しました。
「壬申の乱」も読まれたのですね。
戦いがなされた場所が中山道沿いにありましたので、当時に思いを馳せました。
額田王の事を書いた本は数冊ありますね。
当時もこんな女性が居たのだと歌から知ることができますね。

投稿: tona | 2022年8月27日 (土) 19:29

一石六地蔵は珍しいですね。
これまで見たことがありません。
もっとも歩かないので見られるはずが
ないですね。
関西にはなかったように思います。
関西の石仏は結構見ました。

中山道は殆ど知りません。
そういえば、他の街道もしらないまま
この年になってしまいました。

投稿: matsubara | 2022年8月28日 (日) 12:30

★matsubaraさま

石像の本を見ましたらお地蔵様にはいろいろな種類がありまして、石像では種類が一番多いようです。
私は関西より西には殆ど行ったことも丁寧に歩いたこともなくて石像も見たことありません。
街道もひょんなことから歩くことになって嵌まりましたが遅すぎました。もっと若くして歩いていましたら良かったのにです。
matsubaraさまのように頭を使うこともなく足の方を使っているだけというのもどうかとも思います。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年8月28日 (日) 15:34

こんにちは。雨降りになってしまいましたか。それは大変でしたね。一里塚には目印でエノキなど大きな樹が植えられますね。これは何の樹でしょうかね。

投稿: 多摩NTの住人 | 2022年8月28日 (日) 16:41

こんにちは
 
この時は雨になってしまいましたか、ちょっと残念でしたね。
けれどお写真からは、雨に濡れた緑が、しっとりと落ち着いた
雰囲気で、昔の街道へと導いてくれるようなそんな感じもしました。
 
安川ハルさんという方、型にはまらない、信念と強い意志の
塊のような方だったのですね。当時の日本社会の女性観は
どんなにか窮屈だったろうと思いました。『安川式肥料燻炭炉』
という、現在でいうSDGsにも繋がるような素晴らしい発明を
完成させたのに、病に倒れ中断を余儀なくされたとは残念な
ことに思いました。でもその後も活躍され長生きされたのですね。

投稿: ポージィ | 2022年8月28日 (日) 17:42

★多摩NTの住人さま

こんばんは。
街道歩きでは今までで一番の雨ふりでした。
天気予報が外れました。
一里塚は榎が残っていることは殆どなくて、ここは片方だけですがその後の植えられたのがしだれ柳という事です。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年8月28日 (日) 21:00

★ポージィさま

こんばんは。
初めて大雨に降られたのですが、緑がある時期で良かったです。冬枯れの雨の中は淋しいですものね。

人が寝静まってからゴミと人糞を混ぜて燻蒸して燻炭肥料を作り、副産物としてメチルアルコールやアンモニアなど高価な薬品など7種類も作ったそうですが、その塵芥の菌で難病にかかってしまったとは。その後は自分の血液で約50万字のお経の字を書いたとはこれにも驚きました。死が訪れるまで人の役に立ったという事が凄いですね。その上、北斎やミケランジェロのような年まで長生きされたとは!
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年8月28日 (日) 21:16

大雨の中を歩かれたとは大変でしたね。
出歩くのが好きな私でも、大雨では二の足を踏みます。
藁馬なんてあるのですね?
これは実物大なのでしょうか。

投稿: zooey | 2022年8月28日 (日) 22:34

tonaさん、おはようございます♪
小田井宿には江戸時代の建物が多く残っているのに
拝観できないのは残念ですね。
神馬は何度か見たことがありますが、藁で作られたのを見るのは始めてです。
途中から大雨に降られたそうですが、大変でしたね。
ヒルは丹沢だけかと思っていましたが、中山道にもいるのですね。
一度刺されたことがありますが、それ以来夏の丹沢は避けるようになりました。
北国街道との分岐はいろいろな出会いと別れがあった場所なのでしょうね。
分岐店に建つ常夜燈や石碑に時代の流れを感じます。

投稿: hiro | 2022年8月29日 (月) 08:12

★zooeyさま

天気予報がはずれてしまったのです。
傘をさしての歩きは写真も撮りずらいし、なるべく避けています。

この藁馬は実物大です。作るのも大変なのでしょうね。器用な日本人だからこそでしょうか。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年8月29日 (月) 09:11

★hiroさま

おはようございます♪
新幹線を通すことに反対した栃木は、素晴らしい建物が残っていますが、経済的に宇都宮に取られてしまいました。
しかしここは経済的云々は関係ないようで街道筋に建物が残ってなかなかですが非公開という難点ありでした。
藁で出来た神馬、私も初めてかもしれません。

最後の軽井沢は大雨でした。まあ、山用品を使ってしのぎましたが、山と違って傘を勝手にさすことが出来るのは良かったです。
私もヒルは丹沢と新潟県の今は山の名前を忘れましたがその山だけかと思っていました。丹沢は涼しいときしかというのが染みついています。ところがマップを作った会社の情報によりますと20度以上だとヒルがいっぱいいるそうです。次回は秋ですがどうしましょうという感じなのです。
分か去れはとても印象的な場所ですね。
ここは今まで何度も見ているのですが昔の雰囲気が出ていると思います。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年8月29日 (月) 09:24

旧中山道歩きもいよいよお馴染みの軽井沢までとなりましたね。
毎年のように夫と軽井沢に通っていましたが、高原歩きや高山植物を追いかけるばかりで・・・
このような古い宿場町を歩いたのは車で行った海野宿だけでした。
>小田井宿に江戸時代の建物が多く残るのは鉄道が通るのに反対し、御代田駅が2㎞北東に造られたからだ。建物は非公開が多い<
観光化した海野宿と違って、静かな趣のある宿場町ですね。
女傑安川はるさんの事も知りませんでしたので、ネットで調べてみたいと思います。

夫が亡くなる3週間前は軽井沢に避暑に行っていて、帰宅後5日目に肺炎で入院しそのまま帰らぬ人になりましたから、しばらくは軽井沢方面の景色に拒絶反応が出ましたが・・・
8年経った今では懐かしく思い出されるようになりました。
軽井沢の街から旧中山道踏破のハイキングコースがあるようです。
足腰丈夫な内に是非歩いてみたいと思います。

投稿: nao♪ | 2022年8月29日 (月) 12:17

★nao♪さま

やっと馴染みの軽井沢に到着しました。
軽井沢から車ですと色々なところのお出掛けになったのですね。
色々な思い出がしかもお亡くなりになる直前が軽井沢だったそうで、当初辛い思いをされたことでしょう。
もう大丈夫になられて、ハイキングコースを歩こうという元気が出てきて良かったです!
登山でもワンゲルでも凄く鍛えてあるのでお茶の子さいさいですよ。
宿に力を入れているところとそうでないところの差が激しいです。街道歩きですので、残されている宿には長時間見物をして、心の刻みます。すぐ忘れてしまいますが。
安川はるさんが御代田町にいたなんて知りませんでした。全国にはこうした女傑がたくさんいらしたのでしょうね。
今そんな人を探せるでしょうか?
少なくとも政治家にはおりません。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年8月29日 (月) 13:25

“一石六地蔵”はひとつの石に6体の地蔵が彫り込まれているのですね。
三重県の伊賀に多いと聞いているのですが
何度か、伊賀を歩いた間には
見かけることがありませんでした。

実物を見たいと思っています。
どこにあるのか、事前調査をしたあとで
伊賀を訪ねてみます。
いつになるでしょう・・・。

ヒルはヤマビルでしょうか、咬まれて吸血されますよね。
なかなか血が止まらないそうですが、大丈夫でしたか。
本文中に咬まれたあとのことについての記述が無いので
おそらく問題無かったのだろうと推察しております。

投稿: Saas-Feeの風 | 2022年8月30日 (火) 10:11

★Saas-Feeの風さま

こんにちは。
三重県伊賀に一石六地蔵があるのですね。
甲賀は通りましたが伊賀は東海道にはないのでどんなところか知らないのです。忍者の里として有名ですから出かける人もいるのにまだです。
そちらからですと近いですね。
でも結構いろいろ忙しいですよね。おまけに今の状態ではこの1ヶ月半電車にも乗っていません。ずっと家の中とまわりをうろうろです。

ヒルはたった1匹ふくらはぎに張り付いて血を吸っていましたが、すぐ掴み取って吸われた部分を絞って水で洗い流しましたら、事後は良好でした。1ヶ月も苦しんだ人もいましたのでラッキーでした。
次は碓氷峠の山ヒルが怖いです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年8月30日 (火) 14:39

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