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2022年10月 9日 (日)

日光街道10 石橋宿~雀宮宿~宇都宮宿~上戸祭(1)

9/21(水)曇りのち晴れ・雲多し。前回は1月でしたの8ヶ月ぶりの日光街道歩きへ。

中山道は軽井沢からの碓氷峠越えがヒルがいるためまだですが、風人社のマップが出ているところまで歩いたので、次のマップが出るまで碓氷峠越えを除いて暫くお休みです。

6:12の電車に乗り、西国分寺、南浦和、浦和で乗り換え、東北本線の石橋駅まで浦和から快速ラビットで1時間3分。どこかで車内トラブルがあったらしく遅れたので8時半より歩き始める。本日は下野市・石橋から上三川町(河内郡唯一の自治体)を通り宇都宮市へ。

前回見た駅前の「グリムのからくり時計」に再会してスタート。
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駅を出て直進、街道に出て右折すると、間もなく収穫間近の稲穂。台風は大丈夫だったようでよかった。
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石橋から上三川町(かみのかわまち)に入るとすぐ鞘堂地蔵尊に到着。
小山義政が領地争いで宇都宮基綱を破った。村人たちが戦死者の鞘を拾い集めて埋葬し堂宇を建て石仏を祀った。それ故に鞘堂地蔵尊と呼ばれ、鞘堂という地名になったという。
鞘堂。寅の扁額がみえるが、ぐるりときれいに描かれた干支扁額が飾られていた。
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お堂の中の地蔵尊は頭だけなのかそれとも頭が取れてしまったのか、変な形。
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その先の反対側に星宮神社。鞘堂新田村の鎮守である。石祠が並んでいる。
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すぐ再び下野市に入り、北関東自動車道をくぐるともう宇都宮市だ。左側に自衛隊宇都宮駐屯地があった。

雀宮宿手前の正光寺(1715年開基)の「ほとけのこ」。「あかるく つよく みんな なかよし ほとけのこ」が可愛い。そうありたいこの世の中だ。
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●雀宮宿(16番目)本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠38軒。石橋宿から6.6㎞。宇都宮宿まで7.9㎞。
雀宮の由来は、百人一首の「かくとだに えやはいぶきのさしも草 さしも知らじなもゆる思ひを」の歌人藤原実方が陸奥守として赴任。妻の綾女が夫のもとに向かうがこの地で病死。夫も任地で死亡。その霊魂が雀となって綾女塚の上まで来て息絶えた。里人が憐れみ綾女神社を塚上に祀り供養したことによる。

本陣は駐車場に跡の石柱が残っているだけだった。
その向かいに仮本陣芦谷家の江戸時代建築の高麗門や母屋が残っている。名主で問屋を兼ねていた。仮本陣というのは初めてだ。脇本陣跡は見つからないので、仮本陣が脇本陣なのかもしれない。
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祠の中に安政5年(1858)建立の馬頭観音と手前左右に生駒神と馬力神があった。愛馬の供養のために造立された。
馬力神は栃木県と宮城県にあり栃木県には274あるとの事だ。
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雀宮神社。997年八幡太郎義家創建の雀宮村の鎮守。
東山天皇(113代・享保から宝永の頃在位)より金文字で書かれた勅額が下賜され、この額が社頭にあったため将軍家を始め諸大名は、下乗して参拝したと云われている。
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雀宮宿をいつの間にか出て、東京から100㎞の地点にきた。日光街道は約142㎞だから全行程の7割歩いたことになる。
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寿鶴(すず)薬師堂。小さなガラス格子から覗くと、中には薬師如来を中心に、如意輪観音や地蔵菩薩などはが祀られている。
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11時半。丸亀製麺にて、温かいとろ玉うどんの昼食をとり、宇都宮宿へ向かう。

菅原神社。菅原道真は貞観9~12年(867~870)に下野国の裁判官を務めていた。
ここの安政6年(1859)の石灯籠は古いのと新しいのと継ぎ合わせてあって形も変わっている。灯籠にもいろいろあるものだ。
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江曽島の一里塚は東北本線が通ることになって壊されてしまい、踏切、信号、バス停に一里という名前が残る。
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宇都宮市のマンホールは市の木の銀杏。
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高積雲でしょうか。空も秋です。
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地名が不動前・・にある不動堂。日光街道はここを左に入って行く。
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お堂の中の不動明王。
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街道沿いにはお花がずっと植えられていて、蒲生君平花街道と書かれていた。東武宇都宮線のガードが宇都宮宿の入り口。

●宇都宮宿(17番目)本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠42軒。雀宿から7.9㎞。徳次郎宿まで10.5㎞。
宇都宮城の城下町として発展し、主要街道の要衝として日光街道中一番の賑わいであった。
宇都宮の地名の由来は、奥州攻めの源氏が戦勝を祈願した討つの宮とか、二荒山神社が下野国の一の宮からとか諸説ある。二荒山神社は古くは宇都宮大明神などとも呼ばれた。日光に二つあるのでここのは宇都宮二荒山神社という。

宇都宮城主も安中城同様譜代大名がこまめに入れ替わり、江戸時代後期は戸田氏が6-7万石で治めた。徳川将軍の日光東照宮参拝の際に将軍の宿泊施設として利用された。

明治2年建立の蒲生君平勅旌碑。明治天皇が蒲生君平は明治維新に大きな功績があったので、広く天下に知らせるようにと勅命を下されたことによる。
蒲生君平は、高山彦九郎、林子平とともに 「寛政の三奇人」 といわれた人で、前方後円墳の名付け親であるそうだ。
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ここから宇都宮宿は街道沿いに、立派なお寺が多く不動尊を含めて8つも巡る。途中宇都宮城址公園に寄るが宿のあとらしきものはお寺以外は本陣跡の案内板のみである。
この日はお彼岸であったため墓参の人もちらほら見かけ、内陣が開けられていたのでラッキーであった。

① 台陽寺。1605年に宇都宮城主・奥平家昌が城内に建立するが新城主・本多正純が城拡張で城外のここに移転。
山門を入ると六地蔵がマスクをしていた。
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本堂。彼岸花が満開。
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子安地蔵尊。宇都宮城主戸田氏の守り地蔵尊だったそうだ。
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②熱木山不動尊。宇都宮城の安泰を祈って祀られた不動明王である。
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(続く)

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コメント

こんにちは。菅原道真というと西日本のイメージですが宇都宮にも来ているのですね。知りませんでした。

投稿: 多摩NTの住人 | 2022年10月10日 (月) 09:03

栃木県と申しますと、日光東照宮と足利学校
くらいしか行っていません。
それも30年も前のことでした。

足利学校は再建した新しいものでしたので、
岡山の閑谷学校の方が歴史が感じられて
よかったです。

投稿: matsubara | 2022年10月10日 (月) 09:17

雀宮にそんな美しく哀れな話があったとは、かつてその地も私の管内だったのに、知りませんでした。
雀になる、というのがなんともいえないですね。

投稿: 佐平次 | 2022年10月10日 (月) 09:48

★多摩NTの住人さま

こんにちは。
その通りですね。菅原道真と言えば、京都から太宰府へしか考えられませんでした。意外でした。
藤原実方も東北へ赴任というのも。
万葉の時代の柿本人麻呂や大友旅人・家持父子など地方にいましたものね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年10月10日 (月) 14:27

★matsubaraさま

足利学校も閑谷学校もまだ行っておりません。いつか行かれるかしらと、今になるといろいろ選択肢が狭められて考えさせられます。元気なうちにですね。
日光東照宮はこの街道の終点で新しくなったのを見られそうです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年10月10日 (月) 14:30

★佐平次さま

東北本線の各駅には乗ったことがなくて、新幹線で通り過ぎるだけでした。日光へは東武線に乗りますし。JRは栗橋、古河、小山しか知りませんでした。自治医大駅とか雀宮駅初めてでした。
雀になって。そうですよね。
雀と言えばこの間の磯部温泉は「舌切り雀」の話の発祥の地だそうで、雀についています。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年10月10日 (月) 14:42

「かくとだに えやはいぶきのさしも草 さしも知らじなもゆる思ひを」は
リズム感があって分かりやすくて、子供の頃好きでした。
歌人に、そんな悲しい背景があったとは知りませんでした。
菅原道真は私も、京都と大宰府のイメージしかありませんでした。
昔は移動するのも大変だったでしょうにね?

投稿: zooey | 2022年10月10日 (月) 22:38

★zooeyさま

百人一首に出てくる人々、紫式部とか藤原道長など日記などが出ている人以外はどんな人生を送ったか、全く知りませんでしたが思いがけないところに赴任していたことを知りました。
このお話もとても悲しい結末ですが、今も祀られていることが救いです。
移動は江戸時代よりももっと大変で途中で命を落とすことも多かったでしょう。どんなにか辛い旅路だったことでしょうね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年10月11日 (火) 08:40

こんにちは
 
日光街道歩き再開でいらっしゃいますね。日光街道は
8ヶ月ぶりでしたか。
雀宮は初めて知る宿場町です。名前の由来には悲しいお話が
関わっていたのですね。宇都宮の名前の由来も初めて知りました。
こちらは鎌倉のの奥州攻め由来だったとは。宇津が討つとは思いも付きませんでした。元々の漢字から
違うものを使うようになる例が多いですね。
 
全行程中、もう7割を行かれたのですね。いつの間にかそんなに?
という気持ちです。気候などで中断されながらも、着々と歩を
進めていらっしゃいますね。

投稿: ポージィ | 2022年10月11日 (火) 16:14

★ポージィさま

こんにちは。
街道歩きもコロナで東京都から出られなくなったり、真冬は厳しい中山道とかであちらに行ったりこちらに行ったり紛らわしくてすみません。歩いている本人も前と繋がらなくて、それに前のことをすっかり忘れていて困っております。
それを読んでくださる方々に感謝しております。
地名の由来が意外なことであったりで面白いですね。字がどんどん違ってきたりするのは言葉遣いが古来どんどん変わってきているのと同じようなものでしょうか。こじつけも感じられます。
この街道は後3回くらいで日光に到着する予定です。日光の山々がこの間ちょっと見えていました。中禅寺湖より下に存在するけれども紅葉は終わってしまいそうです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2022年10月11日 (火) 16:47

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