日光街道12 上水無~今市宿~鉢石宿~神橋(1)
いよいよ最終回です。21宿・約142㎞。
11/10(木)晴
宇都宮駅から1時間くらい乗るバスが20分遅れて上水無バス停に到着。8時35分歩き始め。
バイパスのバス停から男体山と女峰山が良く見えた。
第六接合井から始まった接合井ももう第二でこれを左に見てから左折、下森友(大沢宿と今市宿の中間地点)から杉並木道に戻る。その前に寺と神社に寄り道。
来迎寺。永正14年(1517)創建。
山門と奥の本堂。本堂には金ぴかのご本尊の阿弥陀如来を拝見出来た。
参道には如意輪観音十九夜塔が4体あり、古そうで右から2番目が享保21年(1736)と読める。
「いまいちの水」・・ご自由にお飲みくださいとある。今市はお水がとても美味しいそうだ。コップを持ってなかったので残念ながら飲めなかった。
瀧尾神社。建長4年(1242)森脇の地に祠を健立し、田心姫命(たごりひめのみこと)を祭神に奉斎されたことが始まりと言われ、大正5年遷座。拝殿には縁結び、子宝祈願の大注連縄がかけられている。他に安産子宝祈願の腰掛石もあったのでたくさんの妊婦さんがお詣りしたことでしょう。
左:おがたまの木(芸能成就のご神木とか)と右:三春の瀧桜の子供。
お寺の障子がカラフルであった。
街道に戻り、杉並木の道に入っていくと太い杉が並び、根元から2,3,4本別れているのが多い。
並木ホテル(七本桜一里塚)。両塚を残している特別史跡の33里目の一里塚。南塚はよくわからなかった。
北塚のこの杉は天然記念物で、杉の根元に高さ2m、中幅1.1m、下幅2.1mの空洞があり、大人4人ほどが入れることから「並木ホテル」と呼ばれた。実際に雨宿りしたり、火を焚いて暖まったりしたらしく、中はすすけて真っ黒。
中を覗いてみる。あと2ヶ所も開いていて竹が見える。名前もこの杉も面白い。
最後の第一接合井を見て、また杉並木に入り、東武日光線のガードをくぐると追分地蔵尊だ。
左が歩いてきた日光街道で右側の通りが日光例幣使街道で中山道・群馬県高崎の隣の倉賀野宿から来て、ここ追分で合流。
追分地蔵尊、高さ2.9m・肩幅1.4mと大きい。洪水で流された地蔵尊をここにお連れしたと伝わる。
左右に小さなお地蔵様が並んでいる。ここから今市宿に入る。
●今市宿(20番目)。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠21軒。大沢宿から7.4㎞、鉢石宿まで8.5㎞。
「日光街道ニコニコ本陣」に寄り、お蕎麦屋さんで昼食。「ゆば入りちたけそば」
ゆばは日光の名産であり、ちたけは栃木県で食べられるきのことのこと。独特の香り、味で美味しい。
報徳二宮神社に寄る。
拝殿。
二宮金次郎の像。
二宮尊徳のお墓。尊徳は安政3年(1856)報徳役所にて七十歳で亡くなっている。
二宮尊徳は墓を造らないよう遺言したが、是非建てるべきとの声があり、未亡人の意思を伺って建立したとのことだ。
武田神社もそうだったが、手水舎には菊の花などが飾られていてきれいだ。
ペットの長寿祈願、疾病平癒の神社でもある。猫が唸ったりボーとしていたりの猫神社であった。
隣の如来寺。
三代将軍家光が東照宮造営のために御殿を建設しここに逗留したところで、二宮尊徳の葬儀もここで行われた。
小さな地蔵堂があったが、鎌倉時代北条政子が、安達盛長に日光山へ奉納するため運ばせた途中、此の地で車が動かなくなったという地蔵菩薩立像が安置されている。「元気が一番 元気があれば何でもできる」・・その通り。知人にお寺を回ってお寺の掲げる言葉を集めている人がいることを思い出す。
化け桜。樹齢200年以上。木の空洞に白蛇も棲みついているという。この地方では一番最初に咲くそうだが、いろいろな木が絡みついているようで桜の花が見えるのか?
日光市の日光仮面のミニマンホール。むかし月光仮面を見ていたがそのもじりか。
今年3月をもって閉場となった今市宿市縁ひろばは脇本陣跡だった。
前回以来街道には薬師堂が多かった。
浄泉寺では、家光移葬の折りに棺が安置されたところだが、天明2年(1782)の大火で焼失し、現在はこの薬師堂だけが残る。
庚申塔が多いが、3猿ではなくて2匹の猿が向かい合っている庚申塔を始めて見る。この後にもありました。
そば喰い稲荷を見て、今市宿の総鎮守の瀧尾神社、天応2年(782)の創建にお詣りする。この辺りが今市宿の北木戸があったところで宿は終わる。
さきの天皇陛下即位十年記念の恵比寿神・弁財天・大黒神があった。
トーテムポールのようなものがあった。
水車が見える。紅葉がきれいだ。水車は重連水車で、直径4m50㎝、幅80㎝。
朝鮮通信使今市客館跡碑。朝鮮通信使は3度日光を訪問しており、うち2回は東照宮と大猷院で朝鮮式の参拝を行い、国王の進物を贈っている。
(続く)
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コメント
並木ホテル、猿の庚申塔、そば食い稲荷、お化け桜、ちょっと変わったものがありましたね。
土地の人のユーモア感覚かな。
投稿: 佐平次 | 2022年11月28日 (月) 10:40
こんにちは
日光街道もいよいよ最終盤となられたのですね。
今回のレポートでは、杉並木に目を奪われました。
長い長い年月を感じさせられる大きさと太さですね。
下の方で分かれているものが多かったとのこと。杉でパッと思い浮かべるのは上にむかって1本真っすぐに
伸びたものですが、柱などの材を得るために枝打ち等の手入れせず、
全くの自然体で育った杉の樹形は、実は根元近くから分かれて
育つものも少なくないの?~などと思いながら拝見しました。
「並木ホテル」なる名前が付いた杉の木の空洞はすごく大きいですね。
でも、雨宿りはともかく、中で火を焚かれたら木としては
迷惑なんじゃないかしら‥
二宮尊徳はこの地で亡くなられ、お墓はこちら今市の
報徳二宮神社にあるのですね。
隣のお寺には、北条政子由来の地蔵菩薩立像のお堂もあるのですね。
今市・日光・宇都宮といった地名は見知っていても、栃木県内の
どこに位置してどんな古からの歴史があって、といったことを
何も知らないと改めて思い知っています。
投稿: ポージィ | 2022年11月28日 (月) 11:16
★佐平次さま
全くおっしゃる通りですね。
「そば喰稲荷」は尊徳の孫のお兄ちゃんが妹の夜泣きにそばを献上し、祈願したら直ちに治ったことからそのお稲荷さんが呼ばれるようになったそうです。
栃木県も日光の寺と湖とその奥しか知らなかったですが、杉並木あたりも面白いです。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2022年11月28日 (月) 15:25
★ポージィさま
こんにちは。
今回は杉並木がとても長かったので、東海道みたいに思っていたのですが全然違いました。江戸時代からずっと保存してきて太く高く逞しいのや、いくつも幹が出てきたのやありまして、杉並木ばかり写真を撮っていました。そればかりでは芸がなさすぎですし、頁をとりますので、一部だけでちょっとしか杉並木を紹介できなかったです。
車が通れる部分が多いので、ご存じの人が多いでしょうね。私は全く初めてです。
このホテルは火が焚かれていたことに驚きました。アメリカ・ヨセミテのセコイアの木の穴は大きくて車が走り抜けていたのには驚きましたが。
尊徳は小田原の地を最後は整理してしまって、栃木県に暮らしたことは伝記で知ったのですが、今市が終焉の地で御墓があることは初めて知りました。
私も地名は聞いていてもどこにあるかさえ全く知らないことが多くて歩いて良かったと思った次第です。
でもいつも思うのは電車で15分で通るところを一日かけて歩いているのですから、ちょっとため息が出ることがあります。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2022年11月28日 (月) 15:45
こんにちは。やはり栃木県ではチタケが名物なのですね。チダケサシという綺麗な花がありますが、その茎にこのチタケを刺して持ち帰ったことに由来しています。チタケを一度見たいと思っていますがなかなか叶いません。
投稿: 多摩NTの住人 | 2022年11月28日 (月) 19:52
★多摩NTの住人さま
こんばんは。
チタケは栃木県に多いらしいです。
初めてでした。
由来がそうだったのですか。
チダケサシは高原で数回昔見たことがあります。
あの細い茎は強いのですね。
由来を教えていただきありがとうございました。
投稿: tona | 2022年11月28日 (月) 20:34
tonaさん、こんばんは。
二宮尊徳が亡くなった土地のことを初めて知りました。
厚木に住んでいましたので小田急小田原線の栢山駅を
何度も通過していました。
一度だけですが下車して付近を歩いていますが
目的が何だったのか、覚えていません。
栢山は二宮尊徳の出生地でしたね。
小田原城そばにある報徳二宮神社には
二度ほど参拝しています。
二宮金次郎像をときどき見かけますね。
ブログのどこかに各地で撮った二宮金次郎像の写真が入っていますが
どこにあるのやら・・・です。
ロサンゼルスの日本人街にも建てられていました。
Saas-Feeの風の育った市に報徳学園があります。
かつては高校野球で春と夏とに優勝したことのある強豪髙でした。
Saas-Feeの風が通う県立高とは同じ駅が最寄り駅で
通学では一緒の車両に乗り合わせていました。
そんなことで中学・高校のころから
二宮尊徳・金次郎は身近だったように思えます。
没した場所を知らなかった(覚えていなかった)のは迂闊でしたねえ~。
投稿: Saas-Feeの風 | 2022年11月28日 (月) 22:02
「いまいちの水」の名前も笑えますね。
他にも、こっそり込められたユーモアが楽しい。
昔の人のユーモアは、結構逞しいものだったのかもしれませんね?
投稿: zooey | 2022年11月28日 (月) 22:44
★ Saas-Feeの風さま
おはようございます。
小田原線の栢山駅が尊徳の実家があったところだったのですか。小田原とだけでどの辺か知らなかったですが、大雄山にも比較的近いところですね。両親を亡くし、弟たちを養いながら実家の畑を復興し、さらに躍進していった地を幕臣になってしまったので離れざるを得なかった。その運命の地が真岡や宇都宮、日光で、大変な苦労をされたのですね。
子孫や慕う人によって報徳学園が出来、今も続いていることも本で知りました。
その報徳学園が高校の時最寄り駅が一緒だったという話には驚きました。
野球も強かったときがあったのですね。道理でどこかで聞いたことがあると思ったわけでした。
ロサンゼルスの日本人街にも尊徳像があるのですか。尊徳を思いながら彼の地で暮らしていったのでしょうか。開拓、移民は大変なことですから、その大変さは尊徳に通じます。
いろいろ教えていただきありがとうございました。
投稿: tona | 2022年11月29日 (火) 09:01
★zooeyさま
「いまいちの水」
おぉ!全然気が付きませんでした。
気が付かない自分が鈍というか恥ずかしい。
佐平次氏も仰るように確かにユーモア感覚のある土地柄か。
4人が集える大きな木の祠をホテル、それも並木ホテルと命名したのも楽しいです。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2022年11月29日 (火) 09:08
珍しいところをいろいろご紹介いただき
ありがとうございます。
この中で唯一見たことがあるのは男体山
だけです。
30年以上前、中禅寺湖畔の宿に泊まり
目の前に男体山が聳えていました。
投稿: matsubara | 2022年11月29日 (火) 10:03
天然記念物の「並木ホテル」、こんなに大きな空洞があって中に大人4人ほどが入り
火を焚いて暖を取ったのでしょうが、その木が枯れずに今でも現存してるのには驚きです。
報徳二宮神社には二宮金次郎の像があるようですが、私が低学年までいた佐野市の小学校にもありましたが
今では歩きながらの本読みは危ないとかで、壊された所が多いと聴きました。
時代の変化でしょうか。
樹齢200年以上の化け桜、見るからに怖そうですが春になると桜がどのように咲くのでしょうね。
投稿: ラッシーママ | 2022年11月29日 (火) 15:27
★matsubaraさま
こちらこそいつもありがとうございます。
中禅寺湖畔に宿泊されたとは、良い眺めだったでしょうね。
男体山には登ることが出来ませんでしたが、見ているだけでも魅力的な山ですね。
投稿: tona | 2022年11月29日 (火) 16:30
★ラッシーママさま
植物、木は逞しいですね。三方に穴が大きく空いているのに何故ずっと生き続けることが出来るのでしょう。人間によって燻されちゃったりして可哀想です。
佐野市の位置を確認しました。行ったことがりますが真岡の方だと思っていました。
栃木県は鹿沼は行っていません。大谷石の掘った所のツアーもあるようですね。
歩きスマホで二宮金次郎像はすっかり取り壊されたのですね。
私も化け桜の咲いたところを見たいです。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2022年11月29日 (火) 16:45