姫街道1 御油~和田辻(1)
1/12(木)晴
5:12の中央線で東京駅へ。6:21のひかりに乗って豊橋に7:48に到着。名鉄に乗り替え国府に8:05に到着、8:15より歩き始める。
7:16の富士山。日が当たり始めて間もなくの富士山は雪が少なくなっている。
姫街道は東海道脇往還。脇往還とは幕府道中奉行の支配下にあり、五街道に準じる街道。佐屋路(佐屋街道)と姫街道(本坂通)は東海道の別ルートで、本道が通行不能になった時の代替路でもあった。姫街道の謂れは、女性が浜名湖の渡しをきらったり、新居関所を嫌ったことなど2,3ある。
地図にあるように磐田駅の所の見付と御油間。約60㎞。市野宿・追分・気賀宿・三ケ日宿・嵩山(すせ)宿・和田から御油へ。
今回は風人社の地図によって名古屋寄りの御油追分を出発点とする。
一番左に「これより姫街道」の道標。東海道の吉原を過ぎてから秋葉常夜燈が多くなったが、ここにも立派な秋葉常夜燈が。三河国一の宮・砥鹿神社の道標等が並んでいる。
マンホール。東海道の赤坂宿あたりでは広重の赤坂宿を描いたマンホールがあった。
これは豊川の魚、右には豊川稲荷のキツネ、左側には市の木・クロマツとサクラ、山は本宮山が描かれる。
雨だれに大小の傘と、てるてるぼうずが手をつないで輪になっていて、雨の日も楽しくなるような デザイン。
西明寺の標柱の奥に芭蕉句碑がある。東三河の中では一番古いそうだ。「かげろふの 我が肩に立 紙子哉」
船山古墳へ。三河地方最大級の前方後円墳。後に上からの写真で見たらよくわかった。
久保神社。ここは伊勢神宮遥拝所であった。奥に直径20mで6~7世紀頃の円墳があるがわかりにくい。上には横穴式石室の天井石があった。

天平時代(聖武・孝謙・淳仁天皇724~770年)、地震や飢餓の発生、天然痘の大流行により、国内の約3分の1の人々が亡くなり、政治的主権争いも起こり、国は大混乱に陥った。当時の天皇・聖武天皇は鎮護国家の思想のもと、仏教の力で国を治めるため、諸国に対して国分寺・国分尼寺の建立を命じた。(741年)。そのそばに国府(国庁)、総社(平安時代になってから設けられた)などを配した。
・まず三河総社と国庁跡。
三河総社、国司が国内の神社を巡拝する労を省くため、祭神を一か所に合祀した神社を総社という。
鳥居をくぐると立派な神門ある。
拝殿。
隣の道の正面に見えるのが曹源寺だが、このあたりが三河の国府跡である。
街道に戻る。旧道を少し歩いた後に、県道に合流する交差点に桜地蔵があった。
今日3つ目のマンホール発見。豊川市宣伝部長の「いなりん」を中心に、市の花サツキ、市の木クロマツ、 市の象徴「サクラ」のデザイン。
いなりんといえば自販機にも。
消火栓にも。
・八幡宮と国分寺跡と国分尼寺跡
八幡宮:国分寺の鎮護の神。天武天皇の白鳳年間(7世紀半ば)に大分県宇佐八幡から勧請された。
鳥居をくぐると神橋がある。
本殿は文明9年(1447)室町時代の建築。三間社流造桧皮葺で国の重要文化財。
拝殿。この地方は注連縄がこんな色であった。
さざれ石・・・長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウム(CaCO3)や水酸化鉄が埋まって、1つの大きな岩の塊に変化した石灰質角礫岩。国家「君が代」の巌である。あちこちで見てきたはずだが覚えていない。
八幡宮の東に三河国分寺跡がある。全国には69を数え、東大寺・法華寺は総国分寺・総国分尼寺とされる。僧寺には僧20人・尼寺には尼僧10人を置くこと、塔は七重塔とも定められた。武蔵国分寺跡の続きの地に住んでるのでつい比較したりする。

奈良時代の銅鐘は国重要文化財。
十三仏。
古い石像も並んでいる。
続いて国分尼寺跡へ。
国分尼寺の中門と回廊が実物大で復元されて、往時の面影が偲ばれる。
中門を入って行く。階段の向こうは金堂基壇の礎石。
その上は講堂跡。周りは中門からずっと回廊で囲まれている。その他経蔵跡や鐘楼跡、寺を囲んだ塀の跡まであった。

史跡の前の三河天平資料館に入る。
出土品の羊形硯。右がオリジナルで左は複製。
国分寺の鬼瓦、怖くない顔。
(続く)
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コメント
こんにちは
おぉ ついに姫街道歩きがスタートされたのですね。
始まりは3年ほど帰省できていないわが故郷・豊川市でワクワク。
でもでも、暮らしていた間、国府・国分寺・国分尼寺の話は
耳にしても、調べてみることもせず、旧跡巡りも全くすることなく
過ごしてしまいました。
ですから、tonaさんの記事から初めて知ることがほとんどです~
国分尼寺跡史跡公園など、故郷を離れた後に整備されたものも
ありますから(豊川市、頑張ったんですね~)、ゆっくりと
帰省することができたら、行ってみたいものです。
三河天平資料館に展示の鬼瓦も今とは随分違って、
ほんと怖くありませんね。羊形硯も可愛らしくてほのぼの感が
良いなと拝見しました。
投稿: ポージィ | 2023年1月18日 (水) 10:52
★ポージィさま
ポージィさんの故郷の方の国府駅に降りたちました。娘とそのことを話していました。
お人形のあった寺には行きませんでしたが懐かしかったです。
国府は全く痕跡がありませんでしたが、国分寺と国分尼寺は整備が進んでいますね。
とくに尼寺はすっかり終わっているような感じでした。
建物が復元されているので平安京みたいで、武蔵国分寺の比ではありません。
羊形硯は説明の方も力を入れていました。
そう。鬼瓦の顔が怖くないのです。
豊川のマンホールを計4個を見ましたし、擦り切れていないので新しくしたのでしょうか。
ご帰郷されたときは是非行かれてみてください。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2023年1月18日 (水) 11:35
こんにちは。姫街道は知りませんでした。この辺りは色々あって面白そうですね。ここは私が学生の頃は国鉄二俣線といってSLが走っていました。残念ながらここに行く機会は無くSLもやがて廃止されました。今は天竜浜名湖鉄道に変わっていますね。
投稿: 多摩NTの住人 | 2023年1月18日 (水) 17:58
★多摩NTの住人さま
こんばんは。
国鉄二俣線はここだったのですね。
それがSLだったとのこと、見られないで残念でしたね。
天竜浜名湖鉄道の一部ですが次回乗ります。
姫街道は京街道の54㎞よりちょっと長いです。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2023年1月18日 (水) 20:37
三河国は隣ですのにまだ国分寺跡には
行っていません。
いつかはと思いながら30年もすぎてしまいました。
武蔵国と相模国の国分寺跡には行きましたのに・・・
友人と豊川稲荷へ行ってから30年も過ぎて
しまいました。
美濃国と飛騨国の国分寺跡には行きました。
礎石だけでしたが。
投稿: matsubara | 2023年1月19日 (木) 09:03
姫街道なんてあったんだ。
なんで豊川が雨なんでしょう。
テルテル坊主が傘と仲良くなって雨が降ってるって、おかしすぎます。
国分寺のりっぱだったこと、三河の重要性?
投稿: 佐平次 | 2023年1月19日 (木) 10:12
★matsubaraさま
わが家の百数十メートル先が武蔵国分寺の七重の塔跡ですので、駅よりずっと近い史跡公園の近くに住んでいます。相模のは大山街道歩きで通りました。海老名駅のそばですね。
美濃や飛騨には今後も御縁が巡ってこないかもしれません。
何処も礎石だけですが、ここの尼寺は中門と回廊の一部が復元されていて感動しました。平安京のようです。規模は小さいですが。
この後豊川稲荷に行きました。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2023年1月19日 (木) 13:32
★佐平次さま
私も東海道歩くまで知りませんでした。歩いている時、浜名湖対岸の気賀の女城主直虎をやっていて電車も直虎の絵が描かれていました。
ふとこの雨のマンホールで、この地方はそんんなに雨が降るのかと思い、かえって調べましたら、三河地方は年間雨量1711㎜で、日本平均1713㎜と変わりないのです。ただ7月と10月は梅雨、台風で多いとか書いてありまた。とはいえ関係ないような、不思議なマンホールでありました。
三河は奈良から近い?武蔵も尼寺は礎石が復元されました。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2023年1月19日 (木) 13:44
姫街道なんて言うのがあったのですね、今回の記事で初めて知りました。
豊川のマンホールの蓋の絵は3種類もあって、其々が可愛い絵ですが特に「いなりん」は
下に出てる絵を見ないと分かりませんでした。
豊川では「いなりん」は有名なのでしょうね、私はこれも初めて知りましたが
余りに知らない事ばかりでお恥ずかしい次第です。
以前にもtonaさんのブログでさざれ石が出てきたような・・・
出土品の羊形硯や鬼瓦の顔は面白い顔で笑っちゃいそうです。
投稿: ラッシーママ | 2023年1月19日 (木) 20:35
★ラッシーママさま
姫街道は東海道を歩いているときに知りました。丁度女城主直虎を大河ドラマでやっている時だったので、いつか歩いてみたいと言っていたところです。
豊川稲荷で付近のお店は稲荷ずしが有名で、マンホールまでおいなりのキャラクターで笑ってしまいました。
私も知らない事ばかりで、知らなければそれでいいのですが、歩いてみると面白いことも時々あります。
鬼瓦とはいえないくらいこわくない鬼ですね。天平時代の鬼はみんなそうだったのでしょうか。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2023年1月20日 (金) 09:32
姫街道のことを耳にしたことがあるのですが
歩いたことはありません。
豊川稲荷を参拝したことはあるのですよ。
国分寺跡、国分尼寺跡は各地にあるのですが
実際に立ち寄った記憶があるのは
鈴鹿市にある伊勢の国分寺跡だけです。
好い機会ですので、そのうちに行ってみようと思います。
ご紹介の国分尼寺跡の一部は立派に復元されていますね。
投稿: Saas-Feeの風 | 2023年1月22日 (日) 21:56
★Saas-Feeの風さま
おはようございます。
豊川稲荷が姫街道のそばですので参拝しました。
家のすぐ近くは武蔵国国分寺跡ですが、伊勢の国分寺跡はもっと大きのでしょうね。となんとなく思います。もし行かれたときは様子を楽しみにしています。
平城京の復元を電車から眺めましたが、まさしくあんな感じで当時の様子がわかりました。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2023年1月23日 (月) 08:31