姫街道3 都筑駅~気賀宿(1)
2/4(土)晴 東京駅~浜松駅~新所原駅~都筑駅に到着して歩き始めが10時頃となる。交通が不便だ。本日また峠越えがあって、助っ人の婿さんとの3人歩き。
都筑駅のトイレは象の形。
今日の峠は引佐(いなさ)峠で標高200mですが、登山口付近の標高が10mに満たないので実質これだけ登る。ただ傾斜が急で曲がりくねっていて人が登るのも大変。享保14年(1729)8代将軍吉宗に献上された象も悲鳴を上げたので「象鳴き坂」の名が付いている。象形トイレはそれに因んでいる。
駅から御殿道を歩いて前回の姫街道に戻る。左手の景色。この間越えてきた本坂峠の方面で峠のこちらの三ケ日にはみかん畑が隙もなくあって一部が見える。右手の引佐峠を越えてもまだまだ柑橘類の畑が続く。
ほどなくトンネルで東名高速をくぐる。1969年の開通で姫街道は分断されてしまったから。
慈眼寺。明治初年に焼失後佐久米海岸の阿弥陀堂を移築して庚申堂とし金剛童子を安置。堂宇の格子天井には花鳥画が描かれるがいつものことながら見られない。
今日もオレンジ色と緑色で彩色されたコンテナメッシュに収穫された蜜柑が積まれた車が行き交う。
大谷代官屋敷跡。門が今も残る。
奥浜名湖「五近藤」の一つの江戸にいる領主大谷近藤家に代わって、領内を代官として支配した大野家の屋敷で現在も子孫が住んでいる。
六部の森には行き倒れになった六部衆の忠道円心が祀らている。行き倒れで亡くなるなんて苦しかったでしょう。救急車もヘリコプターもないし。
まだまだみかん畑が続く中、茶屋跡を通り過ぎると和田牧場が見えてきた。三ケ日牛を育てているそうで、前回のお弁当はここの三ケ日牛でした。
ビタミンの補給とともに、ミカンの香りが牛の食欲を増進し、ミカンの皮を乾燥・粉末化した餌を食べさせた牛の脂肪から抗酸化作用があるβ?クリプトキサンチンが検出されたとのことだ。加工に使った皮などが無駄なく使用されている。
いよいよ石畳舗装の道を上がって引佐峠へ。
石投げ岩。引佐峠を越える旅人がこの岩に石を投げて旅の無事を占い祈った。投げてみました。落ちませんでした。
上記した象鳴き坂。写真では感じはわからないけれどもずり落ちそうな急坂で、象の姿を想像して可哀想になる。
まもなく引佐峠到着。標高200m。途中熊の糞の痕跡があった。山はやはりリーダーなしでは怖い。
峠を越えてもみかん畑が続くがその種類が豊富になって、レモン、八朔、ネーブル、金柑や色々なかけ合わせの柑橘類に変わる。これは大きな晩白柚だ。
顔の可愛い、真っ赤なおべべの岩根地蔵。衣装にインパクトありの地蔵だ。
ほどなく石畳も終わり、舗装路に出る。峠越えは終了したのであるがこの日は、このあとずっと気賀駅に出るまでアップダウンの繰り返しの小登山であった。
昼食のため街道から離れて西気賀駅に向かう。
下りた都筑駅は待合室がちょっとで駅舎の四分の三はパン屋さん。ここ西気賀駅は洋食・グリル八雲、次の駅の今日の最終地の気賀駅はラーメン屋さんだった。
西気賀駅は昭和13年に建てられた本屋、待合所は登録有形文化財。
グリル八雲でハヤシライス。昔の味で美味しくいただいて、浜名湖を間近に見ながら、街道へと戻る。
途中電車が通り、見たら「どうする家康」のラッピング車両だった。東海道歩きの時「女城主直虎」をやっていて、掛川駅でそのラッピング車両を見た。
小引佐(こいなさ)・・姫街道の中でも浜名湖の入江(引佐細江)の景勝地として知られる。
清水みのるの詩碑があった。調べると田端義夫の「かえり船」や「かよい船」など数々のヒット曲の作詞をした人だった。
ダイダラボッチの足跡の池。
琵琶尾を掘った土を運んで富士山を造ったという、伝説の巨人ダイダラボッチの足跡と伝えられる池。
尉ケ峰(じょうがみね)に腰をかけて弁当を食べたとき、ご飯の中に入っていた小石を浜名湖に捨てたら、礫島(つぶてじま)が出来たそうだ。そして腰をかけた尉ケ峰は、少し低くなってしまったそうだ。
少し進むと山村修理の墓所と堀川城戦死之碑がある。「どうする家康」で最初の方の戦いとして見たあれかな。
永禄11年(1568)、遠州に攻め入った家康に対し、尾藤主膳、山村修理等は一揆を企て、地元民男女1500~1600人とともに堀川城に立てこもったが、禄12年(1569)3月、家康軍の攻撃の前に1日で落城、捕虜700人が呉石の塔の下で処刑されたと言い伝えられている。落城のとき舟で逃れた山村修理は、この場所で燃え落ちる堀川城を見ながら切腹。
気賀に入る。
アマノの工場(タイムレコーダーを作った天野修一氏の会社)を通り過ぎると、呉石田園公園(呉石学校跡)があり、大人の二宮尊徳の像があった。
旧細江町のマンホール発見。
旧細江町(ほそえちょう)の辺りは、全国有数の銅鐸の出土地だそうで、銅鐸がデザインされている。 銅鐸の周囲に町の花サクラと、銅鐸の中に日本最古の海路標識として1200年も前に建てられたといわる引佐細江(いなさほそえ)の 澪つくしも描かれる。銅鐸はこの後資料館で本物を見ることが出来た。
(続く)
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コメント
引佐峠と富士山、たしかそんな浮世絵があったような気がしますが、あの絶景は見なかったのですか。
投稿: 佐平次 | 2023年2月11日 (土) 11:10
どうも私の勘違いかもしれないですね。失礼しました。
投稿: 佐平次 | 2023年2月11日 (土) 11:13
★佐平次さま
ありがとうございます。
姫街道の方からは富士山は見えないかもしれません。
おっしゃる峠と富士山は由比の薩埵嶺からの富士山でしょうか。
私はこれは見まして広重の浮世絵と比較しました。現在は車が走って感じがちょっと違いますが。
三保の松原では何も見えなくてがっかりしたことを思い出しています。
投稿: tona | 2023年2月11日 (土) 12:59
こんにちは
浜名湖の奥の方に当たるこの辺りは全然知りませんが、
いろいろな見どころを教えていただき身近に感じられます。
歩き始めとなられた、都筑駅の滑り台にもなっていそうな
象の形のトイレに、なぜ?と不思議でしたが、本物の象の
引佐峠越えにちなんだものだったとは。象は重い体で急坂を
必死で登ったのですね。標高200mでも坂が急で歩きづらい道
だったら、象ならずとも行きかう人も息が上がったことでしょうし、
石畳で足を滑らせる人も多かったかもしれませんね。
石投げ岩で無事を占いたくなったのもうなずけます。
tonaさんは石投げも成功、峠も無事越えられ良かったです。
駒場に多く見られたという槙の生け垣を拝見して、わが田舎町にも
そういうお宅があったことを懐かしく思い出しました。
ちなみに、小学校の下校時、そのお宅の槙の葉を4枚
むしりとり(もちろん無断で)手裏剣を作って遊んでいました~(^^;)
戦国時代の織田・豊臣・徳川辺りのことはいちばん知っている
ことが多い時代のはずですが、一揆のことなど、まだまだ
知らないことの方が多いのだと実感しました。
今年の大河ドラマ「どうする家康」は、これまでとは違う視点から
描かれていて、興味深く楽しんで見ています。
投稿: ポージィ | 2023年2月11日 (土) 16:40
★ポージィさま
こんにちは。
いつもお忙しいのにありがとうございます。
まさか浜名湖の奥の方を歩くことになるとは思いませんでした。
吉宗時代の象の話は聞いていましたが、まさかこんな坂を登ったりしたとは知りませんでした。東海道側より峠や坂道が断然多いです。浜名湖が地震で海側が壊れてしまった後象が贈られてきたのですね。その時はどうやら橋が出来て直っていたらしいのですが、私が想像するに、象が乗れるような橋ではなかったので坂や峠の多い姫街道を歩かされたのかと。この象はその後も見世物になって引きずり回されてなんだか鳴いてばかりいたのかなあと可哀想になるばかりでした。
お陰様で時々ふうふう言いながら越しました。前回よりは標高差がなくて楽でしたけれど。
確か東海道側にも槇の垣根が多かったのはこの反対側だったでしょうか。静岡県か、愛知県か忘れました。上等な植木が生垣とは都会人には考えられない贅沢です。
木の葉から手裏剣が作れるのですか。楽しい学校帰りですね。我が娘も北九州時代ですが寄り道が多くてなかなか家に到着しませんでした。猫や犬をさすっていたのが多かったみたいです。
「どうする家康」で最初の一揆のことを知りました。山岡荘八の本を全部読んでいるのにきれいさっぱり忘れました。
投稿: tona | 2023年2月11日 (土) 17:07
引佐峠は標高200mで傾斜が急で曲がりくねっていて象が悲鳴を上げた程きつかったのですね
その引佐峠を越えたのですからtonaさんは健脚の持ち主です。
途中で熊の糞の痕跡があったのですか、それは怖いですね、娘婿さんが一緒で良かったです。
以前にこの辺りを車で旅行した際に、普通の家の庭にミカンの木がありビッシリ生ったミカンを
1袋200円?だったか、あちこちの家の前で売ってるの、それを1袋買い車の中で食べてみると甘くて美味しい
もう1袋買った覚えがあります。
浜松に砂丘があって、それもかなり広い砂丘で歩いたのを思い出しました。
猪鼻湖なんて言う湖があるのですか、調べて無いのですが地図に載ってるのですか?
都筑駅も西気賀駅も気賀駅も駅舎の一部を食べ物屋さんに利用してるのですか、それは面白いですね。
投稿: ラッシーママ | 2023年2月11日 (土) 20:36
★ラッシーママさま
こんばんは。
引佐峠は距離は短く標高差は200mですから大したことはなかったのですが急な角度だったところがあって、想像すると象が可哀想でした。
やはりクマが出たら怖くて、登山関係はリーダーが必要ですね。
そうそう、みかんが安かったですよ。三ケ日みかんをこの辺で買うと安いですね。そして美味しいです。丁度収穫時期に行って良かったです。車でしたらもう一袋買っていましたよ。
猪鼻湖、地図に載っています。浜名湖と繋がっています。琵琶湖の余呉湖みたいに離れていません。
パン屋さん、凄く人気があるみたい。
洋食屋さんにはたくさんの有名人の言葉が貼ってありあした。ラーメン屋は夕方でしたが人が入っていましたよ。
人の少ない駅舎を上手に使っていると思います。1時間に1本しかないのですから。
ここまでは面白かったのですがこの続きのあとの第4回目はちょっとしか歩けなくてあまり面白くなさそうですが飛ばさないで真面目に歩きます。一応街道制覇・・あと2回で終わる予定です。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2023年2月11日 (土) 21:27
こんばんは(^o^)/!
姫街道歩き、東海道とはまた違う趣があるでしょうか?都筑駅、かつての仕事の研修センターの最寄り駅でした。とはいえもう当時の記憶は消えてしまっていますが・・・。
研修の一環で、40Km歩いた日がありましたが、それが姫街道だったかどうかも今では分かりません。が、とても立派なお寺があったことと、山越えがあったことは覚えています。もしかしたら、その山越えが引佐峠だったのかも・・・?です。
投稿: 慕辺未行 | 2023年2月11日 (土) 23:35
姫街道の一部を歩きましたのは、万葉集に
姫街道の作品がたくさんあったからでした。
30年も前のことで、まだ何とか歩けました。
今は足もダメになりました。
三ケ日みかんは有名ですが、三ケ日牛が
あるとは知りませんでした。
投稿: matsubara | 2023年2月12日 (日) 08:04
★慕辺未行さま
おはようございます。
海沿いの浜名湖側と全然違いますね。山と山の間にみかん畑が広がり、浜名湖の見え方も全然違いますし、歩けて良かったと思います。と言いましてもいつダメになるわからない瀬戸際まで来てしまい、無事歩き終わっときほっとします。
当時のお仕事で愛知のみならず、岐阜、静岡と詳しいですね。京都まで直行のこの間まででしたので最初に東海道を歩いたのは有意義でした。
姫街道の立派なお寺、まだ発見してないかもしれません。もしかして足を延ばしていないのです。遠くのは飛ばしているからです。電車やバスが不便で寄り道があまり出来ないでいます。
徐々に回復されていらっしゃいますでしょうか。お大事に。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2023年2月12日 (日) 08:49
★matsubaraさま
おはようございます。
万葉集に姫街道の歌が出ているのですか。
知らなかったです。
有名なのの他は東歌、防人の歌しか知らないからです。
三ケ日牛を駅弁で食べたわけですが、ブランド名になるかわかりませんが、きっと蜜柑に関係するのではと調べましたら、やはり蜜柑の皮まで無駄なく飼料としていたのでした。その結果ももっとわかってくるのだろうと思われます。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2023年2月12日 (日) 08:54
そうです、サッタトウゲでした。
困ったものです。
投稿: 佐平次 | 2023年2月12日 (日) 10:27
こんにちは。こんなところでも熊が出没するのですか。恐いですね。だいだらぼっち伝説は日本各地にありますね。当地の長池公園の長池も足跡だっという話を聞いたことがあります。琵琶湖とは比べものになりませんけどね。
投稿: 多摩NTの住人 | 2023年2月12日 (日) 16:44
★佐平次さま
ご丁寧にありがとうございます。
私は頭の中から必要な言葉が消えてとても困
っています。勿論覚えられないし、こんな世界情勢の中「贅沢言うな」なのですが、生きているのが嫌になるほどの認知症気味ブリなのです。
そこへいきますと年齢差という問題でなく佐平次さんの頭脳明晰なこと、驚きです。お若いころから衰えていないのですね!
投稿: tona | 2023年2月13日 (月) 09:02
★多摩NTの住人さま
こんな低い峠にまさかの熊の糞跡、驚きました。それが時間が経ってないのですよ。
だいだらぼっちのこと、今回が初めてでない気がしていましたら、全国各地に伝説があるのですね。
永池公園もそうだったのですか。大小いろいろですね。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2023年2月13日 (月) 09:06
県内に住んでいて引佐の名前は知っていても詳しい事は知らないのです。
もちろん江戸に運ばれた像がこの姫街道を通ったことも。
その像にちなんだ像型のトイレは地元にとって
伝えたい歴史の一部なんでしょうね。
行き倒れの人を祀る祠、徒歩での旅ではあちこちにこうした悲しい死があったのでしょうね。
家の近くにもこのような行き倒れた人をお世話したという話が残っています。
ラッピング電車、最近はあちこちで見ますね
こちらでは去年は鎌倉殿のラッピングが
近くの沿線を走っていました。
投稿: ビオラ | 2023年2月15日 (水) 10:41
★ビオラさま
引佐を始め読めない地名などが姫街道に入ってからも多いです。
象が江戸に入った話は知っていましたが、姫街道を通ったとは知りませんでした。
象にとって姫街道の方が厳しかったでしょう。それにしても鈴鹿、宇津谷峠、箱根も象にとって大変だったのではと思われました。
行き倒れた人のお世話は時代劇にもよく出てきますが、自分がハアハアいっただけでも大変と思うのに、具合が路の途中で悪くなって死に到るなんて、どんな苦しみだったでしょう。心細さも手伝って。今は恵まれています。電車を遅延させる人が多いですが、車内でも道路でもすぐ救急車に連絡してもらって手当、並びに移送してもらえる(一頃コロナでダメだったそうですが)のですから天と地の差です。
鎌倉殿のラッピング電車はとうとう見ませんでした。今年の大河ドラマで静岡県、愛知県は大変賑わっているようです。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2023年2月15日 (水) 13:21