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2023年3月16日 (木)

姫街道5 自動車学校前駅~市野宿~見付宿(2)

天竜川の橋を渡り終わり東海道(右折)と別れ、姫街道(左折)に戻る。

川沿いに北上するが「下の渡し跡」(本来ここで街道は右折する)が更に北へ「中の渡し跡」「上の渡し跡」まで寄り道する。
江戸時代の渡し場で間の宿の池田宿として賑わった。
下の渡し場跡碑。水量によって上中下あって、増水すると中、上と使われた。
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中の渡し場近くに行くと粒見堂がある。
永享6年(1434)、妙法寺二代目の僧侶が天竜川に聖観世音が浮かぶ夢を見たらその通りに発見されたので、村人たちが穀物(粒)の喜拾を乞うて建立したという。
奥の建物が粒見堂で、一番左にさびた半鐘の付いた珍しい常夜燈がある。
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上の渡し場跡へ。池田橋の跡碑がある。池田橋は、明治16年(1883)に架橋された有料の木橋であった。
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徳川家康が渡船衆に与えた天竜池田渡船許可証のレプリカがあった。
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遠くには山が見え、川べりには柳が芽を吹いている。
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池田の渡し歴史風景館を見学。池田の渡しの歴史などの解説があって勉強になった。
一言坂の戦に敗れ敗走する家康が天竜川の渡河に難渋していると、船頭方の善右衛門が船頭衆を集めて西岸に無事渡して家康を助けた。又武田軍の追撃を阻むため舟と櫓を隠し、その功績から家康より天竜川渡船の権利を賜った。
名物はどぜう汁。
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この辺りの秋葉山常夜燈は石積みが美しい。
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近くに藤の行興寺がある。延久元年(1069)の創建で、平家物語や謡曲で有名な、熊野(ゆや)御前の旧跡
平宗盛(平清盛三男)に寵愛された熊野とその母の墓がある。奥が母、手前が熊野。
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境内には熊野御前が植えた藤の孫、玄孫の藤が500坪にわたり広がり、「熊野の長藤」として天然記念物となる。
国指定天然記念物1本。県指定天然記念物は3本でなく5本だそうです。咲いたのを見ることが出来なかったが、来月下旬には満開でしょう。
こちらは樹齢850年。
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樹齢300年の長藤。
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妙法寺には家康を助けた善右衛門のお墓があるらしい。ソテツがたくさん植えられている。御油宿とか東海道の方のお寺などにも植えられていたし、広重の「赤坂宿」の絵にもあった。
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街道に戻る。ポケットパークに熊野御前の物語の碑があった。これは第四場で第六場まであるという。
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こんな風景の中を直角にジグザグに進む。
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智恩齊(ここだけ民家が集中していた)に一言観音がある。
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家康が一言坂の戦いで武田軍に包囲された時、この観音に 「助けてくれ」 と乞うた。すると武田軍の包囲網の一か所が崩れ、脱出することが出来たという。
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磐田市の別のマンホールで、東海道見付宿で写していた。市の虫で桶ヶ谷沼に生息するベッコウトンボのデザイン。
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ジグザグが終わると一言坂を登っていく。一言坂戦跡の説明板。
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三箇野川の戦いで武田軍に敗れた徳川軍は、浜松城を目指して敗走たが、一言坂で追いつかれ、再び合戦となった。この時敗走する徳川軍を救ったのが、家康重臣の本多平八郎忠勝。平八郎は 「とんぼ切り」 といわれた大槍を振り回しながら一人奮戦し、枯れ草に火をかけ、その煙の中、見事に味方の軍を退却させた。

かぶと塚公園に向かう。桜が満開だ。
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ここには兜塚古墳がある。
奥に小さく見えるが、古墳時代中期(5世紀ごろ)に造られた、実際には直径80m、高さ8mの大きさの円墳で、県内最大の円墳だそうだ。
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頂上は平らで広い。
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ついに姫街道のゴールに。午後3時34分。東海道を歩いた時に写してしっかり目にしていた。姫街道まで歩けて良かった。
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この後は東海道を歩いて磐田駅に向かう。2㎞ほどある。あの日、暮れて撮れなかった所に寄る。

西光寺。
表門は、徳川家康が別荘表門を移築した寺で、奥の寛政元年(1789)の鐘楼門は、ハートや三日月や星がついている。恋愛成就・縁結びのパワースポットのこと。
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同じく右側にある遠江国分寺跡に行ってみたが、整備中だった。今回の歩きで3ヶ所の国分寺跡に行った。
薬師堂。手前の石は1250年前の奈良時代に聖武天皇の勅願で建立された国分寺の礎石をくり抜いて造られた手水石。
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金堂及び石段跡。
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少し先の左手の府八幡宮へ。奈良時代に桜井王が遠江に国司として赴任した時、良く治まるようにと建立した。寛永12年(1635)のを再建。
随身門。
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拝殿。
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拝殿内部の両側にはお雛様が飾られていた。
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入口にはしっぺい君がいた。(見付神社の妖怪を退治した犬)。
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磐田駅に到着し、掛川へ。お土産などを買い新幹線に乗車し、東京には6時48分着。家には8時頃到着。お昼のうなぎの食べ過ぎで夕食はおにぎりになってしまった。
おみやげは、掛川茶、しっぺい饅頭、うなぎいもタルト。
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約39000歩。
今回も長々と読んでいただきありがとうございました。中山道はマップの完成が未定ですがあと少しですので今年中には。奥州街道も目指します。

(完)

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コメント

39000歩とは途方もない数字です。
歩かない私にとりましては。
日々1000歩までとはお恥ずかしいです。

磐田市はまるで行ったことがありませんが、
学生時代東海大学ゼミナールで静岡大学の
人と話をしたことがあります。
彼女の母校は磐田市の高校で、サッカーが
とても強いことを自慢していました。
60年も前のことを思い出しました。

いろいろなお土産も楽しめますね。

投稿: matsubara | 2023年3月17日 (金) 09:34

こんにちは
 
ついに姫街道も完歩、おめでとうございます。
見付宿から東は東海道も歩かれ、3900歩とは、この回も実にたくさん
歩かれましたね。お疲れさまでした。
姫街道歩きのリポートでは、家康の時代以降の史跡等が多いと
感じられましたが、今回のこの間では平安の時代の熊野御前や
縁の藤(玄孫まで続いて今なお守られ続けているとは!)が
登場したり、静岡県内最大であったという古墳が登場したりと、
古い時代のものにもお会いになられましたね。
西光寺の鐘楼門に、♡☽☆など(イルミネーションでしょうか?)が
飾られているのにはちょっとびっくりしましたが、
今の時代の諸事情を表しているのですね。
 

投稿: ポージィ | 2023年3月17日 (金) 10:56

粒見堂、いまいちよく分からない由来です。
泥鰌汁、食べましたか、私は大好物ですが、ずいぶんご無沙汰です。
しっぺい君も知らなかったなあ。

投稿: 佐平次 | 2023年3月17日 (金) 10:58

★matsubaraさま

一日1000歩でも続けることが大事と知るこの頃です。使わないとすぐ衰えてしまいますね。
磐田市はそんな昔からサッカー熱があって強かったのですね。
ジュビロ磐田の話を最近聞きませんが、兎に角以前は静岡県はサッカーが強かったのです。
お土産では初めての物が多く毎回楽しみです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2023年3月17日 (金) 11:15

★ポージィさま

ありがとうございます。
お陰様でまさか歩くことになるとは思わなかった姫街道でしたが、無事完歩できました。
豊川稲荷や三ケ日のミカンや牛、次に出てきたお茶、お寺や峠越えなどいろいろと景色が浮かんできます。なかなかに良かった姫街道でした。
さすが三河に生まれ、浜松に人質になった家康はその後この地で戦いが始まって、最初は負けていまして、その遺跡が多かったのも頷けました。
熊野御前の話は初めてでした。謡曲では東海道の方にもお話があったのですが、もう忘れました。
古墳は5世紀と言いますから随分古いものが残っているのですね。
観光地でなく地味な街道歩きですが、それなりに得るものもあり満足です。
お寺のイルミネーションはあの時は夜でしたが輝いていませんでしたのでこの5,6年の間に出来たのですね。お寺なのでちょっとびっくりでした。
  

投稿: tona | 2023年3月17日 (金) 11:30

★佐平次さま

粒見、ご飯が欲しくて観音様にお願いしてご飯の粒を、まではわかりますが見るが?
まだご飯が食べられる私達は幸せと思わせたお堂でした。
泥鰌汁のお店は今はどこにも見当たりませんでした。
一頃食べたくて浅草駒形まで出向こうとしていましたが、この3年間で出かける意欲が薄れてしまいました。でも食べたいですね。
しっぺい君は駅前にも像があります。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2023年3月17日 (金) 11:44

こんにちは。姫街道踏破おめでとうございます。すごいですね。色々な歴史が楽しめて面白い道でしたね。磐田駅は大学1年時の自転車旅行の際に待合室で一晩寝かせてもらった場所です。

投稿: 多摩NTの住人 | 2023年3月17日 (金) 16:17

★多摩NTの住人さま

こんばんは。
お陰様です。ありがとうございます。
確かに思ったより楽しい街道でした。
家康関係が多かったです。

まあ、磐田駅にはそんな思い出があるのですか。お若いのでそんなことも出来る体力があったのですね。
今も培った体力がおありで充実した生活ができることでしょう。

投稿: tona | 2023年3月17日 (金) 19:25

ご無沙汰しております。
九州旅行の後はボーッツとしており、
やっと昨日あたりから回復しました。
旅の刺激は強い程面白いのですが、
回復にも時間がかかります。敗敗tonaさんは毎回こんなに充実した旅を続けてらっしゃって、(それも日帰りで)帰った後の後遺症は無いのでしょうか?
タフさに感嘆しております。

家康の武田軍からの敗走の所縁の地にはこんなに沢山の言い伝えや痕跡が残っているのですね。
歴史が身近に感じられます。

投稿: ☆銀河☆ | 2023年3月20日 (月) 21:13

★☆銀河☆さま

お帰りなさい。
毎日充実している旅を1週間続けるのはまるで外国旅行に行くみたいで、時差がないけれどもかなりお疲れになると思います。
私は日帰りですので、長時間歩くと最初は3,4日疲れが取れませんでしたが、慣れとは凄いものです。最近は翌日から動けます。ただし腰や背中が歩いている途中から痛くなりますので湿布を貼っての行動です。幸い膝がまだ大丈夫そうなので、今のうちです。
これが毎日だったらダメでしょうね。ですから1週間以上もというのは凄いことだと思いますし、誰でも疲れると思います。
でも出来るだけ行けるうちにね。今年はもう海外に行かれるのではないですか。

そうです。家康と武田の争いがこの辺りでこんなにあって犠牲者がかなりあったことに驚きました。
ついつい桶狭間や関ヶ原、小牧・長久手の戦い、大阪の陣にしか心が向いていませんでしたので。
観光地でない田園や山の中の小さな道にも歴史を発見して、ささやかな喜びを見出すのも楽しいことと知りました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2023年3月21日 (火) 09:29

tonaさんへ
今日は。この度の姫街道の完歩、誠におめでとうございます。大変お疲れ様でした。
今は、NHK大河ドラマ「どうする家康」の放映の影響で、姫街道が通る愛知県や静岡県の家康関連の史跡は、観光資源として大いに喧伝されているのでしょうか。姫街道の次は山手線一周、その後はいよいよ奥州街道へ踏み出すご予定のようで、、tonaさんの心意気とご健脚には感服するばかりです。奥州街道は白河まで?、それとも青森県の三厩までの長丁場でしょうか。帰省中に仙台を通過するようなら、仙台駅前に何か差し入れを持って激励に伺います(リップサービスに終わるかも知れませんが😆)。

投稿: shikamasonjin | 2023年3月22日 (水) 12:47

★shikamasonjinさま

嬉しいコメントありがとうございます。
姫街道は家康の初期の頃の負け戦の場所でした。生涯を通じて浜松、静岡は愛知県とともに活躍した場所ですね。
今年の大河ドラマ関連の旗が関係する場所に宣伝のようにありました。
奥州街道は暑くならないうちに少し進めたらなあと思っています。
勿論白河までです。もう青森県まではとても行けません。
せっかくですのに残念ながら仙台までは歩けないことになります。仙台は新幹線で行くつもりです。日本三景の最後の一つを見ないでは心が残りますので。

投稿: tona | 2023年3月22日 (水) 13:51

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