中山道31 籠原駅~熊谷宿~北鴻巣駅(1)
5/26(金)の前週は熊谷34度という事で断念、この日24度の予報でチャンス。
国分寺5時43分に乗ると籠原駅7時23分に到着した。支度をして出発。
駅から街道に突き当り、右折して歩き始める。奈良用水を市右衛門橋で渡る。奈良村の名主吉田市右衛門が私財を投じて荒川から用水を引いたということで、橋の名となっている。今迄こういう仕事をして日本の田園の水を確保した人を何度か聞いて見てきた。
玉井観音堂や庚申塔、巳待(みまち)供養塔などを見つつ、ピンク色のモニュメントに行きあたる。
熊谷市玉井団地のモニュメント。(玉の下が井戸枠で玉+井)
お地蔵様を通り過ぎると、前回まで青かった麦、麦秋で、刈入れも始まっているのを別の所で見た。
「従是南忍領」と彫られた石碑は、「忍領石標」。映画『のぼうの城』の忍藩である。城は現在の熊谷市に接している行田市にある。
忍藩が他藩の土地との境界を明らかにするため、藩境の16ヶ所に建てたものの一つ。安永9年(1780)に石標として建て直された。明治以降、行方不明だったが、昭和14年に発見され、元の地に再建された。
一里塚跡があった。新島一里塚跡で17里目。
樹齢300年のケヤキがあったそうだが、平成22年の落雷及び平成30年の豪雨により折れて伐採されてしまっている。
向かいにあるのは摩多利神社。インド由来の厄除けの神様・・珍しい信仰だ。でも七福神の弁財天や大黒天はインドの神様であった。中が見られないのが残念。
東武鉄道熊谷線(妻沼線)の跡は遊歩道となっていて、「かめの道」と名付けられ、2匹の亀がいる。
戦時中、熊谷と中島飛行機工場を結ぶ鉄道計画があり、妻沼(熊谷の北の利根川の方)までが開通したが、終戦となり中止。妻沼線も昭和58年廃止となった。当初走ったイギリスの蒸気機関車がとてもゆっくりで、亀の愛称がついた。
ここに秩父道の道標が3つある。明和3年(1766)建立。「ちちぶ道」「観音巡礼道」「寶登山道」。直線距離でも30㎞はありそうです。
室町時代に始まった秩父札所の観音信仰は江戸時代になると盛んになり、最盛期には秩父盆地を訪れる人の数は数万人に達したそうだ。
●熊谷宿(8番目) 本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠19軒。深谷宿から10.8㎞、鴻巣宿まで16.5㎞。
昭和20年8月14日の空襲によりほとんど残っていない。日本一の規模の本陣を持ち、宿の規模としては本庄についで大きかったが、飯盛女は置かれなかった。
宿に入ると八木橋百貨店(埼玉県で最初)というデパートの中、ここが中山道だった。デパートの入り口と出口にも「中山道跡碑」があった。

まず星渓園へ。
元和9年(1623)、荒川の洪水により土手(北条堤)が決壊して玉の池が出来、その湧水が星川の源流となった。慶応年間から明治初期に本陣の当主・竹井澹如が別邸を作る。家は数寄屋風、庭園は池泉回遊式である。
正門。
庭園。
松風庵。
十王供養塔。閻魔王に会うまで初七日から10人の王に生前に供養して罪を軽くしてもらおうという供養塔。
山口青邨句碑「夕紅葉 鯉は浮くまま 人去りぬ」
芭蕉句碑「春もやや 気色ととのふ 月と梅」
続いてお隣にある石上寺へ。八重の熊谷桜が60本咲くそうだ。
本堂。
モース博士の像がある。明治12年、ここで博士がダーウィンの進化論について講演を行ったのだそうだ。
左は顔が3つあるので阿修羅像か?
星川沿いを少し歩く。
北村西望の彫刻「戦災者慰霊の女神」。
風車などの飾り、お花が植えられている。星川の水源は星渓円の玉ノ池同様湧水だったが枯れたので、現在は再び荒川が水源である。
百貨店から続いている中山道の反対側には熊谷寺(ゆうこくじ)がある。非公開。
一の谷の戦いに於て、平敦盛を討った熊谷直実が開いた浄土宗の寺。直実と妻の墓がある。
お隣の伊奈利神社も元久2年(1205)直実が創建したものである。
街道に戻ると立派な屋根のついたバス停があり、その向かい側が竹井本陣跡で、とても広く、和宮も宿泊した。
伊奈利神社とそっくりな千形(ちかた)神社があった。
熊谷直実の父である直貞が熊退治をし、頭を埋め、血が流れたところに熊野権現を勧請したところから呼ばれた。忍藩の陣屋跡でもある。
札の辻跡を通り過ぎ、高城神社に寄る。
高さ275センチの青銅製の常夜灯がある。天保12年(1841)建立。市指定有形民俗文化財。藍染業者によって建立された。星川沿いには何軒か藍染業が残るらしい。深谷の渋沢栄一の生家も藍を育てていた。
樹齢800年のケヤキ。
市役所近くの「田舎っぺ」といううどんやさんで昼食。「肉ネギつけうどん」できっとここの小麦粉を使っているのでしょう。こしがあり美味しい。
中山道に戻ると銀座一丁目交差点で右折。ここが熊谷宿の江戸見付方。次の鴻巣宿へ向かうがこれが長くて今回は辿り着かない。
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コメント
埼玉県浦和市生まれですのに、埼玉県熊谷市
には足を踏み入れたことがありません。
モースは大森貝塚しか縁がないと思って
いましたら、こちらにも銅像があったのですね。
句碑があちこちにあり、楽しめますね。
有名な北村西望の作品も見られてよかったですね。
投稿: matsubara | 2023年6月 5日 (月) 08:59
★matsubaraさま
浦和で生誕されたのですか。岐阜だとばかり思っていました。お父様の赴任先ですね。
熊谷と言えば夏は暑いイメージで、梅雨前に通過したい思いでした。
思い描いていたイメージとは違ったというのは大体どこもそうですが、熊谷も堀があったり、神社やお屋敷があってなかなかきれいな市でした。
まさかモースがここで公演したとは驚きましたね。
句碑があちこちにあっていいですね。
長崎や井の頭公園にある北村声望の作品もあったのです。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2023年6月 5日 (月) 09:31
こんにちは
少し涼しい日にお歩きになれ良かったですね。お天気は曇りでしょうか。
熊谷宿において、中山道は一部が百貨店の中を通っているのですか?
逆ですね、中山道の上に百貨店が建っているのですか??
星渓園や星川は自然の脅威が元で生まれた美しい場所なのですね。
(星川は現在は湧水ではなくなったとのことですが)
自然のもたらす脅威と豊かさの例ですね。
熊谷は天気関連のニュースで名前ばかり刷り込まれましたが、
行ったことはありません。記事を拝見すると、当然のことながら
その時代時代による変遷や人々の暮らしの積み重ねや混ざり合いが
感じられる気がしました。
投稿: ポージィ | 2023年6月 5日 (月) 10:30
中山道を抱きかかえるデパートってどうしてそんなことになったのでしょう。
肉と葱のうどんのうまそうなこと!こういう田舎臭いのが好きです。
投稿: 佐平次 | 2023年6月 5日 (月) 10:48
34℃では熱中症になってしまいますね。どうぞお気を付け下さい。熊谷直実というとクマガイソウですね。その神社ではクマガイソウが植栽されているのでしょうかね。
投稿: 多摩NTの住人 | 2023年6月 5日 (月) 16:35
★ポージィさま
こんにちは。
この日は曇り時々晴でした。帽子をかぶっていました。
暑くて有名になった熊谷を涼しい日に歩けて幸いでした。
そうそう、中山道の上に百貨店が建ってしまったのですね。
中のお店にまで中仙道と書いてあって面白かったです。
両方とも星が付いていていい名前ですね。
湧水が枯れてしまったのは残念ですが、荒川と繋がっていて堀が流れたり、池があるのは和みを感じます。
星川のようにこんなに水辺を飾って美しくしているのに初めて出会いました。
夏の暑さもここで少しは凌げるでしょうか。
暑いというイメージばかりの市が意外と涼しそうに見えたりしました。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2023年6月 5日 (月) 16:38
★佐平次さま
何故デパートが中山道の上に?
http://saihokuhobito.blog137.fc2.com/blog-entry-1242.html
を見たのですがやっぱりはっきりはわかりませんでした。
このうどん、見た目よりボリュームありで残してしまいました。武蔵のうどんに似ています。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2023年6月 5日 (月) 16:48
★多摩NTの住人さま
創建の神社の方にはクマガイソウはないようです。
どこかで見たのに忘れました。
アツモリソウは礼文島でたくさん見たのですが。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2023年6月 5日 (月) 16:52
作った人の名に由来する市右衛門橋
おっしゃるようにこういう橋や用水など多くありますね
こちらには囚人が掘ったという「シュウジンボリ」という川もあります。
熊谷は夏場の最高気温のイメージばかりで
熊谷直実やクマガイソウはしっていても
地名の熊谷に結びつかなかった物知らずでお恥ずかしい限りです。
中山道の道の上にデパートが建っていて
出入り口に「中山道跡地」の碑があるというのも珍しいです
小麦畑は今は珍しい風景ですね
昔二毛作の田んぼでとれた麦わらで虫かごを編んで遊んだ記憶があります。
投稿: ビオラ | 2023年6月 8日 (木) 20:21
★ビオラさま
三島から沼津に歩いた時も、富士山からの水がとうとうと流れているところや堀を歩いて見たような記憶がありますが、あまりにあちらこちらで見ましたので、間違えて覚えていることしばしばです。
「シュウジンボリ」・・なんて悲しい響きでですね。万里の長城も一部そうなのでしょう。今は囚人がロシアでは戦争に出しているワグネル会社があるのですね。
最近自分の頭を笑ってしまったのが、「どうする家康」に出てくる岡崎城に行ったけ?というもので過去のを引っ張りだして行っていると確信しました。
実は私もどうも熊谷(くまがや)と熊谷(くながい)、呼び方は違っていても似ているなあと思っていまして初めて知ったのです。私こそ全く恥ずかしい大人というか老人です。
今は二毛作をやっていないでしょうが、今後世界情勢悪化で、日本も全員が畑仕事もしないと暮らしていけない時代が来そうな感じです。虫駕籠を作ったとは!麦藁で、田舎に疎開していても何もしなかったような気がします。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2023年6月 9日 (金) 08:51