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2023年6月18日 (日)

奥州街道3 喜連川宿~佐久山宿~大田原宿

6/8(木)に4月以来の奥州街道へ 晴れのち曇り。
国分寺5時21分乗車で新幹線を使って喜連川のバス停に到着し、8時頃スタートし先日の野口雨情の別れた奥さんの実家に到着し、見学を始める。

専念寺には弘安6年(1283)に鋳造された善光寺式阿弥陀如来立像があるそうだが見られず、追分道標を見て内川を金竜橋で渡る。
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両部鳥居 をくぐって、金鶏神社(鶏権現)にお詣りする。扁額が鶏で、これも初めてかな。
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昭和63年(1988)建立の男女双体祝言道祖神だそうだ。
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右手にフィオーレ喜連川(温泉付き住宅地)を見、石塔をいろいろ見ていると田んぼにサギがいて何かを捕らえて食べている。
田んぼの稲も随分伸びてオタマジャクシがたくさんいる田んぼもあった。
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立派な長屋門の旧家。
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少し進むと天皇御小休之際御膳水碑がある。明治9年の巡幸のおりに休憩されたようで、此1㎞先にもあった。
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カンスゲが、たくさん転がっているように生えていて、マリモのようだ。
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「ほほえみ仏」3体。右側は涅槃仏のようだ。不思議な石仏!
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さくら市から大田原市へと入る。

高久宅のツツジ群は「おおたわら令和の名木選」。推定樹齢200年とのこと。残念ながら殆ど終わっていた。
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昼食は「菜胡野家」という古民家を改装したレストランで調度、装飾が感じよい。11時半過ぎには3組待っていて、12時には満席で外に数組待っている。頼んだのは大人気のシチューハンバーグセット。ご飯小にしてもハンバーグを残す。
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●佐久山宿(宇都宮から4番目)
本陣1軒、脇本陣1軒」、旅籠27軒。喜連川から11.6㎞、太田原まで7.3㎞。

佐久山は那須氏の発祥の地。文治3年(1187)那須泰隆(那須与一の兄)が佐久山城を築き、城下に家臣たちを配置したのが佐久山の始まりといわれる。江戸時代は同族の旗本福原氏5000石の陣屋町として発展した。
早速マンホールは那須与一だ。
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観音堂。正保年間(1644~1648)、福原城主那須資弥(すけみつ)創建。
参道にはずらりと地蔵と馬頭観音が並ぶ。奥に見えるのが観音堂。
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内陣の小さな観音様。
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斜め向かいにあるのは虚空蔵堂で、このあたりが佐久山宿の江戸口で番屋が置かれていた。
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公衆トイレの壁にも那須与一!

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その裏にある大日堂には月山、湯殿山、羽黒山三山の碑があった。
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本陣跡。日本初のフランス語学者の村上英俊翁誕生之地碑がある。
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枡形があって、佐久山宿を出る。
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正浄寺で芭蕉句碑を見て、岩井橋で箒川を渡る。高原山に源を発し、那珂川に合流する川だ。
橋から高原山群(左より西平岳、高原山、剣ヶ峰、明神岳、前黒山)が見え、このあとずっと見えていた。その左の日光方面、右の方の那須岳や朝日岳は残念ながら見えなかった。登れないのに、知らないのに、山のことになると篤くなってしまう。
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またまた田んぼを見ながら進む。
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養福院には舟形浮彫の二十三夜塔、如意輪観音、馬頭観音などが並んでいた。
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その少し先の田谷川には県天然記念物の、水のきれいな所に棲むイトヨがいるそうだ。左側に何故か?聖徳太子碑がある。
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この日二つめの長屋門。
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マンホールも那須与一だ。
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享保4年(1719)の創建の薬王寺に寄ってみる。
灯籠には羅漢様が彫ってある!
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なぜか蛙やら亀もたくさんいる。
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元禄3年(1690)や弘化3年(1846)の馬頭観音、宝暦10年(1760)の念佛百万遍供養塔、如意輪観音、十九夜念佛供養塔などが並んでいた。
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お寺の斜めむかいには「与一の里名木選国井宅の赤マツ」。目通り周囲1.7m、樹高7m、推定樹齢約200年。
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湯殿神社。建久6年(1195)那須与一が勧請したもの。
文久元年(1861)の湯殿山と刻まれた石燈籠がある。このあたりから湯殿山に詣でたのだろうか。
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本堂の屋根の緑色が目立つ日蓮宗の護法寺や鎮守の八幡神社を過ぎると、神明町の交差点手前に大田原宿新田木戸跡の碑がある。ここが大田原宿の江戸口。
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●大田原宿に入ってきた。

宿の見学は次回にして、本日は薬師堂だけ見学。
大田原城四方固めの一つの薬師如来が祀られる小堂を寛政5年(1793)に9代藩主大田原庸清(つねきよ)が再建。
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薬師堂は彫刻が見事だ。中には仁王様が。
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一石二地蔵。
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バスで那須塩原駅に出て、早い新幹線に変え、帰宅は19時過ぎで家での弁当夕食となった。

お土産は佐久山宿の勘兵衛饅頭。約43200歩。(この回終わり)

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コメント

そうそう、そのフイオーレ喜連川、温泉付き住宅が私も関わった開発です。

投稿: 佐平次 | 2023年6月19日 (月) 09:57

こんにちは
 
スタート地点に立たれるまでに、地元から2時間半。
あらためて数字を見て遠いなぁと思いました。
晴れのち曇りである国は幸いなれど山が望めなかったのは
ちょっと残念でしたね。
水の張られた田んぼには田植え済み、道端にはタチアオイが咲き
すっかり夏の風景になってきたのを感じます。

今回御紹介いただいた区間も馬頭観音など石像がとても多いと
感じました。街の中心的な場所では立派な寺社が多く、
田畑が多く農民の暮らしがあったような場所にはこうした
信仰の石像が多いでしょうか。
立派な長屋門の旧家は、庄屋などされていたお宅でしょうかね。
そして、那須与一のものも多いですね。源平合戦の英雄であり
出生地である地域の英雄なのですね。
 

投稿: ポージィ | 2023年6月19日 (月) 12:32

★佐平次さま ありがとうございます。

こんな所に来てかかわったお仕事の家を見られるとは!
ちらちらと横目に見ながら歩きました。まだ新しい感じ。

投稿: tona | 2023年6月19日 (月) 16:27

★ポージィさま

こんにちは。
この日は那須に近い方までですので栃木県の北東ですが、新幹線を利用しても遠いですね。
この電車に乗ることにしり込みしていると、ますます老い込んでしまいますので、幸い一人ではないので出かけますと3年間のブランクによる体力後退が元に戻りかけて。でもこの3年間に随分老いたと思いました。
今梅雨ですのに今週も出かけますが、又雨が降りそうで、また那須岳などは見えそうにありません。100%望むのは無理ですので最近残念には思いますが、当たり前で運が良ければという思いに変わりました。
わが家の方に田んぼがないので、この田んぼ風景は大好きです。疎開した時のことが片隅に残っているようなのです。
こんなところに、もう殆ど省略してしまったのですが、随分たくさんの石像がありました。馬頭観音と庚申塔が多かったのですが。
長屋門はおっしゃるように昔の庄屋さんので、立派な佇まいです。
那須の与一が大田原とは知りませんでした。というわけで、1回の歩きで1つの歴史を知れば嬉しいことです。残念なのはもう中山道の本庄や熊谷などを忘れています。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2023年6月19日 (月) 16:47

こんにちは。やはりここは那須与一ですね。高校生の時の古文の授業で平家物語の一節を暗唱したことがありました。
確か『さそうらあば、はずれんをば、ぞんじそうらはず ごじょうでそうらへば、つかまつってこそ、みそおらはめ』。こんな文でした。
意味は、与一が的を射ることを命じられた時に答えた言葉で『そう仰るなら、外れるかどうかわかりませんが、お言葉ですのでやってみます』ということでした。久し振りに平家物語を読んでみます。

投稿: 多摩NTの住人 | 2023年6月19日 (月) 17:59

奥州街道は全く未知ですので、珍しく拝読
しています。
那須与一もそちらの人でしたか。
中学時代の先生に扇本という姓の人がおられ
冗談に那須与一は僕の先祖だと言っていた
のですが、嘘でした。

こちらの長屋門は我が家の倍ほどの長さですね。

投稿: matsubara | 2023年6月20日 (火) 08:46

★多摩NTの住人の住民さま

こんにちは。
那須与一の部分を暗唱させられたのですか。いまでも覚えていらして凄い記憶力です!
長い平家物語を読みましたが、冒頭部分と「小督の局」の辺りしか頭に残っておりません。
あの頃暗唱させられた詩などは時々口を突いて出てきます。
確かにもう一度読みたいです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2023年6月20日 (火) 09:02

★matsubaraさま

那須の与一は大田原市で、その北方面に那須塩原市があります。山はそちらの方ですね。
先生の冗談、信じてしまいます。

この日の長屋門はきれいに整備されていました。いつも見ますとmatsubaraさまの長屋門を思い出します。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2023年6月20日 (火) 10:07

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