奥州街道5(最終回) 芦野宿~白坂宿~白河宿~女石追分(1)
10/12(木)天気は快晴。気温は18度くらいでとても良い気候だ。
6/22以来の街道歩きの今日は奥州街道の最後である。
いつものように4時半過ぎの起床で5時21分の電車に乗り、大宮へ。新幹線・やまびこ号で那須塩原。各駅に乗り換え黒磯、又乗り換えて黒田原駅到着は8時3分。8時10分のバスに乗り、前回見て歩いた芦原宿のバス停・芦野仲町へは8時23分着。本日は大きな地蔵と馬頭観音がたくさん現れた日であった。
電車内から日光の男体山、女峰山を見て、その後那須連山が良く見えた。
●芦野宿を少し残したところから歩き始める。
建中寺 芦野氏19代から27代までの墓がある。(其れより前の代の墓はどこか?わからない)・・前の代の墓は前回行った景勝院の裏手にあったということだ。
本堂
墓
遊行柳 時宗開祖の遊行(一遍)上人の使い古した柳の杖が根付き芽吹いたという。左右2本ありました。
そばには西行、芭蕉、蕪村の句碑があったがわからなかった。国指定名勝。

新町地蔵尊(1717年造立)。芦野宿の北口を守護し、芦野宿は終る。
岩倉具視の明治天皇東北巡幸に随行したとき詠んだ歌の碑。
「みちのくの鄙の果てまであきらけき御代の日影を仰かぬそなき」
板谷の一里塚(43里目)。この様子ではどこにあったのかわからない。
高徳寺(1562年創建)。この辺りのお寺から戊辰戦争の戦死者の墓が多くなる。
境内の地蔵尊(1819年造立)。お顔がそのあたりの人をモデルにしたようなのだ。
脇沢の地蔵様。草の間から見つめられているようだ。

面白い形に刈られた木が続いている。
●間の宿・寄居宿の江戸口に鎮座する「座り地蔵尊」1771年(明和8)造立。
與楽寺(1546年創建)。ここにも地蔵座像があり戊辰戦役で戦死した黒羽藩士の墓がある。

歌舞伎「箱根権現いざり仇討」初花清水碑を通り過ぎ、石仏石塔群、馬頭観音、地蔵などを見て通る。
栃木県側の境の明神・玉津島明神。寄居の総鎮守。1053年紀州和歌浦の玉津神社から分霊勧請。
白河側の境の明神・住吉明神。1595年白河を支配していた蒲生氏の創建。芭蕉の句碑もある。
左側に算額が見える。
奥社
(続く)
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