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2023年11月 1日 (水)

佐屋街道(1)

10/6(木)快晴
佐屋街道は東海道の脇往還である。東海道完歩と言っても実は熱田宿と桑名宿の間は歩いていないのです。
木曾川など大河があって渡川が困難で海路「七里の渡し」がルートであった。荒天による欠航や船酔いなどのため嫌われ、熱田から陸路を西に進み、岩塚、万場、神守、佐屋の四宿(24㎞)が整備され、佐屋から桑名まで佐屋川~木曾川(12㎞)を船で渡った。約36㎞(9里)。
今は佐屋川も埋め立てられ、船はない。というわけで桑名には到着しないのである。
そこで佐屋街道を歩いて本当の東海道完歩としたい(佐屋川は埋め立てられて残念ではある)。

東京駅6時15分の「のぞみ」に乗車、名古屋に7時50分に着いた。電車を乗り継ぎ熱田神宮の前に到着したのは8時半頃。それから夕方5時半頃まで24㎞を寄り道を少なくして歩く。
約57000歩になり街道歩きで最高記録を更新したが、もうこんな長い歩きはないと思う。足は棒、背中や腰が痛くなりました。帰路の電車でゆっくりしたら治ったのでほっとする。

横浜過ぎてからの富士山には雪が少しうっすら、静岡側はあまり見られなかった。
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スタート地点の東海道を歩いた時の懐かしいほうろく地蔵。東海道と佐屋路又は美濃路の分岐点である。そばにそれらを表す道標があるが読めない。
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名古屋市の消火栓は左に名古屋城、右にシャチがデザインされている。
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国道1号線の向こうが熱田神宮で歩道橋を渡ると熱田神宮南門第一鳥居が見える。以前お詣りしているので、今日は時間がなくてお詣りを断念する。
神社の横を歩いて行くと熱田神宮西門鳥居があった。
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道路(国道19号)の向こう側には山門と右大将頼朝公誕生舊地碑がある。山門には葵紋が付いていた。
ここは熱田大宮司藤原季範の別邸があったところで季範の娘由良御前は源義朝の正室となり、久安三年(1147)この別邸で頼朝を産んだとのことだそうだ。
その後、享禄2(1529)年、別邸跡に善光上人が誓願寺を創設した。
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熱田神宮の第二神門址の石柱。もう少し行った先に第一神門址がある(全く同じで一と二が違うだけ)。
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断夫山古墳。
東海地方最大の前方後円古墳で、全長151㎝。5世紀後半から6世紀前半の築造。木がうっそうとしていて全容がはっきり見えない。
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青大悲寺。
この地の「きの女」が拓いた如来経の本山で、説法は名古屋弁そのままで語られ「御経様」という経典として残っている。
境内はとてもよく手入れされていてきれいで広い。
地蔵堂には室町時代の鉄地蔵菩薩立像が祀られている。
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第二と全く同じ造りの熱田神宮第一神門址の標石を通り妙安寺へ。愛知県のお寺にはソテツが多い。
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芭蕉時雨塚がある。読めないけれど、「此うみに草鞋すてん笠しぐれ」だそうだ。
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六地蔵石幢。奥州街道のはもっと小さかった。
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文政四年(1821)の佐屋街道道標。南へは熱田、北は名古屋、西が佐屋路で「三所の堺」と呼ばれた。美濃路はここに出てくるのでここを終点としたい。
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堀川(城下と熱田湊を結ぶ資材運搬用の運河、家康の命により福島正則により造られる)に架けられた尾頭橋(おとうばし)を渡る。
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欄干には昔の橋が描かれていた(新橋と書かれているのは橋が度々流失し再架橋されたから)。
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創業1927年の和菓子屋・不朽園は不朽最中を買ったところ。
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新幹線の高架をくぐった先、唯然寺の境内に津島街道(五女子ともいう)の一里塚跡の石柱がある。
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五女子(ごにょうし)とはこの辺りの地名。
昔々、七人の娘を持った裕福な人がいた。それぞれが近くの村に嫁ぎ、代々栄えた。長女に付けた村を「一女子村」として、以下、七女子村まであった。
二女子、四女子、五女子が現存。佐屋街道は五女子、二女子村を通る。
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フウセントウワタは久しぶり。
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明治天皇御駐蹕之碑。(明治天皇御駐輦之所碑は見逃す)。明治天皇は佐屋街道を3回も通っている。
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中川運河を長良橋で渡る。昭和初期に開削され、名古屋駅近くの笹島と名古屋港を結ぶ運河。
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北の方に見えるのは、名古屋市街のビル。
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籠担ぎが描かれたレリーフも橋も新しい。
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あおなみ鉄道、JR関西本線、近鉄の高架をくぐった先に烏森駅(かすもり)がある。そこに松が植えてあるが、ここは烏森の松並木跡。烏森村にはかつて立場があったそうだ。佐屋街道の松並木は、戦争中に伐採され、ほぼ消滅してしまったそうだ。
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(続く)

 

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