中山道32 北鴻巣駅~鴻巣宿~桶川宿~上尾宿(1)
11/9(木)曇のち晴
前回は半年前の5月で籠原駅から熊谷宿を経て北鴻巣駅までだった。
早朝に出て北鴻巣駅に7時過ぎに到着。まもなく歩き始め、前回の箕田追分(行田方面との分岐)に到着する。
箕田(みだ)源氏ゆかりの地の説明板を読む。
嵯峨天皇の玄孫・充が箕田源氏の祖となり、その子が渡辺綱(わたなべのつな)で、源頼光四天王(坂田金時もいる)の筆頭であり、全国6位の渡辺姓の祖である。父がすぐ亡くなったので母方の摂津国西成渡辺に養子移住した。
向かいに地蔵堂と庚申塔があった。この先も埼玉県は庚申塔が非常に多い。
小さな隙間から写すとお地蔵様は大きかった。
中宿橋で武蔵水路(二列)を渡る。
東京オリンピックの頃の東京砂漠と呼ばれた首都圏の水不足を補うため、利根川から荒川に引き入れた全長14.5㎞の用水路である。
箕田2号墳。階段の上には小さな氷川神社がある。
箕田には9基の古墳があって(1,3は消滅)6世紀初頭から7世紀中頃までの約150年間に築造されたものだそうだ。
氷川八幡神社。
氷川社は清和源氏の祖であり清和天皇の孫、源経基が勧請、八幡社は源仕(つこう)(源経基の臣下であり、嵯峨天皇のひ孫)が石清水八幡宮を勧請して創建、上記の任の孫、渡辺綱により再興され、明治になって合祀された。
境内に箕田が武蔵武士発祥の地であることが記す箕田碑がある。宝暦9年(1759)建立。
お隣にある宝持寺は、渡辺綱が祖父と父のために建立したそうで、全国の渡辺さんの聖地。再来年が「渡辺綱公千年祭り」だそうだ。幟に「三ツ星に一文字」の家紋が見える。
十八羅漢の顔がいろいろで見てて飽きない。
白山神社の拝殿には火灯窓がある。
石尊大権現・妙義大権現・日本大小神社と三面に彫られた常夜燈がある。石尊大権現は大山の山岳信仰で埼玉県は大山詣りが盛んだった。
かつての一里塚があった辺りで中山道第3踏切で高崎線を越えると、鴻巣宿に入ってきた。
●鴻巣宿(7番目)熊谷宿から16.5㎞、桶川宿まで7.2㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠59軒。
中山道と日光裏街道、松山街道の追分になっており、江戸からの初日の泊まりが鴻巣だったことで宿場が発展した。元々はもう少し東京よりの本宿(現北本市)に宿があったが、慶長7年(1602)にこの地に移転したそうだ。
火災でほぼ全焼し遺構は殆どない。
鴻巣の地名の由来は、国府があって国府の洲からこうのすになったという説や、その昔のコウノトリ伝説に由来していると言われる。歩道にはコウノトリのタイルがある。
鴻(こう)神社にお詣りする。
参道には明治天皇鴻巣町御晝(昼)食所阯碑や、神社の由緒書きや中山道鴻巣今昔絵図がある。
拝殿。2本のイチョウは推定樹齢700年の夫婦イチョウとのこと。
狛犬ならぬ、狛コウノトリ。
拝殿内。コウノトリと卵(御神卵と呼ぶ)が見える。
コウノトリの卵の納所(1年以上もたったものやお願いのかなったものを納める所)や旧鴻の宮(コウノトリの伝説の伝わるお社)があった。
法要寺。長禄元年(1457)建立。
本堂の屋根に金色の寺紋が3つ見えるが加賀前田家の家紋の梅鉢である。
前田家が参勤交代の折、勝願寺に宿泊を断られ、ここに泊まらせてもらったお礼に使用を許されたという。
何処のお寺にも庚申塔などが並んでいる。ついつい下の猿を見てしまう。
神社にあったコウノトリの御神卵に似ている。
鴻巣市の花パンジーを3色、カラーデザインした汚水管マンホール蓋。
旧吹上町の花コスモスのデザインの新市章入りの制水弁で、受枠は青地に水玉模様。
(続く)
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