中山道33 上尾宿~大宮宿~北浦和(1)
11/16(木)晴れ 地元駅8時25分に乗り、上尾駅9時36分着。近くなりました。上尾宿を歩いているところでした。本日は神社ばかりといってよい。
改札を出ると
上尾のイメージキャラクターの「アッピー」の「ア」、上昇や向上を意味する「アップ」、さらに幸せの「ハッピー」を合わせた「アッピー」という意味です。
「アッピー」と、まゆみの木の実がモチーフの福島県本宮市「まゆみちゃん」は2014年11月に結婚。2015年11月5日(いいご縁の日)には子どもの「あゆみ」が生まれました♪自治体同士のキャラクターの結婚、子どもの誕生は全国初!
まずは氷川鍬神社に寄る。神社の前に本陣があった。
氷川鍬神社は上尾宿の総鎮守で、元は鍬神社で氷川神社とを合祀して氷川鍬神社となった。
桶川宿の方から童子らが櫃を台車に載せて上尾宿に引いてきて歌い踊り、江戸まで去って行ったが、大晦日に上尾宿に戻され、本陣前で台車は動かなくなった。正月、櫃を空けると、藁筒と小鍬二挺が入っていたので、社を建立して小鍬二挺を祀り、稲穂を供えたのがはじまりとのことだ。
絵馬に祭りの様子が描かれている。
拝殿の中・・小鍬は見られず。
浅間大神。富士塚の低い事、すぐ頂上だ。
大きな願い事の石や聖徳太子像碑(このところの中山道には何故か聖徳太子碑が多い)を見て神社を出る。
井上脇本陣跡には、家紋(井と上)がついた屋根瓦が飾られていた。
一里塚跡も何もなく、愛宕神社参道脇に享保7年(1722)の「青面金剛庚申塔」ですが、屋根付きで、屋根付き地蔵様のよう。
上尾宿を出て暫くすると道標を兼ねた「是より秋葉へ壱里十二町 ひご方へ壱里八丁 川越へ三里」 と刻まれているという寛政12年(1800)建立の庚申塔があり、この日は一体幾つ見たかしらと思うほど。
さいたま市に入った。(10時32分)
河村屋さんで玉ねぎの漬物ときゅうりの金山寺味噌漬を購入した。玉ねぎの漬物は食べたことがないので楽しみ。(初めてで美味しかった)
江戸時代後期の創業で元はお酒や醤油を扱うお店だったそうだ。
さいたま市のマンホール。
市の木ケヤキ、市の花サクラソウ、市の花木サクラのデザイン。
真っ赤な鳥居の南方神社。
諏訪大社の分社で、江戸時代には諏訪社といったが、明治になって多くの神社が合祀され、明治40年、諏訪神社の主祭神建御名方命(たけみなかたのみこと)から取って「南方」に改称された。

小学校の敷地内に大きな樹齢100年のセンダンの木があった。実も見えず、葉がまだ青々としている。
加茂神社は村社。鳥居が二つで、狛犬も鳥居の手前と突き当りの拝殿の方と両方見える。
京都の上加茂神社を勧請した神社で、渓斎英泉の浮世絵のモデルとなった場所という。
本殿の文政9年(1826)と伝わる「競(くらべ)馬」の彫刻の見事なこと!

民家の塀がひっこんだところに元禄3年(1690)の庚申塔でこの後もこうした場所に何回も見かける。
お昼は前回と同じくイタリアンのスパゲッティを食べる。
すぐ先が加茂宮一里塚跡(8里目)もなく、進むとこの辺では見かけなくなった馬頭観音があった。享和2年(1802)建立。
供養塔や南無三界萬霊塔や道標等を見て進むと氷川神社の社標がある。中山道は直進で(少し進むと大宮宿の京方見附がある)、古中山道は左折して神社の参道を通る。
中山道は江戸方見附の手前まで遺構が何もないので、氷川神社と近辺、並びに参道の古中山道を、中山道の京方見附付近まで歩くことにした。
●大宮宿(4番目)本陣1軒、脇本陣9軒、旅籠29軒。上尾宿から7.8㎞、浦和宿まで5㎞。
江戸時代初期は中山道が神社の参道を通っていたわけである。その後参道に平行して新しい中山道を作り、宿場を整備した。
●氷川神社一帯を見学。
大宮氷川神社は200社以上ある氷川神社の総本山。武蔵一宮で大いなる宮居として大宮という地名の由来にもなった。
氷川神社の社標を左折すると、境内社がいろいろ出てくる。
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