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2024年4月27日 (土)

中山道(最終回)北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋

夫が小康状態の時、是非踏破しなさいと逆に励まされて、34回目で最後になる中山道を歩いてきました。これで五街道を制覇することが出来ました。
京都から約534㎞、しかし東海道と重なるので途中草津から日本橋まででしたが距離もあり、色々な不都合が重なって、本来ならばもうとっくにゴールしていました。何しろ歩き始めは2019年6月6日でしたから約5年間かかったわけです。しかし5街道の中では山や峠あり、木曽などの川や遠くのアルプスの山々を眺め、森林や林の中を通り抜け、畑を花や垣根を愛で、あるいは色々な歴史に触れて神社仏閣にもお詣りして、昔歩いた人々の苦労に思いを馳せた歩きでした。

前回到着した北浦和駅から6時半に歩き始めた。
駅前に浦和レッズのレディア君がいて撫でる。
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成就院の頭痛除観世音や六面地蔵を見ているうちに
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浦和宿に入ったようです。
●浦和宿(3番目)本陣1軒、脇本陣3軒、旅籠15軒。

浦和宿二・七市場跡の立て札と鳥居が見える慈恵稲荷神社の所にやってきた。
二と七の付く日、月に6回市が開かれ大変賑わったそうだ。
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リアルな石像、話かけられているみたい。
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浦和宿本陣跡、隣には明治天皇行在所趾。
代々星野家が勤め、加賀前田家の宿泊所であり、皇女和宮も昼食をとった。
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舗装路にいろいろ埋め込まれていた。
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縣社延喜式内調神社。
初穂米をここの倉庫に搬入する妨げになるため、鳥居と門が取り払われたとのこと。
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狛兎で中にも兎の石像が多い。
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兎が関係するのか、秩父の兎田ワイナリーから奉納されている。
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お助け井戸・・元関屋(材木商後米穀商)が関東大震災や東京大空襲で逃げてきた人々の喉を潤してあげた井戸。
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焼米坂という妙な名前の坂に出会い、辻一里塚跡碑を過ぎて蕨宿へ。


●蕨宿(2番目)本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠23軒。
この宿はとても力を入れている!

京都側の木戸口。
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蕨市のマンホール。蕨市の花・サツキをふんだんにあしらっている。
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昔の行列の様子が絵で再現されている。
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歩道の両側には中山道59次の渓斎英泉および歌川広重により描かれた浮世絵木版画のタイルが続く。
大津から日本橋まで70枚。
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蕨もあるけど、所々に特製が。
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本陣跡も立派に復元されていた。
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屋根は新しいが時々古い家がある。
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蕨宿の江戸方、ここで終わる。
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戸田市に入りマンホールを。レガッタと上に市の木モクセイ、下に市の花サクラソウをデザインした。
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競艇場は見えないが菖蒲川を通る。
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東京都の板橋に入る。目の前に坂が。日本橋を出発して江戸を出ようとする最初の難所の坂が清水坂だったそうだ。この後のいろいろな峠を歩いてきた身にはどうっていうことのない坂だった。

志村一里塚 中山道の3番目の一里塚で、都内でもあり、2基一対現存するのは全国的にも貴重。山の中でも随分見てきてはいるが整備され立派である。国の史跡に指定。
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南蔵院 吉宗公が鷹狩りの際の御膳所だった。
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●板橋宿(1番目)本陣1軒、脇本陣3軒、旅籠54軒。平尾宿、仲宿、上宿からなる。旅人は板橋宿から出発する人が多かったので賑わったそうだ。

縁切榎がある。昔は男女の悪縁を切りたい、断酒を願って訪れたが、今は難病との縁切りや良縁を結ぶなどの信仰に変わったようだ。この日も4,5人の女性が何かを買って祈っていた。
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板橋の地名の由来になった板橋は木の太鼓橋だったとか。
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文殊院には文殊菩薩でなく立派な閻魔様が。
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板橋宿本陣跡。
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昼食は板五米店の古民家の飲食店で。
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脇本陣跡
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埼京線板橋駅の所にある、近藤勇と新選組隊士供養塔。
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板橋宿の商店街を抜け、次は巣鴨商店街に入ったが前回の山手線歩きで、高岩寺のとげぬき地蔵や真性寺の江戸六地蔵尊は見ているのでパスし、ひたすら日本橋に向けて歩く。

猿田彦大神庚申堂。
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西巣鴨、滝野川辺りは「種屋通り」と呼ばれ、種子屋が多く軒を連ね、日本の農業を支えてきたとか。

途中大円寺には八百屋お七に関するほうろく地蔵があった。火事の際、地蔵はこのほうろくを頭にかぶって焦熱の苦しみを受けたとか。
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すぐ近くに八百屋お七の墓があった。
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長い長い東大に隣接する歩道を赤門前まで歩くと、そのあとすぐ神田明神があった。湯島の聖堂なども以前見たので省略して。
境内の隅の2度目に会う「あかりちゃん」に会ってから日本橋に16時46分に到着しました。
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一日で歩こうと思い立ったので寄り道は少かったですが、約54500歩でした。

長い長い五街道歩きを読んでいただきありがとうございました。
  
 (完) 追記:もうすぐパソコンが壊れそうです。スマホを使いこなしていないので不便です。

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2024年4月25日 (木)

誰もいない小公園

わが家がお世話になっている歯医者さんやクリニックの通り道にある小さな公園。国分寺跡の隣にあるこの公園には遊具が7つほど見える
砂場を入れれば8種類。砂場は昔の事件以来禁止だったのが、今はネットが張られ、使い終わったらネットを又止めておくように書いてあった。
保育園から遠いせいか、午前中でも誰も遊んでいる様子を今まで見たことがない。夕方でも行けば子供の姿が見られるのかもしれないけれど。
この公園はボランティアで掃除したことがあるので、何時も気にしている公園だ。
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以前テレビで見た遊具製作工場の制作過程は見ていて、何て仕事が丁寧なのだろうと、そしてその後のメンンテナンスも欠かさないという当たり前のことだけど、作る人は楽しそうだが、見ていて大変だとその時は感じた。
昔はジャングルジムはなかったので、やっみたいと思った頃はもう怪我の心配の年齢になってしまったのが残念だ。
もっと使ってあげないと遊具が可哀想。作っている会社は今どうしているのでしょう。まだまだ作り続けていれば嬉しい。

蝋梅に始まって、庭の花々が今年も次々と調子よく咲いてくれて、シランが開いて、次は月見草とジャーマンアイリス。
ふとみるとなんと昨晩matsubaraさんから頂いた月見草の一番花が咲いていたようでピンクに変色して萎れていた。今晩こそ見逃さじと玄関そばに移動。

そしてラッシーママさんに頂いたジャーマンアイリスは昨年だけ一つも咲かなかったけれども、今蕾を数えたら21もありました。離して植えていたのが密集状態に。
あとバラの蕾もたくさん出てきたので賑やかになりそうです。その後オニユリやヒメヒオウギスイセンや三陸の向日葵(10個の種子のうち3個発芽)が9㎝に伸びたので咲くかとても待ち遠しい。
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毎度お馴染みですが今年はスズランと葛飾北斎の顔が浮かぶタツナミソウ、今開いたシランです。
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2024年4月14日 (日)

八重桜満開

小金井市の笠森稲荷神社ではもう八重桜が満開でした。病院はこの近くで医療療養型病棟に入院できました。

白とピンクが2本ずつあって見事でした。家の方では3日前の10日に染井吉野が満開だったので、今年は気温の上下が激しいためか、順番がめちゃめちゃと言う感じで色々な木々の花を楽しんでいます。

4月13日 ご本尊の反対側を撮影してしまった。

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境内の白とピンクの八重桜。
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枝垂れ桜もきれい。
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わが家で一度も咲いたことのない月桂樹(ローレル)の花がここでは満開、咲き誇っていた。
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シャガも満開。わが家でも同じに咲いている。
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4月10日の地元の染井吉野。
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4月11日の公園の染井吉野と枝垂桜。
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2024年4月 4日 (木)

山手線一周7 大塚駅~田端駅(2)

知らない人のいない六義園の塀のところまできたが、入口はちょうど対角線の向こう。入口まで半周して大名庭園の大きさに驚く。
六義園は綱吉の時代、柳沢吉保によって造られ、明治になって岩崎家のものとなったが、昭和13年東京市に寄付され一般公開されることとなった。

内庭大門より庭園へ。枝垂れ桜が目の前で、もう咲き終わってしまったでしょうか。
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福寿草。
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池が見えてきた。学生時代に来たきりで感慨深いが何も覚えていなかった。
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園内は、和歌の浦の景勝、和歌に詠まれた名称、中国古典の景観が八十八景として映し出される。
右が妹山と背山。中には入れない。妹背山のある島が今も和歌山の和歌の浦に残っており、また紀ノ川流域の吉野にも妹山と背山は実在する。

滝見茶屋の所に小さいながらも滝があった。
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吹上浜(和歌山の吹上にちなむ)の吹上松。
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そばの吹上茶屋で休憩。抹茶と生菓子のセット。生菓子は鶯と寒椿。そういえば昨日今年初めて鶯の声を聞く。
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大好きなつぐみ。もうすぐ北へ行ってしまうのね。
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至る所工事中で行かれなくてまた元に戻り渡月橋へ。渡月橋は2枚の大岩がつながっていてまっすぐには行けない橋。
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島に渡る。
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出汐湊から池を眺めて六義園を出る。
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次は東洋文庫ミュージアム。以前ブログ友のmatsubaraさまとご一緒したので記憶に新しい。
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モリソン書庫は素晴らしい!オーストラリア人ジャーナリストのモリソンが集めた約2万4千冊の主に欧文で書かれた東洋に関する本で、三菱三代当主岩崎久彌が一括購入(現在価格70億円)した。
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今の展示は、江戸大絵図の巨大な原寸大レプリカ(常設)、チネリの絵、アジアの教会を巡る旅、モリソンについて、キリスト教交流史(宣教師の見た日本、アジア)。

江戸大絵図の巨大な原寸大レプリカ。
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漂白の画家ジョージ・チネリーの風景画の紹介。マカオで27年間亡くなるまで描かれた絵の1枚。
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東方見聞録。
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各修道会のマントの色・・と以上4枚の他は全部写真がぶれていた。
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駒込駅。
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次に向かったのは旧古河庭園
以前行ったのはバラの季節で日本庭園はじっくり見てなかった。洋館は以前は混んでいて、今回は開館日でなくて見られず。
元は陸奥宗光の邸宅だったが、宗光の次男が古河家の養子となって古河家の所有となった。当時の建物は現存してなくて、
高い丘の古河洋館と斜面の洋風庭園はジョサイア・コンドルが、低地の日本庭園は小川治兵衛が設計した。
まの悪いことに、池は搔い堀りの最中でもうほとんど水がない。残念だったが利点は人が殆どいない事。今回は灯籠に色々な種類があることを知った事!

展望台からの眺め。
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洋館とバラ園。
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黒ボク石積。富士山の溶岩を石垣状に積んである。
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冬ボタン。
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雪吊り、美しい。
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では灯籠見物。
奥の院型。大きな灯籠。
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泰平型。どっしりしているのが特徴。
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濡鷺型灯籠。霧雨の中に一本足で立つサギの姿。う~ん。
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春日型灯籠。もっとも多い形式で、六尺が標準とか。奈良の春日大社の神獣、鹿と鳥居を組み合わせた図柄だそうだ。
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十五層塔。
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途中、桃が咲き始めているのを見ながら一駅歩いて田端駅到着は16時頃だった。
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おみやげの巣鴨の塩大福。
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約25500歩。

(この項終わり)

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