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2024年6月30日 (日)

『マザー・テレサ語る』ルシンダ・ヴァーディ編

『マザー・テレサ語る』ルシンダ・ヴァーディ編

マザー・テレサについては以前にも本を読んだことがあって、凄い人だなあとごく普通の感想をもっただけであった。
しかし、その行動の原点は一体信仰だけなのであろうか?そうしたらその信仰こそはこの世で一番凄いのではないだろうか?

そうなのでした。テレサにとってイエスは「私の神」「私の伴侶」「私の命」「私の唯一の愛」「私の抱くすべて」「私のあらゆるもののすべて」
それでイエスとともにイエスのためにイエスに対してしているのです。
テレサの神への、イエスへの信仰は凄まじいものであることを知ることになります。祈ることに始まり、深く信仰し、あらゆる人へ愛を与え、この世のどん底の人々を救って安らぎへと導き奉仕の日々が亡くなる日まで続くのです。
元々、シスターたちの神への愛はアフリカの未開の奥地から南アメリカのジャングルの中、そして世界でも最も貧しい人々のいる例えば
テレサが築いたインド・カルカッタ(コルカタ)の「死を待つ人の家」やその他、ハンセン病、エイズ患者の家など、普通の人が目を背けるような不便な大変な気候の地へ、大変混沌とした不潔な悪臭を放った、病原菌で溢れた地へ赴かせるのに驚いていただけです。
しかしマザー・テレサのもとから巣立った人は、どんなに貧しかったり汚れていたり、臭かったり、気持ちがすさんだ人に会っても驚かなくなるといいます。
神の力の偉大さを知る瞬間です。

しかし私は無神論者で、仏教もキリスト教も信じていません。神さえも。しかしながら困った時の神頼みをするから浅はかな人間です。
自分のことで精いっぱいでいかに現状の体調を維持していくかにかかりっきりと言っても過言ではありません。
いくつになっても悟ることができないのが情けないというか、人さまへのお邪魔虫というか、極端な意志薄弱というか。

時々こんな偉い人がいるんだということを思い出したいです。

 

10日前に我が家のヒマワリが咲きました。第1号。昨年お隣からいただいた種子10個のうち発芽したのは3つでした。
高さは今2m35㎝です。

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2024年6月22日 (土)

根深誠著『求道の越境者・河口慧海』

根深誠著『求道の越境者・河口慧海』

行けなかったチベットへ、昔潜入した10人の日本人は有名でその中でも仏教者が多い。
中でも一番有名な河口慧海の旅行記は多くの日本人に衝撃を与えた。
その河口慧海がネパールからチベットへどの峠から入ったかははっきりしていなかったらしく、著者はネパールのトルボ地方にあしかけ49年間かけて9回出かけて、75歳の時か、2022年に遂にそのルートを突き止めた、蛇足が多いがその記録である。
帰ってからや途中で、ある時は風や下痢に始まり、肝炎にかかり、デボラ出血熱になったり、出かけるたびにその他重病を何度も繰り返しながら行くその執念に男のロマン達成を感じた。今は最初のころと違って、チベットは中国のチベット自治区となり、中国共産党により国境線は警備が厳しく、多くのお金を請求しながら見せてくれないなどいろなところで行われているようであり、嫌な気持ちにさせられる。

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西川一三氏とも交流があり、本の中の一文を添えたりしている。
椎名誠の奥さんの渡辺一枝さんはチベット好きが高じて一人で何度も旅行し数冊のチベット本を上梓してるから、有言実行の女性である。

そろそろチベットも卒業しよう。



もう1週間経ってしまい、しかも1つを食べてしまって撮影の父の日の子供からのプレゼント。病人に食べやすいプリンとゼリーが重なってそれぞれ違う高野の果物が入っていて微妙にマッチしているそうだ。
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2024年6月11日 (火)

『なぜヒトだけが老いるのか』小林武彦著

少し暑くなってまいりました。いつも梅雨のこの季節、まだ今年は1週間後かの見当もつきません。
こんな梅雨の季節に私は生を受け83歳になりました。
いつも娘からもらうお誕生日祝い、とても気に入っているのですが、今年はちょっとした買い物以外は外に出られない、またここしばらく音楽会(ほとんどサントリーホールでした)から遠ざかり、もう行かなくなるであろう私に私の好きなCDをプレゼントしてくれました。ショパンと小澤征爾のベスト101です。これから何回も聴くでしょう。ありがとうです。
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退院して1週間が経ちました。洗面所までも歩くことができ、特別食だけれども食べることもできよく寝てまあまあ落ち着いているので一安心といったところです。いざとなると主治医や介護士などが駆けつけてくださることになっていてよけいです。慌てふためくのは私だけでしょう。酸素を一日中吸っているのでガスに近づけないように、買い物時は元栓を切って用心します。

夫が初めて言い出したことですが、「こんな状態になって生きている意味がない。もう家から1歩も外にも出られないし。家族の皆にも申し訳ない」と申すのです。
いや、そんなことないよ。折角2つの病院で医療を駆使して、いろいろな人たちに助けられて命を救っていただけたのだから、ありがたく思って命ある限り、テレビ、読書、子供の来訪など楽しみにして最後まで仲良く楽しんで行きましょう・・と励ましたのでした。

 

 

『なぜヒトだけが老いるのか』小林武彦著
鮭が卵を産んでその時に死んでしまう有名な話、何故といつも思っていました。
老後期間があるのはシャチとゴンドウクジラと人間だけなのです。あとの動物は食われてしまうか、最期までピンピンコロリなのだそうです。
いつも理解しないで読みっぱなしの癖がついて、この表題の答えを必死に探しました。
どうやら人間は・・・
社会の中で進化してその集団の維持のため様々な機能を獲得しました。中でもヒトを人たらしめたのは、人と人との共感力であり、さらに他者を思いやる利他的で公共的な精神でした。それらの性質のおかげでヒトが老いることを許され、長い寿命を手に入れることができたのです。
なぜヒトだけが老いるのか。それは死を意識し公共を意識するためです。死は何のためにあるのか。それは進化のためです。進化は何のためにあるのか。それは私たちを含めた地球上の全ての生物の存在理由なのです。・・・

シニアの知識人はどんどん公共のために吐き出すべきでしょう。世の中にこんな面白いことがある、これは将来すごく役に立つなどの有益情報をすべて吐き出して「ゼロ」になれたら素晴らしい。

死があったからこそ生物は進化し、私たちは存在してこられたのですから。可愛い後輩たちのための最後のご奉公と思えば、老いることも死ぬことも、少しは楽に感じられるようになるかもしれません。

 

 

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2024年6月 2日 (日)

退院

夫の退院が明日になりました。3月2日から6月3日でほぼ3か月の入院でした。
肺の炎症が治った状態になり、胸に溜まっていた水も救急病院で全部抜いていただき、その他の当座発症していた部分の治療を全部終えて、療養型病院に転院しました。
リハビリに励んだおかげで、病人食(高血圧・心臓病食・嚥下調整食)が食べられるようになって、ちょっとトイレまで歩けるようになりましたので、お陰様で退院の運びとなりました。
ただ肺の機能は右肺が何もなく、左だけで我々の10%だそうでずっと酸素を吸い続けます。
家でも月の半分は訪問診療や訪問介護を受けて、その他の日は自分でリハビリです。
もちろん医療の進歩にも目を瞠りますが、リハビリの効力も大したものと驚いた次第です。
さあ、明日から介護の日々で大変忙しくなりそうです。
パソコンを開ける時間がなさそうな日々はちょっと寂しいけれど、自分が共倒れにならないようにしたいものです。
昔から実は怠け者でありいい加減なのは得意なのですが、一人の命がかかっているのでそこは注意していきたいと思います。
最初は泣いてばかりいましたが、その後2か月は汚い家中の整理整頓と掃除と洗濯に励んで気を紛らわし、まさかの帰宅に備えていました。
娘たちが買ってくれた電動ベッドのお出まし。試しに斜めに上げてテレビを見てみたら心地良く昼寝をしてしまいテレビの半分は見逃すという事態に。

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一重のクチナシは毎年たくさん実を付けます。

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2024年6月 1日 (土)

山手線一周8田端駅~上野駅

久しぶりに歩きました。
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田端駅の近くに田端文士村記念館があったが休館だった。
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今は何も残ってない所に説明板があって、昔を偲ぶよすがもないほどだ。しかし随分たくさんの文士が田端に住んでいたものだ。
芥川龍之介旧居跡。
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寿命院の赤紙仁王尊。
赤紙を自分の患部と同じ箇所に貼って病気身代わりと心身安穏を願うようになった。
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満願のあかつきにはお礼として草履を奉納する。
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お寺のご本尊は不動明王だった。
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ピンクのちょっと混じった白いシモツケを見るのは初めて。
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小杉放庵の旧居地跡の周りにも色々な文士が住んでいた。
村山槐多、田河水泡、小林秀雄、直木三十五、竹下夢二、岡倉天心、萩原朔太郎など。
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陶芸家・板谷波山やサトウハチローの旧居跡を通り西日暮里駅へ。
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西日暮里公園は、飛鳥山の続きの道灌山で、江戸から明治にかけて虫聴きの名所だったそうだ。
一角には青雲寺があって加賀前田家の12代当主から4代にわたっての墓地があったが、今は金沢に移ったとのこと。
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江戸六地蔵は全部座っていたが、ここ浄光寺(雪景色が美しかったので雪見寺と呼ばれる)には、江戸東部の六ケ所の六地蔵の3番目の地蔵がある。こちらは立っている地蔵だ。
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古い庚申塔もたくさんあった。
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昼食はスイスの家を模したスイス・ミニ・カフェで生ハムとチーズの硬いパンのサンドイッチ。美味しかった。お庭は全部ハーブで埋め尽くされていた。
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夕焼けだんだんではいつも夕方でなく、今回は生きている猫にも出会えなかった。
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ここから近い朝倉彫塑館へ。
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高村光太郎や北村西望、イサム・ノグチ、平櫛田中、外尾悦郎、岡本太郎、佐藤忠良などなど実にたくさんの彫刻家がいる中で、朝倉文夫の作品は大好きです。特に人物の描写が皴1本に至るまで見入ります。
アトリエ、書斎、池のある庭、凝った和室の数々、観葉植物、屋上庭園(この日は雨で×)など、どこ見ても一点の隙もなく、庭は名勝指定を受けるほどです。
猫好きだったそうです。
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すぐそばに大黒天経王寺がある。日蓮上人作の大黒天が祀られる。
門をこちらから見て右手左側の中央の穴は、1868年の上野戦争時に彰義隊をかくまったための新政府軍からの銃弾の跡である。
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日暮里駅、乗換はするけれど外観は初めてだ。他の駅と感じが全然違う!
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ここから谷中墓地を回る。
まず牧野富太郎博士の墓。
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幸田露伴の小説『五重塔』のモデルで昭和32年に焼けてしまった跡。
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佐々木信綱の墓。東海道でも実家を見た。
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横山大観の墓は敷地が広い。
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鳩山一郎の墓を過ぎ、奥まったところに徳川慶喜の墓があった。柵で囲まれて入れない。
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渋沢家の墓も大きい。一番左が栄一の墓。
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最後にニコライ堂のニコライの墓。
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鶯谷駅、15時頃。
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寛永寺に入る。残念ながら正面は工事中。
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その他寺内を巡るとカシワバアジサイがたくさん満開を迎えていた。
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徳川綱吉霊廟勅額門。もう一つ隣にあったけれど似て言てこちらも立派であった。
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寛永寺を見てから最後に黒田記念館に入る。
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作品は『ブレハの海岸』
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上野駅に16時に到着。駅の撮影を忘れる。地元に帰ってスパークリングワインで乾杯。東京駅にはあと1回で到着なのですがいつになることやら。
約25500歩で前回と同じでした。

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