青梅街道1追分~中野宿~東高円寺
五街道と姫街道、大山街道、五日市街道などを歩いてきたが今度は青梅街道へ。
往復の電車を除いて日暮れまで3時間なのでちょっとずつ進む。
青梅街道は甲州街道の脇往還として新宿から山梨県酒折まで130㎞。歩くのはそのうち青梅までの40㎞です。
新宿3丁目で降りて、老舗の追分だんごでおやつとお土産を買って、すぐそばのスタート地点(午後1時頃)へ。
スタート地点にある新宿元標。
ここ追分が甲州街道と青梅街道の分岐点。甲州街道もここからだった。
新宿駅東口の広場に馬水槽がある。
19世紀にイギリスで馬に水を供給するために設置されたもので、明治36年にイギリスから贈られた。ライオンの口から水が出て、上では馬が水を飲み、下は犬猫が飲み、この裏は人間が水を飲んだ。
東口から西口へつながる地下通路には宿の絵が描かれていた。中野宿から始まり、田無、小川、箱根ヶ崎、青梅宿の順。
線路横の電車からも垣間見える思い出横丁を右に、左にモード学園やSOMPO美術館などの西口ビル群を見て進むと右側に常圓寺がある。
日本銀行本店本館、東京駅丸の内庁舎などを手がけた建築家・辰野金吾のお墓があるそうだが、見つからなかった。
ここから見えた上部と途中が雪化粧したような、面白いビルは、東急歌舞伎町タワーだ。エンタメ関係も充実しているようだ。
お隣にあるお寺が常泉院(浄行菩薩)に寄ってから、なだらかな成子坂を下っていくと少し先に成子天神がある。
説明版によると、このあたりは江戸時代マクワウリの特産地だったそうで、この地域が鳴子坂(転じて成子)とよばれていたことから鳴子ウリと呼ばれたそうだ。
菅原道真公に縁がある。参道境内には拝殿はじめ七福神や力石などがある。
一番奥に結構高い立派な富士塚があった。頂上には浅間神社あがって、ここからも昔富士山が良く見えたことでしょう。
道路の反対側には天保年間のものが再建された成子子育て地蔵尊があり、そばに小さなお地蔵さんがあって、右が延宝4年(1676)のものという。ビルの谷間にこのようなものが残されていることに感動。
淀橋、下は神田川が流れる。
中野長者が財を地中に隠し、手伝った人を殺して橋から神田川に投げ込んだ。長者と橋を渡るときには見えた人が帰るときには見えなくなったことから「姿見ずの橋」と呼ばれるようになった。徳川家光が鷹狩りで通り、不吉でよくないということで京都の淀川に似ているからと「淀橋」と名づけたという。
中野坂上の交差点から左に折れたところの公園に象小屋跡の説明板がある。
八代将軍吉宗に献上するためベトナムから連れてこられた象(姫街道の象鳴き坂を通った象)は、しばらく浜御殿で飼われていたが、中野村の源助という者に払い下げられ、このあたりに小屋を建てて飼育されていた。寛保2年(1742)に病死。牙の一部が宝仙寺に保存されているそうだ。
街道の下は地下鉄丸の内線が走っている。中野坂上の駅を通り過ぎて右手にある象の牙を保存する宝仙寺に寄る。牙は見られなかった。
源義家が後三年の役を平定して京へ凱旋の途中、陣中に護持していた不動明王像を安置するため創建したお寺。仁王門、三重塔、本堂と立派な構え。境内には中野町役場跡碑もあった。
三重塔手前の塚は石臼塚で使われなくなった石臼を供養したもので初めて見る珍しいもの。
お寺を出て右折したところにやままさ醤油醸造所のレンガ塀が残っていた。
街道を少し進んで右手に少し入ると明徳稲荷神社があるがここの辺が中野宿の中心だったそうだ。
鍋屋横丁の交差点の手前に慈眼寺がある。
珍しいパゴダ風の塔がある。住職がタイで修行し、その縁で仏舎利を授かり納めるために建てたそうだ。
このお寺には大変古い江戸元禄期の庚申塔など石仏群がずらりとある。
下の部分に道標が刻まれた(写真に納まっていない)をかねた馬頭観音。
「左あふめ(青梅)道 右いぐさ(井草)道」と刻まれている。
北野神社(総本山は京都の北の天満宮)を通り過ぎ、東高円寺の駅を過ぎて、蚕糸の森公園(以前蚕糸試験場があった)を散策した。
柊の花
スズカケノキと滝
紅葉がきれいだった
帰宅は5時すぎ。約17400歩。
途中で電話を入れながらも心配だった家人は無事5時間20分留守番出来てほっとしました。
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コメント
こんにちは。今回は青梅街道ですか。楽しみですね。都心に住んでいた頃は車で良く通っていました。青梅は子供の頃に鉄道公園に行った思い出があり、50歳を過ぎてからは青梅マラソンで何度も走りました。青梅から奥多摩方面は登り坂がきついので、青梅終点が良いご判断ですね。
投稿: 多摩NTの住人 | 2024年12月12日 (木) 17:39
★多摩NTの住人さま
こんばんは。
今は新青梅街道もあって車で一部通ったことがあります。
鉄道公園があるのですか。
青梅マラソンもありましたね。何度も走られたとは。知っていたら応援に行きましたよ。西荻に住んでいたこともありますから。
今からもう30年も前になりますが吉祥寺に住んでいた頃、青梅街道を飲まず食わずで終点まで歩くイベントに毎年参加していた人がいたのですが、良くできるものと感心した覚えがあります。
青梅から先は車で大菩薩峠まで乗ったことがあります。長い道のりで大変そうです。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2024年12月12日 (木) 19:02
新宿三丁目の追分団子のお店、よく知っています。
夏はあそこのかき氷目当てに行列ができて大変だったのですよ。
新宿ではよく映画を観るので行きますのに
馬水槽があることに気が付きませんでした。
新国立劇場にもよく行くのに、常圓寺にも気が付きませんでした。
そして水彩画教室は新中野にあって、なべや横丁の近くなのです。
あの商店街にそんな歴史があったとは…
投稿: zooey | 2024年12月12日 (木) 21:02
中野区はよく歩いて結構知っているつもりでしたが、このコースは目から鱗でした!素晴らしい穴場を教えて頂きありがとうございます。寒波も来て冷えこみが厳しくなり、いよいよ本格的な冬・・、師走らしくなってきました。時の経過が年々早く感じられますが今年も残り20日を切り、あっという間に年の瀬ですね。
投稿: ローリングウエスト | 2024年12月13日 (金) 06:09
馴染みのある場所ばかりですが、そこにまつわる伝承など、ちっとも知らずにいました。
あらためて歩いてみたくなりました。
40K、すごいなあ。
投稿: 佐平次 | 2024年12月13日 (金) 10:00
すごいですね。
まず健脚ぶりが素晴らしいです。
私は普段鍛えていないこともありまして、
すぐへとへとになります。
そしてタクシーのお世話になります。
タクシーの運転手と顔なじみになるのも
どうかと思います。
投稿: matsubara | 2024年12月13日 (金) 10:50
こんにちは
新たな街道歩きにチャレンジされるのですね。
「青梅街道」‥名前は道路の標識などで何度か目にしたことが
ありますが、どこをどう通ってどこまで続いているのか等
何にも知らずです。
道中、何ヶ所にも昔からの古いものがそのまま残っていて、
歴史や時の流れといったものが肌で感じられるようですね。
新宿駅東口の「馬水槽」を興味深く拝見しました。
かってイギリスから寄贈され日本まで持ってきたとは。
しばらくは日本でも実際に使われていたのですね。
使用されていた水は水道水でしょうか。
馬だけでなく犬や猫にも人にも(当然鳥も利用したでしょうね)
向けて作られているのが良いなぁと思います。
途中、柊の花や紅葉もお楽しみになれ、すてきな街道歩きに
なられましたね♪
ご主人もお留守番を無事努められて良かったです。
久し振りでもtonaさんの健脚はご健在ですね。
投稿: ポージィ | 2024年12月13日 (金) 11:41
★zooeyさま
追分団子のお店ではかき氷の行列ができるのですか。知りませんでした。今年は暑かったので毎日のように行列ができたのでしょうね。
私は小学校の時はもう新宿に住んでいてかなり都電でここに来ているのに、そして大人になってからは待合場所としてここに来ているのに馬水槽を今回初めて気が付きました。
水彩画教室は新中野までいらっしゃているんですか。そちらからは遠そうに思えます。
鍋横は有名なのに私は商店街を歩いたことがありませんでした。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2024年12月13日 (金) 13:07
★ローリングウエストさま
そうでしたか。この部分だけが抜けているのですね。
私もまさかこんなにいろいろ見られるとは思ってもみませんでした。
ロ-リングウエストさんの今まで拝見したところは殆ど歩いていないのですが、もう追いつきません。拝見して行った気になっています。
今年は普通の冬だそうで、今日は寒くなりました。1月2月ともっと凍えるような寒さが来るようですね。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2024年12月13日 (金) 13:13
★佐平次さま
新宿駅からちょっとの距離でしたけれど、この間は見どころがありました。この先はあまり期待できないですが。
思い出横丁は夜はちょっと私には怖そうです。
佐平次さんはもう世田谷の地図を塗りつぶしてしまったでしょうね。と思いました。
五街道とスケールが違いますが、其れなりにちょっとずつ歩いていくとかなり日数がかかりそうです。きょろきょろと楽しみます。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2024年12月13日 (金) 13:22
★matsubaraさま
ほんのちょっとした距離ですが、五街道で鍛えたので、ブランクがありましたが足が痛くならずに歩くことが出来ました。
人それぞれですね。私の弱いところはmatsubaraさまは強くて丈夫でいらっしゃいますし、とくに頭は聡明そのもの。ボケの始まった私はとても太刀打ちできません。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2024年12月13日 (金) 13:26
★ポージィさま
同じ方向でちょっとずれますが、そしてちょっと距離の長い五日市街道はすでに歩きましたが、もう1本の青梅街道もどんなかとちょっぴり楽しみに歩き出しました。
どこかで青梅街道をご覧になったのでしょうね。
新青梅街道もあるのですがどこを通っているのか皆目わかりません。案内板などはよく見ますが。
馬水槽は明治後半ですので、調べもしないですみませんが、水道だったのではと思われました。蛇口は水道を思わせるものですが、水源がどうか?江戸時代は玉川上水から来たものでしたが。
そう、人間だけでなくみんなが飲めるようにした画期的な構造ですね。
最後の公園は夫の実家のほんのすぐそばですので、久しぶりに見て懐かしかったです。蚕糸試験場の建物も記憶にあります。
お陰様で、足はまだ大丈夫でした。
この調子ですといまはまだ夫は大丈夫そうですが、これから寒さがやってくると肺に悪さをしそうなので気を付けます。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2024年12月13日 (金) 13:42
青梅街道歩き開始は旦那様の状態が落ち着いている証拠で、うれしいことですね
青梅街道の名前だけは知っています
出てくる地名も結構知っている場所があり
それに縁がある人のことなど思い出しつつ読ませてもらいました。
再開した街道歩き初日が17000歩とは
tonaさんの健脚ぶりがうかがえます
投稿: ビオラ | 2024年12月14日 (土) 16:42
★ビオラさま
お陰様で肺に悪いことが起こらない(喉に水分がつっかえる)とは言えないのですが、今大変落ち着いています。まさかここまでになるとは思えませんでした。この冬を乗り越えられるといいと思っています。
街道の道路脇に耳を近づけると下で地下鉄が走っている音が聞こえて面白かったです。昔都電が走っていたそうですね。私が学生時代にはすでに地下鉄でした。銀座線と丸の内線でどこへも25円で私は丸の内線の茗荷谷だったので池袋や渋谷などに良く行きました。定期でだったかしら。
もう歩けないかと思いきや、歩くことだけはどうやらできました。鍛えておいてよかったです。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2024年12月14日 (土) 18:53
こんにちは。
また新たな街道歩きが始まるのですね。
久しぶりに歩かれても足が痛くならず、よかったです。
今までたくさん歩かれ鍛えたおかげですね。
「青梅街道」は耳なじみがありますが、どこを通り、
どこに行きつくのか
あまり考えたことがありませんでした。
新宿の近くにこんな歴史を感じさせる場所が残っているのが驚きでした。
追分団子、新宿でお茶をするときよく利用してました。
でもコロナ前あたりから店に入るには行列必須です。
投稿: ☆銀河☆ | 2024年12月16日 (月) 17:47
★銀河」さま
おはようございます。ありがとうございます。
家から近い街道、この一つが残っていました。
次回の途中で以前歩いた五日市街道と別れます。
青梅線の青梅までしか行きませんが、本当は山梨県まで続いています。
新宿は良く降りるところですが、伊勢丹などは地下道を行くし、地上にこんなところがあるとは私も全然知りませんでした。出発点などは甲州街道の時に見たらしいのですが、すっかり忘れているのですから我ながらあきれ果てました。
追分団子混んでいました。
行列は長いと体力が持たないとひるんでしまいます。まあ、おばあさんはあまりいませんけど。
投稿: tona | 2024年12月17日 (火) 08:47