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2025年2月17日 (月)

青梅街道5 桜街道から箱根ヶ崎宿

1/30 今回は見所はあまりないので、どんどん歩き、良い運動になりました。
前回の逆コースで桜街道に着き、12時40分スタート。

桜街道だが、桜の他、こんな下を刈った松?の街路樹が続く。
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クロガネモチの実。鳥さんは嫌いなのか殆ど残っていた。
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正面に見えるのは奥多摩三山の一つ、この間登った大岳山か。山が近くなってきた。
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横田基地も近くなって飛行機が時々飛び、やがてイオンモールむさし村山が見えてきたので、ここのサーティワンでアイスを食べて休憩する。巨大な商業施設があって便利。我が家は駅まで坂もあり今の足では15分で商業施設を作ってはいけない区域で老体には買い物がだんだん不便に感じるのです。それで週1で車に乗せて行ってもらっているですが、それでも街道歩きして足慣らしです。
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残堀川を上砂橋で渡ると富士山が見えた!
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ひたすら歩くと馬頭観音があった。明治4年建立。道標を兼ねていて、右側に「明治四年未年四月吉日 右青梅道」、左側に「武州多摩郡岸村 左羽村道」と書かれているとのこと。
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武蔵村山市から西多摩郡瑞穂町へ入る。箱根ヶ崎宿だ。
マンホールは、町の木・松の枝に止まったオオタカがいて、町の花・狭山茶の花と町章を周囲にデザインしている。
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立派な一本榎です。この下に庚申塔があり文化10年(1813)建立。江戸街道とある。
このあたりは江戸街道の表示が続いていて、青梅の成木から石灰を運ぶために整備された道だったそうだ。
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新青梅街道を横切り、旧道は細い道を行くと蔵がある。千人同心道(日光街道)と合流する角の旧旅籠の関屋家のもの。
江戸時代の御嶽神社参詣案内書「御嶽菅笠」に旅籠関屋として紹介されているそうだ。
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千人同心街道と青梅街道が交わる箱根ヶ崎は交通の要衝として大変な賑わった宿場で、江戸時代後半になると日光参拝や、富士講、御嶽講など観光目的の旅人でも賑わったという。
明治時代に入ると千人同心の日光勤番が廃止されたことや輸送形態が変わったことなどにより旅籠の数も減ってしまい、現在は静かな街並みである。

このお店は創業明治5年の漢方の會田商店。ここを左折して千人同心道とはわかれる。
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しばらく行くと圓福寺がある。この日唯一のお寺なので宗派も調べず見学する。
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仁王門。木彫りの仁王様であまり怖くないお顔だ。
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阿形
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吽形
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観音堂
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本堂
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別石六地蔵。後ろの庚申塔は道標になっている。
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鐘楼
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ここで本日は終わり。八高線の箱根ヶ崎駅より帰る。拝島で乗り換え、青梅線にて地元駅に5時前到着。
あんみつをご馳走になってお土産をもらって帰宅。
約21500歩。

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塩野七生氏の『ローマ人の物語』そのあとの地中海関係の数冊、その後に出た『ギリシャ人の物語』を読み、ローマ以前に書かれた本でほぼ塩野氏の本を読み終わりましたが、最後のギリシャ人の物語の最終が「アレキサンダー大王」だったのですが、遠征の様子もよくわかって秀逸でした。

 

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2025年2月11日 (火)

ブログ友オフ会新年会

1/25(土)、子供たちに夫を診てもらい、例年この時期に行われる年1回のお食事と見学会・東京新年会に出掛けました。
今年は幹事さんが花水木さんで、7人での市ヶ谷私学会館での昼食会と午後の見学は迎賓館でした。

私学会館でのお食事は洋風で久しぶりに柔らかい厚いお肉をほおばったのでした。
今回は早く食べる練習をこんなところでしました。というのもある会で食べるのが遅く大変迷惑をかけたことがあったからです。
凄く努力して早食いのtonaと化しました。と、しょっぱなから変なことを書いて恥入ります。
最後のデザートの時、nao♪さんのお誕生日だったので、お祝いの歌を歌ってお祝いです。おめでとうございます。
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私は海外で4回も祝ってもらいました。なんだか気恥ずかしいけれども良い思い出となりました。

四谷に出て迎賓館に向かいます。
正面玄関の鉄扉の裏から・・高さは8mもあるとか。表には上部に菊花、扉左右に桐の紋章が。
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迎賓館の場所は紀州徳川家・江戸中屋敷のあった場所で、明治に献上され仮皇居となり1909年に東宮御所、そして現在迎賓館赤坂離宮の本館に。100年を記念して2009年に本館、正門、噴水などが明治以降の建物で初めて国宝に指定されたそうです。
パノラマ失敗で端が欠けるが、ネオ・バロック様式。はて、この様式って?・・ナポレオン3世の第二帝政の出現(1852)とそのパリ改造計画(1853-70)を契機として起こったバロック建築様式の復興をいって、ルーブル新宮新館、パリのオペラ座、ウィーンの王立劇場、ベルリンの帝国議事堂、ブリュッセルの高等裁判所などとこの迎賓館が有名です。
改めてみるとなかなかに素敵な建築です。
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裏に回ると主庭だそうで噴水と建物が見ものです。
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噴水
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建物の脇や庭の周りに植えられている松は「タギョウショウ」といってアカマツの園芸品種だそうだ。幹が根元近くで多数に分かれる傘を開いたような樹形になるという。
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いよいよ見学。撮影は殆ど禁止。
まず和風別館「游心亭」の見学。
入口の菊の御紋の明かりが目立ちます。
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谷口吉郎の設計で日本らしい家と主和室、即席料理室、茶室(一度も茶器が使われたことないと言う)があり、庭には池に鯉がたくさん泳ぎ、主和室に池に差し込んだ太陽の光が反射して、天井や柱に水の揺らぎが映し出されるのが見られ、うっとりしました。
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次は本館で、パンフレットを見ても、溜息が出るような書面玄関大ホール、「朝日の間」「彩鸞の間」「花鳥の間」「羽衣の間」と鑑賞。好奇心旺盛な人ばかりなので私たちは部屋のガイドさんに説明を受けました。見えない所にも建設秘話や建築材料その他いろいろな話を聞くことが出来ました。壁の厚さは1mにもなるところがあって、関東大震災など災害には一度も崩れたことがないそうだ。
ヴェルサイユ宮殿などヨーロッパで見る宮殿の中にいるようだが、ところどころ和風の七宝や桜花をちりばめた緞通、鎧、兜、剣などがあしらわれています。
久しぶりに外国に行ったような贅沢な素敵な気分を味わいました。

友人たちも大阪や沼津から毎年欠席もせず参加され、立派なブログを書いていらっしゃるし、貪欲にあちこちお出かけになって探索されていて感心するばかりです。
幹事の花水木さんありがとうございました。皆さんお世話様になりましてありがとうございました。

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2025年2月 6日 (木)

青梅街道4 花小金井~小川宿~桜街道(2)

今回は小平市を歩いていてその続きです。
小平市の別のマンホール。市の木ケヤキと小平市の街並みがデザインされている。
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小平市の中心あたりから昔は小川村が広がっていた。そこには小川用水が流れる。西武国分寺線に小川駅があるわけが今頃分かりました。
明暦2年(1656)に小川村開発にあたった名主小川九郎兵衛により開削され、明治時代まで飲料水として利用されていた。またここに馬継場があったので発展した。

熊野宮には夫婦ケヤキや、その後ろに3代目孫ケヤキがあるが、旅人の目印になったそうだ。
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少し進むと、面白い建物が見えてきた。
なかまちテラス(図書館)で北斎美術館を設計した妹島和世の設計なので、外観もちょっと似ているような感じがする。
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平安院。元文4年(1739)、小川新田(仲町)に移住した農民の菩提寺として建立されたもの。
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山門前の笠付庚申塔。享保2年(1717)造立。300年以上も前のものとは思われないほど状態が良い。
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立派な槙のある庭で、奥が本堂。
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西武多摩湖線の踏切を通り過ぎるとすぐに次はこのあたりでは地下にもぐっている武蔵野線の新小平駅がある。
青梅街道は鎌倉街道と交差し、続いて府中道と交差。さらに来るとき乗ってきた西武国分寺線の踏切を通り過ぎると小川宿の中宿に入ってくる。名主の小川家の現在の家もあった。

さらに進むと、仁王門が見えてきた。
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小川寺(しょうせんじ)である。小川村開村と同時に小川九郎兵衛が開基したお寺である。
久しぶりに「舟形浮彫り別石六地蔵」
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角形四地蔵
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本堂
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ご本尊は薬師如来様
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薬持観音
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千手観音
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よく手入れされた庭が続く
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本堂の裏には逃げ水の里庭園がある。
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三十三観音
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山茶花がきれい
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出口近くに大きな獅子柚子が十数個なっていた。
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立派な、しかもいろいろあって楽しいお寺拝見になった。

斜め向かいにあるのが小平神明宮。寛文元年(1661)に名主・農民などの協力のもとに建立されたもの。阿豆佐味天神社の摂社であった神明社を遷座。
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鳥居をくぐったところに、小川用水が流れている。どこかの街道にもこんなことがあったが思い出せない。
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拝殿。文政年間(1818~30)の建立。
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ボケボケだけれどキセキレイに会えて嬉しい。
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小平上宿交差点で竹内家の大ケヤキを見る。樹齢300年以上で樹高35m、枝張り面積400平方メートルもあるそうだ。
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ここで(先週も買った人参だけれど)今日は大きい3本が150円と100円のほうれん草を購入。小平の人参はとても美味しい。昔の味がする。

街道に戻ってしばらくすると、度々来る東京都薬用植物園(小平市)の前に出た。
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すぐそこは小川駅から一駅の西武拝島線の東大和市駅だ。
明暦元年(1655)野火止用水が完成すると、青梅橋が架けられたのでその名が残っているのだが、昭和38年に暗渠となったと説明版にあった。
ここで東大和市に入って桜街道を歩いていると、東大和市のマンホールを発見。村山貯水池の取水塔と市の花ツツジのデザイン。
(かつて、旧青梅街道は江戸街道と呼ばれ桜並木だったが、昭和20年の空襲で壊滅状態に。東大和市で桜並木を復活させるため桜を植え、桜街道という名前にしたそうだ)
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桜街道に入ってからは特に見所はなくひたすら進み、この日のゴールのモノレールの桜街道駅に到着。
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ここからモノレールの一駅を歩いて、西武線の玉川上水駅(場所はモノレールの玉川上水駅と同じ場所)より帰る。
帰宅は5時半前だった。約25300歩でした。

 

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2025年2月 1日 (土)

青梅街道4 花小金井~小川宿~桜街道(1)

1/24の4回目は家から西武線で近くなので12時半前に花小金井をスタートできた。今回は見どころが多く街道歩きの醍醐味でもあります。しかし次回は何もないとのことで歩く練習になってそれだけでも由です。

小川用水に棲むヤマメをデザインした小平市のマンホール。
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こうしたお地蔵様を今回、お堂ではたくさん見てきた。生花が絶えなく飾られているようなところが多く、今でも地蔵信仰の篤さを感じる。文化5年(1808)のだそうだ。
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別の小平市のマンホール。市の木ケヤキと市の花ツツジの周りに「KODAIRA 雨水の道 小平」の文字と 市の鳥コゲラを描き、外周には十二支と東京都のシンボルマークのイチョウが描かれている。
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武蔵野神社到着。参道が長い。野中新田開発の際の一角に、駅そばの前回最後に寄った円成院から分離した末社の猿田彦大神を祭祀した神社。
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珍しい七福神。
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猿田彦大神。鼻が大きくや腕の太い神様だ。
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西武新宿線を渡ると、右手に整備された小平ふるさと村がある。江戸初期から明治時代以降の近代の建物を復元した施設だそうだ。
1軒1軒に丁寧な説明のチラシが置いてあって昔のこのあたりの様子を詳しく知ることが出来る。

まず旧小平小川郵便局舎。明治41年築で赤い屋根の二ヶ所に〒マークがあるのが印象的。手前に丸ポスト。この後も丸ポストばかり見るが、小平市には30以上も残っているそうだ。中には金庫も見え、横に回ると自宅の部屋が残されていた。
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消防小屋。昭和3年製作の手動ポンプ車などが展示されている。
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旧神山家住宅主屋。
江戸後期に小金井から廻り田新田に移築されたもの。間取り形式は喰違い四ツ間型。
ここには、台所、馬屋、お勝手、お座敷には各種道具や婚礼衣装など今までの街道歩きで見たような展示がされていた。
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こんな井戸も見たことあります。
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水車
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水車小屋の中。木造平屋建切妻杉皮葺で、循環式で水量毎秒10リットル。天明8年(1788年)には、玉川上水の分水にかかる水車は33か所もあったそうだ。
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粗末な開拓住居を見た後、こちらは旧小川家住宅玄関棟。
小川家は幕末までの200年間、小川村の名主を代々務めた家で、この玄関も控えの間があり主家と渡り廊下で繋がっている格式の高い造りになっている。
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最後のやはり藁ぶき屋根の旧鈴木住宅の穀櫃を見て、出たところで青木屋の草餅をご馳走になって出発。

その先に延命寺というお寺が現れた。
享保年間の野中新田開発に際して入村した者たちの願いにより、野中善左衛門が開基となり享保18年(1733)この地に引寺したお寺。
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門前に嘉永3年(1850)の珍しい青面金剛庚申塔があった。
写真ではよく見えないが、青面金剛も笑っているような表情で、三猿が狩衣を身につけて、烏帽子をかぶり、一匹は左手に扇を持ち右手で口をふさぎ、一匹は左手に鈴を持ち右手の扇で顔をおおい、一匹は左手にご幣をかつぎ右手で耳をふさいで三番叟を踊っている。
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本堂の他、お地蔵様、六地蔵や、鐘楼、観音堂、境内にある多摩野神社もある。
かわいらしいお地蔵様。
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本堂。
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古い正徳2年(1712)の石灯籠も残っている。
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神社の鳥居の手前にジュウガツザクラが咲いていた。
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(続く)

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