青梅街道5 桜街道から箱根ヶ崎宿
1/30 今回は見所はあまりないので、どんどん歩き、良い運動になりました。
前回の逆コースで桜街道に着き、12時40分スタート。
正面に見えるのは奥多摩三山の一つ、この間登った大岳山か。山が近くなってきた。
横田基地も近くなって飛行機が時々飛び、やがてイオンモールむさし村山が見えてきたので、ここのサーティワンでアイスを食べて休憩する。巨大な商業施設があって便利。我が家は駅まで坂もあり今の足では15分で商業施設を作ってはいけない区域で老体には買い物がだんだん不便に感じるのです。それで週1で車に乗せて行ってもらっているですが、それでも街道歩きして足慣らしです。
ひたすら歩くと馬頭観音があった。明治4年建立。道標を兼ねていて、右側に「明治四年未年四月吉日 右青梅道」、左側に「武州多摩郡岸村 左羽村道」と書かれているとのこと。
武蔵村山市から西多摩郡瑞穂町へ入る。箱根ヶ崎宿だ。
マンホールは、町の木・松の枝に止まったオオタカがいて、町の花・狭山茶の花と町章を周囲にデザインしている。
立派な一本榎です。この下に庚申塔があり文化10年(1813)建立。江戸街道とある。
このあたりは江戸街道の表示が続いていて、青梅の成木から石灰を運ぶために整備された道だったそうだ。
新青梅街道を横切り、旧道は細い道を行くと蔵がある。千人同心道(日光街道)と合流する角の旧旅籠の関屋家のもの。
江戸時代の御嶽神社参詣案内書「御嶽菅笠」に旅籠関屋として紹介されているそうだ。
千人同心街道と青梅街道が交わる箱根ヶ崎は交通の要衝として大変な賑わった宿場で、江戸時代後半になると日光参拝や、富士講、御嶽講など観光目的の旅人でも賑わったという。
明治時代に入ると千人同心の日光勤番が廃止されたことや輸送形態が変わったことなどにより旅籠の数も減ってしまい、現在は静かな街並みである。
このお店は創業明治5年の漢方の會田商店。ここを左折して千人同心道とはわかれる。
しばらく行くと圓福寺がある。この日唯一のお寺なので宗派も調べず見学する。
仁王門。木彫りの仁王様であまり怖くないお顔だ。
阿形
吽形
観音堂
本堂
別石六地蔵。後ろの庚申塔は道標になっている。
鐘楼
ここで本日は終わり。八高線の箱根ヶ崎駅より帰る。拝島で乗り換え、青梅線にて地元駅に5時前到着。
あんみつをご馳走になってお土産をもらって帰宅。
約21500歩。
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塩野七生氏の『ローマ人の物語』そのあとの地中海関係の数冊、その後に出た『ギリシャ人の物語』を読み、ローマ以前に書かれた本でほぼ塩野氏の本を読み終わりましたが、最後のギリシャ人の物語の最終が「アレキサンダー大王」だったのですが、遠征の様子もよくわかって秀逸でした。
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