甲州街道6 関野宿~上野原宿~鶴川宿~野田尻宿~犬目宿~下鳥沢宿(3)
野尻宿から犬目宿に向かう。
荻野の一里塚跡(20里目)の木柱を過ぎるとまた花がきれいな景色の中を進む。
今日は藤野の駅を降りて樹木の間を歩いた時からずっとウグイスの鳴き声の大射撃。ある時はすぐそばで大音声で鳴いているのに姿が見えない。(後日家の近くで遂にウグイスを見る。生涯で2度目)
この細い坂道を登っていくが、右に見えるのが矢坪坂の古戦場跡解説板である。
武田軍の家臣・小山田勢が北条氏綱(早雲の子)の軍勢を迎え撃って敗退した場所である。
武甕槌神社の鳥居前を通過(両部鳥居)、道は林の中へ上がっていく。
この先は「座頭転がし」と呼ばれる場所。先行していた者の声を頼りに直進した盲人たちがあやまって谷底に転落してしまったという場所だ。数日前に「瞽女」について読んでいたのでとても痛ましい話として心にしみた。
山道を降り、舗装道路に出て犬目宿に入る。
●犬目宿(14番目の宿)本陣2軒、問屋1軒、旅籠15軒。宿並は昭和45年の大火で6割が焼失してしまった。
尾張殿様定宿跡。米山家。
尾張のお殿様が犬目宿の本陣でなく、富士山が眺められ眺望がよかったのでこちらに宿泊した。名古屋から西の殿様は東海道混雑時、調整するため甲州街道も利用した。
犬目の兵助の墓。天保四年(1833)以来凶作が続き、同七年(1836)犬目の竹七と兵助が指導し、一揆を起こす。鎮圧後竹七は捕らえられ牢死したが平助は維新後まで逃げ切ったとか。
お墓を見て振り向くとなんと富士山の下の方が少し見えた。曇り日だったのに嬉しい!
犬目の兵助の生家跡を通り過ぎ、「明治天皇御小休所址」碑があるのが笹屋本陣跡である。
岡部本陣跡のところで道は右折、宝勝寺に寄る。
葛飾北斎「富嶽三十六景甲州犬目峠」や歌川広重「不二三十六景犬目峠の富士」をこのあたりから描いたというお寺である。
可愛い阿吽の席があって、
ここから富士山がほんの少しだけ見えた。富士山も随分近くに見えるようになったものです。
犬目宿を出て下鳥沢宿へ向かう。
何故か聖徳太子塔(弘化2年(1845)建立)があり、10ⅿ位の石畳を過ぎると大月市に入った。
大月のマンホールを発見。猿橋、市の花のやまゆり、市の木の八重桜、雲に浮かぶ富士山、桂川の鮎が描かれている。
●下鳥沢宿(15番目の宿) 本陣1軒、脇本陣2軒、問屋1軒、旅籠11軒。ここの宿も明治39年の大火で焼失してしまったので何も残っていない。
下鳥沢宿は上鳥沢宿との合宿。前半問屋業務を務めた。
鳥沢の一里塚跡は木柱のみだった。
鳥沢駅到着は4時過ぎ。4時21分に特快東京行き乗れたので1時間後に地元駅に到着。
この日は寿司居酒屋にて夕食。
生ビール、白ワイン、しめさばユッケ、しらすのシーザーサラダ、うなぎの柳川風、とろたく巻。
約45500歩。最近ちょっと坂を上る訓練したのと涼しい季節で、あまり疲れなかった。このことを神に感謝です。もうちょっと暑くなるとバテバテになってしまう。
(完)
自分の事を考えますと、人の歩いた道はわからず想像するだけです。自分で歩いて自己満足しているへたな街道歩き記をお読みいただいて、時には素敵なご指摘を頂き、考えもつかない感想を頂いたりして、本当に有難うございます。まだ歩き続けますので、懲りずに読み飛ばしてでも覗いていただけると嬉しいです。
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