仏の教え・ 無財の七施
松戸の蓮行寺、小牧住職にブログで教えられた仏の教えです。
無財の七施とは、お金をかけないで功徳が積め、大きな果報が得られるという七種のお布施。
1. 眼施(がんせ)・・眼を施す
優しいまなざしで人に接し、人に暖かみを与えること。
2. 和顔施(わがんせ)・・「柔和な顔」を施す
なごやかで優しい顔つきで人に接すること。人に喜びや安心感を与える。岩崎彌太郎は社員教育におかめの面を見せて、この顔のようにいつもスマイルを絶やさないように訓示したと「知恵泉」でやっていました。
3. 言辞施(ごんじせ)・・言葉のお布施
相手と話をする時、優しい言葉や暖かみのある言葉で話すと、相手に優しさ、思いやりが伝わり、安らぎを与える。それも表面上でなく心からの言葉が大切。
4. 身施(しんせ)・・自分の体を使って、他のためにさせていただくこと。
5. 心施(しんせ)・・心のお布施。
「心配り」とか「気配り」で、相手を暖かくして差し上げる。
6. 床座施(しょうざせ)・・相手に席・場所などを施すお布施。
「徳を人に譲る」例えば、電車やバスで困っている方に席を譲ったりすること。
7. 房舎施(ぼうしゃせ) 雨・風を凌ぐところを人に与えることです。
自分のことより相手を思いやって行動していく。
全て人を思いやっていくところに「七施」があり、そこに「功徳」があります。年取ると人から受ける方が多くなるが、できることは自分からもしたいものです。
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椎名誠著『ぼくがいま、死について思うこと』
椎名さんは死は怖くないと言っております。何度も死に損なっているからでしょうか。
私は、昨年7,8月とあまり食べられなくなって、初めて自分にも死がもしかして近づいているのかと考えた月でした。
いつもは寝ている間に死んだら、もういつあの世に行っても、大体仕事も遊びもやり終えた感があるので、いいなあと思っていました。
しかし死というものはそうもいかないから、死ぬ前には必ず長期間、あるいはもう少し短期間体も苦しんで、気持ちもきっと恐怖を覚えるのではないかと想像します。
死は怖くないとは堂々とは言えないです。
私はずっと元気だったので、自分の加齢や病気を素直にすぐ受け入れられなくて、それで悩んでいたのだと思います。
<全てあるがままに受け入れる>ということが今の課題であります。そして恐怖心を少しでも減らしていけるようになったらgoodです。
この本には、世界で人を葬る方法がいろいろあり、国によっても実に様々であることが載っています。
火葬、土葬、風葬、水葬、鳥葬、樹葬など。鳥葬はチベットなどで行われるが、高原で木など燃やす原料の少ない国だから火葬だけはできないとのこと。その鳥葬が、私は遺体を岩に乗せておくだけかと思っていたらなんと、猛禽類や他の動物が食べやすいように切断をするのだそうだ。遺体切断係がいるのですね。
風葬というのは風が遺体を運ぶわけでなく、野ざらし=曝葬だ。太陽と風と動物と鳥と虫が処理をするわけだ。
チェコで見た人骨でできた教会、敷地がないため髑髏を飾っているオーストリア・ハルシュタットの教会などを見てきましたが、日本にもちょっとしたのがあったのです。
宮田珠己の本に書いてあるらしいですが、大阪通天閣の近くにある浄土宗「一心寺」には人の骨で作った阿弥陀仏が安置されているそうだ。「お骨仏」という。
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縁起開運えと飴(丙申)
「丙」は盛んな様、陽気な姿を表す。
「申」は外に伸びようと発展し、物事が盛んに動く年回り
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