2017年4月 2日 (日)

鎌倉14 北鎌倉(2)

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3/30 北鎌倉 女性に人気の三つの寺:縁切寺・駆込寺として知られる「東慶寺」、あじさい寺と呼ばれる「明月院」、鎌倉五山の四位「浄智寺」と「円応寺」でした。円応寺以外は何度も足を運んだお馴染みのお寺ですが、まだ混んでいないこの時期こそゆったりと早春の花を楽しみました。

83 東慶寺 拝観料200円
臨済宗円覚寺派の男僧寺 明治35年まで尼寺であった。鎌倉三十三観音霊場第32番
・開山は覚山志道尼(北条時宗夫人、安達義景の娘)
・5世用堂尼 後醍醐天皇の娘で、兄の護良親王の菩提を弔うため入山した。
・20世天秀尼 豊臣秀頼の娘で千姫の養女

                       門460x345
                    緋桃と彼岸桜460x345_2
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                    1350年の梵鐘460x345_4
                 本堂の本尊釈迦如来像460x345_5
             コゲラが古木にかなり穴をあけていました460x345_6
                 石像とイワタバコの葉460x345_7
用堂尼の墓。住持尼の墓にも菊の花が手向けられている
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西田幾多郎の墓 他に和辻哲郎、鈴木大拙、谷川徹三、岩波茂雄など著名人が多く眠っている。460x345_10

84 浄智寺 拝観料200円
鎌倉五山第四位。臨済宗円覚寺派。鎌倉三十三観音霊場第31番。
北条時頼の三男・宗政没後夫人が寺を起し、亡夫と幼少の師時(第10代執権)を開基とした。

                参道の情趣は鎌倉一と言われる345x460
    珍しい浄智寺の鐘楼門は重層で階上に梵鐘(1340年)をつるしている345x460_2
ムラサキハナナやサクラソウが満開で春の装い
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仏殿(曇華殿)の本尊は木造三世仏坐像で珍しい仏像。三世とは阿弥陀、釈迦、弥勒の如来三体なのだそうだ。弥勒は菩薩が普通なのですが。460x345_13
              鎌倉三十三観音霊場の第31番観音様31_345x460
鎌倉七福神のひとつ布袋尊
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85 明月院 拝観料300円
臨済宗建長寺派。歴史は古く複雑で、北条時頼が建てた「最明寺」の後の「禅興寺」の塔頭として建てられた明月院だけ残って寺は廃寺となった。
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至る所に院内で咲いたお花が活けられている。素敵なおもてなしの心を感じます。
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                    仏殿の丸窓460x345_16
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                      地蔵様460x345_23
花想い地蔵
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明月院やぐら 鎌倉市現存最大級 釈迦如来像や十六羅漢が浮き彫りになっていて素晴らしい345x460_5
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             北条時頼の廟所と墓所
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86 円応寺 拝観料200円 撮影禁止
奥中央が閻魔堂で、本尊・閻魔大王と十王(亡者が冥界において出会う十人の王様)が安置されている。読んでいると私は地獄のどのあたりに堕ちて苦しむのかなんて思ってしまいます。
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                   閻魔大王(チラシより)460x431_2
●最後に鶴岡八幡宮と新装なった段葛(桜はまだ一輪も咲いていなかった)
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鎌倉と北鎌倉が終わり、次回は大船駅(鎌倉市)から回ります。

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2017年3月27日 (月)

GAS MUSEUM (ガス資料館)

先日訪れた「藤澤浮世絵館」では、東京小平市にあるガス・ミュージアムからたくさんの錦絵が来ていました。
そこで近くにあるこのガス・ミュージアムに行ってみました。
このミュージアムには明治錦絵が400点も所蔵されている。無料。展示替えも行われます。

赤レンガのガス灯館とくらし館からなっていて、庭には横浜や湯島天神や築地にあったガス灯を始め、フランス、イギリス、、スペイン、ドイツのガス灯など13種17基が置かれて点灯されていた。

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ガス灯館では「錦絵にみる東京の冬景色」展が開かれ文明開化のシンボル・ガス灯とその時代に描かれた錦絵が37点展示されています。

作品一覧表には珍しく、たくさんの写真が載せられ、その説明があります。クリックすると見られます。
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当時の歳の市、餅つき、羽子板、凧揚げの様子、またこの時代の浮世絵の寵児・小林清親、歌川広重(三代)らの描く東京に風景には雪景色が多く描かれ、当時は今と違って雪がたくさん降った様子がわかります。それが印象的な今回の展示でした。
ガス灯館にはその他、明治時代に使われたガスライトが多く展示されています。

くらし館

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幼少だった私は疎開前のこの景色を覚えてるし、小学校2年生になって帰ってきたときはもう少し家が建ち始めていました。460x345_3
                四面式食パン焼き器(昭和)460x345_4
                   戦前の蟹型ストーブ460x345_5
                  籐製ガス火鉢(大正)460x345_6
                100年以上前の英国製ガスレンジ460x345_7
大隈重信伯爵邸台所(1902・明治35年) 右側にガスかまど3台と奥に外国製ガスレンジが見える。立派です!460x345_8
岩崎男爵邸台所(1902・明治35年)裸火ガス灯と正面奥や左上円内にガスレンジが見える460x340
ガスオルガン 天然ガスで演奏できる世界最初のガスオルガンで音域は2オクターブ半。ドイツのストラスブールにあるのを元に1987年に復元制作された。鍵盤を押すとガラス管の中の炎が変化し、やわらかい音を出す仕組み。460x345_9

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2017年3月23日 (木)

カタクリ & ティツィアーノとヴェネツィア展

近くの殿ヶ谷戸庭園ではキクザキイチゲとカタクリが満開です。

キクザキイチゲ(キンポウゲ科イチリンソウ属) 殆どのが向こうを向いていてやっとこれだけ半分見えました。460x307
カタクリ(ユリ科カタクリ属)460x307_2
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『ティツィアーノとヴェネツィア展』東京都美術館

ルネサンス期、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロが活躍したフィレンツェに比肩するヴェネツィア。

ルネサンスのヴェネツィア派の代表は5人あるいは6人です。<>の作品は今回は来ていなかった。(昨年早稲田で学んだルネサンス期の絵画による)

ジョヴァンニ・ベッリーニ(1430年頃~1516年)・・ヴェネツィア派の祖
<マンテーニャ(1431~1506年)>・・ ベッリーニの義兄弟
<ジョルジョーネ(1476/78年頃~1510年)>・・ベッリーニの弟子
ティツィアーノ(1488/90年頃~1576年)・・最大の巨匠。ベッリーニの弟子、ジョルジョーネの影響受ける。
ティントレット(1518~1594年)・・ティツィアーノの師事するも破門。エル・グレコに影響を与える。
ヴェロネーゼ(1528~1588年)・・ティツィアーノの影響を受ける。ルーベンスなどに影響を与える。

           ベッリーニ≪聖母子(フリッツォーニの聖母)≫
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ティツィアーノ
                      ≪フローラ≫325x460
                       ≪ダナエ≫460x324
     ≪教皇パウルス3世の肖像≫      ≪マグダラノマリア≫460x457_3
                  ティントレット≪レダと白鳥≫460x460
        ヴェロネーゼ≪聖家族と聖バルバラ、幼い洗礼者ヨハネ≫460x378
ティツィアーノのこの4作品が来日しただけでも素晴らしいことです。スペイン国王カルロス1世やフェリペ2世の愛顧を受けるだけの人物だったようです。
≪フローラ≫はボティチェリの≪春≫作品より心にジーンとくる顔です。

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2017年3月20日 (月)

歌舞伎『伊賀越道中双六』

雲南黄梅がずっと咲き続けています。似ている黄梅(迎春花)は小さく一重。
雲南黄梅は八重(二重構造)咲きが多くで花冠は6~8枚と全くいろいろな様相を呈していて、眺めていると面白い。
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何でも咲くのが遅めの我が家、やっと沈丁花が咲いて芳香を漂わせています。昔卒業式の頃に咲いていた花で、送辞や答辞にこの花の名前が入っていたのを思い出し、卒業式の花と心得えている私です。
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国立劇場の3月公演(12時~16:25分)通し狂言「伊賀越道中双六」を見に行きました。
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                                     劇場前の皇居のお堀460x345_2
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                   江戸城跡の碑460x345_4
         キシツツジ 兵庫県以以西~九州に分布し川岸に生える
          訂正:リキュウウバイ 0さんありがとうございました。460x345_5
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ヒュウガミズキと書いてありましたが、トサミズキとおもわれます。
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              緞帳(四季草花図)3種類の中のひとつ460x345_9

2015年5月に三島~沼津間を歩きました時、途中に「平作地蔵尊」がありました。日本三代敵討ちの浄瑠璃「伊賀越道中双六」の話に関係。娘お米の夫・渡辺一馬のため、父親平作が自害してまで仇の行方を聞き出した。義兄荒木又右衛門の助太刀で本懐を遂げる。

歌舞伎の方は名前を変え、場面も変わって円覚寺や岡崎の場面、最後が伊賀上野。敵討ちの場
荒木又右衛門が、唐木政右衛門という名で登場し、複雑な事情で、病で宿を求めた妻を雪の中に追い返し、さらに自分の赤ん坊を殺してしまう。妻お谷への情愛を描く場面・莨の葉を刻んで苦衷に耐える件(くだり)は「莨切」と呼ばれる有名な場面。中村雀右衛門(お谷)、中村又五郎(奴助平)、中村米吉(お袖)の演技が良かったし、迫真の演技に泣けました。でも自分の子供まで殺してしまうとは、考えられない成り行きです。

           東京駅中央線ホームから見えるKITTEに映るビル460x345_10

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2017年3月 9日 (木)

鎌倉13 北鎌倉(1)二大禅刹とお雛様・つるし飾り

3/8昨日、鎌倉13回目の訪問は北鎌倉の二大禅刹・建長寺と円覚寺でした。

476x600●「北鎌倉つるし飾りのある街」というイベントが2/4~3/20まであって約100ヶ所のお店と駅などで吊るし飾りを楽しめます。

        駅のつるし飾り
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新つるし飾り 公家姿の武士や尼さん、小坊主、御家人、町娘等12種類の鎌倉・室町時代の服装をした人物と北条・上杉の家紋で成り立っている。345x460
                   ある店の吊るし飾り345x460_2
                 食事をした店のつるし飾り460x345_2

423x600●北鎌倉古民家ミュージアムでは「おひなさまとつるし飾り展」をやっていました(撮影禁止)。円覚寺のすぐそばです。
ちらしにありますような江戸時代の寛永、享保、有職、一刀彫、次郎左衛門などの雛、そして明治・大正・昭和のお雛飾りが所狭しと飾られています。

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この民家には最近亡くなるまで、尾形乾女(七世乾山)が住んで陶芸をやっていた。尾形光琳の弟・尾形乾山から七代目で女性。この方で尾形乾山の系統は終わったそうです。345x460_3
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禅宗の臨済宗は14派あって京都7派、鎌倉2派、他7派。
鎌倉2派は建長寺派(他寿福寺、浄妙寺など8寺)、円覚寺派(他瑞泉寺、浄智寺など4寺)

鎌倉には国宝が4つあり、建長寺の梵鐘と円覚寺の梵鐘、舎利殿、そして鎌倉大仏です。

81 建長寺 
創建1249年、開山は蘭渓道隆 開基は北条時頼 拝観料300円 鎌倉33観音霊場として27番・建長寺妙高院、28番・建長寺、29番・建長寺龍峰寺
建長汁(けんちんじる)は建長寺発祥の料理。この日の昼食はたまたまけんちん汁を頂きました。

何回も訪れた北鎌倉の寺々、この時期はまだ花や緑が乏しいけれど、さすがに人が少ないので、広い境内をゆっくりと辿り、静かで気持ち良い時間を過ごせました。

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               手前にはおかめ桜が左右2本満開だ345x460_4
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国宝・梵鐘 2.7トンだそうで開山の銘文がある。1255年鋳造。鐘の音を聴いてみたい。345x460_5
仏殿手前の柏槇 開山が中国から持ってきた種を創建時にまいたと言われる樹齢約760年で、太い幹がくねっていて神秘的だ。460x345_6
仏殿の御本尊は「地蔵菩薩」でとても珍しいとのこと。他では釈迦如来が多いのに。345x460_6
            法堂の千手観音と天井の雲龍図(小泉淳作画)460x345_7
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               方丈からの唐門と庭園(国史跡)460x345_10
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82 円覚寺

創建1282年 開山は無学祖元 開基は北条時宗 拝観料300円 円覚寺仏日庵は鎌倉33観音霊場33番

                    総門への石段460x345_12
                   ここの山門も立派460x345_13
国宝の梵鐘・洪鐘
隣に弁天様が祀ってあるのは、洪鐘鋳造の折、江ノ島弁財天の加護により円成したからという。61年に1回、3日間ご開帳と言うからとても拝めない。460x345_14
         居士林 山岡鉄舟、鈴木大拙、夏目漱石などが参禅した。460x345_15
              方丈前の百観音は江戸時代のもの460x345_16
奥が国宝・舎利殿。源実朝が宋の能仁寺から請来した仏牙舎利を奉安する堂宇で唐様式の美しい建造物として国宝に指定された。残念ながら全容が見られない。460x345_17
白鹿洞 開山の説法を聞こうとする白鹿がこの洞より群を成して出てきたという。460x345_18

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2017年2月27日 (月)

「舞楽」と「ガラス絵」と

1昨日は国立劇場で舞楽を鑑賞しました。50周年記念。
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430x600舞楽は雅楽の演奏形態の一つで、唐楽(左舞)と高麗楽(右舞)を伴奏として舞うもの。上演は左舞と右舞をペアにした番(つがい)舞として演奏される。中国、朝鮮半島から渡来した。

左舞「太平楽」は、漢の高祖と楚の項羽が鴻門で宴を催したとき、項羽の臣の項荘が剣を抜いて舞いながら高祖を殺害しようとするが、項羽の叔父の項伯もまた剣を抜き舞いながら高祖を守ったという舞。

右舞「古鳥蘇」はかつての渤海国の鳥蘇里(ウスリー)地方の風俗舞。
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「太平楽」は天皇即位の大礼に舞われる。今上天皇の即位式では平成2年11月12日から15日まで「祝宴の儀」で舞われた。
最も豪華絢爛な装束を纏っています。常装束の他に別装束が加わり、絹、金物、革、木材、漆、螺鈿などの材質で卓越した名工によって作られる。
その着付けはプロの装束でも一人当たり25分かかり四体の武者人形の完成まで100分を要するそうだ。身につける品物は26点、全部で57本の紐でしっかり縛り上げる様に着付けられる。
さぞかし重く苦しいのでしょうね。音楽もさることながらずっとその装束と舞に見とれていました。
国の重要無形文化財であり、ユネスコ無形文化遺産保護条約への記載決議がなされた。

        小さな干菓子や歌舞伎煎餅が入っていてお雛様飾りに460x198

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昨日はこの日で終わってしまう府中市美術館の「ガラス絵」展に行ってきました。
ちらしがプラで出来ていて、ガラス絵の雰囲気を出しています。
ガラス絵って聞いたことがなかったけれど、ステンドグラスをイメージして行ったのですが、全然違いました。
これがガラスに描かれている?普通の油絵なんかとどう違うか?いろいろ観察してみてもよくわからない。色彩が素晴らしいとは思いました。

絵は透明なガラス板の裏面に描き、表面から鑑賞する。だから左右を逆に描き、一番表に出る色から塗っていくのでなかなか難しそう。何故裏から描くかはわからない。
チラシによれば、
古くはヨーロッパの宗教画に始まり、中国を経て、日本へは江戸時代の中期に伝わった。それから200年経つが、幕末明治期には異国風景や浮世絵風のガラス絵が描かれた。
大正・昭和初期には小出楢重、長谷川利之。戦後は藤田嗣治、川上澄生、芹沢銈介、桂ゆきの絵が存在感がありました。今回は130点。浜松市美術館と福島県立美術館の所蔵が突出していました。
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日本人の死亡リスクにおいて「高血糖」や「塩分の高摂取」等を抑えて「身体活動の運動の不足」が第3位となっているという。
日本人は世界的に見ても一日のうち座っている時間が長く、一日平均7時間半も座った姿勢のままだという。結果として血流を悪くし、知らないうちに身体の痛みやコリを引き起こしてしまっている。
私もここ10年以上、暇なくせに家事をサボり、そんな傾向が続いていました。
現在、目が良く見えるようになって、家の中全てがとても汚いので、腱鞘炎が起きそうなくらいあちこち掃除に余念がない。いつまで続くやら。果てしなく汚くなるあちらこちらに少々うんざりではあります。

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2017年2月23日 (木)

すみだ北斎美術館

・昨日の朝、テレビで観たところによると、中国人の「爆買い」が減って、「爆受験」「爆留学」が凄いのだそうだ。
2年内に受からないと中国へ帰らなければならないそうだが、日本語を覚え、東大、京大、名古屋大などなど名門を狙ってどんどん合格し、入学するようになったという。
それは自分の未来が高収入で大きく開け、世界に羽ばたけるから夢に向かって、どんなに苦労しても、ずっと勉強だけを貫くというもの。
さすが中国の人、欧米だけでなく日本にも攻めてくるのですね。日本の名門校も何割かが中国人で占められるようになるのか。

・ある本に世界中の人間を全部合計した重さは、世界中のアリを全部合計した重さとほぼ同じであると書いてあるそうだ。椎名誠著『ソーメンと世界遺産』より。
世界中のアリの数を想像できますか。もう天文的な数のアリが地球のあらゆる場所に巣を作って生きているのですね。なんだか怖いくらい。

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【すみだ北斎美術館を支えるコレクター ピーター・モースと楢﨑宗重二大コレクション展】

すみだ北斎美術館は昨年11月22日に開館して、2ヶ月で10万人を超え当初の年間20万人の半分に達した。北斎や北斎の弟子らの作品など1800点を収蔵。
建築家妹島和世氏が設計した。
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中に入ってみて、設計ミスのような事態に驚く。エレベーターが2台あるものの、3階から1階へ下りる階段がないのです。展示場は3、4階です。当然人が多いとエレベーターに乗り切れず行列が出来る。
小学生もいっぱいいたけれども階段があればどんどん下りて行かれるのに。こんなに人が入るとは思わなかったのか。そのうち人が減って大丈夫になるのか。

439x600今は開館記念展Ⅱとして「ピーター・モースと楢崎宗重二大コレクション」展が開かれている。

ピーター・モースは大森貝塚を発見したエドワード・モースの弟の曾孫。北斎を研究した米国人収集家で、93年都内で開かれた北斎展で来日中に急逝した。遺族はコレクションの散逸を防ぐため、約600点を墨田区に一括譲渡したとのこと。
楢崎宗重は浮世絵研究の第一人者で「北斎論」を著した人。北斎作品は少ないが、近世絵画・版画を約480点墨田区に寄贈した。

84歳ころの北斎のアトリエの模型 北斎はこたつに半分入りながら熱心に絵を描き、傍らで阿栄は見守る。障子は破れ、ゴミが散らかり大変質素な部屋。門人の露木為一が絵に残しているのを再現した。
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ピーター・モースコレクションは今回前期は38点、後期と合わせると67点の北斎画が見られる。
モース氏が「最小サイズの絵暦から最大サイズの地図まで、型にはまってマンネリ化したものがひとつもない」と言葉を残しているように、ありとあらゆる手法、サイズ、種類、モチーフを描いた、さすが世界の100人に入る北斎。
国芳風の武者絵や歌川派の様々な画風、歌麿風、そこで絵を学んだ勝川派の画風、本の挿絵、北斎漫画、略画早指南(はやおしえ)、70歳過ぎてからの、富士山、橋、滝、海などの風景画、細かい地図(びっくり!)、小布施にある作品や肉筆画など、こんなのまで描いていたのと北斎展を見るたびに感動します。

今回の注目作品
「富嶽三十六景 甲州石班沢」波が凄い。「神奈川沖波裏」と比較したりして楽しめる。(絵葉書)

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                                    「牡丹に胡蝶」(絵葉書)460x308
常設展示室のレプリカ(一部を除いて写真撮影可能)

                    「略画早指南」460x352_2
                   「百物語 さらやしき」345x460_2
楢崎コレクションも北斎ほか、永澤蘆雪、国貞、国芳、渓斎英泉、渡辺崋山、川瀬巴水、河鍋暁斎、高橋由一、熊谷守一他たくさんの画家の作品がずらりです。

両国駅そばの「ちゃんこ霧島」。新宿には「ジンギスカン霧島」もあるらしい。460x320
               ちゃんこ鍋の鶏がとても美味しい460x345_3

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2017年2月 3日 (金)

岩佐又兵衛


岩佐又兵衛については聞いたことがある名前でしたが、どんな人か?大河ドラマ「軍師官兵衛」をやっていた時にはまだ知りませんでした。官兵衛が村重に水牢に入れられ廃人同様になった姿が思い出されます。
有岡城主「荒木村重」が織田信長に反旗を翻したその時に、村重を父として生まれたのが又兵衛だった。
信長に攻め込まれた村重は花隈城に籠り降伏しなかったので、信長は郎党男女500人を焼き殺し、ついで荒木一族30余人を京都に護送し六条河原で処刑した。
そのとき「だし」というおそらく又兵衛の母と言われる女性の刑場での最期が毅然として美しかったという。
その辞世の句が涙をそそります。
 消ゆる身は 惜しむべきにもなきものを 母の思ひぞ 障りとはなる
 残し置く そのみどり子の心こそ 思ひやられて 悲しかりけり

村重とだしの子、又兵衛は、2歳だったが乳母の手で城から救い出され、京都西本願寺のもとにかくまわれ、母方の岩佐の姓を後に名乗った。
父村重は城から抜け出し尼崎から船で毛利方に逃れ、尾道に住んでいたが信長が倒れると畿内に戻り、千利休の高弟となり、秀吉の茶会に招かれたりした。

岩佐又兵衛については誰に育てられ、どのように成人したか、知る手掛かりが殆どないが、絵画だけでなく和漢の幅広い教養を身につけていた
大坂夏の陣で豊臣が滅亡したとき38歳になっていて、松平直忠の城がある、越前北之庄に都落ちした。その後60歳から江戸へ行き、73歳で没するまで活動を続けたという。

又兵衛は第1期浮世絵の元祖と言われ、菱川師宣が版画という、より量産に適した形式に移して、さらに幅広い町人階層の生活の場で愛されるものにし、第2期浮世絵の元祖となった。

明後日5日まで「岩佐又兵衛と源氏絵展」が出光美術館で開催されています。私は行けなかったですが、夫が行ってそのちらしを見せてもらったのがこのような絵です。
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辻惟雄著『岩佐又兵衛』では展示作品以外に様々な古典を描いた作品をたくさん見ることが出来ますが、その細かな描写、当時の風俗、深い教養が見てとれ、処刑されたお母さんが生きていたらどんなにか喜んだことでしょう。

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2017年1月12日 (木)

鎌倉12 江ノ電・七里ヶ浜~腰越界隈(2)

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サボテンの家あたりから山側に向かうと江ノ電の向こう側に石段があって山門へと続いている。これが満福寺だ。このあたりの江ノ電の両側にはぎりぎりに民家が建っていて、音はどうなのでしょう。乗っているとなかなかスリリングで面白いのですが。腰越駅を過ぎると都電のような路面電車になって車や歩行者と共存状態だが、事故が起こったという話は聞かない。307x460

77 満福寺 
古義真言宗大覚寺派 開山は行基。義経の「腰越状」で知られるお寺だ。
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平家を滅ぼし、鎌倉に凱旋してきた義経だが、頼朝に鎌倉入りを禁じられ、ここ満福寺に逗留した。和田義盛などを通じて頼朝の怒りを解こうとしたが許されず、幕府公文所別当の大江広元に嘆願書を出した。これが「腰越状」といわれている。
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本堂展示室(200円)には実物大の腰越状の版木が現存し、襖絵には静御前との別離など義経の生涯が描かれている。
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                 鎌倉彫の格天井が豪華だ460x307_8
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                  歌川国貞「壇ノ浦の合戦」550x367_460x307_2
                 歌川国芳「源平屋島大合戦」460x307_9

78 本成寺 次に行った、龍口寺の輪番八ケ寺の一つ。開山は日賢。創建1309年。満福寺のそばで寄ってみた。
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79 龍口寺 
腰越から江の島の方へ向かう。ここは鎌倉でなく藤沢市に入る。この地は鎌倉幕府時代の刑場跡であった。
日蓮が『立正安国論』を幕府に奏上したら、それを中傷と受け止め、1271年、鎌倉松葉ヶ谷の草庵で日蓮を捕えて市中引き回しのうえ、この龍ノ口の刑場に連行した。いろいろあって刑は中止となったが、佐渡へ3年間の流罪となった。世に言う「龍ノ口法難」である。
その後1337年、日蓮直弟子の日法がこの地に敷皮堂を建立したのが龍口寺の始まりである。460x307_10
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            誰でもお経を唱えれば1回突いてよい「延寿の鐘」460x307_14
明治19年に廃止されたのだが、かつて龍口寺は住持を置かず、子院の八寺が輪番で住持をつとめていた。
龍口寺輪番八ヶ寺は、腰越近くの本成寺(今回行った78)、観行寺、東漸寺、本龍寺、妙典寺、法源寺(今回行った80)と、藤沢市片瀬の常立寺、本蓮寺である。
このお寺は高校卒業してすぐクラスメートが亡くなって葬儀が行われた忘れられないお寺でもあります。

80 法源寺
ぼたもち寺とも呼ばれる。以前行った、大町の常栄寺の有髪の尼・座敷の尼が市中引き回しの日蓮にぼたもちを捧げたが、その尼さんの実家の菩提寺ゆえに、この寺もこう呼ばれる。
龍口寺輪番八ケ寺の一つ。開祖は日蓮の孫弟子・日行。1318年。
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                     水子地蔵460x307_15
              墓地から腰越の町と湘南の海が見える460x307_16
                   片瀬江ノ島駅への橋460x307_17
            この境川の源流が、先月登った草戸山でした。460x307_18
小田急片瀬江ノ島駅から家路につきました。今回は長居をしたところが多くて輪番八ヶ寺を全部廻れなかったのが残念であります。460x307_19

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2017年1月 9日 (月)

鎌倉12 江ノ電・七里ヶ浜~腰越界隈(1)

1/6(金)晴れ 鎌倉駅から江ノ電に乗り換え七里ヶ浜駅で下車。この日は約17000歩。

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●七里ヶ浜の海岸に下りると江の島と富士山が見えた。
「真白き富士の嶺、緑の江の島」と有名な歌になっている、明治43年逗子開成中学生12人のボート事件を歌ったもの。

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                                富士山手前は小動(こゆるぎ)岬か470x312
振り返えると稲村ケ崎から三浦半島までの景色が見える。
「稲村ケ崎、名将の剣投ぜし古戦場」と歌われた新田義貞の渡渉伝説がある。470x313

74 霊光寺
1271年、鎌倉が大干魃に見舞われたときに、日蓮が雨乞いしたら池が出来るほど雨が降り続いた。明治の末の調査で1735年に江戸講中が建てた「日蓮大菩薩祈雨之旧跡地」と記された石塔が発見されたので日蓮上人像と本堂が建立された。

                       雨乞池460x307
                    日蓮上人祈雨旧跡碑296x460
                      霊光寺門460x298
                       本堂460x307_2
                       日蓮上人像 307x460
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腰越に出て昼食。御主人が日展に出品するという画家の可愛いお店で「ネギトロわかめしらす丼」、またまたしらす丼であります。絵が数枚飾られた室内装飾、特にトイレの装飾が感動したお店で、鎌倉にはこうした隠れた可愛いお店が多い。460x307_4

小動岬へ。太宰治が心中事件を起し、太宰だけが助かった所(小説は『天国と地獄』)。
小動の地名は、風もないのに揺れる美しい松の木「こゆるぎの松」がこの岬にあったことに由来する。

75 小動神社
頼朝に伊豆配流の時代から仕えていた佐々木盛綱が文治年間(1185~90)に父祖の地・近江から勧請した。新田義貞が鎌倉攻めの戦勝を祈願し、太刀一振と黄金を寄進し、社殿が新たに再興された。

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鳥居の注連縄が立派である。注連縄は藁ではなく合繊で出来ていた。(調べたら255000円もするとか!)460x307_6
                       本殿460x307_7
この神社には境内末社4つが祀られているが、海(わたつみ)神社の石鳥居は1728年(享保13年)銘の古い鳥居である。460x307_8
76 浄泉寺 
かつて小動神社の別当寺(神社を管理するために置かれた)であった。小動神社とは道路を挟んだ反対側にある。京都大覚寺の末寺。 460x293
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●お寺のお隣の家には数えきれないほどのサボテンがある。写真を撮らせていただいたときに奥さんに伺うと10年間でこんな増えてしまった由。赤くなっている葉はサボテンの紅葉だそうで、春から緑色に変わるという。数の多さに「おったまげた」という言葉が出そうになったほどです。
通り側だけでなく、写真で撮れないけれども、家との間もびっしり埋まっていました。
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           一つの鉢にもたくさんの種類が寄せ植えされている460x307_14



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