2017年10月19日 (木)

「猫百態」展 朝倉彫塑館にて

台東区立・朝倉彫塑館は国指定名勝で国登録有形文化財です。昭和10年に現在の原型が完成したそうです。
450x338_2
朝倉文夫はここを「朝倉彫塑塾」と命名し、門下生を育成し、住まいと学校と生育の場が一体となっていました。
2度目ですが、建物の素晴らしさを認識していませんでた。撮影禁止ですが玄関と屋上だけは禁止マークなしです。
大きな鯉のいる池と様々な素晴らしい石が並べられた中庭は、和風の住居棟とコンクリート造りのアトリエ棟に挟まれています。アトリエは天井高8.5mで三方向から光りを取り入れている。
和風建築には竹がいろいろな所に形を変えて使ってあり、様々な木を用いた床の間、天井などや置いてある家具なども垂涎もの。書斎は天井までガラス張りで凄い蔵書で埋まっている。

                    門と玄関

450x338_3
450x338_4
屋上 スカイツリーが半分以上雲の中というのは初めて見ました450x338_5
450x338_6
450x338_7

ところで「猫百態」展では猫の様々な姿態を、石膏とブロンズで見ることが出来ます。
ちらしに書かれていますが、猫は、予期しないような動き、人を避けるような仕草、奔放で媚を売らないかと思えば甘え上手な性質。朝倉氏はそうした猫の特性を好んで制作したそうだ。
写真で拝見すると10数匹飼っていたようです。見ていてとても楽しい。312x450

               夕焼けだんだんの方に行ってみる380x285_2
以前もブログに載せたりしている、お店や屋根の上の猫など、猫だらけの谷中銀座でした。450x338_8
450x338_9
450x403


もう終わってしまいましたが、都美術館の「ボストン美術館の至宝展」ではゴッホの肖像画と曽我蕭白が見られて感動し、太田美術館の「月岡芳年・月百姿」が素晴らしかった。
そして生誕150年記念で練馬区立美術館で開かれた「藤島武二展」は色々な画風に挑戦した画家の絵を150数点見ることが出来ました。練馬区は豪気、75歳以上は他の地域の人も無料です。
運慶展は行列が長くあきらめましたが、芸術の秋は早稲田大学の方の美術史講座がまた始まって、復習もままならず、読む本もたくさんあって、それなりに暇人の私もちょっぴり忙しいです。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2017年10月15日 (日)

近所で御開帳

ローカルな話ですが
近くの武蔵国分寺跡の方、国分寺仁王門の奥に国分寺薬師堂があります。
年に1回、10月10日に薬師堂内の「木造薬師如来坐像」の御開帳があります。ここに引っ越してきて21年にして初めて見てきました。

仁王門 国分寺市指定文化財 宝暦年間(1751年-1763年)の建立で、入母屋造の八脚門450x338
薬師堂 国分寺市指定文化財
建武2年(1335年)新田義貞の寄進により、武蔵国分寺史跡の金堂跡付近に建立されたと伝えられています。現在の薬師堂は宝暦年間(1751年から1764年)に今の場所に移され、建て替えられたものです。以前の建物は義貞が分倍河原で負けた時に焼き払ってしまったとのこと。その時薬師如来は持ち出されて無事だったのでしょう。450x338_2

木造薬師如来坐像 国指定重要文化財 平安時代末期から鎌倉時代初期の制作。作者不明。寄せ木造、漆箔仕上げ。像高191.5㎝。
今国立博物館で運慶展をやっているが、康慶・運慶親子の活躍した時代とほぼ同じ時代のもの。800数年ここにおわして、お顔も黒く変色して痛々しい感じです。今度は御開帳の祈祷の儀式から見てみたい。338x450
450x327
450x396
                  左脇侍・日光菩薩と十二神将のうち六体 元禄2年制作450x338_3
                   右脇侍・月光菩薩と十二神将のうち六体 元禄2年制作450x338_4
450x338_5
天井に龍が描かれるが色も褪せて見えない。寺額は東大寺西大門の勅額を模したものだそうです。450x338_6


帰り道
      花の時は気が付かず、実がなって初めて気が付くサネカズラ450x338_7
               マユミの実はまだはじけていない300x260

谷中で買ってきてもらった「もにゃか」という名の最中。餡は羽二重団子に入っているものだそうで美味しい餡子。猫ちゃんをパクリはちょっと気が引けたけれども。300x225

| | コメント (18) | トラックバック (0)

2017年9月18日 (月)

鎌倉16 梶原・寺分へ

今日は敬老の日。テレビで84歳の双子の姉妹が日替わり定食屋とお惣菜屋を切り盛りしている姿を放映していました。それぞれ結婚した相手の会社が倒産して二人で1億2000万円の借金を8年間で返したという。今も夜10時まで立ちっぱなしで料理を作り、昼と夜の日替わり定食の他、何種類もの惣菜を、あるいは200食の弁当を作っている。お姉さんの方は最近大腸癌や肝臓癌で3度も入院しているが、退院してきた日から働いているという。何という根性のお二人でしょう。私には雲の上の人です。

    〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

9/14(木)、大船駅から湘南モノレールに乗って3つ目湘南深沢で降り、寺分(てらぶん)と梶原(鎌倉景通の嫡男の梶原景久がここ梶原で梶原氏を称した)の3寺2社を回る。1時間もあればゆっくり回れてしまうとても狭い範囲内にある。
鎌倉も4/25以来です。湘南モノレールに乗るのも30数年ぶり。大船駅から湘南江の島まで間に6つの駅があり14分で到着してしまう。驚いたことにスイカ・パスモが使えず、切符を買うのは久しぶり。降車駅で切符を集めるのは運転手か車掌です。それでも今日では年間乗客数延約1,000万人に及ぶという。

94 等覚寺(梶原)
 高野山真言宗 創建は1394~1428年。

                                    茅葺の山門が目を惹く450x338
                     本尊は不動明王で、あわせて出世子育て地蔵を祀る。450x338_2
450x338_3
                                             弘法大師像450x338_4
シュウメイギク ちょうど2年前の9/16に鎌倉小町から歩き始めたときに、宝戒寺ではヒガンバナ、大巧寺ではシュウメイギクやハギ、オトコエシ、ワレモコウなど秋の花々が咲き乱れていたことを思い出しました。あれから2年、あと1回で鎌倉市巡りも終わります。450x338_5

95 大慶寺(寺分)
 円覚寺派。五山に次ぐ寺格を持つ臨済宗の禅刹の関東十刹の一つ。
「寺分」とは「寺領であったところ」を意味する。地名の由来は、南北朝時代から戦国時代に、大慶寺の寺領であった(大慶寺は後に廃絶)。寺名を略して「寺分」と称した。今の大慶寺は大慶寺の塔頭だった「方外庵」を改称したそうだ。
開創は1278~88年頃。開山は大休正念という中国僧で1269年に来日して建長寺や円覚寺に住持した高僧。

                                        ここも茅葺の山門450x338_6
                                                  本堂 450x338_7
450x338_8
                               ビャクシン2株は市指定天然記念物2_450x338
                                     市指定文化財の石造・宝塔二基2_338x450
                       オキザリス・ボーウィがたくさん咲いているお寺です450x338_9
450x338_10

96 駒形神社(寺分)
 大慶寺と次の東光寺が並ぶその間の反対側にある神社
 寺分の鎮守だが84段の階段を上るとひっそりと小さな社殿が建つが参拝する人はいない。338x450
450x338_11
338x450_2

97 東光寺(寺分) 高野山真言宗
450x338_12
450x338_13
450x338_14
四国八十八ヶ所お砂踏霊場 四国八十八ヶ所霊場の砂を弘法大師像の四方におさめ、それを踏みながら回ると八十八ヶ所遍路と同じ功徳があるとされる。450x338_15
ストロベリーキャンドルのような色の千日紅    オミナエシ
450x338_16 450x338_17

このキク科のような花の花弁が面白く見たことがない。末広がりで先が3裂している。
ヘレニウム(ダンゴギク)だそうです。いつもいつもoさんことorangepskoさんありがとうございます。450x338_19
450x338_18

98 梶原御霊神社(梶原) 
 ここにも、坂ノ下(長谷寺近く)の御霊神社と同様、鎌倉権五郎景政を祀る。1190年梶原景時が建立した。
 鎌倉権五郎景政は武勇が名高く、剛毅で武士の誇りの高い人物だ。後三年の役の時、敵に右眼を射られながら、その敵を射殺し、三浦為継が景政の顔を踏んで矢を抜こうとしたら、その無礼を怒ってひざまずいて抜かせたという。今、日本にこんな凄い人がいるでしょうか。338x450_3
450x338_20
450x338_21
                      やぐら450x338_22

           ケイトウ  コシキブ(コムラサキ) ヒガンバナ450x338_23
450x338_24
450x338_25
450x338_26

| | コメント (16) | トラックバック (0)

2017年9月11日 (月)

幽霊の額の三角(△)の意味

雑大で「幽霊の額の三角(△)の意味するもの」という講義を聞いてきました。学習院女子大学名誉教授 増田美子氏

三角額当ては死者の額に付けられ、この世の人物と区別する象徴的なアイテム。江戸時代中期から後期には、幽霊を象徴する印となる。
幽者(死者)の△額当ての原型(埴輪に見られるもの)は、神の恩恵を受けて神のもとに行くものの印としての鬘の一種であった可能性が大きい。
埴輪の写真を見せていただいたが、なるほど人物埴輪には三角文でびっしりである。古墳の壁画や石棺にもである。同じく朝鮮半島の器やモンゴルの三角飾り、中央アジアの三角のお守りなどもある。古代では三角が好まれ、三角文が多いということだ。

日本の祭礼に関しては、古墳時代成立の三角額当てが原点と考えられ、そのベースは山を象ったものとする。しかし9世紀以降の歴史の中で、これに密教の一切遍知印の三角の意味が加味されたと考えられる。中世になると武士の祭礼に仏教が深く関わるようになり、祭礼に関わる人の額には、密教の一切遍知印の象徴ー煩悩を焼き尽くす象徴・悟りを求める印ーである△を付けることがなされるようになったのではないか・・・という凡その結論です。
昔の絵巻などにこの三角形を探すのが面白くなってきました。

●クレマチスの鉢に、なんとムカゴが!クレマチスがムカゴを作るなんてと思って調べたみたら、作ることはないと書いてありました。昨年まであったお隣のヤマイモのムカゴがよりによって、葉がとてもよく似ているクレマチスの中に着地していつの間にか占領していたのでした。慌てて絡まってるかなり長い弦を抜きました。

                     ムカゴ450x338
                   クレマチスの葉450x338_2

●キッチンハイターをたわしに付けて洗っていたら、逆さまつげで殆ど下の睫毛がなくてゴミが入りやすい私、瞬きする運動神経もかなりなくなっているので、そのキッチンハイターが目に入ってしまいました。慌てて、目を洗ったものの痛い!すぐ眼医者に飛んでいきましたが20人待ち、やっと診察し、大丈夫とのこと、一安心したのでした。
それ以後は油を使う料理やハイターを使う時、白内障手術後に使ったゴーグルをしています。
今度は草取りをしたら、掘り返した泥が目に入りまたまた往生したので草取りもゴーグルをしてやらねば。
まあ、いろいろと手間のかかる老体であります。
450x338_3

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2017年8月20日 (日)

『アルチンボルト』展 国立西洋美術館

イヌキクイモ 花期が7~8月で根が芋にならない。キクイモは花期が9~10月で遅く芋が出来る。
地下茎でいつも数十株立ちするので背が低く花も良く咲かなかったが、今年は2本にしたら何と、2.6mの高さになってしまいました。450x338
309x435
ゴーヤに今年は虫が寄ってきて、まずカブトムシがずっと居続け、そのあと同じゴーヤにカマキリが何やらお仕事を。
その上の方のゴーヤにはあの臭いカメムシが連日やってきて、そのゴーヤだけに居ついているので、このゴーヤは収穫しないことにしました。338x450
450x338_2
338x450_2

お鷹の道にて          昔この辺りにあったという水車が流れの中に復元されていた813_338x450
        ホトトギス          ルドベキア・タカオ
813_450x337_2 813_338x450_2

       オミナエシ             キツネノカミソリ
813_450x338 813_450x338_2



『アルチンボルト』展 国立西洋美術館
450x253
ヒエロニムス・ボスの絵や歌川国芳の「人かたまって人になる」「みかけハこハゐがとんだいい人だ」なんて面白いが、アルチンボルトも見飽きないほどの作品だ。
ジュゼッペ・アルチンボルト(1527~1593)はどんなお顔?、自画像がありました。とてもダンディ、美男子で素敵な画家です。
ミラノ生まれのイタリア人なのに、殆どウィーンとプラハのハプスブルク家の宮廷で活躍し、大作《四季》と《四大元素》を皇帝に献上した。
花や野菜、魚、鳥、獣といったモティーフを思いがけない組み合わせで人の顔に描いているのである。四季と四大元素がペアで向き合うように構成されている。

《大気》-《春》 大気は鳥がびっしりで頭を見ていると不気味。春は80種以上の花や草で描かれる。

346x480_2 339x534


《夏》 -《火》  夏は野菜や果物からなり、鼻はズッキーニだ。火は火打ち石とか導火線や薪など火に関連するもの。
355x533 376x498





《大地》-《秋》 大地は動物の寄せ絵でライオン、象、羊、兎などが見える。秋はブドウやワイン樽、栗などの収穫物。
342x499 348x522

《冬》 -《水》  冬は切り株や苔、折れた枯れ枝、蔦の葉、きのこなど寂しい感じ。水はカニ、貝、エビ、タコ、エイなどの魚多数、サンゴまで。目や鼻、唇、耳や頬などが何で描かれているかに注目するのも楽しい。
345x522 362x480

上下絵
上向けは<野菜>、下向けにすると<庭師>で良くできている。
330x450 319x450

これらの作品は今は消失してしまっているのが多いが、いろいろなバージョンが残っていて、全8枚がいろいろな国から今回は集められた。
またアルチンボルトに追随する人も多くいて、その人たちの作品も並べられている。時間があればいつまでも眺めいていたい楽しい作品でした。

| | コメント (18) | トラックバック (0)

2017年8月15日 (火)

鷗外の「庭」に咲く草花 展

特別展 鷗外の「庭」に咲く草花 牧野富太郎の植物図とともに と言う長い名前の展覧会に、終わる直前に行ってきました。

462x650千駄木の駅を降りて団子坂を上って行くと文京区立森鷗外記念館があります。
ここは鷗外の旧居「観潮楼」の跡地で、鴎外は1892(明治25)年から、亡くなる1922(大正11)年までここで過ごしました。
鬱蒼と植物が茂る様子を写した写真がありました。
明治・大正の文豪として夏目漱石と並び称される鷗外は軍医でもあり、評論家、翻訳家としての一面も持っていて、晩年、帝室博物館の総長や帝国美術院の初代院長なども歴任した、輝かしい経歴の持ち主でもある。、軍医として、脚気惨害をめぐる議論では一部擁護論はあるものの、批判も浴びてる。北里がペスト菌を発見した際もこれを痛烈に批判していることは頑迷固陋であったと言わざるを得ないと思う。それはそれとして・・・

鷗外の日記や子供たちに残したエッセイからは、草花を好み園芸を楽しむ一面を見ることが出来る。また自身の作品の中に500種以上の草花を登場させているそうだ。
作品の中の草花は、季節感や自然の美しさを忠実に伝えるものもあれば、鴎外の想いを伝える表現手段として登場するものもあるという。

そんな鷗外は、牧野富太郎と交流があり、牧野は何度も鷗外の家を訪れている。
この展覧会ではそうした鷗外作品に見られる草花と、観潮楼で咲いていた草花を牧野富太郎の植物図と共に紹介していました。
今の新しい園芸種は一切ないわけで、昔の家庭の庭をそのまま鷗外の作品で見られるというとても地味な展覧会でありました。
なかなか鷗外を読み返すことが出来ないが、こうした観点から明治大正の小説を読み返すのもいいかもしれません。

                           ::::::::::::::::::::::::

GWとお盆休みはひたすら家の中だけでじっと過ごす我が家は、娘たちの夏休み中のお出かけ土産を食べ尽くしておりました(残るはおなめとジャムのみ)

・秩父土産ーーー和同最中、秩父おなめ(みそ)、しゃくしな(漬物)、ブルーベリージャム
86_450x338
・大森土産ーーーのり大福(前出)

・箱根の帰り土産ーーー小田原籠清の磯三昧(桜えび太鼓判・さつま揚げ・いわし揚げ・珍味揚げ)、馬車道アイスクリンハーバー
89_450x338
・山梨県土産ーーー黄金桃(すごく大きく普通の2個分)、夏のほうとう「おざら」、桔梗信玄餅、桔梗屋のどら焼きと桃まんじゅう
810_450x338
810_450x338_2


| | コメント (14) | トラックバック (0)

2017年7月 7日 (金)

平塚の七夕祭り

今日は七夕様、この数年ずっと雨でしたが、今日は彦星と織姫は目出度く会えるのでしょうか。
子どもの頃から願いごとを書いた色とりどりの短冊や飾りを笹の葉につるし、星にお祈りをする習慣でした。

隣の市に住んでいたので、平塚の七夕祭りは、子供の頃から良く見ていたが、もう40年以上見ていませんでした。
あの頃の記憶に残っているのは、各お店から大きな竹が出ていてそこに立派な飾りがあり、毎年瀧口カバン店?が優勝していたことだけです。
今は全く様変わりしたようにも思え、途中から各連?の踊りが始まっていました。
今日の午前中の様子を見てきたのでほんちょっとご覧ください。
1_460x345
2_460x345
4_460x345
5_345x460

6_460x345
7_460x345
8_460x345
9
10_460x345
11_460x345
12_460x345
132_460x345
14_345x460
460x345
P1080783_460x345
460x345_2
460x345_3
460x345_4
460x345_5
345x460

もうお願いは忘れているかもしれませんが良い七夕の夜をお過ごしください。


| | コメント (20) | トラックバック (0)

2017年6月16日 (金)

川柳&「バベルの塔」展

先日のクラス会で、神戸で宿泊などお世話になったMさんがみんなに、シルバー川柳の選り抜きを印刷してきてくださって、いっとき大笑いしました。
いやになるくらい殆ど当てはまって、一緒に勉強していた55年くらい前、思いもつかなかったことです。日々失敗が多いけれども、こうしてボケないで笑えるうちは最高です。
330x600_330x600_248x450
      <<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<

ブリューゲル『バベルの塔』展 於東京都美術館

ボイスマン美術館所蔵のもう一つの「バベルの塔」を見てきました。(クリックで拡大)

700x559 494x700 495x700

チラシの1枚目(59.9×74.6㎝)ですが、なんと1400人の人がいるらしいのです。人がいろいろな作業やしぐさをしているのですが、2~3㎜の大きさにしっかりその様子が描かれているとのこと。点として確認できるかできないかの人をです。この細部のリアリティは、これはもう超絶技巧としか言いようがない。拡大した絵(真中の絵がその一部)があったのでやっと人の確かな存在を確認しました。ミクロの想像力と表現されてもいる。
もう1枚のいわゆる「大バベル」は114×155㎝でかなり大きく、人の存在がきちんと見える。

そしてブリューゲルはあの奇妙な絵を描いたヒエロニムス・ボスの影響を受けていて、版画として22枚も来ています。ボスの絵と見間違えてしまう。
ボスの作品は有名な2点「放浪者(行商人)」と「聖クリストフォロス」ですからあの奇怪な絵とは違うけれどもなかなか味わい深いです。

動物園にパンダの赤ちゃんが生まれて祝福ムードの上野ですが、動物園側は改修中なのでしょうか、こんな塀がめぐらされています。
ハシビロコウ(嘴広鸛)は読めなかったです。動物園にいるのですね。
Hei_450x253


| | コメント (23) | トラックバック (0)

2017年5月10日 (水)

大山街道7 阿夫利神社下社~大山山頂(阿夫利神社本社)

5月3日、4度目の挑戦、お天気も良く遂に登頂を果たし、大山街道歩きが終わりました。
阿夫利神社下社の標高が約700m、山頂が1252mなので約550mの標高差を登る。家到着まで約15000歩、7.2㎞でした。

今回は阿夫利神社下社まで大山ケーブルカーに乗り、下社から出発です。ケーブルカーまでバス終点から上って行くと、凄い行列で、しかも故障で点検中、いつ運転再開するか分からないとのこと。行列が次第に小さくなってきました。1時間後やっと乗ることが出来、やれやれ。下社に再びお詣りしていざ山頂へ!

                    八重桜450x338_2
いきなりの急階段で息が切れる。山頂まではここ1丁目から28丁目まで続くが、この階段は1丁目から2丁目まで続くのである。4丁目から28丁目までは標識が立てられている。338x450
4_297x450
                     6丁目の千本杉338x450_2
                     ヤマルリソウ400x299
           8丁目の夫婦杉は樹齢5~600年以上だそうだ338x450_3
       14丁目の牡丹岩 球体の岩が牡丹に見えるとのことだが・・・450x338_3
    15丁目の天狗の鼻突き岩 天狗が鼻を突いてあけた穴と言われる450x338_4
                  19丁目辺りの桜19_450x338
                    ミツバツチグリ450x337
             スミレサイシンに似たスミレが咲いていた450x338_5
                     桜のトンネル450x338_6
                   ミヤマカタバミか450x340
                   28丁目の石の鳥居28_450x338
        阿夫利神社本社を上がると奥の院と山頂の標識がある450x338_8
338x450_4
                     山頂から450x338_9
お弁当を食べて終え、25丁目から分岐するヤビツ峠への道を降りていく。すると富士山が見えたのでした。450x338_10
450x338_11
             さらに下ると海の向こうに大島が見えた450x338_12
ヤビツ峠から秦野へバスで下り、駅前の「庄や」でビールやおつまみをたくさん注文して打ち上げ。美味しかったのなんのって。     ー完ー


       *-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

足慣らしにこの3日前4/30に大菩薩嶺(2057m)に登ってきました。車で上の方へ行けるので標高差360m位登るだけ。以前登った時はガスっていて何も見えなかった。
今回は快晴でこんなに美しい風景とは!

                 車で登る途中のアルプス450x338_13
             雷岩からの展望 上日川ダム湖が見える450x338_14
                   展望のない山頂338x450_5
         大菩薩峠へ下って行くと富士山がだんだん左に寄る450x338_15
                    賽の河原450x338_16
小説『大菩薩峠』の中里介山の名前を付けた介山荘の所が大菩薩峠(1897m)だ450x338_17

                  帰りに寄った奥多摩湖450x338_18

| | コメント (18) | トラックバック (0)

2017年5月 8日 (月)

鎌倉15 大船駅西口

600x307
4/25大船観音から大船駅の西域を巡りました。
大船駅は鎌倉市と横浜市との境界線が構内を横断していて、鎌倉市の北の玄関である。

87 大船観音寺 
曹洞宗大本山総持寺に属する。観音像は昭和4年に着手、同35年に完成した。観音信仰によって国民の平安、国家の安寧を祈願しようと、護国大船観音設立協会が設立されたことによる。338x450
              観音様 高さ25m、幅19m、奥行13m。338x450_2
胎内の様子
450x338 450x338_2

Photo 450x338_3


88 玉泉寺 真言宗京都大覚寺派450x338_4
450x338_5
                     弘法大師像338x450_3
よくばり地蔵さま・・だれの願い事でも、みんなかなえてあげようと頑張っておられる。338x450_4

89龍宝寺 曹洞宗
1503年、玉縄城主北条綱成が建立した寺院が始まりで、玉縄北条氏の菩提寺として栄えた。
本堂までの長い参道には多くの花木が植えられ、蕾しか見られなかったが、シャクヤクがたくさん植えられ、満開時は素晴らしいことでしょう。450x338_6
450x338_7
  小田原城の支城として重要な役目を果してきた玉縄北条氏の供養塔450x338_9
  本堂には宝冠釈迦如来や玉縄北条氏や源実朝の位牌が安置されている 450x338_10
338x450_5
450x338_11
             スパラキシス(Oさんありがとうございました)450x338_12
重要文化財旧石井家住宅 石井家は後北条の地侍から名主になり、建物は17世紀後半の頃のものと言われる。450x338_13
450x338_14 450x338_15


90 諏訪神社
1512年に玉縄城主北条綱成が城の鎮守として勧進した社
450x338_16 450x338_17


            ヒメツルソバの若々しい花なのでしょうか。違っていますね。
            ズームした別の写真を追加します。
クリーピングタイム「ヨウシュ(セイヨウ)イブキジャコウソウ」 0さんありがとうございました。 450x338_18
Iwadaresou_450x329

                      鯉のぼり450x338_20

91 貞宗寺 浄土宗
二代将軍徳川秀忠の生母の母の貞宗院が1609年に没し、その邸宅を寺とした。
境内入口の貞宗院の宝篋印塔を安置した御廟が建てられ、ここだけでなく寺の屋根には葵の紋が見られる。450x338_21
450x338_25 450x338_26

                      本堂450x338_27
450x338_28
   キャラボクの老樹「鎌倉と三浦半島の古木・名木五十選」に選ばれている450x338_29

92 円光寺 真言宗京都大覚寺の末寺
本尊は不動明王で、初代玉縄城主北条氏時が僧澄範を招いて創建。玉縄城を守る寺。

                       本堂450x338_30
      薬師堂 ここの安置される行基作の秘仏は60年に一度の開帳450x338_31
               小さな五輪塔や石仏がたくさん並ぶ450x338_32

93 久成寺(くじょうじ) 日蓮宗
小田原北条氏の家臣で玉縄城の武将梅田秀長が1520年に屋敷を寄進し、日舜上人を開山として建立。徳川家康が小田原攻めのさい立ち寄り、寺領として三石を寄進した。

                 本堂と左は日舜上人像450x338_34
450x338_35
境内に、三代将軍実朝を暗殺した公暁を討ち取った武将・長尾定景とその一族の墓と伝えられる石塔が立つ。(長尾定景は頼朝挙兵時には平氏方にいたが、後に同族三浦氏とともに頼朝政権を支えた人物)338x450_6
450x338_36
鎌倉や北鎌倉と違って、同じ鎌倉市でありながら、人影は殆どなく静かなお寺巡りでした。

                     =====================

           追記:昨晩今年初めての月見草が咲きました57_380x285

| | コメント (20) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧