2019年2月24日 (日)

外濠を歩く(完)

外濠巡りも、「のの字」の最後の御茶ノ水駅から秋葉原、浅草橋駅まで総武線の二駅分で寄り道しないでさっさと歩くと30分もかからない距離でしたのでまず御茶ノ水で寄り道、最後は浅草橋から本所吾妻橋まで都営浅草線に乗って行き、あんみつとお茶でくつろぎ、「たばこと塩の博物館」に寄りました。

最初の寄り道は、ニコライ堂(東京復活大聖堂)で午後1時から開く。中は撮影できない。入場料300円でローソクを貰い灯す。設計はミハイル・シチュールポフと有名なジョサイア・コンドル。ロシアの聖ニコライによって1884~1891年に建てられた日本正教会。関東大震災で崩壊したが復興された。ビザンチン様式。中にはイコンが飾られ、ルーマニア、ブルガリア、セビリアの聖堂を思い出す。
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聖橋からの眺め。  運良ければ5本の電車が見られる。濠や神田川の水もあまりきれいとは言えない。
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「現在お濠の水質浄化作戦が行われている。
お濠の水の汚さ、気になっていたのですが、内濠には浄化施設が造られ、生態系のバランスを見ながら進められている。
この間歩いた市ヶ谷から飯田橋までの外濠は内濠の様に流れを作ることが出来ず、4半世紀、浚渫が繰り返されている。今回は来年のオリンピックに合わせて一番汚い市ヶ谷濠から初めている。今までの様な悪臭を防ぐため送泥管で二駅先水道橋方面まで送り、小石川の所で土運船へ、これが曳船に曳かれ、東京湾最後の埋め立て地の「新海面処分場」へ行くそうだ」

湯島聖堂に寄り道。
徳川綱吉が建てた孔子廟で、後に幕府直轄の昌平坂学問所となった。昌平は孔子の生まれた地名。

         入徳門 1704年建造の関東大震災で水屋と共に残った門

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                再建された大成殿(孔子廟)
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屋根には鯱のようなものと西洋の雨樋の役目のガーゴイルみたいのが乗っている
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                       孔子様像
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楷樹 枝や葉が整然としているので楷書の語源になった木。孔子の墓所に植えられ、今まで植えつがれてきていて、これは大正4年に種を持ち帰って苗に仕立てたのが最初だそうだ。ネットで見るとなるほど整然とした葉で紅葉し赤い実もできる。その様子を見てみたいものだ。
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昌平橋 古い!
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10_314x450旧万世橋駅の遺構を見る  

総武線からこんな所が見えるはずなのですね 
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                                                       旧万世橋駅1935年階段
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                     万世橋
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                レンガ高架は万世橋駅遺構
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柳森神社 船に乗った時も見えて印象に残っている
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橋を渡って柳森神社に入ってみる。柳森神社は富士浅間神社を合殿、合祀した。富士講に関わりがあり富士塚も築かれた。
富士講関係石碑群 富士講が廃れて富士塚が破却されたため石碑を集めた。その富士塚も都内と周辺にはまだ50ほど残っていわれるが、本を買って私が行ったのはたったの6ヶ所にすぎない。
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おたぬきさん福寿神 由来は5代将軍の御生母桂昌院様は八百屋の娘だったが、春日局に見込まれ、家光の側室となった。他を抜いて玉の輿の乗った院の幸運にあやかりたいと、こぞってお狸さまを崇拝したことよる。
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                   狸像
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                     お稲荷さんか
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              力石がたくさん。名前が入っている。
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                 柳森神社に分かれを告げる
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神社の前の通りは岩本町の服飾関連の問屋街だ。江戸時代には土塁が築かれ柳が植えられていたので柳森土手と呼ばれていた。

進むと学校の敷地に、近くで出土した江戸城外濠の石垣石が置いてある。
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その先に「郡代屋敷跡」関東の天領を治める郡代の役所があった
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浅草橋を過ぎたあたりに浅草見附跡がある
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「江戸城には内郭・外郭それぞれに見附(城門と橋)が「三十六見附」設置されていた。各見附には大名あるいは大身の旗本が門番として配置され、基本的には二家十日交代で担当した。
門番の仕事は
① 門の開閉と通行者の確認
② 門内外の掃除や空間の管理
③ 将軍や外交使節が出入りする儀礼の場の維持
④ 火災発生時の防火
大変な思いと出費で参勤交代でやってきた諸国大名にも、江戸でも濠が完成した後はこんな仕事があったのだと認識しました」

神田川の最後の橋、柳橋に到着。
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             柳橋から神田川を。反対側はもう隅田川。
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          隅田川に架かる両国橋からスカイツリーの方を見る
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これで外濠を一周しました。意外に面白かった。

317x450上記のように「たばこと酒の博物館」で『江戸の園芸熱』展を見てきました。
桜や菊や朝顔など花をいろいろ品種改良したりしたことは聞いていましたが、家の軒先などに鉢植えなどが飾られ楽しんだようです。又、花に関係する名所が数多くあり、そこで花を愛でる人々が多くの浮世絵に描かれた。植物に関するものが207点も展示されている。歌川広重、国芳、国貞、豊国、渓斎英泉、鳥居清長など錚々たる浮世絵師の絵が勢ぞろい。それに女性の着物の柄の美しさ、種類の多さにも驚いたものです。

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打ち上げは地元の庄やでビールとワインで乾杯(肉豆腐、ホタルイカの沖漬け、海鮮サラダ、じゃがいもチヂミ)。16383歩でした。

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2019年1月25日 (金)

外濠を歩く(2)

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溜池交差点には、溜池発祥の碑があった。
これによれば、溜池は江戸時代のはじめ、防備を兼ねた外堀兼用の上水源として造られ、秀忠時代には鯉や鮒が泳ぎ、不忍池に匹敵する名所だったというが、明治に入り埋め立てられたとのことだ。

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少し行くと日枝神社があって冬桜が満開であった
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弁慶堀 
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弁慶橋を渡った右側の建物が東京ガーデンテラス紀尾井町。昔、紀州徳川家中屋敷があった。
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ガーデンテラスのウッドデッキの散策路を奥に行くと、石垣を間近で見られる。
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これは福岡藩黒田家家紋の裏銭紋で、黒田藩忠之がこの辺りを築いた。
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ガーデンテラスのツリーは夜見たらきれいでしょう!
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清水谷公園は黄葉の真っ盛り
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           公園の中に大久保利通哀悼碑 ここで暗殺された。
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多摩川上水からの石枡。小石川上水や溜池上水では水不足になって間に合わなくなった。
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紀尾井坂。写真ではわからないけど結構な急坂であった。
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ホテルニューオータニの敷地に入っていくと、近江彦根藩井伊家屋敷跡があった。
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上智大学のあたりは、尾張家の屋敷があったところで、紀伊家、井伊家、尾張家の屋敷が並んでいたので、紀尾井町となった。

上智大のグラウンドは真田濠
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四ツ谷駅の所の四谷門の残った一部。何時も土手とよんでいた土塁の上を進んでいく。
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市ヶ谷駅の交番前の交差点に江戸城市ヶ谷門がかつてあって、土塁の上に行くと市ヶ谷御門橋台の石垣石が残っている。地下鉄工事などが進んでそのあと展示されたようで、私が通っていた頃の最後の方で発掘工事が行われていたようで知らなかった。
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市ヶ谷駅の濠には釣堀がまだあった。一度も釣ったことがなかった。
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濠脇の電車 総武線と中央線
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土塁の上は遊歩道で江戸時代は松が植えられていたが、現在は桜並木となって春は素晴らしい。
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新見附橋を通り過ぎ。飯田橋の牛込橋に着く。駅の脇の濠は埋め立てられてラムラが建ち、濠はここで暗渠になっている。
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牛込見附(牛込御門)跡
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ラムラのイルミネーション
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土塁下を走っていた電車は飯田橋過ぎると曲り、高架になる。
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水道橋には江戸名所図会のレリーフがあった。水道橋という地名は、懸樋(掛樋)=水道管が神田川をまたぐ様子が眺められたことから付いたものとのことだ。
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橋を渡り、外堀通りを上がっていく途中に、神田上水懸樋跡碑があった。神田上水の水を通し、神田、日本橋方面に給水していた。
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御茶ノ水駅前の交番裏にある、お茶の水の碑。この辺りの高林寺に良い水が湧いて、将軍のお茶に使ったという。ここで16時45分、すっかり暗くなって帰途についた。
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2019年1月21日 (月)

外濠を歩く(1)

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『東京人』1月号の特集が「外濠を歩く」で、市ヶ谷と飯田橋の間にある勤務先に長い間勤めていたので、あの市ヶ谷の土手を通った日々を思い出し、12月の元気だった日に外濠を出発点から途中まで歩いてみました。

600x453へたな地図ですが、地図にある紫色の線が外濠で、九段下から始まって両国橋で終わる、「の」の字の形をしている。全長17.3㎞。この日は御茶ノ水駅で日が暮れて、あと1時間弱は次回に散歩することにした。この次回がなかなか訪れないことになろうとはこの時は微塵も思っていなかったのだが。

東海道と同じく、娘の後にくっついて行くのだったが、娘は『東京人』と『でか字マップ東京23区』の2冊を持ちながらなので大変そうだった。

地下鉄九段下駅を降りたところが俎橋で、少し戻った所が堀留橋。ここが外濠り巡りのスタート地点。江戸時代の日本橋川はこの橋辺りで行き止まりとなっていて(現在はこの先の神田川までつながっている。以前日本橋を起点に遊覧船で日本橋川から神田川に出て御茶ノ水を通り隅田川に出て、また元の日本橋に戻るというコースに乗船したことがあった)、堀が留まることから「堀留」という地名になった。
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               日本橋川の上は首都高が走っている
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出発するとすぐ立派な千代田区役所があって、その前に大隈重信の雉子橋邸跡がある。
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その雉子橋を過ぎると江戸城外濠の石垣が見えてくる
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一橋徳川家の名の由来となった一ツ橋。江戸城一ツ橋門の石垣も残っている。
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大手町川端緑道に入ると向かい側は気象庁
かつて、桜の開花などを知らせていた木々の旧静物季節観測の木々がある。
丁度満開の実を輝かせていた。
                    クロガネモチ
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                       ソヨゴ
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                      モチノキ 
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                   マルバシャリンバイ
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常磐橋に出るが工事中。常磐橋は江戸城正門の大手門へ向かう外郭正門であった。
渋沢栄一の銅像があった
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次は一石橋。そのたもとに一石橋迷子しらせ石標がある。迷子探しのための告知石碑で、左に迷子の特徴を書いた紙を貼り、右に心当たりのある人がその旨書いた紙を貼る。同じものを桑名の春日神社で見た。
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呉服橋近くに北町奉行跡がある。遠山の金さんが4年間執務していた。
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八重洲地下街で食事をした後、有楽町の方へ歩き数寄屋橋の碑に到着。ここには橋も濠もない。
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新幸橋で山手線の内側に入ると、日比谷公園の修理中の公会堂が見えた。
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道路の左手に大同生命のビルがあり、元禄初年~現在までのこのあたりの外濠の変遷を示したパネルと広重の絵があった。濠もここにあったらしい。
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突き当たったところ(日比谷公園の左手)が文部科学省で正面玄関前に埋め込まれた大きな石は、外濠の石垣を再利用したものとのことだ。
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東京メトロの文科省出入り口の地下に江戸城外堀跡地下展示室があって説明板もある。
                  
                  発掘された外濠の石垣
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この辺りの石垣を建設したのは矢のマークの毛利家。石のあちこちに矢印が見受けられた。
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2018年12月13日 (木)

名古屋城・徳川園・徳川美術館観光

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インフルエンザも治って(次の副作用が始まる直前)、打撲のリハビリで少し歩こうと出掛けたのが名古屋です。
名古屋観光ルートバス「メーグル」で廻ります。

            
久しぶりに新幹線から富士山が見えて富士山気違いは大喜び
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●名古屋城
1610年に関ケ原で勝利した徳川家康は、天下普請として加藤清正・福島正則ら西国大名20家に、豊臣方への備えとして名古屋城の築城と清州からこの地への引っ越しを命じました。天守や櫓は小堀遠州・中井正清らに命じ、1612年に完成。
尾張初代藩主として家康九男の義直が入り、御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えました。
戦災でやられたけれど、東南・西南・西北隅櫓、天守(修理中)、本丸御殿、表と東の二の門、二の丸庭園などが復元されています。

                                    初代藩主の菊人形と奥方

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金のシャチ 名古屋城のシンボル。創建時は貼られた金の量は慶長大判で1940枚だったそうだ。鯱は空想上の生き物で、水を呼ぶといわれることから火除けのまじないとされた。
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必勝カヤの木(天然記念物)推定樹齢600年。1945年の空襲でも枯死を免れた。大坂夏の陣に藩主義直が父・家康と共に出陣の際、カヤの実を武勲を祈念して食したという。
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    西南隅櫓と天守閣(今鉄筋コンクリートから木造に耐震のために修理中)
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西北隅櫓公開中(名古屋城には~丸が4つある。本丸、二之丸、西之丸、御深井丸)。この櫓は御深井丸(おふけまる)にあって、現存三階櫓14のうちの一つ。他の櫓同様3階だが、他は1,2階は同面積、3階が狭くなるが、ここは階を上がるにつけて面積が逓減していく。櫓については殆ど知らなかったのでこの説明は面白かった。
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                   2階からの眺め
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天守と本丸御殿。鯱が小さく見えた。鯱の高さは約2.5m 。18Kの重さは両方で約88㎏だそうだが。
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<本丸御殿> 天守閣とともに国宝だったが空襲で焼失。13棟からなり、室内は花鳥風月などを画材とした障壁画や飾金具などで豪華絢爛。今年6月に復元公開された。

                       玄関
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                   表書院 謁見の間
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               対面所 身内だけが立ち入れた
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上洛殿 3代将軍家光の上洛に合わせて増築された豪華絢爛な間。天井、欄間。
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                       廊下
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          飾り金具
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                       梅の間
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                 二之丸庭園 枯山水回遊式
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●徳川園と徳川美術館

徳川園の起源は尾張藩第二代藩主光友の隠居所の跡地に1695年に築造された大名庭園。その後家老職へ。明治22年尾張徳川家の邸宅。昭和6年に名古屋市に寄付され、空襲で焼失。2004年に再整備で開園。
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              子福桜とイソギク
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続いて徳川美術館へ。徳川の名品の数々や能舞台、途中で蓬左文庫も見学した。短期間限定の「源氏物語の世界」をやっていて、国宝の「源氏物語絵巻」を見ることができた。

●文化のみち(白壁地区) 江戸期に武家屋敷があり、明治・昭和にかけては起業家、宗教家、ジャーナリストなどが交流する舞台となった場所で、戦火を免れた建築物がたくさんある。

<二葉館>
「日本の女優第一号」川上貞奴が夫の音二郎が亡くなり7年後女優をやめた後、電力王と呼ばれた福沢桃介の建てた二葉町のこの家に桃介とともに暮らした。当時財界人や文化人のサロンになっていた。その後少し離れた文化のみちに移築復元された。
ステンドグラスの美しい館で、貞奴の居室や書斎がそのままの状態で見られた。
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カトリック教会
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名古屋市市政資料館
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お土産は「金鯱ういろ」なかなか美味しいういろうでした。
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2018年11月30日 (金)

モロッコ周遊(5)

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●6日目11/1(木)フェズ観光~青の街・シャウエンへ

◎フェズの迷路
マラケシュの時と同様に雨です。
フェズは世界一の複雑な構造の迷路と言われている。モロッコ初のアラブ系王朝イドリス朝(9世紀)及び学問、文化の中心として栄えたマリーン朝(13~14世紀)の王都であった。
現在はモロッコ第4の都市で人口約120万人で文化・手工業の中心。

                         マリーン朝のスルタンが建設した14世紀の居城
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               街の南の要塞からのフェズ。隙間ない迷路の様子がわかる。
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                                いろいろな植物が植えられている
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いよいよメディナ散策。ガイドさんとアシスタントさんに挟まれて迷子にならないように必死に後に付いていく。
青の門・ブー・ジェルード門から入る。14のうちのフェズ最大の門。外側の青はフェズのシンボルの色。2つの塔が見えている。
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                                  内側はイスラムの聖なる色の緑
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                                                 肉屋
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                                                   猫が多い
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ブ・イナニア・マドラサでフェズ最大の神学校(1350~1912年)だったが、現在は博物館。
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タンネリ 皮なめしと染色工房見学 入り口でミントを渡される。ずっと鼻にしていないと強烈な臭いで気分が悪くなってくる。テレビでも数回見たけれど、こんな所で働いている人がこんなだったとは。テレビからは臭いが伝わってこなかったので驚く。牛、羊、山羊、ラクダの皮を天然染料で染色している。赤はケシ、オレンジはヘンナ、黄色はサフラン、緑はミント、青はインディゴだそうだ。
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                ムーレイ・イドリス廟 808年に王都を築いたモロッコ王の聖地
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◎シャウエンヘ 夜のシャウエン散策

シャウエンが見えてきた。この段階ではそんなに青く見えません。写真中央山裾の白い建物がホテル。
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                                               ホテルからの街
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ホテルの夕食では添乗員さん(男性)が厨房でソーメンを茹でてふるまってくださいました。今晩の主食になり美味しかったこと!日本からはるばる20人分のソーメンを持ち歩いて重かったことでしょう。やっと軽くなりましたね。その他味は薄いために各種ドレッシング、醤油と、毎日バスで日本のお菓子を、時には3種類も配ってくださり、即いただきました。
何時も写真は自分のは殆どなしですが、今回はラクダに乗った写真などたくさん撮ってくださったり、気配りが行き届き、何も抜けてないという今までの男性添乗員の中で3大添乗員の一人です。

食後20:30から21:50まで夜のシャウエンの街を散策した。 青い色はやはり明日行く午前中が一番きれいであった。
バスでメディナの中心のハマーン広場へのグランモスク(ベン・ラシッドが1471年に建設)の付近を散策する。
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                                            夜のシャウエン
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             帰ってホテルの部屋から再び街を見る
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2018年11月27日 (火)

モロッコ周遊(4)

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●5日目10/31(水)サハラ砂漠の朝日見学とベルベル人テント訪問~雪のモワイアン・アトラス山脈を越えフェズへ、

◎5:20起床で6:00に4WD10分、ラクダステーションに向かう。ラクダさんたち、こんなに朝早くからご苦労様ね。

4~5頭繋がれたヒトコブラクダに乗ります。サハラの日の出鑑賞ポイントまで約30分揺られる。(行きはよいよい、帰りは・・先頭と交代したラクダの瘤の位置が悪いらしく痛くなって下りたくなってしまったが必死にしがみついていた)。それにしても真っ暗な中を何を目印にポイントまで行けるのか。目が凄くいいのですね。421_450x300
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日の出は大体7時25分頃 地図を見ると日の出るあたりはアルジェリアだ。

                                             7時19分
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                                               7時21分
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                           7時23分 砂漠の色が見えてきた
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                  7時24分頃、日の出の時間だが雲で見えず残念無念。
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急な坂を下りるのは潜って転ぶので危険。傾斜のない方を選んで降りていく。
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                                             砂漠に水
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                                                  ラクダ
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                                 私を連れて行ってくれたおじさん
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                                         雲が出てきた7:49
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◎ベルベル人のテント訪問

ベルベル人のテントと向こうに見える建物が冬用の建物
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                               お母さんが羊?の毛を紡いでいる
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おや、いつの間に家族全員揃っている。そっぽを向いている間、一体どこから出てきたのだろう。
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テントのそばには鶏やヤギなどの家畜が。今も殆ど自給自足の生活か。毎日何を考え、どんなことをして生活しているのか、その一部を見たのだが。
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             砂漠の中にも所々にこうした家があった
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                  オーベルジュへ帰る
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◎フェズへ向かう

ズィズ渓谷沿いを走る。ナツメヤシの群落。今丁度デーツの収穫時。市場にも山と積まれて売られていた。
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軍事基地の町エルラシディアを通り過ぎると、ハッサンアッダーヒルダムが見えた。かなり大きい。
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昼食するミデルトの町に近づくと何と雪(標高1400m)。交通も閉鎖と言うニュースが入ってきたが、除雪車も出て再開してホッとする。
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雪の中のモアイアン・アトラス山脈を越えるとき、アトラス杉が多く目についた。
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イフレンはモロッコのスイスと呼ばれる高級避暑地。家族で滑っている人など雪の中で遊んでいる人々が。
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                 木々は黄葉していた
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無事18:30にフェズのホテルに到着。今日は朝のサハラ砂漠から、アトラス山脈の雪景色まで、実に変化に富んだモロッコであった。

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2018年11月23日 (金)

モロッコ周遊(3)

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●4日目10/30(火) ワルザザード~アイト・ベン・ハッドゥ~トドラ渓谷~メルズーガ(サハラ砂漠泊)

                     朝7:30に出発すると朝焼けのハイアトラスがきれい!
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先ずアイト・ベン・ハッドウへ。
ここでは1954年の『アリババと40人の盗賊』を皮切りに1962年『アラビアのロレンス』、1985年『ナイルの宝石』、2000年『グラディエーター』、2010年『プリンスオヴペルシャ』など20本以上の映画が撮影されている。
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11世紀頃集落ができ、ハッドゥ家が支配し、塩などを運搬する隊商交易で栄えた。孤立している集落で、掠奪から身を守るため、城砦のような構造で川が自然の壕となり、入口はひとつだけ、1階は窓がなく換気口のみ。路は入り組んでいる。外壁には銃眼が。最上階は穀物倉庫が備えてある。ベルベル人やその補修工事などや作ったお土産品が見られた。昔からの生活もいかに大変であったかを垣間見た。
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                                          近くの撮影所
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                                     カスバ(要塞)街道を走る
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                                            結婚式の行列
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                                      お昼は有名なタジン料理
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トドラ渓谷 約25万年前の石灰石の岸壁。ロッククライミングの場。
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カナート イランや中央アジアから技術が伝わり、山から水を引いて飲料・潅漑用とした。大変な工事だったようだ。
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エルフードに到着した後、1泊2日用にした荷物を積んで、4WDに乗り換えサハラ砂漠のメルズーガのオーベルジュに到着。
宿泊した建物と部屋
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明日、いよいよ早朝サハラ砂漠の朝日を見に行く。


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2018年11月19日 (月)

モロッコ周遊(2)

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マラケシュ 2日目10/28(日)マラケシュ泊~3日目10/29(月)マラケシュ観光の続きから宿泊地ワルザザートへ

カサブランカからマラケシュへ向かう。バスの中から。マラケシュと言えば映画『知りすぎていた男』のドリス・デイの「ケセラセラ」を思い出す。

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クトゥビアの塔は1190年に完成したそうで、高さ77mでシンボルタワー。
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ジャル・エル・フナ広場で大道芸人(蛇使いも見た)や屋台で賑わう様子を見る。テレビで何回も見た所。
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メディナ(旧市街へ)のスーク(市場)へ
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                            今晩のメインディッシュ「ミックスケバブ」
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                                     食事を終えてからの広場
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◎ 翌日、午前中マラケシュ観光の続き。
カサブランカ、ラバトに続きモロッコ3番目の都市。標高450m。11世紀、ベルベル人初の王朝・ムラービト王朝、それに続くムワッヒド王朝の王都であって、交易、商工業、学問の中心として繁栄する。その後フェズに遷都、衰退するも15世紀サアード王朝の王都となり再び繁栄する。
                      コウノトリ
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サアード朝の霊廟  スルタン13名他200名がメッカの方向に顔を向けて埋葬され、異教徒は別方向へ向けて埋葬された。
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スークの路地を通りバヒア宮殿へ
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バヒア宮殿 1894~1900年に建設された宮殿。バヒアは美しい、永輝などを意味する言葉であるとともに最愛の妻の名前(第3夫人)である。4人の正妻で最愛の妻に最も美しい部屋が与えられた。後宮(23名の女性が生涯を過ごした)やプライベート庭園やモスク、プライベートの応接室などがあった。
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           瘤のある葉のみかんは食べられないそうだ
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モロッコにはアフリカ大陸の三分の一を占めるサハラ砂漠に隣接し、砂漠はほぼアメリカ合衆国と同じ面積だそうだ。しかしモロッコには西側より、アンチ・アトラス、オート・アトラス(4000m級)、モアイアン・アトラスと地中海近くにリフ山脈がある。そのため地中海と山脈に囲まれた地域は砂漠気候と異なる。日本よりずっと寒かった。

いよいよワルザザートへ向けて出発。ところがかなり行ったところで、橋が決壊、片側交通で行くのは午後遅くならないと無理と言うことで、マラケシュに戻り遅い昼食を摂って、再びワルザザードへ。途中のロケ地には寄る時間がなく明日早く行くことになったが、無事夜8時半頃宿泊地に到着。良かったよかった。
バスの右側には冠雪した山脈が見えてきて、時々映画『シェーン』のような風景が垣間見えた。

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           果物として食糧になるサボテンの産地のようだ
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アルガン油 モロッコのベルベル人の間では、クスクスなどに用いる食用油、スキンケアなどに用いる薬用、化粧用の油として利用されてきた。20世紀後半、ビタミンEの含有量や不飽和脂肪酸量が評価され、化粧品用の基油または油を直接利用されるようになった。 今は大変な手作業でなく機械化されたそうだ。娘に買ってみた。
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ティシュカ峠(2260m)
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トイレチップが1DH(デェルハム)ということで、50円くらいする他の国より安いなあと思っていったのですが・・・
昼は勿論、夜もアルコールを出すレストランは少なく、ツアー値段が安いので上記の事情も鑑みて物価が安いと思い込んで行ったら、大きな間違い。外国人値段(つまり現地の人は買い物もしていないし、喫茶店にもいないから)なのでしょう。紅茶1杯が安い所で240円、普通は480円もするので途中の大きいホテルで両替をすることになった。
何か飲まないとトイレに入れないところもあった。トイレはたまにトルコ式があった。
チップ係のおばさんも含めて人々は優しかった。西欧と違うかもしれない。

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2018年11月16日 (金)

モロッコ周遊(1)

インフルエンザが治ったらすぐ次の普通の風邪に移行し、階段転倒はお陰様でどこにも骨折はなくてすみました。ところが打撲傷が痛くて痛み止めとテープでしのいでおります。今朝,平熱を体温計で見て小躍りしております。(なお整形では骨粗鬆症の治療を即始められてしまいました。打撲や痛み止めの事は何も問診なく、他の医者でいただいたのでした。他にモロッコ下痢?というのもなかなか治りませんでした)帰国してからもう2週間になろうとしています。(あ~あ、ひどい目にあった。特に過酷な国は2度と行くな、海外にはもう行かない方がよろしいという警告か!)

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10/27(土)~11/4(日)の9日間、『青の街シャウエンとモロッコ周遊』というツアーに参加しました。男性4名、女性16名で半分以上は若い人。この点がエジプトの時と同じ。いつもは殆ど高齢者ばかりですから。モロッコは現在、雨期でずいぶん雨い合いました。

モロッコは王国で、アフリカでは他にスワジランド、レソトを数えるのみです。面積は日本の約1.2倍で人口は3365万人(日本の約1/4)。
民族はベルベル人30%、アラビア人65%、。言語はアラビア語(公用語)、ベルベル語(公用語)、フランス語。宗教:イスラム教スンニ派。

<1日目><2日目>
エティハド航空にて成田17:55発で時差5時間のアブダビに0:45に到着
アブダビ発2:35発でモロッコ・カサブランカに時差9時間の7:30着 
成田から富士山が見えた(初めて)
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<2日目10/28(日)カサブランカからマラケシュへ

●カサブランカ ハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンの映画を思い起こすだけの都市ですが、ここは周辺と合わせると人口50万人にもなるモロッコ最大の都市で経済の中心。(映画の舞台になった所は最終日に)。歴史もいろいろあるけれど、複雑ですべて省略。

ここでは「ハッサン2世モスク」を見学。

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1987~93年、前国王ハッサン2世が建てた。大西洋の上に建てられている。塔の高さは200m。外からは大きく見えないけれども、内部の大きなこと!、2万人の男性と5000人の女性が礼拝可能なのだ。サウジアラビア以外では最大のモスク。地下に沐浴場やハマム(トルコふろ)がある。シャンデリアを除き、建築材料はモロッコ製。
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アラベスク模様が素晴らしい。既に見たアルハンブラ宮殿のもの、そしてもう行かれないインドのタージーマハルに思いを馳せながらですが、全部細かく観察する時間がないほどであった。
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                    地下沐浴場
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再び外に出ると、カサブランカのビル群が見え、このタイルの下は海なのだ。
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西欧のカトリック、プロテスタント、国教会、修道院などの宗教画や石像や木造をたくさん眺めてきて、先日は東方国教会のイコンをたくさん眺め、そして今回偶像廃止のモスクの内面をとっくりと拝見させていただく。趣が全く違っていてどれがどうとは一概に決められない。

モロッコ最初の昼食のメイン。(魚のスープ、スズキの揚げ物と温野菜、フルーツサラダ)。味がなくて塩を振かけてもまだまだ味がない。血圧高めの人にはよろしいかと。私は低くなりすぎないように醤油かけたり、せんべい食べたり。
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2018年10月18日 (木)

秋をそこここで満喫

●河村城跡・洒水の滝
御殿場の山北駅で降り、標識に従ってハイキングです。

             山北駅では明日走らせるSLを点検整備中

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      山北町マンホールは富士山と丹沢湖に架かる永歳橋をデザイン
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                    河村城址案内碑
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                    城址への道
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   畝掘が見えてきた(敵の侵入を困難にしようと堀底を畝で区切ったもの)
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河村城址碑 河村城は平安末期河村氏によって築城されるが、足利尊氏に負けた。その後いろいろ支配者が変わったが、戦国時代に後北条の支配となり、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐で、この城は落城し廃城となった。
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   きのこ 久しぶりに見るきのこ。薄い色。裏返して見るのを忘れてしまった。
アシナガイタチタケとSきのこ博士さまに教えていただきました。ありがとうございます。

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城址公園から見える中央の山は、東名高速や新松田駅から見える、河津桜で有名な松田山ハーブガーデンの頂上。
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                     小田原方面
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洒水の滝へ向かうと田圃は見事にひこばえが生えた穭田(ひつじだ)になり、稲架(はさ)が並んでいた。
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         花 ホトトギスやミゾソバ、コスモスなど秋の花が満開
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              道祖神 ダムを造るので移転された
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                    最勝寺 水子地蔵
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  洒水の滝 台風以来と言うことで水量がかなりあるのに幅の細い滝であった
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●小布施
・浄光寺へ、小布施駅よりシャトルバスで岩松院の近くのこの寺に向かう。
浄光寺薬師堂は重要文化財で、室町時代初めの1408年に建てられたもので、こんな場所に残っていたのが貴重だ。中が暗くて、建築の細かい所や薬師如来と眷属を見られなかったのが残念。
山門の仁王さまもかなり古いことを感じさせる
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              薬師堂は苔むして静かな佇まい
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          岩松寺への道はリンゴやコスモスですっかり秋の風情
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                   トリトマと岩松院
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・岩松院1472年荻野氏の開基で、先日見た北斎最晩年89歳の21畳分ある「八方睨み鳳凰図」を再び見て、福島正則の菩提寺で、霊廟を拝見。
「一茶と蛙合戦の池」と小林一茶の句碑を見る。蛙はヒキガエルだそうで少ない雌をたくさん雄が奪い合う様子を、病弱な我が子に託して詠んだと言われる。
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町へシャトルバスで戻って、栗の小径を通り北斎館へ。栗の木を敷いた小径が素敵。栗の木も植えられていた。電車の沿線に栗の木がたくさん見られた。
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小布施堂正門 高井鴻山の祖父が1750年に立てた門で、江戸末期には勤王志士、文人墨客、そして北斎もこの門をくぐり、通算4年間も名作を描き続けた。
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北斎館では、再び北斎86歳の作品、二基の祭り屋台の「龍・鳳凰図」と「男浪・女浪」の怒涛図を見て再び感動する。
他に企画展示で「富嶽三十六景」と「富嶽百景」を、肉筆展示室二部屋で肉筆画・美人画、花鳥画、風景画をたくさん見た。

竹風堂は行列で断念し、喜の呼庵で栗おこわを食べ、栗のお菓子のお土産をいろいろ買って善光寺へ向かう。
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●善光寺 55年ぶりで何も覚えいなかった。年間600万人も参拝するという善光寺は無宗派という事にも驚きですが、貫主のセクハラ問題にも揺れている。

                  仁王門から山門を見る
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山門の楼上にかかる「善光寺」の額は字の中に5羽の鳩がいるから「鳩字の額」と呼ばれている。重要文化財。
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本堂は国宝。裳階を廻らせた二重屋根は檜皮葺として日本一の規模を誇っている。江戸時代中期の建築で、壮大な伽藍は東日本最大だそうだ。
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500円払うとお戒壇めぐりが出来るのです。こんな真っ暗な世界、もしかして生まれて初めて。御利益は何じゃ。極楽の錠前を探り当てました。秘仏の御本尊と結縁だそうです。
そこから出ると、法要があったので、絶対秘仏(日本最古の仏像とか)の御本尊を安置する宮殿を一瞬拝することが出来た。

      経蔵 重要文化財。一切経が納められ、輪蔵を回すことができる。
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善光寺参道は趣があって素敵だ。ツルウメモドキや漆喰の建物、昔の建物などを見ながらとうとう長野駅まで歩いてしまった。
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