2021年3月21日 (日)

池上本門寺と池上梅園

2/25 池上の梅園が見ごろと聞いて、池上本門寺にお参りしてから、梅を鑑賞してきました。
五反田から東急池上線に乗るのは初めてです。途中洗足池駅等を通り過ぎ、20分くらいで池上駅に到着。

●池上本門寺

本門寺の総門と階段が見えてきた。
総門は元禄年間(1688~1704年)の建立。扁額は本阿弥光悦の筆に寄るものだそうだ。
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総門手前や本門寺周辺には、禅宗の塔頭に相当する、日蓮の直弟子のお寺である中道院(梅が終わっていた)や池上七福神の福禄寿の本成院、妙見堂や養源寺など23寺がある。
養源寺がなかなか良いお寺だった。池上本門寺歴代住職の隠居所となり、八代将軍吉宗が鷹狩りの際には御膳所となっていたところ。池上七福神の恵比寿さまのお寺。
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1282年、日蓮聖人は身延山を出て、湯治のために常陸へ向かう途中この地で亡くなった。日蓮に帰依していた池上宗仲が屋敷の一部を寄進して出来たのが池上本門寺だ。

加藤清正の寄進の96段の石段(此経難持坂)を上ると、北村声望作の大きな日蓮説法像がある。
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仁王門。元国宝であったが空襲で焼失、再建されたもの。
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大堂。これも空襲で焼け、高さ27mの鉄筋コンクリート造で再建されている。堂内中央の厨子には、日蓮聖人坐像、右には日輪聖人坐像、左には日朗聖人坐像を安置する。
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経蔵。ここは空襲で焼かれず、いい感じの建物だ。1784年建立。
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五重塔。1607年秀忠が悪性の疱瘡になった際、乳母が平癒を祈願、無事回復したので建立。関東最古の五重塔で国の重要文化財。初層の蟇股には十二支の彫刻がある。
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寄り道した墓所に力道山の立派なお墓があった。
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本殿。昭和44年再建。本師(釈尊)のおわします殿堂。戦後に建てられた近代仏堂建築として評価が高いそうだが趣に欠ける。
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多宝塔。国の重要文化財。日蓮の荼毘所跡に1828年上棟、2年後に竣工された。日蓮大聖人御所持の水晶念珠を奉安している。宝塔形式の木造塔婆は少なく、その中で最大規模を誇る本格的な宝塔だそうだ。
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●大坊本行寺  

日蓮聖人の入滅後、池上宗仲公が日朗の弟子・日澄に日蓮聖人が泊まられていた館を寄進しお寺とした。

赤門越しに本堂が見える。
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御硯井戸。日蓮聖人が到着した翌日この井戸の水で墨をすり、礼状をしたためられたという。
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旅着堂や御灰骨堂等を覗いて、ご臨終の間へ。日蓮聖人が亡くなった部屋の後に建てられたお堂。
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中に入ると部屋から素晴らしい裏のお庭が見える。
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●池上梅園

実相寺を見て、池上梅園に到着した。以前は北半分は伊東深水の自宅兼アトリエだった。南半分は料亭経営者小倉氏の別邸だったもの。
早咲きの梅は終わってしまっているけれど、遅咲きを含めまだまだ見頃。

丘陵の斜面をうまく利用している。
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茶室(聴雨庵)は政治家藤山愛一郎から寄贈され移築されたもの。
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珍しい垣根があった。京都にも色々あったことを思い出す。
鎧垣
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腰高麗蓑袖垣
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沼津袖垣
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古郷の錦。
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甲州梅。後ろは薬医門。
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梅園には30種類の梅があるそうだが、この座論梅は初めて。
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屋敷の前には池もある。
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思いのまま。
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曙枝垂。
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まだまだ初めての名前の梅があり、素敵な梅園でした。

門前の池田屋のクズ餅がお土産でした。
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2021年3月15日 (月)

東村山・八国山と史跡巡り

2/16午後だけ有休をとった娘について行って、電車で10分の東村山駅から近い、八国山とその周りの史跡巡りに出かけました。
新田義貞が戦った地の一つです。また鎌倉古街道が通っていてこの辺りに宿があったそうです。もう一つ、国宝建築物を見る。

まずは駅前の和菓子店・餅萬でおやつとお土産にお饅頭とどら焼きを買ってもらう。
「だいじょぶだァ」が小倉餡。「だっふんだァ」はウグイス餡。それぞれどら焼きと饅頭がある。
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駅からは鎌倉街道の一部を進み八国山の方へ。残念ながらこの日は立派な建物の「東村山ふるさと歴史館」はお休み。
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早速マンホールを発見。東村山市のマンホールは村山貯水池の取水塔だ。
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徳蔵寺。臨済宗・大徳寺派。元和(1615~1623)頃開山。武蔵野三十三観音7番で、狭山12番。
境内から中世の文化財である板碑、宝篋印塔(鎌倉時代の供養塔)などが発掘されている。

本堂
本尊は白衣観世音菩薩は見えなかったが、写真では非常に立派。
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永春庵のご本尊は聖観世音菩薩。
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校倉造の板碑保存館を見学する。200円。
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1階の展示には石器、土器、国分寺瓦、古銭、埴輪などが展示される。
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2階に上がると驚くほどの板碑(死者の追善供養のためにたてた石製の卒塔婆)があった。約170基。日光街道等でポツンとたっている板碑を目にしては喜んだが、それがこの辺りからこんなに出土したとは!
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国指定重要文化財の「元弘の板碑」から。写真は光って見えにくいですが。
説明によれば、小島法師が著したといわれる『太平記』(1370年頃完成)の記述されている新田義貞の鎌倉攻めを裏付けるように、元弘3年(1333)5月15日と18日の合戦の場所と新田の3人の戦士の名前が刻まれていて、戦史を実証している板碑として有名だそうだ。
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宝篋印塔と五輪塔(供養塔)
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宝篋印塔には関東形式と関西形式がある。板塔婆の両側の切り刻みが五輪塔が原形になっているとのこと。これから気をつけて見てみよう。
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八国山緑地に向かう。麓に久米川古戦場跡の碑がある。
新田義貞の軍勢は小手指ヶ原(所沢市)で一戦交えた後に久米川へと戦場を移し、ここで第二戦が行われ、この後分倍河原などで三戦交え稲村ケ崎に着き幕府を倒した。
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八国山緑地を歩く。小鳥の鳴く、殆ど平坦な散歩道となっている。
東西約1.5km、南北約300ⅿの都立公園。園内には標高89.4 mの八国山がある。かつて上野・下野・常陸・安房・相模・駿河・信濃・甲斐の8つの国を望むことができたことに由来する。
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少し進んだところに将軍塚がある。新田義貞が本陣を置いていた。富士塚とも古墳とも言われている。
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この道の左側にはあおぞら広場、ほっこり広場、ころころ広場、ひだまり広場と広場がたくさんあって、そこのベンチで先ほどのおやつを食べる。美味しい!

ふたつ池(下池)。上池は枯れて見る影もなし。ため池として周囲の水田に水を供給していた。
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北山公園はハナショウブやハスで有名だが、今は梅が数本咲いていた。
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公園を出たところで、違う種類のツツジのマンホールを発見。
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次に向かったのは正福寺都内では唯一の木造の国宝建造物がある。都内でもう一つの国宝西洋建築が迎賓館だ。
鎌倉時代中期の創建。北条時宗が鷹狩りにきた際に大病にかかり、夢の中でお地蔵様が差し出した丸薬を飲んだところ治ったことから、お地蔵様の供養のため開創したと伝えられている。
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貞和の板碑。1349年。完全な形をとどめるものとしては都内最大級とのこと。
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国宝千体地蔵堂。屋根はこけら葺。反り返っているのも特徴的だ。花頭窓、桟唐戸や、軒下等が美しい。2度目だけれども、美しい建物だ。
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木彫りの地蔵が沢山納められていた。知的障害者が彫った地蔵をここで買って、願いを込めて奉納したもの。
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本堂。
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駅への途中にある出世弁財天女宮。
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駅前の東村山停車場の碑。
停車場の碑は1894年、川越と甲武鉄道の国分寺を結ぶ川越鉄道が一部開通し、東村山に工事用仮設駅が造られた。全線開通後仮設駅は撤去されることとなったものの、住民運動により東村山停車場がつくられた。停車場開設の尽力を記念し、1897年に建立された石碑だそうだ。
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2021年3月 4日 (木)

松姫古道~八王子城跡~武蔵野陵墓地

松姫ゆかりの信松院を尋ねた1週間後の今から1か月前、松姫が出家したお寺の心源院から八王子城址に至る松姫古道(心源院歴史古道)なる山道が、登山マップにあったので登ってみました。
この山道は松姫の師匠の卜山(ぼくさん)禅師が、その弟子になった八王子城主北条氏照に会いに行った道だそうだ。名前がついているので松姫も歩いたのであろうか?
北条氏照とは、八王子城主で、後北条第3代氏康の三男で兄氏政が第4代、甥氏直が第5代。4代5代で北条は小田原征伐で秀吉に滅ぼされる。氏政・氏照兄弟が切腹。5代氏直は正室が家康の娘であったため助命される。

高尾駅からバスに乗り、川原宿大橋停留所で下車。心源院にすぐ到着。
心源院は、松姫が剃髪し信松尼の法名を賜ったお寺である。
入り口を入ってすぐのところに八王子千人同心・小谷田子寅の碑があった。天文学、医学に明るく、民衆い慕われた人物だった。
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鐘楼と本堂。
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本堂の奥の登山口。
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霜柱も長く植物も霜で真っ白。
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ホオジロがいた。小鳥の声が多く、関東ふれあいの道・小鳥のみちよりたくさんいるように思えた。
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ネンドタケか?  ヒイロタケでした。shikamasonjinさま、いつもありがとうございます
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15分くらい登ると眺望が開ける。
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2018年秋の台風の時の倒木。鎌倉の山にもあったし、千葉県のまだ修復出来てない屋根を思い出す。
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向山北砦(標高286ⅿ)到着後、大六天(315ⅿ)へ行くと筑波山がうっすらと見えた。
大六天の説明・・昔ここにお堂があり、江戸時代に流行った第六の神(世の平穏と男女のめぐりあいを担当している)を信仰する宗教だったころからこの地名になったという。
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三叉峠到着後八王子城址本丸跡へ向かう。
柵門跡に着き、高丸を通り、九合目の石標を過ぎると眼下が開けた。
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階段を上って八王子神社に到着。氏照が城の守護人とした「八王子権現」が祀られている。
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本丸跡に到着(標高446ⅿ)。登山口から約2時間半。
城の中心で最も重要な曲輪だが広くはない。山城には天守閣はなかった。曲輪とは土塁などで囲んで作られた平らな場所。小宮曲輪や松木曲輪を通って来た。
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頂上から高尾山がそばに。
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遠くには江の島らしきものが見えた。
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要害地区から氏照の館があった居館地区に降りてきた。
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八王子のマンホールカラー版。
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氏照の館の御主殿跡へ。以前も来ている。そのとき本丸に登っていなかった。
古道を歩いて行くと城山川にかかる木製の曳橋があらわれる(復元)。昔は敵が攻めてくると橋を壊し侵入を塞いだとのこと。
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兎に角石垣が凄い。
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御主殿跡
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すぐそばの根小屋地区(城下町に当たる地区)のガイダンス施設にも寄る。
八王子城のジオラマ。
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北条氏照及び家臣の墓に寄る。150段の階段を上った先にあった。
氏照の家臣であった中山家範の孫の中山信治が氏照の100回忌に際し、供養塔を造立したもので、両脇に中山家範と信治の墓がある。
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背後にはたくさんの石造物があった。
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美山通りに出て高尾駅方面へと向かい、山田うどんでの昼食は鍋焼きちゃんぽん風うどん。
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最後に武蔵野陵墓地に歩いて向かう。
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多摩陵は大正天皇の御陵、その東隣の多摩東陵が貞明皇后の御陵、武蔵野陵は昭和天皇の御陵、武蔵野東陵が香淳皇后の御陵である。
多摩陵。
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多摩東陵。
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武蔵野陵。
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武蔵野東陵。
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ちょうどマンサクの花が満開だった。
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この間歩いた甲州街道を歩いて高尾駅へ。
地元に帰ってまたまた餡蜜を。約28000歩。
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2021年2月23日 (火)

八王子七福神巡り(2)

御所水。松姫が出家をして心源院を離れ、移り住んだ御所水。八王子宿の甲州街道を挟んで南側にある。湧水地があり、草庵があって、子供たちに教えたり蚕を飼っていたんだなあと想像する。
今は御所水弁財天がある。その少し歩いた北側になるところに松姫の信松院が建った。
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.信松院・・布袋尊(家庭円満)
本堂は中国のお寺のような派手な感じで屋根の形が目立つ。松姫のお寺というイメージとは違う。
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入り口には松姫の東下之像。
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観音堂の中。
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正面は聖観音菩薩で、左におられるのが松姫様か。
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布袋様は地下にいらっしゃいました。大きなお腹も今は触れない。これを機に今まで随分いろいろなものに触って撫で撫でしたことも考えさせられました。コロナが収まってからも神経質になり過ぎるのは、体を弱くするからよくないけれども、免疫の弱った高齢者はあまり調子に乗らない方がいいですね。
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松姫のお墓。武田菱が門にもあったが、ここにもある。
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次の目的地の金剛院の前に、千人同心の組織化をはかったり、松姫に草庵を贈ったり、八王子宿の建設をした大久保長安陣屋跡に寄り道する。
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この陣屋跡は産千代稲荷神社にあった。
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6. 金剛院・・福禄寿(長寿、財運招福)
本堂
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福寿堂
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中に福禄寿。いいお顔!
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7.傳法院・・恵比寿天(商売繁盛)大本山成田山の分院。
こちらに祀られているのは恵比寿様だけど、お隣に大黒様も。二つが綱で結ばれている。
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弘法大師。裏側には十二支守り本尊が彫られていて、自分の干支の本尊様を撫でてお詣り下さいとのこと。
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私の守り本尊は普賢菩薩。勿論何でもお詣りするが、欲張りすぎて効果なしのこの頃。
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8.本立寺・・毘沙門天(開運勝利)
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本堂
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毘沙門天
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絵馬も毘沙門天
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八王子八福神めぐりを終了し八王子駅ビルのロイヤルホストにてあんみつで休憩。24480歩。
昨年は寄居の十二支巡りでした。
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2021年2月19日 (金)

八王子七福神巡り(1)

甲州街道歩きをしていた時に、多摩・武蔵御陵に近く、高尾駅がもうすぐという所に山王社があって、松姫ゆかりの子育て地蔵を見ました。
その時、多摩NTの住人さまより、中村彰彦著『疾風に折れぬ花あり』~信玄息女 松姫の一生~を紹介してただき読んでみたところ、いかにして武田信玄の息女がこの八王子にゆかりのある人になり、ここで一生を終えたかを知ることが出来ました。
信玄の四女、五女、六女とも言われる松姫は武田信玄の死去後、武田勝頼が家督を継承すると、実兄の仁科盛信の高遠城へ。武田家滅亡後は山梨を経て八王子へ3人の親戚筋の姫を連れ逃避行。陣馬街道の下恩方にある心源院で出家する。
その松姫が八王子・御所水の草庵に移り住んで、尼としての生活の傍ら、寺子屋で近所の子供たちに読み書きを教え、地元の人たちに教えてもらい、助けてもらいながら蚕を育て、織物を織って得た収入で、3人の姫を養育する日々だった。その草庵が現在の信松院である。ここは徳川になって大久保長安の所領になって、松姫や武田家の旧臣からなる八王子千人同心は大久保長安にお世話になる。
松姫はここで1616年、享年56才で亡くなる。

八王子七福神の中に信松院が含まれていてそのそばが御所水であることからこの日は七福神を巡った。

1.宗格院・・寿老人(不老長寿)。甲州街道を歩いた際も寄ったところですが、すでに忘れている。西八王子で降り、馬場横丁を入っていくとある。
千人同心ゆかりの寺である。
本堂
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八角地蔵堂の中に寿老人(寿郎尊)が祀ってある。奥に収まるせき地蔵尊が「咳の病」が治ると伝えられている。
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千人同心組頭見習いで、幕末の北方警備と蝦夷地の開拓に尽くた河西祐助の顕彰碑。千人同心は日光日番の仕事を交代で勤めただけでなく、蝦夷まで開拓したのですね。
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前回見つけられなかった松本斗機蔵の墓も発見。千人同心組頭で天保8年(1837)に書き上げた「献芹微衷(けんきんびちゅう)」を水戸藩主徳川斉昭に献じ、海防や開国を論じた。江川太郎左衛門、渡辺崋山らと交友があった。
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南浅川の土手を歩き、向こう岸に渡って吉祥院へ。
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2.吉祥院・・吉祥天(幸福、美、富)。七福神ではないが八王子なので8か所めぐりになったのか?弁財天と混同されることが多い。母は鬼子母神、夫は毘沙門天。
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吉祥天
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子育て地蔵尊や鐘撞き堂や二十三夜堂跡を過ぎる。
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十五仏の仏様。先頭はいつも不動明王。
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高尾山の飯縄大権現が祀られる。
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その先には高尾山が見えた。横に広い山ですね。
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さらに進むとなぜかトトロたちにメイちゃんが乗っているし、おばあさんも。このお寺と何の関係があるのかとても賑やかで面白い!
まっくろくろすけもたくさんいる。
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陣馬街道の追分に向かい前回撮影した千人同心屋敷跡記念碑を見て、これも前回行った了法寺へ向かう。

3.了法寺・・新護弁財天(音楽神、福徳神、学芸神)

新護弁財天は、お正月のみ見られるとのことで、御前立を撮影。右手に宝剣を持ち、左手に宝珠を持つ。普通弁財天は琵琶を抱え、バチを持って奏する音楽神の形であるが。
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萌え寺で自販機までが。
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4.善龍寺・・大黒天(食物、財福) 見られなかったので本堂のみ撮る。
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そのまま甲州街道を横断し、松姫通りを進んで銚子丸にて昼食にする。
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お昼はあら汁が無料。
穴子、軍艦セット(いくら、しらす、ねぎとろ)、光り物セット、海老セット、ほたて、サーモンなど分け合って食べました。9貫くらいでお腹満腹。回転寿司だけど今は回転していない。ネタが大変良くて大満足。
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2020年9月14日 (月)

「哲学堂公園」と「散歩かふぇちゃらぽこ」

西武新宿線の新井薬師駅前から北に向かうと辿り着く哲学堂公園は東京都の名勝に指定されている。ここは2度目です。
東洋大学の創立者である井上円了は自らの考えを具現化した空間としての哲学堂を建立したのだそうです。

まず正門の哲理門。右側に天狗、左側に幽霊がいます。それぞれ物質の世界と精神の世界の不思議を表しているとか。
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三学亭 日本的な三道の研究家を称えている。
平田篤胤(神道)、釈凝然(仏教)、林羅山(儒教)。
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四聖堂
東洋哲学の中から中国哲学の孔子とインド哲学の釈迦。西洋哲学の中から古代哲学のソクラテスと近世哲学のカントを奉崇。
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六賢台 東洋の賢人6人が祭られる。
日本の聖徳太子と菅原道真、中国の荘子と朱子、インドの龍樹と迦毘羅。
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ここにまつられた聖賢に接することによって、人々に精神修養を促すことを目的としたのです。

絶対城 かつての読書堂で万物の書物を読み尽くせば対立するものがない絶対の境地に達する。
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これらを合わせて庭内に七十七場が整備され、下っていくと妙正寺川沿いの道に出て、狸燈、主観亭など色々な場があり、さくらの広場や梅林から最後に菖蒲池に誘われる。ミソハギが咲いていた。
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哲学を学ぶ力のない私は学生時代に全然理解できなくて物理化学と並ぶ、成績の悪い科目でした。
哲学をこんな形にして親しみやすく公園にした井上円了という方もなかなかです。
京都には哲学の道があり、ドイツのハイデルベルクにもありました。学生が思索にふける哲学の道、洋の東西を問わないということでしょうか。
園を出てから野球場の反対側にある蓮華寺で井上円了の墓に詣でました。
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バスで中野駅に出て、歩いて青梅街道の東高円寺へ。
東高円寺駅の裏の蚕糸の森公園でサンゴジュの実を見つけた。まさしくサンゴの色です!
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滝が涼しそう。
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駅から5分のところの「散歩かふぇ・ちゃらぽこ」へ。
看板猫の有名なたね君が迎えに出てくれました。そばに来てくつろいでいます。可愛くて可愛くて。別れるのが辛いほどでした。
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毎日出勤しているとは限らないということで本当にラッキーでした。

いただいたのはスープ、サラダ、コーヒー付きのオムライス。これがまたとても美味しいのです。
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2020年5月20日 (水)

多磨霊園(2)

前回半分くらい回った多磨霊園の著名人の全リストを見ていたら、大学の時の友人の御主人のお父さんの名前が著名人として載っていました。
実はその友人は2016.12.31の夕方6時に、何とも羨ましいピンピンコロリで亡くなったのでした。ご主人は長男だったので、もしかしてそのお墓にと思い、4日後にまた徒歩で連れて行ってもらいました。墓誌に名前が書かれていて、彼女がここに安らかに眠っていることがわかり、お参りすることができました。

残りのたくさんの墓を見て回りましたが、その人となりをさらに検索して知ることができました。
選んだお墓に文士が多く、もう一度読んでみたいとお墓の前で思ったのですが、文学全集を全部捨ててしまったのが悔やまれます。

霊園のそばのビルの軒に今年初の燕。霊園に樹木が多くて虫が一杯獲れるのでしょうか。
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田河水泡の墓にはのらくろが2匹(1匹は撮りそこない)いました。本名は高見澤仲太郎。
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正宗白鳥
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(美濃部達吉・亮吉の墓を通り過ぎ)、東野英二郎へ。初代黄門様であの顔が懐かしい!
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江戸川乱歩。本名は平井太郎。
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熊谷守一の墓には彫刻がのっている。
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横光利一
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ヒメシャリンバイ
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梅原龍三郎(右)で字も本人だそうです。
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鶴見俊輔
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堀辰雄。ご本人は既にそこで亡くなっていた軽井沢追分の別荘を覗きに行ったことがあります。
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最近のベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』の渡邉和子と二・二六事件で暗殺された父親・渡邉錠太郞の墓。
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岸田劉生・麗子。
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2代目水戸黄門・西村晃。
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向田邦子。右の石版には『父の詫び状』『あうん』など代表作のタイトルが刻まれている。
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谷啓の墓。本名は渡部。
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入江たか子(本名・子爵家の東坊城英子)明治から昭和の女優。五輪の塔が建っている。
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『銭形平次』の野村胡堂の墓。
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菊池寛
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ディック・ミネ。日本のジャズ・ブルース歌手で本名は三根徳一。この歌手も遠い人になりました。
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与謝野鉄幹、晶子夫妻の墓の字は見えにくい。
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吉沢久子。家事・生活評論家。本名は古谷で、夫は古谷綱武。昨年101才2ヶ月で亡くなる。献体をしたそうだ。2017年から亡くなるまでの3年間に14冊も本を刊行した。
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徳富蘇峰
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小泉信三
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舟橋聖一
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ハクウンボクが満開でした。
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長々とお墓をご覧いただき有難うございました。(完)

 

 

 

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2020年5月15日 (金)

多磨霊園(1)

娘の義父が眠る多磨霊園に初めてお参りに行ってきました。片道50分くらい歩くとたどり着けます。

この霊園は府中市と小金井市を跨いでいる日本初の公園墓地であり、面積は都立霊園としては最大の128万237平方メートルで、東京ドーム27個分に相当する。
1~26区と外人区があって、その広いこと、広いこと!驚きました。

お参りしてから有名人のお墓が沢山あるということで半分くらい回ってみました。

最初に行ったわけでないが、一番面白かったお墓を。岡本太郎、岡本一平・かのこのお墓です。
太郎
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一平の墓は太陽の塔に感じがちょっと似ています。かの子の墓もユニーク。
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以下、訪れた順の主なお墓です。

ノーベル賞受賞者・朝永振一郎。
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『青い山脈』『陽のあたる坂道』の石川洋二郎
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60年安保闘争で亡くなった樺美智子。私が丁度大学に入った年でした。
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小説家・吉川英治。文机の上に経筒が載ったデザイン。
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岸田國士、衿子、今日子。余りにもシンプルなお墓。
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ソニー創業者の一人・井深大。
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ソ連のスパイと言われたゾルゲ。愛人の石井花子が作ったお墓。
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彫刻家・ 平櫛田中。古墳のような感じです。
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『山月記』『李陵』の中島敦。
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金田一春彦
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内村鑑三。
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高橋是清。
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鳥居のある西園寺公望。
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徳川夢声
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画家・川合玉堂
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成駒屋・中村家の墓。数代の中村芝翫など。
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銅像がすぐ近くにある新渡戸稲造の墓。
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小説家・大岡昇平。
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山本五十六、東郷平八郎の特別区の立派なお墓過ぎると西郷家のお墓へ。西郷従道。
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A級戦犯・平沼騏一郎の墓を過ぎ、北原白秋の墓へ。これまた古墳みたいな墓(設計者は版画家の恩地孝四郎)。
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長谷川町子
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有島武郎
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『安土往還記』『背教者ユリアヌス』の辻邦生。
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三島由紀夫、本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)。
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ベニバナトキトノキの並木もあり丁度咲いていました(4/29)。これは西洋トチノキと北米南部原産のアカバナトキチノキの交雑種とのこと。
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又、この時期お墓の方々にマツバウンランが咲いていました。
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いやはや、色々な様式、形のお墓がありました!

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2019年10月29日 (火)

八海山・苗場田代・奥只見湖遊覧で紅葉狩り

雨の合間、10月23,24日に行ってきました。
行きはMaxたにがわ号で上毛高原駅へ、帰りは越後湯沢駅からとき号に乗って帰ってきました。

23日(水)晴れ

●吹割の滝

まず2日間ツアー専用のバスで群馬県の吹割の滝へ。かつて2回ほど行ったことがあるが、今回は大雨による増水で滝の迫力満点。
今まで東洋のナイヤガラと言われても実感が湧かなかったのが、ミニミニのナイアガラをちょっぴり味わえました。
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浮島観世音堂に如意輪観音様がおられた。すっかり忘れていました。
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●八海山

新潟県南魚沼市にある越後三山(中の岳、越後駒ケ岳と八海山)として知られ、山頂の八ッ峰が象徴的です。1778ⅿ。
ロープウェイで山麓駅(標高376ⅿ)から山頂駅(標高1147ⅿ)まで5分で771mの標高差を登り、展望台で山頂の方や日本海(佐渡島が見えるというがどれだか判別できなかった)まで眺望を楽しむとともに、紅葉を眺める。今年は朝晩の気温差があまりなくて赤がちょっと茶色っぽくなっているようだ。パンフレットのあるような紅葉ほどではなかった。

ロープウェイから八ヶ峰が見えた。
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展望台からの八海山山頂方面。
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展望台から
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●大源太湖(標高550ⅿ)

正面に見えている、上越のマッターホルンと呼ばれる大源太山(1598ⅿ)の麓のダム湖。大源太川の砂防ダムで今補修工事中で残念ながらきれいでなく、紅葉もこの標高だとまだであった。
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苗場プリンスホテル泊。紅葉ツアーでバスが19台も来ていて夕食は早めの5時に行くよう指示される。バイキングでした。席を確保し行列についてお皿にめちゃめちゃに取ってそれからはゆっくりいただく。質はよく美味しかったので普段の倍ちかく食べたのでした。
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24日(木)曇り一瞬日が射す。

●苗場ドラゴンドラから田代ロープウェイ

あいにく曇りでゴンドラの中の窓がガスがかかったようになって残念な紅葉狩りでした。
しかし、苗場ドラゴンドラ(8人乗り)は苗場高原から田代高原をつなぐ、日本最長の5481ⅿの長さを誇る。上って下って、上って下って、上って平、上って平、上る。実に雄大な眺めでわくわくしながら25分間も乗っていました。
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二居湖
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苗場ドラゴンドラ山頂駅から田代ロープウェイへ移動。日本一の瞬間地上高230ⅿも絶景。91名乗りで10分。
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奥只見へ
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奥只見湖遊覧

外輪船ファンタジア号に乗る。19世紀のアメリカ・ミシシッピー川の貨物船をモチーフにしているとのこと。
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 銀山平(昔銀が採れた)から奥只見ダムまで50分近く乗っていたでしょうか。晴れていれば尾瀬の燧ケ岳が見えたはずだ。一瞬日が射して紅葉がきれいに見えたので由としましょう。
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奥只見ダムは昭和36年完成の、日本最大級の貯水量を(黒部ダムの3倍)を誇る巨大ダムです。
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越後湯沢の駅にて
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今日の食事は全部撮り忘れたが越後の山菜、きのこも十分に味わえたので良かった。今年の紅葉狩りはブナやナナカマド中心の越後、福島のを見ることが出来、おそらくこれにて終了か。満足しました。

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2019年2月24日 (日)

外濠を歩く(完)

外濠巡りも、「のの字」の最後の御茶ノ水駅から秋葉原、浅草橋駅まで総武線の二駅分で寄り道しないでさっさと歩くと30分もかからない距離でしたのでまず御茶ノ水で寄り道、最後は浅草橋から本所吾妻橋まで都営浅草線に乗って行き、あんみつとお茶でくつろぎ、「たばこと塩の博物館」に寄りました。

最初の寄り道は、ニコライ堂(東京復活大聖堂)で午後1時から開く。中は撮影できない。入場料300円でローソクを貰い灯す。設計はミハイル・シチュールポフと有名なジョサイア・コンドル。ロシアの聖ニコライによって1884~1891年に建てられた日本正教会。関東大震災で崩壊したが復興された。ビザンチン様式。中にはイコンが飾られ、ルーマニア、ブルガリア、セビリアの聖堂を思い出す。
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聖橋からの眺め。  運良ければ5本の電車が見られる。濠や神田川の水もあまりきれいとは言えない。
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「現在お濠の水質浄化作戦が行われている。
お濠の水の汚さ、気になっていたのですが、内濠には浄化施設が造られ、生態系のバランスを見ながら進められている。
この間歩いた市ヶ谷から飯田橋までの外濠は内濠の様に流れを作ることが出来ず、4半世紀、浚渫が繰り返されている。今回は来年のオリンピックに合わせて一番汚い市ヶ谷濠から初めている。今までの様な悪臭を防ぐため送泥管で二駅先水道橋方面まで送り、小石川の所で土運船へ、これが曳船に曳かれ、東京湾最後の埋め立て地の「新海面処分場」へ行くそうだ」

湯島聖堂に寄り道。
徳川綱吉が建てた孔子廟で、後に幕府直轄の昌平坂学問所となった。昌平は孔子の生まれた地名。

         入徳門 1704年建造の関東大震災で水屋と共に残った門

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                再建された大成殿(孔子廟)
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屋根には鯱のようなものと西洋の雨樋の役目のガーゴイルみたいのが乗っている
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                       孔子様像
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楷樹 枝や葉が整然としているので楷書の語源になった木。孔子の墓所に植えられ、今まで植えつがれてきていて、これは大正4年に種を持ち帰って苗に仕立てたのが最初だそうだ。ネットで見るとなるほど整然とした葉で紅葉し赤い実もできる。その様子を見てみたいものだ。
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昌平橋 古い!
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10_314x450旧万世橋駅の遺構を見る  

総武線からこんな所が見えるはずなのですね 
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                     万世橋
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                レンガ高架は万世橋駅遺構
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柳森神社 船に乗った時も見えて印象に残っている
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橋を渡って柳森神社に入ってみる。柳森神社は富士浅間神社を合殿、合祀した。富士講に関わりがあり富士塚も築かれた。
富士講関係石碑群 富士講が廃れて富士塚が破却されたため石碑を集めた。その富士塚も都内と周辺にはまだ50ほど残っていわれるが、本を買って私が行ったのはたったの6ヶ所にすぎない。
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おたぬきさん福寿神 由来は5代将軍の御生母桂昌院様は八百屋の娘だったが、春日局に見込まれ、家光の側室となった。他を抜いて玉の輿の乗った院の幸運にあやかりたいと、こぞってお狸さまを崇拝したことよる。
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                   狸像
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                     お稲荷さんか
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              力石がたくさん。名前が入っている。
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                 柳森神社に分かれを告げる
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神社の前の通りは岩本町の服飾関連の問屋街だ。江戸時代には土塁が築かれ柳が植えられていたので柳森土手と呼ばれていた。

進むと学校の敷地に、近くで出土した江戸城外濠の石垣石が置いてある。
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その先に「郡代屋敷跡」関東の天領を治める郡代の役所があった
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浅草橋を過ぎたあたりに浅草見附跡がある
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「江戸城には内郭・外郭それぞれに見附(城門と橋)が「三十六見附」設置されていた。各見附には大名あるいは大身の旗本が門番として配置され、基本的には二家十日交代で担当した。
門番の仕事は
① 門の開閉と通行者の確認
② 門内外の掃除や空間の管理
③ 将軍や外交使節が出入りする儀礼の場の維持
④ 火災発生時の防火
大変な思いと出費で参勤交代でやってきた諸国大名にも、江戸でも濠が完成した後はこんな仕事があったのだと認識しました」

神田川の最後の橋、柳橋に到着。
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             柳橋から神田川を。反対側はもう隅田川。
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          隅田川に架かる両国橋からスカイツリーの方を見る
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これで外濠を一周しました。意外に面白かった。

317x450上記のように「たばこと酒の博物館」で『江戸の園芸熱』展を見てきました。
桜や菊や朝顔など花をいろいろ品種改良したりしたことは聞いていましたが、家の軒先などに鉢植えなどが飾られ楽しんだようです。又、花に関係する名所が数多くあり、そこで花を愛でる人々が多くの浮世絵に描かれた。植物に関するものが207点も展示されている。歌川広重、国芳、国貞、豊国、渓斎英泉、鳥居清長など錚々たる浮世絵師の絵が勢ぞろい。それに女性の着物の柄の美しさ、種類の多さにも驚いたものです。

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打ち上げは地元の庄やでビールとワインで乾杯(肉豆腐、ホタルイカの沖漬け、海鮮サラダ、じゃがいもチヂミ)。16383歩でした。

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