2018年5月29日 (火)

三陸応援企画の「絆」で結ぶ三陸海岸絶景の旅(後編)

<2日目>午後から

宮古市の浄土ヶ浜 
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宮沢賢治の歌碑「うるはしの 海のビロード昆布らは 寂光のはまに敷かれひかりぬ」1917年(大正6年)7月賢治21歳
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40分間乗った浄土ヶ浜周遊の遊覧船から
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宮古市田老で語り部から当時の様子などを、残された津波遺構の「たろう観光ホテル」で聞く。このホテルの社長が襲ってくる津波を6階から撮影しながら、ここから人々に早く逃げるように叫んでいたという。そのビデオを見せていただく。ホテルは2階までは鉄骨だけになっている。田老はマグネチュード9.0、最大波高16m、死者行方不明者181人(うち行方不明41人)、罹災戸数1691戸、漁船流出855隻。
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                  昭和の防潮堤
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田老の三王岩
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           2日目の夕食 このホテルはバイキングでした
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                     3日目の朝食
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<3日目>晴

三陸鉄道・南リアス線の吉浜駅から恋し浜駅まで乗る
                 吉浜駅と途中の景色
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             恋し浜駅の自販機とポストはピンク
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大船渡市末崎半島の東南端6㎞を碁石海岸という。(天然記念物指定)三陸ジオパークのジオサイトとなっている。
穴通磯(あなとおしいそ)は3つの洞門を持つ奇岩で小型観光船で穴をくぐることが出来るそうだ
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左の雷岩と乱曝谷 雷にも似た音がするので「残したい日本の音風景百選」に選ばれている
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          中央左が女島・男島、右下が海馬島(とどしま)
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陸前高田市の奇跡の一本松
350年以上の松、7万本もあった松のうちたった1本だけ残ったが、それもついに枯死し、幹の部分を貼り付けて残し、葉はレプリカで1億円以上かかったそうだ。
何故これだけが残ったかは28mもあって上の方の枝があり引っかかって流されなかったことと、写真でも見える後ろの建物があったお蔭だそうだ。こうした形で残すことにいろいろな意見もあったようですが、残ったたった7万分の1本の奇跡の象徴として多くの人々の記憶の中に刻み込まれることでしょう。また残った松ぼっくりから新しい苗も育っているそうです。
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                    残った松の根
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この山を削り取ってかさ上げした
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今回はたくさん買った土産であるが、面白いネーミングのお菓子は我が家用。「ぶすのこぶ」、やはり餡菓子です。すぐ口に入ってしまって、包み紙も見ないでなくなり、どこで買った銘菓かわからなくなってしまった ( ̄▽ ̄;)!!ガーン
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2018年5月27日 (日)

三陸応援企画の「絆」で結ぶ三陸海岸絶景の旅(前編)

初めて三陸海岸(岩手県のみ)に2泊3日でツアーで,久慈から陸前高田、大船渡まで行ってきました。リアス式海岸の絶景と震災から7年の傷跡と復興状態の説明を受けながら見てきました。当時の惨状は殆ど消えていて、海岸線は巨大な防波堤が続き、今まだ造り続けけられています。山を削って土地のかさ上げが終わった所へ移転し、もう仮設住宅には殆ど住んでいないそうです。
義捐金を赤十字を通じて出しただけで、現地へのボランティアにも行かず、どちらかというと福島のプラス原発事故の方に心が向いていました。
こうした企画の旅行に4年前に参加した人が協力したとして自分の名前が刻まれていると写真に撮っていました。
兎に角原発だけでなく、津波の恐ろしさを目のあたりに見せてくれた東日本大震災と同じような地震が東京にも近いうちに来るというし、南海トラフ地震も、そして富士山大爆発の事も伝えられて、日本の人口の多くが密集していることを考えても災害の大きさは計り知れない。人口が多すぎて助けてもらえない可能性が大です。
いろいろな戦争を体験した人たちはもう多くが亡くなったか、体が弱ったりで、その知恵さえも聞くことが出来ません。対処すべき手段も乏しく、今の準備では数日も持ちこたえられない。結構、この点に関してだけ能天気で自分が生きている間は起らないのではと高を括っているところがあります。いろいろ考えさせられ反省させられもしました。
東北太平洋側沿岸の人々はよく頑張った。福島の人は帰還解除になっても町や村が死んでしまって、お気の毒という言葉しか出ません。
行っているときに市場の中のホタテコーナーは貝毒発生で発売中止。ホタテの養殖がせっかく軌道に乗ったのにまたまた生活の手段を奪われて。

<1日目>快晴

             盛岡駅に着くと岩手山が出迎えてくれる

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             琥珀で有名な久慈に向かっている
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               久慈の秋祭りの山車は素晴らしい
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3つの店で買い物をし、あまちゃんハウスを見学し、この日の観光が始まったのは、久慈駅から普代駅まで三陸鉄道北アリス線に乗り込んだ午後3時過ぎです。
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車内では海女ガイドの案内で色々な説明受けつつ40分があっという間に過ぎました。
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                     車窓からの景色
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             漁港(サッパ船でしょうか)も復活しています
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景勝地の北山崎
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一番遠くに薄く見えるのが、本州最東端の魹ヶ崎(とどがさき)。やませが来はじめたようだ。9_450x300
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                 番屋が新しくなっていた
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番屋の上の方の津波到達点 いろいろな所で聞くと津波の高さは10数mから30数mと幅があったのです。あの恐ろしい津波の映像が何時も目に浮かびますが、こんなところまで水が襲ってくるのを、実際に立ってみると身震いします。
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                       海岸
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                       夕食
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朝食 夕食もそうですがいつもの倍くらい食べているような感じです
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<2日目>快晴

宿のすぐそばの龍泉洞へ 気温15℃、洞内気温10℃ 日本三大鍾乳洞のひとつというが、つい秋芳洞と比較して感動が少なかった。
                      地底湖
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                     地蔵岩
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                  龍泉洞入り口付近
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                       昼食
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2018年4月13日 (金)

信州の直虎の町・須坂と北斎と高井鴻山の小布施を訪ねる(2)

<二日目>渋温泉と小布施
松代のホテルは快適で夕食、朝食はバイキング形式で少々食べ過ぎ。
前日の部屋からの景色。真ん中の山の右側は「奇妙山」1099mという名前。
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          起きると雪が降っていたので途中もうっすら雪景色
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●渋温泉
行基が東国行脚中に発見したとされる温泉で37ヶ所の源泉がある。源頼朝が通ったり、信玄の隠し湯であったりしたが、信濃松代藩主真田氏がここを保養地として利用したので発展した。小林一茶や葛飾北斎、佐久間象山なども訪れている。
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413x550「この1000年で最も偉大な業績を残した世界の100人」に選ばれた世界的画家の葛飾北斎は、実は大変な川柳作家であった。
江戸時代、誹風柳多留という川柳句集が年々167篇続刊された。そのうち85篇の時の撰者が北斎であり、序文も書いているわけです。
渋温泉にはこの川柳句集の中から「卍」という名で詠まれた182句の川柳と没年までの俳句5句を加え計187句を1句ずつ石に刻み、更に撰者であった85篇の巻頭文「序」を加え、渋温泉の町中に建立されている。凄い!
ここで『北斎は川柳も詠んでいた』という本を買って、この項の参考にしました。
北斎が川柳の撰者となった頃は「富嶽三十六景」の作中の油の乗っている68歳。有名な北斎漫画はこれより少し前に刊行されている。

1.団子屋の夫婦喧嘩ハ犬も喰
22. 紅葉ふみわけぐんにゃりと鹿の屎
37.ふえますに気がへりますと姑いゝ 嫁がまた子供が出来ちゃったみたいと言ったら、姑がわたしゃ皺が増えて気がめいる・・とため息。
78.田毎田毎月に蓋する薄氷
187.悲と魂でゆく気散じや夏の原  辞世の俳句(享年90歳)
川柳を読んでいると落語の世界みたいだ。

                 句碑
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                      渋温泉街
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                     横湯山温泉寺
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                   開運幸運の鐘
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    渋温泉のマンホール 温泉に浸かる猿の地獄谷野猿公苑はここから近い
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                   和合の滝 落差30m
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●小布施
北斎は天保13年(1842)83歳、弘化元年(1844)85歳、弘化2年(1845)86歳、弘化4年(1847)88歳と4回にわたって現在の上高井郡小布施町の豪農商・高井鴻山のもとに身を寄せた。

・祥雲寺 高井鴻山の墓所
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                 天井絵は小林聖花作(15畳)
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             シロスミレとミスミソウ
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・小布施町マンホールは北斎の波
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・北斎館 
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北斎の版画の企画展示や肉筆画(美人画・花鳥画・風景画)40余点が展示され、最後の部屋に二基の祭屋台(長野県宝)の天井画が展示されている。
東町祭屋台には85歳の作品「龍」「鳳凰」、上町祭屋台には86歳の作品「男浪」「女浪」の怒涛図が描かれる。実際に見ると色鮮やかで素晴らしい。
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398x550_2・高井鴻山記念館 ちらしより・・・
鴻山(1806~1883)は書画、漢詩、和歌、儒学、国学などに通じた文化人であった。
高井家は1615年頃浅間山麓から移住し、須坂の田中家と同じく北信濃きっての豪農商となった。常に困窮者の救済をし、天明の大飢饉に倉を開き窮民を救ったので、その功績が幕府に認められ「高井」の名字と帯刀を許された。
鴻山は15歳から16年間、京都や江戸へ遊学し、各界第一人者から学問や芸術を修めた。北斎など多くの文人墨客を招き、小布施を文化の高い地に育み、維新では教育立県を強調し、晩年は東京や長野に私塾を開いて教育活動に専念した。

記念館では「鴻山と師・知友展」もあり、北斎の娘・応為の絵もあった。ほか鴻山の絵、書、幟など展示されている。晩年は妖怪画に没頭したそうだ。
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                      鴻山像
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鴻山記念館翛然楼(ゆうぜんろう)1700年代後半の建物で、鴻山は書斎として使用し、文人墨客とここで語り合った。
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・昼食 栗おこわ膳
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・岩松院 北斎・正則・一茶ゆかりの寺 1472年創建
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本堂の大間天井絵「八方睨み鳳凰図」が北斎最晩年89歳の時の作品。21畳敷きの大作で、彩色には辰砂、孔雀石、鶏冠石を用い、4400枚の金箔を使用し、その費用は150両とのこと。やっと見ることが出来た。88歳でここまで江戸から歩いて来て、この迫力ある絵を1年かけて描いたとは何とも凄い人だと再確認です。
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福島正則の霊廟 豊臣秀吉の重臣であり関ケ原の合戦でも有名をはせ、広島城の大大名(49万8千石)になるも幕府の謀略によりこの信越(4万5千石)に国替えさせられ、在信5年で1624年、64歳で亡くなる。この霊廟に遺骨が埋葬されている。須坂の寺にも碑があった。
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一茶がこの寺の蛙合戦の池で「やせ蛙まけるな一茶これにあり」と詠んだそうだが、ぼんやりしていて見に行かなかったのが残念。

               霊廟から右に飯縄山が見えていた
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            階段を下りるとまた桜がきれいに咲いていた
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14時30分で観光が終わり帰路につきました。なかなか自分たちだけでは行けない充実した早春の北信の旅でした。




 

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2018年4月10日 (火)

信州の直虎の町・須坂と北斎と高井鴻山の小布施を訪ねる(1)4/7~4/8

300x450ナビゲーター付きの『葛飾北斎ゆかりの地めぐり』3回シリーズの3回目のみ参加してきました。(1回目は「神奈川沖波裏」のルーツ、宮彫師「波の伊八」の世界。2回目がすみだ北斎美術館見学と北斎が生まれ育った浅草から両国へ。)

一日目は北斎に関係ないが須坂藩と豪商、蔵の町の様子を、二日目は北斎の石碑に刻まれた187句の川柳が置かれる渋温泉と北斎と高井鴻高山の「小布施」を巡りました。

<一日目>須坂

行きのバスの中からレクチャーを受け、これから訪れるところの歴史をレジメで学んで須坂市に到着。
バスの中で漫画『信州須坂藩・堀直虎物語』を読んで、将軍慶喜を叱った男で、女城主直虎と同じ名前の13代須坂藩主・堀直虎のことを知る。

堀直虎は江戸時代末期の大名。若年寄、外国総奉行。信濃須坂藩の第13代藩主。
直虎公は漢学、書道、砲術、洋学、蘭学など勉学に励み、若年寄兼外国総奉行に抜擢される。
しかし慶応4年(1868年)1月3日戊辰戦争(薩長軍と幕府軍の戦い)が始まり、4日慶喜は朝敵となり敗走、8日に江戸城に戻る。江戸城では激論が飛び交う中、将軍慶喜に諌言し、1月17日、江戸城中で自ら腹を切って義に殉じた。享年33。墓所は港区赤坂の種徳寺で、霊廟は須坂興国寺臥竜山腹堂宇。
そしてこの日行ったのが奥田神社:藩祖堀直重と13代藩主堀直虎を祀る神社で、明治14年(1881)旧須坂藩の政庁であった須坂陣屋の跡地に創建された。藩祖が元、奥田だったそうで神社の名前になったようだ。(小さな藩なので城はなく陣屋であった)
又、財政難に喘いでいた藩を陰に陽に支援し、藩から篤く信頼された豪商・田中家の存在を知る。

・先ずは昼食  栗の入ったすしご飯のほか、なかなかに心のこもった豪華な昼食でした。

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・円光寺の太鼓堂 不等辺八角形の平面で、美的・芸術的に優れた楼閣建築です。江戸時代から明治にかけての建物。
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・桜の綺麗な普願寺 あいにく小雨模様でしたが
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田中本家博物館 江戸時代から戦後にかけて、北信濃屈指の豪商。田中姓を名乗り刀を差すことを許され、商人でありながら士分に取り立てられ、幕末期の厳しい時期に、須坂藩の財政の切り盛りをしていた。
地域のため貢献した田中家も1990年代から商売も傾きはじめ、2005年には一等地を売り、本家も博物館となり計20棟の建造物が2003年に国の登録有形文化財となった。
「近世の正倉院」と呼ばれ、約5万点の資料を交代で展示公開している。庭も天明の飢饉で困窮した庶民を救うため京都から庭師を呼んで作らせたという。春夏秋冬の庭がある。
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     南総里見八犬伝の羽子板    田中家の江戸料理
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       雛段                  かるた
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       食器                  漆器
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・寿泉院 
                    国定忠治地蔵
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      改易された福島正則がこの辺りに住んでいた。福島正則公遺跡碑
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奥田神社 ↑の直虎公が祀られる
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・旧上高井郡役所、大正6年の洋風建築 長野県に残る唯一の郡役所でバロック様式の影響を強く受ける。
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・塩屋醸造 元は塩問屋だったが1800年頃から味噌・醤油の醸造業に転向した。頂いた味噌汁が美味しかった。
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・蔵の町
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               屋台とお雛様
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臥竜公園 臥竜山(471m)の懐にある公園で竜ケ池やカピバラなどがいる動物園がある
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2018年1月25日 (木)

小江戸川越七福神めぐり

今年の七福神めぐりは1/11(木)に小江戸川越でした。昼食の関係で菓子屋横丁のあたりをかなりうろうろとしていましたが、朝は8時半から歩きはじめ、終わって川越駅に着いたのは午後4時は過ぎていました。
この日のため体力温存(オーバー)して勇んで出かけた七福神めぐりでしたが、翌日から普通の風邪を引き、これが安静を強いられ、まだぐずぐずと長引いているのですがこの冬はこれで打ち止めにしたいものです。

680x491やっと7福神の名を覚え、昨年インドの神・2神(弁財天、大黒天)、中国の神4神、日本の神・1神(恵比寿天)を覚えた所です。
そして今年唯一実在した人物と言われるのが布袋尊ということを忘れていて再確認しました。

地図の左下にあるように、川越の七福神にはどこも「水琴窟」があります。京都のお寺で初めて聞いたのですが、原理は甕の底に溜まった水面に水滴が落ちると、甕の空洞に反響する音色が琴に似ているから呼ばれるようになった。一番最初のお寺ではまだ水が凍っていて音色が聞けませんでした。
そして川越の七福神に秋の七草の名が付いているということです。

弁財天(妙昌寺)川越城築城の太田道灌が尊崇したと伝えられる。秋の七草「藤袴」
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    宿りせし人のかたみか藤袴 わすられがたき香に匂ひつつ 紀貫之

       クチナシの花がさぞやたくさん咲いて綺麗だったことでしょう450x253

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福禄寿神(蓮馨寺)秋の七草「尾花」
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           お寺に心に染みる言葉が書かれていました
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「良いご縁がありますように」とキンキラキンの五円玉に蛙が抱き着いていて、下の水たまりには5円玉などがたくさん投げ込まれていた。
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布袋尊(見立寺)秋の七草「葛」
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                 旅立ちの法然さまの像
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中央通りに出ると蔵造りの家並みがあちこちに見られる450x253_9
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時の鐘 江戸時代初期に建立。川越の大火の翌明治27年再建。「残したい日本の音風景百選」に選ばれている。高さ16m。まだ音色を聞いたことがないのです。
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     薬師神社 時の鐘の奥にある神社で、特に眼病に御利益がある。
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                    芽キャベツ
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大沢家住宅 重要文化財 数度の大火にも類焼を免れたという、関東地方の町家の蔵造り、商家の古い例として最も重要な建造物。寛政4年当時に復元されている。
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                   川越城本丸御殿
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恵比寿天(成田山)成田山新勝寺の別院。秋の七草「撫子」
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大黒天(喜多院)秋の七草「萩」
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毘沙門天(妙善寺)秋の七草「女郎花」
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川越さつまいも地蔵尊 「さつまいもを食べて元気になろう」と現代版の芋地蔵を建立(平成7年)。10月13日はサツマイモの日で「いも供養」がこの寺で行われる。
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                      水琴窟P1120459_300x450
                     ロウバイ
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寿老人(天然寺)秋の七草「桔梗」
                   
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            木造大日如来坐像(市内現存の最も古い像)
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2017年12月 9日 (土)

現代アートの街ビルバオとスペイン・バスク周遊9日間(最終回)

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<7日目> 11月15日(水) 旅行のタイトルの現代アートが目立ち、美術館もある街・ビルバオに一日滞在する。この地図のビルバオの位置が違っていて海岸べりなのです。

まず朝もやの立ち込める街をアルチャンダ山展望台にバスで上がって眺める450x338
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グッゲンハイム美術館が見える。ワイナリーのそばのあのマルケス・デ・リスカルを設計したフランク・ゲーリー設計の美術館。ここから眺めるとよく似ている。4_450x338
                   フニクラで2分で下山450x338_3
    バスク地方のポストは黄色い(スペインの他の地方は覚えていません)450x338_4
                   洒落たビルがある450x338_5

・グッゲンハイム美術館 外の作品とホールだけ撮影可能であった。日本でも現代美術はスルーしていて、中の作品は凄く感銘を受けたというほどではないけれど面白い。450x338_6
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1997年10月18日開館。建設費用1億ドルと作品購入費用5000万ドルはバスク自治州政府が負担。これらの代わりにグッケンハイム財団に美術館の運営、作品などの管理、財団が所有する作品の一部を回すことを提示した。この計画は成功し、政府が負担した投資額はわずか3年で回収できたそうだ。現代アートの街として大成功を収めたわけです。

外の作品
正面入り口のジェフ・ク-ンズ作「パピー」(1992年高さ12mの草花に覆われた子犬)。水は中で循環するようになっているとか。Photo
             巨大クモ「ママン」…六本木ヒルズにもあるPhoto_2
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中谷芙二子作「霧の彫刻」毎時霧が出る。丁度出ていたので出てない時の彫刻がわからない。(中谷宇吉郎の次女)450x338_8

・ビルバオ美術館
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1914年開館、2004年新館完成。約6000点作品所蔵。

旧館1階は主に宗教関係
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                   エル・グレコ「受胎告知」325x450
                  ムリーリョ「涙の聖ペテロ」338x450_2
                    スルバラン「聖母子」338x450_3
旧館2階はフランスやイタリアで美術を学んだバスク人芸術家による作品。勿論名前も作品も初めて。450x338_10
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新館2階は近代の芸術家など。ゴヤやピカソ、アルチンボルト、彫刻もあった。

昼食はサラダ(チキン、ベーコン、チーズにヨーグルトソース)、イベリコ豚グリル、コーヒープリン。

・午後は地下鉄で旧市街へ行き、教会など見学450x338_14
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       バル450x338_18
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<8日目> 11月16日(木)帰国 朝3時起きでビルバオからオランダ・アムステルダム・スキポール空港へ
アムステルダムでの待ち時間を利用して1時間のアムステルダム運河クルーズを楽しむ
2004年、5つ違いの夫と偶然同時に退職して初めて一緒に出掛けたオランダ・ベルギー。最初のアムステルダムで見学したアンネ・フランクの住んでいた家や、レンブラントの家を運河から眺めることが出来るとは思ってもみなかった。

アムステルダム中央駅(東京駅の姉妹駅) (日本では東京駅の丸の内側がきれいになった所。皇居まで道がまっすぐに伸びて東京の玄関にふさわしい)450x338_20
            運河クルーズから帰った時間をさしている450x338_21
運河クルーズ450x338_22
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<9日目>11月17日(金)の9:40に、前日14:30にKLMオランダ航空で出発した飛行機が成田に到着した。時差8時間。

秋、まだ緑がきれいなバスク地方、各都市では斬新なデザインの建物を多く見、歴史をチョット垣間見、食物も肉やサケ・マスだけのよその国と違って海鮮をたくさん楽しめました。
今回の添乗員さんも行き届いていて、随分お世話になり、美術や各名所のことをたくさん教えていただき、ここブログに記録することが出来ました。
バス移動で、総勢9人の気の良い人たちなので気疲れもゼロ、見学時間がそれほど多いわけでなく自由時間も多く(殆ど添乗員さんに付いて行って案内していただいたのだけれど)、ホテルも全部4つ星だったので快適に過ごせた思い出深い最後かそれに近い旅でした。(来年でパスポートも切れる)
長いこと読んでいただきありがとうございました。(完)

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2017年12月 6日 (水)

現代アートの街ビルバオとスペイン・バスク周遊9日間(5)

<6日目> 11月14(火) ビルバオへの途中・礼拝堂とゲルニカなど450x350
●サン・ファン・デ・ガステル・ガッチェ礼拝堂 最近のテレビで2回も見て是非行って礼拝堂の中を見てみたいと思っていたが、展望台で眺めるにとどまる。残念。450x338
ビルバオの北東約20㎞「スペインの最も美しい風景」と言われ、スペイン版万里の長城とも言われ、礼拝堂まで241段の階段が続いている。そして「世界のすごい階段7選」にも選ばれているのだそうだ。
サン・ファン(聖ファン)とは聖ヨハネ(洗礼者の方のヨハネ)のこと。ガステル=城(バスク語)ガッチェ=岩(バスク語)。礼拝堂が建ったのは9~10世紀。1886年に再建されたが、その後1978年に火事に遭い、2年後の1980年に再建されたのが現在の礼拝堂である。

               展望台に近づくと見えてきた礼拝堂 450x338_2
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          階段に2人見える 季節のせいか訪れる人が少ない 450x338_4
                 右の島が通称うさぎ島か450x338_5
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●ゲルニカ観光
ピカソの「ゲルニカ」…マドリッド、ソフィア王妃芸術センター所蔵

・レプリカの「ゲルニカ」450x338_11
バスク人の自由の象徴であった町が、1937年4月26日、スペイン内戦で右派フランコ将軍(反乱軍)を支援したドイツ軍(イタリア軍も)による空爆で罪のない一般市民1500人以上が亡くなり悲劇の町となった。世界で初めての一般市民に恐怖心を与える無差別爆撃であり、この延長線上に、第二次世界大戦のロンドン、ドレスデン、東京、重慶、そして広島、長崎への空爆があると言われる。
パリ万博の作品を制作していたピカソの耳に空爆のニュースが入ると5月1日からモチーフのスケッチに入り、6月4日頃「ゲルニカ」を完成させ7月12日に万博に出展。
フランコ将軍の死(1975年)後の1981年10月にニューヨークのMOMA美術館からスペインへ戻された。

・バスク議事堂と樫の木(オーク)
昔からバスクの人々は、樫の木の下で議会を行い、代々のビスカヤ伯は称号を受ける前に、木の下でバスクの法を守ることを誓ってきた。この誓いなしに領主として認められることはなく、19世紀まで続いた。町の議事堂として現在使われているが、バスク人の民主主義の象徴として大切な所。450x338_12
              4代目樫の木(3代目は病気で枯れる)338x450
              建物石に囲まれた2代目樫の木の幹2_338x450
                    議事堂の中と天井450x338_13
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                  樫の木のステンドグラス2_338x450_2
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・ サンタ・マリア教会338x450_5
・市庁舎広場のドン・テーリョ像(1366年町の創建者)338x450_6
・市場 毎週月曜日だけ開かれる。空爆でも残った。450x338_16
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昼食
ワイン、ミックスサラダ、牛カツレツ、チョコレートケーキ、珈琲紅茶 毎日のように昼間からワインを飲んでおりました。
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食後いよいよ最後のビルバオへ向かう

●ビスカヤ橋 2006年世界遺産
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19世紀末、鉄鋼と造船の重工業都市となったビルバオ。大型の船舶が航行できる橋の設計がエフッェルの弟子アルベルト・パラシオによりされた。
長さ164m、水面からの高さ45m。1893年の完成から内戦中に上部が壊され、通行不能となった4年間を除き、現在も使われ続ける世界最古の運搬橋。
橋を渡る。行きはエレベーターで上まで上がり、橋を歩き、帰りは車6台と300人が乗れるゴンドラでネルビオン川を往復した。ゴンドラは24時間運航で4セント、2分で到着。
                 
                      橋の上450x338_22
                     ゴンドラ450x338_23
                 橋の上からの景色450x338_24
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ビルバオでの夕食
ワイン、チキンケバヴサラダ、ソース2種のタラ料理、チョコクリームケーキ、珈琲紅茶
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(続く 次回で終わり)

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2017年12月 3日 (日)

現代アートの街ビルバオとスペイン・バスク周遊9日間(4)

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<5日目> 11月13(月) サン・セバスチャンと近郊

サン・セバスチャンはギブスコア県の県都。イベリア半島の付け根に位置し、フランスとの国境に近い。ビスケー湾に面し、さらに2つの山に狭まれたコンチャ湾に、弧を描くビーチがある。近年は、美食の町として世界中の注目を集めている。

・エドゥアルド・チリダ作「風の櫛XV」
サン・セバスチャン生まれ(1924~2002)の彫刻家の作品が海に面した遊歩道にある。
船の素材を用いて外側は錆びるが、内側は大丈夫。床に7つの穴、風や波により音が鳴るそうだが、わからなかったメッ ☆ヾ('・'*)  パリのユネスコビルに風の櫛Ⅳが1868年より設置されているという。450x338
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               この地層は約6億年前の褶曲地形450x338_4
・モンテ・イグルドの展望台から(コンチャ湾の西側の山からの眺め)450x338_5
               ズームでビーチや宮殿が見える450x338_6
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・旧市街へ向かう。 広場などは1813年のナポレオンとの戦いで焼失、1817年に再建され、昔行われていた闘牛の見学料で町を再建していった。
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                    ブレチャ市場450x338_10
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・美食の町の昼食はシーフードスープ(濃厚)、ヨーロッパヘダイ(タイ科)のソテー、チーズムース
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・近郊のアスペイティアのイグナチオ・デ・ロヨラの生家と聖堂見学

イグナチオ・デ・ロヨラは、イエズス会創始者の一人で初代総長。6人の同士の一人が同じバスク人のフランシスコ・ザビエルだ。2人は同じときに聖人に列せられた。ザビエルは中国へ上陸後、普及果たせず、すぐ帰らぬ人となった。
辺りの風景も素晴らしい。450x338_16
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生家の城館はロヨラの祖父の時代に築かれ、後に修道院として使われていた。今は博物館。450x338_18
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       博物館の中
                瀕死の運ばれるロヨラ像338x450
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        聖堂が隣接しているので見る450x338_26
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                   フランシスコ・ザビエルの像338x450_2
・夜はサン・セバスチャンのバルへ添乗員さんともう一人の方の4人で入る。
4人のピンチョス。私は発泡ワインを頼む。1軒で終わりにして帰る。
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                      (続く)

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2017年11月30日 (木)

現代アートの街ビルバオとスペイン・バスク周遊9日間(3)

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<4日目> 11月12日(日)

ビトリアを離れ、ナバラ州の牛追い祭で有名なパンプローナへ、そこからまたアラバ県のビトリア南のワイナリーのあるエルシエゴへ。そこから私の地図は間違えていて直しましたが、一挙ギプスコア県のサンセバスチャンへバスで進んだ。
朝の出発が遅いからいいけれども、スペインの難点は夕食が一番早くても20時過ぎで終わるのが22時頃ということです。

●パンプローナ ナバラ州の州都 人口は約20万人
ローマの将軍ポンペイウスがピレネーへの前哨基地として紀元前75年に町を築いたのが始まり。

         サラサーテ通り  この町出身の作曲家の名を付けた450x338
            市庁舎広場 牛追い祭の開会式が行われる450x338_2
7月6日正午2階バルコニーからのロケット発射が合図。翌7日から14日、毎日朝8時に850mの距離を10頭の牛とたくさんの人が闘牛場まで走る。450x338_3
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ヘミングウェイが泊まっていたホテルと、通っていたカフェ
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闘牛場 スペインではマドリッドに次いで2番目、世界では3番目(1番はメキシコシティ)に大きい闘牛場。現在は牛追い祭の時しか見られない。450x338_8
ヘミングウェイの碑 ヘミングウェイは1923年のスペイン旅行で、マドリッドの闘牛を観戦。翌年牛追い祭を見学。1925年からパンプローナの闘牛、牛追い祭等を素材にした『日はまた昇る』を書き始めた。450x338_9
・聖母マリア大聖堂 12世紀建立だが現在は15世紀ゴシック様式  450x338_10
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              ナバラ王国カルロス3世と皇妃の棺450x338_11
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お店の風景450x338_13
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               来年の牛追い祭りまでの日時450x338_14
           ここは巡礼の道の一つでもある。巡礼さんと印450x338_24
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・エルシエゴヘ(アラバ県)450x338_15
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●エルシエゴのワイナリーとホテル「マルケス・デ・リスカル」ミシュラン1つ星レストラン

・マルケス・デ・リスカル カナダ生まれの建築家フランク・ゲーリー設計 何とも形容しがたい複雑でどうなっているかわからない建築。面白い!  450x338_17
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               裏側(掲載されていた写真から)450x338_19
・ミシュラン1つ星レストランで昼食
ワイン、前菜、赤えびのカルパッチョ、アスパラガスとキャビア、ノルウェーロブスター、コロッケ、メルルーサ&豚肉&羊肉のメイン、羊のチーズとアイスクリームのデザート、食後のコーヒーなど
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・建物から周囲の見学 450x338_23
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・葡萄の葉4種
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      オリーブの木の上の猫 バスク地方で唯一見た猫は美形であった450x338_35
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・ワイナリー見学と試飲 建物は1860年。この地ではテンプラリーニョ種の赤ワイン製造でセラーには100万単位のワインが寝かされている。1862年製造ワインが14万3千本も置かれている所も見学。年間600万本の赤ワインを作り、65%は輸出。試飲ですが私にはボルドーより渋い味のするワインでありました。(白ワインは西300㎞の所で出来たもの)1_450x338
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サンセバスチャンへ到着後の夕食はホテルの自室で    (続く)

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2017年11月23日 (木)

現代アートの街ビルバオとスペイン・バスク周遊9日間(2)

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<3日目>11月11日(土)アルタミラ博物館と同じところにある、スペインで最も美しい村の一つへバスク州からすぐ西隣のサンティヤーナ・デル・マールへビトリアから往復。夜ビトリアの広場見学。

バスク州のアラバ県から西隣のアルタミラのあるカンタブリア州へ車を進めると美しいビスケー湾が見えてくる。
ビスケー湾はスペイン北部全部とフランス西部の下半分で囲まれた大きな湾である。

車窓より

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                                ススキの群生が多かった450x338_5

アルタミラ博物館 1985年アルタミラのみの世界遺産が2008年に旧石器時代の洞窟壁画が発見されたスペイン北部の洞窟も含めて17か所世界遺産になった。450x338_6
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1879年、アマチュア考古学者サウトゥラと娘マリア(8歳)が洞窟の中に約18500~12000年前・旧石器時代の壁画を発見した。「パパ牛よ、上を見て(アルタ=高い、ミラ=見る)」とマリアが叫んだのが洞窟名になったそうだ。
全長270mの洞窟のうち、入口から30mほど入った辺りの奥行18m、幅9m、高さ2mに描かれた天井画が最も有名。その部分をそっくり同じように再現したレプリカを見学して説明を受ける。
天井の凹凸を生かし立体的に描かれているのがフランスのラスコーと違う点である。木炭で黒く描き、鉄分を含んだ石を削ったり、土を水で溶き、手の平を使って色を塗ったそうだ。描かれているのは、バイソン、馬、牡鹿、謎のサイン、手形など。

アルタミラ博物館 この洞窟に住み絵を描いた人々の祖先はラスコーと同じくクロマニヨン人でバスク人の祖先という。レプリカでも撮影禁止なので絵葉書を買った。
生捕った動物の骨で針を作り、炉辺で女性が毛皮の衣服を一針ずつ縫っている姿が印象的だった。今の生活から想像もできないほど大変な生活だ。今の自分は贅沢我儘の極みである。450x304
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博物館から100m離れた本物の洞窟入口。何でも毎週金曜日に抽選で当たった5名のみに、最近本物を見せるようにしたと言う話をちらっと聞いた。338x450
フランスバスクの東側にあるラスコー洞窟は、夫が昨年行ったところによれば、ラスコー2は本物の洞窟のすぐそばに造ったので、本物の痛みが激しく閉鎖、ラスコー4が離れた所に造られ、そこを見学。ラスコー3は精巧に造られたレプリカで、国際巡回のために造られ、現在東京上野で公開中というわけだ。Arutamiramura_450x338_2
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サンティヤーナ・デル・マール スペインの最も美しい村の一つ。アルタミラのすぐそば。
起源は8世紀。聖女フリアナの聖遺物が運ばれ、修道院と教会が造られたのが始まりで、13世紀からアルフォンソ8世の直轄領になったことから、貴族の館が多く建てられ、貴族の紋章や石畳も美しい。(聖人、聖女の有名な人だけでも凄い数になり、勉強不足でなかなか頭に入っていない。あまり先がないにもかかわらず、勉強したい気持ちが募るがあせっても仕方ない)450x338_9
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                     エアープランツ338x450_2
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                      洗濯場450x338_15

昼食はホテル業も営むレストランンで手厚いおもてなしを受け感激。ここの御主人がまるで日本人みたいな気質で食べきれない御馳走を奨めて奨めて!野菜のスープ、イワシの揚げ物。写真撮り忘れだけどイカのリングフライがたくさんと、絶品の自家製プリンでした。450x338_16
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ビトリアへの帰り道には工場も見えた(欧州ではバス沿道には殆ど煙を吐いた工場群は今まで見当たらなかった)450x338_18

●ホテルに帰った後徒歩で昨日見られなかった町の中心広場へ出かける
  
                   路面電車450x338_22
          スペイン広場では市庁舎がライトアップされていた450x338_19
隣接するビルヘン・ブランカ広場は17世紀に造られ、昔は市場が開かれていた。450x338_20
バルの中。
この日は日本から持ってきたうどんや缶詰などで食事。バルめぐりをした人たちは4軒巡り11時頃ホテルへ帰還したそうだ。元気ですね。最長老は一人参加の男性で180回で次回はもうすぐ41回目のインドだそうだ。ワインの他、ウォッカなどをあおっている大酒豪だ。うらやめ(ま)しい。
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                      (続く)

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