2018年9月20日 (木)

東欧5ヶ国ドナウ川クルーズ(最終回)

<10日目> 8/28(火)晴、13~28度 オシエク(クロアチア)

船は夜半にクロアチアに入り、早朝ヴコヴァルに到着し、ドナウ川の支流ドラヴァ川岸のオシエクにバスで向かう。
クロアチアはお臍から下の両足を模したような面白い形の国であるが、アドリア海に面したザダル、シベニク、スプリット、ドブロブニクのあるダルマティア地方と北にある首都ザグレブが有名ですが、今回は向かって右側(スラヴォニア地方)の短足の足底の中心のオシエク見学です。

歴史的には1526年にオスマン帝国軍に破壊、略奪された。1687年、今度はハプスブルク帝国領下に。バロック様式の建築物が立ち並び、ウィーンやブダペストの影響を受けて文化が花開く。1991年から1995年のクロアチア独立戦争ではここでもたくさんの命が奪われた。宗教はローマカトリックが86.3%

                                     クロアチア・ヴコヴァルで 
182_450x338
オシエクは全て要塞になっていて、オスマントルコを防衛するために五稜郭のように設計された。模型。しかし破壊されてしまったので今は一部の城壁のみ残る。
183_450x300
183_450x300_2
183_450x300_3
                                          内戦による壁の弾痕
185_450x300
クロアチアの猫(岩合さんの世界猫歩きで隣国のボスニア・ヘルツェゴビナの猫を紹介していたので見入ってしまった)
1861_450x367 1862_450x309

     フランシスコ修道院(17世紀)ハンガリーから流れてきたマリア様を祀っている1871_450x300
1872_450x300
187_450x300
1874_300x450
                  中央広場の三位一体像(1792年建造、ペスト終焉記念像)
188_450x300
189_450x300
真ん中の町から上の町へ
1892_450x300
1901_450x300
190_450x300
聖ペテロ・パウロ教会 1892年着工、1900年完成のレンガ造りネオゴシック様式。
191_300x450
1912_300x450
191_450x300
19144_450x300
                                              街の風景
192_450x300
1922_450x300
192_450x300_2
192_450x300_3
1925_450x300
昼食は船内で。サーモンサラダ、ポークロイン、チーズ、パイナップル
19328_450x300 193_450x300

1933_450x321 1934_450x300

午後はシェスタ。16:30ハンガリーのモハーチ到着。シェンゲンエリアに入る入国審査が行われた。

船内最後の夕食 ハンガリーに入ったのでハンガリーの国旗が飾られ、給仕をしてくださる方もハンガリーの民族衣装。ダイニングルームの模様替えや衣装替え、そして誕生日の祝いをされた人が今まで数回あった。ピックサラミ、ハンガリーグヤーシュ、クレープ。
194128_300x450
194_450x300
194_450x300_2 1944_450x300


1945_450x300

船には8日間(3日目夕方から11日目朝まで)で朝食8回昼食5回夕食8回も御馳走になり、お世話になりました。添乗員さんも船内放送を日本語に通訳して大活躍でした。

<11・12日目> 8/29・30(水・木)晴、29度 ブダペスト(ハンガリー)~日本へ

                                     5:55 月が川面に映っていた 
195_300x450
川の水が少ないためにブダペストに着けず、途中のハンガリーのカロチャに早朝に到着。7:30に船とお別れ。ありがとう、ヴィヴァルディ号。
196_450x300
バスで首都ブダペストに向かうが朝のラッシュで交通渋滞で大混雑。11時頃本来着くべきブダペストの船着き場に到着後、主な所のみ、バスで市内観光。この街には縁があって3回目。ずっと人が少なくて静かな街を巡っていたので何と観光客の多いことと、久しぶりに大都会に入ったという感じだった。
ハンガリーも歴史的にはいろいろあるが、1000年にハンガリーの英雄イシュトバーン1世によって建国された王国が1918年まで続いたということだ。文化、音楽、芸術などは割愛して、人口と宗教だけを。人口は約1000万人。宗教はカトリックが約68%、プロテスタント約25%。

・ブダ側
                                                  王宮
197_450x300
漁夫の砦(1896年建造の白い石像のとんがり屋根を7つ持ち漁業組合が守っていた)と教会
198_450x300
                                                漁夫の砦
201_450x300
                                漁夫の砦よりドナウ川とペスト側
198_450x300_2
1982_450x300
                                   国会議事堂(夜がきれい)
199_450x300
チャーマーシュ教会 1255年のゴシック様式建築で歴代王の戴冠式が行われた。屋根はジョルナイ陶器で出来ている。塔の高さは88m。黒いマリア様を見る。
2001_450x300
2022_450x300
2003_450x300

・ペスト側
聖イシュトバーン大聖堂 1851年から約50年かけて完成。ドームの高さは96m。第1代の王の名前が付いた教会。
202_450x300
良く見えなかったがイシュトバーンの聖なる右手や主祭壇のイシュトバーン像などを見る。
2022_450x300_2
202_450x300_2
202_300x450
2025_300x450
昼食のレストランで生演奏を聴きながら グヤーシュスープ、チキンパプリカ、クレープ
203_450x300
ブダペスト空港17:30発でカタールを経て12日目の30日18:30に成田に到着した。
204_450x300

船に乗ってからは一日中観光したのは2日間だけ。あとは殆ど半日観光で、残りはシェスタということでゆったりとした旅行でした。美しき青きドナウ、飛び交う鳥、緑豊かな平野、静かな古都、そこに残る弾痕。まだまだ旅行にも行けない貧しい人々がいるというが、それを感じさせないきれいな町や村の佇まい。ことに内戦などで傷ついたバルカン諸国、今回はセルビアとクロアチアの一部しか見られなかったけれど、住んでいる周りの景観を決して乱さない徹底ぶりは全ヨーロッパに共通の事といえましょう。何事もないように見える欧州も今年は暑かったとのこと、また雨が少なく川の水が少なく大きな船が就航できないということがあるとは考えもしませんでした。日本は地震と台風、ゲリラ豪雨と災害にずっと見舞われっぱなし。大変な人が多い中、こうして遊んで申し訳ないとも思ったことでした。

ぼーっと見ていただけの旅行記を、長いこと読んでいただきありがとうございました。

| | コメント (16) | トラックバック (0)

2018年9月17日 (月)

東欧5ヶ国ドナウ川クルーズ(5)


550x312


<8日目> 8/26(日)晴、16~25度 終日航海日

左舷からブルガリアからセルビアの国境が見え、ドナウ川はセルビアと右舷ルーマニアの国境を行き鉄門峡(アイアン・ゲート)を通る。アイアンゲートはドナウ川最大の景勝地で川幅が100~150mまで狭まり、水深は50mまで深まり、ドナウ一の渓谷美が約130㎞続く。そして1994~2004年にかけて熱狂的な登山家グループによって彫られたダキア王のデケパルス(在位87~106)の彫刻があるのでしたが・・・・・

                                   7:50分頃 立派な橋をくぐる。
15126_450x300
11:15分頃 左舷にブルガリアとセルビアの国境が見えた。国境には川が流れているとのこと。
152_450x300
   昼食 パテのパイ包み、サーモンステーキとロブスターパスタ、ティラミス
15326_450x300 154_450x300


155_450x300

            13:30鉄門の第2閘門手前の橋が見えてきた
156_450x300
         閘門の横。 船の後部から閘門が閉まるのを見忘れた。
157_450x300
閘門の前側 船を固定し、閘門が開けられ水がドンドン入ってくる。水位が同じ高さになったら船を進める。
158_450x300
159_450x300
160_450x300
            18:47頃、第一閘門に入る。ここは2段上がる。
1612_450x300
             19:00頃、振り返ると閘門入口が閉まる。
162_450x300
                  19:30 第2段目が見える
163_450x300
鉄門に入ったのは21:30頃になってしまっていた。第2閘門に入ってから3時間も経っていて、もう真っ暗。船からライトアップしたが鉄門峡もダキア像王も見られなかったのがとても残念なことでした。
20:30にガラ・ディナーが始まる。 フォグラ、子牛肉、チーズ、ベイクドアラスカ(デザートのみ、鉄門を見終わってからとなる)
164_25_450x300 165_450x300

166_450x300 166_2_450x300

21:30頃、ディナーの途中から甲板に出てまずトラヤヌス記念碑(セルビア側)を見る。AD100年頃ローマ帝国の軍団道路が通った記念碑。
167_450x300
五賢帝の一人トラヤヌス帝(在位98~117)は101年と106年にダキア戦争を起し勝利。それからダキアはローマの属国になり、ローマ人を植民した(ダキアに金があったから)。ローマ人の言語たるラテン語がこの地の言語になり、混血してルーマニア人の祖先になった。ルーマニアの由来はローマ。
元々トラキア人の一派ダキア人がBC1000年頃ドナウ川の北側に独立国家を建設した。南側のブルガリアに住んだのがトラキア人であった。

ダキア王・デケバルスこそダキア戦争でトラヤヌスに敗れて最後は殺されてしまった王だ。高さ40mあるそうで白昼見たら圧倒されたでしょう。絵葉書を買って見たらこんな様子です。ヨーロッパ最大の大きさ。
450x313
          5分後マラコア教会(ルーマニア側)が浮かび上がった
168_450x301

<9日目> 8/27(月)曇 15~25度 ベオグラード(首都)、ノヴィ・サド(ドナウ川沿いの第2の都市)(セルビア)

セルビアは旧ユーゴスラビア連合のチトーが亡くなって後、いろいろ紛争を経て、2006年モンテネグロ独立により、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6共和国が誕生し、ユーゴスラビア連邦は完全に解体した。なお、アルバニアは独自の道を歩む国で同じバルカン半島にありながら別である。コソボは100ヶ国に承認されている。

           今日は珍しく曇の予想。川霧がたちこめていた。
169_450x300
169_450x300_2
10時にベオグラードに到着した(丸2日間船内で過ごしたが不思議、退屈はしなかった)。11時から昼食。ガーデンサラダ、フィレミニオン(写真撮り忘れ果してどんなお料理だったか?)、メレンゲのお菓子
17027_450x300 170_450x300

●ベオグラード観光 セルビアは、今回訪れた5ヶ国では初めての国で、2つの都市を観光するだけだけど、楽しみにしていました。
・カメラグダン公園と城壁
171_450x300
172_450x300 173_450x300

ベオグラードでサヴァ川がドナウ川に合流している。手前がサヴァ川、向こうがドナウ川
174_450x300
                      サヴァ川
175_450x300
176_450x300
・聖サヴァ聖堂(セルビア正教会)1935年から建設始まるが寄付で建設のため未完成。世界最大級。但し主教座聖堂でなく聖ミハエル大聖堂が主教座である。
外側はギリシャ大理石、内部はカララ大理石、地下には24金の金箔が使われている。
177_450x340
177_450x300
177_450x300_2
・隣のチトーが建てた小さなセルビア教会の中
1774_450x300
17751_450x300
・クルセドの僧院 郊外ヴォイヴォヴィナ地方・フルシュカゴラに16世紀にオスマントルコから逃げてきたコソボのキリスト教徒たちが40以上の修道院を造る。現在16のみ。
1781_450x300_2
178_450x300
・ドナウ沿いのホテルで発泡酒とデザートでリフレッシュメント
179_450x300

●ノヴィ・サド観光 セルビア北部ヴォイブォヴィナ地方の中心地で、セルビア第2の都市。ドナウ川の寄港地。
日も暮れ、夜の街を観光。
                     カフェ通り
180_450x300
                  図書館とセルビア教会
1802_450x300
可愛い男の子が握手して、なかなか手を離してくれなかった。嬉しいおばあさんであった。
180_450x300_2
                     大司祭宮殿
1804_450x300
                    カトリック教会
1805_300x450
                        市庁舎
1806_450x300
               フランツ・ヨーゼフが宿泊したホテル
1807_450x300

ノヴィ・サドの船着場より帰船。夕食、キルシュ、鴨胸肉、ピーチメルバ。船の食事のデザートは日本もののようにあまり甘くなかったのがありがたい。
18127_450x300 181_450x300

1813_450x300

| | コメント (16) | トラックバック (0)

2018年9月13日 (木)

東欧5ヶ国ドナウ川クルーズ(4)

<6日目> 8/24(金)晴 15~30度 ヴェリコ・タルノヴォとアルバナシ村(ブルガリア)

昨日乗船したルセのかなり手前から、ドナウ川は右手にルーマニア、左手にブルガリアの境界を流れている。昨日バスで国境を渡るときにパスポートコントロールがあってかなり時間がかかった。この後、セルビア、クロアチアはなし。ハンガリーのモハーチでは船中でパスポートコントロールを受ける。

ブルガリアは以前はバラ祭りの季節に行き、岩窟教会やカザンラクでは香水の香りを楽しみ、ヴェリコ・タルノヴォや首都ソフィア、リラの僧院を訪問した。
BC2000年にはトラキア人が住んでいたがローマ帝国に併合され、6世紀にはスラブ人が定住完了。2世紀にアジアから来た先住ブルガール人と融合してブルガリア人(80%)となり、トルコ人(9.7%)の構成になっている。
歴史的には1393年から約500年もオスマンの支配下にあったが、1879年第3次ブルガリア王国建国。1909年独立するもソ連の支配下にあり、1990年に共和国として民主化が進む。
宗教はブルガリア正教86.6%、イスラム教4.6%だ。人口約732万人.
地理的にはドナウ川からバルカン山脈までは平原地帯で農業(大麦、小麦、ひまわり、とうもろこしなど)が盛ん。中央にバルカン山脈があり、首都ソフィアは山の反対側にある。

・ヴェリコ・タルノヴォ
ヴェリコ・タルノヴォは1187年にビザンチン帝国を打ち破って建国された第2ブルガリア王国の首都であったところ。

                                              途中の景色
100_450x300
夫が2012年に行ったときはこの町の近辺出身の琴欧州が活躍していた時で、ツアーで琴欧州の実家を訪ね、お父さんの大きな手と握手をしてきたと言っていた。
この旅では3回あったのですが、バスを下りたらホテルにリフレシュメントと称してお茶やワインとお菓子の出る時間がセットされていたのに驚く。

                                           旧市街に到着
101_450x300
まず王宮の丘へ。王城はオスマントルコにすべて破壊され城壁だけが残っているが、教会が再建されてアート博物館となっている。
103_450x300
104_450x300
105_3450x300
106_450x300
                                          教会と教会の中
107_450x300
108_300x450
旧市街に戻り職人街へ。この町は昔から手工芸技術が発展していて、今も受け継がれている。陶器、皮革、銀細工、木彫、イコンなどの制作工房が軒を連ねている。
109_450x300
110_450x300
1113450x300
112_300x450

・アルバナシ村
オスマントルコ時代の迫害を逃れ、税金を納めないですんで、多くの商人が商売・貿易で儲けて豊かだった村。
121_450x300
まず昼食:サラダ、チキンの煮込み、バクラバ。ここでボリャルカビール(1892年創業のブルガリアでは古いビール)を飲む。暑かったので美味しくいただく。
バクラバ(パイ生地のような中にナッツ類を挟んで焼いた中央アジアから地中海までにあるペイストリー)とビール
114_450x300 113_202x450

[コンスタンツァリエフ] オスマン時代の商人の館 トルコ風で、トイレについてはどう使ったのか?子供がさらわれないようにということで全員一緒に寝ていたそうだ。
115_450x300
116_450x300
117_300x450
                   トイレ、使い方が難しい118_450x300
                     産後の部屋119_450x300

[キリスト生誕教会] 普通の家のような教会で入口以外は撮影禁止。16~17世紀のフレスコ画が壁面いっぱいに描かれる。男性と女性の礼拝部屋が別々で部屋がいくつか別れ、天井も低く今まで見たことのない教会だった。
120_450x300
120_300x450 120_450x300_2

夕食 パルマハムのパスタ、鹿肉のステーキ、メレンゲカスタード
鹿肉は軟らかくって美味しい。その時19:46に夕日が沈みかけたのが席から見えた。
12124_450x300 122_450x300

123_450x300 124_450x300

           食後のブルガリアフォルクローレショーのダンサー
125_450x300

<7日目>8/25(土)晴 17~33度 ルセとバサルヴォヴォ岩窟修道院(ブルガリア)

・まだルセに停泊しています。ルセはドナウ川大河港都市でブルガリアでは5番目に大きな町で食品加工、衣料品、化学工場が集中。ルーマニアのジョルジュとはドナウをまたぐ「友情の橋」(1954)で結ばれ鉄道と道路が通じている。

                  お墓詣り?教会へ?126_450x300
三位一体教会(ルセの大聖堂、ブルガリア正教会)12世紀に建てられたが、1632年に立て直された。
127_450x300_2
129_450x300
130_450x300
           ブルガリアの猫 ルーマニアの猫に劣らず可愛い
128_450x300
ステイトオペラ劇場 州立なのでとても安く観劇できるとか。日本の地方歌舞伎とも違うし、日本では高価でオペラやコンサート、観劇、歌舞伎などなかなか敷居が高い。
131_450x300
                     自由広場
132_450x300_4 133_450x300_2

                      ルセ劇場
134_450x300

・バサルヴォヴォ岩窟修道院 11世紀からあった聖デミトリウスに捧げられた修道院。
135_450x300
136_450x300
137_450x300
再びルセへ
138_450x300
            このお店でワインとパイのリフレッシュタイム
140_450x300 141_450x300

       正午に部屋に戻る。部屋が左舷なのでルセの町が見えた。
142_450x279_2
昼食 アルザス風シュークルート、チーズ、レモンパイ。
14325_450x300_2 144_450x300

145_450x300

                   午後はシェスタ
146_450x300_2
1462_450x300
夕食 トマトとモツァレラサラダ、ローストチキンとクロケッタ、スペキュラース。
14725_450x300 148_450x300

149_450x300

                夜はクルーによるショーを楽しむ
150_450x300

| | コメント (16) | トラックバック (0)

2018年9月 5日 (水)

東欧5ヶ国ドナウ川クルーズ(2)

<3日目> 8/21(火)コンスタンツァ市内観光とワイン畑見学・ワインセラー試飲。夕方ヴィヴァルディ号に乗船。

黒海に望むルーマニアの主要港・コンスタンツァは人口約28万人、ドブロジャ地方の中心地。紀元前7世紀にギリシャ人の植民地として建設された。
街は4世紀ローマ皇帝コンスタンチヌス1世によって大幅に改造されコンスタンツァと改称されたと言われる。
バスで旧市街まで行き徒歩観光する。

                大きなバロック様式の石棺にも見える建物がカジノである
20_450x300
カルロス1世モスク ルーマニア国王がトルコ人のために建てたモスク。ドブロジャ地方のイスラム教徒はトルコ人が多い。
211_300x450

2212_300x450
231_450x300
1909年建造で高さ40m、140段の階段の上からの景色。黒海も見え、街も建物でびっしり。
24_450x300
25_450x300
26_450x300
27_450x300
             考古学博物館 ローマ時代の城壁やモザイク画が残っている
28_450x300
                                              博物館の中
29_450x300
                                             ルーマニアの猫
31_450x300
                                                通りの様子
31_450x300_2
聖ペテロパウロ教会(コンスタンツァ大聖堂)現在の教会は19世紀のもの。教会内はフレスコ画でいっぱい。
32_450x300
33_450x300_2
34_3_450x300
昼食は、田舎風スープ、ルーマニア風ミートローフ、チョコレートケーキ

午後バスでムルファトラール葡萄畑に到着。200haあるそうだ。

35_450x300
3522_450x300
                  現在収穫中のシャルドネ
36_450x300
                カベルネソービニヨン(10月に収穫)
37_450x300_2
                   食べる葡萄ビクトリア
38_450x300
コジャマ村のワインセラーにお邪魔し4種類のワインと大きなスチールに入ったのを試飲させていただく。村のお母さんたちが作ったチーズと長ネギのパイもいただく。
39_450x300
国の三分の一ずつが平野、丘陵、山岳だそうで、ブカレストから黒海までは平野が多く、収穫が終わった麦やとうもろこし、枯れてしまったひまわり畑が続く中に、風車がずっと続いている。電力が不足してかなり風力にたよっているとのこと。
40_450x300
41_450x300
また驚いたことに中国人がこれらの畑を買い占めているのだそうだ。日本でも北海道がそのようだと言いう話を聞いたことがあるし、対馬が韓国人にという話も聞いている。
まさか東欧にまでとは。

                      貨車が通る
42_450x300

ヴィヴァルディ号に乗船 
フランス籍、長さ110m、幅11.4m、1985t、時速max25㎞、喫水1.6m。日本人19人、欧米人135人。
43_450x300
                      ラウンジ
44_450x300
442_450x300
マイルーム・キャビン(ミドルデッキ)。ローワーデッキはとても安いけど景色は水面すれすれとか。アッパーデッキは1万円高いけどとても暑く、屋上のデッキの音が響くとかで2階でよかった。ラウンジも食堂も玄関も近いし。
45_450x300
                      船員紹介
46_450x300
              ドナウ川 20時は日が沈んだ後
47_450x300
この日からの船内食は昼がある場合も夜もフランス料理。ビンテージ以外はビール、ワインその他清涼飲料水、水は全部タダ。ワインを数本あける人もいた。部屋で飲む水や外に出るときの水は何時でもボトルごと頂ける。またラウンジでくつろぐときのお酒も何杯でも頂ける。
一人の奥さんだけ全く飲めず、次にグラスワイン1杯しか飲めない夫、その次がグラスワイン2杯までの私(以前ミュンヘンでビール500ml飲んでいい気持ちになってしまったことを思い出した)。他の方の飲みっぷりにこういう飲み物に一切お金を払わない方式の船は最高。
又毎日のようにあるアトラクションで楽しめるようになっている。本日は民族ダンスショー。殆どのアトラクションに参加せず部屋でぐだぐだしていた。

夕食:パテ、チキンとパスタ
48_821_450x300 49_821_450x300

チェリーパイ 4枚目は醤油(日本人のテーブルに何時も置かれている)。又朝食では日本人テーブルにだけトマトやキュウリが置かれていた。おかゆもあったのである日美味しくいただいた。
50_821_450x300 51821_300x450





| | コメント (18) | トラックバック (0)

2018年9月 2日 (日)

東欧5ヶ国ドナウ川クルーズ(1)

550x312_3
8月19日から30日まで黒海ドナウデルタからブタペスト付近までフランス船「MS.ブィヴァルディ号」で遡って行きました。
今年はヨーロッパの水源地なども雨が少なくて、通行のできない船も多く、デルタ地帯に行かれなかったのと最後のブタペストに辿りつけなくて手前で下船となったしまったのが残念でした。

ドイツの黒い森に端を発し、一方はライン川へ、もう一方は10か国2850㎞を通って黒海に注ぐ大河ドナウ。ドイツ、オーストリア、ハンガリー、スロバキア、クロアチア、セルビア、ブルガリア、ルーマニア、モルドバ、ウクライナ。そのうちルーマニアからハンガリーまで旅する。
ドナウ川沿いの国々は、古代ローマ帝国、ビザンチン、オスマントルコの侵略を次々と受けた。そしてまだくすぶるコソボ紛争が影を落としている。

宗教的には1054年に西方教会(カトリック、後にプロテスタントもできる)と東方正教会に分かれた。ロシア正教会、ギリシャ正教会、ルーマニア正教会など15~18の自立教会からなっている。バルカン、中東、ロシアなどにある。というわけで今回は東方正教会の内部を多く見学できた。

<1日目> 8/19(日)18名参加(7組の夫婦と両親と娘一組、女性の一人参加一人)で、成田22:00発、6時間時差(夏時間なし)のあるカタールのドーハに2:42に到着。11時間近く乗っていた。

<2日目> 8/20(月) カタール・ドーハ~ルーマニア・コンスタンツァ
ドーハで4時間余りのトランジット
ドーハ空港のシンボル、ランプベアー。広くきれいで真夜中に店は開いているし、掃除をして働いている人の数も半端でなく、きれいで昼間のようでシンガポール空港より凄いかもしれない。

450x300
300x450
             カタール航空のマークはオリックスだそうだ
4_450x300
6:50ドーハから、同じく時差6時間(夏時間)のルーマニア・ブカレストに11:55に到着で5時間近くかかった。
                 カタールの上空から
450x300_2
450x300_4
飛行ルート8_450x300
9_450x300
アラビア海を通り、イラン、トルコ、黒海上空を飛んで行くとドナウ川の蛇行が見えた。
450x300_5
                 空から黒海の沿岸が見えた
10_450x300

ブカレストをバスからの観光はしたけどももう1回クルーズで来るので省略。旧市街の大変混み合っている1878年創業の老舗ビアホールにて昼食するも、フォアグラ状態でほとんど食べられず。(ルーマニア料理の野菜のペースト、ロールキャベツとポレンタ、チョコレートケーキ)
「バイオリン奏者が滝廉太郎「花」と「桜」を私たちのために奏でてくれたのが身に沁みた。
11_300x450
夜は黒海のルーマニアのリゾート地「コンスタンツァ」に宿泊。野菜スープとポークステーキ・温野菜、メンバーのお誕生日ケーキ。東欧や中欧やロシア方面は美味しいスープが出るので嬉しい。

<3日目>の朝の散歩、8時半頃
黒海を見るためにホテルの近くの海に散歩に出かけた。
咲いている雑草はこの3種と、そして小さな花の4,5種類、これだけがずっとドナウを遡っていった先まであったのみで花の種類の少なさに驚いた。樹は、木槿、柳、菩提樹、トチノキ、ニセアカシアの他たくさんの種類が見られた。
161_450x300 162_450x316

171_450x300 17_450x306

18_450x300_2

まだ8時半というのに人々が海辺で楽しんでいます。缶や瓶に入った黒どろを塗って肌をすべすべにするとか。
14_450x300
15_450x300
とても費用の高い避暑地で地元の人は別の安い所にいくとか。
黒海は特に黒いというわけではないが、明るい青ともいえない海の色。名前の由来には諸説あるが、昔から暴風を伴う嵐が頻発し恐れられていたことから付けられた。また水の入れ替わりが少ないので、深いところでは慢性的に酸素不足になり、生物が棲めない硫化水素の層があり、そこは鉄分と反応して黒くなっている、とも言われている。
12_450x300
13_450x300

| | コメント (26) | トラックバック (0)

2018年5月29日 (火)

三陸応援企画の「絆」で結ぶ三陸海岸絶景の旅(後編)

<2日目>午後から

宮古市の浄土ヶ浜 
221_450x215
222_450x295
223_450x300

宮沢賢治の歌碑「うるはしの 海のビロード昆布らは 寂光のはまに敷かれひかりぬ」1917年(大正6年)7月賢治21歳
23_450x300
40分間乗った浄土ヶ浜周遊の遊覧船から
242_450x300
2433_450x300
244_450x300
245_450x300
246_450x300
2477_450x300
2488_450x300

宮古市田老で語り部から当時の様子などを、残された津波遺構の「たろう観光ホテル」で聞く。このホテルの社長が襲ってくる津波を6階から撮影しながら、ここから人々に早く逃げるように叫んでいたという。そのビデオを見せていただく。ホテルは2階までは鉄骨だけになっている。田老はマグネチュード9.0、最大波高16m、死者行方不明者181人(うち行方不明41人)、罹災戸数1691戸、漁船流出855隻。
25_450x300
                  昭和の防潮堤
2610m_450x300
田老の三王岩
27_450x300

27_450x300_2
           2日目の夕食 このホテルはバイキングでした
282_450x281
                     3日目の朝食
29_3_450x257

<3日目>晴

三陸鉄道・南リアス線の吉浜駅から恋し浜駅まで乗る
                 吉浜駅と途中の景色
301_450x300
302_450x300
303_450x300
304_450x300
             恋し浜駅の自販機とポストはピンク
311_300x450 312_300x450


大船渡市末崎半島の東南端6㎞を碁石海岸という。(天然記念物指定)三陸ジオパークのジオサイトとなっている。
穴通磯(あなとおしいそ)は3つの洞門を持つ奇岩で小型観光船で穴をくぐることが出来るそうだ
32_450x300
左の雷岩と乱曝谷 雷にも似た音がするので「残したい日本の音風景百選」に選ばれている
322_450x300
323_450x300
          中央左が女島・男島、右下が海馬島(とどしま)
324_450x300

陸前高田市の奇跡の一本松
350年以上の松、7万本もあった松のうちたった1本だけ残ったが、それもついに枯死し、幹の部分を貼り付けて残し、葉はレプリカで1億円以上かかったそうだ。
何故これだけが残ったかは28mもあって上の方の枝があり引っかかって流されなかったことと、写真でも見える後ろの建物があったお蔭だそうだ。こうした形で残すことにいろいろな意見もあったようですが、残ったたった7万分の1本の奇跡の象徴として多くの人々の記憶の中に刻み込まれることでしょう。また残った松ぼっくりから新しい苗も育っているそうです。
331_300x450
332_450x300
                    残った松の根
34_450x300
この山を削り取ってかさ上げした
35_450x300
今回はたくさん買った土産であるが、面白いネーミングのお菓子は我が家用。「ぶすのこぶ」、やはり餡菓子です。すぐ口に入ってしまって、包み紙も見ないでなくなり、どこで買った銘菓かわからなくなってしまった ( ̄▽ ̄;)!!ガーン
450x300

| | コメント (24) | トラックバック (1)

2018年5月27日 (日)

三陸応援企画の「絆」で結ぶ三陸海岸絶景の旅(前編)

初めて三陸海岸(岩手県のみ)に2泊3日でツアーで,久慈から陸前高田、大船渡まで行ってきました。リアス式海岸の絶景と震災から7年の傷跡と復興状態の説明を受けながら見てきました。当時の惨状は殆ど消えていて、海岸線は巨大な防波堤が続き、今まだ造り続けけられています。山を削って土地のかさ上げが終わった所へ移転し、もう仮設住宅には殆ど住んでいないそうです。
義捐金を赤十字を通じて出しただけで、現地へのボランティアにも行かず、どちらかというと福島のプラス原発事故の方に心が向いていました。
こうした企画の旅行に4年前に参加した人が協力したとして自分の名前が刻まれていると写真に撮っていました。
兎に角原発だけでなく、津波の恐ろしさを目のあたりに見せてくれた東日本大震災と同じような地震が東京にも近いうちに来るというし、南海トラフ地震も、そして富士山大爆発の事も伝えられて、日本の人口の多くが密集していることを考えても災害の大きさは計り知れない。人口が多すぎて助けてもらえない可能性が大です。
いろいろな戦争を体験した人たちはもう多くが亡くなったか、体が弱ったりで、その知恵さえも聞くことが出来ません。対処すべき手段も乏しく、今の準備では数日も持ちこたえられない。結構、この点に関してだけ能天気で自分が生きている間は起らないのではと高を括っているところがあります。いろいろ考えさせられ反省させられもしました。
東北太平洋側沿岸の人々はよく頑張った。福島の人は帰還解除になっても町や村が死んでしまって、お気の毒という言葉しか出ません。
行っているときに市場の中のホタテコーナーは貝毒発生で発売中止。ホタテの養殖がせっかく軌道に乗ったのにまたまた生活の手段を奪われて。

<1日目>快晴

             盛岡駅に着くと岩手山が出迎えてくれる

1_450x300
             琥珀で有名な久慈に向かっている
450x300
               久慈の秋祭りの山車は素晴らしい
450x249
32_450x300

3つの店で買い物をし、あまちゃんハウスを見学し、この日の観光が始まったのは、久慈駅から普代駅まで三陸鉄道北アリス線に乗り込んだ午後3時過ぎです。
4_450x410
車内では海女ガイドの案内で色々な説明受けつつ40分があっという間に過ぎました。
300x450
                     車窓からの景色
450x300_2
450x300_3
72_450x300_2
             漁港(サッパ船でしょうか)も復活しています
8_450x300

景勝地の北山崎
10_450x300

一番遠くに薄く見えるのが、本州最東端の魹ヶ崎(とどがさき)。やませが来はじめたようだ。9_450x300
113_450x300
12_450x300

                 番屋が新しくなっていた
131_450x300
番屋の上の方の津波到達点 いろいろな所で聞くと津波の高さは10数mから30数mと幅があったのです。あの恐ろしい津波の映像が何時も目に浮かびますが、こんなところまで水が襲ってくるのを、実際に立ってみると身震いします。
132_450x300
                       海岸
14_450x300
                       夕食
151_450x300
152_450x300 1533_450x300

1544_450x300 1555_450x300_2

朝食 夕食もそうですがいつもの倍くらい食べているような感じです
16_450x300

<2日目>快晴

宿のすぐそばの龍泉洞へ 気温15℃、洞内気温10℃ 日本三大鍾乳洞のひとつというが、つい秋芳洞と比較して感動が少なかった。
                      地底湖
17_450x300
22
19_450x300
                     地蔵岩
20_450x300
                  龍泉洞入り口付近
21_450x300
                       昼食
23_450x300

| | コメント (16) | トラックバック (0)

2018年4月13日 (金)

信州の直虎の町・須坂と北斎と高井鴻山の小布施を訪ねる(2)

<二日目>渋温泉と小布施
松代のホテルは快適で夕食、朝食はバイキング形式で少々食べ過ぎ。
前日の部屋からの景色。真ん中の山の右側は「奇妙山」1099mという名前。
450x300
          起きると雪が降っていたので途中もうっすら雪景色
450x300_2

●渋温泉
行基が東国行脚中に発見したとされる温泉で37ヶ所の源泉がある。源頼朝が通ったり、信玄の隠し湯であったりしたが、信濃松代藩主真田氏がここを保養地として利用したので発展した。小林一茶や葛飾北斎、佐久間象山なども訪れている。
450x300_3
413x550「この1000年で最も偉大な業績を残した世界の100人」に選ばれた世界的画家の葛飾北斎は、実は大変な川柳作家であった。
江戸時代、誹風柳多留という川柳句集が年々167篇続刊された。そのうち85篇の時の撰者が北斎であり、序文も書いているわけです。
渋温泉にはこの川柳句集の中から「卍」という名で詠まれた182句の川柳と没年までの俳句5句を加え計187句を1句ずつ石に刻み、更に撰者であった85篇の巻頭文「序」を加え、渋温泉の町中に建立されている。凄い!
ここで『北斎は川柳も詠んでいた』という本を買って、この項の参考にしました。
北斎が川柳の撰者となった頃は「富嶽三十六景」の作中の油の乗っている68歳。有名な北斎漫画はこれより少し前に刊行されている。

1.団子屋の夫婦喧嘩ハ犬も喰
22. 紅葉ふみわけぐんにゃりと鹿の屎
37.ふえますに気がへりますと姑いゝ 嫁がまた子供が出来ちゃったみたいと言ったら、姑がわたしゃ皺が増えて気がめいる・・とため息。
78.田毎田毎月に蓋する薄氷
187.悲と魂でゆく気散じや夏の原  辞世の俳句(享年90歳)
川柳を読んでいると落語の世界みたいだ。

                 句碑
300x450 297x450

450x300_4
                      渋温泉街
450x300_5
300x450_2
300x450_3
                     横湯山温泉寺
450x300_6
                   開運幸運の鐘
450x300_7
    渋温泉のマンホール 温泉に浸かる猿の地獄谷野猿公苑はここから近い
355x450
                   和合の滝 落差30m
300x450_2_2
450x300_8

●小布施
北斎は天保13年(1842)83歳、弘化元年(1844)85歳、弘化2年(1845)86歳、弘化4年(1847)88歳と4回にわたって現在の上高井郡小布施町の豪農商・高井鴻山のもとに身を寄せた。

・祥雲寺 高井鴻山の墓所
450x300_9
450x300_10
                 天井絵は小林聖花作(15畳)
450x300_11
300x450_4
             シロスミレとミスミソウ
450x326 450x319

・小布施町マンホールは北斎の波
450x404

・北斎館 
450x300_12
北斎の版画の企画展示や肉筆画(美人画・花鳥画・風景画)40余点が展示され、最後の部屋に二基の祭屋台(長野県宝)の天井画が展示されている。
東町祭屋台には85歳の作品「龍」「鳳凰」、上町祭屋台には86歳の作品「男浪」「女浪」の怒涛図が描かれる。実際に見ると色鮮やかで素晴らしい。
450x236

450x245
398x550_2・高井鴻山記念館 ちらしより・・・
鴻山(1806~1883)は書画、漢詩、和歌、儒学、国学などに通じた文化人であった。
高井家は1615年頃浅間山麓から移住し、須坂の田中家と同じく北信濃きっての豪農商となった。常に困窮者の救済をし、天明の大飢饉に倉を開き窮民を救ったので、その功績が幕府に認められ「高井」の名字と帯刀を許された。
鴻山は15歳から16年間、京都や江戸へ遊学し、各界第一人者から学問や芸術を修めた。北斎など多くの文人墨客を招き、小布施を文化の高い地に育み、維新では教育立県を強調し、晩年は東京や長野に私塾を開いて教育活動に専念した。

記念館では「鴻山と師・知友展」もあり、北斎の娘・応為の絵もあった。ほか鴻山の絵、書、幟など展示されている。晩年は妖怪画に没頭したそうだ。
450x303
450x300_13
                      鴻山像
300x450_5
鴻山記念館翛然楼(ゆうぜんろう)1700年代後半の建物で、鴻山は書斎として使用し、文人墨客とここで語り合った。
450x300_14
・昼食 栗おこわ膳
450x300_15

・岩松院 北斎・正則・一茶ゆかりの寺 1472年創建
450x300_16
本堂の大間天井絵「八方睨み鳳凰図」が北斎最晩年89歳の時の作品。21畳敷きの大作で、彩色には辰砂、孔雀石、鶏冠石を用い、4400枚の金箔を使用し、その費用は150両とのこと。やっと見ることが出来た。88歳でここまで江戸から歩いて来て、この迫力ある絵を1年かけて描いたとは何とも凄い人だと再確認です。
450x393
福島正則の霊廟 豊臣秀吉の重臣であり関ケ原の合戦でも有名をはせ、広島城の大大名(49万8千石)になるも幕府の謀略によりこの信越(4万5千石)に国替えさせられ、在信5年で1624年、64歳で亡くなる。この霊廟に遺骨が埋葬されている。須坂の寺にも碑があった。
450x300_17
一茶がこの寺の蛙合戦の池で「やせ蛙まけるな一茶これにあり」と詠んだそうだが、ぼんやりしていて見に行かなかったのが残念。

               霊廟から右に飯縄山が見えていた
450x300_18
            階段を下りるとまた桜がきれいに咲いていた
450x291
450x300_19
14時30分で観光が終わり帰路につきました。なかなか自分たちだけでは行けない充実した早春の北信の旅でした。




 

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2018年4月10日 (火)

信州の直虎の町・須坂と北斎と高井鴻山の小布施を訪ねる(1)4/7~4/8

300x450ナビゲーター付きの『葛飾北斎ゆかりの地めぐり』3回シリーズの3回目のみ参加してきました。(1回目は「神奈川沖波裏」のルーツ、宮彫師「波の伊八」の世界。2回目がすみだ北斎美術館見学と北斎が生まれ育った浅草から両国へ。)

一日目は北斎に関係ないが須坂藩と豪商、蔵の町の様子を、二日目は北斎の石碑に刻まれた187句の川柳が置かれる渋温泉と北斎と高井鴻高山の「小布施」を巡りました。

<一日目>須坂

行きのバスの中からレクチャーを受け、これから訪れるところの歴史をレジメで学んで須坂市に到着。
バスの中で漫画『信州須坂藩・堀直虎物語』を読んで、将軍慶喜を叱った男で、女城主直虎と同じ名前の13代須坂藩主・堀直虎のことを知る。

堀直虎は江戸時代末期の大名。若年寄、外国総奉行。信濃須坂藩の第13代藩主。
直虎公は漢学、書道、砲術、洋学、蘭学など勉学に励み、若年寄兼外国総奉行に抜擢される。
しかし慶応4年(1868年)1月3日戊辰戦争(薩長軍と幕府軍の戦い)が始まり、4日慶喜は朝敵となり敗走、8日に江戸城に戻る。江戸城では激論が飛び交う中、将軍慶喜に諌言し、1月17日、江戸城中で自ら腹を切って義に殉じた。享年33。墓所は港区赤坂の種徳寺で、霊廟は須坂興国寺臥竜山腹堂宇。
そしてこの日行ったのが奥田神社:藩祖堀直重と13代藩主堀直虎を祀る神社で、明治14年(1881)旧須坂藩の政庁であった須坂陣屋の跡地に創建された。藩祖が元、奥田だったそうで神社の名前になったようだ。(小さな藩なので城はなく陣屋であった)
又、財政難に喘いでいた藩を陰に陽に支援し、藩から篤く信頼された豪商・田中家の存在を知る。

・先ずは昼食  栗の入ったすしご飯のほか、なかなかに心のこもった豪華な昼食でした。

450x300
・円光寺の太鼓堂 不等辺八角形の平面で、美的・芸術的に優れた楼閣建築です。江戸時代から明治にかけての建物。
300x450_2
・桜の綺麗な普願寺 あいにく小雨模様でしたが
450x300_2
450x300_3
450x300_4
450x300_5
田中本家博物館 江戸時代から戦後にかけて、北信濃屈指の豪商。田中姓を名乗り刀を差すことを許され、商人でありながら士分に取り立てられ、幕末期の厳しい時期に、須坂藩の財政の切り盛りをしていた。
地域のため貢献した田中家も1990年代から商売も傾きはじめ、2005年には一等地を売り、本家も博物館となり計20棟の建造物が2003年に国の登録有形文化財となった。
「近世の正倉院」と呼ばれ、約5万点の資料を交代で展示公開している。庭も天明の飢饉で困窮した庶民を救うため京都から庭師を呼んで作らせたという。春夏秋冬の庭がある。
450x300_6
450x300_7
450x300_8
450x300_9
     南総里見八犬伝の羽子板    田中家の江戸料理
300x450_3 450x300_10

       雛段                  かるた
450x300_11 450x300_12

       食器                  漆器
450x300_13 450x300_14

・寿泉院 
                    国定忠治地蔵
300x450_4
      改易された福島正則がこの辺りに住んでいた。福島正則公遺跡碑
300x450_5
奥田神社 ↑の直虎公が祀られる
450x300_15
・旧上高井郡役所、大正6年の洋風建築 長野県に残る唯一の郡役所でバロック様式の影響を強く受ける。
450x300_16
2_450x300
・塩屋醸造 元は塩問屋だったが1800年頃から味噌・醤油の醸造業に転向した。頂いた味噌汁が美味しかった。
450x300_17
450x300_18
・蔵の町
450x300_19

450x300_20
450x300_21
450x300_22
               屋台とお雛様
450x300_25
450x300_26
臥竜公園 臥竜山(471m)の懐にある公園で竜ケ池やカピバラなどがいる動物園がある
450x300_27
450x300_28

| | コメント (20) | トラックバック (0)

2018年1月25日 (木)

小江戸川越七福神めぐり

今年の七福神めぐりは1/11(木)に小江戸川越でした。昼食の関係で菓子屋横丁のあたりをかなりうろうろとしていましたが、朝は8時半から歩きはじめ、終わって川越駅に着いたのは午後4時は過ぎていました。
この日のため体力温存(オーバー)して勇んで出かけた七福神めぐりでしたが、翌日から普通の風邪を引き、これが安静を強いられ、まだぐずぐずと長引いているのですがこの冬はこれで打ち止めにしたいものです。

680x491やっと7福神の名を覚え、昨年インドの神・2神(弁財天、大黒天)、中国の神4神、日本の神・1神(恵比寿天)を覚えた所です。
そして今年唯一実在した人物と言われるのが布袋尊ということを忘れていて再確認しました。

地図の左下にあるように、川越の七福神にはどこも「水琴窟」があります。京都のお寺で初めて聞いたのですが、原理は甕の底に溜まった水面に水滴が落ちると、甕の空洞に反響する音色が琴に似ているから呼ばれるようになった。一番最初のお寺ではまだ水が凍っていて音色が聞けませんでした。
そして川越の七福神に秋の七草の名が付いているということです。

弁財天(妙昌寺)川越城築城の太田道灌が尊崇したと伝えられる。秋の七草「藤袴」
450x300_2
    宿りせし人のかたみか藤袴 わすられがたき香に匂ひつつ 紀貫之

       クチナシの花がさぞやたくさん咲いて綺麗だったことでしょう450x253

450x253_2
450x253_3

福禄寿神(蓮馨寺)秋の七草「尾花」
450x253_4
           お寺に心に染みる言葉が書かれていました
450x344

「良いご縁がありますように」とキンキラキンの五円玉に蛙が抱き着いていて、下の水たまりには5円玉などがたくさん投げ込まれていた。
450x253_5

布袋尊(見立寺)秋の七草「葛」
450x253_6
                 旅立ちの法然さまの像
253x450

中央通りに出ると蔵造りの家並みがあちこちに見られる450x253_9
450x253_10
時の鐘 江戸時代初期に建立。川越の大火の翌明治27年再建。「残したい日本の音風景百選」に選ばれている。高さ16m。まだ音色を聞いたことがないのです。
253x450_2
     薬師神社 時の鐘の奥にある神社で、特に眼病に御利益がある。
450x253_11
                    芽キャベツ
300x450
大沢家住宅 重要文化財 数度の大火にも類焼を免れたという、関東地方の町家の蔵造り、商家の古い例として最も重要な建造物。寛政4年当時に復元されている。
450x300_3
                   川越城本丸御殿
450x300_4

恵比寿天(成田山)成田山新勝寺の別院。秋の七草「撫子」
450x300_5

大黒天(喜多院)秋の七草「萩」
450x285

毘沙門天(妙善寺)秋の七草「女郎花」
450x300_6
川越さつまいも地蔵尊 「さつまいもを食べて元気になろう」と現代版の芋地蔵を建立(平成7年)。10月13日はサツマイモの日で「いも供養」がこの寺で行われる。
300x450_2
                      水琴窟P1120459_300x450
                     ロウバイ
450x300_7

寿老人(天然寺)秋の七草「桔梗」
                   
                      寿老人450x343
450x300_8
            木造大日如来坐像(市内現存の最も古い像)
450x300_9

| | コメント (17) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧