2018年12月13日 (木)

名古屋城・徳川園・徳川美術館観光

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インフルエンザも治って(次の副作用が始まる直前)、打撲のリハビリで少し歩こうと出掛けたのが名古屋です。
名古屋観光ルートバス「メーグル」で廻ります。

            
久しぶりに新幹線から富士山が見えて富士山気違いは大喜び
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●名古屋城
1610年に関ケ原で勝利した徳川家康は、天下普請として加藤清正・福島正則ら西国大名20家に、豊臣方への備えとして名古屋城の築城と清州からこの地への引っ越しを命じました。天守や櫓は小堀遠州・中井正清らに命じ、1612年に完成。
尾張初代藩主として家康九男の義直が入り、御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えました。
戦災でやられたけれど、東南・西南・西北隅櫓、天守(修理中)、本丸御殿、表と東の二の門、二の丸庭園などが復元されています。

                                    初代藩主の菊人形と奥方

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金のシャチ 名古屋城のシンボル。創建時は貼られた金の量は慶長大判で1940枚だったそうだ。鯱は空想上の生き物で、水を呼ぶといわれることから火除けのまじないとされた。
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必勝カヤの木(天然記念物)推定樹齢600年。1945年の空襲でも枯死を免れた。大坂夏の陣に藩主義直が父・家康と共に出陣の際、カヤの実を武勲を祈念して食したという。
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    西南隅櫓と天守閣(今鉄筋コンクリートから木造に耐震のために修理中)
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西北隅櫓公開中(名古屋城には~丸が4つある。本丸、二之丸、西之丸、御深井丸)。この櫓は御深井丸(おふけまる)にあって、現存三階櫓14のうちの一つ。他の櫓同様3階だが、他は1,2階は同面積、3階が狭くなるが、ここは階を上がるにつけて面積が逓減していく。櫓については殆ど知らなかったのでこの説明は面白かった。
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                   2階からの眺め
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天守と本丸御殿。鯱が小さく見えた。鯱の高さは約2.5m 。18Kの重さは両方で約88㎏だそうだが。
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<本丸御殿> 天守閣とともに国宝だったが空襲で焼失。13棟からなり、室内は花鳥風月などを画材とした障壁画や飾金具などで豪華絢爛。今年6月に復元公開された。

                       玄関
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                   表書院 謁見の間
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               対面所 身内だけが立ち入れた
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上洛殿 3代将軍家光の上洛に合わせて増築された豪華絢爛な間。天井、欄間。
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                       廊下
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          飾り金具
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                       梅の間
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                 二之丸庭園 枯山水回遊式
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●徳川園と徳川美術館

徳川園の起源は尾張藩第二代藩主光友の隠居所の跡地に1695年に築造された大名庭園。その後家老職へ。明治22年尾張徳川家の邸宅。昭和6年に名古屋市に寄付され、空襲で焼失。2004年に再整備で開園。
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              子福桜とイソギク
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続いて徳川美術館へ。徳川の名品の数々や能舞台、途中で蓬左文庫も見学した。短期間限定の「源氏物語の世界」をやっていて、国宝の「源氏物語絵巻」を見ることができた。

●文化のみち(白壁地区) 江戸期に武家屋敷があり、明治・昭和にかけては起業家、宗教家、ジャーナリストなどが交流する舞台となった場所で、戦火を免れた建築物がたくさんある。

<二葉館>
「日本の女優第一号」川上貞奴が夫の音二郎が亡くなり7年後女優をやめた後、電力王と呼ばれた福沢桃介の建てた二葉町のこの家に桃介とともに暮らした。当時財界人や文化人のサロンになっていた。その後少し離れた文化のみちに移築復元された。
ステンドグラスの美しい館で、貞奴の居室や書斎がそのままの状態で見られた。
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カトリック教会
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名古屋市市政資料館
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お土産は「金鯱ういろ」なかなか美味しいういろうでした。
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2018年11月30日 (金)

モロッコ周遊(5)

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●6日目11/1(木)フェズ観光~青の街・シャウエンへ

◎フェズの迷路
マラケシュの時と同様に雨です。
フェズは世界一の複雑な構造の迷路と言われている。モロッコ初のアラブ系王朝イドリス朝(9世紀)及び学問、文化の中心として栄えたマリーン朝(13~14世紀)の王都であった。
現在はモロッコ第4の都市で人口約120万人で文化・手工業の中心。

                         マリーン朝のスルタンが建設した14世紀の居城
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               街の南の要塞からのフェズ。隙間ない迷路の様子がわかる。
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                                いろいろな植物が植えられている
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いよいよメディナ散策。ガイドさんとアシスタントさんに挟まれて迷子にならないように必死に後に付いていく。
青の門・ブー・ジェルード門から入る。14のうちのフェズ最大の門。外側の青はフェズのシンボルの色。2つの塔が見えている。
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                                  内側はイスラムの聖なる色の緑
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                                                 肉屋
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                                                   猫が多い
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ブ・イナニア・マドラサでフェズ最大の神学校(1350~1912年)だったが、現在は博物館。
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タンネリ 皮なめしと染色工房見学 入り口でミントを渡される。ずっと鼻にしていないと強烈な臭いで気分が悪くなってくる。テレビでも数回見たけれど、こんな所で働いている人がこんなだったとは。テレビからは臭いが伝わってこなかったので驚く。牛、羊、山羊、ラクダの皮を天然染料で染色している。赤はケシ、オレンジはヘンナ、黄色はサフラン、緑はミント、青はインディゴだそうだ。
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                ムーレイ・イドリス廟 808年に王都を築いたモロッコ王の聖地
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◎シャウエンヘ 夜のシャウエン散策

シャウエンが見えてきた。この段階ではそんなに青く見えません。写真中央山裾の白い建物がホテル。
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                                               ホテルからの街
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ホテルの夕食では添乗員さん(男性)が厨房でソーメンを茹でてふるまってくださいました。今晩の主食になり美味しかったこと!日本からはるばる20人分のソーメンを持ち歩いて重かったことでしょう。やっと軽くなりましたね。その他味は薄いために各種ドレッシング、醤油と、毎日バスで日本のお菓子を、時には3種類も配ってくださり、即いただきました。
何時も写真は自分のは殆どなしですが、今回はラクダに乗った写真などたくさん撮ってくださったり、気配りが行き届き、何も抜けてないという今までの男性添乗員の中で3大添乗員の一人です。

食後20:30から21:50まで夜のシャウエンの街を散策した。 青い色はやはり明日行く午前中が一番きれいであった。
バスでメディナの中心のハマーン広場へのグランモスク(ベン・ラシッドが1471年に建設)の付近を散策する。
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                                            夜のシャウエン
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             帰ってホテルの部屋から再び街を見る
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2018年11月27日 (火)

モロッコ周遊(4)

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●5日目10/31(水)サハラ砂漠の朝日見学とベルベル人テント訪問~雪のモワイアン・アトラス山脈を越えフェズへ、

◎5:20起床で6:00に4WD10分、ラクダステーションに向かう。ラクダさんたち、こんなに朝早くからご苦労様ね。

4~5頭繋がれたヒトコブラクダに乗ります。サハラの日の出鑑賞ポイントまで約30分揺られる。(行きはよいよい、帰りは・・先頭と交代したラクダの瘤の位置が悪いらしく痛くなって下りたくなってしまったが必死にしがみついていた)。それにしても真っ暗な中を何を目印にポイントまで行けるのか。目が凄くいいのですね。421_450x300
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日の出は大体7時25分頃 地図を見ると日の出るあたりはアルジェリアだ。

                                             7時19分
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                                               7時21分
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                           7時23分 砂漠の色が見えてきた
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                  7時24分頃、日の出の時間だが雲で見えず残念無念。
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急な坂を下りるのは潜って転ぶので危険。傾斜のない方を選んで降りていく。
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                                             砂漠に水
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                                                  ラクダ
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                                 私を連れて行ってくれたおじさん
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                                         雲が出てきた7:49
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◎ベルベル人のテント訪問

ベルベル人のテントと向こうに見える建物が冬用の建物
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                               お母さんが羊?の毛を紡いでいる
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おや、いつの間に家族全員揃っている。そっぽを向いている間、一体どこから出てきたのだろう。
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テントのそばには鶏やヤギなどの家畜が。今も殆ど自給自足の生活か。毎日何を考え、どんなことをして生活しているのか、その一部を見たのだが。
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             砂漠の中にも所々にこうした家があった
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                  オーベルジュへ帰る
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◎フェズへ向かう

ズィズ渓谷沿いを走る。ナツメヤシの群落。今丁度デーツの収穫時。市場にも山と積まれて売られていた。
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軍事基地の町エルラシディアを通り過ぎると、ハッサンアッダーヒルダムが見えた。かなり大きい。
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昼食するミデルトの町に近づくと何と雪(標高1400m)。交通も閉鎖と言うニュースが入ってきたが、除雪車も出て再開してホッとする。
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雪の中のモアイアン・アトラス山脈を越えるとき、アトラス杉が多く目についた。
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イフレンはモロッコのスイスと呼ばれる高級避暑地。家族で滑っている人など雪の中で遊んでいる人々が。
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                 木々は黄葉していた
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無事18:30にフェズのホテルに到着。今日は朝のサハラ砂漠から、アトラス山脈の雪景色まで、実に変化に富んだモロッコであった。

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2018年11月23日 (金)

モロッコ周遊(3)

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●4日目10/30(火) ワルザザード~アイト・ベン・ハッドゥ~トドラ渓谷~メルズーガ(サハラ砂漠泊)

                     朝7:30に出発すると朝焼けのハイアトラスがきれい!
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先ずアイト・ベン・ハッドウへ。
ここでは1954年の『アリババと40人の盗賊』を皮切りに1962年『アラビアのロレンス』、1985年『ナイルの宝石』、2000年『グラディエーター』、2010年『プリンスオヴペルシャ』など20本以上の映画が撮影されている。
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11世紀頃集落ができ、ハッドゥ家が支配し、塩などを運搬する隊商交易で栄えた。孤立している集落で、掠奪から身を守るため、城砦のような構造で川が自然の壕となり、入口はひとつだけ、1階は窓がなく換気口のみ。路は入り組んでいる。外壁には銃眼が。最上階は穀物倉庫が備えてある。ベルベル人やその補修工事などや作ったお土産品が見られた。昔からの生活もいかに大変であったかを垣間見た。
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                                          近くの撮影所
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                                     カスバ(要塞)街道を走る
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                                            結婚式の行列
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                                      お昼は有名なタジン料理
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トドラ渓谷 約25万年前の石灰石の岸壁。ロッククライミングの場。
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カナート イランや中央アジアから技術が伝わり、山から水を引いて飲料・潅漑用とした。大変な工事だったようだ。
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エルフードに到着した後、1泊2日用にした荷物を積んで、4WDに乗り換えサハラ砂漠のメルズーガのオーベルジュに到着。
宿泊した建物と部屋
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明日、いよいよ早朝サハラ砂漠の朝日を見に行く。


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2018年11月19日 (月)

モロッコ周遊(2)

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マラケシュ 2日目10/28(日)マラケシュ泊~3日目10/29(月)マラケシュ観光の続きから宿泊地ワルザザートへ

カサブランカからマラケシュへ向かう。バスの中から。マラケシュと言えば映画『知りすぎていた男』のドリス・デイの「ケセラセラ」を思い出す。

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クトゥビアの塔は1190年に完成したそうで、高さ77mでシンボルタワー。
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ジャル・エル・フナ広場で大道芸人(蛇使いも見た)や屋台で賑わう様子を見る。テレビで何回も見た所。
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メディナ(旧市街へ)のスーク(市場)へ
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                            今晩のメインディッシュ「ミックスケバブ」
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                                     食事を終えてからの広場
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◎ 翌日、午前中マラケシュ観光の続き。
カサブランカ、ラバトに続きモロッコ3番目の都市。標高450m。11世紀、ベルベル人初の王朝・ムラービト王朝、それに続くムワッヒド王朝の王都であって、交易、商工業、学問の中心として繁栄する。その後フェズに遷都、衰退するも15世紀サアード王朝の王都となり再び繁栄する。
                      コウノトリ
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サアード朝の霊廟  スルタン13名他200名がメッカの方向に顔を向けて埋葬され、異教徒は別方向へ向けて埋葬された。
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スークの路地を通りバヒア宮殿へ
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バヒア宮殿 1894~1900年に建設された宮殿。バヒアは美しい、永輝などを意味する言葉であるとともに最愛の妻の名前(第3夫人)である。4人の正妻で最愛の妻に最も美しい部屋が与えられた。後宮(23名の女性が生涯を過ごした)やプライベート庭園やモスク、プライベートの応接室などがあった。
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           瘤のある葉のみかんは食べられないそうだ
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モロッコにはアフリカ大陸の三分の一を占めるサハラ砂漠に隣接し、砂漠はほぼアメリカ合衆国と同じ面積だそうだ。しかしモロッコには西側より、アンチ・アトラス、オート・アトラス(4000m級)、モアイアン・アトラスと地中海近くにリフ山脈がある。そのため地中海と山脈に囲まれた地域は砂漠気候と異なる。日本よりずっと寒かった。

いよいよワルザザートへ向けて出発。ところがかなり行ったところで、橋が決壊、片側交通で行くのは午後遅くならないと無理と言うことで、マラケシュに戻り遅い昼食を摂って、再びワルザザードへ。途中のロケ地には寄る時間がなく明日早く行くことになったが、無事夜8時半頃宿泊地に到着。良かったよかった。
バスの右側には冠雪した山脈が見えてきて、時々映画『シェーン』のような風景が垣間見えた。

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           果物として食糧になるサボテンの産地のようだ
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アルガン油 モロッコのベルベル人の間では、クスクスなどに用いる食用油、スキンケアなどに用いる薬用、化粧用の油として利用されてきた。20世紀後半、ビタミンEの含有量や不飽和脂肪酸量が評価され、化粧品用の基油または油を直接利用されるようになった。 今は大変な手作業でなく機械化されたそうだ。娘に買ってみた。
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ティシュカ峠(2260m)
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トイレチップが1DH(デェルハム)ということで、50円くらいする他の国より安いなあと思っていったのですが・・・
昼は勿論、夜もアルコールを出すレストランは少なく、ツアー値段が安いので上記の事情も鑑みて物価が安いと思い込んで行ったら、大きな間違い。外国人値段(つまり現地の人は買い物もしていないし、喫茶店にもいないから)なのでしょう。紅茶1杯が安い所で240円、普通は480円もするので途中の大きいホテルで両替をすることになった。
何か飲まないとトイレに入れないところもあった。トイレはたまにトルコ式があった。
チップ係のおばさんも含めて人々は優しかった。西欧と違うかもしれない。

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2018年11月16日 (金)

モロッコ周遊(1)

インフルエンザが治ったらすぐ次の普通の風邪に移行し、階段転倒はお陰様でどこにも骨折はなくてすみました。ところが打撲傷が痛くて痛み止めとテープでしのいでおります。今朝,平熱を体温計で見て小躍りしております。(なお整形では骨粗鬆症の治療を即始められてしまいました。打撲や痛み止めの事は何も問診なく、他の医者でいただいたのでした。他にモロッコ下痢?というのもなかなか治りませんでした)帰国してからもう2週間になろうとしています。(あ~あ、ひどい目にあった。特に過酷な国は2度と行くな、海外にはもう行かない方がよろしいという警告か!)

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10/27(土)~11/4(日)の9日間、『青の街シャウエンとモロッコ周遊』というツアーに参加しました。男性4名、女性16名で半分以上は若い人。この点がエジプトの時と同じ。いつもは殆ど高齢者ばかりですから。モロッコは現在、雨期でずいぶん雨い合いました。

モロッコは王国で、アフリカでは他にスワジランド、レソトを数えるのみです。面積は日本の約1.2倍で人口は3365万人(日本の約1/4)。
民族はベルベル人30%、アラビア人65%、。言語はアラビア語(公用語)、ベルベル語(公用語)、フランス語。宗教:イスラム教スンニ派。

<1日目><2日目>
エティハド航空にて成田17:55発で時差5時間のアブダビに0:45に到着
アブダビ発2:35発でモロッコ・カサブランカに時差9時間の7:30着 
成田から富士山が見えた(初めて)
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<2日目10/28(日)カサブランカからマラケシュへ

●カサブランカ ハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンの映画を思い起こすだけの都市ですが、ここは周辺と合わせると人口50万人にもなるモロッコ最大の都市で経済の中心。(映画の舞台になった所は最終日に)。歴史もいろいろあるけれど、複雑ですべて省略。

ここでは「ハッサン2世モスク」を見学。

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1987~93年、前国王ハッサン2世が建てた。大西洋の上に建てられている。塔の高さは200m。外からは大きく見えないけれども、内部の大きなこと!、2万人の男性と5000人の女性が礼拝可能なのだ。サウジアラビア以外では最大のモスク。地下に沐浴場やハマム(トルコふろ)がある。シャンデリアを除き、建築材料はモロッコ製。
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アラベスク模様が素晴らしい。既に見たアルハンブラ宮殿のもの、そしてもう行かれないインドのタージーマハルに思いを馳せながらですが、全部細かく観察する時間がないほどであった。
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                    地下沐浴場
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再び外に出ると、カサブランカのビル群が見え、このタイルの下は海なのだ。
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西欧のカトリック、プロテスタント、国教会、修道院などの宗教画や石像や木造をたくさん眺めてきて、先日は東方国教会のイコンをたくさん眺め、そして今回偶像廃止のモスクの内面をとっくりと拝見させていただく。趣が全く違っていてどれがどうとは一概に決められない。

モロッコ最初の昼食のメイン。(魚のスープ、スズキの揚げ物と温野菜、フルーツサラダ)。味がなくて塩を振かけてもまだまだ味がない。血圧高めの人にはよろしいかと。私は低くなりすぎないように醤油かけたり、せんべい食べたり。
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2018年10月18日 (木)

秋をそこここで満喫

●河村城跡・洒水の滝
御殿場の山北駅で降り、標識に従ってハイキングです。

             山北駅では明日走らせるSLを点検整備中

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      山北町マンホールは富士山と丹沢湖に架かる永歳橋をデザイン
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                    河村城址案内碑
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                    城址への道
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   畝掘が見えてきた(敵の侵入を困難にしようと堀底を畝で区切ったもの)
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河村城址碑 河村城は平安末期河村氏によって築城されるが、足利尊氏に負けた。その後いろいろ支配者が変わったが、戦国時代に後北条の支配となり、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐で、この城は落城し廃城となった。
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   きのこ 久しぶりに見るきのこ。薄い色。裏返して見るのを忘れてしまった。
アシナガイタチタケとSきのこ博士さまに教えていただきました。ありがとうございます。

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城址公園から見える中央の山は、東名高速や新松田駅から見える、河津桜で有名な松田山ハーブガーデンの頂上。
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                     小田原方面
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洒水の滝へ向かうと田圃は見事にひこばえが生えた穭田(ひつじだ)になり、稲架(はさ)が並んでいた。
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         花 ホトトギスやミゾソバ、コスモスなど秋の花が満開
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              道祖神 ダムを造るので移転された
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                    最勝寺 水子地蔵
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  洒水の滝 台風以来と言うことで水量がかなりあるのに幅の細い滝であった
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●小布施
・浄光寺へ、小布施駅よりシャトルバスで岩松院の近くのこの寺に向かう。
浄光寺薬師堂は重要文化財で、室町時代初めの1408年に建てられたもので、こんな場所に残っていたのが貴重だ。中が暗くて、建築の細かい所や薬師如来と眷属を見られなかったのが残念。
山門の仁王さまもかなり古いことを感じさせる
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              薬師堂は苔むして静かな佇まい
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          岩松寺への道はリンゴやコスモスですっかり秋の風情
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                   トリトマと岩松院
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・岩松院1472年荻野氏の開基で、先日見た北斎最晩年89歳の21畳分ある「八方睨み鳳凰図」を再び見て、福島正則の菩提寺で、霊廟を拝見。
「一茶と蛙合戦の池」と小林一茶の句碑を見る。蛙はヒキガエルだそうで少ない雌をたくさん雄が奪い合う様子を、病弱な我が子に託して詠んだと言われる。
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町へシャトルバスで戻って、栗の小径を通り北斎館へ。栗の木を敷いた小径が素敵。栗の木も植えられていた。電車の沿線に栗の木がたくさん見られた。
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小布施堂正門 高井鴻山の祖父が1750年に立てた門で、江戸末期には勤王志士、文人墨客、そして北斎もこの門をくぐり、通算4年間も名作を描き続けた。
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北斎館では、再び北斎86歳の作品、二基の祭り屋台の「龍・鳳凰図」と「男浪・女浪」の怒涛図を見て再び感動する。
他に企画展示で「富嶽三十六景」と「富嶽百景」を、肉筆展示室二部屋で肉筆画・美人画、花鳥画、風景画をたくさん見た。

竹風堂は行列で断念し、喜の呼庵で栗おこわを食べ、栗のお菓子のお土産をいろいろ買って善光寺へ向かう。
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●善光寺 55年ぶりで何も覚えいなかった。年間600万人も参拝するという善光寺は無宗派という事にも驚きですが、貫主のセクハラ問題にも揺れている。

                  仁王門から山門を見る
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山門の楼上にかかる「善光寺」の額は字の中に5羽の鳩がいるから「鳩字の額」と呼ばれている。重要文化財。
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本堂は国宝。裳階を廻らせた二重屋根は檜皮葺として日本一の規模を誇っている。江戸時代中期の建築で、壮大な伽藍は東日本最大だそうだ。
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500円払うとお戒壇めぐりが出来るのです。こんな真っ暗な世界、もしかして生まれて初めて。御利益は何じゃ。極楽の錠前を探り当てました。秘仏の御本尊と結縁だそうです。
そこから出ると、法要があったので、絶対秘仏(日本最古の仏像とか)の御本尊を安置する宮殿を一瞬拝することが出来た。

      経蔵 重要文化財。一切経が納められ、輪蔵を回すことができる。
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善光寺参道は趣があって素敵だ。ツルウメモドキや漆喰の建物、昔の建物などを見ながらとうとう長野駅まで歩いてしまった。
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2018年9月20日 (木)

東欧5ヶ国ドナウ川クルーズ(最終回)

<10日目> 8/28(火)晴、13~28度 オシエク(クロアチア)

船は夜半にクロアチアに入り、早朝ヴコヴァルに到着し、ドナウ川の支流ドラヴァ川岸のオシエクにバスで向かう。
クロアチアはお臍から下の両足を模したような面白い形の国であるが、アドリア海に面したザダル、シベニク、スプリット、ドブロブニクのあるダルマティア地方と北にある首都ザグレブが有名ですが、今回は向かって右側(スラヴォニア地方)の短足の足底の中心のオシエク見学です。

歴史的には1526年にオスマン帝国軍に破壊、略奪された。1687年、今度はハプスブルク帝国領下に。バロック様式の建築物が立ち並び、ウィーンやブダペストの影響を受けて文化が花開く。1991年から1995年のクロアチア独立戦争ではここでもたくさんの命が奪われた。宗教はローマカトリックが86.3%

                                     クロアチア・ヴコヴァルで 
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オシエクは全て要塞になっていて、オスマントルコを防衛するために五稜郭のように設計された。模型。しかし破壊されてしまったので今は一部の城壁のみ残る。
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                                          内戦による壁の弾痕
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クロアチアの猫(岩合さんの世界猫歩きで隣国のボスニア・ヘルツェゴビナの猫を紹介していたので見入ってしまった)
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     フランシスコ修道院(17世紀)ハンガリーから流れてきたマリア様を祀っている1871_450x300
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                  中央広場の三位一体像(1792年建造、ペスト終焉記念像)
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真ん中の町から上の町へ
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聖ペテロ・パウロ教会 1892年着工、1900年完成のレンガ造りネオゴシック様式。
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                                              街の風景
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昼食は船内で。サーモンサラダ、ポークロイン、チーズ、パイナップル
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午後はシェスタ。16:30ハンガリーのモハーチ到着。シェンゲンエリアに入る入国審査が行われた。

船内最後の夕食 ハンガリーに入ったのでハンガリーの国旗が飾られ、給仕をしてくださる方もハンガリーの民族衣装。ダイニングルームの模様替えや衣装替え、そして誕生日の祝いをされた人が今まで数回あった。ピックサラミ、ハンガリーグヤーシュ、クレープ。
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船には8日間(3日目夕方から11日目朝まで)で朝食8回昼食5回夕食8回も御馳走になり、お世話になりました。添乗員さんも船内放送を日本語に通訳して大活躍でした。

<11・12日目> 8/29・30(水・木)晴、29度 ブダペスト(ハンガリー)~日本へ

                                     5:55 月が川面に映っていた 
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川の水が少ないためにブダペストに着けず、途中のハンガリーのカロチャに早朝に到着。7:30に船とお別れ。ありがとう、ヴィヴァルディ号。
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バスで首都ブダペストに向かうが朝のラッシュで交通渋滞で大混雑。11時頃本来着くべきブダペストの船着き場に到着後、主な所のみ、バスで市内観光。この街には縁があって3回目。ずっと人が少なくて静かな街を巡っていたので何と観光客の多いことと、久しぶりに大都会に入ったという感じだった。
ハンガリーも歴史的にはいろいろあるが、1000年にハンガリーの英雄イシュトバーン1世によって建国された王国が1918年まで続いたということだ。文化、音楽、芸術などは割愛して、人口と宗教だけを。人口は約1000万人。宗教はカトリックが約68%、プロテスタント約25%。

・ブダ側
                                                  王宮
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漁夫の砦(1896年建造の白い石像のとんがり屋根を7つ持ち漁業組合が守っていた)と教会
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                                                漁夫の砦
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                                漁夫の砦よりドナウ川とペスト側
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                                   国会議事堂(夜がきれい)
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チャーマーシュ教会 1255年のゴシック様式建築で歴代王の戴冠式が行われた。屋根はジョルナイ陶器で出来ている。塔の高さは88m。黒いマリア様を見る。
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・ペスト側
聖イシュトバーン大聖堂 1851年から約50年かけて完成。ドームの高さは96m。第1代の王の名前が付いた教会。
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良く見えなかったがイシュトバーンの聖なる右手や主祭壇のイシュトバーン像などを見る。
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昼食のレストランで生演奏を聴きながら グヤーシュスープ、チキンパプリカ、クレープ
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ブダペスト空港17:30発でカタールを経て12日目の30日18:30に成田に到着した。
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船に乗ってからは一日中観光したのは2日間だけ。あとは殆ど半日観光で、残りはシェスタということでゆったりとした旅行でした。美しき青きドナウ、飛び交う鳥、緑豊かな平野、静かな古都、そこに残る弾痕。まだまだ旅行にも行けない貧しい人々がいるというが、それを感じさせないきれいな町や村の佇まい。ことに内戦などで傷ついたバルカン諸国、今回はセルビアとクロアチアの一部しか見られなかったけれど、住んでいる周りの景観を決して乱さない徹底ぶりは全ヨーロッパに共通の事といえましょう。何事もないように見える欧州も今年は暑かったとのこと、また雨が少なく川の水が少なく大きな船が就航できないということがあるとは考えもしませんでした。日本は地震と台風、ゲリラ豪雨と災害にずっと見舞われっぱなし。大変な人が多い中、こうして遊んで申し訳ないとも思ったことでした。

ぼーっと見ていただけの旅行記を、長いこと読んでいただきありがとうございました。

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2018年9月17日 (月)

東欧5ヶ国ドナウ川クルーズ(5)


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<8日目> 8/26(日)晴、16~25度 終日航海日

左舷からブルガリアからセルビアの国境が見え、ドナウ川はセルビアと右舷ルーマニアの国境を行き鉄門峡(アイアン・ゲート)を通る。アイアンゲートはドナウ川最大の景勝地で川幅が100~150mまで狭まり、水深は50mまで深まり、ドナウ一の渓谷美が約130㎞続く。そして1994~2004年にかけて熱狂的な登山家グループによって彫られたダキア王のデケパルス(在位87~106)の彫刻があるのでしたが・・・・・

                                   7:50分頃 立派な橋をくぐる。
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11:15分頃 左舷にブルガリアとセルビアの国境が見えた。国境には川が流れているとのこと。
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   昼食 パテのパイ包み、サーモンステーキとロブスターパスタ、ティラミス
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            13:30鉄門の第2閘門手前の橋が見えてきた
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         閘門の横。 船の後部から閘門が閉まるのを見忘れた。
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閘門の前側 船を固定し、閘門が開けられ水がドンドン入ってくる。水位が同じ高さになったら船を進める。
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            18:47頃、第一閘門に入る。ここは2段上がる。
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             19:00頃、振り返ると閘門入口が閉まる。
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                  19:30 第2段目が見える
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鉄門に入ったのは21:30頃になってしまっていた。第2閘門に入ってから3時間も経っていて、もう真っ暗。船からライトアップしたが鉄門峡もダキア像王も見られなかったのがとても残念なことでした。
20:30にガラ・ディナーが始まる。 フォグラ、子牛肉、チーズ、ベイクドアラスカ(デザートのみ、鉄門を見終わってからとなる)
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21:30頃、ディナーの途中から甲板に出てまずトラヤヌス記念碑(セルビア側)を見る。AD100年頃ローマ帝国の軍団道路が通った記念碑。
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五賢帝の一人トラヤヌス帝(在位98~117)は101年と106年にダキア戦争を起し勝利。それからダキアはローマの属国になり、ローマ人を植民した(ダキアに金があったから)。ローマ人の言語たるラテン語がこの地の言語になり、混血してルーマニア人の祖先になった。ルーマニアの由来はローマ。
元々トラキア人の一派ダキア人がBC1000年頃ドナウ川の北側に独立国家を建設した。南側のブルガリアに住んだのがトラキア人であった。

ダキア王・デケバルスこそダキア戦争でトラヤヌスに敗れて最後は殺されてしまった王だ。高さ40mあるそうで白昼見たら圧倒されたでしょう。絵葉書を買って見たらこんな様子です。ヨーロッパ最大の大きさ。
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          5分後マラコア教会(ルーマニア側)が浮かび上がった
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<9日目> 8/27(月)曇 15~25度 ベオグラード(首都)、ノヴィ・サド(ドナウ川沿いの第2の都市)(セルビア)

セルビアは旧ユーゴスラビア連合のチトーが亡くなって後、いろいろ紛争を経て、2006年モンテネグロ独立により、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6共和国が誕生し、ユーゴスラビア連邦は完全に解体した。なお、アルバニアは独自の道を歩む国で同じバルカン半島にありながら別である。コソボは100ヶ国に承認されている。

           今日は珍しく曇の予想。川霧がたちこめていた。
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10時にベオグラードに到着した(丸2日間船内で過ごしたが不思議、退屈はしなかった)。11時から昼食。ガーデンサラダ、フィレミニオン(写真撮り忘れ果してどんなお料理だったか?)、メレンゲのお菓子
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●ベオグラード観光 セルビアは、今回訪れた5ヶ国では初めての国で、2つの都市を観光するだけだけど、楽しみにしていました。
・カメラグダン公園と城壁
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ベオグラードでサヴァ川がドナウ川に合流している。手前がサヴァ川、向こうがドナウ川
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                      サヴァ川
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・聖サヴァ聖堂(セルビア正教会)1935年から建設始まるが寄付で建設のため未完成。世界最大級。但し主教座聖堂でなく聖ミハエル大聖堂が主教座である。
外側はギリシャ大理石、内部はカララ大理石、地下には24金の金箔が使われている。
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・隣のチトーが建てた小さなセルビア教会の中
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・クルセドの僧院 郊外ヴォイヴォヴィナ地方・フルシュカゴラに16世紀にオスマントルコから逃げてきたコソボのキリスト教徒たちが40以上の修道院を造る。現在16のみ。
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・ドナウ沿いのホテルで発泡酒とデザートでリフレッシュメント
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●ノヴィ・サド観光 セルビア北部ヴォイブォヴィナ地方の中心地で、セルビア第2の都市。ドナウ川の寄港地。
日も暮れ、夜の街を観光。
                     カフェ通り
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                  図書館とセルビア教会
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可愛い男の子が握手して、なかなか手を離してくれなかった。嬉しいおばあさんであった。
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                     大司祭宮殿
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                    カトリック教会
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                        市庁舎
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               フランツ・ヨーゼフが宿泊したホテル
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ノヴィ・サドの船着場より帰船。夕食、キルシュ、鴨胸肉、ピーチメルバ。船の食事のデザートは日本もののようにあまり甘くなかったのがありがたい。
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2018年9月13日 (木)

東欧5ヶ国ドナウ川クルーズ(4)

<6日目> 8/24(金)晴 15~30度 ヴェリコ・タルノヴォとアルバナシ村(ブルガリア)

昨日乗船したルセのかなり手前から、ドナウ川は右手にルーマニア、左手にブルガリアの境界を流れている。昨日バスで国境を渡るときにパスポートコントロールがあってかなり時間がかかった。この後、セルビア、クロアチアはなし。ハンガリーのモハーチでは船中でパスポートコントロールを受ける。

ブルガリアは以前はバラ祭りの季節に行き、岩窟教会やカザンラクでは香水の香りを楽しみ、ヴェリコ・タルノヴォや首都ソフィア、リラの僧院を訪問した。
BC2000年にはトラキア人が住んでいたがローマ帝国に併合され、6世紀にはスラブ人が定住完了。2世紀にアジアから来た先住ブルガール人と融合してブルガリア人(80%)となり、トルコ人(9.7%)の構成になっている。
歴史的には1393年から約500年もオスマンの支配下にあったが、1879年第3次ブルガリア王国建国。1909年独立するもソ連の支配下にあり、1990年に共和国として民主化が進む。
宗教はブルガリア正教86.6%、イスラム教4.6%だ。人口約732万人.
地理的にはドナウ川からバルカン山脈までは平原地帯で農業(大麦、小麦、ひまわり、とうもろこしなど)が盛ん。中央にバルカン山脈があり、首都ソフィアは山の反対側にある。

・ヴェリコ・タルノヴォ
ヴェリコ・タルノヴォは1187年にビザンチン帝国を打ち破って建国された第2ブルガリア王国の首都であったところ。

                                              途中の景色
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夫が2012年に行ったときはこの町の近辺出身の琴欧州が活躍していた時で、ツアーで琴欧州の実家を訪ね、お父さんの大きな手と握手をしてきたと言っていた。
この旅では3回あったのですが、バスを下りたらホテルにリフレシュメントと称してお茶やワインとお菓子の出る時間がセットされていたのに驚く。

                                           旧市街に到着
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まず王宮の丘へ。王城はオスマントルコにすべて破壊され城壁だけが残っているが、教会が再建されてアート博物館となっている。
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                                          教会と教会の中
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旧市街に戻り職人街へ。この町は昔から手工芸技術が発展していて、今も受け継がれている。陶器、皮革、銀細工、木彫、イコンなどの制作工房が軒を連ねている。
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・アルバナシ村
オスマントルコ時代の迫害を逃れ、税金を納めないですんで、多くの商人が商売・貿易で儲けて豊かだった村。
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まず昼食:サラダ、チキンの煮込み、バクラバ。ここでボリャルカビール(1892年創業のブルガリアでは古いビール)を飲む。暑かったので美味しくいただく。
バクラバ(パイ生地のような中にナッツ類を挟んで焼いた中央アジアから地中海までにあるペイストリー)とビール
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[コンスタンツァリエフ] オスマン時代の商人の館 トルコ風で、トイレについてはどう使ったのか?子供がさらわれないようにということで全員一緒に寝ていたそうだ。
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[キリスト生誕教会] 普通の家のような教会で入口以外は撮影禁止。16~17世紀のフレスコ画が壁面いっぱいに描かれる。男性と女性の礼拝部屋が別々で部屋がいくつか別れ、天井も低く今まで見たことのない教会だった。
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夕食 パルマハムのパスタ、鹿肉のステーキ、メレンゲカスタード
鹿肉は軟らかくって美味しい。その時19:46に夕日が沈みかけたのが席から見えた。
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           食後のブルガリアフォルクローレショーのダンサー
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<7日目>8/25(土)晴 17~33度 ルセとバサルヴォヴォ岩窟修道院(ブルガリア)

・まだルセに停泊しています。ルセはドナウ川大河港都市でブルガリアでは5番目に大きな町で食品加工、衣料品、化学工場が集中。ルーマニアのジョルジュとはドナウをまたぐ「友情の橋」(1954)で結ばれ鉄道と道路が通じている。

                  お墓詣り?教会へ?126_450x300
三位一体教会(ルセの大聖堂、ブルガリア正教会)12世紀に建てられたが、1632年に立て直された。
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           ブルガリアの猫 ルーマニアの猫に劣らず可愛い
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ステイトオペラ劇場 州立なのでとても安く観劇できるとか。日本の地方歌舞伎とも違うし、日本では高価でオペラやコンサート、観劇、歌舞伎などなかなか敷居が高い。
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                     自由広場
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                      ルセ劇場
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・バサルヴォヴォ岩窟修道院 11世紀からあった聖デミトリウスに捧げられた修道院。
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再びルセへ
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            このお店でワインとパイのリフレッシュタイム
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       正午に部屋に戻る。部屋が左舷なのでルセの町が見えた。
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昼食 アルザス風シュークルート、チーズ、レモンパイ。
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                   午後はシェスタ
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夕食 トマトとモツァレラサラダ、ローストチキンとクロケッタ、スペキュラース。
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                夜はクルーによるショーを楽しむ
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