2024年11月29日 (金)

山手線一周(最終回)上野駅~東京駅

ほぼ半年ぶりになる山手線歩き、ちょっとした距離ですが午後の数時間を使ってゴールを目指しました。

上野駅
1_20241129153801

噴水を通って国立博物館へ向かう。
2_20241129153801

ユリノキの黄葉。
3_20241129153901

平成館で「はにわ」展を見て、御徒町へ向かう。
アメ横を通るが、途中に河童に似た「賑わいの像」というのがある。
東北・上信越新幹線に東京の次の駅を上野駅にしてくださいと言う台東区民の願いが聞き入れられた記念だそうだ。
4_20241129153901

御徒町駅。
5_20241129153901

秋葉原の手前で、日本百貨店に寄って、買ってもらったのは「至高のどら焼き」と「栗饅頭」。甘いの大好きなのでありがたやー。餡子中毒の気味ありです。まあ、今迄よく糖尿病にならなかったなあと。
Dsc00948

秋葉原駅
6_20241129154101

万世橋を渡る。
7_20241129154401

らんぷに汽車。なかなか洒落ている。
8_20241129154401

神田駅。
9_20241129154501

ゴールを目前にして、丸善のカフェにて、白玉ぜんざいソフトを食べて休憩する。
10_20241129154501

遂に東京駅にゴールしました。
11_20241129154601

本日は不忍池とか湯島聖堂とかいろいろあったのですが、「はにわ」展を見てしまって、あとは駅名ばかり写真に撮っての駆け込みゴール的になってしまいました。しかも昨年の2月から始まって2年がかりになってしまい、9回もかかりましたが終わってホッとしました。
目黒あたりが一番時間がかかり、面白かったです。
約15000歩。(完)


補足:「はにわ」展の写真

ポスターには踊る埴輪と挂甲の武人の顔の部分と動物が写っている。
12_20241129154701

大王の埴輪、2.5mもある大きな円筒形の埴輪。埴輪の原型は壺型だそうで円筒形になり人間型になったようだ。
13_20241129154701

子持家型埴輪、中心の家(親)の周りに4つ小さな建物(子)を配している。
14_20241129154801

顎髭の長い埴輪、今みたいな剃刀のない時代では髭を伸ばしていた人が多かっただろうと思われるけど、他の埴輪は髭があるようなないような。
15_20241129154801

船型埴輪
16_20241129154901

国宝 挂甲の武人とその仲間
同じ工房で作成された可能性のある5体の挂甲の武人が集結した。
この一体はアメリカ・シアトルから里帰りしたもの。
17_20241129154901

元は赤や白で彩色されていたという。再現されたもの。
18_20241129155001

力士、あの時代に力士がいたの!
19_20241129155001

導水施設形埴輪。水を引いて聖水の儀礼または遺骸を洗浄した施設と考えられる。
20_20241129155001

棺の埴輪
21_20241129155101

動物たち、馬、牛、鹿、猪、犬、鳥、魚。
22_20241129155101

水鳥埴輪。今でも水辺で見かけるように子供がのっている。
23_20241129155201

埴輪と言えば人型や動物だけしか思い浮かばなかったのですが、元祖壺型から始まっていろいろな造形があってまた一つ勉強になりました。

| | | コメント (10)

2024年6月 1日 (土)

山手線一周8田端駅~上野駅

久しぶりに歩きました。
Photo_20240601104701

田端駅の近くに田端文士村記念館があったが休館だった。
Photo_20240601104702

今は何も残ってない所に説明板があって、昔を偲ぶよすがもないほどだ。しかし随分たくさんの文士が田端に住んでいたものだ。
芥川龍之介旧居跡。
3_20240601104801

寿命院の赤紙仁王尊。
赤紙を自分の患部と同じ箇所に貼って病気身代わりと心身安穏を願うようになった。
4_20240601104801
満願のあかつきにはお礼として草履を奉納する。
5_20240601104801
お寺のご本尊は不動明王だった。
6_20240601104901

ピンクのちょっと混じった白いシモツケを見るのは初めて。
7_20240601104901

小杉放庵の旧居地跡の周りにも色々な文士が住んでいた。
村山槐多、田河水泡、小林秀雄、直木三十五、竹下夢二、岡倉天心、萩原朔太郎など。
8_20240601104901

陶芸家・板谷波山やサトウハチローの旧居跡を通り西日暮里駅へ。
9_20240601105001

西日暮里公園は、飛鳥山の続きの道灌山で、江戸から明治にかけて虫聴きの名所だったそうだ。
一角には青雲寺があって加賀前田家の12代当主から4代にわたっての墓地があったが、今は金沢に移ったとのこと。
10_20240601105001

江戸六地蔵は全部座っていたが、ここ浄光寺(雪景色が美しかったので雪見寺と呼ばれる)には、江戸東部の六ケ所の六地蔵の3番目の地蔵がある。こちらは立っている地蔵だ。
11_20240601105101
古い庚申塔もたくさんあった。
12_20240601105101

昼食はスイスの家を模したスイス・ミニ・カフェで生ハムとチーズの硬いパンのサンドイッチ。美味しかった。お庭は全部ハーブで埋め尽くされていた。
13_20240601105101
14_20240601105201

夕焼けだんだんではいつも夕方でなく、今回は生きている猫にも出会えなかった。
15_20240601105201
16_20240601105301

ここから近い朝倉彫塑館へ。
17_20240601105401
高村光太郎や北村西望、イサム・ノグチ、平櫛田中、外尾悦郎、岡本太郎、佐藤忠良などなど実にたくさんの彫刻家がいる中で、朝倉文夫の作品は大好きです。特に人物の描写が皴1本に至るまで見入ります。
アトリエ、書斎、池のある庭、凝った和室の数々、観葉植物、屋上庭園(この日は雨で×)など、どこ見ても一点の隙もなく、庭は名勝指定を受けるほどです。
猫好きだったそうです。
182

すぐそばに大黒天経王寺がある。日蓮上人作の大黒天が祀られる。
門をこちらから見て右手左側の中央の穴は、1868年の上野戦争時に彰義隊をかくまったための新政府軍からの銃弾の跡である。
19_20240601105501

日暮里駅、乗換はするけれど外観は初めてだ。他の駅と感じが全然違う!
20_20240601105601

ここから谷中墓地を回る。
まず牧野富太郎博士の墓。
21_20240601105701

幸田露伴の小説『五重塔』のモデルで昭和32年に焼けてしまった跡。
22_20240601105701

佐々木信綱の墓。東海道でも実家を見た。
23_20240601105701

横山大観の墓は敷地が広い。
24_20240601105801

鳩山一郎の墓を過ぎ、奥まったところに徳川慶喜の墓があった。柵で囲まれて入れない。
25_20240601105801

渋沢家の墓も大きい。一番左が栄一の墓。
26_20240601105901

最後にニコライ堂のニコライの墓。
27_20240601105901

鶯谷駅、15時頃。
28_20240601110001

寛永寺に入る。残念ながら正面は工事中。
29_20240601110101
その他寺内を巡るとカシワバアジサイがたくさん満開を迎えていた。
30_20240601110101
徳川綱吉霊廟勅額門。もう一つ隣にあったけれど似て言てこちらも立派であった。
31_20240601110101

寛永寺を見てから最後に黒田記念館に入る。
32_20240601110201
作品は『ブレハの海岸』
33_20240601110201

上野駅に16時に到着。駅の撮影を忘れる。地元に帰ってスパークリングワインで乾杯。東京駅にはあと1回で到着なのですがいつになることやら。
約25500歩で前回と同じでした。

| |

2024年4月 4日 (木)

山手線一周7 大塚駅~田端駅(2)

知らない人のいない六義園の塀のところまできたが、入口はちょうど対角線の向こう。入口まで半周して大名庭園の大きさに驚く。
六義園は綱吉の時代、柳沢吉保によって造られ、明治になって岩崎家のものとなったが、昭和13年東京市に寄付され一般公開されることとなった。

内庭大門より庭園へ。枝垂れ桜が目の前で、もう咲き終わってしまったでしょうか。
1_20240404163901
福寿草。
2_20240404164001

池が見えてきた。学生時代に来たきりで感慨深いが何も覚えていなかった。
3_20240404164201
園内は、和歌の浦の景勝、和歌に詠まれた名称、中国古典の景観が八十八景として映し出される。
右が妹山と背山。中には入れない。妹背山のある島が今も和歌山の和歌の浦に残っており、また紀ノ川流域の吉野にも妹山と背山は実在する。

滝見茶屋の所に小さいながらも滝があった。
4_20240404164201

吹上浜(和歌山の吹上にちなむ)の吹上松。
Photo_20240404164301

そばの吹上茶屋で休憩。抹茶と生菓子のセット。生菓子は鶯と寒椿。そういえば昨日今年初めて鶯の声を聞く。
6_20240404164301

大好きなつぐみ。もうすぐ北へ行ってしまうのね。
7_20240404164301

至る所工事中で行かれなくてまた元に戻り渡月橋へ。渡月橋は2枚の大岩がつながっていてまっすぐには行けない橋。
8_20240404164401
島に渡る。
9_20240404164401

出汐湊から池を眺めて六義園を出る。
10_20240404164501

次は東洋文庫ミュージアム。以前ブログ友のmatsubaraさまとご一緒したので記憶に新しい。
16_20240404164501

モリソン書庫は素晴らしい!オーストラリア人ジャーナリストのモリソンが集めた約2万4千冊の主に欧文で書かれた東洋に関する本で、三菱三代当主岩崎久彌が一括購入(現在価格70億円)した。
11_20240404164701
今の展示は、江戸大絵図の巨大な原寸大レプリカ(常設)、チネリの絵、アジアの教会を巡る旅、モリソンについて、キリスト教交流史(宣教師の見た日本、アジア)。

江戸大絵図の巨大な原寸大レプリカ。
14_20240404164501
漂白の画家ジョージ・チネリーの風景画の紹介。マカオで27年間亡くなるまで描かれた絵の1枚。
13_20240404164601
東方見聞録。
12_20240404164601
各修道会のマントの色・・と以上4枚の他は全部写真がぶれていた。
15_20240404164701

駒込駅。
17_20240404164801

次に向かったのは旧古河庭園
以前行ったのはバラの季節で日本庭園はじっくり見てなかった。洋館は以前は混んでいて、今回は開館日でなくて見られず。
元は陸奥宗光の邸宅だったが、宗光の次男が古河家の養子となって古河家の所有となった。当時の建物は現存してなくて、
高い丘の古河洋館と斜面の洋風庭園はジョサイア・コンドルが、低地の日本庭園は小川治兵衛が設計した。
まの悪いことに、池は搔い堀りの最中でもうほとんど水がない。残念だったが利点は人が殆どいない事。今回は灯籠に色々な種類があることを知った事!

展望台からの眺め。
18_20240404164901
洋館とバラ園。
19_20240404164901
黒ボク石積。富士山の溶岩を石垣状に積んである。
20_20240404165001
冬ボタン。
21_20240404165001
雪吊り、美しい。
22_20240404165101

では灯籠見物。
奥の院型。大きな灯籠。
23_20240404165101
泰平型。どっしりしているのが特徴。
24_20240404165101
濡鷺型灯籠。霧雨の中に一本足で立つサギの姿。う~ん。
25_20240404165201
春日型灯籠。もっとも多い形式で、六尺が標準とか。奈良の春日大社の神獣、鹿と鳥居を組み合わせた図柄だそうだ。
26_20240404165201
十五層塔。
Dsc00013

途中、桃が咲き始めているのを見ながら一駅歩いて田端駅到着は16時頃だった。
27_20240404165501
28_20240404165501

おみやげの巣鴨の塩大福。
29_20240404165501

約25500歩。

(この項終わり)

| |

2024年3月31日 (日)

山手線一周7 大塚駅~田端駅(1)

病人は転院することになりましてこの後もバタバタすることになります。
寒い時期に田端まで歩いたのですが忘れてしまっていまして、簡単に記録します。

魔の中央線の遅延で田端駅スタートは10時過ぎ。午前中は殆ど墓マイラーです。
1_20240331210401

巣鴨地蔵通り商店街を横切って本妙寺へ。山号徳栄山は徳川家が栄えるようにとつけられた。
と言うだけあって山門も立派なは高麗門(正面の二本の本柱の上部を冠木で繋ぎ切妻屋根を架け、内部の控えの上にも小さな切妻屋根を架けた門)。奥には大きな屋根の本堂が見える。
2_20240331210601

ここの墓地には有名人のお墓がある。

本因坊歴代のお墓(家康は囲碁が好きで、京都にいた初代本因坊算砂日海を呼び寄せ、四世から二十一世がここに葬られている)。
江戸時代末期の将棋指し、天野宗歩のお墓は将棋の駒形だ。
3_20240331210601

ペリー来航のときの通訳で日本最初の通訳:森山多吉郎のお墓や剣豪:千葉周作のお墓もあった。

遠山の金さんのお墓!遠山金四郎の本名は遠山景元。
4_20240401085401

有名な明暦の大火(振袖火事)供養塔があるが、ここ本妙寺の檀家の娘の供養のために燎火に投じた振り袖が舞い上がって本堂の屋根に飛火したことによるとされている。

お隣のお寺、慈眼寺にも有名人のお墓がある。
司馬江漢(江戸時代の画家)や小林平八郎(忠臣蔵で有名な吉良方の侍)の他、文豪の
芥川龍之介のお墓がある。
5_20240331210801

谷崎潤一郎のお墓も。
6_20240331210801

慈眼寺の目の前にある染井霊園のお墓にも寄る。
ボケの花がきれい。
7_20240331210801

若槻礼次郎(昭和初期の首相)のお墓や水原秋桜子(俳人)、小説家二葉亭四迷の墓を見、
岡倉天心のお墓へ。流し場かと思ってしまう妙な形の墓。
8_20240331210901

高村光雲、光太郎、智恵子のお墓。
9_20240331210901
10_20240331211101
梅を見ながら最後のお墓と別れ、巣鴨地蔵通り商店街へと向かいランチの時間となる。

サラダ付きえびグラタンの昼食を終え、とげぬき地蔵(とげぬき地蔵尊髙岩寺)に向かう。ここからの見学場所はかつて来たことがあるところばかりだが、覚えていないところが多い。

山門。
11_20240331211001
本堂。中は見えなかったが、大名屋敷で針を誤飲した女性に、この地蔵尊像を写し取った紙札を飲ませたところ、 針が紙札の地蔵尊を貫いて出てきたのが「とげぬき」のはじまりだそうだ。
12_20240331211201
洗い観音。水をかけて洗ったところが良くなるという・・・あちこちとても具合の悪い高齢者があらゆるところに水をかけ祈っていた。
14_20240331211201
お地蔵様群。
13_20240331211301

元祖塩大福のお店「みずの」にて塩大福を購入。今日のお土産。
15_20240331211401

真性寺に寄る。
江戸六地蔵の一つで、これで4つ目。東海道、甲州街道、日光街道の時に見たがこれも大きい。
16_20240331211301

境内のしだれ梅のきれいなこと!
17_20240331211501

芭蕉句碑があった。「白露も こぼさぬ萩の うねりかな」
18_20240331211501

ようやく一駅進んで巣鴨駅に到着。
19_20240331211601

ここから六義園に向かう途中で福音館書店の本社があった。
20_20240331211601
『大草原の小さな家』シリーズや『ぐりとぐら』を思い出す。
21_20240331211701

 (続く)

| |

2024年2月25日 (日)

山手線一周6 目白駅~大塚駅(2)

建国記念日振替休日の日から始まり明後日で5回も往診をお願いした夫の病気は熱が少し今日から下がり始めたのにほっとしたところです。
ハイサンソという酸素吸入器は外せない状態です。2度の入院以外は家で寝込んだのは2度目で、慣れない私はあたふたと無駄な階段の上り下りを繰り返しておりました。登山と街道歩きで鍛えたのが多少は役に立ったのですが、重い体を引っ張ったりで腰と背中がやられて元気が失せました。
頭がぼーっとしてきたので娘に先生との対応をしてもらい、それで結構さらに悪い根源がわかって良かったです。さらに病人に良さそうな食べ物を毎日たくさん買って運んでくれたり、婿さんにはコールチャイムセットを取り付けてもらって感謝です。

熱が下がったところで、山手線(2)を簡単に書きました。ご覧頂くほどではありませんが、ちょっと飛ばし読みしていただければと思います。


昼食後、サンシャイン60展望台てんぽうパークへ。226.3mだそうだ。
晴れているのに、下は池袋で遠く富士山は見えなかった。
1_20240225211401

新宿方面。手前の高いビルは豊島区役所。
2_20240225211401

スカイツリー。先日あそこ(116m高い)では曇っていて富士山見えず。両方とも初めてなのに。富士山が見えたのは都庁の展望台と東京タワーだけか。
3_20240225211401

すごく遠くに筑波山。写真には写らない。
4_20240225211501

続いてサンシャイン水族館へ。2度目で私の大好きな3種類を。

1つ目はチンアナゴとニシキアナゴです。
5_20240225211501

2つ目はクラゲ。
インドネシアシーネットル。
6_20240225211501
アカクラゲ。
7_20240225211601

3つ目はペンギン。ビルを背景に空飛ぶペンギンの印象はこの日まで忘れていなかった。
10_20240225211601
9_20240225211601

冬の水族館は初めてで、動くサンゴを見て初めて動物感がした。
鰯の大群、気味悪いうつぼ、チョウチョウウオ、ドラゴン、バンダコウイカ、アカトマトガエル、マダラヤドクガエル、ミヤコテングハギ、カクレクマノミなど熱心に見て楽しんだ。

次は初めての古代オリエント博物館へ。サンシャインシティの端の文化会館ビルにある。
日本最初の古代オリエントをテーマとする博物館として1978年に誕生し、出土品、美術、歴史等の資料を展示している。
古代メソポタミア、エジプト、シリアなど幅広く展示されていた。

壺類。
11_20240225211701

家形模型(シリア)。家の中で祭祀が行われていたそうだ。
12_20240225211801

カモ型分銅。
13_20240225211801

三面神石彫 北シリアBC1800年
14_20240225211901

こぶ牛形土器 イランBC1200~800年。
15_20240225211901

仏伝図浮彫(ガンダーラ)。他、まだまだ素晴らしいものに溢れていました。
16_20240225212001

池袋駅を撮って大塚駅へ進む。
17_20240225212001

江戸六地蔵の一つ、巣鴨の真性寺の地蔵の分身と言われているそう。
18_20240225212101

山手線一周と言いながら、山手線脇を歩いていなかったので線路際を歩く。
19_20240225212101

大塚駅到着。4時40分過ぎ。人身事故などで電車が止まったり、遅れたりで、地元駅到着6時10分着。
20_20240225212101

いつものお店でビールで乾杯!
お通しは生湯葉、ホタルイカの酢味噌和え。
サワラのお刺身、どんこの煮付け、タラと白子と生ワカメの小鍋。
21_20240225212201
お土産は鬼子母神のお団子と水族館のペンギン餅。
22_20240225212201

帰宅は8時。約20700歩

 (この項終わり)

| |

2024年2月15日 (木)

山手線一周6 目白駅~大塚駅(1)

ステンドグラスがこの間より良く見える目白駅を10時にスタートする。
1_20240215123701

駅前の目白橋からは、池袋方面、サンシャインや焼却場煙突などが近くに見えた。
2_20240215123801

学習院と反対側にある中村彝(つね、本名)アトリエ記念館へ。2013年開館の新宿区の施設で無料。
3_20240215124101

中村彝は、前回行った新宿中村屋の創業者相馬夫妻のはからいで、中村屋裏のアトリエで画業にいそしんでいた。しかし長女俊子(その後中村屋のカレーを作ったインド独立運動家のビースと俊子は結婚)との恋に破れて去り、最終的にこの地にアトリエを建てる。しかし、17歳で発症した肺結核は次第に病状が悪化し一進一退を繰り返し37歳で亡くなる。 

管理棟には俊子をモデルとした絵やデスマスクや資料がある。
4_20240215124201

老母像や自画像。エル・グレコ風。この後ビデオを鑑賞したが、色々な絵が出てきて、ルノワール風、自画像の一つはレンブラント風、ゴッホ風、セザンヌ風の絵があって笑ってしまった。
5_20240215124201

林芙美子記念館からきた金魚が飼われている。他に佐伯祐三アトリエ記念館がある。
6_20240215124301

アトリエ棟へ。
7_20240215124301

アトリエ。
8_20240215124301
岡崎きいの部屋は3畳と押し入れ。アトリエ完成とともに彝の身の回りの世話をするため同居した。
9_20240215124401
庭も再現されていた。
10_20240215124501

駅の反対方向の鬼子母神へ。
西参道から入ったところにまずあったのは妙見堂で本堂と繋がっている。
妙見大菩薩は北極星または北斗七星を神格化した仏教の天部の一つ。中は見ることが出来ない。
11_20240215124601

鬼子母神像。
12_20240215124701

鬼子母神堂。鬼と言う字にノがない。
13_20240215124801
拝殿、相の間、本殿の3つの建物で構成された権現造り。元禄13年(1700)建立。永禄4年(1561)目白台で掘り出されたという鬼子母神が祀られている。
中は撮影禁止だが、ちらしに美しい堂内鬼子母神像と絵馬が載っている。
14_20240215124901
ここにも力石があった。江戸には力持ちが多かったのかな。
15_20240215125001

法不動堂の金剛不動尊。丁度怖い顔の部分が見えない。
16_20240215125001

武芳稲荷。穀物の神様。
17_20240215125101

大公孫樹(おおいちょう)。樹齢600年以上、樹高30余m、樹周8m。
18_20240215125101

大黒堂の大黒様。雑司ヶ谷七福神の大黒様。
19_20240215125201
この中ではおせん団子を売っている。このお団子は美味しい。お薦めです。

鬼子母神の見学を終えて、サンシャインシティへと向かって歩き昼食とする。
ドリア専門店の「チーズ&ドリア スイーツ」で、、サーモンとアボカドのゴルゴンゾーラクリームドリアと白ワインを頼んだ。
目黒辺りからお昼からワインを飲んだりしちゃって街道歩きと段違い。久しぶりのドリアは美味しくお腹いっぱいになった。
20_20240215125301

(続く)

| |

2024年2月 5日 (月)

山手線一周5 新宿駅~目白駅(2)

お昼はミロードの中にあるロシア料理の店、マトリョーシカで。
はと麦と緑のサラダ、ジョージアの赤ワイン、ボルシチ、つぼ焼き(皮にお茶が入りとろけるチーズときのこ入り)、ロシア紅茶。
1_20240205110801

ビックカメラで私の腕時計を買って、中村屋サロン美術館(2014年オープン)に入る。
中村屋の創業者である相馬愛蔵・黒光夫妻が芸術に造詣が深く、多くの芸術家を援助。サロンの中心人物だった荻原守衛(碌山)をはじめとして、高村光太郎、中村屋の裏のアトリエで創作活動をしていた、柳敬助や中村彝などの作品等を鑑賞した。
2_20240205110901

新大久保駅に向かう駅近くの皆中稲荷神社に寄る。
由来に寄れば、江戸時代、鉄炮組与力の夢枕に稲荷様が立たれ、霊符を示し、稲荷神社にお参りをして射撃を試みたところ百発百中「皆中(みなあたる)の稲荷」と称され、賭け事の神として信仰されるようになった。
3_20240205110901
狛狐。
4_20240205111001
本殿。
5_20240205111001

新大久保駅。
6_20240205111001

コリアンタウンを歩く。テレビで見るだけで初めて。
7_20240205111101
何故イケメン通りと言うのか知らないけどを歩いてみる。
雑貨店、飲食店、テイクアウトのお店、スーパーに市場ともうお店だらけ。若い人ばかりで、日本語はほとんど聞こえてこない。
8_20240205111101

買いたいものもなくここを後にして高田馬場駅へ。
9_20240205111201

神田川を渡る。水がきれい。
10_20240205111301

学習院を右手に見ながら、切手の博物館に到着。
11_20240205111401
左のポスト、縞々模様に目と指がつく。その後にタラヨウの木が植えられている。
右側に切手を咥えた鳥さんがお出迎え。
12demukaedori
植え込みに郵便配達の人?
13_20240205111401
中に入ると投函できないポストが。切手を銜えた鳥がどれにも乗っている。
14_20240205111501
現在の展示は、「世界のごちそう」展。
15_20240205111501
世界のお料理・食事、スイーツ、ワイン、日本の美食が展示されている。食べ物に関する切手がこんなにたくさん世界中にあるとは驚きです。食べたことないものがたくさんあるのは勿論、私もアフリカで食べたことがありますけれど虫料理などもあった。
色々な部門の切手展が続いて行くのでしょう。収集家ではないのでもうこにに行くことはないと思います。

ここから目白駅は近く、4時47分に駅到着。ステンドグラスのある素敵な駅だ。
16_20240205111601

三鷹のスペインバル、ラクエバにて夕ご飯。
白ワイン(アルトラス・ロカス)。お通しはサーモンのピンチョス。いわしのマリネ。ピクルス。マッシュルームの陶板焼き。スペインの白パン。北海タコのビルバオ風。
17_20240205111601
18_20240205111701

帰宅は7時すぎ。
おみやげは新宿御苑で買ってもらったおきあがりこぼし。
19_20240205111701

約27400歩。やっと山手線半周です。

  (この項終わり)

| |

2024年1月30日 (火)

山手線一周5 新宿駅~目白駅(1)

この企画は寄り道が多くて楽しいけれど、遅々として進まずの感ありです。まだ半分も歩いていません。

1/25(木)
1_20240130132401
新宿駅東南口に到着し(9時50分)、新宿御苑へ向かう。真冬でも温室があるので楽しみだ。
時計と反対まわりに歩いて行く。

これはヒマラヤシーダー(ヒマラヤスギ)で他に御苑にはレバノンシーダーとアトラスシーダーがあるそうだ。
2_20240130132501

モミジバスズカケノキ。葉も大きくモミジの葉のようだ。
3_20240130132501
4_20240130132501

ラクウショウ。秋になると枝が鳥の羽のように落葉することから落羽松という。樹齢は100年を超えるという。
湿地や沼地に生育する。井の頭公園にもあったような。
5_20240130132601
根からは気根がにょきにょきと出ていて、羅漢さんの頭とか手みたいに見えて面白い。国内でもこんなに気根が美しく発達したのは珍しいとのこと。
6_20240130132601
7_20240130132601

メタセコイア ラクウショウに似ている。葉が違うそうで葉の付き方がラクウショウは葉が小さく互生。
アメリカのヨセミテ国立公園で見たのはジャイアントメタセコイアで樹齢3000年越えるのもあって、昔木の根元の大きな穴を車が通っていた。
8_20240130132701

サザンカがまだ咲いていた。
9_20240130132801

森の家近くにシモバシラが!寒い日でよかった。
10_20240130132801

梅の木の下に水仙・ペーパーホワイト。真っ白!
11_20240130132901
12_20240130132901

NTTドコモ代々木ビルが池から見える。前回代々木駅前のこのビルの横を歩いた。
13_20240130133001

整形式庭園のバラ園にはまだ咲いているのがあった。
フリージア、エーデルワイス、ゴールドバニー、緑光。
16_20240130133101
17_20240130133101
18_20240130133201
19_20240130133201

温室へ。冬でもたくさん咲いていたが目新しいものもあっていつ来ても楽しい温室だ。カメラがすぐ雲ってぶれてしまった感じ。

ベトナムツバキ、まるで和菓子のようだ。
20_20240130133301
ハナアナナス、先端にツユクサみたいな色の花弁みたいのが3つついている。
21_20240130133301
アフェランドラ・アウランティアカ
22_20240130133301
セドゥム・モルガニアヌム(玉つづり)
23_20240130133401
ホウカンボク(ベネズエラ原産でくす玉のよう)。
24_20240130133401

ロウバイとジュウガツサクラ。
25_20240130133501
26_20240130133501
27_20240130133601

日本水仙。花の中央の黄色の部分が大きいと認識。ペーパーホワイトを見たので。
28_20240130133601

真冬とはいえ新宿御苑もそれなりに見所一杯でした。

 (続く)

| |

2024年1月23日 (火)

東京新年会・はとバスで回る

昨1/22(月)に8人のブログの友人で結成された東京新年会も回を重ねて10回以上、途中参加の私もコロナの期間はなかったが、昨年に引き続きはとバスで東京見物をして親交を深めてきました。今年は6人が集合。

●まず向かったのが豊洲市場。

レインボーブリッジを渡ってお台場から晴海方面、臨海副都心へ向かうと間もなく豊洲市場に到着する。
バスの中から
0

ざっと見まわしても兎に角広い。1時間半あっても青果棟まで全部は見回れない。
道路伝いでなく、ペデストリアンデッキと言ったらよいでしょうか、これを渡って行くと安全でスムーズに移動できる。
道路は広く早朝はこの道路をたくさんの車が行き交うのでしょう。
1_20240123152601

まず管理棟を通って水産卸場棟へ。たくさんの小学生が学校から見学に来ていた。勿論外人さんも多い。
マグロの模型、本物を見たことがなくて、何て大きい!生まれてこの方かなりたくさん食べて、有難うとお礼を言いたい気持ちになりました。
2_20240123152601

マグロのセリはこんな10時近くではとっくに終わっていて、ガラス窓越しに閑散としていて、しかも清潔感あるせり場を覗く。
3_20240123152701

次は水産仲卸売り場棟へ。同じようにしていろいろ覗いてみる。
4_20240123152701
5_20240123152701

お店。お寿司屋さんが多く、6貫で4000円とか。
6_20240123152801
又八百屋さんではリンゴが1個300円、菜の花が1000円近くだったか、いやはや目の回りそうな値段でこの日一番のびっくりでした。

屋上の緑化広場に上がって臨海部を眺める。なかなか美しい海と空の色とビル群だ。
7_20240123152801
8_20240123152801
選手村は手直しして殆ど完売とか。
9_20240123152901
南西レインボーブリッジの方は既に雲に覆われ始めている。
10_20240123153001

昼食は近くのホテルで。
飲み物とサラダと果物はバイキング形式。深川飯が大変美味しかった。
11_20240123153001

●次はスカイツリー。
350m展望台へ 残念ながら曇ってしまった。
向こうはさっき行った臨海部か。
12_20240123153101
東京タワー方面。
13_20240123153101
新宿方面
14_20240123153201
墨田川の向こうは淺草。
15_20240123153301
墨田川と荒川が見える向こうは足立区と葛飾区。
16_20240123153301
浦安方面。
17_20240123153401


●最後は淺草
混んでいて、中国語が飛び交っていました。
18_20240123153801
Dsc09508-2

昨年も来ているので、バスを降りて、喫茶店で新年会。それぞれここから帰途に。
来年も元気にお会い出きるかしら。
皆さん、楽しいおしゃべりをありがとうございました。それにずっと幹事をしてくださっている銀河さんには深くお礼申し上げます。

| |

2024年1月12日 (金)

狭山丘陵ハイキング

1昨年から恒例の年末歩き・・昨年は大晦日前日に狭山丘陵の西端の都立野山北六道山公園界隈にハイキングに行って来ました。
狭山丘陵は多摩湖と狭山湖があって、東京都の東村山市、東大和市、武蔵村山市、福生市、西多摩郡・瑞穂町と埼玉県の入間市と所沢市に囲まれた丘陵で、ちなみに狭山市は入っていない。

車で8時出発し瑞穂町の石畑公園に9時着。
1_20240112161301

都立公園マンホールを発見。都の木イチョウ、都の花ソメイヨシノ、都の鳥ユリカモメがデザインされている。
2_20240112161301

六道山公園に到着すると展望台がある。
3_20240112161401
4_20240112161401
標高192メートル地点にあり、高さ13メートルで、関東の富士見100景に選ばれている。
富士山が見えました!
5_20240112161501
御岳の大岳も見える。
6_20240112161601

下っていくと関根伸夫の彫刻「風景の指輪」があった。
7_20240112161601

こんな散策路が続いている。
8_20240112161601

須賀神社奥の院。神社はかなり下ったところだ。須賀神社の総鎮守は新宿区四谷だ。
9_20240112161701

カワラタケやカイガラタケが切断された古株にびっしりでなかなか快い風景だ。
10_20240112161701

フユイチゴ。美味しそうに見える。
11_20240112161701

ススキもなかなかのもの。
12_20240112161801

ほどなく六地蔵到着。明治30年に赤痢がはやってたくさん亡くなったために供養として建てられたもの。
石幢タイプの3面に2体ずつ彫られた六地蔵。
13_20240112161801

ここで折り返し、里山民家の方へ。
15_20240112161901

何と木全体に以前見たチャカイガラタケみたいなのが生えていた。
14_20240112161901

里山民家は年末のためにお休み。
16_20240112162001

道を下り切ったところの須賀神社にお参りする。上の方で最初に奥の院を見た。
境内の杉や樫の葉をいただき門口につるしておくと伝染病にかからないとか。2020年以後ずっと伝染病が続いているからいただきたい心境になる。
2本の木が合体した縁結びの木がある。
17_20240112162001

続いて郷社阿豆佐味天神社へ。
五日市街道を歩いとき砂川の阿豆佐味天神社(猫返し神社)に寄ったが、こちらの瑞穂町の方が総本宮。ピアニスト山下洋輔の猫がお詣りしたら帰ってきたというので猫返し神社と言われたことを思い出した。
彫刻がなかなかに立派だった。毎年3月4日に平安時代の衣装をまとって行列する例祭が行われるそうだ。
18_20240112162101

瑞穂町のマンホール。町の鳥オオタカが町の木・松に止まり、周囲に町の花のお茶の花がデザインされている。
19_20240112162101

福正寺到着。狭山観音霊場第25番。本尊聖観音。
総門をくぐる手前に庚申塔がある。
20_20240112162101

次の山門は仁王門で立派だ。
21_20240112162201

本堂の前、左に見えるのはタラヨウの木。樹齢700年。左横に羅漢様が見えている。
22_20240112162301

十六羅漢を見学しながら登っていく。
23_20240112162301
24_20240112162301
25_20240112162401

五重塔。中には大日如来が安置されている。
26_20240112162401

観音堂。彫刻が素晴らしいし天井画の龍が立派だ。今年の干支だ。
27_20240112162501
28_20240112162501

天王山遊歩道を上って石畑公園駐車場到着。12時40分。

お昼はピザ工房馬車道で、フレッシュモッツァレラのマルゲリータピッツァ、ナスとべーこんのシチリア風スパゲティ、ほうれん草クリームスパゲティ。

今日のお土産は匠紀伊国屋のお菓子。
29_20240112162601

3時前帰宅。約16400歩。ちょっと長い散歩でした。フユイチゴ、富士山、立派なお寺の彫刻や天井絵、羅漢様など色々見られて、今年の最後を楽しみました。

| |

より以前の記事一覧