2018年1月25日 (木)

小江戸川越七福神めぐり

今年の七福神めぐりは1/11(木)に小江戸川越でした。昼食の関係で菓子屋横丁のあたりをかなりうろうろとしていましたが、朝は8時半から歩きはじめ、終わって川越駅に着いたのは午後4時は過ぎていました。
この日のため体力温存(オーバー)して勇んで出かけた七福神めぐりでしたが、翌日から普通の風邪を引き、これが安静を強いられ、まだぐずぐずと長引いているのですがこの冬はこれで打ち止めにしたいものです。

680x491やっと7福神の名を覚え、昨年インドの神・2神(弁財天、大黒天)、中国の神4神、日本の神・1神(恵比寿天)を覚えた所です。
そして今年唯一実在した人物と言われるのが布袋尊ということを忘れていて再確認しました。

地図の左下にあるように、川越の七福神にはどこも「水琴窟」があります。京都のお寺で初めて聞いたのですが、原理は甕の底に溜まった水面に水滴が落ちると、甕の空洞に反響する音色が琴に似ているから呼ばれるようになった。一番最初のお寺ではまだ水が凍っていて音色が聞けませんでした。
そして川越の七福神に秋の七草の名が付いているということです。

弁財天(妙昌寺)川越城築城の太田道灌が尊崇したと伝えられる。秋の七草「藤袴」
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    宿りせし人のかたみか藤袴 わすられがたき香に匂ひつつ 紀貫之

       クチナシの花がさぞやたくさん咲いて綺麗だったことでしょう450x253

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福禄寿神(蓮馨寺)秋の七草「尾花」
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           お寺に心に染みる言葉が書かれていました
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「良いご縁がありますように」とキンキラキンの五円玉に蛙が抱き着いていて、下の水たまりには5円玉などがたくさん投げ込まれていた。
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布袋尊(見立寺)秋の七草「葛」
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                 旅立ちの法然さまの像
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中央通りに出ると蔵造りの家並みがあちこちに見られる450x253_9
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時の鐘 江戸時代初期に建立。川越の大火の翌明治27年再建。「残したい日本の音風景百選」に選ばれている。高さ16m。まだ音色を聞いたことがないのです。
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     薬師神社 時の鐘の奥にある神社で、特に眼病に御利益がある。
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                    芽キャベツ
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大沢家住宅 重要文化財 数度の大火にも類焼を免れたという、関東地方の町家の蔵造り、商家の古い例として最も重要な建造物。寛政4年当時に復元されている。
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                   川越城本丸御殿
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恵比寿天(成田山)成田山新勝寺の別院。秋の七草「撫子」
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大黒天(喜多院)秋の七草「萩」
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毘沙門天(妙善寺)秋の七草「女郎花」
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川越さつまいも地蔵尊 「さつまいもを食べて元気になろう」と現代版の芋地蔵を建立(平成7年)。10月13日はサツマイモの日で「いも供養」がこの寺で行われる。
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                      水琴窟P1120459_300x450
                     ロウバイ
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寿老人(天然寺)秋の七草「桔梗」
                   
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            木造大日如来坐像(市内現存の最も古い像)
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2017年12月 9日 (土)

現代アートの街ビルバオとスペイン・バスク周遊9日間(最終回)

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<7日目> 11月15日(水) 旅行のタイトルの現代アートが目立ち、美術館もある街・ビルバオに一日滞在する。この地図のビルバオの位置が違っていて海岸べりなのです。

まず朝もやの立ち込める街をアルチャンダ山展望台にバスで上がって眺める450x338
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                だんだんもやがなくなって450x338_2
グッゲンハイム美術館が見える。ワイナリーのそばのあのマルケス・デ・リスカルを設計したフランク・ゲーリー設計の美術館。ここから眺めるとよく似ている。4_450x338
                   フニクラで2分で下山450x338_3
    バスク地方のポストは黄色い(スペインの他の地方は覚えていません)450x338_4
                   洒落たビルがある450x338_5

・グッゲンハイム美術館 外の作品とホールだけ撮影可能であった。日本でも現代美術はスルーしていて、中の作品は凄く感銘を受けたというほどではないけれど面白い。450x338_6
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1997年10月18日開館。建設費用1億ドルと作品購入費用5000万ドルはバスク自治州政府が負担。これらの代わりにグッケンハイム財団に美術館の運営、作品などの管理、財団が所有する作品の一部を回すことを提示した。この計画は成功し、政府が負担した投資額はわずか3年で回収できたそうだ。現代アートの街として大成功を収めたわけです。

外の作品
正面入り口のジェフ・ク-ンズ作「パピー」(1992年高さ12mの草花に覆われた子犬)。水は中で循環するようになっているとか。Photo
             巨大クモ「ママン」…六本木ヒルズにもあるPhoto_2
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中谷芙二子作「霧の彫刻」毎時霧が出る。丁度出ていたので出てない時の彫刻がわからない。(中谷宇吉郎の次女)450x338_8

・ビルバオ美術館
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1914年開館、2004年新館完成。約6000点作品所蔵。

旧館1階は主に宗教関係
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                   エル・グレコ「受胎告知」325x450
                  ムリーリョ「涙の聖ペテロ」338x450_2
                    スルバラン「聖母子」338x450_3
旧館2階はフランスやイタリアで美術を学んだバスク人芸術家による作品。勿論名前も作品も初めて。450x338_10
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新館2階は近代の芸術家など。ゴヤやピカソ、アルチンボルト、彫刻もあった。

昼食はサラダ(チキン、ベーコン、チーズにヨーグルトソース)、イベリコ豚グリル、コーヒープリン。

・午後は地下鉄で旧市街へ行き、教会など見学450x338_14
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       バル450x338_18
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<8日目> 11月16日(木)帰国 朝3時起きでビルバオからオランダ・アムステルダム・スキポール空港へ
アムステルダムでの待ち時間を利用して1時間のアムステルダム運河クルーズを楽しむ
2004年、5つ違いの夫と偶然同時に退職して初めて一緒に出掛けたオランダ・ベルギー。最初のアムステルダムで見学したアンネ・フランクの住んでいた家や、レンブラントの家を運河から眺めることが出来るとは思ってもみなかった。

アムステルダム中央駅(東京駅の姉妹駅) (日本では東京駅の丸の内側がきれいになった所。皇居まで道がまっすぐに伸びて東京の玄関にふさわしい)450x338_20
            運河クルーズから帰った時間をさしている450x338_21
運河クルーズ450x338_22
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<9日目>11月17日(金)の9:40に、前日14:30にKLMオランダ航空で出発した飛行機が成田に到着した。時差8時間。

秋、まだ緑がきれいなバスク地方、各都市では斬新なデザインの建物を多く見、歴史をチョット垣間見、食物も肉やサケ・マスだけのよその国と違って海鮮をたくさん楽しめました。
今回の添乗員さんも行き届いていて、随分お世話になり、美術や各名所のことをたくさん教えていただき、ここブログに記録することが出来ました。
バス移動で、総勢9人の気の良い人たちなので気疲れもゼロ、見学時間がそれほど多いわけでなく自由時間も多く(殆ど添乗員さんに付いて行って案内していただいたのだけれど)、ホテルも全部4つ星だったので快適に過ごせた思い出深い最後かそれに近い旅でした。(来年でパスポートも切れる)
長いこと読んでいただきありがとうございました。(完)

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2017年12月 6日 (水)

現代アートの街ビルバオとスペイン・バスク周遊9日間(5)

<6日目> 11月14(火) ビルバオへの途中・礼拝堂とゲルニカなど450x350
●サン・ファン・デ・ガステル・ガッチェ礼拝堂 最近のテレビで2回も見て是非行って礼拝堂の中を見てみたいと思っていたが、展望台で眺めるにとどまる。残念。450x338
ビルバオの北東約20㎞「スペインの最も美しい風景」と言われ、スペイン版万里の長城とも言われ、礼拝堂まで241段の階段が続いている。そして「世界のすごい階段7選」にも選ばれているのだそうだ。
サン・ファン(聖ファン)とは聖ヨハネ(洗礼者の方のヨハネ)のこと。ガステル=城(バスク語)ガッチェ=岩(バスク語)。礼拝堂が建ったのは9~10世紀。1886年に再建されたが、その後1978年に火事に遭い、2年後の1980年に再建されたのが現在の礼拝堂である。

               展望台に近づくと見えてきた礼拝堂 450x338_2
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          階段に2人見える 季節のせいか訪れる人が少ない 450x338_4
                 右の島が通称うさぎ島か450x338_5
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●ゲルニカ観光
ピカソの「ゲルニカ」…マドリッド、ソフィア王妃芸術センター所蔵

・レプリカの「ゲルニカ」450x338_11
バスク人の自由の象徴であった町が、1937年4月26日、スペイン内戦で右派フランコ将軍(反乱軍)を支援したドイツ軍(イタリア軍も)による空爆で罪のない一般市民1500人以上が亡くなり悲劇の町となった。世界で初めての一般市民に恐怖心を与える無差別爆撃であり、この延長線上に、第二次世界大戦のロンドン、ドレスデン、東京、重慶、そして広島、長崎への空爆があると言われる。
パリ万博の作品を制作していたピカソの耳に空爆のニュースが入ると5月1日からモチーフのスケッチに入り、6月4日頃「ゲルニカ」を完成させ7月12日に万博に出展。
フランコ将軍の死(1975年)後の1981年10月にニューヨークのMOMA美術館からスペインへ戻された。

・バスク議事堂と樫の木(オーク)
昔からバスクの人々は、樫の木の下で議会を行い、代々のビスカヤ伯は称号を受ける前に、木の下でバスクの法を守ることを誓ってきた。この誓いなしに領主として認められることはなく、19世紀まで続いた。町の議事堂として現在使われているが、バスク人の民主主義の象徴として大切な所。450x338_12
              4代目樫の木(3代目は病気で枯れる)338x450
              建物石に囲まれた2代目樫の木の幹2_338x450
                    議事堂の中と天井450x338_13
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                  樫の木のステンドグラス2_338x450_2
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・ サンタ・マリア教会338x450_5
・市庁舎広場のドン・テーリョ像(1366年町の創建者)338x450_6
・市場 毎週月曜日だけ開かれる。空爆でも残った。450x338_16
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昼食
ワイン、ミックスサラダ、牛カツレツ、チョコレートケーキ、珈琲紅茶 毎日のように昼間からワインを飲んでおりました。
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食後いよいよ最後のビルバオへ向かう

●ビスカヤ橋 2006年世界遺産
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19世紀末、鉄鋼と造船の重工業都市となったビルバオ。大型の船舶が航行できる橋の設計がエフッェルの弟子アルベルト・パラシオによりされた。
長さ164m、水面からの高さ45m。1893年の完成から内戦中に上部が壊され、通行不能となった4年間を除き、現在も使われ続ける世界最古の運搬橋。
橋を渡る。行きはエレベーターで上まで上がり、橋を歩き、帰りは車6台と300人が乗れるゴンドラでネルビオン川を往復した。ゴンドラは24時間運航で4セント、2分で到着。
                 
                      橋の上450x338_22
                     ゴンドラ450x338_23
                 橋の上からの景色450x338_24
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ビルバオでの夕食
ワイン、チキンケバヴサラダ、ソース2種のタラ料理、チョコクリームケーキ、珈琲紅茶
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(続く 次回で終わり)

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2017年12月 3日 (日)

現代アートの街ビルバオとスペイン・バスク周遊9日間(4)

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<5日目> 11月13(月) サン・セバスチャンと近郊

サン・セバスチャンはギブスコア県の県都。イベリア半島の付け根に位置し、フランスとの国境に近い。ビスケー湾に面し、さらに2つの山に狭まれたコンチャ湾に、弧を描くビーチがある。近年は、美食の町として世界中の注目を集めている。

・エドゥアルド・チリダ作「風の櫛XV」
サン・セバスチャン生まれ(1924~2002)の彫刻家の作品が海に面した遊歩道にある。
船の素材を用いて外側は錆びるが、内側は大丈夫。床に7つの穴、風や波により音が鳴るそうだが、わからなかったメッ ☆ヾ('・'*)  パリのユネスコビルに風の櫛Ⅳが1868年より設置されているという。450x338
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               この地層は約6億年前の褶曲地形450x338_4
・モンテ・イグルドの展望台から(コンチャ湾の西側の山からの眺め)450x338_5
               ズームでビーチや宮殿が見える450x338_6
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・旧市街へ向かう。 広場などは1813年のナポレオンとの戦いで焼失、1817年に再建され、昔行われていた闘牛の見学料で町を再建していった。
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                    ブレチャ市場450x338_10
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・美食の町の昼食はシーフードスープ(濃厚)、ヨーロッパヘダイ(タイ科)のソテー、チーズムース
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・近郊のアスペイティアのイグナチオ・デ・ロヨラの生家と聖堂見学

イグナチオ・デ・ロヨラは、イエズス会創始者の一人で初代総長。6人の同士の一人が同じバスク人のフランシスコ・ザビエルだ。2人は同じときに聖人に列せられた。ザビエルは中国へ上陸後、普及果たせず、すぐ帰らぬ人となった。
辺りの風景も素晴らしい。450x338_16
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生家の城館はロヨラの祖父の時代に築かれ、後に修道院として使われていた。今は博物館。450x338_18
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       博物館の中
                瀕死の運ばれるロヨラ像338x450
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        聖堂が隣接しているので見る450x338_26
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                   フランシスコ・ザビエルの像338x450_2
・夜はサン・セバスチャンのバルへ添乗員さんともう一人の方の4人で入る。
4人のピンチョス。私は発泡ワインを頼む。1軒で終わりにして帰る。
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                      (続く)

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2017年11月30日 (木)

現代アートの街ビルバオとスペイン・バスク周遊9日間(3)

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<4日目> 11月12日(日)

ビトリアを離れ、ナバラ州の牛追い祭で有名なパンプローナへ、そこからまたアラバ県のビトリア南のワイナリーのあるエルシエゴへ。そこから私の地図は間違えていて直しましたが、一挙ギプスコア県のサンセバスチャンへバスで進んだ。
朝の出発が遅いからいいけれども、スペインの難点は夕食が一番早くても20時過ぎで終わるのが22時頃ということです。

●パンプローナ ナバラ州の州都 人口は約20万人
ローマの将軍ポンペイウスがピレネーへの前哨基地として紀元前75年に町を築いたのが始まり。

         サラサーテ通り  この町出身の作曲家の名を付けた450x338
            市庁舎広場 牛追い祭の開会式が行われる450x338_2
7月6日正午2階バルコニーからのロケット発射が合図。翌7日から14日、毎日朝8時に850mの距離を10頭の牛とたくさんの人が闘牛場まで走る。450x338_3
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ヘミングウェイが泊まっていたホテルと、通っていたカフェ
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闘牛場 スペインではマドリッドに次いで2番目、世界では3番目(1番はメキシコシティ)に大きい闘牛場。現在は牛追い祭の時しか見られない。450x338_8
ヘミングウェイの碑 ヘミングウェイは1923年のスペイン旅行で、マドリッドの闘牛を観戦。翌年牛追い祭を見学。1925年からパンプローナの闘牛、牛追い祭等を素材にした『日はまた昇る』を書き始めた。450x338_9
・聖母マリア大聖堂 12世紀建立だが現在は15世紀ゴシック様式  450x338_10
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              ナバラ王国カルロス3世と皇妃の棺450x338_11
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お店の風景450x338_13
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               来年の牛追い祭りまでの日時450x338_14
           ここは巡礼の道の一つでもある。巡礼さんと印450x338_24
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・エルシエゴヘ(アラバ県)450x338_15
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●エルシエゴのワイナリーとホテル「マルケス・デ・リスカル」ミシュラン1つ星レストラン

・マルケス・デ・リスカル カナダ生まれの建築家フランク・ゲーリー設計 何とも形容しがたい複雑でどうなっているかわからない建築。面白い!  450x338_17
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               裏側(掲載されていた写真から)450x338_19
・ミシュラン1つ星レストランで昼食
ワイン、前菜、赤えびのカルパッチョ、アスパラガスとキャビア、ノルウェーロブスター、コロッケ、メルルーサ&豚肉&羊肉のメイン、羊のチーズとアイスクリームのデザート、食後のコーヒーなど
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・建物から周囲の見学 450x338_23
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・葡萄の葉4種
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      オリーブの木の上の猫 バスク地方で唯一見た猫は美形であった450x338_35
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・ワイナリー見学と試飲 建物は1860年。この地ではテンプラリーニョ種の赤ワイン製造でセラーには100万単位のワインが寝かされている。1862年製造ワインが14万3千本も置かれている所も見学。年間600万本の赤ワインを作り、65%は輸出。試飲ですが私にはボルドーより渋い味のするワインでありました。(白ワインは西300㎞の所で出来たもの)1_450x338
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サンセバスチャンへ到着後の夕食はホテルの自室で    (続く)

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2017年11月23日 (木)

現代アートの街ビルバオとスペイン・バスク周遊9日間(2)

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<3日目>11月11日(土)アルタミラ博物館と同じところにある、スペインで最も美しい村の一つへバスク州からすぐ西隣のサンティヤーナ・デル・マールへビトリアから往復。夜ビトリアの広場見学。

バスク州のアラバ県から西隣のアルタミラのあるカンタブリア州へ車を進めると美しいビスケー湾が見えてくる。
ビスケー湾はスペイン北部全部とフランス西部の下半分で囲まれた大きな湾である。

車窓より

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                                ススキの群生が多かった450x338_5

アルタミラ博物館 1985年アルタミラのみの世界遺産が2008年に旧石器時代の洞窟壁画が発見されたスペイン北部の洞窟も含めて17か所世界遺産になった。450x338_6
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1879年、アマチュア考古学者サウトゥラと娘マリア(8歳)が洞窟の中に約18500~12000年前・旧石器時代の壁画を発見した。「パパ牛よ、上を見て(アルタ=高い、ミラ=見る)」とマリアが叫んだのが洞窟名になったそうだ。
全長270mの洞窟のうち、入口から30mほど入った辺りの奥行18m、幅9m、高さ2mに描かれた天井画が最も有名。その部分をそっくり同じように再現したレプリカを見学して説明を受ける。
天井の凹凸を生かし立体的に描かれているのがフランスのラスコーと違う点である。木炭で黒く描き、鉄分を含んだ石を削ったり、土を水で溶き、手の平を使って色を塗ったそうだ。描かれているのは、バイソン、馬、牡鹿、謎のサイン、手形など。

アルタミラ博物館 この洞窟に住み絵を描いた人々の祖先はラスコーと同じくクロマニヨン人でバスク人の祖先という。レプリカでも撮影禁止なので絵葉書を買った。
生捕った動物の骨で針を作り、炉辺で女性が毛皮の衣服を一針ずつ縫っている姿が印象的だった。今の生活から想像もできないほど大変な生活だ。今の自分は贅沢我儘の極みである。450x304
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博物館から100m離れた本物の洞窟入口。何でも毎週金曜日に抽選で当たった5名のみに、最近本物を見せるようにしたと言う話をちらっと聞いた。338x450
フランスバスクの東側にあるラスコー洞窟は、夫が昨年行ったところによれば、ラスコー2は本物の洞窟のすぐそばに造ったので、本物の痛みが激しく閉鎖、ラスコー4が離れた所に造られ、そこを見学。ラスコー3は精巧に造られたレプリカで、国際巡回のために造られ、現在東京上野で公開中というわけだ。Arutamiramura_450x338_2
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サンティヤーナ・デル・マール スペインの最も美しい村の一つ。アルタミラのすぐそば。
起源は8世紀。聖女フリアナの聖遺物が運ばれ、修道院と教会が造られたのが始まりで、13世紀からアルフォンソ8世の直轄領になったことから、貴族の館が多く建てられ、貴族の紋章や石畳も美しい。(聖人、聖女の有名な人だけでも凄い数になり、勉強不足でなかなか頭に入っていない。あまり先がないにもかかわらず、勉強したい気持ちが募るがあせっても仕方ない)450x338_9
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                     エアープランツ338x450_2
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                      洗濯場450x338_15

昼食はホテル業も営むレストランンで手厚いおもてなしを受け感激。ここの御主人がまるで日本人みたいな気質で食べきれない御馳走を奨めて奨めて!野菜のスープ、イワシの揚げ物。写真撮り忘れだけどイカのリングフライがたくさんと、絶品の自家製プリンでした。450x338_16
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ビトリアへの帰り道には工場も見えた(欧州ではバス沿道には殆ど煙を吐いた工場群は今まで見当たらなかった)450x338_18

●ホテルに帰った後徒歩で昨日見られなかった町の中心広場へ出かける
  
                   路面電車450x338_22
          スペイン広場では市庁舎がライトアップされていた450x338_19
隣接するビルヘン・ブランカ広場は17世紀に造られ、昔は市場が開かれていた。450x338_20
バルの中。
この日は日本から持ってきたうどんや缶詰などで食事。バルめぐりをした人たちは4軒巡り11時頃ホテルへ帰還したそうだ。元気ですね。最長老は一人参加の男性で180回で次回はもうすぐ41回目のインドだそうだ。ワインの他、ウォッカなどをあおっている大酒豪だ。うらやめ(ま)しい。
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                      (続く)

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2017年11月20日 (月)

現代アートの街ビルバオとスペイン・バスク周遊9日間(1)

お久しぶりです。私は無事帰りましたが、夫が風邪を引いて大分ひどくなってきました。
1昨日は肺炎と言われなくて良かったのですが、今日医者に行ったら肺炎になっていました。おまけにパソコンの調子が随分悪くなりました。そろそろ買い替えです。

11月9日(木)羽田に11時ごろ到着、エールフランス航空で13:45に出発の筈だったが、14時に乗り込んだものの、非常灯の故障で出発できず、18時半まで機内に。飛行機はキャンセルになりました。
U社の助っ人が現れ、23:55に抑えてあった添乗員と合わせ10人分の席を確保でき、無事11月10日0:30に飛び立つことが出来たのでした。羽田空港に13時間半も居たことになります。
国際線にはお江戸日本橋が再現されていて眺めたり、食事を2回とり、本を読んだりとまあ、長い半日でありました。U社で座席が確保できなければ旅行自体がキャンセルとなったわけで、とてもラッキー。同じ昼に乗る予定だった人の多くは次の飛行機の手続きやホテルなどてんやわんやであったでしょう。

パリ・シャルルドゴール空港に現地時間4:42に到着、バスが6:08にオルリー空港へ向け出発、7:35に到着。10:45にオルリー出発で、フランス・バスクビアリッツに11:45に到着。
バスで12:17に出発、14:30にスペイン・アラバ県、県庁所在地のビトリアに到着、観光開始。

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地図の黒で示したのが元来の予定で、赤で記したのが変更後。
バスク地方は、バスク人とバスク語の歴史的な故国を指し、かつて独立の機運に燃えたことがある。標識はスぺイン語とバスク語の両方が書かれる。
ピレネー山脈の両麓に位置してビスケー湾に面し、フランスとスペインの両国にまたがっている。スペイン側にはバスク州の3県とナバーラ州の計4領域があり、フランス側にはフランス領バスクの3領域があって、全部で7領域、地図の黒い太字がそれに相当する。行かなかったら一生知らないままでした。夫は昨年フランスバスクに行っております。

<1日目>羽田国際空港

日本橋 総檜で、半分の大きさで出来ている。 東海道の出発点に立った気分です。450x338
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                  AIRLINE εAIRPLANE450x338_3

<2日目> スペイン・バスク州アラバ県ビトリア

              フランスバスクはすぐ通り過ぎてしまった450x338_4
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ビトリア観光

2012年には欧州グリーン首都賞に選ばれたので、あちこちに緑の美しい公園が点在していた。この日も雨で秋から冬は雨が多いので緑が多いとのことである。

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               路面電車には芝生が植えてある450x338_9
                     旧市街450x338_10
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      特別に許された家だけペインティングがなされる。数軒見かけた450x338_12
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             坂の多い町でこんな所にもエレベーターが450x338_13

・サンタマリア大聖堂 昔教会があった上に建てられた13世紀の大聖堂で、23年前から倒壊の恐れが出て今修復中。ヘルメットを被ってその修復状態を見学することは出来た。地下聖堂を見ると土台の柱が地盤沈下でゆがみ、他に水掘で土壌がゆるくなっていて傾き始めた。23年も修復しているがまだまだかなりかかりそうとのことだ。338x450_2
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                  聖堂からの景色P_450x338
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・現代アートセンター・アルティウム 日本でも現代アートは素通りすることが多いが、ビトリアもビルバオもスペインバスクは現代アートで町おこしをしたところである。450x338_19
                    ガラス細工450x338_20
                       ダリ338x450_3
                       ピカソ338x450_4
                       ミロ450x338_21
食事の文句を言ってはいけないが、この日のホテルの牛肉は固くて食べられなかった。

                    (続く)

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2017年7月14日 (金)

緑の「信州」と青の「越後」(3)

<3日目> 信州へ

最終日は緑の信州ということで行ったことがあるところもあったが、梅雨時は初めてで、緑と水を楽しんできました。

                朝食のバイキングは和食に450x338

小鳥ヶ池(戸隠山)
前回は戸隠山の紅葉の鏡池を見に行ったが、今回は戸隠山のもう一つの池・小鳥ヶ池へ。
ごつごつした戸隠山を写す美しい池だった。小鳥の声は聞こえなかった。
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戸隠古道 奥社参道入り口から随神門まで。前回は奥社まで杉並木を通って登山した。

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                      奥社参道450x338_6
  ミヤマカラマツ(葉が良く写っていなかったけれどカラマツソウとは違っていた)450x338_7
                     ギンリョウソウ338x450
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                    サルノコシカケ450x338_9
                      随神門450x338_10
     樹齢400年のクマスギ並木 500mにわたって200本植えられている338x450_2

安曇野

         クリアボートに乗る。緑色の澄んだ清流の美しいこと!450x338_11
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                   珍百景の二つの川2_450x338
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                  正に一緒になったところ450x338_14
      道祖神 安曇野は有名で自転車で廻るとたくさん見つかるらしい450x338_16
                       昼食3_450x338
                    大王わさび農場450x338_17
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おしどり隠しの滝と御射鹿池(みしゃかいけ)・・・茅野市の奥蓼科横谷渓谷にやってきた
                    おしどり隠しの滝338x450_3
                      マタタビ450x338_21
         ミヤマハンショウヅル sさまありがとうございました450x338_22
                   ミヤマカタバミか450x338_24
御射鹿池 東山魁夷の「緑響く」のモチーフとして有名な池である。ため池百選に選定される。このため池で水が温められ、農業が出来るようになったとか。前回は紅葉していたので「緑響く」には程遠かった。450x338_25
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白駒池 日本3大原生林の一つに数えられる原生林の中に標高2100mを超える湖では日本最大。北八ヶ岳の麓の八千穂高原にある。
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            ほおずきのソフトクリームの美味しかったこと450x338_30
             日本の貴重な苔の森に認定されている450x338_31
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中央高速道から山々に別れを告げ、バスの中で夕ご飯弁当を頂き、事故渋滞に巻き込まれ、2時間遅く10時半頃元気に帰宅できました。まだ緑と青が目に焼き付いています。450x338_35

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2017年7月11日 (火)

緑の「信州」と青の「越後」(2)

<2日目> 新潟県の海岸方面へ

                    朝食もバイキング(洋食) 家よりついつい食べ過ぎ450x295
                                 妙高山にはまだ雪が残っている450x338

●角田岬
判官舟かくし 1187年、源判官義経が兄頼朝に追われ、奥州平泉に海路おちのがれる際、追っ手を避けて舟とともに身を隠した洞穴。338x450
角田岬灯台
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                   佐渡島が見えない450x338_4
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ハマヒルガオやハマボッスなどが咲いている
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●弥彦神社とロープウェイ山頂駅
弥彦山はスカイツリーと同じ高さと覚えた山(634m)
この山を御神体とする弥彦神社は式内社で、越後国一宮。古事記や万葉集、源義家や源義経、上杉謙信などにゆかりのある神社。450x338_11
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                ロープウェイ。山頂駅は552.5m.。 450x338_12
   弥彦山山頂ではなくて多宝山(634m) sさまありがとうございました。450x338_13
                  山頂の御神廟(写真より)338x450_3
             ロープウェイ山頂駅より越後平野を見る450x338_14
                佐渡島はやはり見えなかった450x338_15
           ギボウシやハマナスが駅のそばに咲いていた450x338_16
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   寺泊(新潟の築地と言われている)でノドグロの入った海鮮丼の昼食450x338_19

●出雲崎
この地域は良寛和尚が生まれ、修行や放浪後の定住地であり、終焉の地でもある。資料館や民俗資料館や美術館もある。
ただしこの旅行では一つも尋ねない。
良寛和尚の言葉「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬる時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候」が好きです。

    海の風景はただただ青い(これらがタイトルの「青の越後」というわけ)450x338_20
               夕凪の橋 夕日がきれいらしい450x338_21
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             芭蕉像 「荒海や 佐渡によこたふ 天河」338x450_4
        ここは石油産業発祥の地で記念公園になっている450x338_23
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               歌詞が書いてある変わったバス停!299x450

●青海川駅 日本一海に近い駅「青海川駅」。柏崎駅から乗り鯨波駅を過ぎ青海川駅に到着。450x338_25
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                 ホームのすぐ下は海450x338_29
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            2日目の夕食バイキング。デザートは同じ。450x338_32

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2017年6月13日 (火)

京都へ(3)大徳寺~鷹ガ峰

(2)で(つづく)を忘れましたが最終回です。適当に読み飛ばしてください。
3日目は、洛北の静かな一帯にある、一休、利休、光悦ゆかりの寺巡りをすることにしていました。
2泊させていただいた、5つ星ホテルのような居心地の良い素敵な友人宅を辞し、夙川駅から大阪を経て京都へ。
京都観光一日乗車券を買って、京都駅から地下鉄烏丸線で北大路駅下車、北大路バスターミナルから大徳寺へ向かう。

<大徳寺とその塔頭>
大徳寺  臨済宗大徳寺派の総本山。別院2ヶ寺と22の塔頭を有する。

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山門 千利休が自身の雪駄履きの木像を楼門の二階に設置したと言われる逸話はここだったのでしょうか。様々な説10以上もあって真相はわからない。大徳寺は村田珠光、千利休など多くの茶人の帰依を受け、茶道とかかわりが深い寺。450x338_2
                仏殿と法堂
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以下塔頭
高桐院 細川家の菩提寺。千利休の邸宅を移築したという書院や茶室がある。細川忠興と細川がラシャの墓もあるというが、いずれもこの日は見られなかった。
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大仙院 撮影は許されないけれども室町時代最古の方丈建築の国宝・方丈と特別名勝の枯山水の庭が素晴らしい。相阿弥、狩野元信・之信の襖絵は名作で世界美術史上欠くことが出来ない存在だそうだが、嗚呼、もう思い出せない。歴代和尚に古渓和尚(利休と懇意)や沢庵和尚がいる。450x338_7
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興臨院 能登の守護・畠山義総によって建立され、畠山氏の菩提寺になった(1520年代)。畠山家没落後前田家の菩提寺になった(1581年)。
花頭窓、方丈前庭や美しい紅葉、茶室などが目を引く。
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・千躰地蔵塚
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黄梅院 織田信長が28歳の時初めて入洛し、父・信秀公の追善菩提のため小庵・黄梅院を建立。秀吉が主君の塔所としては小さいということで塔頭「総見院」を大徳寺境内に建立した。

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                    黄梅院入口450x338_15
小早川隆景は鐘楼・客殿・庫裡などの普請奉行だったし、表門を寄進した。450x338_16
      撮影が許されたのはここまで。枯山水の庭が素晴らしかった。450x338_17
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以上、あの憧れの一休さんのお寺と塔頭を見られて一応満足。肝心の一休和尚が住んだという「真珠庵」はどこのあるかもわからず見られず、庫裡、方丈、唐門などは春と秋にしか公開されない。

<鷹ガ峰三寺> 洛北のなだらかな鷹峰三山(鷲ヶ峰、鷹ヶ峰、天ヶ峰)の山裳にある三寺。光悦ゆかりの地。
行き方が難しくバスターミナルに戻り、食事をした後、再びバスに乗り、行程が変なので途中下車、人に聞いて、また別のバスに乗りやっと辿り着けたのでした。(結局は最初のバスで行けたことが分かったけど後の祭り)

常照寺 日蓮宗 
本阿弥光悦の土地寄進とその子、光瑳の発願により、身延山第21世日乾上人を招じて開創された鷹峰檀林(学寮)の旧蹟。山城六檀林中の一偉観。大小30余棟の堂宇が並び、幾百人となく勉学にいそしむ学僧で賑わっていたと本阿弥光悦行状記に紹介される。

                吉野太夫寄進の山門(赤門)450x338_19
吉野太夫の墓 寛永の頃六条三筋町の廓で天下の名妓として一世を風靡し、その才色兼備を謳われた二代目吉野太夫。夫の豪商灰屋紹益との比翼塚もある。338x450_2
葉が三つ葉なのでミツバウツギ?でも花が少し違うでしょうか。エゴノキと教えていただきました。450x338_20
鬼子母尊神堂 中には三体の鬼子母尊神と眷属の十羅刹女が祀られていた338x450_3
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             奥には白鳥池や他の池もある
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帯塚 女性の心の象徴としての帯に感謝し祈りを捧げる全国初の帯塚(昭和44年)塚石は吉野石で帯状をなしている。毎年帯の時代風俗行列や帯供養が営まれるという。450x338_24

源光庵 曹洞宗 
1346年開創 江戸時代に高僧卍山禅師により曹洞宗に復古された。450x338_25
                本堂、釈迦牟尼佛のお顔が見えた450x338_26
丸窓「悟りの窓」と角窓「迷いの窓」 円形は「禅と円通」の心を、角は「人間の生涯」を象徴し生老病死の四苦八苦を表しているという。
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血天井 伏見桃山城の遺構。関ヶ原の戦いの前哨戦「伏見の戦い」で家康の忠臣・鳥居元忠一党1800余人が石田三成の軍勢と交戦したが、討死し、残る380余人が自刃し相果てた時の痕跡。今もここの他5つの寺に存在する。338x450_4
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光悦寺 日蓮宗 この辺一帯を鷹ヶ峰光悦町と称び、1615年家康が光悦に野屋敷として与えた土地である。一族の他、種々の工芸に携わる多くの職人と共に住居を構え、工芸集落を営んだ。338x450_5
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寺内にはいくつかの茶席が設けられている。本阿弥家は代々刀剣関係が家業だったが、光悦は、茶道、作陶、書道絵画における歌巻、謡曲本、蒔絵、彫刻、書道など多種多様に活躍した。80歳で亡くなる。
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                     光悦の墓所338x450_6
                    東山三十六峰450x338_33
                 左・鷹ヶ峰、右・鷲ヶ峰450x338_34
ここ鷹ガ峰は光悦を中心として、一方は学僧の勉強の場、もう一方は芸術の新様式を確立した地であったのです。

これで京都観光を終えましたが、紅葉の緑が最も美しい時期であり、伏見稲荷以外は比較的すいていて良かった。長い京都における歴史の一齣を垣間見ただけですが、また新たに頭に刻み込めたことは嬉しいことでした。いつもながら長くなってしまいました。ご拝読ありがとうございました。

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