2020年9月20日 (日)

やまと尼寺精進日記

奈良の音羽山「観音寺」のお料理上手の尼さん住職(後藤密榮さん)と折り紙上手の副住職(佐佐木慈瞳さん)とお手伝い(まっちゃん)の3人といろいろな野菜果物を差し入れする麓の堂上潤子さんたちが繰り広げる生活模様。
檀家を持たないお寺だそう。お寺の周囲の景色、田園風景、里山の風景が美しい。
境内にはお花をいっぱい咲かせ、200種類もの野菜や山菜や木の実などを世話し、麓のたくさんの友人たちからの差し入れがあり、遠方からもいろいろなものが届く。
これらの品々を全部使いきって、面倒な過程もいとわず、様々な精進料理が作られるのである。
1年を通してお寺の行事や七夕、月見など四季の行事に大勢の子供や大人を招いて、全部山や畑の食材で、手作りのご馳走をふるまう。
都会のお料理とは違うその創作料理には毎回目を奪われる。
前回は3年前の再放送だが、七草とお団子とご馳走のお月見が主題。もう都会では味わえない風情に見とれるばかり。アユ釣りと、そのアユを炭火で焼くのに感動し、ポポーというバナナみたいな果物を初めて見る。食べたいなあ。
こうした周囲の人々との持ちつ持たれつの間柄や自然の恵みを余すことなくいただく料理のレシピ付き本の2冊目が出ているのですね。
都会ではもう自然を相手にすること、周りの人々とのこんな温かな交流は、趣味の会以外はゼロとなって久しくなった。
ただただ羨ましく見るのではなく、その陰にはなんでもそうですが、大変なことも一杯ある事を見逃さないようにしたい。
小さい頃、少しは見た私にはただただ懐かしく拝見することも多いが、多くの子供たちに日本の良さをこの番組から汲み取って欲しい・・と思うのはもう無理な話でしょうか。
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2017年1月19日 (木)

映画『この世界の片隅に』

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軍港呉と広島が舞台の戦争時とその前後を描いたアニメで、特に戦時中の焼夷弾が落ちてくる場面や戦闘機が飛んでいる場面などリアルで、わずかながら防空壕に退避した経験を夢のように頭の片隅に記憶している私は思い出してぞっとしました。
絵がとても得意な天然キャラのすずが広島から呉へ嫁に行く。のんきな性格なので、舅や姑は優しいのに離婚して戻ってきた子連れの義姉には辛く当たられるが、悲壮感はない。優しい夫は戦死するわけでもなく、家は全焼するわけでもないが、自身の不注意で姪が死に、自身も右手を失い、絵も描けなくなり、広島の実家では原爆で母を失い、妹が原爆で病に倒れたなどで、天真爛漫なすずも笑顔がなくなって暗く沈んでいく。しかし淡いトーンの美しい場面がそれを強調することなく、戦争、原爆の悲惨さや厳しさや辛さを酷く描き出しては見えない。
70年前の戦時中の日本の生活風景は厳しく、親たちの苦労をも思い出してしまった映画でしたが、もう10数年もすれば体験した人の多くはいなくなるわけでこうして語り継がれる漫画や映画は貴重かもしれない。

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昨年12月31日にクラスメートが突然苦しまないで亡くなったという訃報が9日に入りました。家族にとっては看取ることも出来なかった悲しさがありますが、人として一番理想的な亡くなり方です。
親が亡くなって、次はもう自分たちの番になったのです。元旦にいただいた年賀状を見ながら彼女はもう今はいないのだととても寂しい。老病死の苦しみをさほど味わうことなく終わって、先に逝ってしまって「いいなあ」と羨ましくさえ思ったことでした。

そんな時、大病をわずらっておられるある人からいただいた年賀状にあった言葉にはっとさせられました。

素晴らしい すばらしい 生きていることが
   嬉しい うれしい 生きていることが
   笑える わらえる 生きていることで
    泣ける なける 生きていることで
       一日一生 すべて感謝

そう、今できることを精一杯やって、時には楽しみながら、↑の映画のような苦しみのない今の幸せをかみしめて暮らしていこうと、この詩を味わっています。

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2016年12月 8日 (木)

まさかの居眠り『インフェルノ』

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もうすぐ終わってしまうらしいと聞いて、思い立って映画『インフェルノ』を昨日観てきました。『ダ・ヴィンチ・コード』は本も読んで何となく覚えていましたが、2作目の『天使と悪魔』はうろ覚えでもう一度録画したので観たら丁度バチカンの話を書いた本を読んでいたので、とても面白く観られました。
そして3作目の『インフェルノ』、ダンテの神曲の地獄篇とそれを描いたボッティチェリの絵が関係するそうだ。絵の方は見たけれども、『神曲』は読んでいません。
とても難しそうなので読む気力がありませんでしたが、阿刀田高の『やさしいダンテ<神曲>』を婿さんに借りて読んだら意外や面白いではありませんか。
旧約・新約聖書、ギリシャ神話、ダンテが生きていた当時の有名人や友達、それ以前に生きた皇帝や司教などが地獄に落ちてしまっていたり、更生して天国に向かう煉獄にいたり、天国にいたりと段階ごとに出てくる。 
そもそもダンテが冥界に行くことになってしまったのは、暗闇に包まれた森に迷い込んで脱出できなくなったから。天国にいるベアトリーチェの依頼で辺獄にいたウェルギリウスがダンテの救出にやってきたわけで、地獄、煉獄、天国を巡って帰ることになったというわけです。

この映画は、生物学者ゾブリストが人類増加問題の解決策として恐ろしい伝染病を世界に広めようとしている。その方法は詩人ダンテの叙事詩「神曲」の「地獄篇」になぞらえて計画を実行している。ラングドン教授がダンテの神曲の「地獄変」に隠されたヒントを手掛かりに、女医シエナと共に、謎を解明していくという話です。
世界の人口が増え続けることは確かに大変な事でありながら、それに対して恐ろしいことを考える学者を設定し、これって本当に今に起こるのかと錯覚してしまう、なかなか考えさせられる話題ではあります。
フィレンツェ、ヴェネチア、イスタンブールと美しい都市が出てきて懐かしく、建物の天井裏にこんな隠れた場所があったのかと驚いたりしているうちに、ラストの謎の隠されたイスタンブ-ルの地下の貯水池、逆さになったメドゥーサが映し出されて、いよいよクライマックス、アクションが続いている頃、何と肝心要の所で自分では一瞬と思った居眠りをしてしまったのでした。気が付くとラストに近いシーンが。びっくり仰天。何と言うことでしょう。ナルコレプシーみたい。今度WOWOWプライムでやったらもう一度見なくては。
学生時代は勿論、映画や芝居や講義で居眠りしたことがないのに、最近の自分にこの他にも驚くばかりです。

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雪の後にむっくりと起き上った一輪のサルビア、とうとう枯れて種が取れました。
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2016年3月20日 (日)

映画『アイリス・アプフェル!94歳のニューヨーカー』

昨日目薬がなくなって眼医者へ。
医師:あれ、目ヤニも出てて、花粉症ですね。お幾つですか?
 私:74歳です。
医師:私が看た患者さんの中で、花粉症発症年齢が、あなたが最高齢です。
 私:えー!(心の中では名誉なことかなどと一瞬思ったのですが)

3日前に富士山から帰ってきた夜、くしゃみが連発して鼻を数回かんだので、風邪かなと思いルルを飲んで寝たら翌日良くなっていたので、一安心したところでした。
だがめでたくも花粉症。でも症状はちょっと鼻をかむ回数が増えただけで、あまり気にならない。マスクが嫌いだからかけないでいこう。ひょっとして年々ひどくなるのかしら?

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ドキュメンタリー映画『アイリス・アプフェル!94歳のニューヨーカー』を観てきました。

のっけからカラフルな衣装に、大きな黒縁のメガネ、超特大の何重ものネックレスやブレスレット。次はどんな服装で登場かが気になり楽しみの映画でもある。90歳ころからの撮影らしいが、今年94歳。アルバート・メイズルス監督は昨年亡くなった。
映画全編中のそのファッションに圧倒されっぱなしだ。デザインだけではなく、その色合わせや組み合わせ、民族衣装からいろいろな小間物まで、この世に存在するありとあらゆるモチーフを使用しているのではないかと思う。それが全部似合っているのだ。
パートナーの御主人もデザイナーで撮影時100歳を超えていたらしい。奥さんがファッションにお金を使ってくれるのが嬉しいなんて言っていた。

新聞の映画評欄の秋山登・映画評論家が紹介しているところによれば、
アイリス・アプフェルは米ファッション界の伝説的存在で、現役の実業家だ。ニューヨーク大学で美術史を学び、雑誌編集者からインテリアデザイナーを志す。ホワイトハウスなどのインテリアを手掛けている。
世界各地の衣装や装飾類のコレクターとしても知られ、2005年にメトロポリタン美術館で開いた展覧会が大好評で、以来、広告のモデル、テレビ出演、大学客員教授などと超多忙、自ら立ち上げたテレビショッピング会社も好調だそうだ。

アイリス・アプフェルにとってのお洒落は「気概」だそうで、一番の才能は「好奇心」と「ユーモア」というわけ。
具合が悪くても頑張って出かけ、夢中になるから、帰ってくるとへとへとになる。けれども何事もただでは手に入らないから、泣き言を言わないで突き進む。
美人だと年取って我が美貌の衰えを悲しむが、自分はそうでないのでそんな悲しみはない。
まるでターシャ・チューダーのように他にもいろいろ名言を吐いて、本当に元気なおばあちゃんだ。
こういう人は全然ボケていないというのも、この人生哲学をもってすれば当然だ。
楽しいドキュメンタリー映画でありました。

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2016年2月 4日 (木)

映画『ブリッジ・オブ・スパイ』

映画『ブリッジ・オブ・スパイ』を観てきました。

監督:スティーブン・スピルバーグ
出演 弁護士(ジェームス・ドノバン):トム・ハンクス
   スパイ(ルドルフ・アベル):マーク・ライランス

トム・ハンクスは勿論ですが、共演するスパイ役のマーク・ライアンスの演技に見惚れた映画でした。アカデミー賞助演男優賞にノミネートされている。本命はシルヴェスター・スタローンと言われているそうでどうなるでしょう。

のっけから自画像を描いている男、鏡に映った男、男の描いている自画像と三つの顔が映し出されます。自画像ってこのように描くのかと感心したりしたのですが、きっと男の心は複雑でも表情は穏やかでとてもスパイとは思えない。
このスパイのアベルが捕まってしまって、裁判にかけられる。その弁護士がトム・ハンクス演じるドノバンで、本来は保険関係の仕事をしているが抜擢されたわけである。法廷場面はさらっとしていて、激しいやり取りはそれほど見られないのですが、どこまでもスパイの無罪を訴えて闘う。そのおかげで家族までも銃弾を浴びるはめになるが、ドノバンは上告までして頑張り死刑判決を回避する。
舞台は東ベルリンへ。1960年にソ連で撃墜された偵察機のパイロットのパワーズともう一人の学生スパイ、二人のスパイの交換の交渉を米国政府から秘密裏に依頼され、交渉を開始する。この裁判とスパイ交換の2つの大役をこなしたドノバンは、決してひるむことなく、信念を曲げることなく困難な仕事に立ち向かっていくのです。最後の別れのシーンが感動的でした。
素晴らしい弁護士がいたものです。
内容に比べたら、静かだと言ってもいい映画でした。

隣にイギリス人の男性二人が座ったのですが、映画が始まる前、やおらサツマイモの皮をむき始めたので、思わずそちらを見物。そしたら「石焼き芋」と石焼き芋屋さんの口上をまねて言うのです。石焼き芋が大好きだそうで、外国人が・・・と驚いてしまいました。

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今日は立春、日が沈むのも少し遅くなり、そこここに春の兆しを感じます。この日豆腐を食べるといいなんて聞きました。
娘の所の文旦が今年は150個くらいなったらしくて、半分貰った一部を今日も干して熟させています。実が生り始めた年の頃より大きく、美味しくなってきました。来年再来年にはさらに美味しくなるでしょう。
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2016年1月14日 (木)

映画『消えた声が、その名を呼ぶ』

映画を見るまで時間が相当あったので、有楽町のそばの交番で銀座の地図を貰い、稲荷神社3社などに詣でました。

                 有楽町駅前の南奉行所跡
名奉行大岡越前守忠相は、1717年から1736年にかけて南町奉行としてここで執務していた。450x338
線路の反対側には有電ビルの懐に「有楽稲荷神社」があります。創建は1859年で永井飛騨守が天下泰平と子孫繁栄を祈念した。450x338_2
稲荷神社を多く見るようになって、お狐様の顔に興味が湧いてきたところです。
向かって右側は巻物をかんでいる。450x338_3
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銀座4丁目の並木通りに面するビルの裏側の細い路地に「宝童稲荷」があります。江戸時代から伝えられた子育て稲荷です。直接には今関係ないけれども丁寧にお詣りしてきました。450x338_4
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銀座5丁目のあづま通りに「東稲荷大明神」があります。戦後あづま通り三原小路に火災が続出し、調査の結果この一角にお稲荷さんが祀られていたことがわかり、京都伏見稲荷より御霊をいただいたそうだ。お狐様はおられなかった。450x338_6
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         ソニービルの隣の隣のビルの屋上の洋風の像。何でしょう。450x338_7


映画『消えた声が、その名を呼ぶ』於角川シネマ有楽町 

2001監督はトルコ系ドイツ人のファティ・アキン。
1915年から22年までアルメニア人迫害がオスマン・トルコ帝国内で起きた。最大150万人が虐殺されたと言われる。ヒトラーがユダヤ人虐殺の手本にしたと言われる。その虐殺についての記述はサイトで読んでも、どちらが良い悪いというのも複雑に書かれていてなかなか理解が出来ない。
アルメニア人やクルド人はトルコ系だが、トルコ人やクルド人はイスラム教でアルメニア人はキリスト教だ。アルメニアは紀元301年に、世界で初めてキリスト教を国教とした国です。

映画はオスマン・トルコによって、アルメニア人がたくさん銃殺される場面や、迫害され追われて、ついには亡くなってしまう場面などが描き出される。
ものがたりはアルメニア人の鍛冶職人ナザレットが妻と双子の娘から突然引き離され、砂漠で強制労働につかされ、イスラム教に改宗しないと銃殺刑になる。ナザレットは奇跡的に助かるが、声を失う。娘を捜して、砂漠を歩き、海を越え、森をさまよい、9年かかってアメリカのノース・ダコダへ到る。登場人物はフィクションだが監督は入念に時代背景など調べ上げ再現した。

親日国と言われるトルコ、今映画『海難1890』が話題になっているように、エルトゥルルー号事件で助けた日本人とイラン・イラク戦争時のテヘラン邦人救出に尽力してくれたトルコの関係。トルコの教科書に海難事件の話が載っているとか。あの恐ろしいと言われたオスマン・トルコと日本のこのような関係は、ヨーロッパ侵略やアルメニア人虐殺した同じトルコ人とはとても考えられない。
ついこの間までクルド人問題があったものの平和だったトルコが、アンマンや数日前のイスタンブールで起こった爆発事件、シリア難民問題など、非常に困難な局面を迎えて大変なことだろう。

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2014年9月 1日 (月)

テレビドラマ『芙蓉の人~富士山頂の妻』

芙蓉峰(富士山)の頂の芙蓉の人・野中到と千代子夫婦のテレビドラマに感動です。

明治28年(1995)、野中到は日本の天気予報は、富士山の気象を把握しないと正しくならないと、私費を投じて厳冬期の山頂剣が峰観測のため観測所を設置、厳冬期に観測に向かう。
そんな一途な大きな志を持つ夫を、「1人では必ず死んでしまう」と妻千代子は支えようと、姑などの強い反対を押し切り、娘を親に託して、夫の命を守るという強い気持ちで後から登った。
現実は厳しく、最低気温―20度の中を一日も休ます2時間おきに観測する。計測器も次々壊れ、気温観測のみになる。
そして高山病と栄養失調で千代子が倒れ、続いて夫も倒れる。倒れた夫の代わりに看病の傍ら観測を続け、遂には心身ともに崩れてしまった夫を励まし続ける千代子。
夫の大志・仕事とその大変さを理解し、その身を案じて何とでも手助けしようとするいじましい千代子さん、明治の強い強い女性です。後の千代子さんの最期もこの家族愛のために迎えたと言いきれるものでしょう。
最初は夫に追い返されそうになってもあきらめず、自分が調子悪くなっても我慢し続け、夫が倒れたら自分を顧みず献身的な看護とその愛は本物、ただ感動の一言です。これからの自分のいきかたにカツを入れてもらいました。
今週最終回も楽しみです。

    道端のモロヘイヤに花が咲いていました。エジプト原産で、花は毒です。420x280
畑のモロヘイヤ 毎週この畑のモロヘイヤを買っています。栄養価が他の菜より数段高く、夏の元気の素にしたいところです。280x420

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2014年7月24日 (木)

映画『大いなる沈黙へ ー グランド・シャトルーズ修道院』岩波ホール

550x298グランド・シャルトルーズ修道院はフランスアルプスの山中の世間から隔絶された場所にある。
案内によれば、ドイツ人監督フィリップ・グレーニングが1984年に撮影を申請、それから16年の歳月を経て許可がおり、音楽・ナレーション・照明なしという条件のもと、監督ひとりだけが中に入ることを許された。監督はカメラを手に6カ月間を修道院で過ごし、俗世間から隔絶された孤独な世界で決められた生活を送りつづける修道士たちの姿を、四季の移ろいとともに映しだしていったドキュメンタリーだ。
一切を捨て、生涯を神に捧げると誓った修道士たちは、朝晩の礼拝堂でミサをあげる以外は、私語も禁じられ、独房で1日7回の祈祷を行い、独房で食事をし、食事作りや床屋や僧衣を縫うなど其々の日課を一人で行う。聞こえてくる音と言えば、鐘、風、雨の音や衣擦れ、床のきしむ音、鳥の声や虫の羽音などだ。
皆で食事は日曜の昼食だけで、会話を許されるのがその昼食後だけだ。
最後の方で唯一目の不自由な修道士が、「死は怖くない、嬉しい、神に近づけるし一緒になれるのだから」という趣旨の言葉が発せられたのがとても印象的だ。

修道院と言えば、ギリシャのメテオラの高い奇岩群の上のが最も印象的だが、トルコのカッパドキアの地下8階までのや洞窟の修道院や、図書室で有名なドナウのメルク修道院、巡礼者を迎え入れたモン・サン・ミッシェル修道院、そして『サウンド・オヴ・ミュージック』のマリアの居た修道院などが目に浮かぶ。
映画『薔薇の名前』を始めいろいろな映画で垣間見た修道院のことがあり、修道院内の様子がこの映画で初めてというわけでないが、音楽やナレーションや俳優なしのそのままというのが新鮮だった。

西村祐子著『不思議な薬草箱』に修道院のことが出てくる。
修道院とは;
「勤労と祈りの場」であり、基本的に自給自足
修道士たちは
森から木材を運び、自らレンガを焼く。
祭壇や壁に飾るキリストや聖人の像を彫り、絵を描く。
讃美歌も楽器も作る。
魚は川で捕まえ、肉は家畜を飼い食事を作る。
鍛冶や皮剥ぎの仕事もある。
農園では果樹、野菜、ブドウを栽培する。
薬草園では病気治療のための薬草を栽培する。
修道士たちは神学はもちろん、哲学、医学に長り、建築や絵画の才もあった。修道院はキリスト教文化の中心地になっていく。

これを読んでイメージして観たこの映画ではわずか野菜作りしか見られなかった。監督の6か月間は冬を中心としたもののようで、夏の戸外での活躍は見られなかった。

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2014年1月 6日 (月)

映画『鑑定士と顔のない依頼人』

420x308「ニュー・シネマ・パラダイス」「海の上のピアニスト」の名匠ジュゼッペ・トルナトーレ監督のイタリア映画。

その鑑定士とは早くに親を亡くし、孤独な人間嫌いの結婚もしない初老の男。著名な鑑定士であり、オークショニアである。
人当たりも悪く、かたくなで人には好かれない人物。そんな人間嫌いの彼の唯一の楽しみが隠し部屋に集めたたくさんの女性の肖像画を眺めるというもの。
その彼に、資産家の両親が残した絵画や家具を査定してほしいとい依頼が入ったがその依頼者は顔を出さない。やがて依頼者が広いところに出て行かれなくなった若い女性であることがわかって。
結局は女性に会えるのか?会えたとしたらどうなっていくのか?などと憶測しながら見ていくわけですが・・・。うっとりと観ているうちに思いもよらない展開!悲しい結末というか、それでよかったというべきか。
なかなか面白い映画でした。
主演の鑑定士役はジェフリー・ラッシュ。「英国王のスピーチ」「パイレーツ・オブ・カリビアン」に出ていました。凄味のある圧倒的な演技が素晴らしかった。

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2013年11月 8日 (金)

映画『ウェイバックー脱出6500㎞-』

ポーランド人のスラヴォミール・ラウイッツが書いた『脱出記 シベリアからインドまで歩いた男たち』をもとに映画化された。
主人公はソ連占領下のポーランドでスパイ容疑で逮捕され、尋問されるが、罪を認めなかったので妻をポーランドに残して、1940年にスターリン体制下のソ連の強制労働収容所へ送られる。
シベリアの収容所での過酷な環境で囚人が次々と死ぬ中を6人の仲間と脱獄し、シベリアからモンゴル、チベットを抜け途中亡くなった人、別れた人があって、3人だけインドに至るという話だ。
極寒のシベリアも南部になると虫の襲撃を受け、モンゴル平原、ゴビ砂漠では水や食べ物のないことに苦しみ、チペットでは再び寒さと高度に苦しんでの1年かけてのインド入りだった。
その旅程も6500㎞で大半がよく死なないで歩けたものとサバイバルぶりに驚嘆した。
しかし本を著したラウイッツは実際には1942年、ソ連によって釈放されていた。ところがイギリスに住むポーランド人ヴィトルド・グリンスキが、物語は事実であるが、ただしそれは彼の身に起きたことであると申し出たがこれも疑わしいとのこと。
大戦中にソ連を逃れようとして危険な旅を迫られたポーランド人がいたことは事実ということで、意思と運があればこんな凄まじい逃避行もあるのだと驚いた次第です。
サバイバル物はノンフィクッションでないと面白くないが、こんな事情を抱えたこの映画は本質的にはフィクションということで理解して鑑賞すれば、そこそこに見られる映画です。

東京駅八重洲口の南北のタワーを結ぶルーフ・グランが出来て、歩道には「インフィオラータ」が2つほどありました。
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インフィオラータの花弁はバラが主なようですが、黒や青などは色つき砂で、秋っぽい色のデザインがなかなか素晴らしかった。315x420_2
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