2021年3月28日 (日)

吉田智彦著『信念』東浦奈良男~一万日連続登山への挑戦

近所に咲いていたタイワンドウダンツツジ。普通のドウダンツツジとちょっと花の形が違うような気がします。葉も大きい。
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リキュウバイ。国立劇場で見て以来です。
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吉田智彦著『信念』東浦奈良男~一万日連続登山への挑戦

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東浦奈良男さん、知りませんでした。
1925年1月9日生まれで86歳で2011年12月6日に亡くなった方です。伊勢在住だった方。

1984年に60歳を前にして定年退職をし、翌日10月26日からずっと毎日欠かさず2011年6月25日まで9738日間、山に登り続けました。
退職以前に登った山の数は2194回で通算11932回です。生涯で富士山に登った回数は368回。最後は2008年の83歳です。
若き頃は休みの度にアルプスなど登り、子供を小さいときから登山させ(辛かったけれども子供たちは後に体が丈夫で辛抱強くなったと感謝)ていたが、奥さんはどこにも行かず、工場で働いていたので自分ばかりお金を使って登山は申し訳ないとやめたとか。お酒も煙草もたしなまず定年まで一心に働いた。その翌日からずっと欠かさず9738日登山を続けた・・その信念・・いかなる理由でと著者は時に一緒に登り、続けていた登山日記を借りることが出来、探ろうとする。山が好き、富士山が好きが答えか?
富士山登山は、近くの登山を終えて夜行に乗り、富士山登山後帰宅、翌日また近くの山に登る。一日も休まないわけ。
夏になると富士山に登る体力作りのための登山でもあったわけですが、何故一日も休まず登れたのか。病気などしなかったのか?
これが何回かピンチがあったのです。奥さんは80歳近くから具合が悪くなってしまって入院。近くに住む二人の娘さんと名古屋の息子さんが力を貸すのです。

70歳ころ風邪をこじらせて倒れて救急車を呼んでも頑として乗らず、結局3人の子供が山への送り迎えをして、自然治癒力に頼って治る。その後、いつも山道を切り開きながらなので、大きな石を脚に落とし怪我をするが、1ヶ月で治す。次は2000年5月交通事故。大の医者嫌いでこれも自然治癒力で治し、8月の富士山登山を果たす。
2009年84歳の時には自転車に乗っていて、車の風圧で倒れ、救急車で運ばれ、切れた頭を縫って帰宅。翌日からも娘たちの車の送迎でまだ登り続けるのです。

また驚くのが一日2食(最後の方は一日1食)で登山でもお昼を食べず、お水も持って行かない。山に水があるときはそれを飲んでいた。
医者嫌いはかなりのもので、奥さんが水頭症で、子供たちは入院させたいのに、山に登りながら自分で世話し、ヘルパーを頼んだりしていたのが子供たちが、父親が山に行っている間に入院させたという。その奥さんはどんな時も「山に行っておいで」と送り出したという。奥さんへの愛は深い。登る目的の一つになっているようだ。

登れなくなってから救急車で病院に入れるまでの子供たちの苦労は大変なものだった。意識朦朧の状態で拒否が出来なくなるまで頑として医療を拒む奈良男さん。
本の写真を見てまた驚く。すべて廃品利用の山スタイル、大好きな読書の本の数、仙人のような自炊生活。眼鏡が・・フレームと全く合わないサイズのレンズをテープで留めて使っている。ケチなのではなく結構お金に執着がない人だったようです。父親を挟んだ娘さんたちの顔の表情が素晴らしい!

 

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2020年10月21日 (水)

中東の安泰の王国と国なき民族

一畳しかない山野草コーナーは今年はホトトギスが占領。
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遠藤晴男著『オマーン見聞録~知られざる日本との文化交流~』

アフリカのモロッコ、中東のサウジアラビア、オマーン、バーレーン、ヨルダンなどの王国は政情が安定している。
同じ立憲君主国の首長国のカタール、クェート、アラブ首長国連邦などもそうである。
ところが共和国のイラク、シリア、レバノン、アフガニスタン、パキスタンなどは内戦の連続の所も多く悲惨である。

オマーンですが、国土は日本の四分の三。国土の約3%が平野、約15%が山岳部、残り約82%が不毛の砂漠だ。
山岳地帯は海から殆どが1800ⅿもそそり立ち、高いのが標高3760ⅿで北欧のフィヨルドそのもので「アラビアのノルウェー」と呼ばれているそうだ。
人の住む首都マスカット地方は、4~10月まで夏期で、暑い時期は最高気温45度前後、最低気温30度。11月から下がり始め、12月から2月は最高27度、最低14度で日本の秋のような気候が続き、「半分天国、半分地獄」と言われているという。

この国も部族や宗教の争いなど紆余曲折を経て、1940年生まれの現カブース国王が、父王の保守的専制的統治に対してクーデターを起こして国を統治し、あのブータンのように国民が幸せと呼ぶ国にまで発展させたそうだ。
カブース国王が即位した1970年には学校が3校、病院も小さいのが一つ、舗装道路は10㎞のみであったっという。それが今(2007年)には学校が1260校、舗装道路は2万㎞を超え、病院も整備された。GDP(国内総生産)も一人当たり16000ドルに達した。
国王は毎年国内を巡幸される。国民の大歓迎を受けるそうだ。
1967年以来石油が生産され石油依存型経済に転換した。親日国で文化交流、スポーツも盛んということだ。日本庭園も出来ているとか。
他の王国がどのような政治を行っているかを全然知らないけれど、王国は安定しているということ。特に今のオマーンの国王は素晴らしい。もう80歳になられるのかな。結婚されていないので、今後この国はどうなるのかはわからないが。
後日NHKの『海のシルクロード』でオマーンの一部を見る事が出来ました。

 


福島利之著『クルド人 国なき民族の年代記』

世界唯一の国を持たないクルド人が主に住むのは、トルコ南東部からシリア北部、イラク北部、イラン北西部にまたがる国境が複雑に交わる山岳地帯。「クルディスタンと呼ばれる。広さは52万平方キロでフランス国土に匹敵する。推定人口は3000万人。中東ではアラブ人、トルコ人、ペルシャ人に次ぐ。少数民族ではない。
固有の風習や文化、歴史、独自の言語を持ち、民族とされるだけの要件を十分満たす。

なぜクルド人が国を持てなかったのか?
第1次世界大戦中に西欧列強がオスマン帝国を分割するために引いた国境線による。その国境線は、連合国の英国、フランスにロシアを交えて1916年に秘密裏に結ばれた「サイクス・ピコ協定」を基ににしている。英国とフランスは、イラクやシリア、ヨルダンなどの国を誕生させて支配圏域を決める一方、クルド民族を存在しないとして扱った。国境線は、クルド人の居住地域であるクルディスタンの真ん中を割くように引かれた。
クルド人の存在が無視されたのは、20世紀初頭に「民族」を基本とする国家が続々と誕生した際、「民族自決」の波に乗り遅れたから。その原因はいくつかある。
山岳地帯に、谷ごとに分かれて暮らしてきたクルド人の社会には、近代になっても部族意識が強く残り、「クルド民族」としてのまとまりに欠けていた。
クルド語の標準語を確立できていないことも。
この苦境を脱するため、クルド人の部落や政党は、欧米の大国や隣国の地域大国にすり寄っては裏切られることを繰り返してきた。国際社会に真の友はいない。「山の他に 友はなし」ということわざが残る。
すさまじいイラクの弾圧、トルコとの小競り合いなど今までたくさんのクルド紛争を耳にしてきたけれど、よくわからなかったことがちょっと、最初の部分の解説で呑み込めた1冊だ。
国がない民と言われたユダヤ人はイスラエルを強引に建国したがこれがまた世界の火種になっている。

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2020年9月 9日 (水)

新田次郎著『銀嶺の人』

ちょっと驚いたことが。7月下旬のことです。
F女子会(富士女子会)の一人の方が(この方と私も同姓で最初紛らわしかったのですが)、地方紙に私と同じ市に住み、同姓同名(字も全く同じ)、年齢も同じ人が載っていて、掲載されている写真が違うので違うらしいと分かった・・・と知らせてくださった。昭和記念公園で取材を受けている方であった。住所は駅を挟んで向こう側らしい。
そこまで同じ人がいるかと!
そうしたら6日後にもう一人のF女子会の人から、豊洲の江戸東京写真展に来ているけれど、ここでは記帳する方式で、住所、氏名を記入するのですが、ひとり前の人が私と同じ市で名前も同じだったので、びっくりしてラインに。その時、私はそこに行っていたわけでなく家にいたので、新聞に載っていたあの人と判明。私と同じ名前のこの方、同年齢なのになかなかの行動派であちらこちらに出かけ精力的に学んでいるようです。私はもうすでに今日までずっと引きこもりでしたからね。



新田次郎著『銀嶺の人』

マッターホルン、アイガー、グランドジョラスと、女性で初めてヨーロッパ三大北壁に挑む医師の淑子、片や鎌倉彫の彫刻家の美佐子、仕事を持った二人が岸壁登攀に青春をかけていく。二人の出会いから、三人の男性クライマーに魅入られて、ついに初の女性隊によるマッターホルン北壁登攀に成功。小説の最後が幸せながら明暗が分かれる。
このモデルひょとするとはあの二人か、検索するそうで作者もあとがきに書いている高橋(旧姓今井)通子さんと若山美子さんであった。
岸壁登攀は単なる登山とは大違い。垂直の岸壁を登るその技術をこの本でたっぷりと味わった。それはそれは大変なものだ。一度に登れるわけでないので、その間、何泊も垂直の岸壁にビバークし、食事や水を作り、寝る。そしてまた足場を作って登攀。予想も難しい難技術、事前の淑子さんの医師の仕事が終わって家での鍛錬ぶりには開いた口が塞がらない状態。医師の仕事をしながら長期に休んで外国へ登攀に行く大変さなどがひしひしと伝わってきます。
鎌倉彫の方も実に本職は大変なのですね。
私は家族の転勤でやむなく止めた経緯のある鎌倉彫ですが、彫るだけだから、塗りの行程を知らず、稚拙な彫が塗によって実にきれいになって自分が彫ったとは思えないものになっているのは塗師のこんなテクニックや苦労があったのだと思い知った次第です。そして使っても使ってもその美しい艶はそのまま輝いているのです。

そこでモデルとなった今井通子さんの『私の北壁・マッターホルン』『私の北壁・続』を読んでみました。
小説と違って、マッターホルンの相棒・若山美子さんのことは殆ど具体的に書いてないので小説の方でどんな人なのかわかるというものです。
実際に少人数とはいえ、出発するまでの資金調達、物資調達、送り出し、現地受け取り、それもさることながら実際の北壁2日近くの格闘は凄いもので、こんな大変なことが出来れば地上では何でもできるのではとさえ思ってしまう。また田部井さんのエベレスト登頂記にも書いてあるように人との和、これは相手が男と言えども大変なことなのである。田部井さんの場合は女性15人だったので、副隊長として凄く苦労したことが書かれている。人はどうしてこんな大変なことにあえて挑むのかと再度思った次第。それをも上回る壮大な魅力があるに違いない。

塗師によって化けちゃった私の作品。2度目の掲載でお目汚しですが。
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2020年8月24日 (月)

楊逸著『我が敵「習近平」』、 トム・バージェス著『喰い尽くされるアフリカ』

楊逸著『我が敵「習近平」』

著者・楊逸(ヤン・イー)は2008年、日本語を母国語としない作家として初めて『時が滲む朝』で芥川賞を受賞した人。日本に帰化している。
この本を書くきっかけになったのは、新型コロナウィルス、文化大革命による下放、天安門広場事件のようです。

今まで、中国の様々な人民のニュース、谷崎光の20冊に余る本やブログで、もうなんでもありの中国。その人民の何にでも驚かない強さ、賢さ、狡さ、羞恥心のなさ、何でも沢山食べ、良くしゃべり、人の迷惑など一切考えずgoing my way。行動もハチャメチャ、どんな事故があっても殆ど死なない・・兎に角体も心も強靭。
これはこれまでの数千年の歴史によるとされる。・・・ということは日本はやはり島国根性を持っているものの温室の中育ちか。

又、外国に出て行ってチャイナタウンを作り、全世界を制覇。特に米英欧の優秀な大学生になり大学院まで卒業し、スパイとなる。チベット、ウイグル、最近はとうとう香港弾圧まで。一帯一路計画で世界支配。お金を投資して港を作る、道路、鉄道を作る。雇用は現地人は殆どなく中国人を使う。しかし多くの国は借金を返せない。すると漢人を住まわせ、自分のものとして占領する。乗っ取っられたウイグル人は牢に入れられ臓器提供させられている。
今、一帯一路政策で借金が返せなくなって破綻寸前の国はがイラン、イタリア、スリランカ、セーシェル、べネズエラアだ。アフリカについては下記の次の本で。
ということでずっとみてきた中国。

それが、楊さんのこの本で、アッと驚く。
武漢ウイルスは中国が世界に仕掛けた「戦争」という。ウイルスは実は!アメリカが暴露していますが。
WHOのテドロスの事務局長の驚くべき発言と事実。
全世界がマスクや防護服を必要としたときには手に入らなかったのは、そのかなり前に想定して、中国が全世界からマスク等を全部買い占めてたからだそうで、我々が必要になってからアマゾンなど通じて粗悪品を含めてもの凄い高値で売ったわけ。自分の所で流行を終了させたあとにね。深慮遠謀というか、開いた口が塞がらなかった。
武漢ウイルスの中国の本当の内情は?
郭文貴が暴露した中国の「恥部」にもただただ驚くばかり。

筆者の日本に来てからの生活が凄い。一日15時間(夕方5時から翌朝8時まで)働いて、小田急東海大前から歌舞伎町の日本語学校へ通う。寝ながら授業を聞いてでも1年で「日本語能力試験一級」を取り、しかもヒヤリングは満点だったそう。数年してお茶の水女子大学に入学した。これまた高校クラスの知識が必要だから日本人だって大変なのに。
そんな大変な生活も、いじめも多少のことは気にならず、図太い神経の持ち主と自分で言っています。
中国の下放の暮らしの方がよっぽど辛かったそうです。その中国の辛い暮らしでも病気をしなかったのですから、からだも頑丈とのこと。今の中国人もみなそうだと思われます。


トム・バージェス著『喰い尽くされるアフリカ~欧米の資源略奪システムを中国が乗っ取る日~』

アフリカ54か国のうち、エチオピア、ソマリア、ケニア、モロッコ、マダガスカル、ウガンダ、他の小国等々資源を持っていな国もある。が石油を始め、ダイヤモンド、アルミニウム、天然ガス、金、プラチナ、銅、ウランなどが豊富にある国が多い。ところが沢山持っている国ほど国民は貧しい。
楊さんの本にあるように、中国国有企業の民営化がものすごいスピードで進んだ時代にその大な資産を引き継いだのが共産党の高級官僚だった。これが中国が汚職・不正国家となる原点だった。官僚と業者の癒着が常態化し、腐敗と汚職を急増殖させた。
その中国がアフリカの経済を発展させると言って、かつて欧米によって略奪されたアフリカの資源開発を進めている。
例えばエネルギーを輸出するために作られた交通インフラは建設費の三割が賄賂に消えるから、手抜き工事で橋や道路はすぐ壊れるそうだ。
その道路も安価な中国製品が大量に流入するルートとなり、現地の工業はすっかりすたれてしまった(現地人は失業してしまった)。
各国の天然資源の略奪システムは独立後の支配者(多くの職員や関係者がいる)に引き継がれ、中国や欧米の企業は新しい支配者に協力しながら略奪の分け前を手にしている。その上、天然資源関連の産業は国内に雇用を生まないため、国民は大変な貧困状態にある。国の独裁者と中国・欧米の資源略奪者によってアフリカの殆ど国が資源があったがために国民が貧しくなってしまう・・何て救いようのないアフリカ。
例えばアフリカでも天然ガスや石油が豊富なナイジェリアは信じられないほど裕福のはずだ。だが、国民は極度の貧困にあえぎ、若者の失業率は高まり続け、若者たちの怒りや悲しみ、絶望感が充満し、職がない若者の有力な就職先の過激派組織・ボスハラムを生んだ。
その富はニューヨーク、香港、ロンドンへと繋がっていたのである。
欧米が手を引いた国にも、その後中国が巧妙な手でどんどん、表題にあるように乗っ取っていくのだ。
14億の国民が美味し食べ物をたくさん食べ尽くし、豊かな生活をし、世界をまたにかけて旅して、学んでいくことは良いが、その手段は狡猾を極め、この本の題名になる喰い尽くす中国のようなのだ。

この2冊は繋がっている。

 


国分寺崖線は多摩川が削って出来た地形で、私のいる前後30㎞も続いています。崖線の下側に住む私たちは中央線に乗るために坂を登らなければなりません。
今、崖の上の小鳥の森にいますが、崖下(国分寺という寺からお鷹に道が続く)から15ⅿの高さがあります。
越してきたころはいい環境だなんて喜んでいたのですが、年取ってみると結構坂がきつくて、もっと年が行くと果たして?ところがバスが近くを通っているので重い荷物を抱えた日や酷暑の日にはシルバーパスが利用出来て大喜びです。
この崖線は武蔵小金井の所も美術館があったりして楽しめます。

崖下にはお寺が。
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2020年8月13日 (木)

谷村志穂著『移植医たち』

日本では移植の問題はかなり遅れていました。
諸外国とはまた考え方が違っていたりずれたりしていて、ここ医学界でも官僚的閉塞感が否めず、前進には陰にやはり人知れぬ苦労をした医者の存在があるわけです。
この本は、入念な取材をもとに書かれた小説ですが、殆ど実在した人物たちを彷彿とさせるものです。
移植先進国アメリカの有名な移植医が来日して講演したときに感銘を受けた男女3人の医師が渡米して8年間の長きにわたって過酷な現場で移植技術を磨いていくもの。
その後も日本の現実は厳しい。日本へ帰って移植治療を始めようとすれども、古い閉鎖的な日本の医学界にはなかなか受け入れられず、想像を絶する困難の連続であった。
大変さはコロナ治療の現場とはまた違ってはいるものの、日本の外国には見られない、コロナ治療で私たちを助けてくれる方たちを差別する非常に意地の悪い人々が多いと聞くと、上から下まで何も根本的には変わらない意地悪さがあるではないかと思うのです。
福島産の農産物を敬遠した人々、福島から来たと言って虐める人々のことも浮かんできます。検査をしているのだから大丈夫と買ってあげればいいのに。家を失って、行くところがなくなった人を助けるのが当然なのに、転校してきたその子供たちを虐めること、こんなことが社会の隅々まではびこっています。

話は元に戻って、移植医たちはメンタルが強いですね。もしかして虐めるということは弱さの一面かしら。打たれ強くならなければ難局を克服できない。
移植と言えば2年に一度の健康保険証の差し替えで、必ず移植を希望するか云々の項目があります。来年80才になろうとしているくたびれた臓器を希望する人はまずいないと思うのに、何故かいつも臓器提供を希望するに〇をつけます。ちょっと使えるとしたら肝臓、膵臓くらいでしょうか。

 

ナミアゲハ この夏初めて撮れた蝶々
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ハグロトンボ
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可愛い蜘蛛の巣
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キツネノカミソリが満開
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ホトトギス
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2020年6月 8日 (月)

夏目漱石

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『らららクラシック』で トロイメライ(シューマン)、春の歌(メンデルスゾーン)、乙女の祈り(バダジェフスカ)、愛の挨拶(エルガー)のピアノの小曲を聴いて、こんなに余韻に浸りいい気分になれたことに最高の幸せを感じました。・・・今までの過去の幸せ感の金字塔的なものとなったのです。幸せ度はいろいろあるけれども、殆ど家にいるという時こそこんなことが何でも何倍にも有難く感じるものです。そのあと手持ちのショパンに耳を傾けたのは言うまでもありません。

      〓♪〓♪〓♪〓♪〓♪〓♪〓♪〓♪〓♪〓♪〓♪〓♪

この間、簡単服を1枚縫っただけで、毎日のちょっぴりの庭仕事の他は読書が進みました。
丁度図書館が閉鎖し、と同時に本屋が閉まり、どうしようと思ったら書棚の漱石全集10巻が目に留まりました。9巻読み終わり短編小説や小品がちょっと残ってしまったっところで図書館開館と本屋開店です。
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有名な二つの三部作:『三四郎』『それから』『門』
          『彼岸過ぎまで』『行人』『こころ』 
最後の二作品   :『道草』『明暗』
『吾輩は猫である』『坊ちゃん』から『坑夫』までの7作品。

『吾輩は猫である』『こころ』『坑夫』『道草』は心に残った作品です。 
漱石の作品は中国、日本古典からヨーロッパの文学、絵画など明治時代に学ばれ語られていた最高知識がちりばめられている。
高等遊民という種族がいて面白い。今はそういう種族はあまり聞かないで、むしろ「8050問題」を多く聞く。今の年金を頂いている私こそ高等遊民的生活をしていることに気が付きました。
高等遊民の一方、『坑夫』に描かれるのはすさまじいお話です。又漱石は養子に出され、事情あって解消され、その後結婚してからもその元養父母からお金をゆすり取られるという憂き目に遭っているのは『道草』に描かれるところです。
漱石はロンドン留学中にうつ病、ノイローゼ、神経衰弱に罹り帰国したわけですが、その後も家族に当たり散らしたりして別居したり、晩年の数年間は胃病や痔その他を患って奥さんは大変だったようです。よく悪妻・鏡子と呼ばれるけれども、こんな旦那さんではたまらない。奥さんも新婚早々はヒステリーで自殺しかけたほど具合が悪くなったが2男5女も子供を産んで育て、とても強くなっていったのがよくわかります。
随筆『硝子戸の中』で晩年住んだ漱石山房(1月に行きました)の裏側の方に宗参寺があってそこに山鹿素行のお墓があるということが記されているけれど、戦争を経た今もちゃんと残っているらしい。見損なったのが残念でした。

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解除になって女子会の方と高尾山に行ってきました。
ケーブルは動き始め、行きは乗ったが、幸いガラガラで日本一の31度18分という急勾配をしっかり眺められ、紅葉の若葉が美しかった。
高尾山駅に着いてすぐ食べたのが「天狗焼」。薬王院のご本尊・飯縄権現の随身は天狗様です。美味しくて力がつきました。
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男坂、女坂をやめて初めて仏舎利塔への道の入口です。「三密の道」!
仏教では人間の日常生活は三密、身(身体)、口(言葉)、意(心)の三つの働きから成り立っていると考えられている。これこそが煩悩の元であり、身業、口業、意業である。この三密の道を歩くとき煩悩(わずらいなやみ)を消すことを心に念じ歩いてください・・・と書かれていました。
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お稲荷さんの狐もマスクをしていました。
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曇っていて遠くの景色は見えないし、お花も殆ど咲いていなかったけれども、人が少なくてマスクをしないで歩けた久しぶりの登山で良い運動になりました。

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2020年4月16日 (木)

『ときものがたりデカメロン』ボッカチオ作 田辺聖子編述

前回のクラスから回ってきたメールはチェーンメールだったそうです。ご迷惑をおかけしました。
ただ内容が詐欺目的とか脅しでなく、私たちに注意喚起を促すような比較的穏やかなものでしたので、安心しました。
どなたが医者を騙ってやったのでしょうか。

娘がテレビ電話をセットしてくれたので、数回やってみて面白がっています。
昨晩は行きつけのお店が気の毒と週1回でもとテイクアウトしてきたものを見せてくれましたが、面白い料理でした。

緊急事態宣言が7日に出て、それ以前から図書館はパソコン予約の本だけ受け取りに行くシステムだったので、1冊だけ予約。受け取りに行った2日後閉鎖されてしまいました。もっと頼んでおけばよかったのですが、幸いだったのはその日、福袋があって良かったら選んでということで<夏木静子>を借りてきました。中に3冊入っていたのは『W、M、Cの悲劇』3冊。暇が倍増した感じで1日1冊読んだのですが、こんなご時世の時の推理小説は面白いです。

『ときものがたりデカメロン』ボッカチオ作 田辺聖子編述
短編小説「デカメロン」は100話もあって長いものであるが、これは19話に絞っている。14世紀イタリアの王や王妃から商人、坊さん、軍人、裁判官、学者から左官屋、異邦人まで登場し、万華鏡のごとき人生の諸相を繰り広げるというもの。日本の『今昔物語』にも似る。
1348年、イタリア・フィレンツェにペストが流行し町は地獄と化した。そんな中、身分ある淑女7人と青年紳士3人が集まり、悪疫がまだない郊外のそれぞれが持つ別荘を巡りつつ災厄をしのごうではないかと。1日1人1話で10日間で話された内容を書いた本とのこと。千夜一夜物語も彷彿とさせられます。

・・・コロナウィルスでかなり精神的に心配な毎日ですが、医学や社会体制が今ほど整わない昔のヨーロッパにはペストが流行し、このような物語が生まれたり、欧州の町の中心にペスト記念碑が立てられたり、絵画にも多く描かれています。
ペストの別名が黒死病。末期症状に黒ずんだ斑点があらわれる。以下中野京子著『新 怖い絵』参照。
記録に残る世界最初のパンデミックは6世紀のユスティニアヌス帝時代(ユスティニアヌス病と呼ばれた)。発生源はエジプトでたちまち東ローマ帝国中に拡がり、60年以上も猛威を振るったそうだ。その後もペストは周期的に各地を襲い、最大最悪が14世紀の大流行で(デカメロンの時代)、当時のヨーロッパ人口の1/4から1/3(2千万~3千万)もの命を奪ったと推定される。4人に1人から3人に1人がばたばたと死んでいったので死生観も変わり「メメント・モリ=死を忘れるな、死を思え」が諸芸術のモチーフとなったわけです。
ペストはその後18世紀まで続く。1576年のヴェネチア(ティツィアーノが犠牲になった)、1629年のミラノ、1665年のロンドン、1702年のマルセイユの惨禍がよく知られる。
そうそう、「ロビンソン・クルーソー」の著者ダニエル・デフォーのドキュメント『ペスト』を読んだことがあります。デフォーが5才の時に体験したもの。ロンドンの1/6が死んだ。
日本も何も手を打たないと42万人が亡くなるという統計が発表されたところです。
たまたま読んだら、丁度コロナ騒ぎの時にペスト史上最悪の時が舞台になって(話の内容は全然関係ないが)いたのが偶然でありました。
史上最悪と言えばスペイン風邪は凄かったそうで。人類史上最悪。1918年1月から1920年12月までに世界中で5億人が感染したとされ、これは当時の世界人口の4分の1程度に相当する。その中には太平洋の孤島や北極圏の人々も含まれた。死者数は1700万人から5000万人との推計が多く、1億人に達した可能性も指摘される。日本は約39万人亡くなったそうだ。当時の人口5500万人に対し約2380万人が感染したとされる。 この時も鎮静まで3年間にわたっているのですね!う~ん。

 


夏木静子著『Wの悲劇』。1981年、夏木静子が『X、Y、Zの悲劇』の作者エラリー・クィーンの一人フレデリック・ダネイ夫妻と北欧での世界推理作家会議の帰途、ノルウェーで北極圏旅行をした際、Wの悲劇の構想を打ち明けてヒントを頂いたそうである。山中湖旭ヶ丘の別荘で起こる事件。私の友人の山中湖畔の別荘に泊まったり、旭ヶ丘の方の施設に泊まったりしているので景色が目に浮かぶ。

『Mの悲劇』は、昨年はからずも行けた厚岸や釧路が舞台で目に浮かんでくる。凄い過去を持った人たちに起こるあまりにも悲しい希望のない世界が胸を打つ。

『Cの悲劇』これも舞台が我が家の近くの隣の府中市、昔よく散歩した東京農工大の敷地に隣接する家が舞台となるので親近感が湧いて一気読みでした。
偶然ながら3つの悲劇が地理的にわかっていたので物語の中にすぐ溶け込めたということで、いい福袋を当てた自粛読書生活でした。しかしまだまだ続きます。
地元の商業施設の紀伊国屋書店も閉まって、いよいよ家の中の未読本の続きです。

 


3/19、薬用植物園で。昨年同様、アンズ、アーモンド、ユスラウメ、アイスランドポピー、ミミガタテンナンショウ、ウグイスカグラ、カタクリ、シュンラン、ニリンソウ、アミガサユリ、イカリソウ、キジムシロ、クレマチス・アーマンディーなどが満開でした。

黄色のセツブンソウを初めて?見ました。キバナセツブンソウ(キンポウゲ科)
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チオノドグサ(ユリ科)
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シキミ
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ノウルシ(トウダイグサ科)
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2020年4月 3日 (金)

『二宮金次郎の一生』三戸岡道夫著

街道を歩いているときいくつか見た二宮金次郎像。子供の時に読んだだけで薪を背負って勉強している金次郎しか覚えていないので、実際にはどんな人だったのでしょう。

小田原の報徳二宮神社内の子供の時と大人になってからの像。
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先日歩いた千住宿を出た先の足立区の国土安穏寺内及び疱瘡神社に隣接する小学校辺りで見かけた二宮金次郎像。
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貧しい農民の子に生まれた金次郎は、14才で父親を亡くし、乳飲み子を抱えた母と弟2人を養わなければならなくなった。未明に薪を取りに1里を歩き、それを小田原まで2里歩いて売りに行く。その時間が惜しくて人のいない道を読書しながら歩いたのがこの像だった。1年半後には母も亡くなる。すべての田畑を失い、一家離散してしまった。その後からが凄い。奉公先で早朝から夜中まで働き、一番鶏が鳴くまで勉強したという。
その勉強で得たあらゆる知恵を使って仕事、生活を工夫して(これがいろいろと凄い)、少しの暇に荒れ地を整備していたとき末弟を亡くし、家を復興することを誓う。その働きは馬車馬のようだが我武者羅でなく、知能的、多面的であった。父の死から10年目に24才で1.46ヘクタール(約4400坪)の所有するまでになり、2年後には小作米38表1斗の自作農になった。これに安んじない金次郎。傍ら服部家に仕え、色々な知恵、実践で財政再建をする。
これが発端となって、農民から幕臣となって藩の改革に努め、600の村を救い、数万人を飢餓から救ったのだ。70才で亡くなるまで早朝から深夜まで村を歩き回り怠けて怠惰になってしまっている農民を説得し、勤勉な農民に変えていくのである。身長が180㎝以上という偉丈夫で、声も大きく、一汁一菜の粗食で働き詰めでよく70才まで生ききったものとその体力にも驚く。
農村や藩の再建は険しく、農民の出だということで武士である家臣たちは馬鹿にするし、意地悪する。というのも金次郎の基本精神は農民を救うことにあり、それは財政立て直しで武士を潤すものでなかったからだ。
小田原の地にずっと自作農としていれば、何万町歩の大地主となり、大資産家になれたのに、その生涯で所有する田畑はなく、膨大な資金も農村復興に使ってしまって私有財産は全く残っていなかったという。全生涯を農村と農民のために捧げた。その無私の精神が報徳社となって今に続いているのだそうだ。

まさしく現在の政治家にこんなに国民を考える人は皆無。突出していた田中正造等を思い起こしますが、この方も過去の人。
今は絶望的。自分の自分による自分が金持ちになるための政治。アベボンとその友達、日銀総裁とで子・孫の時代は日本沈没しそうな借金を膨らませ、コロナ対策も諸外国からも批判されるようなもたつき具合に、色々合わせて疲弊してしまいます。そういう人しか出せず、選ぶ国民も悪いとは思いますが。

 

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2020年3月 3日 (火)

『奇妙な死刑囚』アンソニー・レイ・ヒントン著


『奇妙な死刑囚』アンソニー・レイ・ヒントン著 ブライアン・スティーブンソン序文

著者はアメリカ・アラバマ州で黒人であるがゆえに無実にもかかわらず死刑判決を言い渡されが、正義感溢れる弁護士(序文を書いた人)により、30年後に無実で死刑囚監房から釈放された。
事件当時、ヒントンは犯行現場から20数㎞離れた場所で守衛が目を光らせ、全従業員の出社と退社時刻を記録している倉庫で働いていたのである。警察はアリバイ無視、家宅捜索で古い拳銃を押収し、別の強盗事件でも逮捕、起訴した。検事、裁判官、裁判所指名の弁護人、陪審員ら全員有罪判決にし、死刑を宣告した。誤判は貧しい黒人青年であったがゆえに人種差別の犠牲になったのだ。
この悲劇は今でも跡を絶たないようだ。その中で30年の月日を経て2015年に釈放されたヒントン氏。彼を最終的に助けた弁護士は言う。
ヒントン氏は、思慮深く、偽りがなく、誠実で、思いやりがあり、たぐいまれなユーモアセンスの持ち主で愉快な人物。死刑囚たちと積極的に関わり、監房ではひとかどの人物として尊敬されていた。刑務官たちでさえ、結婚や信仰、日々の生活の苦労など悩みがあると彼に相談、助言を求めていたという。前代未聞の話だ。そんな風な人物に育て上げたのは素晴らしい母親だった。30年間毎週片道7時間もかかるのに面接に来てくれ、癌で途中無くなってしまう彼の母の面倒を見た友人レスターとその妻も心の支えになった。
そして弁護士だ。ヒントン氏は言う。彼を信じてくれ、貧しい人間のために粉骨砕身を続け、どんなに分が悪くても闘い続ける、神がつかわした最も偉大な弁護士だと。
本当にこんな弁護士がいるのかと私も感動した。

それにしても監獄の凄さは聞きしに勝る。冬の気温は書いてなかったけれど、夏は部屋の中は47度~49度の暑さという。ご飯は味なく泥のよう。ゴキブリとネズミが走り回り、死刑執行の時の焼く臭いが漂うという。最初は狂わんばかりの怒り、絶望、恐怖の果てに、よく耐え、ユーモア持って所内の人々へも希望をもたらし、奇跡を手にしたのである。ラスベガスの45度に数時間でダウンしてしまった虚弱な自分を思うと、そしてこの夏も猛暑日が続いたらもうだめと思っている自分を恥じます。いまだに黒人だからという人種差別という悪がまかり通っているということにも驚きます。

 

 

埼玉県の寄居町には8つの寺院に「十二支守り本尊霊場」があり、2月上旬に巡ってきました。
東武東上線の北側に四寺、南側に四寺。極小さな寺から立派な寺までいろいろで、自分の干支の守り本尊をお参りすると開運厄除、諸願成就等の御利益があるという。肝心の自分の守り本尊は閉まっていて見られなかったのが残念でしたが、色々なご本尊や石仏、鐘楼、仁王様などを見、最後の少林寺では五百羅漢を楽しんで癒されました。
どこかのお寺でいただいたちらし。全くその通りで戒めになります。
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少林寺の羅漢山(247m)の上の方までずっと並んでいます。これが見たくて参加したようなものです。
こんな風な間隔で続いています。
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ムンクの叫びのようなのが!!
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2019年12月14日 (土)

角幡唯介著『極夜行』

角幡唯介著『極夜行』

こんな凄い冒険旅行の記録は初めてです。南極点に到達したスコットが帰路で亡くなってしまった話『世界最悪の旅―スコット南極探検隊』や『エンデュアランス号漂流』や『冒険歌手 珍・世界最悪の旅』峠恵子著などもなかなかだったけれど(この旅に角幡唯介氏は大学生で参加していてどうやら無計画性に呆れて引き返したらしく、彼の経歴にはこの部分が抹消されていると検索したら出ていました)。

この本の前に『極夜行前』を読まれたZさんの感想で驚いて読み、そして本番のこの本です。
グリーンランドの極夜をほぼ4ケ月犬1匹とともに旅するのである。月が出る日もかなりの暗さであろう。
氷点下30~40度、強風や暴風の吹きまくる一面の氷の真っ暗な世界をテント泊で旅する。食料も橇で引けるだけしか持てず、事前の3年間に自分の食料とドッグフードを数か所にデポした。現地にいる魚の他、ウサギ、アザラシ、セイウチ、ジャコウジカなどなどを捕獲し解体し、乾燥したものをドッグフードや日本から輸送した他の乾燥食糧と燃料などをデポ地まで運ぶ苦労が『極夜行前』に書かれていた。

本書ではいよいよ出発。あえてGPSを使わないことにこだわり、天測で、地図とコンパスだけで旅する。というのも旅の始めにそれに必要な六分儀を無くしてしまうのです。苦労して旅して奇跡的に(以前の3年間で地理的な起伏などを覚えていた)デポ地に辿り着くと、どこも全部白熊に食べられてしまっていた。旅を続けるべく獲物探しが始まるが一向に捕獲できず途中から引き返す判断をする。オオカミを捕まえたり、最悪パートナーの犬を殺して生き延びようと思ったりしてどん底状態になる中、いろいろな奇跡が重なって、筆者は犬とともに生還するのです。
どうしてここまで死と隣り合わせの危険な恐ろしい究極の旅をするのか??著者にはちゃんと理由があるのでした。著者と犬の愛の物語も秀逸でした。


11/10(日)は久しぶりに高尾山へ。

1号路、4号路、6号路、稲荷山コースは歩いていますが、この日は3号路、2号路南側コースを制覇(大げさ)しました。残るは5号路ループと2号路ループ北側なので次回回ってみたい。この日のコースは1号路→もみじ台→山頂→3号路→2号路→6号路。台風19号の影響で6号路は琵琶滝から上は通行止め。

咲いていた花はオヤマリンドウ、キッコウハグマ、ヤクシソウなどでした。
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富士山は上の方がちょっとだけ見えました。私にしか見えないでしょう。中央上ですが。
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下では高尾山もみじ祭りで、関東唐獅子太鼓の演奏の最中でした八王子の関東太鼓合戦に出演した15のうちの一つのようです。力強い演奏でした。
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八王子市のマンホールは八王子車人形・演目三番叟がデザインされている。初めて気が付きました。
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11/17(日)山梨県上野原の四山(尾続山、実成山、コヤシロ山、要害山)から富士山を眺めるトレッキングコースを巡りました。

尾続(おぞく)バス停からまず尾続山(538m)へ。頂上は眺望がきかず手前の展望台からの富士山。
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ミヤマシキミの蕾
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実成山(609m)の頂上も眺望なしで手前から富士山を望む。
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コヤシロ山(600m)頂上からの富士山。
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ユウガギクと友が言う。
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風の神様(540m)から
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要害山(536m)頂上。戦国時代、ここ要害山には甲斐・相模・武蔵三国の国境において最大級の山城の大倉砦が築かれていたそうです。
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同じ友がこのシメジは美味しいと。ナラタケだそうです。いつもsさまありがとうございます。
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石像と紅葉。このコースは次々と富士山が現れ、大菩薩嶺の時のように感激しました。家からも割合近い山ですし。
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