2018年3月19日 (月)

『インド人の秘密』パヴァン・K・ヴァルマ著

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シキミ  丁度お彼岸の頃に咲き、仏壇や墓に供えたりする。公園に咲いていました。

暖かくなるまでは家で読書も多く、行き当たりばったり読書です。

『インド人の秘密』パヴァン・K・ヴァルマ著

本の中からちょっと抜粋。
不屈の精神ーいつも最悪を覚悟
普通であれば絶望してしまいそうな環境の中で、希望を見出していることに、本当に驚きます。極貧民でも敗北を認めません。貧困を美化するつもりは一切ありませんが、インド人は平然と、事態が少し悪いくらいでは幸運だ、と最悪を覚悟しているのです。厳しい状況があまりに長く続いたので、不屈の精神が培われたのでしょう。耐久力が身についています。人生に障害はつき物と考え、すぐ落ち込んだりはしません。無頓着に冷静にことを処理していきます。デリーのオートリキシャ(三輪のタクシー)の後ろにこんな標語を見つけました。「起きるときは起きる!」

モンゴル、トルコ、ヨーロッパの支配力とは異なり、領土を拡張する目的で軍による征服をしようとしたことは1度もない。
カースト制度、男尊女卑、インド人の消極性。
一方、どんな悪環境の下でも金儲けに専念できる性格 権力の誇示、ステイタスの重要視、結果が良ければ手段を選ばず、何をやっても正当化、長いものには巻かれろ、人間関係に距離を置く、ごますり・お世辞、妬み、服従心と敵対心、派閥主義、政治家堕落、優れたIT関連頭脳・数学・天文学と占い術、製薬、迷信、汎インド人、インドに住むムスリムとはあまり問題を起さない。

人口13.2億人、混沌とした複雑な内面を持つインドはなかなか理解しがたく、一筋縄ではいきません。



『精霊の民 アボリジニ』白石理恵著 世界人類問題叢書8

ヨーロッパ人は探検家が大変な努力を重ねて、大海や砂漠やジャングルを越えて、訪れたことのない地に到達すると、その地を発見したと表現した。
オーストラリアの場合、アボリジニがその地に誕生あるいは移住してき、昔からそこで社会を形成し、それぞれの宗教や文化や思想を発展させてきた事実を侮り、その民族の業績と能力を無視しようとする。そして既存の海岸沿いの集落を崩壊し殺戮し、あるいは白人の持ってきた伝染病で死亡させ、白人が増えるにしたがって人口を支えられなくなり、さらに襲撃し砂漠の方へ追いやり、害虫と同じ駆除すべき対象とした。そのためアボリジニの文化は壊され、人口は極端に減少し、砂漠地でさらに困窮した生活を強いられたようである。
平均寿命は1993年と古い統計ではあるが、男性は50代、女性は60代と低く、乳幼児死亡率は60%以上と書いてあった。
白豪主義の政策のもと、アボリジニは進化過程が白人のレベルに達していないと信じ、他の人種に対して非人間的な行為を犯し易くなった。その結果、はかり知しれない数のアボリジニーが悲しみと悔しさと怒りに満ちた人生を送った。

アボリジニから驚くことは、芸術の位置づけ。美術も音楽も演劇でも、この人々は日常茶飯事的に芸術性を発揮する。みんな子どものときから歌い手であり、踊り手であり、詩人であり、絵描きであるようにそだっていくのだ。
現代の私たちにとり、芸術の才能とは運よく素養を持って生まれた人が努力を重ねて習得する特殊技能だ。そして成功すると「芸術家」としてスポットライトを浴びる。いったいいつから私たちはこのように、本来は誰でもが持っている、心で感じたり表現したりする能力を「才能」と呼ぶようになり、才能が「ある人」と「才能がない人」に分かれてしまったのであろうか。世の中が便利になった分、私たちの感性が退化してしまった気がする・・・と書いてあってはっとしました。






 

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2018年3月 8日 (木)

『獄中記』佐藤優著

何故筆者が512日間も獄につながれていたのか?内容を全然知らないで来ていました。
それは国後島ディーゼル発電機供与事業に関して、積算価格を三井物産に漏洩するという行為に、直接、もしくは間接に関与したこと。
もう1件はテルアビブ大学主催国際学会への日本人学者などの派遣、ゴロデッキ―大学教授夫妻の訪日招聘に支援委員会の資金を支出したこと。つまり背任・偽計業務妨害という微罪容疑だ。これらに筆者は一切関与してなく、外務省の組織決定に従ったと。
佐藤氏は国策捜査の主要ターゲットではなかった。鈴木宗男氏が標的で、そこに行き着くために佐藤氏を捕まえることが必要だった。そして鈴木氏と佐藤氏が絡む刑事事件を作ることによって、従来の政官関係を断罪するというのが東京地検特捜部の策略だったと見た。
鈴木宗男氏は1991年のリトアニア訪問で杉原千畝の名誉回復に貢献した人だったことを知った。

小菅刑務所で著者は検察や東京拘置所に対しておもねるつもりはないが、皆仕事熱心で、公益に対するそれなりの信念をもっており、人間として尊敬できる人立ちだと書いている。看守たちも囚人心理の洞察に優れ、人間的優しさを持った好感を持てる人々であったと言っている。

512日間、公判など裁判の準備がそれこそ多いわけだが、著者の勉強、読書の内容には仰天の何物でもない。

この方は同志社大学院神学研究科を出、イギリスとロシアの大使館に勤務後、外務省の首席分析官として活躍。クリスチャン。
獄舎では1回に持ち込める本の数も数冊に制限されるが、最初はラテン語、ドイツ語、広辞苑の勉強から始まり、専門の域でしょうが哲学、聖書関係の書が多い。
マルクスは言うに及ばず、ヘーゲル、ユンゲル、ハーバーマス、ミル、ディルタイ、フロイト、チャーダーエフ等々きりがないのでやめておきますが、凄い著書を原書でも読んでいる。
ロシアのセルゲイ・アルチューノフ教授は40ヶ国語ができ最初に勉強したのは日本語やアイヌ語で日本に留学し、博士号を取り、世界の食文化、北方少数民族研究、コーカサス研究に打ち込む歩く百科事典でロシアやアメリカの大学教授でもある・・・というようなすごい人の話がたくさん出てくる。
日本人では『太平記」など他、多川俊映、高崎直道、武村牧男、横山紘一などなど、私が今後絶対に読まないような難解な本を次々読みこなしていく。

ある日の監獄の食事・夕食 ビーフカレー、シーフードサラダ(イカ、エビ、グリーンアスパラ)、福神漬、ヨーグルトドリンク。
元旦のメニュー 朝食:白米飯、大根味噌汁、イカ塩辛、芋きんとん
        昼食:餅、雑煮、焼きそば、メロン、牛乳
        夕食:白米飯、ビフテキ、コーン・人参・グリーンピース、タラコスパゲッティ、ベーコンクリームシチュウ、カフェオーレ
そして元旦の配給品 
 〇紅白まんじゅう
 〇折詰 カニクリームコロッケ、鶏唐揚げ、ミカン・パイン・チェリーの缶詰、野沢菜と大根の漬物、シイタケ煮付、竹の子煮付け、昆布煮付、豚肉角煮、塩鮭、ボタンエビ、数の子、羊羹、酢だこ、昆布佃煮、だてまき、紅白蒲鉾、豆きんとん、黒豆。
我が家よりずっと凄いではないですか!
そして2年目には空調の効いた独房だったので快適だったとか。1年目の夏暑く冬寒さに奮えていたのとは別天地。

佐藤氏は今次々本を出版されているが、獄中に60余冊のノートも取って勉強したことも反映されているようである。2002年5月から2003年10月までの拘留は自身の人生に有意義な時間をくれたようなことも書いている。獄中はとても居心地よく、もっと居たかったくらいだと。

またこの人の強さを知った1冊でもあった。紹介に寄れば、接見禁止のカフカ的不条理の中、外交官としての死を受け入れ、神との対話を続けながら世捨て人にならず、人を恨まず、嫉妬せず、裏切らず、責任転嫁せず、転向もせず、人間としての尊厳を保ちながら、国家公務員として国益の最大化をはかるにはいかにすべきか?この難題を哲学的ともいうべき問いに取り組んだ獄中ノートだ。

           最初出る葉が黄色い「カネノナルキ」を見ました
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2018年2月11日 (日)

『世界探検史』長澤和俊著

P1120501_300x450長澤教授には、1986年に早稲田のエクステンションセンターに初めて登録し、その頃NHKの「シルクロード」の番組にのめり込み、たくさん本も買っていた(全部処分してしまったのは早まったか)ので、最初に受講してお会いしました。すでにあの辺りをたくさん探検されてその豊富な体験のお話もなかなかに面白かった。クンジュラブ峠(4700m)では高山病の一種でしょうか、鼻血ぶーだったとか、酷い大揺れ小型機体験などのお話が記憶にあります。豪放磊落の方とお見受けしました。教授と一緒のシルクロードの旅に参加できなかったのが残念でした。
この本は1969年に上梓されているので受講していた時にはあったわけで全然知らず、今年講談社学術文庫で刊行されたので本屋で見かけて購入しました。

探検として私が認識しているのは香辛料を求めてスエズとパナマ運河のない時代、大航海時代が始まったことや、マルコポーロに始まるシルクロード、チベットやヒマラヤ探検、アフリカ探検、そして北極や南極探検などでした。
実は探検って年表に寄れば、前7世紀アリステアスのスキタイ地方探検に始まりそれが次第にあらゆる大陸、島にまでおよび、20世紀に入ってからは近代的な科学装備により、未踏の高峰や深海、各大陸の極奥部の探検もなされ、地理的探検の時代はここに終わった。しかし残るは航空写真も進歩したものの、地名もわからず内容もほとんど知られていないのでこうした地域の実態を探検することが残された課題のようです。
アメリカ、アジア、太平洋、アフリカ、極地のたくさんの探検が網羅されているけれども北極、南極、オーストラリア乾燥地帯、アフリカ奥地など、もうそこで死ぬような苦労をしながら探検をし、実際にクック、マゼランなどはじめ多くの探検家が客死している。それでも探検家は跡を絶たない。現在は探検家とは少し意味を異にする冒険家が多くなっている。
日本では、江戸時代にジョン・万次郎の漁船で漂流してしまったような数々の漂流、そして植村直己、女性で世界初七大陸最高峰登頂の田部井淳子、単独無寄港世界一周航海の今給黎教子などたくさん知られているが、この本の中には中央アジアやチベットなどへ足を運んだ、大谷探検隊や河口慧海などが記されています。

というわけで本の中で、飛行機や車や列車のなかった時代の世界中の凄いところを、死にそうな気持になって探検して参りました。

下の方にちょろちょろと緑の葉もあるけれど、シロタエギクのように葉が白くなっているこの木、葉の色をこれから通るたびに観察したい。と言っても何の木だかわからないと面白味が半減します。   トウヒ属のコロラドトウヒとのことです。多摩NTの住人さま、有難うございました。
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2018年1月22日 (月)

『息子が殺人犯になった』 ス-・クレボルド著

『息子が殺人犯になった』ス-・クレボルド著 仁木めぐみ訳
コロンバイン高校銃乱射事件・加害生徒の母の告白

1999年4月20日コロンビア州デンバーのコロンバイン高校で、同校の生徒、エリック・ハリスとディラン・クレボルトが生徒12人と教師1人を殺し、24人を負傷させたあと自殺した史上最悪の学校銃乱射事件があった。それは未成年2人によるあまりに残虐な犯行だった。
アメリカのごく普通の家庭で育った兄弟。著者はディランの母として、妻として、女性として、教育関係者として優等生的人生を送ってきた人だ。
それがこの日に突然破壊され、絶望の淵に突き落とされ、殺人犯の家族としていきなり社会にさらされ、責められ、自身も息子を失い、価値観のすべてを壊された著者が、嘆き悲しんだ末、自分を取り戻し、世界の人に向けてすべてのことを発信する本を書いたのだ。著者紹介によると、事件直後から家族の生活の細部まで振り返り、原因を追究してきた。その過程で、精神衛生と暴力の関連性について理解を深めながら、現在は自殺を防止する活動に奔走しているというのである。

事件が起こって間もなく、職場に電話が入り、帰宅するも、警官とマスコミとヘリコプターがいっぱいで、家の中に入れてもらえず、ずっと夜まで外に立たされ、その後はとりあえずの品物だけの持ち出しが許され、ホテルへと思っても、野次馬とマスコミに晒されることで、行き場所がない。密かに夫の姉の家の地下室に数日かくまってもらうところから始まる。
最初何も知らされず、どうやら息子が犯人らしいということで、テレビを見ることも出来なくなってしまう。何も食べられず、眠れず、嵐のような、被害者や世間の人々の犯人の親に対する憎しみに対面して行かねばならない。
そんなに普段から家族の一員として格別悪い子ではなかったし、「私の育て方は間違っていなかった」と思い、とても大量殺人をする子に思えなかった。
しかし人々は言う「いい親なら、子どもがなにをしようとしているか、ちゃんとわかるはず」と。
著者が想像を絶する非難を浴び、喪失し、加害責任を引き受けていく過程が凄い。それでもわが子を否定しきれない葛藤が続く。結論は親の知らない面で、子どもは精神的に病み、自殺願望が高まっていて、友人のエリックの銃乱射に加担する残忍な方法で自殺するという、救われない自殺の仕方だった。
事件後すっかり体が弱ってしまったが、2か月後に職場に復帰するように親切な上司や同僚に言われ、ふらふらしながら、職務はまだ果たせないけれども、外に出て行ったことが凄い。
ストレスの胃腸炎で、トイレがすぐそばにない所では働けなかったという。
たくさんの裁判を起こされ、また莫大な弁護士費用で、やがて土地も家も失い、そして夫とだんだん思いが通わなくなって事件度10数年経ってから別の道を歩み始めたという。
約400頁にわたる克明な記録が事件から15年以上も経って上梓された。
毎日起こる事件で、同情できない犯人を見聞し、親が悪い、家庭が悪い、社会が悪いとそこだけに結論を持って行きがちだけれども、そんなものではないということもわかった、いささか気分が落ち込む内容でもあったが、著者は自殺願望の人を防止する活動をしているし、物凄い19年を送ってきたし、よくここまで生きて来られたなあと感嘆したのです。この人だけではない。世界にはこんな思いをしている人がたくさんいるのでしょう。状況によっていろいろ異なるも、1つの事件の内外両面からの克明な記録として私の心に深く焼きついた本でした。

今年も、ロウバイにたくさん出来た蕾をヒヨドリに全部食べられてしまいました。少し残っている万両よりは美味しいのですね。
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2018年1月11日 (木)

本:『名古屋学』と『日本の分水嶺』

『名古屋学』岩中祥史著 

東海道歩きももう少しで愛知県に入るので関係する名古屋について知ろうと鹿児島学に続いて読んだ。
著者のまえがきからの抜粋でほぼわかったつもりになれる。名古屋弁についていやに力が入っていると思ったら著者が名古屋出身だった。

名古屋は古くは織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を輩出したところだ。何れも名古屋にその後住んだわけではないが。
特に戦国時代の混乱に決着をつけ約270年も続く江戸幕府の創始者の徳川家康に象徴されるように、名古屋人はしたたかな人種として知られるそうだ。何があっても決してめげない、よそを気にしない。
それは家康の情報力であり、名古屋人も情報力にかけて東京人、大阪人を圧倒している。

名古屋人はケチで有名である。その理由は冠婚葬祭に備えてである。特に嫁にやる娘の支度にかけるお金は他の地域より群を抜いて1000万円以上かける。…などこれって21世紀になり平成もまもなく終わりの現在もそうなのでしょうか?

そのケチぶりは会社経営にも発揮され、無借金の企業40社が挙げられているが、その中にトヨタ自動車、リンナイ、カゴメ、INAX、デンソーなど錚々たる企業が名を連ねている。
「浮かれない、騒がない、踊らされない」が名古屋の経営者の鉄則になっている。勤勉で良く学び、粘り強く取り組むので、特に生産部門では群を抜いている名古屋だ。
サラリーマンも夜、外で飲んだりせずまっすぐ家へ、無駄と思われることは一切しない。夜の盛り場もさっさと閉まるというから信じられないが、そういうことだ。

タクシーに乗る人も少ないから、他所からの人間が乗ってみるとなんでも日本一運転手さんが丁寧でサービス精神に富んでいるらしい。(私が最近医者に行くのにハイヤーを頼んだら凄く丁寧で親切で感動したので、東京でも流しのタクシーとは違うのであろうか。タクシーは東京では殆ど乗ったことがないので比較が出来ない)

バブルにものらずに堅実で、だから宅地面積も広く、地下も上がらず住みやすく、名古屋の地から他へ就職しようともしないのが大半。
名古屋は都会の「乾性」と田舎の「湿性」とが見事に調和した空間なのだそうだ。

しかし、名古屋は文化度が低く、文化不毛の地と言われる(が気にしないそうだ)。そして味オンチだそうで、味噌カツ、きしめん、ういろう…お世辞にも美味しいとは言えない料理を次々と発明する名古屋人と著者は書いている。

『日本の分水嶺』~地図で旅する列島縦断6000キロ~ 堀公俊著

降った雨の行先が太平洋か日本海か?その一本の線が大分水嶺。
北海道の宗谷岬から下関、九州は門司から佐多岬へ。
北海道は知床岬と襟裳岬にも分岐する。本州では琵琶湖の東の方から和歌山県の田倉崎へ分岐する1本があり、その続きが四国の徳島から愛媛の佐田岬へ、その先、九州の阿蘇から分岐する1本につながっている。九州には英彦山からもう1本分岐していて平戸大橋へ。
この分水嶺には「百名山」の他に「百名峠」や「歴史の道百選」「自然百選」「残したい日本の音風景百選」などが所々に出てくる。
峠からの絶景も随所にあり、花咲く湿原も随所にあって素晴らしいらしい。それを踏破しようと試みる人もいるようである。


千両をヒヨドリだけが食べていると思っていたら、1昨日鳩が食べにやってきているのを発見。塀からなかなか千両に向かって飛べなくて、やっと細い幹に飛びつき、実を突いている所。ピンボケで見ずらいです。
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2017年12月26日 (火)

『鹿児島学』岩中祥史著

著者はこの本を書くために鹿児島県の全市、ほとんどの町村を訪れたそうだ。
本土の他、種子島・屋久島を経て、悪石島のあるトカラ列島、その先の奄美諸島の与論島まで普通の地図には収まらない長い県だ。
江戸時代には沖縄まで島津が治めていた。

鹿児島県で最大、最強のものは温泉で源泉の数が全国第2位(1位は大分県)で鹿児島市内の銭湯は殆ど源泉かけ流しだそうだ。
そして思い浮かべるのが桜島(この灰だけが悩みの種)。さらに指宿・霧島温泉、焼酎、黒豚、薩摩揚げ、豚の角煮、キビナゴ、サツマイモ、白熊(かき氷)、薩摩焼、大島紬。

薩摩と言えば、明治維新の原動力となった。歴史上の人物では西郷隆盛、大久保利通、島津の殿様たち、天璋院篤姫、陸軍の大山巌、海軍の東郷平八郎、伊東祐亨(すけゆき)、山本権兵衛、洋画家の藤島武二、東郷青児、歴史小説家の海音寺潮五郎。

産業は製造品は37位、農業産出額3位、畜産業の「豚」1位、「肉用牛」「鶏」2位、食料自給率(生産額ベース)は宮崎県に次いで2位。

日本一長い「海上国道」58号線があるのが面白い。沖縄本島を貫き、与論島や徳之島を飛び越し、奄美大島に58号線が現れ、次は種子島で最後が鹿児島港から700mの西郷隆盛の銅像が建つ中央公民館交差点までが58号線の全ルートだそうだ。

路面電車が走る都市は17あるが、鹿児島市のは架線柱があり、架線が少なくすっきりしている。軌道が敷設されている部分に芝が植えられている。世界でもまれだそうだが、ついこの間スペインバスク地方で見て写真も撮ってきたところだ。お洒落な感じで、気持ちを和ませ、電車から発生する熱や騒音大幅に減らし、ヒートアイランド現象を緩和する効果もあるそうだ。
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日の丸、君が代、軍艦マーチ、国産ビール、野球、那須塩原温泉、キヨスク、一橋大学。これら全てに薩摩が深く関わっていたとのこと。
それぞれ長い説明があるが、一度読んだだけでは頭に入らなかった。

一途で猪突猛進の鹿児島人。お墓参りは欠かさない篤い信仰心。
徹底して行われた廃仏毀釈でお寺が少ない県で47都道府県中44位。国宝、文化財が極端に少ない県。しかしパチンコ店は日本一多い。本土の県内のいろいろ個所の話。藩主の搾取で悲惨な島民だった奄美大島、世界遺産の屋久島、鉄砲伝来・宇宙センターの種子島など様々な角度から357頁にわたって紹介されていてなかなかに興味深い本でありました。

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2017年12月12日 (火)

嵐山光三郎著 『悪党芭蕉』

昔から芭蕉は幕府の隠密だったので歩くのも早かったと言われてるし、今テレビ時代劇で『隠密 奥の細道』をやっている。

題名に、「えっ、芭蕉って悪党だったの」とどのような悪党かと読んでみた。
芭蕉の周辺には危険な人物が多かった。其角や画家の英一蝶などは花街で遊び、大名や旗本の屋敷に出入りし、当主を吉原に誘ったりしてそれが桂昌院(綱吉母)の縁筋まで及び、スキャンダルとなったりし、一蝶は三宅島遠流、其角も流罪すれすれだった。罪人すれすれのところで成立した俳諧は危険な文学である。という意味で芭蕉を「悪党」としてしまったとのこと。
冒頭、芥川龍之介と正岡子規の芭蕉批判が書かれる。
芥川は「芭蕉は大山師だ」といった。実はこれは芥川の自己を投影した逆説的賛辞ではあるのだけれど、芭蕉を俳聖としてあがめることによって生じる文芸の衰弱を批判したというのである。

子規は「芭蕉の句の過半を悪句駄句である」といった。子規の論は感情的で未完成の域を出ないとしつつも、その主張は芭蕉を神格化する宗匠への批判であった。芭蕉の句を鑑賞するよりも、芭蕉の廟や碑を建てることに熱中する宗匠を風刺したのであるが。東海道にも小夜の中山など芭蕉句碑が結構あった。

ほとんどの芭蕉評伝は、芭蕉を最高指導者として芭蕉を中心にとらえている結果、芭蕉に離反した俳人を脱落者として断罪する。
しかし芭蕉は自らいうように、風狂の人であって聖人君子ではない。悪党の貫禄があり、いささかでも癇にさわると、虫けらのように見捨て、重用した人ほど切り捨てたくなる性分だ。
才ある人を育てながらも気分一つで嫌ってしまう。才が鼻につくと、もう気にいらない。それを知り抜いていたのが其角だったそうだ。
芭蕉はスキャンダルを抱えた人でもあった。妾とその3人の連れ子、甥という5人の扶養者を抱えていた。
自ら進んでスキャンダルに突入していく破滅志向があった。芭蕉には衆道がいて百日間の蜜月の旅をしたとも。死後出版された『笈の小文』がそうだ。
著者は知れば知るほど芭蕉の凄みが見えて、どうぶつかってもかなう相手ではないと結ぶ。そういうことだったのですね。

今、植木鉢42鉢を家に中に入れ(これだけで腰が2日くらい痛かった)、もう庭は荒涼としています。キクが2種とチェリーセージと千両の実だけが外で頑張って咲いているだけです。
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      蛇はダメだけど蜘蛛は大丈夫。ジョロウグモはお洒落な蜘蛛です。
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2017年9月 7日 (木)

阿刀田高の「知ってますか」「楽しむために」シリーズ

オキザリス・ボーウィ(はなかたばみ)が咲きました。昨年秋も深まったころにいただいた苗で越冬し、枯れてしまったが、やっと新芽が出て一安心したら蕾が突き出てきました。花は直径3㎝位。葉は3出複葉で小葉の長さで大きいのは7㎝もあります。葉の大きさに圧倒されます。matsubaraさま、ありがとうございました。
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ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』は読んでから映画を見たが、『天使と悪魔』と『インフェルノ』(上,中、下合わせて1000頁)は映画だけで本を読むのは省略。
『インフェルノ』観る前にダンテの『神曲』を読まねばと思ったのですが、とても難しそうな古典で読めないなあと悩んでいたら、婿さんが阿刀田高著『やさしいダンテ<神曲>』を貸してくれました。難しそうな『神曲』が結構面白く、こんな内容だったのかと納得した次第です。大雑把にいえば、地獄と天国に旅するダンテがいろいろな場所に自分の知っている過去、現在の人々を見るというもの。その人々が歴史上の有名人で面白いのです。地獄にいて当然、天国にいて当然の人々も世界の中世史を深く勉強してない私には判断が出来ないのもあり。

映画『インフェルノ』に関しては、謎解きながらも、ラングドン教授が追いかけられたりして走り回る所は、イタリアのフィレンツェ、ヴェネツィア、トルコのイスタンブール。ここで中世の大文学者、ダンテの「神曲」にまつわるルネサンス期のアーティスト作品を楽しむことができる。

阿刀田高氏が、ダンテ『神曲』と同様に古典をやさしく書き直した本を婿さんが貸してくれたので、ここ数ヶ月他の本と交互に古典の世界に浸っておりました。これで凡そ知った気になれたのが何とも心地よい。旧約聖書やギリシャ神話は今まで何度読んでも頭に入りませんが。

・イソップを知っていますか
・アラビアンナイトを楽しむために
・楽しい古事記
・ホメロスを楽しむために
・プルタークの英雄伝 <黎明編><栄華編>(ローマ・ギリシャの英雄たち)
・ギリシャ神話を知っていますか
・コーランを知っていますか
・旧約聖書を知っていますか
・新約聖書を知っていますか

      ∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵

8月で終わってしまった「吉田博展」に行ってきました。これは凄い画家と感動して感想をと思ったところ、昨年8月に『吉田博作品集』で感想を書いているのとあまり変わらない想いです。 →こちら
吉田博(1876~1950)は養子になるも義父の急逝で18歳にして家族6人を養うという苦労の人でありながら、そして黒田清輝率いる白馬会に席巻され、旧派として排斥されながらも、太平洋画会を成立し、大御所10歳年上の黒田と対立する強い人。画友たちが「絵の鬼」と呼ぶほどの人で、23歳で友人とアメリカに渡って展覧会を各地で開き成功をおさめ、凄い売り上げを得た。そのお金でそのままヨーロッパを巡って勉強する。次は後に結婚する義妹と一緒に同じように外遊し、結婚してからも外国を巡る。初期のデッサンの確かさ、水彩画、油彩画、登山と山岳画、そして何と言っても素晴らしいのが50歳過ぎて始めた木版画だ。日本の風景だけでなく、欧米の山や名所を摺る。インド、ヒマラヤも年単位で滞在して木に刻み込むのです。
誠に異色の画家、強靭な精神力を持つ、鬼のような情熱を注ぐ人と申しましょうか。

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2017年7月23日 (日)

『続・ざんねんないきもの事典』

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今泉忠明 監修
下間文恵 フクイサチヨ ミューズワーク 絵 文章にマッチした絵が素晴らしい。
丸山貴史 文

2冊目はざんねんな「体」「生き方」「能力」の他に「こだわり」が加わっています。其々に笑ってしまう。暑いと笑うのがとてもよろしい。今日は涼しくなりましたが。
進化を遂げていく動物ですが、進化とは体のつくりや能力が、長い時間をかけて変わっていくことで、「なりたい」と思って起きるのでなく自然の中で一所懸命に生きていたら、たまたまそうなっただけのことだそうです。

まず「ざんねんなこだわり」では「やらなくてもよさそうなのに何で!?」と言う生き物の紹介

・ジャコウネズミは迷子にならないように全員繋がって移動なので、最後尾が敵に掴まると、家族そろって全滅するのが弱点
・クマサカガイは自分も貝なのに、他の貝の殻や小石をべたべた貼り付ける。個体によって2枚貝専門だったり小石専門だったり、本人しかわからないこだわりがある。自分をゴミに見せるとか、自分を補強しているとか。
・タテハチョウは動物の死体の汁やうんこが大好物。かたいうんこには自分のつばやおしっこをかけて、どろどろに溶かして、吸うのです。あんなきれいな蝶がね。
・ツパイは毎日お酒を浴びるほど飲む。マレー半島にはお酒を出すヤシの木があって蕾から出る蜜が自然に発酵し、人間なら酔っぱらって立てなくなるほどの量を毎日飲んでいるそうだ。

「ざんねんな体」では「どうしてこんな姿になったんだろう?」と言う生き物

・クマノミは全部オスなのだそうです。群れの中で一番大きいオスが性転換してメスになり、残ったオスの中で一番大きなオスと夫婦になって卵をうむ。
・オカピは体から油分たっぷりのオイリーな体液を出して水をはじいている。触るとべとべとするだけでなくチョコレート色の体液がつく。動物園で見るととても美しく見えるのに。熱帯雨林に棲んでいる哺乳類は体温が下がるため毛が濡れることを嫌がるが、オカピーだけはそんなことがないわけ。
・深海のオニキンメは口が閉じられないほどの出っ歯で、せっかく捕まえた魚でも小さめには逃げられてしまう。餌の少ない深海では牙でガッチリ抑えて逃げられないようにするためだったのですね。
・ウミイグアナは海に潜って海藻を食べるため、大量の海水も飲み込むのでくしゃみをして鼻から塩を吹き出す。自分に降りかかって、あら塩で顔面パックされて真っ白け。

「ざんねんな生き方」では「もっとラクな方法があるんじゃない?」という生き方をしている生き物。

・リスはドングリをあまりにあちこちに埋めまくるので、4割は忘れちゃうらしい。あんなに雪で埋め尽くされた冬探すの大変でしょうに、やっぱりねそうだったのね。
・チンパンジーは愛想笑いをする。とても好戦的なので、群の中で「誰が強いか」をとても気にして、自身がないオスは強いオスの前で愛想笑いを浮かべて、機嫌を損ねないようにする。
・ウーパールーパー(メキシコサマランダー)は水が少なくなると、陸上で生活できるように体が変化し、ギョロッとした目玉の悪人ヅラに変態してしまうのだそうだ。見てみたい。
・クジャクグモのオスはダンスが下手だとメスに食べられてしまう。動物のオスは殆どの種類が本当に大変だ。
・サイチョウのメスは卵を産むと全身がハゲてしまう。そのためヒナが孵っても巣から出られない。オスはハゲたメスとヒナに3ヶ月も食べ物を届け続けるが重労働のため、過労死してしまうこともあるとか。
・弱い鶏は鳴きたくてもなかなか鳴けない。なぜなら強いものから順番に鳴いていくからだそうだ。

「ざんねんな能力」では「せっかくの力がもったいない」

・プロングホーンは時速90㎞で走るが、追いかける敵がいない。
・アルマジロの9割はボールになれないが、ボールになれた方が持ち運ぶのにちょうどいいので、食用にされるので絶滅の恐れがあるほど数が減ってしまった。
・ニコヤカヒメグモは鳥に食べられないようにほほえむ。たまたま模様が人間にそう見えるのであって、これは鳥も惑わせる。

なかにはタイトルとちょっと合わないような生物もいましたが、色々な生き物がいて大いに笑えました。必死に生きている動物に笑って不謹慎とは思うのですが。
そういって笑っている自分がこの頃ますます残念な生き物に変化しつつあります。

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2017年7月 4日 (火)

『きよのさんと歩く江戸六百里』金森敦子著

江戸時代1817年に、108日間・600里(2352㎞)を旅した女性がいた。もっとも恵まれていた女性ではあったのですが。

羽州鶴岡の三井清野という女性の『道中日記』による。
清野は三井家の曽祖父が伊勢から鶴岡に移住してきた豪商の家に生まれた長女である。伊勢松坂の豪商三井とは関係ない。
年の離れた末っ子の弟がいたが、17歳ころ婿を迎えて家業を継いだ。彼女が31歳になった時に2人の子どもも大きくなった(上は14歳)ので、自分も旅した理解ある夫に勧められ、旅に出たのだ。勿論一人でなく、三井家と同等につきあえる男性・武吉と荷物持ちの下僕の3人だ。

江戸時代1700年代から後、旅費はいくらくらいかかったのか?
石川英輔氏の『江戸人と歩く東海道五十三次』によれば、15日位かかった東海道歩きでは梅クラスでは1日300文、竹クラスなら400文で、通して4500文~6000文。金1両が銅銭6500文だから1両あったら歩けたことになる。1朱銀は405文。普通の人は毎日ほぼ1朱見当で歩いていたようだ。
宿泊料は1泊100~300文、昼食・間食・茶代等に1日100文、酒は30文。
では1両は現在の価値にするとどれくらいか?はとても難しいが、蕎麦の代金から換算すると13万円ぐらいの価値だそうだ。
現在「のぞみ」指定席で行くと片道13910円かかる。続いて宿泊しながら歩いていくと竹クラスで頑張ると13万円で行けるのか?
でも今の軟な体になってしまった私たち、若い人なら15日間続けて歩くことが出来るのでしょうか?

清野は同行者は自分で出しただろうから、宿泊費など下僕の分も含めて普通の人の6倍以上も払っている。
これは序の口、江戸に入ると料亭での豪華な食事、芝居見物などの遊興、反物などおびただしい買い物をし、家族や使用人への土産物も大量に買い、国にすぐその都度飛脚で送っている。疲れれば馬や駕籠に乗り、女性にしては珍しいほど健啖家で、酒も大いに嗜んでいる。商家だったので為替取引をしているから、江戸や京都で故郷からの送金を受け取っていたようだ。
旅日記は教養が偲ばれる紀行文ではなく、道中で見たものを率直に記していて魅力にあふれたもののようだ。
性格はおおらかで、好奇心旺盛で、何事にも物怖じしなかったらしい。
女性は幕府高官発行の関所手形を用意しなければならないが、それがない清野の関所抜けなどが凄い。たとえば箱根の関所、小田原まで行くが、大磯まで引き返し、そこから北上、相模湖まで行き、甲州街道も大月あたりから富士山裾野を巡って三島に至るのである。5日間のロス。
陽暦5月7日に出発、鶴岡から最上川を下り、奥州街道、日光街道(日光に寄る)、江戸に出て2週間遊び、その後江の島に遊び、件のように三島へ。
その後東海道を。私たちが三島から由比まで4回に分けて歩いたのに、時には駕籠や馬を使ったにせよ、たった一日で行っているのでびっくり仰天。三島から由比まで9里16丁23間だそうだ。
東海道から伊勢に入り、名張から奈良、大阪、京都を回る。奈良に入ったのが陽暦7月13日、主な寺を巡り、大阪も住吉大社など有名な寺を巡り、7月18日に京都伏見に舟で入る。ここから7月31日まで、あのものすごく暑い京都を1日休みを取っただけで2週間も京都の有名どころを全部見学しているから驚く。江戸に居た時もそうだ、清野は芸者等にも興味を持ち、お座敷にあげているのである。名物も食べあさっている。夏の京都の暑さは過去に2日くらい体験して、もう懲り懲りの私は決して夏に京都へ足を向けない。いくら31歳とはいえ、2週間も和服を着て歩き廻ったとは恐れ入りました。その後は琵琶湖の東側、北国道(北国街道とは違うそう)を行き、海沿いに福井、石川、富山、新潟を行き、親知らずの辺りは長い海上を小さな船で行く。凄い揺れらしいが、清野は全然酔わないそうだ。長野善光寺に寄り、また海沿いに新潟県を北上し鶴岡へ御帰還あそばしたというわけで、もうただただ当時の旅に驚き、裕福な人の旅事情がわかって面白かった。いくらお金に恵まれても勇気や度胸、体力がないとこんな旅は出来ない。
女性でありながら、お金も体力も、旦那の理解もすべてに恵まれた稀有な旅行記でありました。

6月初旬のシロバナネムノキ(柿の木坂にて) 初めて見たような気がします。62_306x450

        デュランタ・タカラヅカ (6月中旬) 青色がアジサイと双璧450x338
             ネジバナ (6月中旬) 今年初めてです307x450

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