吉田智彦著『信念』東浦奈良男~一万日連続登山への挑戦
近所に咲いていたタイワンドウダンツツジ。普通のドウダンツツジとちょっと花の形が違うような気がします。葉も大きい。
東浦奈良男さん、知りませんでした。
1925年1月9日生まれで86歳で2011年12月6日に亡くなった方です。伊勢在住だった方。
1984年に60歳を前にして定年退職をし、翌日10月26日からずっと毎日欠かさず2011年6月25日まで9738日間、山に登り続けました。
退職以前に登った山の数は2194回で通算11932回です。生涯で富士山に登った回数は368回。最後は2008年の83歳です。
若き頃は休みの度にアルプスなど登り、子供を小さいときから登山させ(辛かったけれども子供たちは後に体が丈夫で辛抱強くなったと感謝)ていたが、奥さんはどこにも行かず、工場で働いていたので自分ばかりお金を使って登山は申し訳ないとやめたとか。お酒も煙草もたしなまず定年まで一心に働いた。その翌日からずっと欠かさず9738日登山を続けた・・その信念・・いかなる理由でと著者は時に一緒に登り、続けていた登山日記を借りることが出来、探ろうとする。山が好き、富士山が好きが答えか?
富士山登山は、近くの登山を終えて夜行に乗り、富士山登山後帰宅、翌日また近くの山に登る。一日も休まないわけ。
夏になると富士山に登る体力作りのための登山でもあったわけですが、何故一日も休まず登れたのか。病気などしなかったのか?
これが何回かピンチがあったのです。奥さんは80歳近くから具合が悪くなってしまって入院。近くに住む二人の娘さんと名古屋の息子さんが力を貸すのです。
70歳ころ風邪をこじらせて倒れて救急車を呼んでも頑として乗らず、結局3人の子供が山への送り迎えをして、自然治癒力に頼って治る。その後、いつも山道を切り開きながらなので、大きな石を脚に落とし怪我をするが、1ヶ月で治す。次は2000年5月交通事故。大の医者嫌いでこれも自然治癒力で治し、8月の富士山登山を果たす。
2009年84歳の時には自転車に乗っていて、車の風圧で倒れ、救急車で運ばれ、切れた頭を縫って帰宅。翌日からも娘たちの車の送迎でまだ登り続けるのです。
また驚くのが一日2食(最後の方は一日1食)で登山でもお昼を食べず、お水も持って行かない。山に水があるときはそれを飲んでいた。
医者嫌いはかなりのもので、奥さんが水頭症で、子供たちは入院させたいのに、山に登りながら自分で世話し、ヘルパーを頼んだりしていたのが子供たちが、父親が山に行っている間に入院させたという。その奥さんはどんな時も「山に行っておいで」と送り出したという。奥さんへの愛は深い。登る目的の一つになっているようだ。
登れなくなってから救急車で病院に入れるまでの子供たちの苦労は大変なものだった。意識朦朧の状態で拒否が出来なくなるまで頑として医療を拒む奈良男さん。
本の写真を見てまた驚く。すべて廃品利用の山スタイル、大好きな読書の本の数、仙人のような自炊生活。眼鏡が・・フレームと全く合わないサイズのレンズをテープで留めて使っている。ケチなのではなく結構お金に執着がない人だったようです。父親を挟んだ娘さんたちの顔の表情が素晴らしい!
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