2019年4月22日 (月)

田辺聖子著『姥ざかり花の旅笠ー小田宅子「東路日記」』

  芥川賞受賞者で文化勲章受章の著者。さすが文章も上手く嫌味もなく凄い癖もなくて楽しく読んだ。以前紀行文と「新源氏物語』を読んで以来。今街道歩きをしているので私が生まれたちょうど100年前に旅した女性の日記が私を偶然に呼んでくれた。
小田宅子(いえこ)は俳優・故高倉健さんの5代前のご先祖様。福岡県の現中間市在住の宅子さんは53歳の天保12年(1841)に女の友人3人と3人の男性の従者を連れてお伊勢参りに出る。
高倉健さんが持っていた『東路日記』をわかりやすく読めるようにということで回りまわって田辺聖子さんの手でこの解説本が出たとう経緯がある。
当時イザベラ・バードが旅した東北の奥地と違って、当時としては豊かな筑前の商家のお内儀で、子育てを終えてから和歌を学び、古典教養にも溢れ、その日記には有名な和歌集に載っているような、素晴らしい和歌が行く先々で詠まれているし、古典からの知識が次々飛び出てくる。田辺さん曰く「女性文化の暗黒の時代と思われていた江戸の世で、それも天ざかる鄙の地、商賈の家の女たちに、こんなみやびな文化が息づいていたとは」と。読んでみて江戸時代のイメージがちょっと違った。

歩いた距離は800里(3200km)、5ヶ月の旅であった。一日に7里半や8里歩くことが多い。その健脚ぶりは30km~32km。もうひっくり返りそうな距離。
故郷を出て、時々瀬戸内海の島々に出ながら山陽道を、四国も金毘羅山へお参り。その後のざっと歩いた道は奈良街道、吉野金剛峯寺、伊勢参り。ここでやめるつもりが善光寺へということになり、北上して岐阜から中山道を通って善光寺へ。その後日光へ。日光街道から江戸へ。江戸では歌舞伎、能、狂言などに入り浸り、そのほか見物。東海道を戸塚あたりまで、そこから江の島へ。藤沢の遊行寺へ。ここで箱根と新居の関抜けをするため、遠回り。それが厚木あたりから北上して甲州街道へ。諏訪から高遠へ。そして最も困難な信州・静岡県の北遠の境の青崩峠から秋葉山信仰の地へ、三河の鳳来寺山、豊川稲荷、熱田神宮、佐屋街道を経て関が原へ。中山道で京都に出て長らく滞在し、お寺や芝居見物したり夜遅くの講話まで精力的にこなし、船で大阪に出て、そこでも同じように滞在した後、瀬戸内海を船で行き、九州に着いたというもの。最初若い従者が具合悪くなっただけで、あとは全員病気もせず歩き通した。苦しかったのは雨の日や、峠で泊まるところもなかなかなく、食べるものも干し飯を初めて経験したことなどで、あまり困ったことなどは書いてないらしく歌で感動を表現しているのが素晴らしい。
かかったお金を今に換算すると一人分、5ヶ月で1263000円。それに従者の分がかかっている。
当時為替手形や両替商発行の預かり手形、振手形(今日の小切手)などがあったそうで、路銀入れとして、大金は胴巻きに、中程度は財布に入れ、首から吊るし懐にしまう。小銭は巾着、早道、煙草入れ、胴乱などにしまった。お土産は飛脚便で送る。
宅子さんはその後、夫や弟、息子に先立たれるが、孫息子に優しくされて、82歳まで歌を友として過ごしたようである。
またまた江戸時代の旅の様子がわかったのと、素晴らしい歌の数々、実に面白い本でありました。私も50代初めだったらこんなに元気であったろうか。歩けたであろうか?やはり当時の信仰心の成せる技でもあると思うのです。

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今の庭。毎年全然変わり映えせず、むしろ多年草だけになって植木鉢がだいぶ減りました。腰痛を悪化させないように残念ながら鉢を減らし続けています。

モッコウバラ
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ナルコユリ
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シラユキゲシ
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シャガ
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ツリガネズイセン
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ミヤコワスレ
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フロックス&ビオラ
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アップルゼラニウム
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2019年3月26日 (火)

東京都薬用植物園にて

3/22東京都薬用植物園ではいろいろな花が咲いていました。


カタクリ
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ヒトリシズカ
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ウグイスカグラ
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シュンラン
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ヒゴスミレ
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チオノドグサ
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ユスラウメ
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アンズ
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アブラチャン
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コナラのドングリから発芽した赤ちゃん。教えてもらいに行った指導員の方も大変珍しいと言っていました。残念ながら育たないそうですが。
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『なぜ、江戸時代の庶民は時間に正確だったのか?』山田順子著(時代考証家)


また江戸の話です。
江戸の長屋は上下水道が完備していた。それで100年で当時世界一の人口100万都市になった。パリやロンドンは50万。セーヌ川やテームズ川の水を飲み、下水はなく糞尿を道路に階上の人まで投げ捨てていたというエピソードは有名だ。そのため疫病が常に流行っていた。
江戸は糞尿を農家が買って、運んでくれたのですから、こんな社会はなかったのです。
江戸では下水は最後は堀や川へ流れ込むが、吐き出し口に杭や柵を設けて、ごみが一緒に流れ込まないようにしていた。掃除や修繕は町内ごとに費用を出して人を雇い、下水道を維持していた。水の管理に江戸は相当お金をかけていた。
今みたいに便利でもなく、豊かでもなく、娯楽も少なく、病気になれば治らない場合が多かったけれども、それに天災、火事が多かったが、完全リサイクル社会だったのでごみはほとんど出なくて世界一清潔な町であった。
その火事が多かったので庶民はすぐ逃げられるように、一番の財産の布団はいつも包んであり、鍋釜も少ししかなく、すぐ持って逃げられるようになっていた。庶民は貧しくその日暮らし。ましてや江戸時代布団は高価で掛布団まで買えなかった。敷布団を半分に折って、その中に柏餅のように横になって寝ていたとか。そうすれば、掛布団はいらないし、土間と四畳半か六畳一間で4,5人暮らしなので面積が半分で済んでみんな寝られる。日本は綿の栽培が増えず、綿ではなく、まず布に織ることが優先だったから、布団がとても高価だったというわけだ。初期は着物の重ね着と蓆が布団代わりだった。後になっても掻い巻きを持っている人は少なかったようだ。あのすーすーした長屋でさぞ寒かったことでしょうに、辛抱強かったのです。


江戸時代のやくざは関東地方に多く、関西にはいなかったそうだ。生糸が原因で生糸を売って農家が現金を持つようになり、流行ったのが博打。胴元が必要で、金があって素行の悪い地元の顔役がなったなどのことが理由のようだ。


バカ殿様でも政治ができたシステムあり。
大奥は江戸の女性にとって憧れの就職先であった。
西郷隆盛は大の写真嫌いであの顔は亡くなったのちに描かれたもの。
新選組のあの衣装は20万円のオーダーメイドだった。
おかずが少なかったからか一日五合のご飯を食べていた。
時代劇の言葉は今に合わせている。本当は鎌倉時代は平家琵琶の語りのような会話であった。室町時代の言葉は能や狂言。江戸時代は歌舞伎の中で唄われる浄瑠璃や長唄だそうだ。などなど知らないことが多くて面白い。

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2019年3月18日 (月)

四手井淑子著『山科の家 夫・四手井綱英と私の戦中日記』

四手井淑子氏の本をブログ友から紹介していただきました。
著者は日本菌学会会員で、1717年生まれ101才か。夫は2009年逝去した京都大学名誉教授で森林生態学の草分けとして「里山」の概念を提唱した人。

四手井淑子著『山科の家 夫・四手井綱英と私の戦中日記』

縁戚にあたる人と結婚し、山科の家に入り、そこで繰り広げられる舅と子姑(夫の姉)とのすさまじい苛めによる壮絶な日々、近所の一族並びに人々の回りまわったうわさ話に翻弄され、結核を患って治ったばかりの箸者は、ストレスから血反吐を繰り返すほど。それでも産後の主婦もそうだが、具合悪くて絶対に寝混んではいけなくて、それで亡くなっていく嫁さんたち多いこの地で転勤まで頑張る。

現代においても、知人の娘さんが京都に嫁入りして物凄い苦労で、家に引き取りたいと言っていたことや、ある作家の京都は嵯峨野や伏見さえも受け入れられないよそ者とされるなどと書いていたのを思い出し、山科でも戦中戦後の話だからさもありなんと思える。
それでも著者が耐えられたのは、夫の綱英氏の存在だ。末っ子でありながら当時の男性としては珍しい愛妻家、常に愛妻の味方。料理もお菓子も作り、奥さんの作った料理を褒め、常にいたわりの言葉をかけて、本当に当時としてはあり得ない夫であった。著者も苛められながらもいじめられた舅に優しいほろっとするような言葉を投げかけ、親身に世話したりする方なのだ。

四手井淑子著『きのこ学放浪記』
そうした著者が転勤で山形に行ったときに突然目覚めた「きのこ」に対する興味。それが再び疎開で山科に戻って苦労するが、夫が戦地より帰り、東京から最終的に京都大学へ赴任してから子育てに手がかからなくなった辺りから本格的にきのこの研究にのめりこんでいったようだ。
元々勉強が好きな方だったから、それはそれは男性並みに没頭。体が弱くてもそれをも乗り越え励むのだ。最初の『きのこ学騒動記』は読まなかったが、放浪記の方はきのこを求めて日本だけでなく外国まで、それも人の入らない辺鄙な所へ、ある時は急登を登り、藪漕ぎし、寒さに震え、かなり変わったきのこ学者のお供、自身の発見のきのこの命名や論文発表に関してアメリカのきのこ学者とのやりとりなどなど、本当に学者顔負けの奮闘ぶりで驚いたしまった。私の亡き母より1才年上で101才の今もお元気のようだ。

地面に横たわっていたのが、突然むっくり起き上がるヒマラヤユキノシタの花
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パソコンが新しくなってと思ったら明日はココログのリニューアルだそうであわててアップしました。

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2019年3月12日 (火)

『ガザに地下鉄が走る日』 岡真理著

著者は京都大学の教授で、現代アラブ文学・パレスチナ問題・第三世界フィミニズム思想が専門。東京外国語大学外国語学部アラビア語学科卒業。
カイロ大学留学時代やモロッコ日本大使館専門調査員時代にパレスチナに興味を持ち何度も訪れる。したがってイスラエル、ユダヤ人、ユダヤ教に対しては極めて批判的。
この本を読んでみると頷かざるを得ない説得力がある。
先の世界大戦でナチによるユダヤ人排斥運動で、ユダヤ人が600万人も殺され、私たちはフランクルの『夜と霧』を読み、アウシュヴィッツを見学し、杉原千畝の話に感動してきた。
ユダヤ民族の悲惨さをこれでもかとここに聞き及んできたのに、そのユダヤ人が、住んでいたパレスチナ人を排斥し、先祖の土地と言ってイスラエルを建国。その後の両民族の戦争は知らない人がいないほどに報道されてきた。しかしここまで深い内容も知らずにきたのだが、この本で情勢を知ることが出来た。
不思議・・・ホロコーストや収容所生活であんなに苦しめられたユダヤ人が、ずっとパレスチナ人に残虐な行為をしている。どうして?そこまでしなくてはならないのか。出来るのか?
仕返しするとしたら昔のナチスドイツ人にでしょう。しかし善良なるドイツ人もかつてどうしてあんな残虐な行為をしたのかも説明するのが難しいようだ。

ヨルダン川西岸地区とガザ地区はパレスチナ自治区でありながら、1967年に占領され、多くのパレスチナ難民が隣のレバノン難民地区や世界に逃れて行った。そこでの生活も悲惨ながら、自治区に住んでいる人々はなお悲惨である。ガザ地区はトンネルでエジプトとつながっていて唯一の物資の輸送が行われ、人々は一歩も出られなく人質同様の生活らしい。電気もガスも途絶え、下水設備も破壊され、汚物は全部海に流され、目の前の海が悪臭漂う、魚の摂れない状態へと変わり果てた。
西岸地区もイスラエルがどんどん植民し、塀を造って占領していき、60%はイスラエルの土地化しているという。パレスチア人をドローンで監視しているともいう。生活の自由は完全に奪われている。爆弾を落とし、どんどん若者の命を狙い、足を狙って行動できないようにする。
こうした生活に将来なんの希望も持てず絶望の中に若者たちは、心が壊れていくでしょう。すさみ、麻薬に手を出し、敵の爆撃に自爆で答えたりする。
そう、未来に何も希望がなく、国家も持てない生きる屍となった人々の悲劇は終わりそうになく、なんら解決も見つかっていない。
そこへ他の国がイスラエルを巡っていろいろ駆け引き。それでも世界最大級の強制収容所に現在いるパレスチナ人は何だか永久に救われないような。
国家を持てなかったクルド人もまた今大変な思いであり紛争が絶えない。

表題はガザ地区に住む子どもがガザに地下鉄が走る夢を絵に描いたことからきている。

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                   ウンナンオウバイ

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2019年3月 7日 (木)

絵が語る江戸の暮らし

パソコン復活。今回はその日に直してもらえましたが、もう半年も持ちそうになく、次はwindows10になって私にとっては大変そうです。

最近の毎日川柳から第2弾 みなさん本当に上手

 挨拶し帽子脱いだらカツラまで
 物隠す神が近頃住みついた
 ファミレスでお一人様と連呼され
 あ行から順に巡らす浮かばぬ名
 再調査するにも税のムダ遣い
 割り勘のために呼ばれたような席
 CMのハイジあまり好きじゃない
 志望校無事受かったのハイジちゃん
 重要な書類だちゃんと処分しろ

街道を歩いていると、江戸時代の様子を再現したり教えてくれる施設が多い。広重の東海道五十三次の絵でさえ、絵解きも碌(チコちゃんで知った字)に出来ずにいます。
そこで江戸ものや、日本の歴史、又街道筋やお寺・神社にある仏像・石像のことも知るといいわけで、その勉強が追い付かないうえ、欲張って世界史に首を突っ込んで全部中途半端な私です。この頃勉強のパワーもダウンし、覚えられないし、覚えてもすぐ忘れてしまう・・・試験がないのでいいとしましょうとなります。

本田豊著の『絵が語るー知らなかった江戸のくらしー庶民の巻』では絵に出てくる人々に旅人も多くためになります。

・旅では体を洗えなかったのでしょうが、女性の髪を洗うのにうどんの茹で汁が使われ、髪に艶を出した。
・大名行列の絵にも出てくるのですが、江戸時代はロボット歩きだった。今日のような歩き方になったのは軍隊行進が学校教育に取り入れられた成果だそうだ。そういえば昔ロボットさんがいましたね。
・大名行列が通った時、行列の主より格上なら立ったままでやりすごすが、格下だと立膝で行列を見送る。その格上か格下かは家紋で判断したそうで、そのため『武鑑』という家紋の百科事典で全国の藩の家紋を頭に入れておかなくてはならなかったそうだ。現在は25000くらいあるそうだが、果して江戸時代事典にはいくつ載っていたのでしょう。
・江戸の絵を見ていると、中国の絵と間違えていたのですが、子どもに髪の毛がない。江戸時代後期、江戸の町では子どもは髪の毛を剃っていたという。何故かは書いてなかった。
・江戸で身投げの名所は・・両国橋だった。ここは大川(隅田川)の流れが早く深いから、死体が上がらなかったという。川は成功率が高かったそうだ。
・「シャボン玉」という童謡は、実は間引きの歌である・・というのには驚いた。「生まれてすぐにこわれて消えた」のはシャボン玉でなく、子どもの命だったという。
・写真にもたくさん撮りましたが、行倒れや捨てられた子どもを供養した地蔵や石仏、始末をしたのは穢多非人の身分の人だった。

近所の梅と河津桜を夫が撮ってきました。

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河津桜は公園に1本、他に1本しか見当たりません。
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2018年12月 9日 (日)

高野秀行著『辺境メシ』~ヤバそうだから食べてみた~

木枯らしも吹かなかった暖かだった11月、12月になってもまだエンジェルストランペットが咲いていましたが今日枯れました。
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tona自虐本・・・高野秀行著『辺境メシ』~ヤバそうだから食べてみた~

打撲した時にすぐ骨密度を計測され、血液検査のための血を抜き取られた結果、転落4日後にはもう骨粗鬆として薬を飲むことになりました。
11日間飲んだとき、書いてある副作用の中で、食欲不振、下痢の症状が突然現れ、即、勝手に薬をやめても1週間以上続き、おかゆとスープと栄養補給剤で安静に過ごしていました。
静かに歩けるようになって自虐本として買ってきたのが『辺境メシ』。
何しろテレビで美味しそうな食べ物を見ても顔を背け、無理に口の中に押し込んでいた状態だったのに、もっと凄い食べ物を見て、普通の食べ物が美味しく見えるか、いえいえ自分を虐めちゃえという心境。

いやはや高野さん、どこの国の”うえっ”というような食物、飲み物も全部一人だけでも試してしまうのですから、もう驚きを越えて同じ人間かと呆れてしまうほどでした。
小さい頃胃腸が弱かったという著者が、なぜ辺境ばかりに行って変な食べ物を口にして美味しくて満足したり、まずくても味わったことを喜んだりしているのか、本当に変わった人だと思います。
以下、今まで聞いたことのある食べ物や驚いた食べ物
<アフリカ>
ゴリラ・チンパンジーの肉や猿の脳みそ。蟻。ラクダの肉、ラクダ乳丼。デーツは過酷な砂漠マラソンの必需品。

<南アジア>
羊の脳みそと睾丸。水牛の生肉、皮、脊髄リンパ液、頭全部、髄液胃袋包みカリカリ揚げ。

<東南アジア>
巨大蜘蛛の唐揚げ。虫の缶詰(モグラコオロギ、ゲンゴロウ、蚕のさなぎ、バッタ、赤アリの卵)。大ナマズのトムヤム。
虫のサンドイッチや虫のピザ。田んぼフーズ(蛙、おたまじゃくし、ムカデとイモムシを掛け合わせたようなガムライケーン、その他ゲンゴロウなど)の水煮。
ネーム(豚の生肉発酵)・・これは最高に美味しいそうだ。

<日本>
猛毒フグの卵巣の糠漬け。ツチクジラ。猫を狂わす「ちゅーる」。ワニ(鮫)のバーガー・ソーセージ・サブレ。

<東南アジア>
ホンオ(韓国のエイの発酵食品)は世界で2番目に臭く恐ろし事になる食べ物。ちなみに1番はスウェーデンの「シュールストレミング」・・食べた後で失神したり入院したりする人が大勢いるとか。
虫と言えば、バッタ、タランチュラ、セミの幼虫までは聞いたことがあるが、巨大ムカデとサソリを作者は間違って生で食べた、きゃー。唐揚げにしたら美味しかったそうだ。
豚の生血の和え物。山羊の胃の中のものスープ。中国最凶の料理・胎盤餃子。

<中東・ヨーロッパ>
イランのチョウザメ肉。上記のシュールストレミング。臭さを形容した言葉が数々あるけど、それはそれは凄い。トルコの2.5cm四方の皮に包む極小餃子。

<南米>
ペルーの蛙丸ごとジュース。ヒキガエルジュース。アマゾン蛇のスープ。アンデスの巨大ネズミ串焼き。ペルー・アマゾンの口噛み酒(普通の醸造より美味しかったそうな)。
幻覚剤ヤヘイで1時間なのに千年間も旅をしてしまった幻覚剤を試す。

著者はヘンな食べ物探索がライフワークなのだそうであり、今や消えようとしている世界の伝統食品を消える前に早く食べに行かねばとおっしゃる。

読んでいるうちに時が経って私の副作用が消えたのでありますが、もう写真と文章で想像するだけで何一つ食べたいと思わない。以前にも書いたように唯一の私の食の冒険がイモムシの焼いたのであります。

そんな折も折、山友だち(80代の男性)が春から痩せた(伝聞)そうで、すい臓がんと言うことを本人から電話で知りました。入院せず、今は病院に腹水を抜きに通っていて殆ど食べられないとのこと。でも癌の治療は一切しないと言っています。さすが山男、凄いのですが、物を食べられないという憂き目、辛い日々ですね。tonaさんは無理にでも飲んだり食べられるだけいいよと言われました。全くその通りです。

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2018年9月24日 (月)

『ザックを担いで イザベラ・バードを辿る』「日本奥地紀行」の旅・研究会編

●海に面していない国家を内陸国、国境を接する全ての国が内陸国である内陸国のことを二重内陸国という。二重内陸国では、海に出るために少なくとも2つの国境を越えなければならない。 世界に2ヶ国、ウズベキスタンとリヒテンシュタインだそうです。なるほど世界地図を眺めると、そうですね。190数ヶ国あってたった2ヶ国とは驚きました。内陸国は世界には48ヶ国ある。一生海を見ないで過ごす人も多いのでしょう。今まで随分海を見てきたので、その気持ちを推し量ることが出来ません。

●最近の川柳に旨いと拍手です。

・「体中ほとんどどこも泣き所」
 皺に驚いたのは既に昔、喜寿を越してからは全然「喜」でなく、体のあらゆるところが、医者に言われる加齢で傷んでいます。1週間に1つは増えていく時期もありで、泣けちゃったんですが、まあ、こんなに長期間使えばいた仕方ない、よくここまで交通事故にも他の事故にも遭わずに生きてきた。もう戻らないことに気づき、何時心臓が止まってもおかしくないのだと気づいたのもここ1年。気を取り直して雑学にでも励むことにしました。昔から三日坊主が欠点なのですが。

・「借りたけど返さなくてもいいトイレ」 うーん、そういえば公衆トイレ以外はいつも「トイレをお借りします」と言っておりますね。

・「視力表ムリヤリ読んで度が合わず」そうだ、そんなことするとかえって損なわけです。でも度々メガネを買う羽目にもなるので買い換えた数年はムリをしよう。

●『ザックを担いで イザベラ・バードを辿る』「日本奥地紀行」の旅・研究会編

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雑大で、講師が大学のワンゲルの友人たちとイザベラ・バードの歩いた道を辿った記録の本を購入。
以前『日本の奥地紀行』を読んだとき、イメージがつかめないでいたが、作者たちは国道になってしまっている部分も多く、同じ道を全踏破したわけはないけれども、バードが褒めていた日本の美しい景色がきれいな写真となって収められています。

雨の中の道の悪さ、宿の蚤、虱、食事の悪さ、敗れ障子からの覗き。危うく命を落としかけたこともある川下り。目的は北海道アイヌの地だったのになぜ船で行かなかったのか?

幼少のころから虚弱体質で、脊椎の病、神経痛に悩まされたそうで、医師から航海による養生を勧められ、40代初めに、イギリスからオーストラリア、ハワイ島を経由してアメリカへ向かい、ロッキー山脈を馬で越える冒険旅行をしたのがきっかけで、その後、日本を始め中国、韓国、ベトナム、シンガポール、マレーシア、インド、ラダック、ペルシャ、クルディスタン(クルド人が居住する領域)、トルコなどを訪れている。初来日は明治11年。

虚弱体質でこんな病を抱えていたら、国内でさえ大変と思われるのに、揺れる船で大航海が出来たのか。そして日本の中でも今の我々が辿ってもそんな道、そんな宿はないから同じ追体験はできない過酷な旅をどうして出来たのか。日本だけではなく、ここに書かれている国々の中には今行ってもかなり大変なところもあるのに。やはり航海で心身ともに強靭になって、医師の言うことは本当だったのであろうか。
大英帝国最盛時が生んだ女偉丈夫は生命にかかわる災難に遭っても、冷静さを失わずに気力も一向に衰えない。最悪の場面に立ちあえば、自分のことだけで精いっぱいだが、同じ目に遭っている他者やその家族のことを考えるという強さ、気丈さを持ち合わせていたという。
後に結婚した夫からは「虎の食欲と駝鳥の消化力備えている。詮索好きで落ち着きのない、大胆で意志の強い性格」と評された。

この本の執筆者たちは、主として会津西街道、越後米沢、羽州街道、北海道の峠、そして日光、横浜を記録している。バードの、時には優しい日本観だが、とても厳しい日本人観を読み解きながらいろいろな角度から見ている。
参考資料を見ると10冊くらいバードの歩いた道を辿って、上梓している本があったのですね。クラブツーリズムが過去2回ツアーを組んでいたのは知らなかったし、驚きました。
写真を見たら行きたくなってしまったけれども、まだ東海道さえ踏破できないので写真で我慢しましょう。

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2018年8月13日 (月)

強制収容所症候群

先日又杉原千畝氏の番組をテレビで見て、3年前の6月に行ったリトアニアのカナウスの領事館の執務室を思い出したりしています。
日本の終戦と投下された原爆の事が話題になるこの季節、ドイツ人による収容所、これも2010年に行ったポーランドのアウシュビッツ収容所関連でフランクルの『夜と霧』を何度目かの読み直しをしていたら、図書館で大石芳野著『「夜と霧」をこえて』~ポーランド・強制収容所の生還者たち~が目に入り読んでみました。

あんな酷い収容所からほんの僅かな人が生還している。せっかく生還しても10年以内に90%の人が亡くなったという。
収容所の殺害・餓死・病死などの恐怖と直面しながら生きのびた条件とは「運」だった。
そしてプラス・強い意志が持てた人
          ・友だちの助けを受けられた人
          ・残虐な状況の中にも心ある人もいると人間を信じられた人
          ・屋根のあるところで働けた人
          ・ドイツ人と接触できた人
          ・からだの丈夫だった人
          ・家族がなく自分の心配だけすればよかった人
          ・服、手袋、帽子、靴下、下着などの何かが手に入れられた人
          ・食糧を余分に手に入れられた人
          ・医者、看護師、技術者などの特技を持っていた人
ある収容所の元オリンピック選手で優勝した人はその体力で、50万人のうちたった一人だけ脱走に成功したそうだ。

こうして多難な中を生還した人、しかもずっと生き残った人は運と強さゆえ、残りの人生をあの苦しみを経験すれば極楽の世界に舞い戻って、どんな苦難をも克服し充実した素晴らしい人生を・・・と私は以前の元気な時に思っていました。
実はそんなものではなかったのです。まず帰還する故郷、家がなかった。何処かへ帰還してその生業を立てなければならない。
肉体的な衰弱にとどまらず、精神的な障害、いわゆる今言う「トラウマ」が6,7年経っても消滅するどころか悪化し、慢性状態に変っていったのです。
収容所での過酷な日々が、精神的な傷となって深い痕跡を残した結果、情緒不安定、環境への不適合、集中力の欠如により、職業、勉強、家庭生活へ順応性を欠いた。
恐怖感、うつ病といった精神障害により身体的諸器官が影響を受け、不整脈、アレルギー、リユーマチ、坐骨神経痛、骨の退化、呼吸困難として現れているわけです。
そこを元気に普通に生きたごく少数の人は超人間と言えるでしょうか。一体どのくらいいたのか。精神科医のフランクルもその一人です。

あのイスラエル建国、そして中東における地位、パレスチナとの関係のユダヤ人の強引とも思える強さ。アメリカにおける富裕層のユダヤ人。優秀な民族で様々な面で世界の金融面、技術面も牽引している。ユダヤ教に頑固に固執するその姿。。
同じ人間でありながら考えられないことも多く、まだまだ理解できない事の多い人達です。
許されたドイツ、許されない日本。戦後処理のまずさゆえと言われる日本。それがどうしてなのか?いろいろ考えさせられる夏です。

◆心が安らかになる言葉です
Оこの大自然は、微妙で、かつ素晴らしいバランスで、私たちをつつみこんでくれています。 
人間がどのような知恵をもってしても、つくりあげることができない世界につつまれています (慈眼寺・塩沼亮潤)
・・・・しかし人間がその大自然を破壊しつくしていることは頭の痛い問題です。既に猛暑や他の異常気象で報いを受けています。

О私の師が晩年、病というのは人生最大の修行である、もし病をわずらってしまった場合あるがままを受け入れ、明るい気持ちで専心せよと申してました。(who?)
・・・・しかし果して自分に出来るであろうか。これまでもそうだったしこれからも課題です。
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1年中お休みの身ですが、今夏休み。19日から30日まで海外に出かけてきます。帰国しましたらまたよろしくお願いいたします。

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2018年8月 5日 (日)

海野弘著『海賊の文化史』

       春に蒔いたアサリナの花がやっと咲き始めたのは7月25日
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   7月31日頃から30輪近くのツキミソウの花が咲き続けています。7/31夜
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        8/1朝 薄いピンクに変わって朝のツキミソウもきれいです
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8月3日 今年もイヌキクイモが咲き始めました。高さが2.5mあるでしょうか。
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たくさん実が付くゴーヤというのを買ってきたら1本は枯れ、残った方にたくさんの実がついたのですが、一番最初に出来たのだけ何故か真ん丸おデブちゃん。
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海野弘著『海賊の文化史』

文学、映画、アニメに影響を与えた「海賊」
エドガ・アラン・ポー『黄金虫』、スティーヴンソン『宝島』、ジュール・ヴェルヌ『海底二万里』などエンターテイメントとして海賊が隠れているということになる。
映画『パイレーツ・オヴ・カリビアン』、日本の海賊マンガ、松本零士『宇宙海賊キャプテン・ハーロック』、尾田栄一郎『ワンピース』(芝居で見ました)、さらにゲームソフトにおける海賊もかなりあるそうだ。

世界に名だたる、ヴァイキング、サラセン海賊、バルバリア海賊、サリー海賊、カリブの海賊バッカニア、
ホーキンズ、ドレイク、ロロノア、モーガン、ダンビア、エイヴリー、キャプテン・キッド、黒ひげ、アン・ボニー、バーソロミュー・ロバーツ、ラフィットなど伝説の海賊も解説されています。

コロンブス、マゼラン、ヴァスコ・ダ・ガマなど海賊化した冒険者でした。

海賊が何故文化なのか?要するに何でも文化なのです。
現代の海賊文化・・それは情報の海の海賊
2つの世界大戦中、秘密情報の海賊国イギリスの活躍はチャーチルでした。
その後に情報海賊帝国アメリカ誕生
そして海賊版(複製文化)戦争に突入。紙、ラジオ、レコード、テレビ、CD、DVDやインターネットのネット海賊。
現代の原始的海賊といえば南紅海のソマリア海賊が浮かぶが、他にインドネシア、マラッカ海峡、バングラデッシュ、インド、ナイジェリアなどに出没する海賊が怖い。

名古屋が40度と言う記録を出した8月3日に岐阜に出かけた娘たち夫婦、岐阜も何と40度だったそうで気温を撮影した写真がラインで送られてきました。何でも岐阜美術館が11月から改装で1年間休館ということで岐阜城見学もかねて出かけていました。中山道の加納宿もちょっと歩いちゃったそうだが、暑かったことでしょう。
帰り名古屋駅で買ってきてくれたのが、
桑名であまりに高くて買いそびれた貝新の「はまぐりの佃煮」・・・一つ一つ味わって食べました。
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これは暑いために痛むので背負って歩けないで買わなかった、四日市名物「なが餅」。
餡子と餅が絶妙で美味しい。藤堂高虎も食べたという400年の歴史あるお菓子。
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岐阜名物「いた柿」 日本茶にぴったりの上品な味です。ご馳走様でした。
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2018年7月27日 (金)

100歳の画家・堀文子の言葉

1918年7月2日生まれの堀文子さんは今年満100歳を迎えられました。
77歳の時にアマゾン、マヤ、インカに出かけてスケッチし、2000年82歳の時には、ブルーポピーを求めてヒマラヤ山脈の高地を踏破したとのこと。
ところが翌年、解離性動脈瘤で倒れてからは、微生物に着目し海中に生きる命をモチーフとする作品を発表するようになったということです。
色が明るく特に花は素晴らしい作品が多く、さすがヒマラヤの青いケシは魂まで乗り移ったかのようです。

著書『ひとりで生きる 堀文子のことば』は何故100歳まで現役でこのような絵を描き続けられるかを語っています。こんな凄い方の上に、あるいは陰に阿部なをという料理家がいらしたとは! 感動のことばを抜粋します。

・群れない、慣れない、頼らない
・老残のかけらも見えぬ、阿部なを先生の迫力の原動力が知りたかった。
 「死ぬまでに体の悪い所は治しておかないと」何というすごい生き方だ。
・それに耐えるだけの体力と気力がないと、真剣に遊ぶこともできない。
・自活とか自由というものは、どんなに辛いことか。ワガママとは違って、責任は全部自分で背負わなければならない。自由の裏には過酷な任務があることを心得ておかねばならない。
・身体が衰えてきますと、誰でも何もできない諦めの老人と思うでしょう。けれども、私は知らなかったことが日に日に増えてきます。いままで「知っている」と思っていたことが、本当は「知らなかった」と。それがだんだんわかってくるのです。
・息の絶えるまで感動していたい。
・現状を維持していれば平穏無事ですが、新鮮な感動からは見捨てられるだけです。
・私は岐路にたたされたときは必ず、未知で困難な方を選ぶようにしています。
・「ひとりでよくそんな場所に行きますね。わたしにも勇気があれば・・・」とよくいわれますが、本当に行きたければ勇気も何も要りませんでしょう。本当にしたいことを人間は誰でもしているはずです。
・私はこれまで、自分の人生で大事なことは人に相談したことがありません。だって、だいたいのことは、「いけない」と言われるに決まっているんです。自分が本当に「やる」と決めたなら、どんなに大変でもやらなければなりません。自分がやりたいんですから。
・「旅はひとり」という信条に従って、言葉もできぬのに海外での一人旅を続けてきた。
・奢らず、誇らず、羨まず、欲を捨て、時流をよそに脱俗を夢見て、私は一所不在の旅を続けてきた。
・この先、どんなことに驚き熱中するのか。私のなかの未知の何かが芽を吹くかも知れないと、これからの初体験に期待がわく。私にはもう老年に甘えている暇などないのだ。



花筐~花がたみのSaas-Feeの風さまからつきみそうのmatsubaraさまへ送られたイペーの種をmatsubaraさまから送っていただいて発芽してから2ヶ月たちました。
イペーというのはブラジルの国花で「黄花イペー」と言われる。3~5mの高木になり、耐寒性は弱いということで、果たして育つかどうか、大きな鉢植えで冬は家の中で、花が咲く頃まで私が生きているかどうかわからず、それより前に枯らしてしまうかもしれませんが、兎に角珍しく面白くて、毎日眺めています。日向は怖いのでまだ日陰です。

1番(イペー市農業局の種)はまだ小さく成長が遅いので別の機会に。

3番(ポルトアグレ市 イペーアルバの種)187253_450x300
5番(ポルトアグレ市のイペーローショの種)双葉の後の本葉、3回目から3出複葉になりました。185255_2_450x300

ツキミソウの種を数年前matsubaraさまからいただてから毎年絶えることなく発芽して、今年は植木鉢10鉢に次々咲いて今晩は15も。6月22日から120も咲きました。716_450x300

                 今年はクレオメが元気です725_450x300

7月18日の三日月(実際は月齢5です)は赤かったです。明日は満月ですが台風で見えません。718_450x304

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