2019年12月18日 (水)

中山道10  細久手宿~大湫宿~大井宿(前編)

12/5(木) 静岡県側の富士山は大分白くなっていた。7時頃。
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前回と同じく瑞浪駅からタクシーで細久手宿へ。大湫宿方へ向かって歩き始めたのが9時半。
前回ここから西へ歩き始め到着した御嶽宿から、今日ここから歩く大湫宿、大井宿は鉄道から離れ、バス便もなく宿泊施設は降り立った細久手宿の大黒屋1軒しかなく、街道歩きには難所と言われる。タクシーが使えたのでこの間を2回に分けて日帰りで歩くことが出来ました。

◆細久手~大湫

三国見晴らし台の馬頭観音。珍しく馬がはっきりとした観音様。この日も馬頭観音をたくさん見た。
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奥之田一里塚(92里)が見えてきた。北塚も南塚も塚の上に木はないがほぼ完全な形で残る。高さ4m、直径12mで塚の周りをぐるっと回ることが出来るようになっている。
岐阜県には31ケ所の一里塚が築かれたそうだ。そのうち瑞浪市には4ケ所あって既に見た鴨巣、ここ奥之田、琵琶峠の八瀬沢、権現山と連続した4ケ所が当時のまま残っているのは全国的に稀だそうだ。開発されて道路が出来るということがなかったためでしょう。逆に昔の儘という感じで行き交う人も今日ではなく淋しい。
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南垣外ハナノキ自生地の標柱。検索してみるとハナノキは春には真っ赤な花が咲き、秋は真っ赤な紅葉になるそうだが、500m南あるとのこと。見頃でしょうに残念。
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弁財天の池が見えてきた。太田南畝の『壬戌紀行』に「左の方に小さき池あり。杜若生ひ茂れり。池の中に弁財天の宮あり」 とある池だ。小島には石祠がある。
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今回も熊出没注意の看板!怖そうな熊の顔。娘がカウベルを装着。
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焼坂の馬頭様(1807年)
いやはや前回もだが今回も馬頭観音だらけ。瑞浪市の中山道沿い(14㎞)には実に12基あるという。
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天神前の天神辻の地蔵。
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一つ屋茶屋跡(一軒の茶屋があった)を通り過ぎた先には国際犬訓練所があり、犬の吠え声がする。この建物前後辺りには養鶏所や養豚所がある。なるほどここなら人家もなく、大きな鳴き声や家畜の臭いもOK。この後何ヶ所も石灰帯が出てきた。

廻国塔は全国66ヶ国巡礼達成の祈念碑である(1777年)。こんな時代に全国66ケ所巡礼とは凄い!
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今まで山の中の道のちょっとした坂を登ったり下ったりしてきたが開けた風景となる。
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句が三首刻まれた琵琶峠西上り口碑から山道へ入る。
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ほどなく730mある石畳が出てくるが、この石畳はとても歩きやすい。
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珍しい小さなキノコ。
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ツルリンドウの実があちらこちらになっていた。
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途中に八瀬沢一里塚(91里)。両塚とも現存。
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少し登ると標高538mの琵琶峠に到着。美濃中山道の最高地点だそうだ。馬頭観音もあった。 
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琵琶峠東入口も観音様に挟まれ、出ると二つ岩と呼ばれる巨岩がある。向こうの方が烏帽子岩、手前のが母衣岩という名前。
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●大湫宿(51番目)
細久手宿から5.9㎞、大井宿まで13.8㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠30軒。和宮が宿泊した。
今日は直線距離だけでほぼ20㎞歩いたことになる。

馬頭観音をいくつか見て復元された高札場のある大湫宿に入ってきた。
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観音堂に上る。
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大湫宿が一望できる。
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街並み。
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山車庫。
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神明神社の大杉は雷で縮んだが40mの高さがあり、幹の立派なこと!大湫宿に過ぎたるもの2つと言われたのは、この杉と観音様だそうだ。
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この宿も屋号札があちらこちらにかかっている。
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脇本陣。人が住んでいるようだ。
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向かいの家は2階の窓が印象的な趣のある家だ。
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問屋場跡。

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2018年2月14日 (水)

今日の散歩・野鳥の森

近所のお鷹の道から登った所に野鳥の森があります。コゲラやエナガもいて木の下に近づくとどんどん上に上がっていく。双眼鏡を忘れて残念。
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                      シロハラ
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ヒヨドリ 珍しい鳥かと写してみたらヒヨドリでした。我が家を縄張りにしているヒヨドリ夫婦はロウバイの後は、今はモクレンの蕾を食べ始めました。あ~あ。
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             高い木の上の方にいたるのはムクドリかな
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                ホーキのような葉を落とした木
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                   イイギリの実の落ちた姿
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              ヒムロ ヒノキ科のサワラの園芸種
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    ドイツトウヒ クリスマスツリーの木 先日コロラドトウヒとは全然違う
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青木が原樹海を歩いていると、根が溶岩の上を這っている様子は目を瞠るものがあります。あるいは荒れ果てた登山道には木の根が縦横に露出して躓いたりします。
木は地上に広がっている幹・枝・葉とそっくり同じ分量を地下に張りめぐらせている。高い木はそれだけ深く地下に根を伸ばしているわけで想像すると楽しい。

粗朶(そだ)・・・枯れ木や倒木の細い枝を集めたものを粗朶という。これで「エコスタック」という生き物の棲みかを作った。
タマムシやキクムシなど小さな昆虫の産卵場所になったり、シジュウカラなどの鳥類が巣材を集めに来たり、蜥蜴、蛇、蛙などの隠れ場所になったりするそうだ。
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お鷹の道に瘤だらけの木があって、下の方の瘤がはがれたようだ。
ムンクの叫びの顔のようなのがあったり、思わず見とれる。
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      その後方には大きな梅の木があって、かなり咲いていました。
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2017年12月23日 (土)

荒川土手の岩淵水門と浮間公園へ

赤羽駅から東へアーケード街を抜けて荒川へ向かう。志茂ゆりのき公園辺りに差し掛かると四角い頭に丸い目が3つついたような水門(岩淵水門、通称青水門)が見えてきました。
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                            ゆりのき公園の紅葉はまだ健在(12/9)450x253_2
水門の目の前の川は新河岸川で水門の所で、隅田川と合流する。
南側にはスカイツリーが見える
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新河岸川も荒川の支流の一つ。荒川も全国の川、例えば木曽・長良・揖斐川のように反乱を繰り返し、埼玉県の農地や東京の下町の家々を洪水でめちゃめちゃにした。
そこでここの水門辺りから向こう側に荒川放水路(現在は荒川と呼ぶ)を掘り進め、隅田川と分岐して東京湾に注ぐ。(明治44年に着手、完成が昭和5年。約20年かかる)
この岩淵水門はこの日は真ん中だけ船が通れるようになっていた。大雨になると水門を閉じて荒川(放水路)の方へ流すそうだ。
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                      そばで見ると水がかなり汚い。扉の重さは214tだそうだ。450x253_6
         西の方は川口市のビル群。キューポラの街は大変身していた。450x253_7
左の赤い水門が旧岩淵水門で赤水門と言われる。大正時代に造られ、現在は使用してない。歴史的建造物として保存されている。
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                 半月がうっすらと見える
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               更にズームすると浅間山が見えた
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                  東に向くと筑波山
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           荒川・隅田川分岐点。水門は手前右手にある。
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                      荒川
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水門の近くに荒川治水資料館がある。ここで30分ばかりレクチャーを受ける。
明治43年8月11日~21日までの新聞の記事が掲載されていて、荒川が大溢れして、東京市中は「さながら阿鼻叫喚」「飢え、渇く」「チフス、コレラ発生」「餓死、死体が流れる」「収容所・孤立・苦難の日々」、あるいはボランティアのニュース、病人を背負う力士などの話が書かれていた。
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河川敷は整備され、マラソンコース(この日も行われていた)があり、遡っていくとゴルフ場や川に突き出したボードウォークがある。ただここに降りるとどぶの臭いがしてきて、まだまだ下水完備が行き届いていないし、東京湾のオリンピックもこの汚水では危ぶまれると感じた。
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荒川の源流は100名山で登りたくて果たせなかった、甲武信ヶ岳(2475m)で甲州、武州、信州の境にあるから付いた名。ここは武州には荒川、甲州には笛吹川(釜無川と合流して富士川となる…懐かしい!)、信州には千曲川(新潟県に入ると信濃川)の3つの川の源流だ。荒川は東京湾まで埼玉県をぐるっと回って東京湾まで173㎞。

ゴルフ場の左手が浮間公園だ。北区と板橋区の境界線上にある公園。ここは湿生植物によって水の浄化を目的に作られた公園だそうだ。
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             チワワとダックスフンドのあいの子。珍しい。
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                      バン
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           浮間ヶ池には鴨がたくさん キンクロハジロが多い
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帰りは赤羽から2駅先の浮間舟渡駅から乗る。約19000歩。
水辺は癒されます。

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2017年10月 4日 (水)

白樺湖

40数年ぶりに白樺湖の池の平に行ってきました。小さかった子供が蝶々とりに夢中になっている姿しか思い出せず、初めて行ったような感じです。

              中央自動車道の初狩PAからの富士山450x300

白樺湖 
                  向こうは車山高原方面450x338
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リフトからの黄金アカシアの丘 黄金色に染まったニセアカシアでしょうか450x338_5
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後ろの山は蓼科山のようだ。以前登った時、頂上の大石ゴロゴロに辟易したものです。450x338_7
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          リフト頂上駅から遠くの山が幾重にも重なって見える450x338_9
フクロウたちが迎えてくれる
     メンフクロウ                 シロフクロウ
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                     カラフトフクロウ338x450
  トルクメニアンワシミミズク           アフリカワシミミズク
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        ベンガルワシミミズク                                   タカ
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チョコレートコスモス・チョコモカ 昭和記念公園でちょっぴり見ただけのチョコレートコスモスはチョコレートの香りがする450x338_12
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               チョコレートコスモス・ノエルルージュ450x338_14
                     フジアザミ450x338_15
                 ルドベキア
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                  ナギナタコウジュ(シソ科)338x450_2
                    エゾノコギリソウ450x338_18
           ノギク 永久に名前の判別がつきそうにありません450x338_19
                    コルチカム450x338_20
                     ナナカマド450x338_21
                    ドイツトウヒ450x338_22
                     シモツケ450x338_23
   最後に葡萄園でピオーネとシャインマスカットを食べお土産にしました450x338_24
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おやきの定番は野沢菜だけれど、かぼちゃや切り干し大根などもあるそうで、今回買った茄子もなかなかいけると子供が言ったので、次回から自分にも買ってきましょう。

美しい湖面と黄金アカシア、チョコレートコスモスやフクロウにとても癒された一日でした。
そして四葉のクローバーを2つ採取。今年はこれで3つ目。

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新聞に精神科医のコラムがあって、お題は「政治家から学ぶ健康法」で笑ってしまいました。
精神科の診療室には色々な職業の人がやって来るが、政治にかかわっている人はほとんどいないそうだ。
「政治家は出世したい、大臣になりたい、次の選挙でも必ず当選したい、という欲がものすごい。人間、欲を失わなければ心にもハリ出るものです」とは引退した政治家の弁。
なるほど!「ちょっと自信ありませんが、よかったら票を入れてください」などと弱気では当選できない。とはいえ、あまりに自信満々、欲がいっぱいでは、自分は良くてもまわりの人に迷惑をかけてしまう。でもときどきは政治家をまねてもよいのかもしれない。といった趣旨の内容だ。今まさに解散後で、いろいろな政治家の顔が浮かんできてしまいました。

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2017年7月 1日 (土)

尾瀬へ(2)復路

2日目、4時半に起床して朝日を見に行ったのですが、朝霧が立ち込めて見えず。この日は一日曇天でした。尾瀬ヶ原の標高は凡そ1400mで早朝は10℃以下になっていたでしょうか。
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                      朝食、大好きな卵焼きを1つ食べてしまってから撮影

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                                               尾瀬小屋 338x450
このあと7時に出発。北の方の東電小屋、ヨッピ吊橋の方から牛首分岐に戻り、山の鼻、鳩待峠へと昨日と同じ道を戻る。
リュウキンカは水芭蕉の頃一緒に見る花だ 450x338_7
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                                ここでも水芭蕉の群落に会える450x338_9
                  まだ霧が漂っていた450x338_11
                       燧ヶ岳450x338_12
                     チングルマ450x338_13
                コバイケイソウの咲き始め450x338_14
                スミレもいろいろ咲いていた    450x338_15
                 オオカメノキ(ムシカリ)450x338_16
                      ヨッピ吊り橋450x338_17
        ヤマドリゼンマイ だそうです。sさまありがとうざいます。450x338_18
                     木道のキノコ450x338_19
         池塘  カッコウやカエルの鳴き声が良く響き渡っている450x338_20
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只見川 池塘や湿原は只見川の源流になっていて、尾瀬ヶ原の水は全て三条の滝となって流れ出ている。歩みののろい私たちは滝にも行かれなかったのが残念。450x338_22
2017年(今年)と平成24年(2012年)の木道。傷んでいく木道をどんどん新しくしている。ありがたいことです。何ヶ所かで数字を目にすると、どうも15年は持たないような。年間でも随分たくさんの人が歩きますから。
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歩荷(ぼっか)さんが80㎏背負っている。休憩しているところにも出会う。10㎏で起とうとするとよろよろしてしまう私なので信じられない。ご飯が頂けたのもお陰様である。338x450_2
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                     ヒメシャクナゲ450x338_23
                  面白い模様の水芭蕉の葉338x450_4
                    山の鼻に到着 450x338_24
                   ウチワカエデの花450x338_25
                  コミヤマカタバミ?450x338_26
                     シラネアオイ450x338_27
 ミツバツツジではなくムラサキヤシオ 初めて出会えました。sさまありがとうございます。450x338_28
鳩待峠に到着。タクシーで戸倉に戻ってきた。尾瀬戸倉関所がある。
慶長5年に設けられた。関ヶ原の役が起こったので、急いで会津方面との出入りを警戒するために、真田信幸(信之)が命じて造られた。450x338_29

往復約4万歩。平らな木道が殆どで、往復楽なバスで尾瀬も簡単に行けるようになりました。日本には他に素晴らしい場所がたくさんありますが、こんなに完全に規制を強化して保護し、美しい自然を守っていく場所は大変貴重な国の財産だと実感です。国立公園で日本百景の一つ。東西約6km、南北3km。特別保護地域の面積はおよそ8690haだそうだ。

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2017年6月29日 (木)

尾瀬へ(1)往路

2_700x4976/17~18日に尾瀬に行ってきました。1965年に行って以来52年ぶりでした。梅雨のさなかでしたが雨に降られず、木道を歩いて水芭蕉の花の群落と至仏山、燧ヶ岳の2つの百名山をたっぷり眺めて、思い切り美味しい空気を吸って参りました。

新宿のバスタ7:15発、戸倉着11:05到着。シャトルバスで鳩待峠には12時過ぎ。鳩待峠から山の鼻に降りて、尾瀬ヶ原の木道をゆっくりと歩いて下田代十字路の尾瀬小屋へ4時ごろ到着です。

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             途中、見えた至仏山にはまだ雪が残っていた450x338_2
ベンチで昼食。友人宅で作ったキュウリに味噌を塗ったのがおにぎりに合って美味しかったこと!450x338_3
                     サンカヨウ450x338_4
                    オオバキスミレ450x338_5
                    シロバナエンレイソウ338x450
                     イチリンソウ450x338_6
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              山の鼻に到着して木道を歩きはじめる450x338_8
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                     白樺と水芭蕉450x338_9
                  燧ヶ岳が見えてきた450x338_10
                   振り返ると至仏山2_450x338
                       池塘450x338_12
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                        川450x338_14
                      燧ヶ岳450x338_15
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                     ミツガシワ 450x338_17
                      ワタスゲ450x338_18
                  水芭蕉
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                   ショウジョウバカマ450x338_20
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夕食は山小屋としては種類も多く美味しい。歩荷さんとヘリコプターに頼っているようだ。残すようなお代わりはしないでくださいと言われる。当たり前ですが、ゴミは全部持ち返りです。450x338_22
トイレは水洗、洗面所は男女別、上がり湯はなく石鹸は使えないけれどもお風呂があり、おまけに同行4人だけの個室。隔世の感ありです。
洗面所のお水が天然の湧水でそのまま飲めるとのこと。そして部屋の畳がまだ新しい。畳の縁の模様が、尾瀬の文字と水芭蕉でした。338x450_3
                     (2日目に続く)

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2017年5月21日 (日)

北本自然観察公園

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大宮と熊谷の中間くらいにある北本駅(初めて知りました)からバスで行ったところにあって、半日以上も様々な緑の中に浸っていました。いいこともあったのです。
自然学習指導員の方にいろいろ教えていただきました。9問の問題が出されるも満点は取れませんでした。450x338
                                           ミズキの花盛り450x338_2
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                        ダイサギ 体長90㎝、夏になると嘴が黒くなる。450x338_4
オトシブミという小さな黒っぽい虫が卵を1個産み葉を丸めたゆりかご。これもオトシブミというそうだ。孵った卵は木の葉を食べるとか。外敵や乾燥から子を守るためのシールドで、実に巧妙にできているのに驚きます。450x333
                                 キンランとギンラン
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                                             マユミの花450x314
                                             柳絮(柳の花)450x338_5
                                 シオカラトンボが飛んでいました450x305
                                テントウムシ 久しぶりに見ました450x302
ナナフシ 姿は葉や枝などの植物体に擬態している。聞いてはいたけれどもこんなに細いとは!私みたい。450x338_6
                                           小学生の手に421x450
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サモエド犬がいました。ロシアのシベリアを原産地とする犬の品種のひとつ。典型的なスピッツ系の体型をしている。スピッツと言えば、昔良く吠える犬として有名だった。この子はおとなしそう。450x338_11
最後に学習に参加したみんなで四つ葉のクローバー探しがありました。
思えば四つ葉のクローバーは、学生時代、北海道の旅でバスの待ち時間に広大なクローバーの群生地で必死に探したのに見つからず、その後50年探し続けても、まだ出会えません。
ところが、この日いの一番に見つけました。嬉しくていいこととはこのことです。
よく踏まれる環境の悪い所にあるそうで、指導員が五つ葉のクローバーやそのまわりに幾つかの四つ葉のクローバーが固まってある所を教えてくれました。450x338_12


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2016年3月10日 (木)

『大河紀行 荒川 ~秩父山地から東京湾まで~』 伊佐九三四郎著

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この写真は昨年行った秩父三峰山付近の三十槌の氷柱(2016.2.7)の写真です。川面に氷柱が写っています。3_450x300
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こちらはWikiからお借りした長瀞の写真。(以前宝登山に行ったときのこたつ船乗船の写真は見当たらず)252x380

どちらも荒川だったのですね。大昔長瀞に行ったときちらっと荒川という言葉がインプットされていたのですが、すっかり欠如、全く恥ずかしい限りです。

『大河紀行 荒川 ~秩父山地から東京湾まで~』を上梓された伊佐九三四郎氏の講義を雑大で聞いてまいりました。
氏は五年もかけて流域を歩いてルポし本にまとめたのが2012年で、現在83歳とは思えない若さです。ビデオを交えて体験を語ってくださいました。
体験を聞き、本を読み、本当なら源流は無理としても、河口まで私も歩きたいところだが、何せ女の独り歩きは危険、男性が1人で登山などをされているのを横目で羨ましく、この時ばかりは男であったら良かったと思うのです。それはさておき。、

深田久弥の『日本百名山』にあげられる奥秩父「甲武信ヶ岳」標高2475mは甲州、武州、信州三国にまたがる。山頂直下から甲斐は笛吹川・富士川、武蔵は真の沢・入川・荒川、信濃は千曲川・信濃川の三川が太平洋と日本海側に注いでいるという稀有な山です。以前甲武信ヶ岳をテレビで見た時のこの事の驚き、是非登ってみたいと思ったが、時すでに遅し、今ではガイドを雇ってならもしかして実現可能かと、遥かなる夢を抱く身となり果てる。
この三川の中の「荒川」には途中だけでなく河口にもいろいろな物語があったので有名。

荒川の最初の1滴が出る地点を「荒川源流点」といい(地図を拡大して参照してください)、真の沢を通って8㎞以上も下流に「荒川基点の碑」があるのです。このあと暫く入川といい、三十槌の所では立派な荒川となっている。羽生まで行く秩父鉄道がずっと熊谷まで寄りそっている。
秩父は地図で見ても広く、林家たい平が自慢しているように秩父には夜祭を始め、祭りが多く、三峰信仰を中心に、路傍の信仰も篤く、ダム湖も点在する。
山城も多く、戦国争乱にも遭い、行楽地ともなり、秩父34ヵ所の巡礼地としても賑わうようになった。秩父事件の地ともなった。
長瀞の手前、皆野では俳人金子兜太の父が「秩父音頭」を復活させ、医者の弟が秩父音頭コンクール審査委員長である。

長くなるので途中は割愛して河口へ。
江戸時代、家康が幕府を開いたころは、利根川と荒川の反乱おびただしく、川の方向を変えている。
明治に入って1910年(明治43)に源流の集中豪雨で隅田川、新河岸川、綾瀬が決壊し、南足立郡、北豊島群、南葛飾郡、東京下町市街地を泥流が民家の屋根まで覆いつくした。浸水家屋27万戸、被災者150万人に及んだ。そこでなされたのが荒川下流の大規模な改修工事。現代のような権利意識が強い時代では到底無理な事業。当時でも96%の買収契約が済んだが、24名の強硬派で困難を極めた。大正2年開始、通水式が大正13年、全ての工事完了が昭和5年のことだった。これが荒川放水路である。現在は「荒川」に名前が変更された。本来の隅田川は川口市あたりの岩淵水門で分かれ、荒川の支流になった。ともに東京湾に、荒川は葛西臨海公園の所へ出る。

神奈川県と東京都の境目は多摩川、千葉県と東京の県境を流れてきているのは江戸川で河口の東京と千葉県の境目は旧江戸川が流れているというわけである。
利根川は遠く千葉県と茨城県の境目に流れが変わって坂東太郎の名前でその大河ぶりを誇っている。

ヨーロッパ、ドナウ川やライン川の堤防のない川を美しいと愛でていた私、日本は山多く渓流多く、川の氾濫にどれほど苦しめられきたかの歴史であり、治水に成功することが何よりの国と認識を新たにしたのでした。

先日行った越谷の梅園の所の川、中川は地図で見たら利根川の支流で、平井辺りで荒川に並行し、河口で合流していたのでした。

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2015年2月 9日 (月)

三十槌の氷柱

奥秩父の三十槌(みそつち)の氷柱を見に行ってきました。
西武秩父駅からバスで奥深く入った三十場(みそば)というところにあります。
荒川源流の大自然の中の岩肌にしみ出る湧水が凍ったものです。夜は青くライトアップされるそうで幻想的な光景でしょう。
軒下に垂れる氷柱を見たのが小さい頃でそれ以来です。北海道で滝が凍りつく氷瀑に似ていました。
美しい自然の造形に圧倒されました。

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                    水にも映り込んで7_440x293
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         最後に上の展望台から観ると人が小さく見えました11_440x293
            お店で食べた豚汁が体を温めてくれました12_440x293

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2014年11月30日 (日)

天城踊り子歩道と河津七滝ウォーク

昨日13㎞23286歩、歩きました。
天城は紅葉真っ盛りで落ち葉の絨毯が続き、それは見事だったのですが、土砂降りの中を歩き、午後2時ごろ七滝に着いた頃晴れてきました。
ぬれ落ち葉を見ると圧倒的に黄色系のモミジが多いのに驚きました。
大正7年ごろ伊豆を旅した川端康成は、そこで出会った旅芸人一座の踊子との哀歓を元に『伊豆の踊子』を著した。
川端作品の中で最も人気が高く、6本の映画の他、テレビ、舞台、アニメにもなっている。私は百恵ちゃんのを鑑賞。

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                                         伊豆の踊子記念碑420x323
                                 旧天城トンネル(重要文化財) 
主人公はトンネルのそばの茶屋で踊子と出会った。往時の旅芸人はこんな不便な山の中も巡っていたのだ。
このトンネルは明治38年に開通し、北伊豆と南伊豆との距離は短縮し、難所の天城越えは解消した。455mで10分かからないで歩けた。420x280
トンネル付近の二階滝(にかいだる)と界隈の紅葉。河津辺りでは「滝」を「だる」と読む。280x420
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10㎞近く踊り子歩道を歩いて、河津七滝ハイキングコースに到着。一番下にある7番目の「大滝」は道が台風?で崩れて行かれなくなり復旧もされない。
ここの滝のそばの岩を見ると殆ど六角形の柱状節理からなっている。420x280_2
5分おきに滝が現れる。小ぶりの滝だが、雨が降った後なので川も滝もゴーゴーと豪快。

                  ①釜滝(岩肌が釜の底のようだという)・落差22m/幅2m280x420_2
②エビ滝(滝壺がエビの甲羅のように見えるそうだ)・落差5m/幅3m420x280_3
      ③蛇滝(滝の周りの玄武岩が蛇の鱗に似る)・落差3m/幅2m420x280_4
                                 ④初景滝・落差10m/幅7m420x280_6
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           この岩に願い石を投げると願いが叶うという420x280_8
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                       踊子像280x420_4
            水車の発電、公共のトイレに使われる280x420_5
                 ⑤かに滝・落差2m/幅1m420x280_9
  ⑥出合滝(支流の合流点の滝で、ここから河津川になる)・落差2m/幅2m420x280_10
                 沼津あたりからの富士山420x280_11
           沼津から御殿場にかけての東名からの富士山420x280_12

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