飛鳥時代の上円下方墳
多磨霊園へ行った二日後の5/5の子供の日、「武蔵府中熊野神社古墳」へ歩いて行ってきました。霊園よりちょっと遠かったように思います。
この日以後本日まで3週間も、その辺ちょろちょろ5000歩以下という運動不足状態を反省して頭を垂れる日々であります。それも散歩する史跡公園や都立公園がすぐ近いということが原因でもあります。
この古墳は甲州古街道の本宿という宿場にあって、現在の甲州街道沿いにある熊野神社の裏側であり、そこに復元されています。
家を出るとまず大分整備されてきた国分寺の僧寺跡を通り、「東山道武蔵路」(現在武蔵野線が通っているあたり)の西側の尼寺跡へ到着。お鷹の道と合わせて国分寺跡は本ブログでも登場させているのですが、いつか歩こうと思っている鎌倉街道が尼寺跡を通っていて、街道歩きの寄り道として僧寺跡やお鷹の道などがあるのです。鎌倉街道の本を娘が2冊も買ってきています。それは新型コロナが長引いて首都圏を出られないことを考慮してですが。
黒鐘公園を通り抜けて武蔵台公園で休息。さくらんぼが丁度なっていた。まだ小鳥に食べられる前のようです。
グーグルレンズを入れてもらってあったので、この麦みたいなのを調べる。燕麦(オート)のようだ。野生のカラスムギはやっかいな雑草として日本では扱われているので、多分このように整然と栽培されているのは燕麦でしょう。
飛鳥時代の武蔵府中熊野神社古墳に到着。1時間以上かかりました。
上円下方墳は古代中国の思想を背景として築造された。天はドームのような半球形、大地は四角いと信じられ、この考えを「天円地方」と言い、上円下方墳になった。
大きさは1段目下方部一辺は約32ⅿ、2段目下方部一辺は約23ⅿ、3段目上円部直径は約16ⅿだそうで、多摩川の石で葺かれている。
埋葬された人物名はわからず東国の有力者だったらしい。石室復元展示室が閉まっていたのはこの時節柄当然だ。
ぐるっと回ると甲州街道に面した熊野神社が見える。創建は江戸初期とのこと。
この後は東芝府中工場(広い!)に沿って武蔵野線北府中駅へ、そこから府中刑務所の塀に沿って歩き、刑務所そばの公園で新しい雑草を見つける。
グーグルレンズではクスダマツメクサと出たが、花の数の少なさからコメツブツメクサ(キバナツメクサ)と勝手に決めました。約14500歩でまずます良い運動になりました。
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