2020年10月 5日 (月)

初めての薄黄木犀(ウスギモクセイ)

お彼岸の9/22にお鷹の道を歩いて
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武蔵国分寺公園に正門から入ると、初めての花に出会いました。
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ウスギモクセイ(薄黄木犀)が満開です。モクセイ科。雌雄異株の常緑低木。24年も住んでいるのに気が付かなかったなんて!雌雄どちらなのか、雌花とすると春になるとダークブルーの実がなるという。キンモクセイと同じ香りです。
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キンモクセイ(金木犀)は遅れる事1週間半、家のも10/3に満開になりました。今年は遅い。
ギンモクセイ(銀木製)も以前見たが、最近は淋しくも見かけない。
ヒイラギモクセイはヒイラギとギンモクセイの雑種で、ギンモクセイよりさらに葉のギザギザが大きい。 花の形状は全部同じです。ヒイラギだけは花の形が違う。

 

9/27の昭和記念公園ではダリアがきれいでした。
その他、コスモスや柿、蕎麦の花、ヒャクニチソウ、コブシの実、ユウガオの実、ナンバンギセルなど秋をたっぷり味わえました。
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蕎麦
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百日草
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コブシの実
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ユウガオの実
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ナンバンギセル
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2020年7月 6日 (月)

南沢あじさい山の「花咲かじいさん」に会う

JR武蔵五日市の裏手にある「南沢あじさい山」(あきる野市深沢)に友人に車で案内していただきました。

チラシより・・・山の持ち主、南澤忠一さんが40歳の時にご先祖様にお供えをしたい気持ちから、まず山を切り開き道を作り、庭の2株のアジサイから独学で挿し木で増やしました。
それから50年、一万五千株のあじさい山となりました。
90歳の南澤忠一さんに入口で会いました。「花咲かじいさん」とか「ちゅういっちゃん」という愛称で呼ばれているそうです。
とても90歳とは思えない若々しさ、背筋も伸び艶やかなお顔でした。
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2016年からは、このあじさい山を広く知ってもらいたい、この先も長く愛される場所にしたいという思いから、地元の若者が管理を手伝うようになりました。来場者への案内や道路の整備などはもちろん、アジサイの管理、木々の手入れなど、忠一さんが長年山に入って培ってきた技術を受け継ぐべく、奮闘しているそうです。
若者たちとの触れ合いやまだまだあじさい山を大きくしていこうという意気込みが、こんなに元気で若々しくしておられる源と思われました。

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入り口近くのお庭には池があって立派な鯉が泳ぎ回っています。
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鹿のように見える素敵なオブジェ。
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サルオガセが一杯垂れ下がっている。
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入口から左手に入って山道を登っていく道は両側に丁度満開のアジサイが垂れんがばかりの様相です。
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あじさい山を造る動機になった先祖代々の墓地が右手に見えます。
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10分くらい歩いたか?「10年でここまで」という表示が。
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「20年でここまで」という表示まで見ました。30年、40年、50年という表示は見ないまま引き返すようになっていました。
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昨年の加藤登紀子さん記念植樹。この日「加藤登紀子&Yae あじさい山コンサート」が午後3時頃から行われるそうで準備もされていました。
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展望台も造られていた。
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駅近くのお蕎麦屋さんで昼食。竹炭そば、月見とろろ、ツユクサとヨメナの天ぷら、切り干し大根の煮つけ。
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2020年6月22日 (月)

今年の紫陽花鑑賞

今年も紫陽花の季節がやってきました。近所をちょこちょこ見ていたのが、いきなり大迫力の紫陽花鑑賞となりました。
「府中・郷土の森」の紫陽花です。ここは梅と紫陽花が有名でまだ梅の季節に数回行っただけでした。
ブログ友の銀河さんが誘ってくださりラッシーママさんもご一緒で、自粛解禁後初めてマスク越しに言葉を交わした人となりました。3ヶ月間家族以外は誰とも声を出して面と向かって話していなかったのですね。今までお店の人とは必要な時だけ小声でした。

園内には約30種10,000株の紫陽花が咲いていてそれは見事!1万株ってこんなに広範囲に咲いているんだと、丁度満開状態だったので大感動でした。
それは移築された古い建物の脇に、川辺に、起伏の富んだ丘に、水車小屋の周りに、道・小径の両側にと向こうが見えないほどの所もあり、変化に富んだ風景を演出しています。
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昼食はいろいろ戴いて、外で皆で食べる事の美味しいこと、楽しいこと!ご馳走様でした。銀河さんが西村風マスクを作ってくださいました。有難うございました。
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アナベルと言えば白。ピンクのアナベルを初めて知り、見ました。
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「紫陽花の小径」はかなり長い。
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かなり暑かったのでクリームソーダの美味しかったこと。
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『パピヨン』上・下巻 アンリ・シャリエール著
1973年版の映画パピヨンは観たが、昨年リメイク版が上映されたのに観る機会を逸し、本を読むことにした。

パピヨンことアンリ・シャリエール(1906~1973)は、1931年25才で本国フランスで無実の殺人罪で無期懲役の判決を受け、仏領ギアナの救済島の徒刑場に送られた。このとき脱獄を心に誓った。脱獄して、自分を罪に落とし入れたやつらに復讐するのだと、寝ても覚めても脱走を考えた。7回の失敗の末、8回目でやっと脱獄に成功し、1944年にヴェネズエラに永住権を得て自由の身となる。
無実の殺人罪ではあるけれども、元々は、ぐれたやくざで身持ちも良くない人ではあったし、最後に首都カラカスで結婚して幸福に暮らすのは、成功や失敗のかずかずを経ての後の事である。
文庫本で991頁にわたるが、まあその内容の凄いこと、全く各頁から目が離せないくらい、スリル満点。脱獄にかける物凄い執念は、死にそうになっても弱音一つ吐かないで、これでもかこれでもかと凄い場面が描かれる。いやはやコロナでごちゃごちゃ言っているのが宇宙の塵みたいに感じてしまった(ちょっとオーバーだが)本でした。
最初の映画、スティーブ・マックイーンが主役を演じたが、もうすっかり忘れていて、主人公がゴキブリを食べちゃうことぐらいしか覚えていないが、これは幻であったのか、本にはそんなことは書いてなかったのです。

読み終わって、録画しておいた吉村昭の『破獄』の映画を観て、脱獄ものに満足しました。

 

 

 

 

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2019年5月 5日 (日)

塩船観音寺のつつじと大井戸公園ぼたん園

10連休も残すところ1日とちょっと。一年中お休みだけれど、お休み気分に浸って、つつじの花見、障子貼りをしたり、美術館に行ったり、お休みだからこそじっくり難しいと言われる本をと『薔薇の名前・上』を読みました。理解できないところもあったけれども、この後下巻を借りて読んでみようと思います。
ショーン・コネリの映画を忘れているのでもう一度観たいものです。今ローマ法王庁でも問題になっているようなことが、古来修道院でもあったし、キリスト教も法王庁と教会と各修道院と様々な派に分かれ熾烈な争いになっているのは、現代とこれまた全く変わらない。しかし修道士といえどもラテン語の勉強に始まって、その奥深い宗教に関する勉学はその理論が理解できないほど難しい。そして彼らに課せられたのは瞑想だけでなく(以前見た『大いなる沈黙へ』が迫力あった)、役割分担があって衣食住に関する仕事は作ることから始まり、また写本や聖櫃作りなど身をすり減らす仕事があるのを知りました。


つつじがすり鉢型に咲いて有名な青梅市の「塩船観音寺」に行ったのは4月29日でした。河辺駅からぐるっと歩いてぼたん園に寄ったりしてまた河辺駅へ。

つつじは15年前と変わらず見事に咲いていました。本堂もどこもみな行列。ぼけ封じ薬師如来には殊の外丁寧にお祈りしてきました。
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田んぼの蓮華を見るのは久しぶり。
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藤橋城址公園 全国では3万も城があったそうで、こうした知らない城址も次々出てくるものです。
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川越街道一里塚の榎 街道も5街道くらいしか頭になかったけれども、全国には一体いくつあったのでしょう?
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大井戸公園ボタン園
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青梅新町の大井戸(東京都指定史跡)  まいまいず井戸の一つ
大井戸とは水の得にくい武蔵野台地に構築されたもので、これは最大級。東西約22m、」南北約33m、深さ7mの擂鉢部と周囲の盛り土からなる。戦国時代から江戸時代初めに造られ、古青梅街道と秩父道の交差する位置にあり道行く人馬の水供給の役割があった。
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旧吉野家住宅(1855年)(東京都指定有形文化財)
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女子会だったので、河辺駅近くで「あんみつ」で疲れを癒しました。
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5月2日に咲いていた近くの都立公園のユリノキの花
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2019年3月26日 (火)

東京都薬用植物園にて

3/22東京都薬用植物園ではいろいろな花が咲いていました。


カタクリ
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ヒトリシズカ
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ウグイスカグラ
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シュンラン
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ヒゴスミレ
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チオノドグサ
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ユスラウメ
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アンズ
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アブラチャン
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コナラのドングリから発芽した赤ちゃん。教えてもらいに行った指導員の方も大変珍しいと言っていました。残念ながら育たないそうですが。
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『なぜ、江戸時代の庶民は時間に正確だったのか?』山田順子著(時代考証家)


また江戸の話です。
江戸の長屋は上下水道が完備していた。それで100年で当時世界一の人口100万都市になった。パリやロンドンは50万。セーヌ川やテームズ川の水を飲み、下水はなく糞尿を道路に階上の人まで投げ捨てていたというエピソードは有名だ。そのため疫病が常に流行っていた。
江戸は糞尿を農家が買って、運んでくれたのですから、こんな社会はなかったのです。
江戸では下水は最後は堀や川へ流れ込むが、吐き出し口に杭や柵を設けて、ごみが一緒に流れ込まないようにしていた。掃除や修繕は町内ごとに費用を出して人を雇い、下水道を維持していた。水の管理に江戸は相当お金をかけていた。
今みたいに便利でもなく、豊かでもなく、娯楽も少なく、病気になれば治らない場合が多かったけれども、それに天災、火事が多かったが、完全リサイクル社会だったのでごみはほとんど出なくて世界一清潔な町であった。
その火事が多かったので庶民はすぐ逃げられるように、一番の財産の布団はいつも包んであり、鍋釜も少ししかなく、すぐ持って逃げられるようになっていた。庶民は貧しくその日暮らし。ましてや江戸時代布団は高価で掛布団まで買えなかった。敷布団を半分に折って、その中に柏餅のように横になって寝ていたとか。そうすれば、掛布団はいらないし、土間と四畳半か六畳一間で4,5人暮らしなので面積が半分で済んでみんな寝られる。日本は綿の栽培が増えず、綿ではなく、まず布に織ることが優先だったから、布団がとても高価だったというわけだ。初期は着物の重ね着と蓆が布団代わりだった。後になっても掻い巻きを持っている人は少なかったようだ。あのすーすーした長屋でさぞ寒かったことでしょうに、辛抱強かったのです。


江戸時代のやくざは関東地方に多く、関西にはいなかったそうだ。生糸が原因で生糸を売って農家が現金を持つようになり、流行ったのが博打。胴元が必要で、金があって素行の悪い地元の顔役がなったなどのことが理由のようだ。


バカ殿様でも政治ができたシステムあり。
大奥は江戸の女性にとって憧れの就職先であった。
西郷隆盛は大の写真嫌いであの顔は亡くなったのちに描かれたもの。
新選組のあの衣装は20万円のオーダーメイドだった。
おかずが少なかったからか一日五合のご飯を食べていた。
時代劇の言葉は今に合わせている。本当は鎌倉時代は平家琵琶の語りのような会話であった。室町時代の言葉は能や狂言。江戸時代は歌舞伎の中で唄われる浄瑠璃や長唄だそうだ。などなど知らないことが多くて面白い。

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2019年2月18日 (月)

氷室椿庭園

『江戸人の老い』氏家幹人著で意外な事実を知りました。

鈴木儀三治と言う人が越後国魚沼郡にいた。先祖は上杉謙信に仕えた武士。家業は質屋。
父が早く引退したので20才ころから家業をゆだねられ良く働いたという。そして親孝行をし、両親は満ち足りた晩年を過ごして往生を遂げた。
ところが、老後、几帳面で潔癖症でしかも物を捨てない性分。後を継いだのが婿で、仕事のやり方ばかりか、婿の生活態度まで世話を焼いて口うるさかった。親戚にまで愚痴をこぼし、自分が中風にかかった時も娘からさえも復讐の言葉を浴びせられたほどの人だったという。自分の家だけでなく他人の家の揉め事まで口出しして、逆に批判を浴びることもすくなくなかった。
結婚遍歴は6人。5番目までは3番目の妻だけは死別であとの4人は離婚。娘も先に亡くなり、翌年家を出て分家の家に居を移し、その翌年享年73才で中風の再発で亡くなったという。その前に7万字にも及ぶ遺書を書いていた。それは婿養子に対する不満であり、そんな家族と最晩年を過ごさなければならないわが身の悲哀をこぼす言葉だったという。
この人こそ名著『北越雪譜』の著者として知られる鈴木牧之である。うーん、驚きました。
この本を以前読んで、雪国の事をこんなに詳しく著した人、凄い著者だと感じた。当時ベストセラーで第1版が700冊だったそうだ。
遺書を書かなかったら家族と当時の廻りの人々しか知らなかった。本からは人が全然見えてこないわけです。

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見舞いのついでに茅ヶ崎の「氷室椿庭園」に行ってきました。まだちょっと早かったのですが、それでも幾種類か咲いていました。
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サイトによると、三井不動産の元副社長である氷室 捷爾・花子さんご夫妻の庭園が、茅ヶ崎市へ寄贈され、平成3年10月に開園した。
広さ約2,800平方メートルの庭園には、椿や松、バラなど1,300本におよぶ庭木類が植えられています。 椿の種類は200種以上におよび、なかでも「氷室雪月花」は、白や淡桃色の地に紅色の絞りが入った美しい品種です・・・とあります。

氷室雪月花・・丁度満開でした

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氷室椿庭園内にある「旧氷室家住宅主屋」は、昨年11月に国の登録有形文化財に登録されたようです。これは昭和10年に建てられた旧氷室家住宅主屋が、昭和期の都市近郊における別荘開発の様相を伝える建造物として評価されたものです。
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今咲いている椿・・少々満開を過ぎたものありですが・・以前来ているのに名前を何も憶えていません。

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      紅侘助                 蝦夷錦
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     サンダイヤル              おおにじ
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     日の丸                  迦陵頻
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      すきや侘助              明石潟
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      大黒天                 出羽大輪
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      春日影                 応縁寺
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2019年2月14日 (木)

温室に逃げ込んだ新宿御苑

有権者権利放棄で悪政にと書いてあったのも頷けるが、国会中継をちょろっと見て質の劣った(失礼)大臣初め、今の政治家も一体何なのよと情けない毎日。
国家予算を膨らますばっかりで、何でも自分の時は金を使って良い政治をしているかに見せかけ、自分の私利私欲だけに国会議員になっている。
どなたが身を削って、無駄をなくして、オリンピック(税金でどうやらすごい賄賂を贈った模様)よりも、もっともっと国内の困った事態にお金を使って、さらに国家の借金を、次代に押しつけていくということに気が付いて、政治をやってくださらないものか。皆無かな。
今は総選挙のために国会をやっているようなもの。いろいろ出来上がった仕組みも悪いのですね。嘘をつく。隠ぺいする。悪いことを平気で言ったりしたりする方もいて、これが選ばれし政治家か。
何でも某国に日本が乗っ取られると言う本も出てきている。回りはスパイだらけとも。ああ、情けない。

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まだ梅も咲いてない新宿御苑に足慣らしに行ってきました。
天気予報当たらず、曇天の10度以下の寒い日、殆どを温室の中におりました。

現在の見どころは、ソシンロウバイと寒桜、水仙で、この時期何回も見ている景色は変わらず、殺風景とした冬枯れを賑わしています。
入園者の大半が外国人であることにも驚きました。それも西欧人が多かったからです。

                      ロウバイ
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                      水仙
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                 梅の開花はまだこんな程度
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                   ハクセキレイ4態
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                       ツバキ
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                   クリスマスローズ
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十月桜 マメザクラとエドヒガンの交雑種。八重。秋と春2回咲く。いざ桜を見ると、四季桜、子福桜、冬桜などとごちゃごちゃになってしまいます。
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寒桜 晩冬から早春に咲く桜。オオシマザクラとヒカンザクラの自然交配種といわれる。上野の大寒桜は咲いているかしら。
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                     ジャノメエリカ
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温室と温室前から見た新宿ビル群 温室に入るとあまりに暖かいのでカメラが曇って暫く撮影できず霧の中の花となってしまった。
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ここの温室は明治8年(1875)に無加温式で建てられ、ブドウ、スグリなどだったが、明治26年(1893)に加温式になりメロン、パイナップルなど栽培。
大正から昭和初めにかけて洋ランの交配に力を入れ、○○・シンジュクを多数輩出した。

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第2次世界大戦でほとんど失われたが、昭和26年から一般公開され、昭和33年、当時として東洋一の大温室完成、その後増改築を重ねたが、平成24年全面建て替えを行ったのが現在のもの。熱帯の植物中心に約2700種。絶滅危惧種の種子の保存もしているそうだ。沖縄だけでなく、小笠原の植物、乾燥地の植物も展示されている。何度来ても飽きない。

                      
エピスシア・クプレアータ  orangepekoさんありがとうございました。12_450x300
                    熱帯スイレン
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パフィオペディルム類 原種はワシントン条約で取引が規制されている
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                    ムニンタツナミソウ
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      ディホーン・スピヌロスム 白いソテツの実がかなり大きかった
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        キンシャチとセントポーリアは好きなので毎回載せてしまう
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             サルオガセモドキ(パイナップル科ですって)
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2019年2月 4日 (月)

壁面緑化

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こうした壁面緑化は東海道歩きでは、東京駅近くと戸塚辺りで見かけたが、我が駅の北口が開発されて高層マンション下層部の一部に施されました。
すぐ近くで見られたので観察したところ、まるでブロックのようで用土とは言い難い固そうな所へ様々な植物が植えられ、チューブが配管されているのが見え、完全自動灌水対応のようです。もうすぐ1年になろうとしていて、メンテナンスを見かけたことがないのでわからないけれども、ずっと植物は枯れずきれいに保たれています。
他の形式の様々な壁面緑化もヒートアイランド抑制効果があり、環境保全にも役立っている。

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昨年12/26の家のソシンロウバイの花と蕾。ヒヨドリがやってきて蕾を食べ始めたので透明ビニールを被せたところ、今年はまだ15も蕾が残っていたので全部開花させ、ビニール越しで見栄えが良くなかったけれど、良い香りが楽しめました。昨日ビニール袋を取り去ったところ、緑の葉は落ち、匂いもなく、開いた花びらに皺が寄っていました。

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色川大吉著の『フーテン老人世界遊び歩記』『フーテン老人ふたたび 私の世界辺境周遊記』を続けて読みました。

日本近代史、自由民権思想史の大学教授で現在93歳で東京経済大学名誉教授。
兎に角、片方の肺の半分がないから、チベットなどに何回も行く中、高山病で殆ど死にかけていらっしゃる。
そのチベットや玄奘三蔵の歩いた世界で最も過酷なシルクロードや当時入国が大変だった中央アジアや、ラダック、ブータン、4度も行ったアフガニスタン、パキスタン、アンデス越えをしたり、怖かった中央アメリカ、パタゴニア、メキシコ、キューバ、ニューカレドニア等々普通の人が当時いかなかった大変な所へパック旅行は殆どなしで個人や友人と歩き回る。
89歳でまた10年のパスポートを入手されたとか。

旅行記もいろいろですが、この先生の旅行記は面白く、文学的で、また途中で出合った凄い人々の話も興味深い。
黒沼ユリ子は知っていたけど、メキシコの画家、フリーダ・カーロを知らなかったです。何でも6歳のときに急性灰白隨炎になり、18歳のときに交通事故で17か所の骨折と28個のコルセットをし、30回手術。最後は足の壊疽で半分切断。それなのに絵を描き、政治活動もし、旦那の浮気に泣き、自身もイサム・ノグチやロシアの革命家のトロッキーなどと浮名を流すのです。旦那とは離婚し、1年で再度結婚。47歳で死去。著者は絵よりも寝室やアトリエに胸打たれたそうだ。

以前慕辺未行さんに紹介されていて読んだ『秘境西域八年の潜行』の著者西川一三氏に会われたそうだ。帰国後、本を上梓したと後どうされていたか?
・・・帰国後、謙虚な生き方をつらぬく。自分のしたことを誇らず、故郷盛岡にかえり、過去を消して一事業者としてつつましく生きた。高齢にもかかわらず働き詰めに働き、「人間は死ぬまで仕事をしなければならない」「自分のことは自分でしなければならない」「人間最後まで一人で生きてゆく気概がなければ」・・・
と自戒されていたそうだ。ご家族がいらしたけれど。89歳で亡くなるまで元旦以外はずっと働き通した人の信念であった。WIkiに寄れば故郷は山口、福岡のようだ。

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2018年8月 9日 (木)

都立薬用植物園

薬の勉強でなく花を楽しみに行く薬用植物園です。

そういえば、小田原の<ういろう>で買った「透頂香・ういろう」なんですが、効能は「腹痛、下痢、胃痛に始まり途中、夏負け、寒さ負け、そして広く急病に用い又強壮剤として常用す」とあります。141粒で1000円だったか、1回大人は10~20粒服用。凄くよく効くと友人から聞いていたので買ってみて試したみたところ、結果は何も私には効かなかった、ということです。漢方は風邪薬でも以前いろいろ使っていましたが、やはり医者に行く羽目に。西洋医学が処方する薬にずっと頼っていたたため、私には漢方は役に立たず、値段も高いし、残ったういろうはお守り代わりに持ち歩いています。
昔の人は植物や虫や石など自然界にある中から研究して薬にしたわけで、歩いて旅した時代の人々にとって「ういろう」のような薬は高くてもどんなにかよく効き、ありがたかったであろう。まあ、それなのに西洋薬に浸ってしまったおんぶにだっこの私には何も効かないということに驚いているここ数ヶ月です。
それなのにこの植物園に来て、それでもちょろっと効能を見たりしていました。午前中から猛暑の日ですぐ木陰に避難。外の木陰より更に涼しかったのが温室とは。係員さんが資料室で涼んでいったらということで、そこで冬虫夏草をしげしげと見てきました。

コンニャクの花の実 マムシグサの実のオレンジ色版という感じでとうもろこしみたいでもある。
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                 ヤマトシジミチョウでしょうか
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                      トウワタ
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コガネバナ 根の断面が鮮やかな黄色をしているので付いた名。消炎、解熱、下痢とありました。しそ科の花に似る。
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                     コガマ(ガマ科)
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  シロヤマブキの実 シロヤマブキの花は4弁なので実は4つ。しかし色が意外。
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               ハマナスの実 食べられるそうだ
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       オオボウシバナ(ツユクサ科)ツユクサの変種で青色染料となる
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                  センニンソウ 有毒植物
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         カブトムシ 大学生が他所の木からここに集めていた
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ヘチマの花 子供の頃以来お目にかかる花で意外と大きかった。たわしと化粧水としての用途がありました。
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               ナタマメの花 酢漬けにするらしい
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     ブチヒゲカメムシ ナタマメにいた。大豆、綿、胡麻、稲穂などの害虫。
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         ミソハギ(ミソハギ科) 民間療法の急性腸炎、下痢止め。
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        ハブソウ(マメ科) 葉がハブに噛まれた時の民間薬であった
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          トウガン(ウリ科) 葉の形が目立つ。漢方では鎮咳。
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温室
            アカホオオショウガ  面白い所に花が咲く
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                  オオバナアリアケカズラ
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                  ジュズサンゴ 小さな花
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         インドジャボク 血圧降下剤。世界を変えた薬用植物。
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資料室
                    冬虫夏草
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                   マンネンタケ(レイシ)
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夏休みを取った娘たちが次に行ったのが高崎。何しに行ったのかと思ったら、かみつけの里博物館と保渡田古墳群で埴輪を見たついでに洞窟観音と徳明園へ。
その翌日に上野の「縄文展」で土偶を見に行っていました。
群馬県のお土産もなかなかに美味しくどんどん食べています。
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2018年5月14日 (月)

三代将軍家光遺愛の松(盆栽)とバラの鑑賞(都立園芸高校)

世田谷ウォーキングで開催された都立園芸高校訪問に参加しました。

駒沢公園オリンピック記念塔の前に集合 出発してここに戻るまで約3.5㎞
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深沢の園芸高校に到着すると、正門から本館までイチョウ並木が続いている。大正元年(1912)に植えられたとのことで樹齢は90余年になる。本館側から撮影。
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正門の脇に「兎々呂城」の石碑が建っている。
調べてみると、園芸高校の所に兎々呂城があったそうだ。城主は南条右京亮重長公。南条家は小田原北条家の家臣で、国府台合戦において戦功を上げた事から、この領地を与えられたと言わる。この「兎々呂城」は「城」を「キ」と読み「トドロキ」と読んだのではないかといい、それが現在の「等々力」という地名になったという説もあるようです。
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ハナミズキ(別名アメリカヤマボウシ)
大正元年、当時の東京市長・尾崎行雄氏から3000本の桜はワシントンに贈られ、今もポトマック河畔に咲いている。(以前行ったときは花の咲くのが遅くて咲いてなかったのが今でも残念)その返礼として大正4年に白花のハナミズキが40本東京市に贈られ、そのうちの2本が園芸高校に植えられた。他のは全部絶えたが、ここの1本だけが今も花を咲かせている。咲いたらすぐ花柄を摘み取るという作業が行われるそうだ。
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三代将軍家光遺愛のゴヨウマツ。全部で3鉢あるそうだが、園芸高校には2鉢、皇居に1鉢あるそうだ。
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下から幹を写すとこんなに太く普通の松の幹と勘違いしそうだ。樹齢500年とのこと。植木鉢の中の根はとぐろを巻いている凄い状態なのでしょう。こんなに圧縮されても生きている姿は感動ものです。
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     風雨の時などはレールに沿って奥の小屋に避難できるようになっている
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この学校ではゾウガメが飼われている。
名前はきんさん、ぎんさん。長寿で今世界で一番長寿のゾウガメは200歳とか。
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バラ園 
昭和8年本校卒業の鈴木省三氏(京成バラ園芸所長だった、バラの育種家)より寄贈されたバラが植えられている。
昭和63年(1988)に設けられ、バラの品種の歴史を系統的に学べる日本で唯一のバラ園。原種・古代バラが88種168株、現代バラが約120種425株植えられている。
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    原種の方はもう殆ど咲き終わっていた。早く咲き開花期も短いそうだ。
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                山椒バラ」が一輪のみ残る
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地図で見ると、駒沢公園の約4分の1の敷地を持ち、東京ドーム2つ分の広さの当校には、イギリス式庭園とフランス式庭園もあり、外部には玉川果樹園や伊豆下田農場もあるそうだ。
教室内にいる生徒は見えないが、盆栽の実習をしている生徒を見かけた。
曰くのある植物やちょっと満開を過ぎたバラを見られて大満足でした。

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