『江戸人の老い』氏家幹人著で意外な事実を知りました。
鈴木儀三治と言う人が越後国魚沼郡にいた。先祖は上杉謙信に仕えた武士。家業は質屋。
父が早く引退したので20才ころから家業をゆだねられ良く働いたという。そして親孝行をし、両親は満ち足りた晩年を過ごして往生を遂げた。
ところが、老後、几帳面で潔癖症でしかも物を捨てない性分。後を継いだのが婿で、仕事のやり方ばかりか、婿の生活態度まで世話を焼いて口うるさかった。親戚にまで愚痴をこぼし、自分が中風にかかった時も娘からさえも復讐の言葉を浴びせられたほどの人だったという。自分の家だけでなく他人の家の揉め事まで口出しして、逆に批判を浴びることもすくなくなかった。
結婚遍歴は6人。5番目までは3番目の妻だけは死別であとの4人は離婚。娘も先に亡くなり、翌年家を出て分家の家に居を移し、その翌年享年73才で中風の再発で亡くなったという。その前に7万字にも及ぶ遺書を書いていた。それは婿養子に対する不満であり、そんな家族と最晩年を過ごさなければならないわが身の悲哀をこぼす言葉だったという。
この人こそ名著『北越雪譜』の著者として知られる鈴木牧之である。うーん、驚きました。
この本を以前読んで、雪国の事をこんなに詳しく著した人、凄い著者だと感じた。当時ベストセラーで第1版が700冊だったそうだ。
遺書を書かなかったら家族と当時の廻りの人々しか知らなかった。本からは人が全然見えてこないわけです。
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見舞いのついでに茅ヶ崎の「氷室椿庭園」に行ってきました。まだちょっと早かったのですが、それでも幾種類か咲いていました。

サイトによると、三井不動産の元副社長である氷室 捷爾・花子さんご夫妻の庭園が、茅ヶ崎市へ寄贈され、平成3年10月に開園した。
広さ約2,800平方メートルの庭園には、椿や松、バラなど1,300本におよぶ庭木類が植えられています。 椿の種類は200種以上におよび、なかでも「氷室雪月花」は、白や淡桃色の地に紅色の絞りが入った美しい品種です・・・とあります。
氷室雪月花・・丁度満開でした


氷室椿庭園内にある「旧氷室家住宅主屋」は、昨年11月に国の登録有形文化財に登録されたようです。これは昭和10年に建てられた旧氷室家住宅主屋が、昭和期の都市近郊における別荘開発の様相を伝える建造物として評価されたものです。

今咲いている椿・・少々満開を過ぎたものありですが・・以前来ているのに名前を何も憶えていません。
紅ろう月 中部西海波

紅侘助 蝦夷錦

サンダイヤル おおにじ

日の丸 迦陵頻

すきや侘助 明石潟

大黒天 出羽大輪

春日影 応縁寺

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